ソウルメイトの思想

唯物論に対する懐疑と唯物論がもたらす虚無的な人間観、生命観を批判します。また、唯物論に根ざした物質主義的思想である新自由主義やグローバリズムに批判を加えます。人間として生を享桁異の意味、生きることの意味を歴史や政治・経済、思想・哲学、など広範二論じます。


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 矢部宏治さんがお書きになられた「知ってはいけない  隠された日本支配の構造」という著作から占領統治下にあった日本に、戦力不保持、交戦権の否認という憲法を与えて(押し付けて)おきながら、陰では(国民の知らないところで)、日本の再軍備を促し、再建された「日本軍(=自衛隊)」を米軍の指揮下において、米軍が好きなように使えるようにしてきたことを見てきましたが、今回は、本来、アメリカがイギリスとともに作った国連憲章で禁じられている独立国に対する軍事占領と駐留、および独立国であるはずの国の軍隊を自国の指揮下に置く、という国際法上の違法状態がどのようにしてもたらされたのかについての経緯と法的トリックを前掲の同書の記述の中から見ていこうと思います。矢部さんは以下のように書いておられます。

《戦後、日米のあいだで結ばれた無数の軍事的な取り決めの、大きな全体像が見えてきました。その重要な手がかりとなったのが、朝鮮戦争のさなかにつくられた、米軍が自分で書いた旧安保条約の原案だったのです(一九五○年十月二十七日案)。

 この原案の中にあった指揮権に関する条文については、すでにお話ししました。
 では、基地権については、そこでどのように書かれていたのでしょう。
「第二条 軍事行動権(ライト・オブ・マヌーヴァー)」と題されたその条文を見てみると、次のようにそこには日米安保の本質が、やはり明快に表現されていたのです(以下、同2条から要点を抜粋。〔〕内は著者の解説。http://history.state.gov/historicaldocuments/frus1950v06/pg_1337)。

 「米軍原案」の基地権条項

○日本全土が防衛上の軍事行動のための潜在的地域(ポテンシャル・エリア)とみなされる。
〔これがいわゆる「全土基地方式」のもとになった条文です。米軍が日本国内で、どこに基地を置こうと、どんな軍事行動をしようと、日本側は拒否できないということです〕

○米軍司令官は必要があれば、日本政府へ通告したあと、軍の戦略的配備を行う無制限の権限(アンリストリクテッド・オーソリティ)を持つ。
〔他国(日本)への軍の配備について「無制限の権利を持つ」とは、スゴい表現です。この条文とその前の「全土基地方式」の条文が「アメリカは、米軍を日本国内およびその周辺に配備する権利を持つ」という旧安保条約・第1条のもとになっています〕

○軍の配備における根本的で重大な変更は、日本政府との協議なしには行わないが、戦争の危険がある場合はその例外とする。
〔核兵器の配備など「重大な変更」については、米軍は日本政府との「協議(コンサルテーション)なしには行わない」と書かれています。しかしこの表現は「合意(アグリーメント)なしには行わない」とは違って、日本の意向だけでは拒否できないという意味でもあるのです。さらに戦争の危険があるときは、核の地上配備だろうとなんだろうと、日本側と協議などまったくしないという方針が、はっきりと書かれています。
 これが日米安保の本質です。そしてその本質を国民の目から隠すために、これまで多くの日本の首相たちが、アメリカとの「核密約」や「事前協議密約」を結び続けてきたのです〕

○平時において米軍は、日本政府へ通告したあと、日本の国土と沿岸部で軍事演習を行う権利を持つ。
〔戦争の危険性がまったくないときでも、米軍は日本政府に一方的に「通告(ノーティス)」すれば、日本全土とその沿岸部で自由に軍事演習を行うことができるということです。「協議」をする必要もない。この条文こそが、まさに二○二○年以降、日本全土で始まろうとしている危険なオスプレイによる低空飛行訓練の正体なのです〕


日本の戦後を貫く方程式

 このように、米軍が書いたこの旧安保条約の原案には、指揮権についても基地権についても、非常にリアルな日米安保の本質が記されています。
 そしてこの「米軍原案」と、第五章でお話しした「密約の方程式」を組み合わせれば、その後七十年近くのあいだに日米間で起きた無数の軍事上の出来事を、すべてひとつの大きな流れのなかに位置づけることができるのです。
 思い出していただきたいのですが、戦後の日米間の軍事上の取り決めを貫く基本法則は次のとおりでした。

「古くて都合の悪い取り決め」=「新しくて見かけのよい取り決め」+「密約」

 そして一九五○年十月の「米軍原案」が、その後わずかな訂正だけで正式な日米交渉の場に提出されたという事実を考えあわせると、戦後、日米間で結ばれたすべての条約、協定、密約を、具体的な条文レベルで次のように整理することができるのです。

