NPO法人SSS 事務局ブログ

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日頃の活動や思いを通じてNPO SSSの情報を発信します!

かおNPO法人エスエスエスは生活困窮者の生活支援や自立支援をおこなっている民間団体です。事業の手法を用いて、社会問題を解決する「社会的企業」として活動しています。


えんぴつこのブログはSSSの活動を内側から発信し、どんな法人なのかを皆さんに知って頂くために立ち上げています。


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アルコールやギャンブル・薬物への依存がある方、犯罪を繰り返してしまう方、さらに自立を支援する施設を転々としている方…

 

これらの「困難ケース」に直面した際、生活歴や相談の経緯から「自立が遠い」「またダメかな」と感じてしまう経験、支援する立場の方なら、誰しもがあるのではないでしょうか。

 

実際にその直感が外れではないケースが多いのも事実です。しかし、今回は、もしかすると支援する側の“先入観”が自立を遠ざけてしまうこともあるのではないかと自戒した事例をご紹介します。

 

 

今回の主人公は、窃盗などで合計3回の服役経験があるAさん。さらにAさんは40代後半で最後の実刑をうけたあと、10年ほどの間に(覚えてるだけで)5回も自立支援施設の入退所を繰り返してきました。

 

退所の理由はすべて「人間関係のトラブル」。カッとなって荷物すら持たずに施設を出ていってしまったことも1度や2度ではないといいます。

 

SSSの施設に入所したのも、他施設での人間関係がうまくいかなくなったことがきっかけでした。ここまでの経緯を見ると、いわゆる問題児であり、困難ケースだと捉えられがちなのも仕方ないような気もします。

 

しかし、Aさんはケースワーカーや周囲の人のサポートにより、生まれ変わったのです。

 

転機となったのは、ある支援員との出会い。Aさんの職歴は日雇いが中心で長続きしたのは20年以上前のとび職だけでしたが、一旦先入観を捨て「長く続けられる仕事がしたい」というAさんの希望に合う仕事を探しました。


ようやく決まったのは、公共施設の自転車を整理する仕事。

 

 

週4日の勤務を既に約1年続けているといいます。これまで日雇いなどがメインだったAさんにとって、継続的に同じ職場で働けたことが自信になり、その特別感が心の支えになっているとのことでした。

 

今ではAさんの働いている姿をみて周囲の人も声をかけてくれるようになり、「まじめにやってるね」と公共施設の職員にほめられたり、「寒い中、ご苦労様」と一般の方にねぎらいの言葉をもらえるようになったそうです。

 

いかがだったでしょうか。今回のAさんのように、支援する側が一人ひとりに合った最適な一手を探り続けることが、自立を実現する最大の近道であることは間違いありません。

 

そのためには、「困難ケースだから、どうせ…」という先入観を私たちが一度捨てることが何より大切なポイントのひとつといえるでしょう。

 

そして一人ひとりの本質的な問題を探り、向き合い、見極めていくためのアセスメントが重要だと改めて気づかされる事例となりました。

 

詳しくはこちらをご覧ください。

 

更新日:2019.01.09

「路上や施設を転々としてきた」

あなたは困難ケースに先入観を持っていませんか?

 

当事者インタビュー:Aさん(男性・57歳)


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NPO法人エスエスエスの年末年始の相談受付についてお知らせいたします。
 

12/29(土)~1/3(木) 電話相談のみ

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年末年始の、行政や病院が休みになる期間について、住まいや生活にお困りの方、また支援者の方はご相談がありましたら、各地域のフリーダイヤルまでお電話ください電話

 

東京相談センター(上野)  
0120-346-850

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受付時間:9:00~17:00


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今年6月、厚労省において社会福祉法および生活保護法の法改正が公布されました。

 

それに伴い、生活困窮者を支援するための「無料低額宿泊所」は新たに「社会福祉住居施設」と位置付けられ、より一層「日常生活上の支援を提供する施設」としての期待が大きくなっているのをご存知でしょうか。

 

 

単に生活保護受給者が「一時的に宿泊する場所」ではなく、日常生活を支援し、自立を促す施設として注目されているのです。

 

これまで以上に一人ひとりに目を向けた支援が求められているといえるでしょう。

 

