敗北を抱きしめて | ソウルメイトの思想

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唯物論に対する懐疑と唯物論がもたらす虚無的な人間観、生命観を批判します。また、唯物論に根ざした物質主義的思想である新自由主義やグローバリズムに批判を加えます。人間として生を享桁異の意味、生きることの意味を歴史や政治・経済、思想・哲学、など広範二論じます。

太平洋戦争は、大日本帝国の軍隊が各戦線で壊滅し、制空権や制海権も奪われ、本土は度重なる米軍機の空襲によってほぼすべての主要都市が瓦礫と化し、後は全国民が最後の一人になるまで徹底抗戦するしかないというところまで追い詰められてようやく、昭和天皇による無条件降伏という決断によって終結しました。


日本本土に占領軍として上陸するに際して米軍の将兵は、残存する軍国主義者にさぞ手を焼くだろうと覚悟していたのだそうです。現代のイラクやアフガニスタンで駐留米軍を悩ませているような事態を想定したわけですが、案に相違して日本人はごくすんなりと米軍の占領を受け入れました。日本人の大多数の反応は、米軍を解放者と捉えて、非常に協力的であったことは、当の米軍自身を面食らわせるものだったと思います。


占領米軍の目的は、日本から軍国主義を一掃することと、日本人に民主主義を根付かせることだったそうです。


アメリカ人歴史学者のジョン・ダワー のベストセラー「敗北を抱きしめて」には、1946年から1947年、そして1948年から1954年まで戦後日本の首相を務めた吉田茂と占領米軍=GHQ民政局の課長および次長であったチャールズ・ケーディス大佐との間で交わされた会話が簡潔にこう記されています。


吉田茂首相
「あんたがたは日本を民主主義の国にできると思っているのかね。私はそうは思わんね」

チャールズ・ケーディス 大佐
「やるだけやってみるさ」

(『敗北を抱きしめて』P67)


ダワーによると、日本に本当に民主主義を根付かせることができるかどうかについては、米英の旧世代の知日家たちの多くは、否定的だったそうです。ダワーは、米英の旧世代に属する日本の専門家たちの多くが、日本人に上からのものであれ民主主義革命を導入してゆこうなどと考えることは馬鹿げていると考え、普通の日本人が自己を統治する能力をもってはいないと考えていた、と書いています。たとえば、占領がはじまって間もない頃、東京にいた英国代表は、完璧な英語の使い手として有名だった前駐英大使、幣原喜重郎が組閣した機をとらえて、本国の外務省に向けて日本人は「現代の世界で、アフリカの部族と同じくらい自己統治能力を欠いているが彼らよりはるかに危険だ」と打電したそうです(『敗北を抱きしめて』P283)。


この欧米人による日本人の自治能力についての疑念は、少なくとも当時の日本人には、かなりよく当たっていたと言えるかもしれません。フィリピンのルソン島で日本帝国陸軍の下級士官として終戦を迎え、その後、米軍の捕虜収容所に収容された経験をもつ山本七平氏は、自らの捕虜収容所における体験と、欧米人が日本軍の捕虜収容所においてした体験を書き綴った記録とを比較して、日本軍兵士が捕虜になった場合、たちまち秩序が崩壊し、むき出しの暴力による支配が露呈されたのに対して、英米軍の捕虜たちは、速やかに高度な自治能力を発揮して収容所内の秩序を作り出した、と書いておられますが、よくよく深く考えさせられることだと思います。 (山本七平著『一下級将校の見た帝国陸軍』P291~P305)。


太平洋戦争中、ワシントンでもっともよく知られた日本専門家は、1931年から41年まで駐日大使を務めたジョセフ・グルー国務次官で、彼は1945年5月、トルーマン大統領にたいして、天皇制はまさしく封建主義の名残りであり、「長期的な観点にたてば、日本においてわれわれが望みうる最善の道は、立憲君主制の発展である。日本では民主主義がけっして機能しないことは、過去の経験が示している」と語ったのだそうです。


グルーの日米関係のアドバイザーとしてもっとも重要な役割を果たしたユージン・ドゥーマンは、日本は「共同体社会、すなわち階層社会であり、そこでは、社会構造の最上位にいる者が目標を定め、下位の者はそれに従うだけなのだ」と強調したのだそうですが、それはそのまま欧米の社会に当てはまることで、なにも日本社会にだけ当てはまる特殊な構造ではないとわたは思います。そもそも、「共同体、すなわち階層社会」でない社会なんてものがあるのかね?と反問したくなりますし、欧米の社会だって、十分、「共同体社会」だし、「階層社会」なんじゃないの?と言いたくなります。そして、「社会構造の最上位にいる者が目標を定め、下位にいる者はそれに従うだけなのだ」というのは、そのまま欧米社会の描写として成立するとわたしは思いますが、東洋人は「従順な家畜の群れ」であるとか「巨大なミツバチの群れ」であるとかいった欧米人の評価にも一面の真実が含まれていると言わざるをえないように思います。