「米軍自身が書いた旧安保条約の原案」=「戦後の正式な条約や協定」+「密約」

 この式にあてはめてみると、これまで不思議でしかたがなかった、ほとんどの謎がスッキリ解けてしまいます。軍事面からみた「戦後日本」の歴史とは、つまり米軍が朝鮮戦争のさなかに書いたこの安保条約の原案が、多くの密約によって少しずつ実現されていく、長い一本のプロセスだったということができるでしょう。
 そのもっとも典型的な例が、二○一五年に大問題となった安保関連法でした。前章で述べたとおり、この一九五○年十月の「米軍原案」に書かれていた海外派兵についての条文が、なんと六十五年もの時を経て、ついにあのとき、オモテの国内法として成立してしまったわけです。
 もちろん、歴代の首相や大臣、官僚のなかには、この大きな流れに抵抗しようとした人もいれば、積極的に推し進めることで個人的な利益を得ようとした人もいたでしょう。
 しかしその無数の人間ドラマもまた、軍事面から見れば、この米軍原案が長い時間をかけて少しずつ実現していくプロセスの一コマでしかなかった。それが日本の戦後史だったということです。

 悲しい現実ですが、事実はきちんと見たほうがいい。事実を知り、その全体像を解明するところからしか、事態を打開する方策は生まれてこないからです。反対運動でその違法なプロセスの進行を遅らせているあいだに、その法的な構造を体系的に解明し、根本的な解決策を考えださなければならないのです。

 じつは安保条約での集団的自衛権を拒否し続けていたアメリカ

 たとえば二○一五年の安保関連法案の国会審議のとき、大きな焦点となった集団的自衛権の問題があります。あのとき国会前のデモでは、若い学生のみなさんが中心となって「憲法まもれ」「安倍はやめろ」
 といったコールを連日繰り返していました。私も何度か行って声を張り上げましたが、
「集団的自衛権はいらない」
 というコールだけは、一緒に言えませんでした。

 なぜなら一九五一年一月から始まった日米交渉のなかで、旧安保条約をなんとか国連憲章の集団的自衛権にもとづく条約にしようと、必死で交渉していたのは日本側のほうで、それを一貫して拒否しつづけていたのがアメリカ側だったことを、私はよく知っていたからです。
 そしてその両者の関係は、のちの安保改定においても、基本的に変わることはありませんでした。

 NATOと「日米同盟」の違い

 いったいそれは、どういうことなのか。
 事実、かつてアメリカが集団的自衛権にもとづく安保条約を結んだのは、彼らにとって死活的に重要な意味をもつ中南米(米州機構)とヨーロッパ(NATO)の、しかも多国間の条約に限られていて、それ以外の「相互防衛条約」は、基本的にすべて個別的自衛権にもとづいて協力しあう関係でしかありません。

「そんな話、はじめて聞いたぞ」という方もいらっしゃるかもしれませんが、アメリカが各国と結んでいる条約の条文を見れば、それは疑いようのない事実なのです。

 たとえばNATOの条文(北大西洋条約)には、ある加盟国が攻撃を受けた場合、それを全加盟国に対する攻撃と認識して、
「個別的または集団的自衛権を行使し、兵力の使用を含んだ必要な行動をただちにとる」
 と書かれています。(第五条)。これが「集団的自衛権」にもとづく相互防衛条約です。

 一方、日本の新安保条約(第五条)などアジア地域の条約には、特定地域(たとえば太平洋地域など)内での加盟国への攻撃が、
「自国(アメリカ)の安全を危うくするものであることを認め」
「自国(アメリカ)の憲法の規定と手続きにしたがって、共通の危険に対処する」
 としか書かれておらず、必ず相手国を守るために戦うとは約束されていません。それがあくまで「個別的自衛権にもとづいて協力しあう関係」でしかないことは、明らかなのです。

 安保改定交渉の真っ最中だった一九五九年六月に、本国の国務省からマッカーサー大使に送られた電報には、この「自国の憲法の規定と手続きにしたがって」という表現について、「〔われわれ国務省が〕長期にわたる慎重な研究の結果、到達したものだ」と書かれています。つまり「相互防衛条約」とはいいながら、相手国への最終的な防衛義務は負わない条文を、意図的に考えだしたということなのでしょう。

 日米関係の「本当の関係」とは?

