・・・の続き。
「『昇華』は、『消化』だというもう一つの意味についてだ。」
「それは、『消化』というものは、細かく砕いて自分の体の栄養素にすることによって、自分の身になるという点だな。」
「人間が現実で体験したことを細かく砕いて『単体(点)』で捉えることによって、それが『消化(昇華)』され、自分の無限の可能性という意識の栄養になるという点なんだ。」
「自分が『消化(昇華)』したものしか、無限の可能性の中の要素として存在しない。自分が『消化(昇華)』していないものは、無限の可能性の中にはないということなんだよ。」
「人間が次元を超えたことができないのは、自分の中に使える要素が存在していないということなんだ。」
「その意味、分かりにくいですね。詳しく説明した方がいいかと・・・」
「そうだね。
- 『リンゴが赤い』という状態でいる人の頭の中には、青いリンゴが想像できない。
- 雨は嫌いだという人には、雨を楽しむということが想像できない。
- 自分がダメな人間だと思っている人には、成功して輝く自分を想像できない。
- 女性は優しく控えめであるべきだと考える人には、強く輝く魅力は出てこない。
- 背が低いから好かれないと思っている人は、アイドルになって成功できない。
・・・なんて感じに、
自分が複合体で意識してしまっていることは、複合体でしか使えないってことなんだ。バラにすれば、無限の可能性で自由に創造することができるわけだが、自分で『雨は嫌い』『自分はダメだ』『女性は優しく控えめであるべき』『背が低いと好かれない』という複合体で意識している限りは、新たな可能性など発生しないということなんだよ。」
「勝手な決めつけですね。」
「そうだね。」
「ただ、この複合意識を単体にするとどうなるかという実験をするよ。
- リンゴは赤い → リンゴ 赤い
- 雨は嫌い → 雨 嫌い
- 自分はダメな人間 → 自分 ダメ 人間
- 女性は優しく控えめであるべき → 女性 優しい 控えめ
- 背が低いと好かれない → 背 低い 好き 否定
こうやって単語にすると、『単体』になるよね。
すると、何も波動が発生しなくなる。
そして、また別の単語と合わせて、何か新しいものを創造することができるようになる。これが『昇華(消化)』ということなんだ。」
「単体であればいくらでも想像することができる。」
「複合体のまま認識しているうちは、何も新たな創造ができないってことね。」
「無限の可能性の要素は、自分で現実を単体にできない限りは、空っぽのままだということ。だから、現実に対して、『単体(点)』で捉えることは重要だということなんだよ。」