日本に民主主義を根付かせることは不可能だという主張の一方で、民主主義の価値はその本質において普遍的であり、人の心に訴えかけるものであると心の底から信じていたリベラル派や左派の政策立案者たちは、日本に民主主義を根付かせることは可能であると楽観的に考えていたようです。


その中でも「菊と刀」という本の著者として有名な文化人類学者のルース・ベネディクトは、日本人は、西洋の伝統に見られるように、いわゆる普遍的諸価値に基づいて行動するのではなく、状況に即した特殊な倫理に合わせて行動する。つまり、ある状況では礼儀正しく寛大な人間が、別の状況では粗暴で冷酷な行動をとりうる。問題は、ある人間がおかれている社会的文脈と、個々の状況の中であらかじめ決められている役割なのだ。役割と制限が課されていない例外的な状況のなかでは、個人はいかなる中核的な価値も、主体化された明確な自己も持つことができなくなってしまう。と主張したのだそうです。このことは、日本人の意識のありようが状況依存的であると見抜いていたのだと思いますが、日本人の意識すなわち、自我が西洋人のそれとは異なって、不動の中心と明確な外縁によって成り立っているわけではなく、むしろ、より流動的で融通性に優れたものである、というユング心理学者の老松克博氏の考察と符合していて大変、面白く思います(老松克博著『漂泊する自我』参照)。


また、クライド・クルックホーンやアレキサンダー・レイトンなどの分析家たちは、日本の至高の権威である天皇は、基本的にはからっぽの容器のようなものだと主張したのだそうです。その洞察こそは、日本におけるユング心理学の第一人者であられた故河合隼雄先生が「中空構造日本の深層」や「神話と日本人の心」といった著作の中で考察しておられたことでした。河合先生は、歴史的にも伝統的にも日本人の政治権力というものは、たいてい諸勢力のバランスをとることで成立しかつ維持されるもので、バランスをとるためには、自らは一個の空、からっぽである必要があった、と洞察しておられます。その洞察は、歴史小説の大家である司馬遼太郎さんの認識と実によく符合していて、司馬さんは、天皇に典型的に見られるように、天皇は至高の権威として君臨するけれども西洋や中国の皇帝のように現実の政治権力を直に手にしたりはしない。そして、政治権力の実質を臣下のものに委ねることで自らは、権威として君臨し、政治権力の抗争に巻き込まれて消滅することを免れるというやり方が天皇をはじめとして、あらゆるレベルの政治権力のあり方に普及した、と書いておられます。日本における政治権力と権威のあり方は、たしかに西欧や中国のそれとは異なるもので間違いなく日本独自のものと言っていいと思います。占領統治のアドバイザーとして乗り込んできた西欧の一流の知性は目ざとくそのことを見抜いたんですね。彼らの異民族の文化や伝統を理解する能力の高さは、たいしたものだと思います。


結局、彼らは、日本を統治するのにも、日本に民主主義を根付かせるためにも天皇を利用することが極めて有効であるという結論に達したのだろと思います。これまで天皇は超国家主義を具現化した存在としてすべての人に支持されてきた。もし天皇が天皇制民主主義の象徴へと変身したとしても、まったく同じようにすべての人の支持を得るだろう、と彼らが考えたのだとしたら、それは、正解だったわけですね。そもそも、昭和天皇自身、民主主義には親和的だったと思いますし、本来、政治権力からは、超然としているというのが天皇の伝統的な在り方だったと思います。



ダワーは、「敗北を抱きしめて」の第二章 に漫画家の加藤悦郎氏の空から「民主主義革命」と書かれた缶がパラシュート降下するのを歓呼して受け取ろうとしている人々の様子や星条旗を連想させる星印の付いた巨大なハサミで手かせ、足かせから解放されたボロボロの服を着た人物が天を仰いでいる姿と、軍人とおそらくは、軍人と結託していた政治家が急いで逃げて行く様子を描いたイラストを収録していますが、当時の多くの日本人の気分を的確に表現していると思います。


たしかに、日本人は政治権力からの自由と民主主義を自ら闘い取ったわけではありませんが、それでも、上から与えてもらったものであるとしても、日本人の望ましくないものであったとしたら、これほど日本人の行動や考え方になじむはずもないと思います。ですから、戦後の日本人の自由と民主主義は、押し付けられたものとは、ちょっと違うのではないかとわたしは思います。しかし、そうは言うものの、多くの民族や国民にとって自由と民主主義は、彼らの無数の血と涙で贖わなければならないほどの「貴重品」であることは間違いないと思います。それをほぼ無償で与えてもらったということには、非常な幸運とともに一抹の物足りなさを感じないわけにはいかないようにも思えてなりません。