 安保関連法案を強引に可決させた安倍総理は、おそらく日本が集団的自衛権を行使できるようになれば、アメリカと「どんな攻撃に対しても、たがいに血を流して守りあう」対等な関係になれるという幻想を抱いているのでしょう。

 しかし、それは誤解なのです。アジアの国との二国間条約である日米安保条約が、集団的自衛権にもとづく対等な相互防衛条約となることは、今後も絶対にありえないのです。
 事実、指揮権密約をみてもわかるとおり、現在の日米の軍事的な関係では、日本側が軍事力を増強したり、憲法解釈を変えて海外へ派兵できるようになればなるほど、米軍司令官のもとで従属的に使われてしまうことは確実です。

 つまり集団的自衛権というのは、現在の日米安保条約とは基本的に関係のない概念なのです。ところが、それにもかかわらず、なぜかアメリカの軍部からの強い働きかけによって、二○一五年九月、その行使のための国内法が強行採決されてしまいました。

 それではこの日米両国の「本当の関係」とは、いったい何なのでしょう。このあまりに不平等な関係が、どういう国際法のロジックによって正当化されているのでしょう。

 その疑問を晴らすために、先ほど見た一九五○年十月の旧安保条約・米軍原案から、さらにもうひとつ前の段階の「条文」にさかのぼって調べてみることにしました。
 すると驚いたことに、そこですべての謎が解けてしまうことになったのです。 

 「日本全土を米軍の潜在的基地にする」

 以下が米軍原案の四カ月前(一九五○年六月)に書かれた、その問題の「条文」です。まず読んでみてください。

○日本全土が、米軍の防衛作戦のための潜在的基地(ポテンシャル・ベース)とみなされなければならない。
○米軍司令官は、日本全土で軍の配備を行っための無制限の自由をもつ。
○日本人の国民感情に悪影響を与えないよう、米軍の配備における重大な変更は、米軍司令官と日本の首相との協議なしには行わないという条項を設ける。
しかし、戦争の危険がある場合はその例外とする。

「なんだこれは。さっきの米軍原案と、ほとんど一緒じゃないか」
 と思われたかもしれません。
 そのとおりです。
 しかしこの「条文」の重要性は、その内容ではないのです。
 問題はこれを書いた人物が、そのわずか四年前に憲法9条をつくり、その後も、
「日本の本土には絶対、米軍基地は置かない」
 と言い続けていたマッカーサーだったということです。
 そのマッカーサーが、なんと
「日本全土を米軍の潜在的基地にする」
 というような、頭がおかしくなってしまったかのような「条文」を、突如として書いていた。しかも彼がこの「条文」を書いたのは、一九五○年六月二十三日。朝鮮戦争が起こるわずか二日前だったというのです。 
 
 このあまりに不可解な「6・23メモ」と呼ばれる報告書の背景を調べることで、結果として日本の「戦後史の謎」における最後のピースが見つかり、私が二○一○年以降続けてきた「大きな謎を解く旅」も、ようやく終わりを告げることになったのです。(「6・23メモ」第二項参照。http://history.state.gov/historicaldocuments/frus1950v06/pg_1227)。

 どんな国にも、その国の未来を決めた重大な瞬間というものがあります。
「戦後日本」の場合、それは間違いなく、朝鮮戦争が起こった一九五○年六月だったといえるでしょう。開戦日(六月二十五日)を挟んだほんの数日のあいだに、日本のあるべき未来の姿は、大きく転換することになったのです。
 ここで当時の状況を少しだけ振り返っておきましょう。
 第二次大戦での敗戦から、日本の占領はすでに五年近く続いており、占領軍を指揮するマッカーサーとアメリカ国務省は、できるだけ早く占領を終わらせたいと考えていました。そのままズルズル占領を続けてしまうと、アメリカ自身が定めた「領土不拡大」の原則に違反していると批判されるおそれがあったからです。
 一方、アメリカの軍部は、日本の占領終結には絶対反対の立場をとっていました。
 というのも、その前年の一九四九年十月に誕生した共産主義の中国(中華人民共和国)が、この年の二月に同じ共産主義国であるソ連と手を結び、日本とそこに駐留するアメリカを仮想敵国と位置づけた軍事同盟(「中ソ友好同盟相互援助条約」)を成立させていたからです。
 憲法9条で日本に戦力放棄をさせていたマッカーサーも、流石に以前のように、
「沖縄に強力な空軍をおいておけば、アジア沿岸の敵軍は確実に破壊できる」
「だから日本の本土に軍事力は必要ない」〔=憲法9条2項は間違っていない〕
 などと言える状況ではなくなっていました。そして「平和条約を結んだあとも、米軍は日本への駐留を続ける」という軍部の提案にも理解を示し始めていたのですが、その大きな方針転換をどのようなロジックで行えばいいか、考えあぐねていたのです。

