頑丈で豪奢な石造りの重厚な構えでそびえる、都市アルセイデスの行政宮。数十名の文官があわただしく動き、職務についていた。フレイは執務室の机の前に座り、膨大な書類と格闘していた。一日の大半フレイは太守として、業務をこの部屋で済ますのだ。武門一辺倒だった彼女にとって、これは大変な作業だった。昔は部隊の末席、従者として雑事を行ってはいたが、たかだか十名に満たないランスでは。

 ちなみにランスとは基本、六人で構成される。内訳はまず主格の騎士、次いで重装槍騎兵二人、比較的軽装な弓騎兵二人、そこそこ武装し騎乗した従者だ。そもそもランスとは騎士の突撃用騎兵槍だ。事実はそう上手く隊員が揃っていたわけではないが。

 対していまの仕事は十数万の人口を抱える都市、比べ物にならない激務だ。戦場で剣を振るって戦う方が遙かに性に会うし、不謹慎だがむしろ気楽だ。

 補佐官が優秀でなければ、フレイはとっくに失脚していただろう。補佐官はもう一つの机に座りフレイの質問を受け、業務をこなすのを手伝っている。事実上は事務処理の、八割方を補佐官たるスティが片付けているのだが。フレイの仕事はおおまかな決定だけだ。

 公正で滞りの無い施政……つまり民衆の支配統治を実現できているだろうか。それはどちらとも言えない。たしかに内紛は無い。しかし経済水準は、ここずっと横這いだ。つまりフレイが太守になってからも、目立った改善は無い。

 貧民に施す食糧は軍の倉庫から捻出しているが。軍事費は財政を圧迫しているのに。社会的弱者たる職を持たない、もしくは働けない貧民は街路に溢れている。かれらは野たれ死んだり、身体を売ったり、盗みに手を染めたりしている。

 かつて浮浪児すら経験したフレイは知っていた。生きるための盗みなどより、私腹を肥やす責任ある地位の役人の贈収賄の方がはるかに罪が重いのだと。汚職には目を光らせている。

 そうして治安はさらに乱れる愚かしい悪循環が止まらない。しかし、かつての王国に比べれば……

 ノックがした。扉が開き部屋に、文官が一人入ってきた。フレイは無視して仕事を続けた。報告を直接受けるのは、彼女ではない。文官はスティに報告した。スティは聞くと、珍しく立ち上がった。では、かなりの用件だ。歩いてくる気配を察し、フレイは顔を上げた。もしかすると……

「フレイ、客人が見えました」スティは報告した。

 フレイは身を乗り出した。「ダグアが来たの?」

「いいえ。でも、あなたの以前の仲間です。ソード・ケインと名乗っています。それと」

「もちろんあなたの以前の仲間ね。ヤイバ」フレイは微笑んだ。

 スティも微妙に態度を和らげる。「はい、そのとおりです。客室に通しました。来るかもしれないことは予想していましたが。ランスは解散したのに義理深いですね」

「あれだけ大々的に、ダグアを呼び寄せるふれを出せばね。勿論、悪用を防ぐために名前は出さなかった。領主フレイルと友人の千里眼を持つ少年とだけしか」

「幾人か、まやかしがやって来ましたね。示しておいたのに、『領主と友人』、と」

「そのまますぐには追い返さなかったから、手品の連続は結構楽しめたけど。どれも実用的ではなかったわ。ダグアの『魔法の眼』のようには」

「まやかしは、せいぜい占い師ですね。本当の魔術師ではない。一人、違った方が見えたけど。カルトロップ殿。かれは魔術師を違った面で捕らえていますね。魔法で奇跡なんて起こせない。魔術師は過去の技術知識を伝えるための、教師に過ぎないと」

「でもかれの『予言』は怖かったわ。本当の脅威は辺境の外にこそある。驚異なる融合炉の力を紐解くもの、惨劇を繰り返すかもしくは世の希望となろう……どういう意味かしら」

