161歩目:生まれ育った「住まい」の経験 | 河原尚子ブログ | sione - Springshow スプリングショウ
2011-07-28 18:50:08

161歩目:生まれ育った「住まい」の経験

テーマ:MY HOME
引っ越しするにあたって、家の大きさについて考えた。


私の実家は、祖父が1940年、
日本がどんどんと経済成長していた頃に建てた数寄屋建築。

職住一体型の実家には、たくさんの部屋があった。
客どおしが鉢合わせしないようにつくられた3本の廊下と二本の階段。
小間の茶室と、広間、着物の部屋、祖父の書斎、台所。
地下には、窯場、絵付け場、ロクロ場。
子供の頃は、すべてが遊び場だった。

母屋の一階にある、茶室名の「龍吟」(りゅうぎん)は、その年の干支、辰年に 由来する。
家はもともと、東大路五条(現バイパスの下)にあったらしいが、
バイパスをつくるために立ち退きになり、今の東山馬町に造られる事になったのは、
母がまだ20歳くらいのことだった。

母と叔母が使っていた母屋の二階の子供部屋は、
その後、私と兄の部屋になった。
一階には、曾祖父と、祖父母が住んでいた。
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母屋から路地を挟んでもう一件家があり、辰巳の方角にあることから、
「辰巳館(たつみかん)」とよばれていた。
小さな一軒家で、そこには、両親が住んでいた。

今思うと、乙な名前をつけたもんだと思うが、
昔は、そんなことわからず・・・
切る所を間違えて「立つみかん」だと思っていた。

両親と違う家で生活をしていたことで、
私たちは、
朝ご飯は辰巳館で、
昼ご飯は、母屋で、
夕飯は、辰巳館で(小さい頃は母屋だった)
寝室は母屋 という、
二つの家と、部屋を行き来する生活を送っていた。



「暮らしの中で、沢山の”場所”を行き来する」
これは、きっと私の最初に体感した「住まい」の経験なのかな、と
今になって思う。



私が20歳になったとき、辰巳館が新築された。
「家族で生活したい」という父の20年来の願望が、やっと形になった。
母屋には年老いた祖父母が暮らし、新しく3階建てになった辰巳館に
核家族4人がやっと一緒に住める家になった。
父はすごく嬉しそうだった。

そこから10年ほどたち、
私は結婚して家をでて、祖母は亡くなり、
祖父は年老いて介護施設にはいることになった。

そして、今年兄が結婚した。

また、住まいがにわかに変化した。
あんなにも辰巳館が好きだった父が、母屋に住む事になった。
辰巳館は、兄夫妻の新居となり、
私の部屋は、新夫婦の寝室になった。


家の使い方はどんどん変化する。

これからの家を探すときの優先順位。
自分の知っている、「家」の大きさ。

それは、立地、予算との兼ね合いだけでなく、
人生の設計ということか。

自分から始まる、「家」を造る。
これほどクリエイティブな仕事はない。


picture:母屋自宅の門の前にて
     写真は、両親、祖母、曾祖父、山田さん、私。
     山田さんについては、また別のブログで詳しくかくことにしよう。

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