 そんな状況のなかで、突如、朝鮮戦争が起こってしまった。
 ふつうに考えたら、日本を独立させることなど、もう絶対に不可能なわけです、そんなことを軍部が許すはずがありません。 
 ところがそのとき、持ち前の豪腕で事態を急転させたのが、日米安保体制の産みの親となるジョン・フォスター・ダレスでした。
 わずか2ヶ月前に国務省の顧問に就任したばかりで、朝鮮戦争の開戦時にちょうど日本を訪問中だったダレスは、この朝鮮戦争を逆手にとって軍部に日本の独立を認めさせるという荒業を、みごとに成功させるのです。
 そのとき軍部の説得のための有力な材料として使われたのが、先ほど紹介したマッカーサーの「6・23メモ」でした。

 「中国とソ連が加担したこの大戦争に勝利するには、隣国である日本の戦争協力がどうしても必要です。日本の独立に賛成してもらえれば、必ずそのひきかえとして、日本に全面的な戦争協力を約束させます。このメモを見てください。以前は日本の独立後の米軍駐留に反対されていたマッカーサー元帥も、現在は日本全土を基地として使い続けるという構想を持っておられます」

 というのが、ダレスのロジックだったのです。
 このダレスの粘り強い説得工作が成功した結果、軍部もようやく納得し、朝鮮戦争の開戦から二カ月半後の一九五○年九月八日には、

○アメリカは日本のどこにでも、必要な期間、必要なだけの軍隊をおく権利を獲得する。

○軍事上の問題については平和条約から切り離した別の二カ国協定〔のちの旧安保条約〕をつくり、その原案は国務省と国防省が共同で作成する〔つまり、軍部が中心となって作成する〕。
 
 といった基本方針を条件に、対日平和条約の交渉の開始が、トルーマン大統領によって承認されることになったのです。……………

 アメリカの公文書を読んでいていつも感じるのは、「戦後世界の歴史は、法的支配の歴史である」
 ということです。
 とにかくアメリカでは国務省の官僚だけでなく、大統領から将軍たちまでがつねに「法的正統性」についての議論をしています。もちろんそれは「法的公平性」と意味ではなく、国際法の名のもとに、相手国にどこまで自分たちに都合のいい取り決めや政策を強要できるか、またそれがどれだけ国際社会の反発を招く可能性があるかということを、常に議論しながら政策を決めているということです。

 他国の人間を二十四時間、銃を突き付けて支配することはできない。けれども「国際法→条約→国内法」という法体系でしばっておけば、自分たちは何もしなくても、その国の警察や検察が、都合の悪い人間を勝手に逮捕してくれるので、アメリカはコストゼロで他国を支配できる。戦後世界においては、軍事力ではなく、国際法こそが最大の武器だというわけです。

 日本占領において「青い目の将軍」とよばれたマッカーサーもまた、その権力の源泉は軍事力ではなく、ポツダム宣言にありました。日本が降伏にあたって受け入れたこの13ヶ条の宣言を法的根拠として、彼は日々、あらゆる命令を出していたのです。
 しかしそのポツダム宣言には、占領の目的が達成されたら「占領軍はただちに撤退する」と明確に書かれているわけです。(第12項)。これは大西洋憲章以来の「領土不拡大」という大原則にもとづく条項なので、マッカーサーといえども、それを根拠なく撤回することはできません。

 一方、アメリカの軍部は、日本に基地を置き続ける保証がない限り、平和条約を結んで日本を独立させることには絶対に賛成しない。
 その極めて難しい問題を、いったいどうやってクリアすればいいのか。
 ここでもっとも重要なことは、朝鮮戦争の勃発という世界史的な大事件を受けて、ダレスがすばやく考えだし、マッカーサーに教えた基本方針が、その米軍基地の問題を、
「国連憲章の43条と106条を使ってクリアする」(「6・30メモ」)
 というものだったということです。
 思えばそれは「戦後日本」にとって、もっとも重要な瞬間だったといえるでしょう。その後、現在まで続く「この国のかたち」が、このとき決まってしまったからです。
 ここではその複雑な法的トリックについて、できるだけわかりやすく説明するつもりですが、さらにお知りになりたい方は、『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』をぜひお読みください。

