Smile for Children
Smile for farmer's
Smile for future...With us

世界の平和を願いつつ、開発途上国の子どもたちの笑顔のため、又アジアは一つとの願いを込め、財団法人「南アジア友好協会」を設立致しました。

国連制定の『児童の権利に関する条約』を元に広く公益に資する活動を展開しております。

南アジア、とくにミャンマー(旧ビルマ)を幾度となく訪れ、現地の方々との触れ合いを深めていく中、同国の子どもたちと交流をもち現実の生活を目の当たりに…そこから各国の子どもたちの触れ合い・交流しております。
更に交流を深め、子どもたちの未来のために歩んで参ります。

公益財団法人南アジア友好協会


メルマガを発行しております。

発行頻度は適宜(週1回程度)としております。

内容はその時々の戯れ言です。

勿論購読料は無料です。

嶋貫の独り言をお聞き下さい。


「SAFA会長嶋貫の戯れ言」

  • 19 May
    • Cherry Blossom in Mongolia

      モンゴル日本人墓地慰霊碑     先の大戦終戦後、社会主義国だったモンゴル人民共和国に抑留された日本人捕虜は総勢12,318人。   終戦後1945年から1947年までの抑留期間に命を落とした日本人は1597名、モンゴル全土16箇所に埋葬された。 抑留者の中には軍医夫人や看護婦さんなど女性も4名含まれていたそうです。 壮絶な気候条件、過酷な生活環境の中で十分な装備も設備もないまま、重労働を科せられ、伝染病や寒さ、精神的なストレス、その他様々な要因で祖国を想いながらも力尽きた日本人の方々。   この地は835柱の方々が埋葬され現在は遺骨収集もなされ祖国日本に戻っているとの事…その跡地にモンゴル国を代表するこの慰霊碑が建立されました。 私たちはその地で息絶えた方々の鎮魂とともに、両国の平和交流、世界の平和を祈り、また同地の管理者が桜を沢山咲かせたいとの想いに応え、この地に「さくら」プロジェクトを立ち上げました。   どうかご理解、ご協力、ご支援をお願い申し上げます。 ◆募集内容 一株(一本)の桜の里親 協力金\10,000円   当初今回先着20株(20本) ・植樹に際してご芳名をプレートにし表示。 ・表示期間5年間とさせて頂きます。(期間経過後記念館のご芳名録に保管) ・期間中に咲いたお写真を毎年電子送信させて頂きます。 ◆植樹日程 ・2017年6月初旬予定。   ◆植樹場所 ・ウランバートル市ダンバダルジャー日本人墓地跡慰霊碑   ◆セレモニー参加ツアー ・植樹日前後5泊6日予定  ミアットモンゴル航空にて成田発着直行便。  尚日程については変更になる場合がございます。  日程確定次第旅行引受会社よりご案内させて頂きます。    ◆主催(申込) ・公益財団法人南アジア友好協会  TEL 072-223-3300  mail to info@safa.jp   ◆協力後援 ・駐日モンゴル国大使館 ・在大阪モンゴル国総領事館 ・モンゴル国大使館

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  • 29 Jun
    • Public interest

      #公益財団法人 本日正式に通知が参りました。 安倍晋三内閣総理大臣名にて南アジア友好協会が「一般財団法人」より「公益財団法人」への認定を賜り組織変更させて頂きました。  開発途上国の子ども達や農民さん並びに国内の子ども達の為にも今までに増して広く公益に資する活動を展開して参ります。   小さい事ではあるかもしれませんが今後も私には私にしか出来ない使命の道を「一意専心」「桜梅桃季」「信願尽燃土遣咲花」歩いていきます。  これからも何卒ご指導・ご鞭撻を賜わりますよう真に心よりお願い申し上げ公益法人認定のご報告をさせて頂きます。  2016年6月28日公益財団法人南アジア友好協会会長兼代表理事 嶋貫秀樹   

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  • 22 Jun
    • Election

      参議院議員選挙  酷いですよ… 先日、放送されたテレビ朝日の党首討論の放送について、至るところで物議を醸しています。マスメディアのあり方を改めて問われる、そんな幕になりました。 以下、安部総理秘書の公式発表より。。。皆様からご心配やご質問を数多く頂戴し、某党の党首の方が「相当文句を言っていた。あれが首相の姿かと思うとがくぜんとする」などと述べられている「報道ステーションにおける党首討論」の件に関しまして、一言申し上げます。 報道ステーションの対応にはあきれました。まず時間を守らない。昨日(21日)は「大分へのフライトの関係で18時終了を厳守して欲しい。」と出演交渉をしたところ、テレビ朝日側が「18時の終了を厳守するのでやりたい。」との収録時間の厳守を条件に了解しました。にも関わらずこちらが席を立たなければならない事をわかっていて18時を過ぎてから質問を投げかけ、あたかもこちらが打ち切った様な印象を与える演出は卑怯です。国会では総理が1分遅れても陳謝或いは散会になります。みんなの大切な時間は守る事は社会人なら当たり前でしょう。安倍さんが「時間だから」と言うまで延々とやるつもりだったのでしょうか。そして民主党政権時の参議院選挙では菅首相(当時)はテレビ朝日の番組への出演を拒否していますので、テレビ朝日では党首討論は行われていません。その事は伏せて「安倍総理の都合で報道ステーションでは選挙前に一回しか行われていない、もう一回」と言うのは実にアンフェアです。菅政権の時はテレビ朝日では0回、テレビ党首討論は4回。対して今回行われる党首討論は先日行われたニコニコ動画を入れれば実に6回です。その現実も伏せて安倍総理は党首討論から逃げていると印象操作はフェアではありません。そして「何故この時期に設定したのか?」とのご質問ですが、期日前投票の利用する方々は現在有権者全体の25%にも及びます。その利用者の方々が投票する前に各党の考え方を理解してもらう党首討論の開催を早く設定するのは世の流れとして当然と言えるでしょう。   皆様の良識ある判断を切に願いたい。 嶋貫秀樹の戯れ言Facebookhttps://www.facebook.com/shimanuki/ SAFA嶋貫の戯れ言メルマガhttp://www.mag2.com/m/0001673912.html Thanks & Best Regards, 

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  • 21 Jun
    • E-mail magazine

      この度私嶋貫のメールマガジンを発行させて頂く事になりました。  発行頻度は適宜としておりますが凡そ週1回程度となります。内容については、嶋貫の独り言・戯れ言です。 ・ミャンマーなど海外の事。 ・国内外の政治経済。 ・自農園のこと。 ・他愛もないこと。 稚拙な文章かと思いますがどうぞ宜しくお願い致します。尚購読料は無料です。 たまに驚くようなニュース・記事を配信するかも知れませんよ(^^; ご購読はこちらから↓↓↓ 「SAFA会長嶋貫の戯れ言」  南アジア友好協会嶋貫秀樹

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  • 17 Jun
    • Appreciation of the yen

