野中進一郎2等兵はスーパーマンだ。山西省と上海で数えきれないほどの戦闘を経験している。合気道3段(戦後5段)。拳銃の達人。おまけに中国語がぺらぺらだった。
昭和20年夏、鄭州【ていしゅう】の日本軍野戦病院では、患者が毎日死んでいた。野中は天理教の信者だったので、神主【かんぬし】までできた。以下はその手順だ。
遺骨の前に祭壇をつくる。祭壇の周囲にしめ縄を張り、紙を切ってつくった御幣【ごへい】をぶら下げる。榊【サカキ】は見つからないので、それに似た木の枝をとってきて祭壇に飾る。近隣に住む日本人宣撫班から袴【はかま】を借りてきて、野中2等兵はそれを着る。宣撫班には必ず剣道をやる者がいて、袴を持っていた。板で適当な笏板【しゃくいた】をつくる。公家などが体の前にかまえて持つ、細長い板のことだ。白紙の紙を広げて、
「かけまくも、かしこき、高天原【たかまがはら】に……天理王のミコトの前にコイシタガエテ……昭和何年、何月、何某【なにがし】の戦死により合同慰霊祭をむかえるにあたりまして、海山の幸をお供えして、大神様【おおがみさま】の前に御霊【みたま】を奉り【たてまつり】、しずかにお休み、休まり、鎮座させますることをお祈り申し上げます。かしこみ、かしこみ申す」
と祝詞【のりと】をあげる。こういう文言を、野中2等兵は暗唱していた。軍隊だから参列者はいっせいに敬礼し、葬儀は終わる。
野中進一郎2等兵は、支給のあったいわば葬式マンジュウを自分のベッドのわきに置き、ちょっと出かけて帰ってきた。と、マンジュウが半分になっている。となりの患者が、両手を合わせて進一郎をおがんでいる。進一郎は怒るに怒れず、とにかく半分を残しておいてくれたのでホッとした。心あたたまる話だ。
ハナミズキ