 国連憲章43条というのは、結局は実現しなかった「正規の国連軍」についての、もっとも重要な条文です。そこではすべての国連加盟国が、国連安保理とそれぞれ独自の「特別協定」を結んで、国連軍に兵力や基地を提供し、戦争協力を行う義務を持つことが定められているのです。
 一方、106条というのは、そうした国連軍が実際にできるまでのあいだ、安保理の常任理事国である五大国は、必要な軍事行動を国連に代わって行っていいという「暫定条項」です。これは本来、短期間だけ有効な過渡的な条項として国連憲章に書かれたものだったのですが、その後、国連軍がいっこうに成立しない状況のなか、五大国に非常に大きな特権を与える条項となったため、そのまま削除されずに残ってしまったわけです(現在でも依然として残っています)。
 このふたつの条文を組み合わせて解釈すれば、占領終結後も米軍が日本に駐留し続けることは法的に可能ですと、ダレスはマッカーサーに提案したのです。
 つまり、「国連加盟国は、国連軍に基地を提供する義務を持つ」という43条を、106条という暫定条項を使って読み替えることで、日本は国連軍ができるまでの間、「国連の代表国としてのアメリカ」に対して基地を提供することができるというのです。
 つまり日本が「国連の代表国であるアメリカ」との間に、「国連軍特別協定の代わりの安保条約」を結んで、「国連軍基地の代わりの米軍基地」を提供することは、国際法上は合法ですと、ダレスはマッカーサーに説明したわけです。マッカーサーはその提案に全面的に賛同し、「これなら日本人も受け入れやすいだろう」と語ったと、「6・30メモ」には書かれています。
 その結果、日本政府のコントロールがいっさい及ばないかたちで「国連軍の代わりの米軍」が日本全土に駐留するという、日米安保の基本コンセプトが誕生することになったのです。現在の日米間のあまりに異常で従属的な関係には、この「アメリカ=国連」「米軍=国連軍」という法的トリックがあるのです。
 さらにいえば、この法的トリックを受けいれてしまった場合、国連憲章43条が加盟国に提供を義務づけているのは、基地などの「便益」だけではなく、「兵力」や「援助」の提供も同じく義務づけているので、最終的にアメリカは日本に対して、あらゆる軍事的な支援や兵力を提供させて、それを米軍の指揮監督のもとにつかう法的権利を持っていることになります。

 朝鮮戦争で米軍が敗走を続けるさなかですから、おそらくダレスも必死だったのでしょう。このような通常では絶対にありえない、まさに詐欺同然のグランド・デザインにもとづいて、その後の日本の軍事的関係がスタートしてしまうことになりました。
 そして本当に信じられないことですが、それから七十年近くの時を経て、いまそのときのダレスのグランド・デザインが、すべて現実のものになろうとしているのです。


【6・30メモ】

 ダレスはこの報告書(1950年6月30日にアチソン国務長官など8人へ送付)のなかで、6月下旬に行われたマッカーサーとの2度の会談〔6月22日と26日〕を振り返るかたちで、次のように述べています。(以下、概要)
 〈6月22日の朝、私はマッカーサー元帥と会談し、次のことを述べた。
  日本と平和条約を結んだあと、米軍がどのようにして日本に駐留を続けるかという問題については、それが単にアメリカの利害にもとづくものではなく、「国際社会全体の平和と安全」という枠組みのなかで行われることが望ましい。だから米軍基地の提供も、国際憲章43条のなかの「軍事上の提供」というコンセプトにもとづいて行われた方がいい。そういって、私は次のメモをマッカーサー元帥に渡した。

「本来の国際法の流れでは、
1.日本が平和条約を結ぶ。
2.日本が国連な参加する。
3.そしてそのとき国連が完全に機能していれば、国連憲章43条が定めるとおり、日本は国連安保理と「特別協定」を結んで、事実上の「便益」を安保理に提供することが可能になります。
4.ところが現在、43条で定められた「特別協定」は実現しておりません。その場合、わが国を含む安保理常任理事国・五カ国には、国連憲章106条によって、「特別協定が効力を生じる〔=国連軍ができる〕までの間」に限り、「国際平和と安全のために必要な行動」を「国連に代わって取る」ことが認められております。

 そこで、提案なのですが、日本は自国の国連加盟が実現し、加えて国連憲章43条の効力が発生する〔=国連軍ができる〕までの間、ポツダム宣言署名国〔=連合国〕を代表するアメリカとの間に「特別協定」に相当する協定〔=旧安全条約〕を結び、アメリカに軍事基地を提供する。国連軍構想が実際に動き出せば、それらの基地は国連軍の基地となる。
 そういう考え方でいかがでしょうか」

 マッカーサー元帥はそのときと次の会談〔6月26日〕のとき、その考えに全面的に賛同され、「これなら日本人も受け入れやすいだろう」と述べられた〉
(原文:http://history.state.gov/historicaldocuments/frus1950v06/pg_1229)


