しかし常盤用水路は末信ポンプ所のある場所で厚東川から取水しているのではなく、更に上流の末信潮止井堰から用水を得ている。そして取水口から末信ポンプ所までは、私たちが「末信バック」と(勝手に)呼ぶ地表に現れる一部の場所を除いてすべてが地下埋設の管渠である。
末信ポンプ所から末信潮止井堰までは直線距離で1.2km以上あり、この管渠区間は国土地理院の地図には記載されていない。そのため概ね市道に沿っているだろうという程度の把握振りで、正確に何処を通っているかは殆ど分かっていない。
管渠区間で用いられているコンクリート管は、老朽化で交換されたと思われる実物が現在も末信バック付近にある宇部興産(株)の社有地に転がっている。
(2010年撮影の写真である)

直径は1.2m程度で、現在下水道の本管に用いられるヒューム管とは若干異なっている。接合部にカラーがなく、殆ど円筒形そのままである。
(ジョイント部分をどのように接合して漏水を防いでいるのだろうか…)
末信潮止井堰では取水のために水位を上昇させているので、管渠区間は地下埋設とは言っても厚東川の水面よりは若干高い流下面を持つ。それにしても1km強離れている区間を厚東川に沿って管渠で流すならそれほど大きな縦断勾配を持たせることはできず、落ち葉などが流れ込めば送水の障害になる。恐らくその点を考慮して、管渠区間にはいくつか排泥桝などが設置されている。
もっとも既に知られている桝も存在場所が特定されているだけで、恐らく機能していない。設置はしたものの実際は思ったほど砂塵が溜まらないので放置されているといった印象を受ける。
このような構造物は、常盤用水路の管渠区間をピンポイントで特定する助けとなる。多く判明すれば、それだけ管渠区間のコースが精密になる。この記事を書き始める前までの段階で既知の構造物は、取水口を過ぎて農道と交差する部分、末信バック、末信バック直後の折れ点、次の記事で掲載するコンクリート蓋つき桝がある。桝以外の場所は埋設管で施工後何十年も経っているために地表には殆ど痕跡も遺っていない。
さて、現地踏査の時系列に戻ると、この日は最初に沖ノ山水道関連の遺構を訪れて写真を撮った。実は本命の一つとしていた目的地は、これから訪れる場所だった。ある仮定の下で「ここに常盤用水路の排泥桝が存在する筈だ」という未調査の場所に気付いたのである。
この場所である。
市道沖ノ旦末信持世寺線を北上している。前方遠くにに見えているのは広瀬高架橋だ。

大まかな位置を地図で示そう。
末信ポンプ所から厚東川を遡行するように進んだとき、隣接する沢ということになる。ここは結構な水量のある小川が流れており、上流部にはお不動様が祀ってある。そこを掠めるように厚東川1期導水路が橋梁で通過していて、No.26桝を経た後に民家の下を通る(その筋のメンバーには)有名な場所だ。

沢があって厚東川に注ぐ小川があるということは、常盤用水路の管渠区間はこの下をくぐっていることになる。普通に管渠を布設すれば、管頂が小川に露出してしまうだろう。洗掘防止に何かの施工があるはずだ。また、小川に面しているなら泥水の排除も容易なので、排泥桝が設置されているかも知れない。この小川交差部に何かある筈だ…
市道の傍らに自転車を停めてこの小川に沿って下ってみた。
あるいは人の往来もあるのだろうか…淡い踏み跡が見えていた。

市道と厚東川のほぼ中間点あたりだろうか。
やはり…あった。

木の葉を被っていて分かりづらいが、正方形の鉄板が埋もれている。
一辺がおよそ1mちょっとだろうか。

不法投棄物として転がっている鉄板じゃないか…と言われそうだが、まずその心配はない。これは間違いなく常盤用水路の排泥桝と断定できる。この下を管渠が通じている筈だ。
この場所から小川を覗いてみた。
間知石積みになっている。かつては堰板を入れて水位を上げることがあったのだろうか…板を設置する溝のようなものが見えた。

石積みは下流側で切れていて、そこから先は自然のままの小川になっていた。
ここまでは河床をコンクリートで補強しており、段差がついている。

この区間だけ河床を底上げしている理由はあれしかない。
この下を常盤用水路の管渠が通っているので、流水で削れてしまわないようにするためだ。同様の施工は末信バック直前の小川交差部にも見受けられる。
もしかしたら河床に管頂が現れているかも知れないと思い、身を乗り出して確認してみた。
上流から運ばれてくる砂が堆積して隠されているのだろうか…それらしきものは見えなかった。

鉄板の上に積もっている木の葉を取り除けば、何か参考になる文字など描かれているかも知れない。
それにしても落ち葉は大量で、土もかなり積もっている。その上だけ正方形状に草が生えていないことで存在が分かるほどの放置ぶりだった。手で触るのも憚られ、靴の底を利用して鉄板の上をこさいだ。(←それ方言だろw)
四隅がボルトで留められていること以外、何も分からなかった。
この蓋を開閉することは近年まったくないらしい。

常盤用水路は現在でも常盤池の灌漑用水補給用に使われている。現在も取水口から厚東川の水を取り入れて管渠区間を通水しているなら、定期的にメンテナンスが要るようにも思われる。恐らく当初は排泥桝として使うことを考えて設置したものの、泥が溜まることないので放置されているのだろうか。
この桝の上に立って上流側を撮影している。
当然と言えば当然だが、一面の荒野で施工跡らしきものはまったく見えなかった。

点の部分が確認できれば、常盤用水路の管渠区間が次第に明らかになっていく。この場所から近接する位置には、以前報告され現地踏査を終えている一つの奇妙な構造物がある。
追加の写真を撮るために、そこへも立ち寄ることにした。
(書きかけ状態で放置されていたため公開が遅くなってしまいました…)