ヴィリー・オステイン(Willy Ostijn, Ostyn)ベルギーの作曲家+フラマン楽派概説 | 妄想印象派 自作のイラストや漫画、アニメ、音楽など

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やあ、おいらは音符の妖精ワンプくんと、

休符の妖精ベティ・キューフよ💕

 

やっとこの絵を完成させたのかい♪

 

Satoš:年明けてもやることいっぱいあるから。

忙しいんだけどね。

 

まあがんばれよ♩

 

そんなわけで、今回取り上げるのは、

ベルギーの作曲家だ♫

 

ベルギーの作曲家って、

日本で最も知られているのは、

セザール・フランク(César Franck)とか

アンリ・ヴュータン(Henri Vieuxtemps)、

ウジェーヌ・イザイ(Eugène Ysaÿe)、

ギヨーム・ルク―(Guillaume Lekeu)くらいか♬

 

でも、実際はもっといっぱいいたわけだ🎵

 

20世紀末に〝フラマン楽派〟の一連の作曲家の作品が発掘され、

次々とCD化されたのは記憶に新しい🎶

 

Satoš:ペーテル・ブノワ、アウフスト・ドゥ・ブック、

ヤン・ブロックス、ロードヴェイク・モルテルマンス…、

一時期、彼らに熱狂してたなあ…。

 

今回の作曲家は、20世紀の活躍なんだけど、

作風は至って穏健で19世紀後半的で概ね親しみやすい♪♩

 

でも、何だかCD化されてないみたい♫♬

 

Satoš:さあそれはどうかな?

でも日本で取り上げるのは多分俺が最初か?

Twitter(X)じゃわかんないけどね。

相互フォローの小鳥のアイコンの人、

すごいマイナーな日本で全く知られていないと思ってた作曲家でも、

私が知るよりもずっと前に呟いていたりするから、調査力がハンパない。

少なくとも、Google検索で日本語の紹介文は全く出ないけどね。

 

あたしにも喋らせてよ、あんたたちばっかり𝄞

 

ゴメ〜ン、ベティちゃ〜ん♪♩♫

 

Satoš:ベティちゃんには、頭上がらないんだ?

 

うるさいよ♬🎵🎶

 

というわけで、ベルギーの知られざる作曲家、

いくわよ~ッ𝄢

 

画材:Clip studio EX

完成:2024/1/14

 

Willy Ostijn | Databank | Kunstenpunt

 

ヴィリー(ヴィリアム)・オステイン

Willy (William) Ostijn (Ostyn)

 

1913年7月13日、西フランデレン州(West-Vlaanderen)、

ルセラーレ(Roeselare)、カハテム(Kachtem)生まれの、

作曲家、ピアニスト、オルガニスト、音楽教師。

 

イゼヘム大学(College van Izegem)

イゼヘム聖ヨーゼフ大学(Sint-Jozefscollege Izegem)

ルセラーレ小神学校(Klein Seminarie Roeselare)

で学び、作曲家レミ・ゲキエル(Remi Ghesquiere)の息子、

ヨーゼフ・ゲキエル(Jozef Ghesquiere)に、音楽の才能、

とりわけ、ピアノの才能を見出される。

 

レメンス音楽院(Lemmensinstituut)で、

マリニュス・ドゥ・ヨング(Marinus de Jong)にピアノを、

フロール・ペーテルス(Flor Peeters)にオルガンを学ぶ。

 

ロードヴェイク・モルテルマンス(Lodewijk Mortelmans)と、

スタッフ・ネース(Staf Nees)に師事する。

 

イェフ・ファン・ホーフ(Jef Van Hoof)に対位法と作曲を学ぶ。

 

音楽院在学中に、

聖ロンバウツ大聖堂(Sint-Romboutskathedraal)

の准教授と第2オルガニストを務める。

 

1935年、音楽院を卒業。

 

ヘント王立音楽院(Koninklijk Conservatorium Gent)

で、ヨーゼフ・リエラント(Joseph Ryelandt)

に師事するなど勉学を続け、

ピアノ、対位法、室内楽、管弦楽の作曲の指導資格と一等賞を取得。

 

1938年から1973年まで、

ルセラーレ中等学校(Rijksmiddelbare School van Roeselare)

