納涼夜話【兵舎に囲まれて暮らしてた】 | すぴりちゅある屋のブログ

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今回も現実の話で。軍事寄りの話。
それも些末を掘り起こした話になります。

語るこれの受け止め方は、人それぞれになると思う。
どう思われるかは読者諸兄に任せる。

数年前までは八重山諸島の石垣島、白保部落に住んでいた(沖縄では「部落」は差別にあたらず、敢えて土着の言葉として使わせてもらう)

引っ越ししてきて、当初は漠然と
「陸軍白保飛行場があった」としか知らなかった。

住み間もなくしてから知った事だが。
家のの向かい側と隣は陸軍兵舎があった所だった。

それも、誠17隊の特攻隊隊員たちが最後の時を過ごすためにあてがわれたものだったとの事。
(隊長、伊舎堂用久大尉も近くに滞在していた)



それが下記地図である。
赤い点が私の家。手書きの四角も兵舎であったとの事。





白保部落は隠れた「特攻隊の街」だったわけだ。
知覧の特攻作戦よりもこちらが先なので、これは伝え広めたい。
(昭和20年3月26日早朝05:00)

もう1つ。
この誠17隊を護衛していたのは、東京の調布飛行場244戦隊から分離派遣された 独立飛行第23中隊の操縦士達操る、飛燕戦闘機が参加している。
これは今住んでいる東京三鷹市の近所である。


九九式襲撃機(誠17隊が特攻に使用した)


三式戦闘機飛燕(特攻機を護衛した)

別段狙い済ました訳でもないのに。
特攻隊縁の私にとって、これには非常に深いご縁を感じている。

他にもこんなのも見つけた。


…それにしても。

陸軍のご縁ばかりが多く。
海軍とのは全くない。

これについて、そろそろ感づいてきている。
また、受け入れなければならない事実もある。
いつか吐露しようと思う。