海外向け動画制作スポットライトムービーのブログ

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こんにちは。スタッフの善田紫紺です。
2014年も残すところ、あと1日ちょっととなってしまいましたが、
いかがお過ごしでしょうか。

さて、当動画制作サイト「Spotlight Movie」を公開してから早や半年。
当初は、週いちアップを目標にスタートしたブログですが、秋頃から会社の業務が多忙を極め(嬉しい悲鳴ではあるのですが)、気がつくとひと月も更新を怠っておりました。
ということで、年末年始はその分を取り返すべく、書きたかったことを一気に放出しようと意気込んでおりますが、どうなることやら。

さて、先週、長年、構想を温めていた我が社の創業者「陸奥イアン陽之助」特設サイトが、公開されました。
その執筆にあたっては、当社に保管されている、陽之助をはじめ、祖父「陸奥宗光」や、父母の廣吉とエセル(日本名イソ)の膨大かつ貴重な史料を、延々と読みこんでいたのですが、その数週間はまるで、幕末維新~近代史を専攻していた大学時代に戻ったかのような、至福の時間でありました。  

 陸奥宗光

サイトでも紹介しているように、陸奥宗光は、親藩の紀州藩士で国学者である伊達宗広の六男として生まれます。ところが藩の重臣である父は尊王論を主導して、藩内の江戸派(幼少の徳川慶福《後の家茂》の補佐役ら)から危険人物として捕えられ、10年もの間、幽閉されてしまいます。その後、釈放されるも脱藩して尊王攘夷運動を起こした結果、藩に連れ戻され、またしても幽閉されてしまうのです。
このため、幼少の頃の宗光の暮らしはとても困窮していたといいます。

ですが、宗光が後に、亀山社中で経営能力を発揮し、龍馬に「(若者は多数いるけれど)刀なしで(知恵で)食っていけるのは、陸奥と自分だけ」と言わしめたのも、また、後に条約改正や日清戦争において数々の功績を成し遂げたのも、幼い頃のこうした家庭の経済難が活かされたと考える研究者もいるのです。
刀ならずとも、思想を振りかざすだけでは、物事は実現しません。
そして人は、窮地に立たされて初めて、そこを切り抜ける妙案を思い付くのかもしれませんね。




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スタッフの善田紫紺です。

 

健さんが亡くなりました。

今回は健さんを偲んで、私が最も愛する邦画「八甲田山」のお話です。

映画の中で健さんは、弘前歩兵第31連隊の八甲田山雪中行軍隊長である徳島大尉を演じています。

徳島大尉は出発前に、反対側から走破を試みる青森歩兵第五連隊雪中行軍隊長の神田大尉(演じたのは北大路欣也)と会い、晩酌を交わしながら来るべき雪中行軍について語り合うのですが、その中で、神田大尉が「自分は雪中行軍の辛い時に、春の花とか、夏の山の緑、子供の頃に小川で採った魚とか、遠足の時に見た日本海とか、そんなものばかり思い出すのです。」と言うと、徳島大尉演ずる健さんは、「俺は何を考えているかな・・・ちくしょう・・・風はどっちからだとか、気温は、とか。馬に履かせるかんじきでも・・とか。どうも自分にはそういう考えには縁がなさそうだな。」と笑います。

ところがいざ八甲田に突入し、猛吹雪の中の必死の行軍の中で高島大尉が思い起こすのは、ふるさとの岩木山やリンゴ畑、小川で遊ぶ少年の自分や、田植えや祭り、日本海など、子供の頃に見た懐かしい情景でした。

その美しい風景が、雪中行軍の白い地獄絵のなかに、流れては消え流れては消え・・・。

自然の恐ろしさと美しさを、哀しいほどに印象付けてゆくのでした。

徳島が思い起こしていたであろう「人間ほど風土に影響されるものはない・・・でも、普段はそのことを忘れてしまっている」言う言葉が、この映画の根底には常に流れ続けているような気がします。