そんな中、今回コラムでご紹介するのは、今後の生活困窮者支援のお手本となるような施設長です。

 

その名も大橋一男。JR常磐線土浦駅から歩いて10分に位置する「ポプラの郷土浦」で43名の利用者の支援にあたっています。

 

 

彼は100人の利用者がいれば、100通りの支援の形があると考え、決して型にはまった支援を行なうことはありません。

 

支援は、入所後すぐの面談で、一人ひとりからじっくり話を聞くところからスタートします。

 

どこで育ったのか、何人兄弟でどんな子供時代を過ごしたのか、困窮に至った背景は何なのか…世間話をするように話に耳を傾けることで、その人の性格や長所・短所を知ることを心がけているといいます。

 

彼にとって最初の面談は「アセスメントシート」を埋めるだけの作業ではなく、ここでの生活のスタートから利用者の将来を一緒に考えていくために大切な時間なのだそうです。

 

また、入所後も話をすることをとても重要視している大橋。集団生活だからこそ、他の利用者との関わりは避けることができないため、周囲ととけこみうまく生活に馴染むことが自立への近道だと考えているからです。

 

「だから必ず最初に“どんな小さなことでも、ひとりで抱え込まずに相談してね”と声をかけるようにしています」と大橋。

 

「全てを解決することはできないかもしれないが、話してくれることが大事。この仕事は、少しでもあてにされてナンボの職業だから」
「この人に言っても何も前に進まない、と思われたら終わり」
「自分が真摯に対応すれば、こちらからの注意だって素直に受け入れてくれる」…こんなふうに語っていました。

 

事実、この施設は利用者間のトラブルは全くありません。その分、大橋のところにはひっきりなしに相談者が訪れるのだそうです。

 

 

さらに大橋は独自に利用者全員の「生活記録」をパソコンで作成しています。そこには相談内容はもちろん、日常生活の様子や注意したほうがいいこと、さらには褒めることもびっちりと書かれていました。

 

その「生活記録」をケースワーカーに渡すことで、自立支援にも確実に結びついているのだといいます。

 

また大橋は「利用者とは、施設にいる間も、施設を出てからも、ふつうのお付き合いをしていきたい」と考えているのだとか。

 

地域のアパートや高齢者施設、会社寮へ転居した人には、必ず会いに行き、近況や悩みを聞きます。
入院している人には、病院にお見舞いに行き、亡くなった利用者のお墓にお参りし、お花とお線香を手向けることもあります。

 

元々、自分自身も生活困窮者であり、SSSの施設の利用者だった大橋だからこそ、利用者を1人の人間として大事にしたいという想いが誰よりも強いのでしょう。

 

年齢、性別、生活歴や健康状態、みんな違う人間として、相手の顔を見て話を聞くことを徹底してきた大橋。彼はきっとこのゆるぎない信念を持って、今日もまた利用者の相談に乗っているはずです。

 

コラムの本文はこちらからご覧ください。

 

更新日:2018.12.19

「あてにされてナンボの職業」

利用者がひっきりなしに相談にくる施設長

 

スタッフインタビュー:大橋 一男

 

 


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「几帳面なたちで、ホコリが嫌いだから、毎日すみずみまで掃除してるんですよ」

 

そんな言葉と共にゴミひとつなく、整理整頓された部屋に迎えてくれたのは、今回のコラムの主人公であるSさん。

 

 

その笑顔と健康そうな顔色から、以前は幻覚と幻聴に襲われるほどのアルコール依存症だったようには全く見えません。

 

聞けば、SSSの施設である「海神荘」(船橋市内の無料低額宿泊所)に入所してから、お酒は一滴も飲んでいないといいます。

 

Sさんはどのようにアルコール依存症を克服したのでしょうか。その経緯を振り返ってみたいと思います。

 

 

Sさんが21歳の時に父親が他界。その後、4人の姉妹が順に嫁いでいった後、唯一の男子であるSさんは母と2人で父が残してくれた家で暮らしていました。

 

配送ドライバーとして働いていたSさんは、当時からお酒が好きで、毎日ビール大瓶1本からはじまり、缶チューハイ1本、そのあとは焼酎のお茶割りを2~3杯飲んで寝るという生活を続けていたといいます。