で音楽教師を務め、1938年から退職するまで、

王立アテネウム(Koninklijk Atheneum)で音楽教師を務めた。

 

1939年には、

イゼヘム市立音楽アカデミー

(Stedelijke Muziekacademie van Izegem)で活動した。

 

ヴァイオリニストの

ジャクリーヌ・クラリス(Jacqueline Clarysse)と、

チェリストの

ギャストン・マンヌ(Gaston Mannes)らとともに、

「ピアノトリオ・ヴィリ―・オステイン」(Pianotrio Willy Ostyn)

を結成し、演奏活動をする。

 

BRT放送管弦楽団(BRT-omroeporkest)

によって彼の作品は演奏され、ラジオ放送された。

そして、外国での成功をおさめた。

 

現代音楽には消極的で、

クラシック音楽の世界には徐々に興味を失っていった。

そして、主に室内楽と合唱音楽に専念し続けるようになった。

 

1950年代に作られた彼のオペレッタ

「ダンマの少女」(Het meisje uit Damme)

は、地元ルセラーレでは特に知られていてる。

 

1993年3月30日に、ルセラーレで死去。

 

2013年のルセラーレ市の遺産プロジェクト

「ルセラーレの才能」(Het talent van Roeselare)において、

「ルセラーレの偉大なる才能100人」

(De 100 grootste talenten van Roeselare)

の〝第6位〟に選ばれた。

 

【管弦楽曲】Symfonische muziek

3つのフランドル舞曲集(1942)

Drie Vlaamse dansen

ピアノと管弦楽のためのフランドル狂詩曲(1945)

Vlaamse Rapsodie voor klavier en orkest

ブロードウェイの印象(1950)

Beelden uit Broadway

ピアノと管弦楽のための協奏的バラード(1951)

Concertballade voor klavier en orkest

ピアノと管弦楽のためのフランドル奇想曲(1953)

Vlaams Capriccio voor klavier en orkest

交響詩「フランドルの野に」(1955)

In Vlaamse Velden, Symfonisch gedicht

ゼーブルッヘの印象(1960)

Beelden uit Zeebrugge

ピアノと管弦楽のための小協奏曲(1960)

Concertstuk voor klavier en orkest

オーボエと管弦楽のための哀歌(1964)

Elegie voor Hobo en Orkest

アルトサクソフォーンと管弦楽のための小協奏曲(1976)

Concertstuk voor altsaxofoon en orkest

ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス

Romance voor viool en orkest

バウドヴェイン(ボードワン)1世の戴冠式のためのファンファーレ

Fanfare voor de inauguratie van Koning Boudewijn I

 

【序曲】Ouvertures

フランドリア序曲(1952)

Flandria Ouverture

幸せの序曲(1952)

Blijdschap Ouverture

演奏会用序曲(1954)

Ouverture de Concert

劇的序曲(1955)

Ouverture Dramatische

ヴェストラント序曲(1957)

Westland Ouverture

メフィスト序曲(1959)

Mephisto Ouverture

 

【オルガン曲】Voor orgel

交響曲(1939)

Symfonie

前奏曲

Preludium

哀歌

Elegie

 

【オペレッタ】Operette

ダンマの少女(1954)

Het meisje van Damme

カモメの歌

Lied der meeuwen

Willy Ostyn - Wikipedia

Willy Ostijn - Encyclopédie Wikimonde

※作品情報はYouTubeからも引用

 

演奏会用序曲

Ouverture de Concert

 

3つのフランドル舞曲集

Drie Vlaamse dansen

 

アルトサクソフォーンと管弦楽のための小協奏曲

Concertstuk voor altsaxofoon en orkest

 

本当は、ベティちゃんの台詞の語末に休符入れたかったんですけど、

休符のフォントがどうも無いみたいで。

 

ワンプくんとの台詞の区別をつけたかったんですけど、

休符が無いのでベティちゃんのセリフにも語末に音符を出してました。

あるいは、ハートマーク。

 

ですが、ト音記号やヘ音記号、

ハ音記号のフォントがあるのを知ったので、

ベティちゃんのセリフには

とりあえずそれらを使わせていただきました。

 

それと、音符のマスコットといえば、

〝かわさきミュートン〟

とかいますよね?

