今日3月5日は「ミス・コンテストの日」です。
1908年、時事新報社の主催により
『世界美人コンクール』の日本予選として行った
「良家の淑女」コンテストの入賞者を発表したのが
日本でのミスコンテストの始まりとされています。
実はこのコンテストには、
明治時代ならではのエピソードがあります。
このコンテストで最優秀賞を獲得し、
日本初のミスに選ばれた末弘ヒロ子さんは、
小倉市長・末弘直方氏の四女で、
学習院女子部3年生に在学中でした。
彼女の義兄がヒロ子さん本人に無断で応募したのだそうですが、
このコンテスト参加が学習院内部、
特に学長だった乃木希典の怒りに触れ、
諭旨退学処分となったのだそうです。
しかし、乃木は後に参加が本人の意志ではなかったことを知り、
この事を悔い、よい縁談を紹介するのが一番と考え、
当時の陸軍大将・野津道貫の長男・鎮之助(後に貴族院議員)と
結婚させ仲人を務めたという逸話があります。
今の時代は当時と比べ、女性が活躍できる場が
本当に多くなりましたね。
もちろん芸能界もそのひとつです。
憧れや夢を持っている方も多いはず。
もし
「芸能人になるにはどうしたら…」
そんな風に悩んでいるのなら、
お気軽に連絡下さいね
1908年、時事新報社の主催により
『世界美人コンクール』の日本予選として行った
「良家の淑女」コンテストの入賞者を発表したのが
日本でのミスコンテストの始まりとされています。
実はこのコンテストには、
明治時代ならではのエピソードがあります。
このコンテストで最優秀賞を獲得し、
日本初のミスに選ばれた末弘ヒロ子さんは、
小倉市長・末弘直方氏の四女で、
学習院女子部3年生に在学中でした。
彼女の義兄がヒロ子さん本人に無断で応募したのだそうですが、
このコンテスト参加が学習院内部、
特に学長だった乃木希典の怒りに触れ、
諭旨退学処分となったのだそうです。
しかし、乃木は後に参加が本人の意志ではなかったことを知り、
この事を悔い、よい縁談を紹介するのが一番と考え、
当時の陸軍大将・野津道貫の長男・鎮之助(後に貴族院議員)と
結婚させ仲人を務めたという逸話があります。
今の時代は当時と比べ、女性が活躍できる場が
本当に多くなりましたね。
もちろん芸能界もそのひとつです。
憧れや夢を持っている方も多いはず。
もし
「芸能人になるにはどうしたら…」
そんな風に悩んでいるのなら、
お気軽に連絡下さいね