      円高ドル安(長文です) 3年前の秋。私はカンボジア・プノンペンにいた。急激な円高(80円下)…両替をすると信じられない程のお札の束。驚きの中お金持ちになった気分。でも財布には入らないしバックに入れてようとしても猪瀬前知事みたいに中々入らない。結局バックやポケットに…これはこれで中々大変であった事を思い出す。 その円高からこの秋で3年がたつ。この3年が大変なことになるかも知れない。 帰国後ある方と話しをする機会になった。それは何か…。 時の日銀総裁も黒田氏。急激な円高によるドル買い介入にはいった。当然の処理だとは思う。 只そんな中で日銀がとったとされる手段が問題であったと感じる…確かに当時はその一手で助かった企業は多い。  しかし…どんな事だったか。各銀行にドル買いを命じた。しかも自分たちの大口顧客にもドルを買ってもらうようにと。目標値まで提示。 更にドルを買っても3年間絶対に売らないようにと。その変わり仮に顧客に損失が出ても補填するようにとまで。 その3年期日が今年の秋に来る。今の為替を見たら解るように徐々に円高の方向に向かっている。 先日G7首脳国会議でも世界的経済危機の手前と。正にこの秋為替市場に大きな変化がもたれると思っている。 一説には1$50円までいく可能性があると話している評論家もいる。そこまで円高にはならないだろうとは思う…が100円を切ってくる事は十分考えられる。 その時日本経済はどうなのか。輸出で利潤をあげている大企業はじめとする企業は大きな痛手を被ることは事実。いわゆる物作り企業、その下請け、孫請けなどは一たまりもない。 激動するかもしれない今秋。 関東方面は知事の影響で与党に逆風とも言われる。どうか都政も大切ではあるけど…国政に目を向け「安心」の政治、「頼れる」政治を見据えた投票行動をと願いたい。 この秋に訪れるかもしれない急激な円高にそなえて。 ※あくまでも私見である事を申し添えておくと共に拡散して頂く価値もあるかと思います。

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  • 07 Jun
    • Condominium Law in Myanmar

      ミャンマーへの不動産投資を変えるか。 外国人によるコンドミニアム所有の解禁の速報が流れて数ヶ月。いよいよ動きだすようです。  --------------------------------------  ミャンマーでは昨年11月に総選挙が行われ、アウン・サン・スー・チー氏率いるNLDが大勝した。 これによって政権交代がなされ、今年4月には新大統領が就任し、新内閣も発足した。こうしたミャンマーの政情を受け、昨年後半ころから、日本のメディアでも、頻繁にミャンマーを取り上げるようになったように感じている。 ミャンマー憲法では、外国人を家族に持つ者は、大統領・副大統領になる資格を有しない。 アウン・サン・スー・チー氏は、この欠格事由により大統領に就任できなかったが、外務大臣及び大統領府大臣に就任した。さらに、与党は国家顧問という職を彼女のために設置し、国家顧問に選任して、大統領や閣僚などに助言を与える立場に就かせた。 日本でも、5月始めに、外務大臣が、早速同氏との会見を行っている。2011年の民政移管以来、加熱していたミャンマー投資だが、米国も経済制裁の更なる緩和を打ち出しており、更なる投資熱の高揚が期待されるところである。  ミャンマーへの新規投資が盛り上がるにつれ、不動産業界も盛り上がることであろう。しかし、ミャンマーでは、これまで外国人が不動産を所有することは認められず、特別な投資許可のない限り、1年を超える賃借を受けることもできなかった。それゆえ、不動産投資を目論む外国人は、現地人の名義借りなどが必要だったが、脱法的であり、リスクやトラブルもあった。 ところが、今年1月末に成立したコンドミニアム法(The Condominium Law (2016))により、この禁止が遂に一部解禁された。実質的な施行は、細かい実施規定を定める下位規則の制定を待つ必要があるが、ミャンマー不動産が、投資対象として脚光を浴びる可能性が出てきた。本稿では、不動産投資の可能性について、新法を通じて探ってみたい。 2011年に民政移管されて以来、ミャンマーへの投資熱は急上昇し、外国人がミャンマー、特にヤンゴンに数多く来訪するようになった。 それに伴い、長期滞在・短期滞在を問わず、ヤンゴンの不動産需要も急上昇し、賃料やホテルの宿泊料は高騰した。 現在は少し落ち着いたと言われるが、それでも日本人駐在員などの外国人が住むアパートメントの月額賃料は、20万円を超えるものがほとんどで、40万円を超えるものも多い。 その多くがサービス付きのアパートメントだが、アジア最貧国にも数えられるミャンマーの人件費や物価を考えると、不釣合いなまでに高い。  ・・・賃料水準は東京と同程度である。しかも、ミャンマー特有の商慣習として、1年分あるいは半年分程度の賃料を前払いするというものがある。私も1年分を前払いし、商慣習の違いに驚いたものである。また、ホテルの宿泊料も、数年前まで一泊7-80ドルだった5つ星ホテルが、現在ではその2-3倍程度にもなっている。 不動産長期利用の原則禁止ミャンマーでは、原則として、外国人・外国企業による不動産の長期利用は認められていない。 中略 ・・・本年1月末にコンドミニアム法が成立し、コンドミニアムに限って、外国人も所有することが可能になった。では、外国人は、どのようにすればコンドミニアム所有が認められるのだろうか。 外国人がコンドミニアムを所有したいと考えた場合、次の要件を満たす必要がある(コンドミニアム法15条(b)、24条(c))。 a) ディベロッパーにより建設されたコンドミニアムであることb) 一定の要件を満たすコンドミニアムであることc) 外国人の持分は、コンドミニアムの40%までであること ディベロッパーとは、コンドミニアム法に従ってライセンスを取得した個人や業者のことである(同法2条(e))。 ライセンス取得のためには、一定の最低資本金を満たし、管理委員会に申請する必要がある(同法13条(a)、25条(b))。但し、最低資本金は、今のところ定められていない。 また、コンドミニアムは、コンドミニアム法による登録を受ける必要がある(同法8条)。コンドミニアムとして認められるためには、法律に基づいて登録された共有地上に、ディベロッパーによって建設される必要があり、また6階建て以上でなければならない(同法2条(a)、9条)。 さらに、下位規則によって最低基準が別途定められることになっており、最低階層数、最低部屋数、駐車スペース、共有施設、技術水準及び施設・セキュリティ要件などがこれに含まれる(同法11条)。 建設地となる登録共有地は、2万平方フィート(約1858平方メートル)以上である必要がある(同法10条(d))。 既に建設済みの建物についても、登録を受けることができるようだが、その詳細は下位規則に委ねられている(同法12条(a))。もし建設地が国有地等の場合には、政府の許可も必要とされる(同法15条(c))。 不動産投資の局面において、抵当権設定が可能かどうかは、重要なポイントと思われる。この点、アパートメント(コンドミニアム内の1区画を指す)の所有者は、銀行に対する抵当権設定を行うことが可能である(同法26条(e))。したがって、アパートメントへの抵当権設定を前提に、銀行より資金を借り入れ、投資を行うことも可能である。 さらに、重要な点は、取得したアパートメントについて、第三者への賃貸の可否、及び売却の可否であろう。 この点、アパートメント所有者は、ミャンマー国民だけでなく、外国人に対してもアパートメントを賃貸することができ(同法26条(c)、(d)(i))、コンドミニアム内の40%という要件を満たす限り、売却することも可能である(同法(c)、(d)(ii))。 したがって、賃料収入も期待でき、状況に合わせて売却することも可能である。 中略 以上のとおり、アパートメントの購入、抵当権設定、賃貸及び売買が可能なことから、外国人が不動産投資を行うため、必要な最低限度(文字通り最低限度ではあるが)の条件は整えられたように見える。 極めて意味のある一歩外国人によるコンドミニアム・アパートメント所有が可能になったとはいっても、活況ある不動産投資市場形成のためには、まだまだ乗り越えなければならない点が多く残っている。  外国人が、コンドミニアム法に基づきコンドミニアムを取得しようとする場合、「デューディリジェンス」をする必要があるだろう。すなわち、ディベロッパーのライセンス、コンドミニアムの登録、40%以内の要件などを確認しておかなければならない。この手間が大きければ大きいほど、不動産投資の活性化は望みにくい。その意味で、コンドミニアム法による登録制度がどれだけうまく整備され機能するか、これが一つ重要なポイントと思われる。 中略wedge infinityより2016年06月06日(Mon)--------------------------------------- 私たちが現地の方々、特に子どもたちと交流を結び話していると、多くの子どもたちが言う。「お家が欲しい」と。  昭和40年代…列島改造論に始まる「マイホーム」ブーム。今現地はその状態のような気がする。  メルマガはこちらから↓↓↓http://www.mag2.com/m/0001673912.html南アジア友好協会嶋貫秀樹 