勝手にコラボとか頭をよぎったんですけど、

まあいいか。

 

まあそれはともかく、

今回は、日本で紹介されていない作曲家、

ヴィリー・オステインのご紹介です。

 

この作曲家の存在を知ったのは、

「フランドル狂詩曲」

について検索していて、

彼も同名の曲を描いているのを知ってです。

 

生年は1913年なんですけど、

丁度110年後なんですね。

でも、その前に紹介したい作曲家がいたので、

年明けのご紹介となりました。

 

それと、今回記事を書くにあたって、

姓が「Ostijn」と「Ostyn」の2種類あるのを知りました。

どうなってるんですかね?

どちらか一方がペンネーム?

ベルギー以外の国に売り込む時に、

フラマン(オランダ)語独特の綴り「ij」を「y」で出したのでしょうか?

オランダ語のWikipediaでは「Ostyn」を主に出していて、

混乱するんですけどね。

「i」と「j」を合体させて「y」または「ÿ」と綴ることがあるようで。

IJ - Wikipedia

 

「Damme」は原音が「ダマ」ないし「ダンマ」に近いです。

語末の「e」は弱音化して曖昧母音になり「ア」に近くなる?

 

YouTubeに音源が沢山出ているのですけど、

CDがまともに出ていません。

おそらくは、ライブ録音とか、

LPから取ったのかもしれません。

 

ワンプくんとの遣り取りの時にも触れましたが、

20世紀末にフラマン楽派のみならず、

ベルギーの知られざる作曲家の作品が続々とCD化されました。

 

〝Marco Polo〟というレーベルで、

〝NAXOS〟はそこから派生したレーベルだそうです。

(マルコポーロとナクソスの関係今までよく分からなかった)

有名所から無名まで幅広く、国を問わず作品を取り扱っています。

 

〝ファードラ〟(Phaedra)

〝イン・フランダース・フィールズ〟(In Flanders' Fields)

という、ベルギーの作曲家に特化したレーベルも現れて、

埋もれたベルギーの作曲家の発掘が盛んに行われました。

音楽 | Phaedra - In Flanders' Fields

 

〝クララ・エトセトラ〟(Klara Etcetera)

もそうだった様な気もしますが、今調べたら、

〝エトセトラ・レコード〟(Etcetera Records)

となっていて、ベルギー以外の作曲家も取り上げていました。

元からそういうレーベル名で

ベルギー以外の作曲家も取り上げていたのか?

途中からインターナショナルになったのか?は、

そこまで見ていなかったので知りません。

Home | Etcetera Records

 

〝ルネ・ガイイ〟(René Gailly)

もベルギー特化かそうでないのかは

よく見てなかったのでわかりませんが、

アニメアニメしてるアウフスト・ドゥ・ブックの

「ダホメー狂詩曲」

を知ったのがこのレーベルでした。

残念ながら倒産しています。

 

これらのレーベルが

オステインを取り扱っていないのは何故だろうか?

 

地元ルセラーレで

〝トップ100〟の6位にランクインする程の名士だというのに。

 

でもよく調べてみると、こちら↓の頁によれば、

OSTYN Willy (1913-1993) - MATRIX [Centrum voor Nieuwe Muziek]

CDは一応存在するそうなのです。

オステイン家が11枚私家版のCDを所有とか。

 

西フランドルの音楽事典 第1集

Lexicon Van De Muziek In West-Vlaanderen 1

Lexicon Van De Muziek In West-Vlaanderen (CD) - Discogs

「3つのフランドル舞曲」が、

他の凄いマイナーな作曲家の作品と共に収録。

「西フランドルの音楽事典」は、

書籍版とそれに対応したCDがある様です。

7集まであるようですが、

CDの画像は3種類くらいしか見つけられませんでした。

Lexicon van de Muziek in West-Vlaanderen - Wikipedia

 

※Wikipediaでは「ルーセラーレ」ですが、

地元の発音では「ルセラーレ」です。

 

ベルギーのクラシック音楽と〝フランデレン運動〟

 

記事冒頭で、

一時期ベルギーの作曲家に熱を入れあげていた旨触れました。

 

19世紀後半に、

ペーテル・ブノワ

(Peter Benoit)

を中心として、

〝フラマン楽派〟

が形成されていたという。

それまで知らなかったので…。

 

その当時、

ベルギーに於けるフランス(ワロン)文化、

フランス語の強要に抵抗する、

オランダ系フラマン人による、

〝フランドル運動〟(フランデレン運動)

が沸き起こっていて、

フラマン楽派もその流れで起きたようです。

 

近世期にスペイン支配に抵抗した「80年戦争」がありましたけど、

それと似た状況というか?

