こうしてすべての決着はつき、仲間たちはそれぞれの旅路にみんな去って行った。廃城の中、ペオは一人、唯一残った騎竜シザーズに話しかけていた。
『思い出した……俺は東京の、平凡な家庭の蒙昧な中学生だったんだ。容姿もさえなく、成績も数学以外ふるわず、受験を前にストレスを抱えていた。不景気な世の中に将来の希望なんて持てなかった。苦手だった語学を詰め込み暗記させられていたな。
 いまにすれば贅沢な悩みだ。愛情に包まれた家庭と友人を持ち。戦乱、生と死の葛藤などとは無縁な世界。当たり前に過去の……否、いまの貴族並の豪勢な食事にありつけ衣服住居冷暖房完備、飢えも渇きも暑さも寒さも無縁。それを感謝すらしない豊かな生活。
 そんなある日街頭でこのナイフを見つけ、魅せられた。二万円以上もしたが小遣いをはたいて購入し、眠れない夜中、誰もいない住宅街路上で『見えない敵』を相手に振り回していた。二万円分の元はとったね、テレビゲームなんかするよりよほど爽快さ。
 だがそれを二カ月も続けていたら、警察に通報されたんだ。俺は補導され、厳しく尋問された。しかしまったく血液反応も出ないナイフに、俺の普段の大人しい生活態度。俺は一晩で解放された。御親切に、ナイフまで警察は返してくれた。
 こんなとき、突然担任から言われた。俺に海外の一流工科大学への推薦飛び級入学が認められたと。俺が国語ばかり勉強させられていたのは、俺の苦手とする英語はいまさら無駄だから、日本語で恥をかかないようにするってことで。ってか、学校教師連中馬鹿じゃね? こんな誰も使わない当時の前世紀のまさに死語のような熟語。
 ここで俺は拉致されたんだ! 統治権力すらあった、遺伝子研究にナノマシン開発をやっていた企業に。狙いは俺の数学能力だった。シント総統のように、電子端末にされることになった。このとき『おまえはスティレットだ』と言われた。とどめの短剣、時の鎖を断つもの。それからの記憶はない。おそらくその計画時、俺は魔力、エナジーバーストに目覚め……空間ではなく時間の次元を寸断したんだ! だから未来へ飛んだ……』
「ペオシィン……マイ・レディ」シザーズは優しく声を掛けた。
「帰して! 俺をもとの世界へ返せよ! 両親も友人も学校もみんな捨てて来ただなんて。こんな混沌とした時代に」
 いや……泣き言は言えまい。あれはすべて過ぎ去ったことなのだ。これが未来……いや、現代。現実なのだ。現実を受け入れ、見据えて歩かなければ。自由に、強くなくとも。勇気を胸に。いまとなっては、過去の記憶などしょせん狂言綺語だしな。
 だから……ペオは語った。「かつてこの国は数十年の長きに渡り戦禍なく、戦乱の続く諸外国にいわせれば、平和ボケしているとまでされた。先祖は……それに子孫はともかく、俺たちの時代では」
「そのとおりです。わたしは当時、戦いの道具として誕生しましたが、わたしの生みだされたころのこの国の『戦い』は、わたしたちが乗り越えた、そして立ち向かう戦争などと比べたら規模が数ケタ違う『おままごと』です……諸外国は違いますし、ましてや融合炉の惨劇を除けば、ですが」
「だが平和であることが、蔑視されることなのか? 戦争どころか、自国の治安そのものが悪く、国民が命の危険にさらされているような国に育つことが、生い立ちを誇れることなのか。ラドゥルが言っていた。武器を、銃を得るのは善良な市民の自然な正当な権利だと。しかし過去この国は銃刀法違反条例下、比類なく治安の良い社会を維持していたのだ」
「ペオース・ウィン、あなたは……」
「それに役人、当時でいう公務員は国民の公僕と、建て前上は法律にあった。だが公務員の馬鹿息子は公務員こそ現代のサムライ階級だ、などとつけ上がっていた。そうした連中が何十年と掛けてシロアリのように国家を食い潰したのさ。かつての俺たちは自覚すべきだったんだ。自分たちが平和を愛する、自由の民であることを。そうすればいくら景気悪かろうと、国際社会で板挟みになり孤立しようと、破綻するまでには至らなかったさ」
「そうかもしれません、愛しいマイ・レディ」
「空論かもしれない。急転していた世界の流れの前に愛を叫んでも無意味かもしれない。だが、無駄な血をあまりに流し過ぎたのは事実だ。だから、これからは生かしておくんだ。一人でも多く」
