ペオはシント総統の居住するプライベート・ルームで、ひたすら端末のキーボードを弾きながら、オリジナルシステムの構築を進めていた。総統を追い落とそうとするシントの反乱分子は政府高官に多々いたが、もはや国民総選挙も確定し、抵抗できるものはいないだろう。愚かな。これではシントのセキュリティを破る必要はないかな? 目的を変えれば、過去の知識を引き出すために……つい先ほど、総統はとんでもない発言をしていたのだ。
「機械がどうやって誕生したのかは不明です。人間が何故この地に存在するのかわからないように。常に人とともに在るのです、人間の旧友なのです」、と。
「はあ? 進化論すら知らないのか、科学史も廃れたものだな。陶磁器や金物を手作りすれば歴然ではないか」
「ペオシィン、意味がわかりませんが……。王国レベルの鋳造技術と、シントの超緻密な精密機械電気回路とその制作機械に、どんな接点があるというのです、重大な文明遺産神聖冒涜ですよ」
 ペオは返答を控えた。ハンドメイドをなめてはいけない。普段当たり前に使っている機械、なにが作っているの、と問われれば機械が作っている。その機械をなにが作っているの、とするとそれも機械が。以下延々逆登るんだけど、結局は人の手で機械を作っていた、って結論に落ち着くんだ。歴史を失った未来の人はそれを勘違いし、機械は機械として最初からあると考えるものか。過去の知識を蘇らせるのは重要な意味を持つな。その時だ。
 プライベート・ルームにアラームが鳴った! 緊急事態だな、なにが起こった…… ジャマーを帝国に逆用された! シントの防空スクリーンが麻痺した、野戦砲に集中砲撃される! 堅牢とはいえ小さな都市、砲火を喰らえば市民にも犠牲が出る。管制が効かないから、戦闘機隊に出撃は半ば不可能だ。
 しかし、竜騎兵なら……敵のレーダーにも映らず肉薄できる。この不利を逆用して好機に転ずるか。
 総統は命じた。「ソング一尉! 竜騎兵隊、出撃用意を。準備完了次第、直ちに出撃願います」
「いつでも待機隊は全騎出られます。休暇隊も召集しますか?」即答するソングだった。みな考えることは同じだったらしい。
 こうしてペオはシザーズに騎乗していた。文官待遇軍属とはいえ一尉たるもの、責任上は果たさねば。軽やかな加速で、さっそうと宙にふわり、と浮かぶ。身を切る爽快な風、眩い春の太陽。こうして一斉に舞い上がる三百を超えるシント竜騎兵旅団だった。高度を十分に取り、それから速力別に大まかな隊を組む。
 ソングから通信が入る。「敵戦力は多大ですが、陸上兵など相手にはなりません。帝国も戦闘機は使えないはず、自然竜騎兵の残存部隊と戦闘になります。予想される戦闘空域までには、無線はおそらく使えなくなります。通信が途絶えたら、各個の判断で戦って下さい。私も飛竜ニードルで出撃します」
「敵竜騎兵に遭遇したらいかが対処されますか、マイ・レディ、ドラグーン・ペオース・ウィン?」穏やかに問うシザーズ。
 軽く命じる。「前回のように正面から一気に突っ込んで、炎の吐息で丸焼きにしてやれ」
「それは敵が相討ちを避けるなら優位に戦えますが、寡兵で多くを相手にするには無謀というもの。空中戦の機動戦法というものは、基本はハサミです。左右に旋回を繰り返し、絶対速度は維持したまま相対速度を落とし敵の背後を取る。三次元の機動も同時に組み入れるなら、高度を速度に変換、速度を高度に変換する」
「なるほど。運動エネルギーと位置エネルギーの保存法則だな」
 突然ここでシザーズは警告した。「召喚を受けています。これはおそらくラドゥルと騎竜ハーケンです! いかがされます、向かうとすれば座標は王国領内、戦域を外れますが」
「そうだな、ジャマー撒かれたいま波動通信できるのはラドゥルしかいない。いままでどこをほっつき歩いていたのか……あいつがシントにいてくれたらどれだけの人間が助かったか、向かってくれ、シザーズ。ラドゥルも俺もティルスもソングと同じシント士官一尉待遇なのだからな」