 

現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルクは、

元々は「ネーデルラント連合王国」

というひとつの国だったのですが、

フランス語を話すワロン人が抑圧されていて、

その不満から1830年にベルギーが独立すると、

立場が逆転してフラマン人が抑圧される様になった

という経緯があって。

ベルギー独立革命 - Wikipedia

 

ペーテル・ブノワ(Peter Benoit)ベルギーの作曲家

2008年3月6日

 

ペーテル・ブノワ(Peter Benoit)(2)ベルギーの作曲家

2009年8月20日

 

最初にブノワをブログで紹介した頃は、

まだ日本語のWikipedia頁が作られておらず、

ネットの扱いにも慣れていなかったので機械翻訳も使えず

(当時は余り性能も良くなかったらしい)、

自力で翻訳していたので、ざっくりとした翻訳しかできず、

あまり核心部分には迫れなかったのですけど、

現在は日本語の頁も作られており、

フラマン楽派の試みの失敗理由について述べられています。

 

カンタータ「アベルの殺害」(Le Meurtre d'Abel)

でベルギーローマ賞の大賞を受賞

し意気揚々とした出だしだったものの…。

(フランスに倣って、ベルギーでもローマ賞が設立された)

 

彼はフランスやドイツの楽派とは全く異なる

フラマン楽派に可能性を見出す熱心な人物らからなる、

小グループの結成に成功した。

 

しかしながら、

楽派の信条があまりにブノワ自身の音楽に縛られ過ぎていたため、

これらの試みは失敗に終わる。

 

それはフランスやドイツの音楽でないのと同様に、

フラマン音楽とも言い難いものだったのである。

ペーテル・ブノワ - Wikipedia

 

国民音楽運動には、

必ず民謡、民俗音楽は必要、というわけではなく、

チェコのベドジフ・スメタナ(Bedřich Smetana)や

フィンランドのジャン・シベリウス(Jean Sibelius)

なんかは、敢えて民謡を避けながらも、

独自の国民的な音楽を作り上げました。

 

それを思うと、ブノワも、

あくまで私の聴いた限りですが、

フランドルを題材にしながらも、

民謡の引用を基本していないというところが、

彼らに似ている気がするのだけれど、

ブノワの場合、何故駄目なのかな?と。

 

彼の代表作のひとつ、

劇音楽「ヘントの和約」(1876)

De Pacificatie van Gent

を聴いてみると、どことなく、

フランドルの情景を思い浮かべそうな音楽なんですよ。

第2曲はフランドルの田園風景でも想起させる様なメロディ。

第5曲はフランドルの舞曲を思わせるメロディ。

 

序曲の冒頭部が怪獣映画音楽してますが、

牧歌的な第2曲から自動再生する設定にしています。

怪獣映画音楽が聴きたい場合、最初に巻き戻してください。

 

「ヘントの和約」というのは、80年戦争の一場面で、

この曲が書かれた丁度300年前の1576年に行われた、

カトリックとプロテスタントとの間の和平条約なんですけど、

真の平和は1648年まで待たねばならなかったという。

 

〝ブノワ〟という見るからにフランス語風の名からして、

元は〝ピエール〟だったのを、

フラマン風にわざわざ〝ペーテル〟と変えたという。

そこまでの熱の入れようには、敬服します!!

 

で、彼のお気に入りの学生であった、

ヤン・ブロックス

(Jan Blockx)

は、私の知る限りでは、民族音楽の要素を最も取り入れ、

最もベルギー国民楽派の理想形を形作っていたものの、

〝フランデレン運動〟とは距離を置き、

自作品に、フランドル運動に典型的な、

教育的で高揚的な効果を求めなかったと。

 

基本独学で、マイペースというか、

自作品をパリの音楽出版社ウジェル(Heugel)から出版したことで、

仲間との軋轢を生じてしまったそうですが、逆にそのおかげで、

フランドルの音楽を国外にも広めるきっかけを与えました。

 

1901年に師のブノワが死去すると、

その後を次いでアントウェルペン王立音楽院

(Koninklijk Conservatorium Antwerpen)