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  • 06 Jun
    • Black Beans in sasayama

      「黒枝豆畑」 土曜日に兵庫県篠山市へ。そこでも新たな出会いが。 私たちの主旨を理解して頂き完全supportを…更には機械を始め何から何まで。 畝まで起こして頂け来年から本格的に農業生産出来るようにと。   地元農家の方でお話も早くびっくりです。 ここ兵庫県に出入りするようになって本当に不思議な出会い。 「まさか」って感じで心から感謝です。 明日種を一つ一つ丁寧にトレィに植え発芽させます…勿論篠山産の丹波黒大豆種。   そこで発芽した苗を篠山の自分たちの畑に植替えです。 MR-Farm…いよいよ秋の収穫に向け本格始動します。  出来るものならミャンマーの若手農民さんも迎えいれての運営もしたいですね…彼らの農業技術支援と生活向上programのためにも。 ~smile for future~未来の笑顔のために。 メルマガ購読はこちら↓↓↓http://www.mag2.com/m/0001673912.html 財団法人南アジア友好協会会長兼代表理事  嶋貫 秀樹

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  • 05 Jun
    • Alternating current

      ミャンマー日本語学校 6/2・6/3に続き、今日6/5もミャンマーの日本語学校の生徒たちと交流を致しました。 6/2に48人6/3は29人今日6/5は70人 流石にこれだけの人と交流すると…かなり疲れますね。あと50人の生徒たちが待ってるようです。 急遽明日6/6も仕事の合間をぬって20人と交流します。 頑張らないとですね。    ※ミャンマー訪緬時の画像  現地ネット会議   生徒たちと交流前   生徒たちと交流スタート      メルマガは登録はこちらから↓↓↓http://www.mag2.com/m/0001673912.html 南アジア友好協会嶋貫秀樹

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  • 04 Jun
    • Cry of Syouwa Emperor

      天皇陛下の涙…お優しいお心に感涙です。 長文ですが是非ともお読み下さい。  昭和61年4月29日、天皇陛下御在位60年記念式典が、東京の両国国技館で皇族、各国大使、各界代表6千人を集めて行われました。 木村睦男参議院議長が祝辞を述べられると、陛下が涙を流された(下画像)。 「大戦勃発の直前までもひたすら平和を願い給う大御心をお示しになられましたことを洩れ承り、今尚、感激を新たに致すのであります。この大御心があればこそ、終戦に際し、御一身の御安泰をも顧みられず、戦争終結の聖断を下され、有難き玉音は電波により津々浦々に伝えられ、国民は涙とともに平和回復の喜びに浸ったのであります。・・・」   陛下が、この時、去来したのは何であったのか・・・昭和20年8月の終戦後、日本は未曽有の食糧危機となり、物価も高騰し、食糧の配給は人々の生活を賄うに足りず、不衛生で暴力が支配する闇市があちこちに立ち並びました。 それまで東亜の平和を願い神州不滅を固く信じていた人々は、価値観を根底から否定され、いかに生きるべきか、どう生きるべきかという規範さえも失い、茫然とし退廃と恐怖と餓えが人々を襲った。 その日本人が、ある事件をきっかけに、国土復旧のために元気になって立ち上がりました。そのきっかけが昭和天皇の「全国御巡幸」だったと言われています。 昭和天皇の御巡幸は、昭和21年から、神奈川県を皮切りに昭和29年の北海道まで、足掛け8年半行われました。全行程は3万3000キロ、総日数は165日。 この御巡幸を始めるにあたり、陛下はその意義について次のように述べられました。「戦争によって祖先からの領土を失い、国民の多くの生命を失い、、大変な災厄を受けました。この際、わたしとしては、どうすればいいのかと考え、国民を慰め、励まし、また復興のために立ち上がらせるための勇気を与えることが自分の責任と思う」   そして昭和24年5月、九州への御巡幸でのこと。この日、陛下は、たってのご希望で、佐賀県三養基郡にある因通寺というお寺に御巡幸されます。 このお寺には洗心寮という引き揚げ孤児の寮がありましたが、戦災孤児や引き揚げ者の境遇を気にかけておられた昭和天皇は、ここを佐賀県での最初の御巡幸先にされました。 各お部屋を回られた陛下は、最後に禅定の間までお越しになられます。この部屋の前で足を停められた陛下は、突然、直立不動の姿勢を取られ、そのまま身じろぎもせずに、ある一点を見つめられます。 それまでは、どのお部屋でも満面の笑みを讃えて、お優しい言葉で子供達に話しかけられていた陛下が、この禅定の間では打って変わって厳しいお顔をなされた。入江侍従長も、田島宮内庁長官も、沖森知事も、県警本部長も、何事があったのかと顔を見合わせます。重苦しい時間が流れる。 ややしばらくして、陛下がこの部屋でお待ち申していた女の子に近づかれました。そして静かなお声で、引き込まれるように「お父さん?お母さん?」とお尋ねになられました。一瞬、侍従長も、宮内庁長官も何事があったのかわからない。陛下の目は一点を見つめています。 そこには、女の子の手には二つの位牌が胸に抱きしめられていたのです。女の子が答えます。「はい、これは父と母の位牌です」。これを聞かれた陛下は、はっきり大きくうなずかれ、「どこで?」とお尋ねになります。 「はい、父は、ソ満国境で名誉の戦死をしました。母は引き揚げ途中で病のために亡くなりました」この子は、よどむことなく答えました。すると陛下は「おひとりで?」とお尋ねになる。父母と別れ、一人で満洲から帰ったのかという意味でしょう。 「いいえ、奉天からコロ島までは日本のおじさん、おばさんと一緒でした。船に乗ったら船のおじさん達が親切にして下さいました。佐世保の引揚援護局には、ここの先生が迎えに来てくださいました」 この子が、そう答えている間、陛下はじっとお頷かれました。そしてこのこの言葉が終ると、陛下は「お淋しい?」と、それは悲しいお顔でお言葉をかけられた。しかし陛下がそうお言葉をかけられた時、この子は口元を引き締め、「いいえ、さびしいことはありません。私は仏の子ですから」 陛下は少し驚いて女のこの目を見つめたが、女の子はひるまずに続けた。「仏の子は、亡くなったお父さんとも、お母さんとも、お浄土に行ったら、きっとまた会うことができるのです。お父さんに会いたいと思う時、お母さんに会いたいと思う時、私は御仏様の前に座ります。そしてそっとお父さんの名前を呼びます。そっとお母さんの名前を呼びます。するとお父さんもお母さんも、私のそばにやって来て、私を抱いてくれます。だから私は淋しいことはありません。私は仏の子供です」 こう申し上げた時、陛下はじっとこの子をご覧になっておいででした。この子も、じっと陛下を見上げています。陛下と子のこの間に、何か特別な時間が流れたような感じがしたそうです。 そして陛下が、この子のいる部屋に足を踏み入れられます。部屋に入れられた陛下は、右の御手に持たれていたお帽子を、左手に持ちかえられ、右手でこの子の頭をそっとお撫でになられました。 そして陛下は、「仏の子はお幸せね。これからも立派に育って下さいね」とお言葉をかけられた。その時、陛下のお目から、ハタハタと大粒の涙が一つ、二つ、おめがねを通して畳の上にこぼれ落ちた。 すると、ふいに女の子は、小さな声で「お父さん」と呼んだ。これを聞いた陛下は、深くお頷きになられた。 その様子を眺めていた周囲の者は、皆、言葉をなくして顔を覆った。東京から随行してきていた新聞記者も、肩をふるわせて泣いていた。 帰路、子供達は陛下を囲み、中には陛下のお洋服の端をしっかり握って離さず「また来てね」と言う子もいた・・・。 皇居にお帰りになられた昭和天皇は、この時のことをこう詠まれました。みほとけの 教へまもりてすくすくと 生い育つべき子らに幸あれこの御製は、今も因通寺の梵鐘に刻まれています。   Blog さくらの花びらさん引用・シェア メルマガ登録はこちらから↓↓↓http://www.mag2.com/m/0001673912.html 南アジア友好協会嶋貫秀樹

