王長徳 | ZERO 「不都合な…」

ZERO 「不都合な…」

イザ!で不都合な…というブロガーだったZEROです。
不都合な真実であろう事柄を気まぐれに綴っていく。

マッカーサーが厚木に降り立ったその傍らで、多くの中国軍人もまた、続々と日本に到着していた。その中に #王長徳 もいた。

1946年6月、王は日本に到着する。GHQによる接収業務の傍ら、王は新橋、渋谷といった主要な商業地を"取得"していく。終戦直後の東京には、膨大な地主不在の土地が残されていた。


ときに連合国駐在員の一員として、またあるときは日本人から接収した大量の財をちらつかせる富豪さながらに、王はまさに焦土と化した戦後日本で縦横無尽に奔走した。

それはまさしく、終戦という時の運によって権力と富の2つを同時に手に入れた新しい「帝王」の誕生でもあった。王は、進駐軍と事業家


という2つの顔をもち、もはや主帰らぬ土地の所有権を、次々と手に入れていく。

もちろん、それは王に限ったことではなかった。だが、とりわけ戦後日本の土地取得に興味を示したのは、大陸から渡ってきた中国人だった。米国の軍人たちは、ただ焼け野原と瓦礫の広がる焦土の獲得に狂奔する王たち


大陸華僑の姿に、侮蔑と嘲笑の混じった表情を浮かべるだけだったという。

#新橋 に大量の土地を取得した王は、ほどなく、新橋に「#国際マーケット」を建設して、いよいよ大規模な事業を立ち上げる。それは、当時、東洋一ともうたわれた、上海の屋内型商店街を目指したものだった。国際マーケットには


バーもあれば、雑貨屋もあり、あらゆる業種と品々が集まっていた。そして、そこには、戦後の品不足にあえぐ日本人たちが次々と群がってきた。

それは当時、日本人にこう呼ばれていた。

「#ヤミ市」

国際マーケットを成功させ、戦後成金として比類ない立場にいた王は、その頃日本人たちの間で、


絶大な存在感を示し始めていた。ヤミ市の帝王のもとには、政治家たちがこぞって支援の要請に訪れるほど大きな力をもつにいたっていた。日本にはまだ3台しかなかったロールスロイスを乗り回し、屋敷に乗りつければ、日本人政治家の誰もが平伏して出迎えたと、王は往時を振り返る。NK2a


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