ブログネタ:読書感想文を書くために読んだ本
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「キツネ山の夏休み」。
「キツネ山の夏休み」。
小学生のころ、本を読むのが大嫌いな私でしたが、この本だけは衝撃的に面白くて、
その後毎年のように夏になると読みたくなる本(そして実際に読む本)のひとつとなりました。
私の母方の祖父母は横須賀住まいだし、
父方の祖父母は千葉でしたが私が物心つく前にすでに二人とも他界していたので、
私には田舎と呼べるものがありませんでした。
そんな私に、田舎の疑似体験をさせてくれたのが、この本。
行ったこともない架空の場所なのに、どこか懐かしい商店街、町並み、山、そして人々や妖怪たち。
この本を読むと夏祭りの夜のざわめきや、夏の夜の怪談話に肝を冷やした思い出などが、
くっきりと蘇ってきます。
登場人物もそれぞれに魅力的です。
ちゃっかりしていて、ふてぶてしく、でも可愛いところのある大五郎猫。
しっかり者で、田舎での生活を一人楽しむ術を知っているおばあちゃん。
そして、おっちょこちょいで強引なキツネのオキ丸。
東京で共働きの両親と暮らしているひさしが、夏休みの間だけ、
おばあちゃんが一人で暮らしている稲荷山の町で過ごすことになり、
稲荷山へ向かうところから話は始まります。
そして、不思議でちょっと怖くて魅力的な人々(妖怪)に出会うのです。
ひさしと彼らが紡ぎ出す物語は、どこか変わっていて、ワクワクやドキドキに満ちていて、
そしてとても人間らしくて微笑ましいのです。
謎は謎のままで、けっして解けたりせず、読者の想像や解釈に身をゆだねているところも、
何度でも読みたくなる魅力のひとつです。
ドキドキワクワク想像力を膨らませながら読み進められるのですが、
物語が終わりに近づくにつれて、私はいつも胸を締め付けられるような感覚に襲われます。
それは、主人公「ひさし」にとって、この夏はたった一度限りのものだから。
季節は幾度となく巡り、夏は毎年やってくるけれど、ひさしにとって、特別なこの夏はたった一度きり。
そして、ひさしよりもずっとずっと長く生きている大五郎猫や、おばあちゃんや、オキ丸にとっても、
ひさしと過ごすこの不思議な夏はたった一度限りなのです。
ひさしが帰ったあとのおばあちゃんの生活を、ひさしが想像する場面があります。
「おばあちゃんは、僕が帰ったあとも、いつもと同じように毎日日めくりカレンダーをめくるんだな。。。」
ひさしはそんなことを考えます。
そして、日めくりカレンダーをめくっているうちに、ひさしがやって来た日には大きな○、
帰る日には小さな×が書かれていることに気づくのです。
ひさしの心には、小さな穴が開いてしまったように感じられました。
私も、祖父母の家に遊びに行った帰り、こんな風に感じたことがあったので、
毎回この場面を読むときには、幼いころの自分が感じた不安やさみしさを思い出してしまいます。
不安で、さみしくて、体の重力がきちんと地面に向かっていないような、そんな感覚。
ずっと心の中で忘れ去られてホコリをかぶっていた、そんな思い出や感情までも思い出させてくれます。
そうなのです、この本には、子どもたちだけではなく、かつて一度は子どもたちだった者たちへのメッセージも、
多分に含まれているのです。
大人になってから読み返すと、小さな頃には気がつかなかった疑問が次々と湧いてきます。
たとえば。。。
ひさしのお父さん(おばあちゃんの息子)はなぜ故郷を離れて都会で生活しているのだろうか?
お父さんはキツネたちのことや、この故郷での思い出を忘れてしまったのだろうか?
どうしてお父さんはひさしを田舎に行かせることにしたのだろう?
おばあちゃんはどんな気持ちでひさしを迎え入れたのだろう?
おばあちゃんは都会で暮らしている息子のことをどう思っているのだろう?
そういう、親子相互からの目線でこの物語を読むこともできるのです。
するとそこには、いくつもの「そこには描かれていない」けど、「そこに含まれているはずの
」物語が浮かび上がってきます。
そしてそれらの語られない物語を通してもう一度「ひさし」の物語を見つめてみた時、
ひさしにとって稲荷山でのこのひと夏の体験がどれだけ大切なものであったかを、私たちは改めて
思い知らされることになるのです。
そのとき、物語は物語を超えて、
読者たちを、それぞれ自分のうちに眠っていた大切な夏休みの思い出の追憶の旅へと連れ出してくれるのです。
ぜひ一度、読んでみてください。