人のカタチ | seekerのブログ

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雑感、皮肉、ココロモヨウ、好きなこと、お買い得、時事・・・
身勝手な俺が繰り出す、書いた本人もろくに覚えていない言葉の集合体

ぼんやり自分の手を見つめながら思う。
「なんでこの手はこのカタチを維持してるんだろう。」

そりゃ、
こんなふうに五指に分れていた方が
翼や水かきより

色んな事に対して、より柔軟に対応できることはわかる。

進化の過程でそうなってきたのだろうが、
「便利」だからって、
いま俺のこの手がこのカタチをどうして維持しているのか?
という疑問の答えにはなっていない。


中央に骨があって、そのまわりに

筋やら筋肉やら筋肉やらくっついている。
もっとミクロの世界を考えれば細胞が

となりあってくっついて
この「手」のカタチを作っている。

いや、もっというなら

炭素原子とか水素原子とか酸素原核とか・・・


それらが規則正しく、きれいに並んでこの手を、
そしてこの体全体をなしている。
カタチをなしているだけじゃなく、

それぞれの機能をちゃんと果たしている。


内部構造までよくできたプラモデルでもこしらえるみたいに
各パーツの形状はほとんど皆揃っていて、
その「取付位置」だって、みな同じだ。


なんで?


俺が生まれる前、

母ちゃんのハラの中で誰かが俺を組み立てたの?

1個の受精卵が細胞分裂し、

DNAと呼ばれる「設計図」に従って・・・



て嘘だろ?


そんな話を信じ込まされてるだけだ。


みんな同じ形になるなんておかしい。

顔の作りがちがうとか
体型が違うとか
そんなレベルじゃなく

人型っていう形状はみな同じだということに
すごく疑問を感じている。


俺たちは「人」という名の量産品。

どこかで、誰かの意志によって

この形で「つくられている」。



そう考える方が自然じゃないだろうか。







・・・とか、

機能美あふれる自分の左手を見ながら思う

土曜日の宵。