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こんばんは、鈴木康元です。

本日は1964年の東京オリンピック50周年です。先日、弊社の動画アーカイブの中から、当時の東京オリンピック関連の動画をUPしました。もちろんフイルム撮影です。

聖火がギリシャから飛行機で到着し、代々木競技場で行われた点火のリハーサルの様子です。




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 スタッフの善田紫紺です。


 神宮
前郵便局へ行くと、必ず、足を止めて見入ってしまうのが、通りの向かいにある風呂敷門「むす美」です。全面ガラス張りののショーウィンドウにディスプレイされた美しい和柄の風呂敷は、季節ごとに彩りを変えて、見るものの心を和ませてくれます。


 

店内に足を入れると、さまざまなタイプの風呂敷が置かれていますが、まず目に留まるのが、「どうやって作ってあるんだろう?」と謎を解きたくなってしまう風呂敷バック。四角い風呂敷を結んであるだけなのですが、もとの風呂敷の大きさによって「おでかけバック」「しずくバック」「りぼんバック」など、いろいろな形のバックががあり、ほどいてみたくてうずうず。


もともと、風呂敷には一升瓶を包んだ伝統的な「びんづつみ」という結び方があり、それを応用したものなんだと納得。


原宿の風呂敷なんてどんなに高価なんだろうと思いきや、通常の大きさであれば、お財布に入っているお金で十分に買えるお値段です。
お店の方も気さくでやさしい方ばかり。風呂敷のことだけでなく、「和のこころ」を大切に考えるくらしのさまざまな情報を、教えてもらえますよ。


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こんにちは、スタッフ鈴木康元です。

本日は新幹線開業50周年の日です。
インタナシヨナル映画のアーカイブの中から、新幹線の出発式の様子などを記録した動画をUPしました。
運転席や、食堂車の様子も垣間見れます。
もちろんこの時代、フィルムでの収録になります。

弊社は映像制作会社としては60年あまりの老舗の部類ですので、倉庫には古いアーカイブが眠っております。宝探しのように楽しみながら、徐々にデジタイズ&WEBへのUPを進めていこうと思います。

1964年 東海道新幹線 開業


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我が社のオフィスのある神宮前2丁目という地域が「奥原宿」」と呼ばれ、いろいろな意味で注目されている地域であることを、つい最近知った。そう言われてみると、竹下通りや表参道、青山にも近いのに、ここにはまだ昔ながらの商店街があって歴史の古そうな個人商店がふつうに営業していると思えば、そのすぐ横にスタイリッシュなアートビルが建っていたりと、昭和の下町と先進的でファッショナブルな文化が混在する、なかなか面白い場所である。

 

一方、ここはまた神宮球場や2020年オリンピック・パラリンピック開催時に開会式などが予定されている国立競技場にも近い、スポーツの町でもある。そんな奥原宿を舞台に、NPO法人ピープルデザイン研究所と地元商店会の「神宮前ニ丁目商和会」は、オリンピックに向けて、当然、増えるであろう多様な訪問者をもてなす体制を整えるために、様々な準備を進めている。


 すでに昨年、道筋に展示機能を設けた「奥原宿ストリートミュージアム」を完成させ、神宮前ニ丁目商和会が持っていた写真などの史料「東京オリンピックの記憶―
1964」を展示した。そして、この週末921日(日)には、障害者と交流する歩行者天国を開催する。当日行われるイベントとしては、アイマスクを付けてのブラインドサッカーを体験や、障害者と共にストリートダンスを踊るなどが予定されている。

今後、外国人への対応としては、原宿や表参道への経路を多言語で検索できる電子看板の設置や、各店舗の店員対象に簡単な英語で道案内ができるような勉強会も予定されているという。この地域にオフィスを構えている我々スタッフも、神宮前二丁目の構成員として、道案内できるくらいの英語力をつけなければいけないと思っている。

 


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平泉に到着した義経主従は、平泉館の近くの小高い丘にある衣川館を与えられ、しばし安息の日々をすごしていた。後に高館義経堂(または判官館)と呼ばれたここは、北上川と衣川が出合う地点から1キロほど南の丘陵地にあり、もとは藤原基成の館であったという。

義経を迎え入れた藤原秀衡は、頼朝が奥州に攻め入ることを恐れ、義経を将軍に立ててこれを防ごうと計画したが、翌年に病気で没した。これを機に頼朝は4代泰衡義経を捕えて引き渡すよう再三の圧力をかけた。