「突然の朝鮮戦争によって生まれた「占領下での米軍への戦争協力体制」が、ダレスの法的トリックによって、その後、六十年以上も固定し続けてしまった」
 ということです。

 だから現在、私たちが生きているのは、実は「戦後レジーム」ではなく「朝鮮戦争レジーム」なのです。朝鮮戦争はいまも平和条約が結ばれておらず、正式に終わったわけではない(休戦中)ので、当時の法的な関係は現在もすべてそのまま続いているからです。
 そして最後に、もっとも重要なことは、これから私たちがその「朝鮮戦争レジーム」を支える法的構造に、はっきり「NO」と言わない限り、ダレスの「6・30メモ」や「旧安保条約・米軍原案」に書かれていたその内容が、今後も少しずつ国内法として整備され、ついには完成されてしまうということです。

 私たち日本人が生きていたのは、じつは「戦後レジーム」ではなく、「朝鮮戦争レジーム」だった。そしてそれは「占領体制の継続」よりもさらに悪い、「占領下の戦時体制」または「占領下の戦時協力体制」の継続だったのです。
 そのことがわかると、いろんな謎がスッキリ整理されてきます。

 私が日本の戦後史を調べ始めてから、ずっと不思議で仕方がなかったふたつの問題。
 なぜ多くの心ある、しかも頭脳明晰なリベラル派の先人たちが、自国の憲法に対して、「指一本触れるな」としか、いうことができなかったのか。
 同じく、なぜ「占領軍による憲法草案の執筆」という、疑問の余地のない歴史的事実について、
「その話は、いまはまだするな」と六十年以上、いいつづけることしかできなかったのか。
 それは「占領下の戦時体制」が法的に継続するなか、憲法9条に少しでも手をふれてしまえば、米軍の世界戦略のもとで、自衛隊が世界中の戦争で使われてしまうことが、本能的によくわかっていたからでしょう。
 けれども、よく考えてみましょう。冷戦の終結からすでに三十年近くが経ち、世界の状況は大きく変わりました。
 かつて私たちの最大の「敵」であり、また「恐怖の的」でもあったロシアや中国は、新しい国際社会のなかで、アメリカよりもよほど自制的に振る舞っています。
 公平な目で世界を見渡せば、世界大戦の可能性がほぼ消滅した地球上において、国民に平和の配当を還元することなく、突出した軍事力を維持し続け、国連憲章を無視した他国への軍事介入を繰り返しているのは、ただ一カ国アメリカだけなのです。
 もともとは、「無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまで」(「ポツダム宣言第6項」)
 という大義名分のもと、大日本帝国を占領し、日本の独立後は、その「世界から駆逐すべき無責任な軍国主義」の対象を共産主義に切り替えて(「旧安保条約前文」)、アジア全域に居座りつづけた米軍。そしてその国際法違反の軍事行動を、六十年以上、無条件で支持し続けてきた日本。
 皮肉なことに現在、私たちが
世界から駆逐すべき「無責任な軍国主義」とは、このあまりにも従属的な二国間関係のなかにこそ、存在している。その問題を私たち自身の手で、清算すべきときがきているのです。

 マッカーサーがどれほど自覚していたかはわかりませんが、日本の独立モデルをめぐるマッカーサーと軍部の対立は、
「新しい時代の集団安全保障構想(国連軍+憲法9条)」と、
「従来型の軍事同盟」(東西冷戦構造)」
 の対立という、世界史的なスケールをもった対立でもありました。
 しかし朝鮮戦争の突然の開戦によって、マッカーサー・モデルはその砲煙のなかに消え去り、ダレスの考案した「擬似国連軍」としての米軍が、世界中に軍事同盟の網の目を張り巡らしていくことになりました。
 なかでも日本は、国連憲章の暫定条項(例外条項)を駆使したダレスのさまざまな法的トリックに完敗し、国連の名のもとに米軍に無制限の自由を与え、徹底した軍事的従属関係を認めることになってしまったのです。
 それがサンフランシスコ・システムです。
 そのあまりにも歪んだ二国間関係が、冷戦の終結後、アメリカの軍部に「世界の単独支配」という「狂人の夢」を見させ、アメリカ自身を、自らが作った国連憲章の最大の破壊者へと変貌させてしまった。

 私もこれを知ったときは驚いたのですが、実はあのブッシュ政権の国務長官だったコンドリーザ・ライスでさえ、日本と韓国に軍をおくアメリカ太平洋軍について、次のように述べているのです。

「太平洋軍司令官は昔から植民地総督のような存在で(略)最もましなときでも外交政策と軍事政策の境界線を曖昧にしてしまい、最悪の場合は両方の政策をぶち壊しにしてしまう傾向があった。誰が軍司令官になろうが、それは変わらなかった。これは太平洋軍司令官という役職にずっとつきまとっている問題だろう」(『ライス回顧録』集英社)