「融合炉の惨劇の力は、確かに人類どころかあらゆる生命を滅ぼせるものです。確かに飛竜であれ。ですがそんな忌まわしい方法を使ってまで」

「そうね。でも千里眼を有するダグアも、魔術師ではなかったわ。知識を得たいのは、計算機技師の技とか。そんなもの、なぜ知りたいのかは、あのときは分らなかったけど」

「計算機は、商用でも事務でも軍事でも有用ですからね。失われた前文明には、民衆の一人一人が各々一台以上の計算機を有していたというわ。それは、光とされる未知の伝達手段によって繋がり、全世界に巨大な情報網を築いていたとか」

「そうね。今の計算機は過去に比べると玩具に過ぎないというけど、それでも有用なのは認めるわ。ダグアは、いまどうしているのかしら? 彼の持つ力が、おそるべきものであることに気付いたのは、遅すぎたわ。たしかに優しい子だった。でも将来ずっとそうである保証は無い。もし彼が力持て帰還すれば……」

「彼は、脅威にはなりませんよ。絶対に」スティは断言した。

 フレイは即答を避けた。何故そう言い切れるのか。スティとダグア。二人は敵同士だったが、互いの命を救い合った仲だ。二人の関係は微妙なのだ。

 フレイは口を開こうとした。しかしその時扉が開いた。先程の文官が、入ってくる。客間の準備が整ったことの知らせだ。客人、それも大切な旧友、戦友を待たせるわけにはいかない。フレイは連れられて部屋を出た。スティは、机に戻り仕事の続きを再開した。フレイは通路を抜け、階段を経て別の棟に移る。

 扉が開いた。フレイは、客室を見渡した。必要以上には、広いであろうその空間。今は明かりを灯すだけに使われる石造りの暖炉。

 壁際にはさまざまな装飾品。本や、酒の瓶がしまわれたガラス張りの戸棚もある。テーブルを囲み椅子とグラスが人数分。さらに、冷めたお茶のポットと、干し肉の細切れを乗せた皿が置いてある。

 フレイは戸棚から自らの手で火酒の瓶を取り、テーブルに置いた。使用人を使わないのが、フレイなりの賓客に対する酒の礼儀だ。

 二人の二十代後半の客は、直立しアルセイデス領主の着席を待っている。フレイに向かい敬礼して。二年の歳月を過ぎても二人は変わっていない。人をいちいち、皮肉を込めて斜視する小憎ったらしい灰色の視線も。物静かな安心し信頼できる優しい琥珀色の瞳も。

 互いに軽戦士。中身に固く詰め物をした木綿の服装程度の身軽な装備に、独自な得物。一人は無骨な大きい長剣諸、刃の『処刑刀』エグゼキューター、一人は異国の鋭利な片刃のカタナ。フレイは敬礼を返した。

「座りなさい、ケイン、ヤイバ」いうと、自身も席に着く。ケインとヤイバはお辞儀し、腰掛けた。そしてみんなのグラスに強烈な火酒を少しずつ注ぐ。

 三人は、テーブルをはさんで席についた。無言で……フレイはふと、気付いた。客人は許可無く話を始めたりしないのだ。では、自分から話さなければ。

「礼儀深くなったものじゃない、ケイン。地位に伴う敬意は、無意味よ。わたしの地位が、どれほどあやふやなものか、知っているでしょうに」フレイはくだけた口調で言った。「なんにしても、再会できてうれしいわ。二人とも」

「私もです、アルセイデス領主、フレイル閣下」ケインは慇懃に言う。

 フレイはやんわり言った。「その呼び方は止めて。敬語も敬称もいらない。昔通りフレイ、でいいわ」

「変わっていないな、フレイ。正式名の、脱穀棒が由来との名は、相変わらず嫌いか」ケインは微笑んだ。

 フレイは笑い返しグラスを高く掲げ、「再会に!」と乾杯して三人してグラスを打ちつけ合った。

 ケインは火酒をなめるや、語った。「フレイ、俺たちが来た理由は分かっているな。無論、ダグアの召集状を見たからだ。あいつの力を借りたいとは。事態は、それほど悪いのか」

 

(続く)

 

後書き 今回登場の男二人組は流れの傭兵剣士です。……特殊な剣を使う、仕込み杖ことソード・ケイン。二十七歳、黒い短髪、灰色の瞳。173センチ、63キロ。……日本刀使いのヤイバ。二十九歳、黒い髪を伸ばし結わえている。琥珀色の瞳。158センチ、47キロ。端役ですが、鍵となる秘密を抱えています。