ダグアは騎竜ブレードとともに、空賊の竜騎兵三騎の追撃から逃げるという、危機の中にあった。すでに五騎の内二騎は各個に処理したのだが、まとめて三騎相手するいまの態勢はいささか危うい。曲がりくねる崖縁そびえる、細い渓谷に逃げ込んでの飛行だが。
では、どうするか。高度を取るに十分な距離は? 無理だ。逃げ切るのに必要な速度は? これも危うい。体力的な限界時間も迫る。つまり。
ダグアはやれやれと言った。「どう計算しても逃げ切れないね、こうなったら闘うしかないよ」
「わたしの不徳です、申し訳ありません」ブレードは平伏した声だ。
ダグアは皮肉を込めた。「いや、美徳だけどね。戦うんじゃなかったと思わないか、高貴なドラゴン君? 始めから無視してやり過ごせば良かったと」
「いいえ! 逃げて敵に背を向けて死ぬのはまっぴらです。わたしは戦って死にます」竜はむきになってきっぱりと言い切った。
「いいぞ、その調子だ」少しは気を取り直したブレードに、ダグアはほっとした。
相棒は神経質だが決して、憶病ものではないのだ。なんとか敵の隊伍を崩し、一気に巴戦で雌雄を決する好機があれば勝ち目も少しは……はっとする。
ダグアはブレードに伝えた。「敵の一騎が、動き出したぞ。高速で前進している。こちらの上を取る気だな、降下はまだしていないから間違いない」
「即背を取られたら、勝ち目はありません! 反転しましょう」
「慌てるなよ。こちらの腕はわかっているはずだ。危険な渓谷に入ってくると思えない。もう一騎は、高速飛行をしながらやや針路を逸れた。先回りして前後と上から挟み打ちにするつもりだな」
「敵は我々が渓谷を出るのを待っているのですね! 手は、あるのですか?」
「敵は、分散した。数の優位を自ら捨ててくれたな。作戦のつもりだろうが、僕らを包囲するなんて。しばらく待てば、状況は変わる。後、百二十鼓動数……」
ブレードは、飛び続けながら時を待った。敵竜の配置も進み出した。一騎は前、一騎は後ろ、一騎は上と。不安気に、ブレードは指示を待った。やがて、時は来た。「時間ですよ」
「ああ、時間だ。そろそろ行こうか。緩やかに上昇しろ。渓谷から出る」
ブレードは従った。たちまち、上方の敵竜の攻撃圏内に入る。ブレードは警告した。「上を取られました、炎、来ますよ!」
「水平前進、最大戦速!」ダグアは叫んだ。この命令は、つまり{逃げろ!}と言っているのだが、緊張症のブレードがそれでは不安を感じることを配慮してのことなのだ。
「旋回しないのですか?」急加速しながらブレードは尋ねた。
「ハサミは一対一では有効だが、うわっ!」後ろからぶおぉっと吹き出された炎の息に、ダグアは炙られた。幸い遠すぎ、大事には至らなかった。「あつ~っ、ええと、ハサミは敵が二騎も背後にいるときは使えないよ。一方の背後を取っても、もう一方に仕留められる」
「ではどうするのです? わたしの最大速度は御存じでしょう、前進では振り切れませんよ」
上方にいた敵は、いまはブレードの真後ろについている。しかもじりじりと、間合いを詰めている。炎の息はそう連発できるものではないので、いま少しは安全だが。
「すでに僕の術中にはまったよ。敵は、高度を維持しなかった事が手抜かりだ」
「作戦は急減速ですか?」ブレードは質問した。敵を追い抜かせてその背後につき攻守を逆転するこの機動は、ブレードの得意技だ。軽量なブレードは、鈍重な竜より早く加減速できるのだ。
「はずれ」ダグアは答えた。理由はハサミを却下したのと同じことだ。「真後ろの敵にはかまうな、狙いはまず最後尾の敵だ……よし、急速反転!」
飛竜は背面宙返りを行った。まず、垂直に上昇する。この機動はダグアが提案したものだ。ブレードは少し訓練するだけでこの動きを身につけたが、これは軽量で運動性の高い竜の、高速飛行中に決定的に優位に働く。鈍重な竜はそうそう上手くついて来られない。
