こんにちは、あの足利事件に似た案件の見直しをというのがありました、
「飯塚も再審を」弁護団が準備足利事件とおなじ鑑定法、とあります、
「足利事件」と同じ方法のDNA型鑑定が有力な証拠と
なって死刑判決が出た福岡県の「飯塚事件」。92年に
同県飯塚市で女児2人を殺害したとして起訴された久間三千年(くま・みち
とし)元死刑囚は一貫して無罪を主張したが、08年10月に
死刑が執行された。弁護団は再審請求の準備を進めている。
「再審の準備を進めていることを伝えると
『お願いします』と本当に喜んでいた。急がなければと思っていた
矢先だった……」。一審の途中から弁護を担当した岩田務弁護士は
無念さを隠せない。久間元死刑囚の死刑が福岡拘置所で執行されたのは、
この面会から約1カ月後だった
と、いうことですが、なんと悲しいというか、あまりにも人の
命のはかなさを感じますね、もちろん再審でやはり黒と出るか
もしれませんが、これはやってみなければわかりません、
万が一でも可能性が残っていたとしたら、、、、、、
そう思うと残念でしょうね、まだこれからもこれに似た案件が
でてくるのではないでしょうか、ぜひみなおしを、、、、、
と、いうことで今日もいってもましょう、
「原爆投下を招いた重大なる判断ミス」
日本に降伏を進めるポッダム宣言が発表されたのは、
昭和20年(1945年)7月26日でした、
アメリカ、イギリス、旧ソ連、の(三国の首脳は対日戦争
の終結及び戦後処理方針を決定し、中国の同意を得て
ポッダム宣言として発表した)のです、
この年6月8日の御前会議では、「本土決戦、一億玉砕」
が決定されましたが、政府部内でもそろそろ戦争を終結
させようという空気は出ていました、
ポッダム宣言では日本の主権を「本州、北海道、九州および
四国と連国の決定する諸小島」としていたため、受諾すれば
最低限の領土は保持できます、したがって絶対にのめなかっ
た案ではなかったのです、
しかし政府と銀部は、結局は受託せず、黙殺する道を選び
ました、ポッダム宣言は、アメリカ、イギリス、中国、の
名で発表され、旧ソ連の名が入っていなかったことから、
旧ソ連に日本参戦の意思なし、と判断してしまったのです、
日本は当時、旧ソ連の仲介による和平実現に最後の望みを
かけていました、しかし、この年2月のヤルタ会談では
米、英、ソ、3カ国が秘密協定で「ドイツ降伏の3カ月以内」
にソ連が対日戦に加わることを取り決めていました、
対ソ交渉はまったっく無駄だったのです、
此のころアメリカは、原子爆弾の実験に成功しています、
大戦後、日本を単独占領するには、ソ連の参戦以前に
日本を降伏に追い込む必要があったのです、
そのためには、新型爆弾の投下が一番有効
であると考えたアメリカは、完成を急がせ、
まず、8月6日に広島にウラニュウム爆弾を
3日後の9日には、長崎にプルトニュウム
爆弾を投下したのです、
ドイツが降伏して3カ月目にあたる8月7日でした、
その翌日、ソ連はヤルタ協定の取り決めより1日遅れ、
日本に宣戦布告しました、ソ連からの返事をむなしく
待ち続けた政府首脳がポッダム宣言受託に傾いたのは、
原爆投下と旧ソ連参戦によってでした、
それにしても、もし7月26日の時点でポツダム宣言
を受け入れておれば、少なくとも広島と長崎が原爆の
実験場となることはなく30万人に上る言われる犠牲者
は出なかったはず、その責任は重大です、