当てられた人間が黙ったままスクリーンを見上げている。
たぶん、見たこともない問題で
答えの手がかりさえ思いつかないのだろう。
けれど、「語群」はある。
何分の一かで「アタリ」はそこにある。
だが、そいつは依然黙ったままだ。
間違えたってグラウンド10周のペナルティがあるわけじゃない。
やさしい講師が、「どうですかね?」と促す。
とうとうそいつは黙ったまま次の人間に回答権が移った。
間違うのがそんなに怖いのかね。
自分のカンがそんなに信じられないのかね。
分からなきゃ、「わかりません。」って
自分の無知を認めればいいじゃないか。
どれも自分の評価を上げる行為ではないけれど、
そうまでして自分を護ることに意味があるんだろうか。
恐れず、間違いを選択すればいいじゃないか。
教えを請えばいいじゃないか。
立ち止まっていたって天からの啓示は降ってきやしない。
君がそこに居たらきっと俺と同じことを思うだろう。
間違いなんて怖くない。
二人は未開の荒野を切り開いてきた。
いろんなものに出くわし、後退も必要だったりしたけど
進んでいくことに恐怖は感じなかった。
新しいこととの出会いが楽しかった。
間違うことは怖くない。
君とのことはどこかで「間違い」があったなんて思っていない。
たぶん。