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  • 02 Jun
    • Tamiko Hayashida

      素晴らしい記事を目にした。日本人として誇りを感じます。ご一読下さい。↓↓↓熊本県に林田民子という女性がいました。 明治37年生まれの民子は25歳の時に、ピクチャーブライド(アメリカに移民した男性と写真だけでの結婚)でアメリカに渡ります。渡米の船の中で、講道館柔道から派遣された太田節三と出会い、渡航中と渡米後に柔道を習います。 当時は排日運動の激しかったアメリカで日米友好のため必死に働きますが、世界情勢は徐々に日本を開戦に追い込んでいきます。太田節三と林田民子等は世界平和基金財団をつくり、敗色濃厚になった故国日本の今後のために、アメリカ政府に一生懸命働きかけます。やがて、日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏をします。その年の9月2日、ホワイトハウスに招待された林田民子はトルーマン大統領に小さな声で語りかけます。   「大統領閣下、何故広島と長崎に原爆を投下されたのですか?」「20万人を超える若いアメリカ兵の命を救うためです。」「日本は既に無条件降伏を決めていました。何故、20万人ものアメリカ兵が死ぬのでしょうか?」「抗戦派の抵抗も考えられ、これ以上戦争を長引かせては、若いアメリカ兵の命が危ないと判断したからです。」「大統領閣下、貴方は嘘を言われています。マリアナにある戦略爆撃司令部は、ポツダム宣言に対する返事があるまでは原爆の投下はあり得ないと明言していました。」「それは若いアメリカ兵20万人の命を・・・」「大統領、貴方は日本が無条件降伏することを既に知っていた。それなのに、何故、原爆投下を命じたのですか?ヤルタ協定で日本に侵攻することになっていたスターリンへの警告のためだったのでしょう。」「そんなことはない。すべてアメリカ兵20万人の命を守るためだ。」 「大統領、貴方には日本人の命などどうでもよかったのです。原爆投下によって20万人以上の人間が死傷することは、初めからわかっていたのです。貴方が虫けら同然と思っている日本人が20万人死んでも、貴方にはどうということはなかったのです。あなたは人体実験をしたかっただけなのです。スターリンに、アメリカに逆らうとこの原爆がモスクワに落ちるぞと警告をしたかった。ただそれだけのために20万人以上の日本人を犠牲にしたのです。20万人のアメリカ兵の命を守るためなんかではない!大統領、貴方は今世紀最大の悪魔です!」 民子は大統領の胸ぐらに手を伸ばすやいなや、綺麗な背負い投げで投げ飛ばした。叫びとともに音楽が止んだ。慌てて民子を取り押さえようとしたスティムソン陸軍長官も一本背負い で宙を舞った。全員が立ちすくんだ。突然「バン!」と乾いた音がして、民子の胸が赤く染まった。民子は胸に手をやり、音のした方向に視線を向けながら崩れるように床に倒れた。林田民子は一命をとり止め、太田節三とともに収監された。日本人ではあったが、林田民子はサザンパシフィック鉄道の役員であったこともあり、アメリカ独立戦争当時の功労者であるバニング家とのつながりもあり、世界平和基金財団の代表理事でもあることから、強制収容所送りを免れ、OSS(米国戦略事務局)の研究員として終戦後の処理方法の研究に携わった。  Blog「なべちゃん的な考え方…宇宙人」様引用 メルマガ登録はこちらから↓↓↓http://www.mag2.com/m/0001673912.html 南アジア友好協会嶋貫秀樹

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  • 27 May
    • Hiroshima declaration

      G7 2016 Ise Shima Summit 広島宣言  我々は、世界にかつてない恐怖をもたらした第二次世界大戦から71年を経て、我々が広島で会合することの重要性を強調する。広島および長崎の人々は、原子爆弾投下による極めて甚大な壊滅と非人間的な苦難という結末を経験し、そして自らの街をこれほどまでに目覚ましく復興させた。 この歴史的会合において、我々は、国際社会の安定を推進する形で、全ての人にとりより安全な世界を追求し、核兵器のない世界に向けた環境を醸成するとのコミットメント(約束)を再確認する。この任務は、シリアやウクライナ、そしてとりわけ北朝鮮による度重なる挑発行為といった、多くの地域における悪化する安全保障環境によって一層複雑なものとなっている。 我々は、欧州連合(EU)3(英国、フランス、ドイツ)+3(米国、中国、ロシア)とイランとの間の包括的共同行動計画(JCPOA)の合意および継続的な履行を歓迎する。これは、核拡散防止条約(NPT)が国際的な不拡散体制の礎石として強靱(きょうじん)であることを示している。我々は、JCPOAが完全にかつ厳格に履行され、また、そのために国際原子力機関(IAEA)の検証活動が鍵となるとの決意を有している。  我々は、全ての側面において、我々のNPTへの強いコミットメントを強調する。我々は、いまだNPTの締約国となっていない国々に対し、遅滞なくかつ無条件で加入するよう求める。我々は、NPTの3本柱(不拡散、軍縮および原子力の平和的利用)全てにわたり、その規定の完全な履行を強く支持する。我々は、IAEAおよびその保障措置制度の中心的役割を再確認する。  いかなる国も核兵器の実験的爆発を行うべきではなく、核実験全面禁止条約(CTBT)の早期発効を達成すべく、全ての国は遅滞なくかつ無条件でCTBTに署名・批准すべきである。優先事項として、我々は、ジュネーブ軍縮会議に対し、核兵器またはその他の核爆発装置に用いるための核分裂性物質の生産を禁止する条約についての交渉を即時に開始するよう要請する。  長年をかけて、核兵器国の核戦力は大幅に削減された。核兵器のない世界に向けたさらなる進展は、単独であれ、2国間であれ、または多国間であれ、我々が、国際安全保障を向上させつつ、断固とした、現実的な、そして漸進的なアプローチを取ることのみにより達成できる。NPT第6条に従い、我々は、今後も世界規模での継続的な核兵器の削減に関する永続的かつ積極的な支持者であり、全ての国に対してそのような努力をするよう要請する。  我々は、透明性を向上させた主要7カ国(G7)の核兵器国により取られた努力を歓迎する。我々は、他国にも同様の行動を求める。  我々は、全ての国家に対し、核兵器国と非核兵器国との間を含む、全ての国家間での核軍縮・不拡散に関する有意義な対話を促進することができる実践的かつ現実的なイニシアチブに関して我々と協働するよう求める。  国家主体および非国家主体への大量破壊兵器の拡散を阻止するため、機微な品目および技術に関する各国の輸出管理を引き続き強化することは極めて重要である。全ての国は、国連安全保障理事会決議1540号を含む全ての関連の国連安保理決議を完全に履行しなければならない。我々は、全ての国に対し、国際的な輸出管理レジーム(体制)のガイドライン(指針)に整合した形で輸出管理を執行することにより、不拡散という目標に貢献するよう呼びかける。  我々は、2016年核安全保障サミットの最終コミュニケおよびアクション・プランを積極的に実施し、本分野におけるIAEAの中心的役割を支持していく。  我々は、原子力の平和的利用にコミットし、引き続きIAEAと協力し、最高水準の不拡散、原子力安全および核セキュリティーを推進していく。  何十年間にわたって、我々のような政治指導者やその他の訪問者が広島および長崎を訪れ、深く心を揺さぶられてきた。我々は、他の人々が同様に訪問することを希望する。我々は、核兵器は二度と使われてはならないという広島および長崎の人々の心からの強い願いを共にしている。

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    • Barack Obama&Shinzo Abe