 つまり「戦後日本」という国は、じつはアメリカ政府ではなく、アメリカの軍部(とくにかつて日本を占領した米極東軍を編入した米太平洋軍)によって植民地支配されている。
 そしてアメリカ外交のトップである国務長官でさえ、日本がなぜそんな状態になっているのか、その歴史的経緯や法的構造が、さっぱりわかっていないということです。 
 けれどもこの本をお読みになってわかるとおり、謎はすべて解けました。
 あとは、いつになるかわかりませんが、きちんとした政権を作って日本国内の既得権益層(いわゆる「安保村」の面々)を退場させ、アメリカの大統領や国務長官に対して、
「現在の日米関係は、朝鮮戦争の混乱の中でできた、あきらかに違法な条約や協定に基づくものです。こうした極端な不平等条約だけは、さすがに改正させてほしい」
 といって交渉すればいいだけです。 

 なにしろ日本人の人権は、アメリカのコウモリや遺跡よりも、米軍から圧倒的に低く扱われているのです(第六章)。真正面からその事実を示して堂々と交渉すれば、
「いや、それは今後も続ける」
 と言える大統領も国務長官も、さすがにいないでしょう。
 日本人が、この歪んだ従属関係であるサンフランシスコ・システムから脱却することは、日本はもちろん世界の歴史にとっても、非常に大きなプラスをもたらすことになるのです。》


 《とにかくアメリカでは国務省の官僚だけでなく、大統領から将軍たちまでがつねに「法的正統性」についての議論をしています。もちろんそれは「法的公平性」と意味ではなく、国際法の名のもとに、相手国にどこまで自分たちに都合のいい取り決めや政策を強要できるか、またそれがどれだけ国際社会の反発を招く可能性があるかということを、常に議論しながら政策を決めているということです。》

 と矢部さんは書いておられますが、この国際条約によって他国の国内における独自の統治権を無効化する、という手法こそ、TPPやTISAといった国際条約によって加盟各国が自国民の健康や生活面での安全や安心を保護し、増進させるためのさまざまな規制を撤廃させ、米国に本拠を置くグローバル企業が好きなように金儲けができる仕組みに利用されているものでしょう。

 普通、憲法は、国内における最高法規ですが、国際条約との関係でどちらが上位となるかは、議論の分かれるところでしょう。しかし、日本においては、すでに軍事面では、事実上、日米安保条約は憲法より優越するわけです。(ほかならぬ「憲法の番人」たる最高裁判所がそういう判決を出して判例となってしまっています)。軍事面ですでに憲法より安保条約のほうが優越する、という実例があるということは、TPPやTISAによって国民の生存権を始めとするさまざまな権利が侵害されたとしても、憲法違反を理由にTPPやTISAの無効・差し止めという判決が出されることは、かなり怪しいと思います。日本国内において憲法が最高法規ではない、という異常事態を放置しておいたことに原因があると言わねばならないと思います。

 また、矢部さんは《なぜリベラル派の先人たちが、自国の憲法に対して、「指一本触れるな」としか、いうことができなかったのか。同じく、なぜ「占領軍による憲法草案の執筆」という、疑問の余地のない歴史的事実について、「その話は、いまはまだするな」と六十年以上、いいつづけることしかできなかったのか。「占領下の戦時体制」が法的に継続するなか、憲法9条に少しでも手をふれてしまえば、米軍の世界戦略のもとで、自衛隊が世界中の戦争で使われてしまうことが、本能的によくわかっていたからでしょう》と書いておられますが、実際、韓国軍は、米軍の指揮のもとで、ベトナム戦争に参加させられています。日本が自衛隊をベトナム戦争に参戦させずに済んだのは、曲がりなりにも憲法9条を盾に米軍の参戦要求を拒むことができたからでしょう。

 前回、矢部さんの著作から抜き書きしたところに記述されている通り、だと思います。

《「戦後日本」の場合、政治的にはおそらく無意識のうちにでしょうが、

①自民党右派・・・・・・・ (安保賛成・改憲派)
②自民党リベラル派・・・・ (安保賛成・護憲派)
③社会党他の革新政党・・・ (安保反対・護憲派)

 という三つの勢力が戦後長らく、それぞれ約三分の一ずつ議席を持ち、その上で①と②が安保体制を守り、②と③が9条1項(海外派兵の禁止)を守るという体制が生まれました。
 その微妙なバランスの上に、②の自民党リベラル派が「保守本流」として政界の中心に座り、結果として彼らの政治的ポジションを正当化する、
「自衛隊と米軍基地は合憲で、海外派兵は違憲」
 という憲法解釈が続いてきたのです。