 

母からも「あんたはよく飲むね」といわれるほどでしたが、生活に支障をきたすことはありませんでした。

 

しかし、母の入院をきっかけにSさんの心の崩壊が始まっていくのです。

 

母と2人でずっと生きてきたSさんにとって母の入院はとてもつらかったのでしょう。

 

「おふくろの見舞いに行きたいし、仕事がもう嫌になっちゃった」

 

看病に専念したい一心で、仕事を辞め、母と暮らした一軒家を手放し、60歳をこえていた自分は軽費老人ホームに入居することを決めました。

 

 

仕事を辞めて、時間に余裕ができたはずでしたが、その分、思い悩む時間が増えたというSさん。

 

「考えすぎるたちで、ますます眠れなくなった」
「時間に縛られなくなって、朝から晩まで飲みっぱなしだった」

 

幾度となく泥酔し、老人ホーム内でケガをする日々。ほどなくして退去を言い渡されてしまいます。

 

その後は家を売却したお金を使って健康ランドで暮らしていたというSさんを、アルコール依存症はどんどん蝕んでいきました。

 

手の震えが出たり、「冬なのにセミが鳴いている、おかしいな」と思ったら耳鳴りだったり、夜目をさますと「顔がない人がすぐそこにいる」といった幻覚を見たり…

 

そしてとうとう意識がない状態で暴れてしまったSさん。警察署から市役所に連れてこられ、最終的にSSSの施設である「幕張荘」に入所することになりました。

 

 

しかし、アルコール依存症であるという自覚がないSさんは、施設でも禁止されている飲酒を続けてしまいます。そのうち、同じ施設に入所している仲間とも揉め事を起こしてしまい、SSSのエリアマネージャーと相談した結果、現在の住まいである「海神荘」へ転宅することになったのです。

 

「これ以上人に迷惑をかけてはいけない」
「決められたルールや規則を守らなければ」

 

この施設移動が自分の生活を見直すきっかけになったというSさん。

 

さらに施設長から「アルコール依存症の専門治療をしている病院を受診してみてはどうか」と勧められ、一気に事態は好転します。

 

すぐに通院することを決意したSさん。禁酒を始めた最初の3日間を「死ぬほどつらかった」と振り返ります。

 

アルコール依存症はお酒が抜けると、吐き気・不眠・イライラ・不安などひどい離脱症状が現れます。多くの患者はこの症状から逃れるためにさらに飲み続けてしまいお酒をやめられないのです。
 

「テレビを観ても、水をガブ飲みしても、うろうろしても、横になっても、どうしようもなかった」

 

「天国のおふくろが助けてくれないかなぁって、涙流しながら乗り越えた」

 

しかし、多くの患者が乗り越えられない壁を、意志の強さで克服したSさん。

 

もともと眠るためにお酒を続けていたSさんでしたので、今では「抗酒薬」ではなく「睡眠導入剤」を飲むことで、快適な生活を送っているといいます。

 

お酒を飲まない環境を作ること、医療の力を借りること、そして元来の忍耐強さで、Sさんは約50年続いていた飲酒を断ち切ることができました。

 

今回のSさんのケースで学んだのは、アルコール依存症の克服に向けた第一歩で欠かせないのは、お酒を飲まない環境づくりであるということです。しかし、その環境はなかなか本人1人では作ることが難しいのが事実でしょう。だからこそ、ぜひ周囲の力を借りてほしい。身近に頼れる人がいないのなら、医療機関や行政機関に相談をするところから始めてほしい、そう強く感じた事例となりました。

 

詳しいコラムはこちらをご覧ください。

 

更新日:2018.12.12

「病院に行けてよかった」

不眠症からのアルコール依存を克服

 

当事者インタビュー:Sさん(男性・68歳)

 


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アスペルガー症候群、ADHD、学習障害などの「発達障害」。

 

近年、世界的な映画監督が自身の発達障害をカミングアウトするなど、その存在は広く知られるようになりました。

 

2012年に文部科学省が行った調査では、通常学級に通う児童生徒のうち「発達障害の可能性がある」子どもは約6.5%、クラスにおよそ2~3人はいるという報告がされているほどで、とても身近な障害です。

