<いとあわれなり> 思考の呪縛を乗り越えて・・・ | 桜井妙の「新ストレスと怒りの調理法」

桜井妙の「新ストレスと怒りの調理法」

★職業:講師 ★専門:ストレスマネジメント アンガーマネジメント コミュニケーション危機管理 ★特徴:「あたま・こころ・からだ」をととのえる ★㈱コミュニケーション・デザイン結 代表

古典を習ったときに不思議に感じたのが
「いとあわれなり」の訳でした。

<とても素晴らしい!>というさまを表すという意味なのに

いと哀れなり
いと憐れなり

という言葉を見た瞬間
多くの方が人の弱さや愚かさに同情するような
そんな気持ちになりませんか?

ホテルで頂いた夕刊で
PC遠隔操作の片山被告の供述を知りました。
その記事を読んでもスッキリした気持ちなどわかず
悲しい気持ちが胸に拡がりました。

人はとても弱くて、信じられないほど愚かになります。
心が塞がれて視野や狭くなり
自分の価値観や思考にがんじがらめに縛られます。

思考の呪縛は
自分自身を縄で縛りあげるようなもので
苦しくて苦しくてたまらないです。

その時はほんとうに体感覚が苦しくなり
身体の状態もよくなく、眠れなくなったり
食べられないか過食のどちらかにもなりがちです。

外にも出たくなくなるし、人に会うのも嫌だし
何より人の言葉など耳に届かず、冷静な判断はできません。

不安や恐怖を増大させて
他人の言葉は攻撃に感じたりします。

ひょっとすると佐藤弁護士だけが
片山被告が出会った自分の言葉を真摯に一生懸命聴いてくれる
初めての人だったんじゃないでしょうか・・・。

自分のダメな部分も醜さも弱さも含めて
受け止めてくれる人がいるか否かは

恐怖や不安の暗闇から救いだしてもらえるか
あるいは自分の足でそこから出るきっかけになるようにも思います。

先日のJTBの事件、ASKA容疑者、片山被告。

私は、私自身の内面の色々な弱さや愚かさや醜さを
他の人が演じてくれ鏡に映してみせられている気がします・・・・。

人は誤った行動を誰もがしてしまいます。
私は何度も何度も思考の呪縛の中で苦しい経験をし

もがいて
あがいて

自己肯定感を失い
自分の思考で自分の心を自分自身が
傷つけたことが何度もあります。

そういう自分に今も時々苦しみますから
彼らを嗤うことなど私には出来ません。

人生は失敗だけです。
思考も間違いだらけですから、思考に縛れていると気が付いたら

自分の心の声や直感に従い
自分をそのまま受け入れてくれる人に心を開くこと。

そして
たくさんの失敗は学びであり課題だと思い
それが自分の人格を創る肥料であり財産だと受け入れること。

偉そうなことは言えませんが
私はそう思うようになってから
自分のことを受け入れられました。

私は美しさは醜さから生まれ
喜びは悲しみから生まれる気がしています。
蓮の花が泥から生まれるように・・・。

事件を起こしてしてしまった彼らも
自分自身と向き合えば
これからの人生が自分から輝きだすように思います。

あの過ちがあったから今の自分がある
今の自分が幸せならば
過去を愛することも可能です。

人は大きな失敗をターニングポイントとして
大きく変容することがあります。


人生は最後の最期まで諦めるべきではありません。
だって、たった一回の人生ですから。
諦めたらもったいないです!!

諦めないために
毎日の自分を知るための課題もきちんと考えなければ。

自分の弱さを知るために彼らの人生を見せてもっている気がします。

そう思うと、私の代わりに私に教えてくれるように
失敗を演じてくれている彼らに感謝をしなければと思います。
思考の呪縛に今朝気が付けたのも彼らのおかげです。

今に感謝して
未来を見詰めていきたいです。

明日を、この瞬間を
最後の最期まで諦めないで
一所懸命に生きていきたい。


そして、いつか・・・

ほんとうの意味の

我が人生は、
いとあわれなり(本当に素晴らしい)

そうつぶやきながら
蓮の花のように静かに穏やかに微笑みながら
次の方達にバトンタッチして終えたいと思います・・・。