今日のような猛暑の日に、何故か雪だるまの・・・いや、だからこそ雪だるまの話です。
私が見た最も大きな雪だるまは、確か人間の背丈を遥かに越えていました。
自分が子供の頃だったことを考慮しても、おそらく2メートルはあったような、そんなとんでもない雪だるまだったと思います。
いったい誰が?何のために?
そんな昔のことに思いを馳せているうちに、自然に生まれてきた一句です。
私はその雪だるまの、最初の雪の塊を連想した時にはっ!と、あることに気づきました。
その巨大な雪だるまも、都会の子供たちが少しの雪が降っただけでも大喜びで作る、小さな小さいな雪だるまも実は、最初の段階では何も違わないということです。
雪だるま 始めはみんな 小さくて・・・
雪だるまの原点は、実はおにぎりくらいの大きさが普通だろうと思います。
それを何回転がすか?・・・その差がそのまま雪だるまの大きさの違いな筈です。
今現在、伝統のある一流と言われる大学や会社も・・・実は雪だるまで言えば、最初の塊にはそんなに差はなかったのではないでしょうか?
もちろんみんな同じだとは言いませんが、少なくとも今感じるほどの圧倒的な差があったとは思えません。
ということは・・・未来の一流を目指して何回転がすか・・・気の遠くなるような数を積み重ねることで、大きな雪だるまに変身することも可能性としてはゼロではないということになります。
昨日よりも今日・・・そして今日よりも明日、その繰り返しを投げ出すか投げ出さないか?
そんな見方しだいでは小さな差だと思うようなことが、実は明暗を分けるばかりではなく大きな結果の違いに繋がっている筈です。
一流とは家柄や学歴や持ち物の金額や、今現在の社会的な地位でもなく・・・文字通り、一つの流れをつくるほどの意志とそれを継続する力のように思えてなりません。
くじけそうになった時や、投げ出したくなった時は・・・是非、思い出して頂きたい一句です。
雪だるま
始めはみんな
小さくて。
~アモンの哲句より~