ヤドリギ的な何かについて、考察してみたいブログ -6ページ目
自分の声好き? ブログネタ:自分の声好き? 参加中
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自分の声は、ときどきヘリウムガスになってると、会社の先輩たちから言われます。

電話で話すことが多い仕事なので、確かに夕方になるとのどが痛くなってきて、かすれているときは

あるのですが。。。ヘリウムって。 

カラオケのときに自分の声を録音したら、確かに男性ヴォーカルの曲とかはかなりのヘリウム率でした。

よくお昼のワイドショーで、顔をモザイクにして、音声を機械で変えて話をしてる、あんな声に近いようです。

機械で音声を変える技術がない時代だったら、そういうバイトがもしかしたらあったのかもしれない。

そうしたら儲かったのになぁ。

私は自分の声が女にしては結構低いほうだと思っていましたが、

ケータイである動画を取ったときに自分の声が入っていて、その声は自分が思ってたより高くて、

女の子らしくて、ビックリ仰天しました。 

だから喉がかれてたり、あえて低い声を出そうとしたりしてない限り、

普段はたぶん、それなり?な声なんだと思います。

でも笑い方が自分で言うのも悲しいくらいアホっぽかったので、

これからは笑い方を気をつけなければと。

笑い方といえば、前の職場では、明石家さんまのような引き笑いだよね、と指摘されたことがあったのでした。。。

そのときはあんまり真に受けていなかったのですが、ちょっと気にして自分の笑い方を観察?してみたら、

本気で爆笑してるときはまさに引き笑いをしていることが判明しました。

思うのですが、声のよさってそれも魅力のひとつだけど、

それ以上にしゃべり方とか、ものの言い方(言葉遣い)とか、笑い方とか、

そういうもののほうがよっぽど大事で、その人の印象を左右するんじゃないかなぁ。。。

っていうより、そういうもの全部ひっくるめて初めて、

「あの人の声が好き」 って感情を抱くことになるのではないでしょうか。

あの人いい声、って言われるように、精進しなければ。

少なくとも、ヘリウムガスは脱却したいと思います。
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「キツネ山の夏休み」。

小学生のころ、本を読むのが大嫌いな私でしたが、この本だけは衝撃的に面白くて、

その後毎年のように夏になると読みたくなる本(そして実際に読む本)のひとつとなりました。

私の母方の祖父母は横須賀住まいだし、

父方の祖父母は千葉でしたが私が物心つく前にすでに二人とも他界していたので、

私には田舎と呼べるものがありませんでした。

そんな私に、田舎の疑似体験をさせてくれたのが、この本。

行ったこともない架空の場所なのに、どこか懐かしい商店街、町並み、山、そして人々や妖怪たち。

この本を読むと夏祭りの夜のざわめきや、夏の夜の怪談話に肝を冷やした思い出などが、

くっきりと蘇ってきます。

登場人物もそれぞれに魅力的です。

ちゃっかりしていて、ふてぶてしく、でも可愛いところのある大五郎猫。

しっかり者で、田舎での生活を一人楽しむ術を知っているおばあちゃん。

そして、おっちょこちょいで強引なキツネのオキ丸。

東京で共働きの両親と暮らしているひさしが、夏休みの間だけ、

おばあちゃんが一人で暮らしている稲荷山の町で過ごすことになり、

稲荷山へ向かうところから話は始まります。 

そして、不思議でちょっと怖くて魅力的な人々(妖怪)に出会うのです。

ひさしと彼らが紡ぎ出す物語は、どこか変わっていて、ワクワクやドキドキに満ちていて、

そしてとても人間らしくて微笑ましいのです。 

謎は謎のままで、けっして解けたりせず、読者の想像や解釈に身をゆだねているところも、

何度でも読みたくなる魅力のひとつです。

ドキドキワクワク想像力を膨らませながら読み進められるのですが、

物語が終わりに近づくにつれて、私はいつも胸を締め付けられるような感覚に襲われます。

それは、主人公「ひさし」にとって、この夏はたった一度限りのものだから。

季節は幾度となく巡り、夏は毎年やってくるけれど、ひさしにとって、特別なこの夏はたった一度きり。

そして、ひさしよりもずっとずっと長く生きている大五郎猫や、おばあちゃんや、オキ丸にとっても、

ひさしと過ごすこの不思議な夏はたった一度限りなのです。

ひさしが帰ったあとのおばあちゃんの生活を、ひさしが想像する場面があります。

「おばあちゃんは、僕が帰ったあとも、いつもと同じように毎日日めくりカレンダーをめくるんだな。。。」

ひさしはそんなことを考えます。

そして、日めくりカレンダーをめくっているうちに、ひさしがやって来た日には大きな○、

帰る日には小さな×が書かれていることに気づくのです。

ひさしの心には、小さな穴が開いてしまったように感じられました。

私も、祖父母の家に遊びに行った帰り、こんな風に感じたことがあったので、

毎回この場面を読むときには、幼いころの自分が感じた不安やさみしさを思い出してしまいます。

不安で、さみしくて、体の重力がきちんと地面に向かっていないような、そんな感覚。

ずっと心の中で忘れ去られてホコリをかぶっていた、そんな思い出や感情までも思い出させてくれます。

そうなのです、この本には、子どもたちだけではなく、かつて一度は子どもたちだった者たちへのメッセージも、

多分に含まれているのです。

大人になってから読み返すと、小さな頃には気がつかなかった疑問が次々と湧いてきます。

たとえば。。。

ひさしのお父さん(おばあちゃんの息子)はなぜ故郷を離れて都会で生活しているのだろうか?