      世界の歴史に残った今日。演説の内容の是非はともかく、アメリカ大統領が広島に訪れた事実は歴史の1ページになったことは間違いない出来事だった。 プラハから始まりHiroshimaで幕を引くオバマ大統領。世界中から核兵器がなくなる事を望みたい。  【オバマ大統領の演説(全文)和英】 71年前、明るく雲1つないある朝、空から死が降ってきたのです。そして世界が変わりました。閃光が走り、火の壁がそそり立ち、街を破壊しました。人類が自分たちをも破壊できる力を持っていることを象徴する出来事となりました。なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょう? そう遠くない昔、ひどい破壊力が放たれてしまったことについて黙想するため、そして死者を弔うためです。そのなかには10万人を超える日本人の男性、女性、子供たちが含まれます。何千人もの韓国・朝鮮人、12人のアメリカ人捕虜も含まれます。彼らの魂は我々に語りかけます。心のなかを見つめるように言うのです。我々はいったい何なのか、そして何になり得るのか。戦争が破壊したのは、広島だけではありません。過去の遺物は、昔の人間たちのなかにも暴力的衝突があったことを示しています。我々のはじめの先祖は火打石から刃物を作ることを学び、木からは槍を作るようになりました。そしてそれを狩りのためだけではなく、自分の仲間に対して使うようになってしまったのです。すべての大陸のすべての歴史で、文明は戦争で満ちてきたのです。原因としては、食物不足、富の追求、愛国主義、宗教によるものであったかもしれません。帝国は築き上げられ、そして消滅してきました。人々はそれに服従させられ、そして解放されてきました。その都度、純真さが試されてきました。無数の犠牲者は時が経つうちに忘れられてきました。第二次世界大戦は広島、長崎にて残酷に終焉を迎えました。これらの都市は豊かで力強い国の一部だったのです。日本の文明は世界にすばらしい都市、技術を提供してきました。国民は、公正と調和と真実について、すばらしいアイデアを持っています。しかし戦争は、統治や征服に対する本能より生じ、それはシンプルな民族間でも見られてきました。古代から続くそのパターンは、新たな技術により規制されることなく、むしろ強められてきたのです。 過去何年かの間に6,000万もの人が亡くなりました。男性、女性、子供たち、私たちと同じような人たちが、撃たれ、殴られ、行進させられ、爆撃され、投獄され、飢え死にし、毒ガスで死にました。世界のさまざまな場所で、この戦争についての記録が残されています。勇気や英雄を称える記念碑があります。お墓や無人のキャンプがむなしく言葉にできない残酷さを響かせています。空に上がった原爆のキノコ型の雲のイメージのなかに、我々は人類の本質的な矛盾をはっきりと考えさせられます。あの光のなかに、人類はその考え方、想像力、言語、工具製造、自然から離れて自分の意志の通りにそれを操る能力を見ることができます。そして、その能力こそが不釣り合いな破壊力をもたらすことになったのです。物理的発展と社会的技術革新は、どれほど頻繁にこの真実を歪めてきたでしょうか。高貴な理由のもとに、暴力を正当化するのがどれほど簡単に行われてきたでしょうか。さまざまな素晴らしい宗教は、愛と平和と義への道について約束してきましたが、自分の信仰心が殺人をする正当な理由であるとする信者を制止する宗教はありません。国家は人々を束ね、犠牲を払い、協力することによって、驚くべき功績を生み出すための理由を伝えてきました。しかしその同じ理由が、人々に、自分とは違う人たちを迫害したり、人間らしさを失わせたりしてきたのです。科学は我々が海を越えて交信したり、雲の上を飛んだり、病気を治したり、宇宙を解明したりすることを可能にしました。それと同時に、その同じ発明が非常に効率的な殺人マシーンを生み出すことにもなったのです。現代の戦争は我々にこの真実を伝えます。広島はこの真実を伝えます。道徳的進歩を伴わない技術的進歩は人間を破壊に追い込みます。原子を分裂させるという科学的革命は、道徳的革命も伴わなければならなかったのです。 それゆえ我々は今日ここにいるのです。街の真ん中で立ち、原爆が落ちたときの想像をしているのです。強制的に当時の子供たちが自分の目で見たものに恐れおののいているさまを想像するのです。静まり返った街の音を聞きます。あのひどい戦争、その前、その後に起きた戦争で亡くなったすべての罪なき人たちを思います。そのような苦しみに見合う言葉はありません。しかし、私たちには歴史を違った目で見つめ直し、あのような苦しみを再び引き起こさないようにするという責任があります。いつの日か、証言をしてくれる被爆者が我々のなかからいなくなる日が来るでしょう。しかし、1945年8月6日朝の記憶はけっして消えることはありません。その記憶により我々が自己満足に陥ることを防げるのです。それが我々の道徳的想像力を掻き立ててくれるのです。我々を変えてくれるのです。あの運命的な日から、我々は希望を与える選択をしました。アメリカと日本は同盟を結んだだけでなく、友情を築いてきました。それは戦争によって得られるものではありません。ヨーロッパ各国は戦場の代わりに、交流と民主主義の結合の証である同盟を結びました。迫害されてきた人々や国家は解放運動で勝利しました。1つの国際的コミュニティが組織を構築し、戦争を回避する条例をつくり、核兵器を根絶する目的を持った規制をかける努力をしてきました。しかし、まだ国家間には脅威が存在しています。いまだにテロ、腐敗、残虐行為、抑圧といったものが世界には存在し、それは私たちの仕事がまだ終わっていないことを意味しているのです。人間の悪を完全に排除することはできないかもしれません。国家や同盟には己を防衛する術が必要です。私の国のように核を保有する国家は、恐怖の論理から抜け出し、それが無い世界を追求していくことが必要です。私が生きているうちにそれが実現することはないかもしれません。しかし不屈の努力は破滅を打ち破ることができます。破壊をもたらす核を駆除し、拡散を防ぎ、狂者の手に渡ることを防ぐことは可能です。 しかし、それだけでは十分ではありません。世界にはライフルや爆弾といったあらゆる暴力が存在します。戦争というものの考え方そのものを変えなければいけないのです。外交を通して戦争を回避し、紛争を終わらせる努力をしなければなりません。暴力的競争ではなく、平和的協力が必要です。破壊ではなく創造の能力で国家を定義するのです。その先に、一人ひとりが1つの“人類”という存在として繋がっていることが見えてくるのです。このようなことこそが、人類を独自のものにします。遺伝子情報ではありません。私たち人類は過去の過ちから学ぶことができ、また選ぶことができるのです。子供たちに、違ったストーリーを伝えていくこともできます。それは人類に共通する人間性であり、戦争を減らし、残虐な行為を許容しないとうことです。これは、被爆者の方のストーリーでもあります。ある女性は、飛行機を飛ばして爆弾を落としたパイロットを許しました。なぜなら彼女が憎んでいたのは戦争だということに気づいたからです。家族がここで殺された男性も、失ったものはみな同じだと感じていました。私の国では、ストーリーはこのシンプルな言葉で始まります。「すべての人類は等しく作られた。その創造主によって、人生、自由、幸福の追求という不可侵の権利を与えられている」。アメリカ国内やアメリカ国民にとっても、それを実現させることが簡単ではないことはわかっています。しかし、そのストーリーは信じるに値するものです。求めるべき理想であり、国境を越える理想でもあります。すべての人にとってかけがえのない大切なものであり、自分が人類の一部であると自覚するために必要なことなのです。 それは私たちみんなで語り継がなければならないストーリーです。そのために今日、広島に来たのです。愛する人を想うために。家族とのふれあいや親の愛情と心地よさ。そういったものは、71年前のこの場所にもありました。亡くなった方々は、私たちと変わらない人たちでした。誰にでも理解できることだと思います。私たちは戦争を求めておらず、人生を終わらせるのではなく、発展させていきたいと願っています。国家やリーダーたちの選択が、シンプルな英知を反映した時、広島の教訓がその役目を終えるでしょう。ここ広島で、世界は変わりました。しかし今日、この街の子供たちは平和な世界を生きています。それはなんとも尊いことです。守るべきものであり、すべての子供たちに広げていく必要があります。私たちが選ぶのは、そのような未来です。広島と長崎が、核戦争の始まりではなく、私たちの目覚めの場所だと認知される未来なのです。  Seventy-one years ago on a bright, cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city, and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in the not-so-distant past. We come to mourn the dead, including over a hundred thousand Japanese men, women and children, thousands of Koreans, a dozen Americans held prisoner. Their souls speak to us, they ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first man. Our early ancestors, having learned to make blades from flint, and spears from wood, used these tools not just for hunting, but against their own kind. On every continent, the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain, or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen. Peoples have been subjugated and liberated. And at each juncture, innocents have suffered -- a countless toll, their names forgotten by time.The world war that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities, and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth. And yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes -- an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints. In the span of a few years, some 60 million people would die: men, women, children, no different than us, shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death.There are many sites around the world that chronicle this war, memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps that echo of unspeakable depravity. Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies we are most starkly reminded of humanity's core contradiction -- how the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our tool-making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will -- those very things also give us the capacity for unmatched destruction.How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily we learn to justify violence in the name of some higher cause. Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness. And yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith is a license to kill.Nations arise, telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different.Science allows us to communicate across the seas and fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos. But those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines.The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well.U.S. President Barack Obama and Japanese Prime Minister Shinzo Abe speak with the Atomic Bomb Dome seen at rear at the Hiroshima Peace Memorial Park in Hiroshima on May 27, 2016. (AP Photo/Carolyn Kaster)That is why we come to this place.We stand here, in the middle of this city, and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see. We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow. Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.Someday the voices of the hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of Aug. 6, 1945 must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination. It allows us to change.And since that fateful day, we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people than we could ever claim through war.The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed peoples and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that worked to avoid war, and aspired to restrict, and roll back, and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done.We may not be able to eliminate man's capacity to do evil, so nations and the alliances that we formed must possess the means to defend ourselves. But among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime. But persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles. We can stop the spread to new nations and secure deadly materials from fanatics. And yet that is not enough. For we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale.We must change our mindset about war itself -- to prevent conflict through diplomacy, and strive to end conflicts after they've begun; to see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation, and not violent competition; to define our nations not by our capacity to destroy, but by what we build. And perhaps above all, we must reimagine our connection to one another as members of one human race -- for this, too, is what makes our species unique. We're not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.We see these stories in the hibakusha: the woman who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized that what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.U.S. President Barack Obama greets Shigeaki Mori, second from right, an atomic bomb survivor who created a memorial for American WWII POWs killed at Hiroshima, during a ceremony at Hiroshima Peace Memorial Park in Hiroshima on May 27, 2016. (AP Photo/Shuji Kajiyama)My own nation's story began with simple words: "All men are created equal and endowed by our Creator with certain unalienable rights, including life, liberty, and the pursuit of happiness." Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans.The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family: That is the story that we all must tell.That is why we come to Hiroshima, so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent. We can think of those things and know that those same precious moments took place here, 71 years ago. Those who died, they are like us.Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life, and not eliminating it.When the choices made by nations, when the choices made by leaders reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done.The world was forever changed here. But today, the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting, and then extending to every child.That is the future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.  【安倍内閣総理大臣演説(全文)】 昨年戦後70年の節目にあたり、私は米国を訪問し、米国の上下両院の合同会議において、日本の首相としてスピーチを行った。この戦争によって多くの米国の若者たちの夢が失われ、未来が失われた。その苛烈な歴史に改めて思いをいたし、先の戦争で倒れた米国の全ての人々の魂に、とこしえの哀悼をささげた。そしてこの70年間、和解のために力を尽くしてくれた、日米両国全ての人々に感謝と尊敬の念を表した。  熾烈(しれつ)に戦い合った敵は70年の時を経て、心の紐帯(ちゅうたい)を結ぶ友となり、深い信頼と友情によって結ばれる同盟国となった。そうして生まれた日米同盟は、世界に希望を生み出す同盟でなければならない。私はスピーチでそう訴えた。  あれから1年。今度はオバマ大統領が米国のリーダーとして初めてこの被爆地・広島を訪問してくれた。米国の大統領が被爆の実相に触れ、核兵器のない世界への決意を新たにする。核なき世界を信じてやまない世界中の人々に大きな希望を与えてくれた。広島の人々のみならず、全ての日本国民が待ち望んだ歴史的な訪問を心から歓迎したい。  日米両国の和解、そして、信頼と友情の歴史に新たなページを刻むオバマ大統領の決断と勇気に対して、心から、みなさまと共に敬意を表したい。  さきほど、私とオバマ大統領は、先の大戦において、そして原爆投下によって犠牲となった全ての人々に対し、哀悼の誠をささげた。71年前、広島、そして長崎では、たった1発の原子爆弾によって、何の罪もない、たくさんの市井の人々が、そして子どもたちが無残に犠牲となった。一人ひとりにそれぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、ただただ、断腸の念を禁じ得ない。いまなお、被爆によって大変な苦痛を受けている方々もいる。71年前、まさにこの地にあって、想像を絶するような悲惨な経験をした方々の思い、それは筆舌に尽くしがたいものだ。  様々な思いが去来したであろうその胸の中にあって、ただこのことだけは間違いない。世界中のどこであろうとも、再びこのような悲惨な経験を決して繰り返させてはならない。この痛切な思いをしっかりと受け継いでいくことが、いまを生きる私たちの責任だ。  核兵器のない世界を必ず実現する。その道のりがいかに長く、いかに困難なものであろうとも、たゆまなく努力を積み重ねていくことが、いまを生きる私たちの責任だ。そして、あの忘れ得ぬ日に生まれた子どもたちが、恒久平和を願ってともした、あのともしびに誓って、世界の平和と繁栄に力を尽くす。それが、いまを生きる私たちの責任だ。  必ずやその責任を果たして、日本と米国が力を合わせて、世界の人々に希望を生み出すともしびとなる。この地に立ち、オバマ大統領とともに、改めて固く決意している。そのことが広島、長崎で原子爆弾の犠牲となった、あまたの、み霊の思いに応える唯一の道であると、私はそう確信している。  

