パキスタンとの国境近くの街であるザヘダンからは夜行バスでイスファハーンへ。昼過ぎに出て翌朝に到着するようなスケジュールだったと記憶している。イランでは外国人が珍しいうえに、多くが大変フレンドリーな気質である(&日本人は比較的好かれている)。このようなことから、日本人を見つけると、話しかけられたり、うちに泊まり来いなどと誘われたり、かなり歓迎されると聞いていた。その歓迎ぶりが時に度が過ぎていて、時に不快でさえあるとも聞いていたのだが、イラン入国後最初の夜行バスで私もその洗礼を受けた。バスに乗ると前後左右の乗客皆が、一斉にどこから来たか?名前はなんだ?などと話しかけてきて、放してくれない。最初こそ質問攻めで済んだが、そのうち自分たちの片言の英語が通じるか試してゲラゲラ笑ったり、私はバスの長旅の暇をつぶすオモチャのようになった。また、少し風邪を引いてしまったのか、バスに乗ったあたりから倦怠感がひどくなってきていて「お願いだから放っといてくれ!」という気持ちだった。実際そのように言ったのだが、ヘラヘラしてなかなか放してくれなかった。

 

イランに入っても風景は砂漠のような荒地が続いたが、道路は良くバスはエアコンも効いて移動は快適である。最もイランは国土が全体的に高原であり平均の標高も800メートル近くあるようで、過ごしやすい地域が多い。パキスタンの酷暑が遠い昔のようだ。体調は芳しくなかったが、暑さから逃れられたのは本当に救われた思いであった。

 

長いバスの旅では数時間おきに食事休憩があり、国道沿いの食堂などに停車したりするが、イランも同じである。私は毎回「チェロケバブ」という、直訳すると「ケバブごはん」という定食を食べた。ごはんの上に細長いケバブ2本くらいが乗っかっていて、生の玉ねぎと丸ごと焼いたトマトが添えてある。さらに瓶のコーラが付く。どこの食堂でも全く同じ取り合わせであった。食堂の人との意思疎通が難しかったせいで、いろいろな食べ物に触れる機会がなかったかもしれないが、おそらくこれ一択のようであった。ケバブは羊のひき肉にスパイスを練りこんだものを、鉄の串で刺して炭火で焼いたもので大変美味である。タレのようなものがない塩とスパイスだけの状態のひき肉とご飯の取り合わせは新鮮だった。また、生の玉ねぎも丸ごと焼いたトマトも初体験だったが、玉ねぎはひき肉を食べた後の口をさっぱりさせてくれるし、トマトも最初は少し驚いたが、ジューシーで美味い。コーラは見た目も味も、コカ・コーラと同じだった。それもそのはず、イラン革命前からあったコカ・コーラの工場を、革命後もそのまま使われているということらしい。そして、ケバブ+ごはんとコーラの取り合わせも最初は違和感があったが、慣れてくると悪くない。毎回の食事が楽しみだった。

 

ザヘダンを出て、翌日の午前中にはイスファハーンのバスターミナルに到着。体調も回復しており、ザックを担いで、以前他の旅人から聞いていた安宿を目指す。イスファハーンは2000年以上の歴史のある古都。1000年ほど前は、イスラム王朝の首都だったこともあり、世界遺産に登録されている建築などの文化遺産もある。現在は200万人ほどの人口を持つ主要な地方都市の一つである(人口規模ではイランで第三番目)。宿は商店が立ち並ぶ大通り沿いにあり、隣がサッカースタジアムであった。(ちなみに、インターネットで調べたところ、この宿は当時から30年経った今でも安宿として存在しているようだ)。

イスファハーンの記憶はそれほどないが、世界遺産の建築物を見物したり、宿の隣のスタジアムでサッカーを観戦したり、宿の近くのステーキハウスで一人寂しくステーキを食べたり、3泊くらい滞在した。現地の人とあまり言葉も通じず、孤独に過ごして、首都テヘランへ向かった。

 

↑世界遺産イマーム広場のモスク

 

(つづく)