昭和隧道【上】 | すた・ばにら

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2019/11/29にYahoo!ブログ「すた・ばにら」より移植処理しました。

辰の口隧道 の上流側坑口の痕跡を確認した後、この回における複合踏査の最大の目的地へ向かいました。その名も些かベタな感じではありますが、

昭和隧道

です。

 

先ほど踏査した辰の口隧道でも触れた通り、昭和隧道は用水需要の拡大と旧隧道の老朽化に対応するために、昭和初期に掘削されたバイパス的隧道です。別プロジェクトの常盤用水路に見られるいくつかの隧道について、私は既に書いた記事で(些か恣意的に)暫定名を与えていました。しかしこの昭和隧道は暫定名ではなく正式名です。

 

昭和隧道は、先にみた辰の口隧道よりも数百メートル上流に位置します。


昭和隧道・北側坑口

 

それでは、現地へご案内しましょう。

 

Yahoo! 地図で示される通り、昭和隧道は 215 番指定された道のすぐ足元にあります。これは県道宇部停車場線で、2号線の吉見と宇部駅を連絡しています。

 

県道を宇部駅方面へ走れば、広い田園地帯の端まできたところで厚東川まで張り出した半島状の丘陵地帯へぶつかります。県道もJR山陽本線もやや遠くから勾配を上げてこの丘陵地帯を切り通しで抜けています。その手前に丘陵地帯の裾野へ取り付く下り道が見つかります。

 

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この道は山陽本線をガードでくぐります。この道と同じくらいの幅がある御撫育用水路も寄り添ってきて、ガード下で道路と位置関係が入れ替わります。

 

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ガードをくぐると、すぐ右手の山側に昭和隧道の坑門が見えてきます。
ここで用水路は二叉に分かれ、樋門を開放することによって辰の口隧道方面にも用水が回るようになっています。

 

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これが昭和隧道の坑門です。
常盤用水路に見られる隧道同様に坑門と笠石を有していますが、規模が違います。何と言っても目立つのは坑口正面に取り付けられた堂々たる扁額です。

 

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扁額をズーム撮影しています。
昭和初期の築造をイメージしているのか、右から左に書かれています。(ただし扁額自体は後付けではないかと思われる)

 

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延長や竣工年、揮毫が誰のものによるものかは扁額にありませんでしたが、昭和隧道自体は昭和7年に竣工されたことが 辰の口隧道 の説明板に明記されています。

 

実に 70 年以上(そして今後も間違いなく相当の永きにわたって)現役で活躍しているわけですが、その割に坑門や扁額は年月を感じさせませんから、幾度か補修されているものと思われます。

 

少し引いた位置から撮影しています。

山を穿つという印象はないものの、この近辺での土被りは 20m 程度あります。

 

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再度、Yahoo! 地図でチェックすれば、概ね以下のような経路で隧道が掘られています。

 

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正確な延長は(手元にあるはずの郷土史が現在行方不明なので)分かりませんが、地図で読み取る限りでは 400m 程度ありそうです。

 

道路は小さな峠で越しているし、勾配の苦手な鉄道でさえ緩やかな勾配と大きな堀割によってこの半島部分を通過しています。しかし黙っていては決して登ってくれない用水をこの丘陵地帯の反対側へ回すには、歴史的に見ても初代の辰の口隧道を嚆矢とする並々ならぬ苦労があったのです。

 

現役で活躍していますから、先に見た辰の口隧道とは違って当然貫通しています。水路隧道は地勢的制約のない限り直線ルートを取りますから、角度によっては反対側の坑口が見通せるはずです。

 

通水期以外は干上がってしまう常盤用水路とは異なり、御撫育用水路は一年を通じて多少なりとも用水を通しています。そのため長靴でも用意しない限り、水路内へ降りることができません。(状況がどうであろうと用水路内へ立ち入るのはお勧めできない)

 

坑門に正対し、水路の土手に座って姿勢を低くしてもやっと隧道の奥にそれらしき明かりが見えるだけです。ヘタをすればポッチャンしてしまいそうでした。

 

目視が無理ならせめて写真だけでも…としっかりカメラを構えつつ、両手を限界まで水面に近づけて撮影したものがこれです。

 

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うっすらと反対側の坑口から明かりが漏れているのが分かります。
核心部分だけ、ドーンとズームしてみましょうか…

ドーンッ!!

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酔狂かも知れないけれど率直な感想を…

ちょっと怖いけど中を歩いて通過してみたい

そ、そんなムチャな…
そういう危険で法外な(何よりも畏れ多い)ことは、頼まれてもやりませんからねっ

 

坑門に近づき、その横へ上がってみました。(さすがに坑門の真上には上がれません…先代の人々の血と汗によって造られた偉構を足の下にするなんて畏れ多い…)

 

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そこへ行くには水路にかけられた細くて頼りない一本の石橋(人が乗れば折れそうなほど厚みがない)を渡らねばならず、ちょっとした冒険でした。

 

最後に、坑門の横から周囲をパノラマ動画撮影してみました。

 

 

開発によって見渡せる平野部が少なくなってしまった今も、広瀬付近は広い田園風景が今も存在し、開放感があります。中央を高架橋で突っ切っているのは山陽自動車道で、正面に見える観音岳の真下を霜降山トンネルによって貫通しています。

 

何とも長閑な風景ですが、この広い田畑も御撫育用水路のお陰を今なお受けているからなのです。

 

さて、この後じでんしゃにまたがり、県道に戻って昭和隧道の反対側坑口を目指しました。

 

 

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【追記】(5/3, 13:15)

昭和隧道の訪問は初めてではなく、これまでに小学校中学年の社会見学を含めて少なくとも3回訪れています。
直近(と言っても9年前ですが)のデジカメ写真が見つかったので追加しておきます。

 

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