武藤焔(むとう ほむら)は孤独な私の唯一と言って良い親友だ。一学年歳下の、一週間遅い生まれなだけの少年。小柄で痩身、髪を伸ばせば美少女の整った容姿の、悔しいやつだ。私は顔も地味だし背も胸も無い十人並みだからな、しょせん。
私が高校二年に進級(事実はサボっているが)する一カ月前。焔の唯一の肉親の母は亡くなった。現代日本で問題の、三食まともに食べられないような極貧家庭……
焔は母子家庭の方が父子家庭より、長く優遇されていたと軽く笑っていたが、彼の高校……偏差値割と高い中堅上位高への進学は流れた。
孤児育英会の審査で、対象枠から外されたのだ。学力に偏りがあるから、焔は奨学生とはなれなかった。なまじレベルが低い高校なら無事だったのが皮肉過ぎる。
葬儀は淡々と進んだ。もとから経済的に苦しく、親族の極めて少ない焔には、ささやかなお金を掛けない葬儀しか出せなかった。
それでも中学からは、クラスメートが大勢駆けつけていた。涙する女子生徒たち……焔、モテるからな。ルックスもそうだが、一部の科目成績は傑出し、おまけにフライ級ボクサー志望なのだから。小柄で温和で、得意科目以外は馬鹿なところもかえって魅力だし。
対して男子生徒たちの焔への軽蔑した冷たい目に聞えよがしな侮蔑……
これからどう生きるのか……焔の住んでいた小さなアパートは後見人がいないと引き継げないし。親類の線でも、養子縁組の話はまるで持ち上がらない。
これから天涯孤独で生活保護か……この手当とは、遺族年金と生保合わせてはもらえないところが、福祉の環境、現実の苦しさだな。税金その他物価は上がったのに、年金生保費は減額された昨今というのに。は、この現代、科学や文明のどこが進んでいるんだ?
というわけで、新年度過ぎた四月。互いに十六歳を迎えひと段落してから二人で良く行く平和で静かな緑ある公園に落ち合い、これからの身の振りを聞いてみた。
学ランとは卒業し、ラフなデニムスタイルの焔はさらりと答えた。
「陸自に志願したよ」
どっと激情に見舞われる。自衛官に志願するなんて。あれ、十八歳までは無理だったはず……とにかく学校へ進めない経済的弱者が、自分は前線へ行かない卑劣な政府高官の戦争の道具にされるなんて愚かしい。花は桜木、人は武士というが。止めなければ!
「いまどき核兵器禁止でも、戦術核に匹敵する通常ミサイル弾頭あるらしいから、いくら厳重な施設でも一撃で吹き飛ぶでしょ」
「だって俺、生保母子家庭とはいえ平和な中学生で、無為徒食で生きてきたし」
「着飾るどころか、満足に食べられないで育ったような若者を、戦争なんかで死なせるには忍びないの。任官する前に、辞退してよ!」
「俺も前線へ行く気は無い。戦争を起こさないために志願したんだ」
「それってどんな矛盾……」
「聞いて。面接というか雑談での自衛官の問い。『二番とはどういうことか』俺は知っていたのさ、それは『負け犬の一番です』が海外軍隊での模範解答と。しかし皮肉ってやった」
「皮肉?」
「本音と建前があります。本音はいくつも思いつくのですが、建て前はたった一つ見つけるのに時間かかりました……『一番の背中を守る立場です』ってさ」
「まあ、間違いではないだろうけれど……それに、それも立派な答えと思うわ」
「後に本音を続けたからね。一番を盾にする位置です。地雷を真っ先に踏まずに済む立場です。主犯ではなく共犯です。単なる傍観者です。通りすがりの民間人です」
焔! なんというか……正直者なのは認めるが、確信犯馬鹿だな。
「って……そんなことほんとうに言ったの? 怒られなかった?」
「なんでも前向きな意味と捉えてくれる、温和な人事担当官だったからね。自分が引くと攻め込まれる、だから謝らない。なんて態度は最低さ」
焔は天然過ぎるな。決定的な馬鹿で、それが確信犯なのだから。彼は軽く続けた。
「そう答えたら受けていて、一等技官に抜擢されたよ」
「へえ、いきなり一等陸士か」
「いや、いまのところ二等陸士にもなれない予備役だけれど……」
「それはそうよね」