お父さんはキツネたちのことや、この故郷での思い出を忘れてしまったのだろうか?

どうしてお父さんはひさしを田舎に行かせることにしたのだろう?

おばあちゃんはどんな気持ちでひさしを迎え入れたのだろう?

おばあちゃんは都会で暮らしている息子のことをどう思っているのだろう?

そういう、親子相互からの目線でこの物語を読むこともできるのです。

するとそこには、いくつもの「そこには描かれていない」けど、「そこに含まれているはずの

」物語が浮かび上がってきます。

そしてそれらの語られない物語を通してもう一度「ひさし」の物語を見つめてみた時、

ひさしにとって稲荷山でのこのひと夏の体験がどれだけ大切なものであったかを、私たちは改めて

思い知らされることになるのです。

そのとき、物語は物語を超えて、

読者たちを、それぞれ自分のうちに眠っていた大切な夏休みの思い出の追憶の旅へと連れ出してくれるのです。


ぜひ一度、読んでみてください。



彼からのアクションがないので、私はけっきょく、自分から誘ってみることにしました。六月下旬のことです。
「後輩の誕生日プレゼントを買うの、一緒に手伝ってもらえませんか?今週か来週で、もし空いてる日があれば…。」
そう誘ってみたところ、「28日だったら…。あ、でも、月末でちょっと忙しいかもしれません。二日前までにはお返事します。それでいいですか?」とのこと。
でも、けっきょく二日前になっても連絡はありませんでした。当日になって、ようやく連絡がきました。「ごめんなさい、今日やっぱり無理そうです。きのうも出かけちゃったし…。だから今日は残業必須で。こんなんだから、本当に僕ダメなんですよね。ごめんなさい。」って謝られて。
そんな風に謝られたら、私には言える言葉が見つかりませんでした。自分をそんな風に下げて断られると、そうさせた自分がすごく悪く思えて。
彼は平日だいたい夜九時過ぎまで、下手したら日付けが変わるまで仕事、土曜日も仕事。普段から本当に忙しい人だって知ってるし、急に誘ったこちらも悪いんですよね。だけど、でも、当日になってキャンセルって。正直すごく落ち込みました。だって、その日までずっと楽しみにしてたから。服は何を着て行こう、髪型はどうしよう、どんなことを話そう、そんなことをあれこれ考えて、ドキドキしてその日まで過ごしていたから。だから当日になって突然断られるっていうのはすごくキツイことなんです。どっちが悪いとかじゃなくて…。
それに、とっさに彼の言った言葉もひっかかりました。「きのうも出かけちゃったし。」
それは、もしかしたら、私が誘うよりずっと前からの約束だったのかもしれない。だけど、頭が良くて、思慮深い彼が、わざわざどうしてそんなことを口に出したんだろう?私が怪訝に思うだろう、ってことくらい、分かるはずです…。
そんな些細なことが引っかかって、いまだに「あれはどういう意味だったんだろう?」って考えてしまうのです。
もしかして、本当は彼女(あるいは他に好きな人)がいるってことをほのめかしたかったのか、私には興味がないってことを伝えたかったのかな…。
でも、とにかく事実はひとつ。彼にけっきょくは断られた、ってことです。
本当にただ忙しくて断っただけなら、その後のフォローのひとつくらい、するような人だと思います。(そういう人だと思いたいだけかもしれませんが。)
そしてわざわざ当日、あんな断り方をしたのは、私に嫌われようとしてのことだったのかも…と思うようにまでなりました。
だからもう、諦めたほうがいいのかもしれない。
だけど、だったらどうして、一ヶ月前に、彼のほうから「今度一緒に飲みに行きましょう」なんて誘ったんでしょうか?
あの時の、私の嬉しくて嬉しくてたまらない気持ちは、どこへやったらいいのでしょうか?
もしかして、あれは社交辞令だったのかもしれないし、あるいは「二人で」という意味ではなかったのかもしれない。
でもじゃあ、二ヶ月くらい前から、何となく二人の間に芽生えかけてた、くすぐったい空気は…?あれも私の勘違い?それとも、この短い期間に、彼に嫌われるようなことを私は何かしてたのでしょうか。
なんだかもう、本当にわからなくなってしまいました。とにかく、これ以上振り回されるのはいやです。
仕事で関わりがあるから、なかなか気持ちを切り替えることができず、苦しいままです。
私はそれでもできるだけ何もなかったかのように振舞っていますが、彼は私の気持ちに気づいているはずです。
断られてから、私は彼には仕事の話しかしないようにしています。彼もそれに応じてか、仕事以外の話はしないけど、相変わらず、とても優しく接してくれます。それは私の気持ちを知ってるからなのか、それともただ単に元々の性格なのか…。
私はもう、早く諦めたいと思っています。そのほうがたぶん、彼のためにも自分のためにもいいのだと…。
なのに、彼のことを思っては悲しくなって泣けてくる自分が嫌です。
そして、今でも優しくしてくれる彼に、何か仕事で困ったことがあると必ずと言っていいほどフォローをしてくれる彼に、どうしても惹かれつづけている自分がいます。
彼の考えていることがわからないし、でももう、彼のことを考えたくない。
だけど気づくとずっと考えている。もうどうしたらいいのかわかりません。
そんな日々です。




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