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  • 15 May
    • Children's painting exhibition

       中々開催決定を観ずにいた「~Smile for Children~子どもたちの夢クレヨン画展」を本年夏休みに開催させて頂く事に致しました。 財団そのものが新たな形になった上で開催をとの中で開催になります。この夏にミャンマー僻地の子どもたちの想いを皆さんに見て頂く機会をと思っております。 詳細は6月に発表させて頂きます。 ・開催時期7月下旬~8月上旬 ・開催場所大阪展・東京展入場料無料 ・協賛募金活動有・寄付金も募集しております。 尚共催・後援したい法人・団体様及び開催期間中の役員のボランティアを募集させて頂きます。 詳しくは財団へメールにてお気軽にお問い合わせ下さい。追ってご連絡致します。 尚メールタイトルには次のいずれかを記述して下さい。・共催希望・後援希望・ボランティア 〇財団法人南アジア友好協会(SAFA) South Asia Friendship Association info@safa.jp 〇日本国際育成支援機構(JIGSO) Japan International Grow Support Organization  info@jigso.or.jp ※画像はミャンマーマグウェ地方域ミンダゥ村のzazaちゃんのクレヨン画で「村」です。将来は村の人たちの為にお医者さんになりたいと。 <ご注意とお知らせ>※寄付金には特定法人への寄付として所得税・相続税・法人税の税制上の優遇措置を受けられる為現在申請中です。その上で一部の自治体では個人住民税の寄付金控除の対象となります。※領収書発行を希望される場合は、募金のお申し込み後、「団体からの領収書を希望する」ボタンを押し、注意事項に同意の上、領収書をお申込みください。※領収書はソフトバンクモバイルから当協会への入金後発行させていただきます。都度(1回)のご寄付の場合は募金のお申込みから通常約2~3か月後に毎月継続のご寄付の場合はその年1月~12月に当協会が受領したご寄付の領収書を翌年1月にまとめてお送りさせて頂きます。  南アジア友好協会日本国際育成支援機構  