私は予備役と聞いてほっとしていた。あっち系統の高校にも進まなかったわけだし、まさか戦争になって最前線送りはないだろう。
「でも任官後はいまのところ一等陸曹待遇予定だよ」
「え、一等陸曹? 大卒でも二等陸士からが普通だし、天下の防衛大だって、三尉任官前は下士官なのに。焔、幹部候補生!?」
「まさか、大学どころか高校も行ってないのに。だけどレベル3の資格試験、二つ合格したからね。いずれは技官として勤務だな……抜かぬ太刀の高名さ」
あるTVトピックで、東工業大出の技術者が「レベル3は私くらいの学歴でないと無理!」なんて吹聴していたくらいの難関資格を得たのか……それも焔、中学の十五歳で。どうやら高卒程度とされるレベル2試験スルーして、いきなり大卒もののレベル3受けたな。
「やはり技官なのね。海神(わだつみ)さんみたいに……」
「待遇は予備役だし、十八を過ぎるまではどうせ任官されないさ。しばらく遊んで暮らすよ」
私は知っていた。こいつの遊びとは、日々ランニングやシャドーボクシングで汗を流し、図書館通いしいろんな雑学本読みあさることなのだと。努力の結果は、自分にとっての宝となる、か。例えそれが他人の目には失敗のように映ったとしても。
生保を受け、働かない、働けない身分だからといって、決して呆けて生きるわけではない。しかもそれを自分の趣味と位置付けているから、勉強とも考えていない。
好奇心が知的なベクトルに傾いてスカラーは漲っているのだ。中卒の身でキャリアか……
胸が切なくなる。私は焔が好きだ。正直、恋というものは良く解らない。それでも、私は大切なものを守りたい。私をいつも守ってくれていた、騎士である焔のように。
「戦争とは、子供のお遊びとは違い過ぎると思うわ」
「これも聞いて。『一人を救うために大勢を犠牲にするのは正しいか』という質問があってね。俺も無論模範解答は知っていた。たった一人の人質でも、戦争に踏み切る動機となると。しかし、本音を答えた」
「本音って、実直過ぎるわよ。また型破りなことを?」
「ええと、助けるべき一人が民間人で、犠牲が軍人か役人か志願者なら可です。しかし、救うべき対象が軍人や役人、政治家であれば話はやや話は違いますし、犠牲が自由意思のない民間人であってはなりません」
「それマジで言って審査通ったの?!」
「加えて、敵となるものも殺したり傷つけたり、虐げるのはなりません。軍事介入実力行使は極力避けるべきです……虫の良い平和ボケ中弐病パラノイアの妄言ですが、故に人間には相互理解のための文化があると信じます、と答えておいた」
「愚直ね。自衛隊ってもっとお堅い印象有ったわ」
「そうしたら『防衛大目指してみます?』、なんて軽くハッパ掛けられたよ。無理だっていうの、俺なんかに」
「キャリアを積むとして、民間で勤務すべきよ。そんなところに進んで、金銭的に借りを作らない方がいいわ。こんな世界体制下では」
「ああ、とにかく銃を撃つことはしたくない意志を表明した。誰かを殺すくらいなら、自分が死んだ方がマシだと。自殺は決してしないけれど。敵に殺される是非は置いて……すると、単にほんものの銃を撃ってみたいだけで志願したガキたちよりは、はるかに評価されたらしいよ。加えて、素手での格闘技は嗜みたいとアピールしたしね」
「そう……しばらくフリーターね、焔が遅生まれで良かった。もう十六歳、働けるものね。技術職に就けば生活は安泰でしょうし」
「いや、生保に一、二年頼ってからホストクラブで働くことにしたよ。時給が信じられないくらい良い。角が立つから教えないけどね」
なんてこと! 正しい返事が見当たらない。自衛官志望でホスト……これは任官流れるかもな。幸か不幸かどうなるか見ものだ。たしかに『角が立つ』くらい稼げるはずだ、この焔のルックスなら時給何千円行くか……金銭感覚麻痺しそう。
ちなみに「知に働けば、角が立つ……とかくこの世は生きづらい」とは、なんと傲慢な発言だろうと気に障る。知的エリートの自慢か。彼の文人もそこまでの人物だな。それとも、理解できない私が子供なのかな。外では遅咲きの桜吹雪が、儚げに舞い散っていた。