 単機進路を変える。目的地が見えてきた。王国の僻地にある、砦みたいな都市だ。キュートの街なのに縮小されたシントみたいだった。高層の建物の屋上に、着陸誘導の明かりが明滅している。ラドゥルが待っていた。
 ラドゥルは呑気に声をかけてきた。「ペオ。王国自治領府にようこそ。さっそく都市領主ケネロー婦人に挨拶しにいこう」
 ケネローは深々とペオにお辞儀していた。「うわさは聞いています。世俗の迷い悩みを捨て去り真の自由に生きる、ラドゥルと並ぶ素晴らしい美徳の少女」
 ペオもお辞儀を返したが、称賛に困ってしまった。「寂滅には俺は程遠いよ。それにいまさら周章しても事態は変わらない」
 ラドゥルは意見した。「ケネロー婦人の魔力は人心掌握、ソウルナビゲートらしいよ。だからこの自治領は列強に挟まれても平和に営まれている」
「ハガリド王の信任厚いですから、近隣の余計な圧力は受けないのです。ここに独立したいとの嘆願書をまとめ提出しました。正式にこの都市を独立立憲君主国に」この重大事を、婦人都市領主は柔和な声で言ってのけた。
 独立? ケネロー自治領府を立憲君主国に? キュートに刃向うというのか、謀反を。たかだか千名足らずで数百万の王国を相手に?! 動揺するペオだった。
 しかしケネローはあくまで冷静だった。「反乱ではない。独立です。それこそが世界を戦いから解放する最善の手ですよ、少年少女よ。独立国として生き残れるか、植民地、属領となるかの分け目の戦い。平和とは、貧しくても人々が独立して生きていけること。そして独立は一民族のものではない。全人類のものです」
 ペオには混乱する話だった。グレーゾーンまで含む社会の仕組み構造運営の理を理解するには未熟過ぎた。一方でラドゥルは感嘆したように聞いている。
 ケネローは続けた。「この混戦下、各地で厭戦気運が高まっています。王国に帝国、共和国は膨大な戦費を使った。それなのにケネローは戦禍とは無縁。ケネローのささやかな『勝利』と独立は、各地の植民地に独立への勇気と希望を与えるはず」
 ラドゥルは肯定した。「たしかに大きな刺激となりうる。逆にいえば、辺境なら好きに侵略奪略していいと盲信していた、王国と帝国、その他の豪族にも警戒心を産ませるだろう」
 ケネロー婦人はにこやかに語っていた。「わたくしの都市のように独立してシントのように鎖国しても意志が生きている限りは平和を保てる。情報操作を巧みに使えば可能よ」
「どうやって?」
「自国は争わず異国間に経済面での消耗を強い、代償物資をこの領内から提供する。ラドゥル、ペオシィン、貴方たちの協力が得られれば理想郷の夢は叶うわ」
 ラドゥルは疑問気に問う。「ですがそんな大切な機密を何故僕らに話してくれるのです?」
「貴方たちは私心が無いし、なにより子供、変節するかも知れないわ。紹介したい方がいるの。王国準男爵の地位を授与された、無敵の風の軍神フーハクです」
 どんな男かとペオは思わず身構えたが、しかし現れたのは、小柄なでっぷり肥えた冴えない初老の男性だった。服装は王国の騎士のなりだが、腰に酒らしい小瓶をぶら下げている。というか、まったく武器を帯びていないな。
「無敵の軍神?」ラドゥルは皮肉っぽく暗い笑みを浮かべた。ラドゥルは二十歩ほど離れた位置のフーハクに右手人差し指をさっと差し向けると、くいっ、と人差し指を曲げた。宣告する。「もし僕が拳銃を持っていたなら、あなたは死んでいる。武術に如何に長けたところで、なんの意味がある」
「ここはわしの負けだな。わしも同感だよ、坊や。体術にいくら秀でても、同段者の刃物には勝てないし。剣術では銃器に敵わない。並の銃器は戦車や飛竜には敵わない……自明の理だ。ええとラドゥルにペオシィン、それより遊びに行かないか、わしが金は払う。神技、『エサの食い逃げ』を見せてやるから」
 遊び? 案内されたのは国営カジノだった。スロット、カード、ルーレット、それからサイコロ……サイ……英語に直すとダイ、『死』。ペオはすこぶる不吉な予感がした。