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  • 11 May
    • Tax Haven

      発表されましたね…。正直この体のお話しに個人情報云々ってないんですね…と言うか誰が何のためにこれだけの情報を公開するのか。この公開の裏にキナ臭い匂いがします。公開についてそれぞれの立場の上で賛否両論あるとは思います。私的見解は控えさせて頂きますが…日本系で約200との話です。どう思われますでしょうか。一つには世界中の貧困層の子供たちをどの位の人数が助けられるのでしょうか…。と私見に触れず皆さんに投げかけるだけ投げかけて不完全燃焼のままにします。ご意見や主張がありましたらコメントにお願いします。因みに↓↓でリスト検索できます。https://panamapapers.icij.org/更にビックリしたのがMyanmarでも公開されましたね。。。又5/23発売の下記画像の本「パナマ文書公開とタックス・ヘイブンの陰謀」をご覧ください。私も読みます。

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  • 08 May
    • Myanmar

       「Myanmar」※長文ですが最後迄お読み下さい。 GW最後ですね。みなさまはいかがお過ごしですか? 54年振りに軍事政権から交代し約1ケ月を過ぎ凄いスピードで動いてるとの話を日本国内でも耳に入ります。 現地での情報はどうか?やはり湧いてきているとも。 アジア最後のフロンティアとも言われる同国。 そんな中で日本の位置付けは…。 聞くと彼ら曰く「日本の技術が欲しい。日本企業が考える企画・projectは安心がある。」と答える。 どの国と比較してるのか…ここではオフレコにさせて頂く。 どこか懐かしい感覚があるミャンマーの国…仏教国だからなのかもしれない。 私がミャンマーに関わり子供たちの笑顔の為にとの思いは同国の何とも言えない懐かしさもその一つなのかと思える。 その上で同国の子供たちや農民さんたちの生活向上をしてあげたいとの思い…何故?下記にその一端は記述している。 そのために幾つかのprojectを立ち上げたし現在進行している。 人に言わせると「何が本業なの?」中には裏で「胡散臭い」とさえ言い出す人もいる…。 どうせ言うなら直接言ってきたらいいのに…しっかり説明させて頂くのに(笑) ある作家さんと話した事がある。「胡散臭いにも本物と偽物がある」 本物は本当に物事を成すことが出来る…だからこそ解らない人たちには胡散臭くみえる。 と笑っていました(^_^ヾ「私も胡散臭いからね」とも。 「Team Usankusaiでいいんじゃないですか」とも。 間も無く一つの形・スタイルが出来る。胡散臭くてもここまで出来ることに感謝…特に各分野のプロである士業の皆さんが献身的にお力を貸して下さった事感謝で一杯です。 色んな意味・形・支援でまずはミャンマーにと進めてる。 詳細はある時期になりましたら公表する予定です。 先の大戦の時戦死者約185,000人をも野晒しにせず埋葬してくれた名もないその地の農民さんや終戦後の戦後補償の非要求の上日本への食料支援を援助してくれた等など恩返しも兼ねて様々なprojectを今後も進めて参りたい。 特に思うのは正式な学校法人認可の元で日式「幼稚園」を開園したい。 子供たちの笑顔のために。親日の国民を更に増大するために。 かの国ミャンマーの国民が朝などによく食べてるもの…そしてアジアNo1(世界8位)になった未開のビーチを画像にて紹介させて頂きたい。 ミャンマーに行ってみたいとの方…是非一度訪緬をと思う。 私たちにご連絡頂けたら通常ツアーよりリーズナブルな私たちの出張費の原価で更には通常行かないような所へ又スタッフでもある現地通訳のご手配します。                 南アジア友好協会(SAFA)日本国際育成支援機構(JIGSO)会長兼代表理事 嶋貫秀樹

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  • 06 May
    • Recollection

      「おやじ…田中角栄」 先ほど「おやじ…田中角栄」先生が特集されたテレビ番組が放映されていた。石原慎太郎氏による回想録。 途中の映像によっては込み上げてくるものが。。。以前にも記述した通り私が若い20代の時にお会いしその後気にかけて下さった先生。 大変失礼で烏滸がましい事ではありますがまさに「親父」的存在の先生であった。 当時角栄先生と親交のあった三浦会長(仕事師)と共に先生からも「一番機」と呼んで頂いてた時も…今は懐かしい思い出。 日中国交回復…先生が総理の時。時の中国の首相は「周恩来」氏。 「周恩来」首相は日本との国交回復をすべく日々思案していたと伺う。そんな折周恩来首相がある日本の民間の人に注目し中国に招待をした…その人が「池田大作」氏であった。 池田大作氏の訪中が日中国交回復の原点とも言わていれる。 日本人は知らない史実。しかし中国の知識人は知っている…不思議な現象。 私がこの事実を知ったのは大阪・松原市に本社を持つ「かおりちゃんのお茶・宇治森徳」の重田会長からでした。 重田会長は創価学会員ではない。では何故…重田会長は将来の日本経済の発展には中国との経済関係が大事と当時国交のなかった中国へ。香港より橋を越え徒歩にて一路中国へ渡った。 その時ふっと斜め前を見ると日本人が同じく歩いていたと。どなたか解らないが凛々しく堂々としていたと述懐。 滞在中ホテルの自室で現地の新聞を見ると一緒に橋を渡った人が一面に周恩来首相と握手している姿が掲載されていた。 何が書かれているかはわからないけど家宝になるかもと思いその新聞を持ち帰ってきたそうです(今もお持ちで家宝になったとお話しされていました) 帰国し確認するとその写真の人は「池田大作」氏。 その後に公明党議員団が訪中し外務省・次官級が訪中を繰り返し日中国交がなされた…「田中角栄」総理の時であった。 宇治森徳の重田会長は「すごい時に訪中した」と懐かしそうに教えて下さった。 勿論国交回復には他にも色々あるとは思う。ここでその是非は別としたい。 昭和…凄い人たちが作り上げた国の日本。片や国歌・国旗の掲揚を拒否する人たちもいる。私は思う…いやなら日本から出ていったらいいとさえ思う。どこの国の国民にそんな人がいるだろうか。戦乱の国情で国を捨てた人でも国旗や国歌への思いいれはある。話しの論点がずれてしまうのでこのことは後日ブログに投稿したいと思う。 いずれにしましても改めて「おやじ…田中角栄」先生に感謝とご冥福をお祈りしたいと思います。※画像は弊社にある角栄先生の絵皿・角栄先生と周恩来総理・石原慎太郎氏の著作・周恩来総理と池田大作氏・創価大学にある周桜。        

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  • 28 Apr
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      飯炊き仙人…飯を炊いて51年。ゲコ亭いよいよその人生に幕を降ろす。5/2を持って閉店。寂しくなる…お店に通って約35年。今度は中国に渡りいい米を探し向こうで飯を炊く事になった。中国政府系機関と3年契約で日本の飯炊き仙人が向こうに渡る。過日中国への出発式…何故か私まで朝日新聞・ABC放送・MBS放送・テレビ大阪の取材を受けていました。親父が中国にいる間向こうで会う約束…と言うのも仕事で北京に行くことが出てきたので。いずれにしてもゲコ亭がなくなる事に寂しさを感じる。閉店後はまいどおおきに「少林寺食堂」になるとの事です。ゲコ亭が閉店になるからではありませんが…今月末を持ってFacebookのお友達を整理させて頂きます。4/24で財団法人も3年目に入り最初の一つ目の段階に入り新たなステージに入ります。その意味でお友達も整理させて頂きます。全ての記事にとはいいませんが読んで頂いてるなら「いいね」を若しくは財団法人のページ自体に「いいね」をお願いします。過去に一度も「いいね」がないような方々含め整理する予定です。この末までに「いいね」の意思表示をして下さった方は整理対象とはいたしませんのでご理解宜しくお願い致します。南アジア友好協会日本国際育成支援機構株式会社SPMジャパン株式会社SPMコーポレーション嶋貫秀樹

