お久しぶりの公星です。相変わらず獄中です。嗚呼やはり独房生活は辛い……食材にされる代わりに贖罪の日々を送っております。貴方は肉体的な痛みと精神的な痛み……どちらが辛いとお思いですか。

 単に瞬間的な痛みそのものの苦痛の大きさなら、肉体の痛みです。でも患部を動かすときだけ激痛がしても、安静にしていればさして痛くないのが大抵です。まして苦痛から逃れるために自殺しようだなどと、常に激痛に見舞われる余程の重症者しか考えられないですよね。そして完治すれば、古傷は疼くこともあるとしても大した苦痛はもはや無いのが普通。

 しかし精神的な痛みは……肉体的な痛みを感じないにしても、常に付いて回り思い出し追体験し苦しみ、治ることなく苦痛が続くものです。避けるために死を選ぶことすらいくらでも考えられるのです。こればかりは体験したことがないとわからないでしょうね。

 この痛みを知らず、学校や職場でいじめや虐待を受けて心を病み自殺した人を「意志薄弱だからだ!」などと侮蔑するなんて、私は許しませんよ。これに関しては、あのヘタレな『紙』すら怒っていました。

 テレビのリポーターが「いまの子供は生まれ変わりを信じるから簡単に死ぬ」と供述したのを、毎日続く圧倒的多数からのルール無用の暴力を受けて、お前は平気なのか、と。おれが殴り込んでやるとして、おれ一人相手すら喧嘩する度胸がお前にあるのかと。

 自殺するものが抱く絶望について、自殺者は来世なんて求めないとも聞きました。世の中が生きる価値がないのに、この世に生まれ変わりたがる理屈はない、それが絶望というものだとかれは憤慨していました。

 独房生活は無為徒食です。つまり、肉体的にはなんら苦痛は無いはずなのに、精神的には多大なストレスとなるのです。時間が無意味に流れていくことに一度しかない自分の生命の、大切な若き日々の寿命を吸い取られ奪われてしまうような苦痛を感じます。

 苦痛。それは生にいつもついて回ります。悪いものというよりむしろ命の旧友です。痛みから本当の喜び……哀しみ、憐れみその他の正の感情が生まれるとすれば。ただし怒りは正当な感情ですが、憎しみ、嫉妬は抱いてはいけない負の感情です。

 ここで痛く自らを恥じ、叱咤して日々奨励して学ぶものであります。私は自説を変えません。愛、平和、共存の道です。すべては理解から始まるのです。

 それを通して初めて、すべての生きるものは喜びに達するでしょう。大切なのは相互理解です。真なる絆です。その点ここの監獄の職員さまは、みな礼儀正しく優しい方々です。きっといつかわかり合えるはず。

 え? 行動で証明せよ、と? よろしいでしょう、私は誰とでもハグを致します。ハグスターなんちゃって。で、誰……ほう、虎箱の虎と……哀しいです。生きとし生けるもの誰にしも訪れる自然の摂理であれ、やはり自らの死を受け入れるのは辛いです。

 しかしこれが運命ならば……私は決して運命から逃げません。贖罪は死を以て食材となり……

 とかいいつつ私最終奥義スタンバイしていますけどね。窮鼠猫を噛む、転じて窮ハム虎を噛むです。私は戦って死にます! 最後まで生を諦めません。ああ、まさに天に翔る気分すらしてきました。

 独房から出され、虎箱への通路を歩かされる……時迫る。その間ずっと呼吸を整え気合を溜め、気力を上げつつ……すぅうううう……はぁああああああ!

 虎箱の扉が開いた。いざかまします! 足を鋭く踏み込み地面きつく蹴り飛ばし、腕を振り払って体重を乗せてハムスターナックル鮮烈屑流閃!

 ズ……ドドドドォオオオオオンンン!!!

 

(続く)

 

後書き かくて、ハムはたくましく生きております。腕白でもいい? ハムはそんな悪ガキではないから更生できるでしょう。私は腕白でもいいってフレーズ、傲慢だから大嫌いでした。

 これから『竜騎兵、飛翔』と交互にこれをアップしたいと思います。後少しで、コラボ作になります。なんと舞台は!?