つまり、背後の敵には全く追尾不能なのだ。しかし敵はそれに気付かなかった。ブレードに合わせて急速上昇反転しようとした乗り手は、無理をした。たちまち、翼は揚力を失った。失速して、きりもみしながら落下していく。竜と乗り手の、絶叫が響いた。
ブレードは余裕で後ろを向き、逆さまになった身体を捻り、上に起こした。
「あれ? そんなつもりは無かったのに」ダグアは落下する敵を見ると、気の抜けた声を出した。「敵はまた自滅した。持っていた大盾がいけないんだよね。空気抵抗が大きすぎてそりゃ失速するって。残りは二騎か」
ダグアは安堵した。あと一騎封じれば、敵は無防備同然だ。機動性に圧倒的に優れるブレードに対し、正対できない。取りあえず、目前の敵をなんとかすれば……
敵は後ろを向いていた。背後のもう一騎も、あさっての方向を向いている。
「どういう機動かな? ブレード」ダグアはいぶかしんだ。
「逃げ出したんですよ、あなたに恐れをなして」ブレードはほっと息を付いた。
ダグアは怪訝にいう。「逃げた? この僕から?」
「五騎のうち、三騎も倒されれば当然です。昨日といい、あなたの力量には感服します」
「客観的に言って、どう考えても僕が強いわけではない。敵が烏合の衆なんだ」
「そうであれ無能な竜の主人は、一両日のうちに竜を五騎も落とせませんよ。竜殺し、ですか? その称号も貴方の前ではかすみます」
「倒したのは、一騎だけだ。それも、背後からの奇襲。勝って当然だ。後は怪我と自滅だし。それより、村の人達は大丈夫かな?」
「わたしが敵の竜なら、情けない乗り手を放逐しますよ。無事でしょう」
「それならいいが」ダグアは大きな欠伸をした。「ハマドリュアデスに行くのに、余計な道草だったな。やれやれ。ようやく戦いは終わったか」
夜の帳の降りた、都市国家アルセイデス。星は澄んだ空に多く輝いていたが、見え始めてからもうかなり回っている。町の明かりはもうすでにほとんど消えている。残った灯の一つは、行政宮の部屋だったが、それも揺らめいて消えた。
業務から解放された深夜、スティは自室に入った。小さいが、常に清掃され優しく暖かい太陽の日差しの香る、清潔で整えられている寝室。独り身のスティには十分な部屋だ。扉を閉め、鍵をかけると上着を脱ぎ始める。肌着だけになるや薄いガウンを纏い、すぐに倒れるように寝台に身を投げて、横たわる。無駄にしないよう、獣脂燃料のランプは消す。
『彼は、脅威にはなりませんよ。絶対に』。自分の言葉を、スティは思い返した。
連日の激務に追われて、やっと逃げ込む夜の床。こんな闇に包まれるとスティはいつも、あのときを思い出してしまう。埒もない。なぜ? かれは配下の奴隷の一人に過ぎなかった。でも、忘れることのできないあの鮮烈な記憶は……
全ったき、闇。星たちや月の照る夜の闇には比べるべくもない、地底の漆黒、墨の黒さ。猫の瞳も見通さない闇……いや、神の後光すらも受け付けぬ闇の中だった。それを。彼は私の肩を抱いて歩いた。彼のもう片方の腕は、私の剣により傷ついていたというのに。
彼がかつての恋人、ロッドに似ていることは、最近気付いた。いまでは彼は成長し、面影がより近付いているだろう。切ないまでに……その考えはほとんど刃物の鋭さでスティをさいなんでいた。
だが、彼とは二度までも敵対した。そのたびに彼はスティの命を救った。二度までも、スティは彼を傷付けた。それなのに、彼は私を……スティは、一筋涙をこぼした。彼は言っていた。
『今の僕は名もなき書記官ではなく、ダグアの通り名を持っている』
(続く)
後書き はい、スティは自分を助けたダグアに恋心を抱いています。年上の美人なお姉さんに慕われるとはダグアプレイボーイ……決して本人は自覚無いでしょうけれど(笑)。とにかく一対五という難局を無傷で乗り越える、これが撃墜王の実力です。