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  • 20 Apr
    • Acceptance of donations

      「義援金の受付」 熊本地震に際し募金・支援は?とのお問い合わせを頂きます。 何が出来るのだろうと考えてた時先の問合せ連絡を多々お受け致しました。国内では沢山の団体や地方自治体が行っておりますので…私たちが特別に受付をしなくても皆さんの善意は直接お届け出来るのではと。中には海外の方々はどうしたらいい?とのメッセージも。そんな皆さまの善意に対して今回下記口座にて義援金の受付をさせて頂きます。どうか宜しくお願い致します。 ★日本国内からのお振込み・三菱東京UFJ銀行 中もず支店普通口座 No.0,238,655一般財団法人南アジア友好協会ザイ)ミナミアジアユウコウキョウカイ ・三井住友銀行 船場支店普通口座 No.2,546,840一般財団法人南アジア友好協会ザイ)ミナミアジアユウコウキョウカイ  ★海外からのお振込みBANK NAME: Mitsubishi Tokyo UFJ Co.,LtdBRANCH NAME: Nakamozu Branch (No.456)ACCOUNT TYPE: Foreign currency depositsACCOUNT NO: USD 456  4,82,1,038ACCOUNT NAME: Zai)Minami Ajia Yuukou kyoukaiドルでのお振込みになります。 皆さまのお心をお届けさせて頂きます。 ※ご注意・「寄付金」とは・・被災者支援活動をする団体(主にNPOや自治体)へのお金。このお金は公共道路や湾岸の復旧支援事業のために使用されることが多い。・「義援金」とは・・被災者に直接渡されるお金。しかし、平等に渡すために事故からしばらく経ってから配布される。・「支援金」とは・・被災地で活動を行う団体や機関(NPO・NGO)に対してのお金。 "Acceptance of donations."The fund-raising and support upon Kumamoto earthquake? We will contact us with.What we receive many queries contact Tokisaki was thinking and probably can.So we do a lot of organizations and local governments in the country ... everyone of good faith even without us accept specially had thought than can be delivered directly.How can I people overseas in? Also the message of the.We will carry out the acceptance of donations at this time the following account to the good faith of such people.Whether thank you. ★ transfer money from abroadBANK NAME: Mitsubishi Tokyo UFJ Co., LtdBRANCH NAME: Nakamozu Branch (No.456)ACCOUNT TYPE: Foreign currency depositsACCOUNT NO: USD 456 No.4,82,1,038ACCOUNT NAME: Zai) Minami Asia Yuukou kyoukaiIt will transfer in your dollar. We will deliver your mind of everyone.Best regards, 

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  • 17 Apr
    • big earthquake

      九州熊本地震 14日21:26に発生した最大震度7から始まった地震。お亡くなりになられた方、ご家族様謹んでお悔やみ申し上げます。また被災された皆さま・FB及びBlogのお友達の皆さまお見舞い申し上げます。東北の復興もまだ進んでない中の地震に心が痛みます。九州・熊本地方皆さん…どうかまだ強い揺れがあるようですのでお気をつけください。一日も早い復興をお祈りしております。   本震が最大震度7…果たして本震なんでしょうか。 先日NHKで放映された特集…なぜこのタイミングだったのか。 今日知人や研究者からの連絡。日向灘が大変危険な状態に入ってるとの話。 その方々のサイトに様々なデータや見解が載ってました…が数人の方の本質に触れたものが消されてるようです。 疑問が残る。ただ言えるのは今何処で何が起こるか解らない状態。     一説によると最大震度7-9、M8-10の地震の可能性もあると言われています。私は思う。   阿蘇山の噴火、日向灘、高知海盆が暴れたら…南海・東南海も現実味を帯びてきてると。過去から学ぶ事も。1596年…1日、4日、5日と全国で順番に発生している。  決して煽る訳ではありません…でも備えあれば憂いなしです。 更に…テレビで見ていて腹立たしい事が。 阪神淡路大震災の時を思い出す。当時発生数時間後に支援物資を積みバイクに跨り被災地に向け走り出した。被災地に入った時声をかけても聞こえない。 空を見ると沢山のヘリが。報道関係者のヘリ。 ヘリの音で声がかき消されてしまう。確かに情報として必要かも知れない。 であれば政府主導で規制をかけるべきでは。 今被災地で助けを必要としている人たちがいる。こうした報道関係者のヘリにより助かる命も助からない事がある。ドクターヘリや自衛隊、消防庁、警察のヘリからの情報ではダメなのか疑問が残る。  今も待ってる方々の救出を急ぎ進む事をただただ祈りたい。   

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  • 02 Apr
    • Restoring relations

       先ほど「おやじ…田中角栄」先生が特集されたテレビ番組が放映されていた。石原慎太郎氏による回想録。途中映像によっては込み上げてくるものが。。。 以前にも記述した通り私が若い20代の時にお会いしその後気にかけて下さった先生。大変失礼で烏滸がましい事ではありますがまさに「親父」的存在の先生であった。 当時ある仕事のプロとその名も高き会長(仕事師)と共に先生からも「一番機」と呼んで頂いてた時も…今は懐かしい思い出。 日中国交回復…先生が総理の時。時の中国の首相は「周恩来」氏 「周恩来」首相は日本との国交回復をすべく日々思案していたと伺う。そんな折首相が民間人に注目。その民間人を中国に招待をした…その人が「池田大作」氏であった。この池田大作氏の訪中が日中国交回復の原点とも言わていれる。 日本人は知らない史実とも言える。しかし中国の人は知っている…不思議な現象。 私がこの事実を知ったのは大阪・松原市に本社を持つお茶の「かおりちゃんのお茶・宇治森徳」の会長からでした。 会長は創価学会員ではないとの事。では何故…会長は将来の日本経済の発展には中国との経済関係が大事と当時国交のなかった中国へ香港より徒歩にて一路中国へ渡った。 その時ふっと斜め前を見ると日本人が同じく歩いていたと。どなたか解らないが凛々しく堂々と歩いていたと述懐。 滞在中ホテルの自室で現地の新聞を見ると一緒に橋を渡った人が一面に周恩来首相と握手している写真が。 何が書かれているかはわからないけど将来の家宝になるかもと思い持ち帰ってきたそうです(今もお持ちで家宝になったとお話しされていました) 帰国し確認するとその写真の人は「池田大作」氏だったと。その後公明党議員団が訪中し外務省・次官級が訪中を繰り返し日中国交がなされたとの事…「田中角栄」総理の時であった。 宇治森徳の会長は「すごい時に訪中した」と懐かしそうに教えて下さった。 国交回復には勿論他にも色々とあるとは思う。 昭和…凄い人たちが作り上げた国日本。国歌・国旗の掲揚を拒否する人たちも出てきている。いやなら日本から出ていったらいいとさえ思う。 どの国の国民にそんな人がいるだろうか。戦乱の国情で国を捨てた人でも国旗や国歌への思いいれはある。話しの論点がずれてしまうのでこのことは後日ブログに投稿したいと思う。 いずれにしましても改めて「おやじ…田中角栄」先生に感謝とご冥福をお祈りしたいと思います。※画像は角栄先生の絵皿・石原慎太郎氏の著作・角栄先生と周恩来総理・周恩来総理と池田大作氏・創価大学にある周桜。            

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