今夜も夕闇が迫ってきた。確かに直人の言うとおりジャミングされている。騎竜や知己に連絡できない。非武装地帯などと、とんだ謀(はかりごと)を!
甘い木を言うと書いて謀だな、字のごとく。つい聖地で萌の甘い禁断の聖書に曰く『知識の果実』の誘惑に乗ってしまった。アンゴル・モエ、まさに新世紀に開花した最大の邪悪! 事実上、現代世界最高のイベントスポット足るここ秋葉原に!
腹をくくって手近な典型的なメイド喫茶に入る涼平とピクシー。メイド服姿の店員は三十路男と中学生のこの不釣り合いなペアにたじろぐこともなく、お定まりの「お帰りなさいませ」の声をかけてくる。
まあ日本のクオリティの高さからすれば、メイドはおかしくはない。『メイドインジャパン』だ。は、オヤジになったものだな。隅のテーブルに着く。やたらに高いレモンティーと軽食を頼む。これは一時間も利用したら一万円超えるかもな。風紀退廃ここにあり。日本文化は『侘び寂』から『萌』へ……は、おいて。
涼平は直人に好いように陥れられたことを痛感したが、騙された自分が悪いことになにも反論できなかった。飛竜なしでの戦い……武器もなく。だがあの時雨青年なら言うだろうな。男なら素手で戦えと。涼平は剣道の他、空手などを少し嗜む。しかし本当の玄人には敵わない……と、ピクシーにぼやいたとき。
ピクシーは資料から引用していた。「王子さまの話にちなむけれど、土とは中国の東西南北を守る四神で言うと、玄武。亀に蛇のこと。爬虫類だからまあ竜には近いわね。北を守る……東京の北と言えば、埼玉よね。亀蛇なのよ、王子さまは。玄武、玄人の武、武人として多大な能力を秘めているはずなの、どんなに落ちこぼれていても。堅固な甲羅に身をひそめ、専守防衛を旨とする……一方で攻勢に転じたら、毒蛇の俊敏さの個性。その人格までは迫れないけれど」
「そいつを探し出すのは大変そうだな」
「そうなのよ、極秘ファイルにしたって経歴だけ連ねてあるだけで、本人の名前どころか特徴不明の名無しのゴンベ。現在の職業も年齢も身長体重も不明」
「他にも聖獣、四神、四天王にちなんだ王子候補とかいるのではないか?」
「そうかもね。一番竜に近いのはもちろん東の太洋を守る水の青龍で、南の炎の朱雀も鳥だから近いわね。でも決定的に異端なのは西の守り、大陸駆け抜ける風の白虎。埼玉なら東武動物公園にいるわね。哺乳類だから人間に近いかも。涼平は知らないの?」
「俺はいちおうクリスチャンだから、異教の神仏妖怪は知らない……が建前。実はサークルSF研に入っていたオカルトヲタだよ。他の神を崇めるのは罪とされているから。たしかにこんな保守的な態度は、とても聡明な啓蒙的とはいえないがね」
「そうなんだ。さらに日本の神仏で言うならね、北の守りとは最強の鬼神、毘沙門天。東京に関東地方は彼ら四天王の力で結界が張られているわ。その護りの力で何十年も安泰な今の日本がある。戦後数回の大震災のときも、首都直撃とはならなかった」
「東京環状線魔法陣説だね。それは良いことか悪いことか……大陸プレートの動きは、日本を海溝に引き込もうとしているのだよな。何万年かすれば日本は沈没する運命。もっとも一年先の未来も分からないのに、万年先を案じてもなんにもならないよな」
「そうね、生命の進化を自然に任せても、種としての人類が変質していておかしくないタイムスパンよ。私も寄生虫のようなもの、この人間の身体を借りた架空の人格。架空だけれど実在している矛盾と常に戦っているわ。新都心を巡る戦いなんかより大きいわよ」
「矛盾と戦う、か……」思わず浸り、つぶやく。
涼平は忸怩たる思いに駆られていた。皮肉屋の直人なら、言うだろうから。『運命の女神はいつだって高慢でいて惚れっぽい気紛れ女』と。直人はあれでいて真理を愛しているんだ。それは解るのだが……互いに素直になれないものだな。
あいつの真意はどこにあるのか……なぜ東京に就いた? 未熟な青年期と違いいまや真なる力を手にしている直人は、単なる金目的で動く男ではない。飼い犬になるより乞食になる方を美徳とするかもしれない、天性の自由人だ。
対する涼平はそこまで徹底的に割り切れない。戦いなどより健全な職場で汗を流すのがなによりの至福だ。それに誇りを持っている。
だが……直人たちには新都心の無辜の民を巻き添えにした戦火の罪、負ってもらわなければな。
それに東京が動いた動機が亜人の招いた軋轢の紛争だけでは腑に落ちない。誰か黒幕が影で糸を引いて、口裏合わせて亜人やレジスタンスだけでなく全民衆を騙して、高笑いしているのかもしれない……いや! これは強迫観念だ。しかし確実に闇は来た。
(続く)
後書き 悪魔的悪ノリで乱筆しておりますが、これはあくまでフィクションです。この作中に出てくる組織や人物は、現実とは関係ありません。