毒親育ちじゃなかったら…わたしは子どもを愛したのか | 子ども産んで後悔している

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産まなきゃよかった!現在4ヶ月(2024,1)後悔しなかった日はなし。真っ黒な本音を吐き出すブログ。

わたしの親自身は

ゼッタイに認めることはないでしょうが

毒親です。


「いいお母さん」が

彼女のアイデンティティでしたね。


子どもが褒められることが

自分の正しさであり、成果であり…

喜びとして生きているような人。


昔の専業主婦は

そんな人が多かったのかもしれないし…

こればかりはよくわかりません。



だからいろいろやってはくれるんですよ。

ただ、わたしの希望ではない。



いいんですよ。

好きに生きてくれて。

ただ、わたしが望んだことのように

仕立て上げてくるのをやめてほしかった。


たとえば…

お稽古ごとね。


わたしの希望じゃないんですよ。

わたしと母の趣味や

得意なことというのは全く違っていて。


「これやりたいでしょ?」ってね

まあ、やってみるけど…

好きじゃないし得意じゃないから

伸びないわけね。


でも親はやってほしくてしょうがないのよ。


「じゃあやめるの?」

やめたいけど…

言わせないのよねー。

なんなん?あれ。


自分がやればいいんだと思うんだけど…

なんで自分がやりたいことを

わたしにやらせたのか今でもわかりません。




たまたまわたしの希望と被ることがあって

そういうときは嬉しかったですけどね。



たとえば、クリスマス。

好きでしたね。

飾り付け、ケーキ…楽しかった。


わたしの家庭での楽しかった思い出は

クリスマスだけなのかもしれません。



そして料理。

わたし、味覚や嗅覚が敏感なほうでして。

人工甘味料やレトルトの玉ねぎの味

受け付けないんですよね…  


学校給食は…毎回吐きそうでした。

だって輸入肉でしょう…

飲み込めませんでした。

油が臭くて食べられなかったんです。


今も苦手ですが、学校給食のような

雑な臭み処理してる外食チェーン店は

ないので美味しくいただきますよ。

自炊ではとても買いませんが…。



わたしが料理好きなのは

自分が食べられるものを作り出すためです。


わたしが美味しいと思うものを

喜んで食べてくれる人がいるのは

しあわせなことです。



母の中の「いいお母さん」は

料理が丁寧で得意でマメであることが

含まれていたのでしょうか…


やったら時間がかかって

手際が悪いのは

人としての限界なのかな…と

大人になった今思うのですが

味は美味しいです。



下ごしらえも、飾り切りも

毎回そんな頑張らなくていいと思うのですが

行き届いています。


早く帰りたい、〇時くらいには

家を出たい


と希望をあらかじめ伝えても

帰れた試しがないですね。

2時間はオーバーします。



夫もかなり呆れています。

わたしの母はそういう人です。



正月くらいは顔を出しますが、

美味さは変わりません。

わたしは母と話すと疲れMAXなので

関わりたくないのです。

でも食事だけは楽しみです。



親との関係が悪いと自己肯定感が下がり、


学校をはじめ…

社会にうまく馴染めないというのは

広く知られてきたことですね。



当事者のわたしが振り返っても

その通りだと思います。



自分の能力を発揮する以前に

人間関係にストレスを抱えやすい。



子育てにおいても

親との関係を繰り返すと言われています。

虐待が連鎖するっていう、アレです。


人は人にしてもらったことしか

人にしてあげられないんですね。


反面教師にする、というのは

一見聞こえはよいけれども


実際には自分が嫌ったものに

近づいてしまう

心の持ち方だということです。



もし、わたしが親と仲がよく…

毒親だと思わないような人のところで

育っていたら


子どもが好きだったのだろうかと

よく考えます。



たぶん、わたしは自分の好き嫌いは

ずっとハッキリしているので

やっぱり子どもは好きじゃなかっただろうと

思うのです。



でももし…

自己肯定感に悩まず

社会でのらりくらりと過ごせたなら…


わたしは自分の食い扶持に

自信を持てていただろうなと思います。



たぶんわたしは

自分の好きな人とパートナー関係を

持つだろうけれど


仕事を優先して

結婚していなかっただろう。



そして子どもを持たないという決意を

曲げることはなかったのではないかな



ここが、わたしのズレなのだな…と

考えています。