泰衡は最初は父、衡の遺言を守り、鎌倉に抵抗し続けたが、藤原氏が攻め滅ぼされることを恐れ、ついに2年後の閏4月、衣川館の義経主従を500騎で攻めた。

10数騎の義経郎党は必死に防戦したが全員討ち死にし、義経は泰衡軍に館を囲まれた。もはやこれまでと覚悟を決めた義経は持仏堂に入り、正妻と4才の娘とともに自刃して果てたという。源氏の総大将となり壇ノ浦で平家を討ち滅ぼしてから4年。31才の悲壮な最期であった。

頼朝は義経の首が鎌倉に差し出された後も、奥州に独自の政権があることを恐れ、長年、義経を匿い続けたとして3ヵ月後に奥州征伐を断行した。泰衡は遠征先で殺され、百余年に渡る奥州藤原文化はここに幕を閉じたのだった。

頭上を木々に覆われた昼間でも薄暗い坂道を登り、高館義経堂のある丘に辿り着く。義経堂に登る石段の麓に入場券を売る小さな小屋がポツンとある。蝉しぐれが行く夏を惜しむように、木立の中から降り注いでいる。急な石段を上り、丘の上の明るみにでた。対岸にそびえる束稲山を巡るように、滔々と流れる北上川。その流れは、千年前の昔、ここ平泉に繰り広げられた無情の歴史を物語るかのようであった。

 

それから500年。旅の途でこの地を訪れ、生い茂る草原を目にした旅人は、藤原氏の栄華と義経の無念を思い、句を詠んだ。

 

夏草や 兵共が 夢の跡   松尾芭蕉

 


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オフィス街の西新橋ではそこかしこにお弁当屋さんがあった。焼き鮭やしょうが焼きなど10種類から選べる380円均一の定食弁当や、サラダ付きで650円の大盛カレーランチ、中華弁当やらスープランチやら、値段はリーズナブルで種類は豊富という、まさにお弁当天国だった。ところが原宿にはなかなか、そうしたお弁当屋さんが少ない。あるにはあるがけっこう高かったり、オフィスから遠かったりで、引っ越した当初は、お店に食べに行くかコンビニで済ませることが多かった。ところが、ついに見つけた。おいしくて体に良くて、リーズナブルなお弁当屋さんを!

 

場所は、明治通り神宮前1の信号から、外苑西通り神宮前3の交差点に抜ける通り沿い。木造の四角い建物の赤いオーニングの上に「LA TREZ」と店名が書かれており、入口のテラス部分には雨よけの白いビニールカーテンがかけられている。中にはいると、目に飛び込むのはカウンターのガラスケースに並んだ色とりどりのおかず。おいしそう・・・思わずお腹がなってしまう。

ここのお弁当は、常時8種類ほどの手作りのおかずから自分で3品をチョイスし、五分つき米がついて700円均一だ。

たとえばある日のおかずは、ゴーヤとツナのスクランブルエッグ、チーズ入りパスタとなすのトマト煮、にらとお豆腐の味噌煮、春雨とキャベツの黒ゴママヨネーズ、新レンコンとひじきのきんぴら、豚肉ともやしのオイスター炒め、チキンの竜田風グリル、チキンと冬瓜のコンソメチキン煮・・・洋とも和とも中華ともつかないけれど、オーガニックな食材を使った安全でヘルシーなメニューであることは確かだ。
 

サービスしてくれるのは、元気のいい若いお姉さんとお兄さんで、ご飯の量の好みも聞いてくれるし、おかずの数が減ってくると50円引きになったりする。おかずはもちろん日々入れ替わる。たまには雰囲気を変えて、どこかのお店で食べてみようかと思いつつ、また今日もLA TREZ に足が向いている。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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 元暦2(1185)年、壇ノ浦で平氏を滅ぼした義経は兄、頼朝にうとまれ、京を追われて少年期を過ごした奥州藤原氏のもとへ落ちてゆく。

鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」によれば、義経が頼朝の反感を買い、奥州へ落ちる身となった理由は、頼朝の許可を得ずして後白河法皇から官位を受けたこと、平家追討の軍艦として頼朝が使わした梶原景時や源範頼を無視して勝手に事を進めたこと、東国御家人ではなく西国の武士を使って平家追討を成功させたことなどであったが、何より、義経の類まれなる奇才と京における絶大な人気は、鎌倉幕府確立を目指す頼朝にとって脅威以外の何物でもなかった。

前述の吾妻鏡によると、文治31187)年210日、義経らは次々とかかる追手をくぐり抜け、平泉へ落ちのびた。一行は山伏と稚児の姿に身をやつしていたという。
 当時の平泉は、平安中期以降、藤原清衡がこの地を平定し、続く基衡・秀衡の三代が100年に渡って中尊寺に代表される華麗な文化を築き上げていた。


大泉が池を中心とする広大な浄土庭園が復元された毛越寺から、隣接する観自在王院庭園を歩く。ここも基衡の妻が建立した寺院跡で、毛越寺と同様、舞鶴ヶ池を中心とした浄土庭園が整備されている。どちらの庭園も芝生のみどりの広がりが見事だ。その緑は、黄金色をも連想させる、萌黄色である。千年も昔のこととは言え、京都や鎌倉の戦乱をよそに栄えた、富ののびやかさを象徴しているような気さえした。

ここから、藤原氏の政庁「平泉館」の跡といわれる柳之御所史跡公園に向かう。県道を渡り北上川の流れに向かって歩いてゆくと、見渡す限りの芝原が広がった。空が果てしない。

野原を駆け抜ける、駿馬のいななき。その萌黄色の広がりのむこうに、藤原御殿が浮かびあがった。
          

                            


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 日比谷通り御成門の交差点近くの、ビルが立ち並ぶ一角のオフィスから、この原宿のマンションの一室に引っ越して、はや1年になる。御成門のオフィスは、ちょっと歩くと愛宕神社や芝公園、増上寺や東京タワーなどもあったが、オフィスの窓からはそれらの緑はみじんも見えず、ビル風や騒音がひどくて窓を開けることもあまりできなかった。

ところがこの原宿オフィスには、なかなか風情のある和風の庭がある。というより、事務所探しをしていた時に、庭付きの1階のこの部屋をスタッフ全員が気に入って決めた、という方が正しい。実は、我が社のスタッフたちは、「スタイリッシュでお洒落」よりも、懐かしい昔の匂いがする自然な空間の方が、落ち着くらしいのだった。

 そんなわけで事務所を移ってからは、庭を眺める屋外テラスにテーブルとイスをおき、そこで会議をしたりランチをしたり、パソコンを持ち出して作業をしたり、緑に抱かれたテラススペースはオフィスのなかでもっとも人気のある場所となった。
 夏の最中は、日当たりがよすぎて暑いのと蚊の猛攻に遭うとのでしばし休業状態だったが、また秋の声を聞くと、香取線香を焚きながらテラスに集うスタッフの姿が見られるだろう。

 
 ところでなぜ、この原宿のど真ん中の、それも一見して南欧風のマンションの一室に和庭園があるのだろう。聞いた話によれば、この部屋のオーナーの親類が料亭を営んでいたが、閉めることになったので、お店の敷地にあった踏み石や石組、石灯籠、石橋、池庭、生垣などを運び入れ、植栽してこの素敵な庭を造ったという。

和庭園はもちろん、オフィスの中からでも見渡すことができるが、窓を閉めていても、鳥のさえずりや虫の音がうるさいくらいに聞こえてきて、都会にいることを忘れそうになる。

今年の5月くらいだっただろうか。何となく庭の草木を眺めていたら、白っぽい毛をした猫のような動物が、庭の端っこにぽつんといた。「ハクビシンだ」と誰かが言うと、塀沿いに走り抜けて隣の敷地に逃げ去った。最近は都内にもハクビシンが出現するという話を聞いたことがあるが、まさか渋谷区に現れるとはびっくりだ。隣の建物の先は、交通量も多い明治通りである。いったいどこから来たのだろうと考えたけれど、ハクビシンなりにここを心やすらぐ場所だと感じたのだろうか。だとしたら、いつでも大歓迎である。

 

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