 

 

そして「発達障害」において最も重要だと叫ばれているのが、早期発見と早期療育。最も療育を始めるのに適している時期は、幼児期だといわれており、最近では自治体が行なっている乳幼児の健診でも早期発見のプログラムが組まれています。

 

幼児期から療育に取り組む家庭がある一方で、早期発見ができず、大人になるまで適切な支援を受けることができなかった人も少なくありません。

 

人の輪にうまく馴染めなかったり、他の人が当たり前に出来ることが苦手だったり…そうした“生きづらさ”に悩み苦しみ、うつ病や不安障害といった二次障害を引き起こしてしまうこともあります。

 

今回のコラムの主人公Tさん(女性・27歳)も自身の障害に気付いたのは中学生になってからでした。

 

しかし幼少期からずっと“生きづらさ”を感じていたといいます。

 

「小学生になったら、周囲から浮いて、すぐにいじめられるようになった」とTさん。

 

落ち着きがなく、思ったことを言ってしまう。
机のなかはぐちゃぐちゃで、いつも忘れ物ばかり。
勉強にはついていけず、得意な国語と図工以外は0点。

 

こうしたTさんに対して周りの子どもは、うわばきを隠したり、階段から突き落としたり、「ブス」「デブ」などひどい言葉をなげかける。教師もいじめを見て見ぬふりで、学習の遅れへのフォローさえしてはくれませんでした。

 

そして最も身近で絶対的な味方であるはずの両親は共働きで毎日夜遅くに帰宅していたため、娘の変化に気づくことはなかったのです。

 

ひたすら耐えていたTさんでしたが、4年生の頃に限界を迎え、自身の手首を切ってしまいます。その時の心境を「死ぬつもりというよりは、親に気付いてほしかった」と語ったTさん。

 

ついに、いじめられていることをカミングアウトし、「中学は、自分を知る人が誰もいない学校に行きたい」と訴えた結果、両親はその想いを受け止め、一家で引越しをすることになりました。

 

中学では友達も急激に増えたTさんでしたが、既にそのころには人を信用することができなくなっており、中1で初めて精神科を受診。

 

そこで「統合失調感情障害(※)」という診断名とともに、ADHD(注意欠陥多動性障害)、ASD(自閉症スぺクラム障害)という「発達障害」を抱えていること、さらには軽度に「知的障害」があることが判明しました。
 

※統合失調症の症状と気分障害の症状の両方が同時に現れる精神障害。

 

その後、フリースクールに転校し、高校に進学したTさん。少しずつ自分のペースで生活ができるようになっていたのですが、突然の親友の死や初恋の人が溺死するという事故が立て続けに起こり、躁うつ病が悪化してしまい、高校を中退します。

 

仕事を始めても、うつ状態になると仕事に行けず、クビになっては新しい仕事を探し、またクビになるの繰り返し。地元には居場所がなくなり、単身上京しますが、風俗で働いたり、公園やネットカフェで過ごすうちに、SNSで知り合った見ず知らずの人の家に転がり込む「その日ぐらし」をするようになりました。

 

 

その後、SSSの無料低額宿泊所に入所。通院や服薬をつづけ、自分自身の生活を立て直す方法を模索しているところです。

 

Tさんに「過去に戻れるとしたら?」と質問してみると…

 

「もっと早く発達障害や知的障害が見つかっていたら、今とは違っていたかも」「なかよし学級(特別支援学級)に行けてたらいじめられたりもなかっただろうな」「いじめがなかったらリストカットもなかったかも・・・」という答えが返ってきました。

 

Tさんのように、早期に適切な支援を受けられなかった影響から、今も社会にうまくなじめず、二次障害に苦しんでいる人は多くいるはずです。

 

そうした人たちが少しでも自分らしく生きていくことができるように、周囲が何をすべきなのかを社会全体で考え続けていくことが大切なのではないでしょうか。

 

詳しいコラムはこちらをご覧ください。

 

更新日:2018.11.28

「もっと早くに気づけたら…」

発達障害、軽度知的障害が生む二次障害

 

当事者インタビュー:Tさん(女性・27歳)

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