の院長に就任。

Jan Blockx - Wikipedia

 

高揚効果を求めなかった、

フランドル運動から距離を置いていたという割には、代表作

フランドルの市 - バレエ音楽「ミレンカ」(1888)より

Vlaamse Kermis-Ballet 'Milenka'

は高揚感に溢れまくっているし、ほのぼのアニメのBGM風の、

5つのフランドル舞曲集(1884)

Fijf Vlaamise dansen

は、アントニーン・ドヴォジャーク(Antonín Dvořák)の

スラヴ舞曲集

Slovanské tance

のフランドル版として重要作と言う皮肉。

 

ヤン・ブロックス(Jan Blockx) ベルギー国民楽派の作曲家

2008年4月29日

 

あと、漫画アニメ感溢れる

ダホメー狂詩曲(1893)

Rhapsodie Dahoméenne

を書いた、

アウフスト・ドゥ・ブック

(August De Boeck)

 

ダホメー(ベナン)の楽団の演奏から着想したそうで、

彼の最初の管弦楽曲ですが、

余りにもインパクトが強すぎて、

彼の他の作品が皆色褪せてしまっているという。

 

アウフスト・ドゥ・ブック(August De Boeck)ベルギーの作曲家

2008年7月2日

 

アウフスト・ドゥ・ブック(August De Boeck)(2)ベルギーの作曲家

2013年1月25日

 

詩情溢れる独自の境地を開拓した、

ロードヴェイク・モルテルマンス

(Lodewijk Mortelmans)

 

哀歌第1番:追悼(1917)

Élégie Ⅰ - In Memoriam, voor orkest

薄暗がりのフランドルの田園で物思いに耽るみたいな?

 

ロードヴェイク・モルテルマンス(Lodewijk Mortelmans)ベルギー国民楽派

2008年12月3日

 

後期ロマン派と印象派の折衷による、

〝管弦楽の魔術師〟といっていい、

細やかで色彩的なオーケストレーションの、

フロール・アルパールツ

(Flor Alpaerts)

の代表作のひとつ、

交響詩「パリーテル」(1921-1924)

Pallieter, symfonisch gedicht

は3楽章制ですが、第1楽章が、

ディズニーなどのアニメのBGMを髣髴とさせます。

 

フロール・アルパールツ(Flor Alpaerts)ベルギーの作曲家

2008年10月9日

 

アルテュール・ドゥ・フレーフ

(Arthur De Greef)

は、ブログでレビューを書いた様な気がしましたが、

名前を出してただけでした。

(〝グレーフ〟表記が一般的)

 

というわけで、実は、強い個性揃いなんです!!

 

ポール・ジルソン

(Paul Gilson)

は今のところまだ取り上げていません。

私が一連のベルギーの作曲家に熱狂していた頃、

何故彼を取り上げなかったのかというと、

取り上げられなかったからです。

 

彼の存在を知った時には、

既に皆CDが廃盤になっていて、

手に入れることができず、

作品が聴けなかったんですね。

 

今では一通りYouTubeに出ていると思うのですけど、

当時はまだ出ていませんでした。

 

今年はいい加減、

取り上げられたらいいなと思っております。

 

「パウル・ヒルソン」

という、フラマン語風の綴りもあるのですが、

一体どちらが正しい?

 

そして、音楽に於ける民族主義ロマン派の流れは、20世紀の

イェフ・ファン・ホーフ

(Jef Van Hoof)

へと繋がっていきます。

ベルギーのアッテルベリ、みたいな?

(この人のCDも持ってるのでレビュー書かないと…)

 

1930年代頃を中心に、

ミシェル・ブリュッセルマンス 

(Michel Brusselmans)

マウリス・スフーマーケル

(Maurice Schoemaker)

マリニュス・ドゥ・ヨング

(Marinus De Jong)

ジャン・アプシル

(Jean Absil)

アルベール・ルーセル

(Albert Roussel)

らによって、一連の、

フランドル狂詩曲

Vlaamse rapsodie

が書かれる流れにも繋がっているのかもしれません。

(ルーセルのみフランス人)

 

フランドル狂詩曲集(Flemish Rhapsodies)前半

2010年11月17日

 

というわけで、

久々のベルギーのクラシック音楽でした!!