埼玉から岩手へと転居してから、わずか半年後のことだった。
私たちは再び、埼玉県に戻ることになった。
なぜまた戻ろうと思ったのか——それを母に尋ねたことはあるが、返ってきたのは「思い出したくない!」「いつまでも過去のこと言わないで!」という拒絶の言葉だった。そのため、結局真相は今もわからない。ただ、あの当時の家庭内の雰囲気を思い返すと、いくつか推測できることはある。
兄②は毎晩のように部屋で爆音で音楽を流し続け、学校にも馴染めず、家では明らかに苛立っていた。彼が抱えていた不安やストレスは相当なものだったと思う。そしてそれは、家族全体の空気をどんよりと重たくしていた。母はその状況をなんとか変えたくて、「戻る」という決断をしたのかもしれない。少なくとも兄②の環境を変えるために動いたことは確かだったと思う。そして私は、母たちとともに自然な流れで埼玉へ戻ることになった。
埼玉に戻ったのは、私が中学3年生の時だった。
東北でお世話になっていた病院から、関東のてんかん拠点病院に紹介状を書いてもらい、薬の服用はそのまま継続していた。
環境の変化に戸惑いながらも、私は勉強に向き合った。高校受験が近づいていたからだ。体調のことを考えながらも、「遅れを取り戻したい」という一心で、そこそこ頑張って勉強した。
首藤はるか