「ですが、戦乱の火はこれからも消えることがないでしょう。悲しいことではありますが」
「それでも」ペオは襟を正し決意を新たにしていた。「俺はラドゥルの遺志を継ぐ。どんな真実もさらけ出してしまう鏡の目を」
「では、わたしの力はもう無用ということですね」
「ああ、お別れだ。世話になったな、ずいぶんと」
「わたしの方こそ」
「維新の時代のとある志士は、辞世の句に下の句をいわなかったとか。俺は最強の下の句を思いついた。シザーズ、なにか上の句を詠んでくれ」
「哀しむは死すべき定め人の子の……」
「……それがどうした、俺が掟だ」
 シザーズは苦笑している。ペオとシザーズはひとしきり笑い合った。
「俺のような餓鬼女、乗せたことはなかったのだろう?」
「ありますよ、はるか昔に」シザーズはいくぶんの諧謔を込めて語り出した。「あなたのようなはねっかえりではありませんでしたが。真面目で、知的で、潔癖で。おまけに人間の目からは美少女、とされた」
「確かに、大違いだな。俺はどうせなんの取り得もない落ちこぼれさ」
「いえ、それが……」やれやれと嘆息する飛竜だった。「ただ一点、男をいじめて遊ぶという趣味だけは戴けませんでしたが」
「はあ?」
「ですが」シザーズは翼と頭を下げ、恭しくお辞儀をした。「芯の通った強さは同じでした」
「俺は帰るよ、自分の居場所に」
「迎えに来てくれるのでしょう? いずれは」
「ああ。いずれはきっと」また嘘を吐いた。時とは前に進むのみ。前方に飛び越えるいかさまならいくらでも通用するが、その逆は決してできないと。
 しかし同時に知っている、無二無三は嘘だということだ。真理への道が一つでなくてはならない理由は、宇宙のどこにもないはずだ。万事に恬淡としていてもそれは譲れない。
 ペオはしばし、シザーズが飛び上がり空を去っていくのを見送った。シザーズ、許してくれとはいわない。生きている限り、俺たちの旅は続くんだ。いずれ道が交差する刻まで。おまえは最高の飛竜だったよ……。
「天国へは時間も距離も関係ないさ」辺境で一人うそぶくペオだった。「もっとも多々過ちを犯した俺が、天国へ行ける身分なら、だがな。はは」
 折しも新月が……強大な悪魔、デーモンどもとの戦いが迫る。しかし月の満ち欠けする僅かな間に、対抗策の人型兵器ナックルファイターは万全に整った。それに魔剣を始めとする隕鉄鉱製の武器も、太陽光をもとにした兵器も。
 なにより、ひとびとは調和を知ったのだ。自由、解放、独立、自尊。悪魔の力は大幅に弱まったかもしれぬ。この伝奇が伝えられていることからも、経緯は明らかであろう。
 荒廃した世界。否、自然は早くも豊かに再生し始めて来ている。過去の世界は自然も社会も悲鳴の嗚咽を上げていた。それに耳傾けない罰なのだ。萎靡沈滞した世界に青と緑、赤の千紫万紅なる萌を齎さん。
 融通無碍に、柳暗花明な春の風情に浸って。荒涼、瀟条としたこの世界もきっと変わっていく。有為転変するこの運命を思う。時代の流れは烏兎怱怱に急転していた。
 行雲流水に生きていきたい。己を束縛するものはなにもない。自由なのだから採薪汲水に山紫水明なこの世界で……悄然であれ。四海兄弟に打ち解ける日を夢見て。ささやかな紅灯緑酒のひと時を楽しんでいた。
 ペオは形影相弔たる自らの道を求め、探しに歩き始めた。オスゲル帝国は各地が独立した、ケネローと並ぶ自由自治権都市国家となった。キュート王国とシント共和国の間に、不可侵条約が結ばれていた。二振りの魔剣による封印の下すべての飛竜たちは姿を消し、密に眠りについた。あるいはこれらは夢幻泡影な撞着として忘れ去られるのか。
 乱世はまだ続くのであるが、戦火は下火になりつつあった。不世出に思えた青雲の志を持ちかつ清濁併呑に理非曲直報本反始に生きるものが増えた。
 悪名は無名に勝るのが人の世常の理、無名な善人たちの記憶は消えていく。ただ忘れ去られてはいけないのは、目覚ましい活躍を果たし世界を改革した戦士たちが、平和と自由を愛する当たり前の人間だったという事実である……だから。
 はるかいにしえの異国の書に、『善く行くものは轍迹無し』との言葉が残されているが。大功績とされる三人の撃墜王に対し、魔剣炎舌を背にして立ち去った魔王と英雄の名を冠する少女の記録はこれだけである。
  
*  終 *