”反・グローバリズムの結集を(前編)” | ソウルメイトの思想

ソウルメイトの思想

唯物論に対する懐疑と唯物論がもたらす虚無的な人間観、生命観を批判します。また、唯物論に根ざした物質主義的思想である新自由主義やグローバリズムに批判を加えます。人間として生を享桁異の意味、生きることの意味を歴史や政治・経済、思想・哲学、など広範二論じます。

 フランスでは燃料税増税に反対する国民が大規模なデモを行って新自由主義者であるマクロン大統領を糾弾しているようです。

 新自由主義者であるマクロン大統領がやろうとしていることというのは、実は、同じく新自由主義者であるわが日本国の総理大臣である安倍晋三さんがやってきたこと、やろうとしていることとほぼ同じことであることを、評論家の三橋貴明さんが簡潔に説明しておられます。
     


 労働法を改悪して労働者の非正規雇用化を促進したり、あるいは、労働者の保護規定を緩和したり、外国人労働者を実習生の名目で大量に入国させて、しかし、労働基準法の適用から外す、なんてことは、要するに雇用主である企業やその所有者である資本家に多大な利益をもたらすために行われたわけですね。

 大量の外国人労働者を入国させて、低賃金労働をさせるいっぽうで、国保や健保への安易な加入を許し、失業した外国人労働者に生活保護の受給を認めれば、他方で緊縮財政政策によって社会保障費を削減している以上、国民皆保険制度は早晩、崩壊せざるをえなくなるでしょうし、生活保護制度も財政的に維持できなくなるでしょう。それを日本の製薬会社や保険会社は、利益獲得のチャンスとみなすでしょうし、日本だけでなく外資が黙って見ているわけもないでしょう。日本国民の命と健康が企業や資本家の利益のために差し出されたわけですね。
 
 農地法を改悪して企業に農業への参入を許すとか、漁業権を企業にも開放する、あるいは、水道事業を民営化して企業の参入を許す、とかいうのは、国民の生存にとって不可欠な食料や水を企業や富裕層の金儲けのタネにしていいということですから、いずれ遠からず食料や水を買うことができなくなって、犯罪に走ったり、餓死する人が続出することは必至と見ていいでしょう。

 かつてフランス人は、食料の価格が高騰して、パンが買えなくなった人たちが蜂起してブルボン王朝はすっ飛んでしまいました。フランス人には、国民の必要や要望に無関心な統治者なら、蜂起してすっ飛ばしてしまうようなガッツがあったし、今もあるだろうと思います。

 昔の日本人だって、江戸時代の頃から主食である米が高騰して買えなくなれば、各地で民が蜂起して米屋や両替商なんかを襲撃しましたし、そうなれば、為政者も力づくで押さえつけるばかりでなく、民の不平や不満を解消しようと努力したわけです。

 統治階級に属する者の中からさえ、大阪町奉行所の与力であった大塩平八郎は困窮する民を救おうともしない幕府に武装蜂起して抗議しましたから、日本人もまんざら捨てたものではないと思います。

 しかるに、現代の日本人は、昔の日本人に比べて、まことにおとなしいもんですな。水や食料が買えなくなる、ということすら想像しようともせず、国民の生存を守るという使命を放棄した政府を大多数の国民は糾弾しようともしないんですからね。そんな人間の集団が果たして、持続可能なのか?はなはだ心もとないと言わざるを得ないでしょう。

 水道民営化に失敗して、再び公営化に戻す例は少なくないそうです。しかし、安倍政権のもとで加盟し、発効を待つばかりのTPPにはラチェット条項というのが埋め込まれていて、ひとたび企業に有利な規制の緩和をしたら、もう元には戻せないことになっていて、TPP発効後は、いくら民間企業が水道事業で失敗しても、もはや公営化に戻すことができません。

 現代日本における稀代の論客であられる中野剛志さんは、京都大学で行われた「グローバル資本主義を超えて」と題するシンポジウムの冒頭、「没落について」と題して、「日本の没落は、もはや何をどうしようが止めることはできない」と述べて、一切の気休めや楽観論を厳しく拒んでおられます。ネットでも配信されているのでぜひ視聴されることをお勧めします。

 安倍政権がこれまでやってきたことを一枚の紙にならべて書いてそれを眺めたら、中野剛志さんがなぜ、一切の気休めや楽観論を厳しく拒んで日本の没落は必至だと述べたのか、その理由が理解できると思います。

 中野さんは、滅びへと定められた道をなぜ人は引き返すことができないのか?というと、失敗を認めてやり直すには、莫大なコストを支払わなくてはならず、そのコストがあまりにも莫大であるがゆえに、滅びるとわかっていても引き返すことが困難だからだ、と語っておられます。

 ただし、人間のやることに絶対はありません。棚ぼたのような奇跡的な幸運は期待するべきではないと思いますが、中野さんの洞察を言い換えれば、いかに莫大なコストであろうと、それを支払う覚悟さえあれば滅びるとわかっている道から引き返すことはかならずしも不可能ではない、ということになるだろうと思います。

 もっともそれには、小賢しい損得勘定を超越して、なんとしてでも没落は回避する、という断固たる決意と高貴な蛮勇とを必要とするだろうとは思いますが。それが現代日本人にできるのか?ということが問われているんだろうと思います。