 この憲法解釈はたしかに非論理的なものですが、②と③の勢力がウラで連携して海外派兵さえ食い止めておけば、たとえ指揮権が米軍にあったとしても、自衛隊が戦争に参加するのは日本国内だけ、つまり自国の防衛戦争だけなわけですから、それほど矛盾が露わになることはなかった。
「自国が攻められたときに、強い米軍と一体になって戦うのは当然じゃないか」
 と主張することができたからです。
 また強大なアメリカ政府に対しても、歴代自民党の首相たちが、
「憲法9条があるから、海外派兵はムリです。だってもともとあなたたちが、その条文を書いたんでしょう」
 といって、そこだけは抵抗することができました。
 憲法解釈として非常におかしかったけれども、戦術論としてはけっして間違っていなかった。在日米軍の問題にさえ目をつぶっていれば、日本人自身は戦争で人を殺すことも、殺されることもなく、その間、経済的にはものすごく儲かった。日本人にとって、じつに都合のいい選択だったのです。
 けれどもその微妙なバランスは、すでに三十年近く前、冷戦構造の終焉とともに失われています。さらに二○一五年の安保関連法の制定によって、「自衛隊な活動は国内だけ」という9条1項のしばりも完全になくなってしまいました。
 その結果、アメリカの軍部がかつて朝鮮戦争のさなかで理想とした、
「完全にアメリカのコントロール下にあり、戦争が必要と米軍司令部が判断したら、世界中でその指揮下に入って戦う自衛隊」
 という悪夢が、いままさに現実のものになろうとしているのです。》

 そして、

《安保関連法案を強引に可決させた安倍総理は、おそらく日本が集団的自衛権を行使できるようになれば、アメリカと「どんな攻撃に対しても、たがいに血を流して守りあう」対等な関係になれるという幻想を抱いているのでしょう。
 しかし、それは誤解なのです。アジアの国との二国間条約である日米安保条約が、集団的自衛権にもとづく対等な相互防衛条約となることは、今後も絶対にありえないのです。
 事実、指揮権密約をみてもわかるとおり、現在の日米の軍事的な関係では、日本側が軍事力を増強したり、憲法解釈を変えて海外へ派兵できるようになればなるほど、米軍司令官のもとで従属的に使われてしまうことは確実です。》
 と書いておられる通りだと思います。

 おまけに、矢部さんが書いておられるような

 《かつて私たちの最大の「敵」であり、また「恐怖の的」でもあったロシアや中国は、新しい国際社会のなかで、アメリカよりもよほど自制的に振る舞っています。》

 という記述は、少なくとも中国にかんする限り、過去のものとなってしまったと思いますが、それにたいする米軍およびアメリカ政府の態度というのは、はなはだ腰が引けているといわざるを得ないでしょう。米軍が長年、潜在的脅威、潜在的な敵として対峙してきた中国に対して、決定的な場面で大きく譲歩する可能性は低くないと思います。

 これはつまり、アメリカの世界戦略の都合で日本の自衛隊に流血と死を伴う「協力」をさんざんさせた挙げ句、日本の安全保障にかかわる決定的な場面で、「自分のことは自分でなんとかしなさいよ。アメリカの死活的国益にかかわる問題じゃないし、議会がOKしてくれないから米軍は参戦して日本を助けることはできない」と通告される可能性は低くない、ということでもあるでしょう。

 強大な中国の軍事力によって、日本の独立国としての地位が脅かされる事態になったとして、

 「どうせいままでだって日本は事実上、米軍の軍事占領下にあったんだし、それが中国に変わるだけのことだ」とお思いになられる方もいらっしゃることでしょう。

 でも、本当にそうでしょうか?

 中国が軍事占領したチベットやウイグル自治区で何が起きているか、ぜひご自身で調べてみていただきたいと思います。少なくとも、米軍の軍事占領が横暴だったとしても、中国の属国もしくは政治的、軍事的支配下に組み入れられることは、それとは比較にならないほど厳しいものとなる可能性は低くないんじゃないでしょうかね?そうなったら、いまでも対米従属のもとで「自分たちのことは自分たちで決める」ことがはなはだ怪しいのに、もはや日本人が日本と日本人のことを自分たちで決めることを北京が大目に見てくれるような寛大さは期待できないんじゃないでしょうかね?それでいいと思いますか?ということが、いままさにわたしたちに突きつけられているんだろうと思いますが、読者の皆様におかれましてはいかがお考えになられますでしょうか?

 
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