魂のカルテ~Spiritual Case File


「Light of Wisdom~スピリチュアルセラピーの現場から」の別館ブログ


本館「Light of Wisdom~スピリチュアルセラピーの現場から」より、

主に過去生関連の記事のみ抜粋して、こちらアーカイブ(別館)としてまとめています。


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9/11記:

すみません。コメントへのレスを書くと、背景と文字が白くなり、文章が読みづらくなってしまっています。アメブロの既存テンプレートデザインではなく、デザインをいじれるCSSを使用しているのですが、何処をどういじればコメントとレス欄の背景色や文字色を修正できるのか分かりませんっっっ 何しろCSSはほとんどわからずネットで調べても「?」な状態です。大変申し訳ありませんっっっ

6/7記:

本館から抜粋した記事のみ掲載しているアーカイブです。

なので掲載していないものも多数あります。

こちらに掲載しているのは一部の記事だけですので、

全部を読みたい人は本館にどうぞ足をお運びください。

  • 04Nov
    • 家族を守護する家のオーラ~空き家は魔の巣窟

      自分語りからになりますが、子供の頃、真夜中に外に出て、星を見るのが好きでした。今は東京で昼間の月も夜空の星も見る機会がほとんど皆無で、実家はなんだかんだ関東は千葉の工場地帯でしたから、せいぜい一番星二番星といった、特徴的な星や星座が見える程度で、天の川などは見えず。それでも近所の空地や駐車場や車の屋根に寝そべって、仰ぎ見る宇宙には格別のロマンがありました。眺めていたのは星空ですけど、わりと頻繁に見ていると、満月や新月の時は空気が違うというか、実に不思議なものを視ることがありました。私の住んでいたのは、普通の二階建や平屋などが並ぶ住宅街ですが、当時はまだ自然もたくさん残っていた時代のこと。満月の夜には、立ち並ぶ木々たちが落ち着かないソワソワした様子で、みな一様に背伸びをしてグーンと伸びているような、そんな風に見えたのです。木々は昼間は寝ていて、夜には起きるのですけど、満月の日だけは、テンション高くなってる?そんな感じで。木が背伸びをするなんてことはあるわけないのですが、なんかまあ、そのように見えたのですね。あくまで例えての言い回しになりますが。そして、伸びをしているのは、樹木たちだけではなくて、なんと家も、だったのでした。そのころの私は「人間」のオーラは見た事なかったのですが、家にもオーラのような光があるのは解っていました。昼間には分からないのですけど、夜そうやって宇宙を眺めに外に出ていたりすると、それぞれの家が何故か白く発光しているというか、家を取り囲むように白い煙のようなものが、1mくらい?かなもやっとしたものを見れたんです。でも、それは人の住んでいない空き家にはなかったんです。そしてそれには強弱というのかな、家から出ている(家を包んでいる?)光が大きい家、小さい家、弱い家、光が薄い、濃い…てな具合に色々ありました。(当時は昼間でもその家の人に何かがあるときは、見たりすることも出来ましたから→お葬式が出る等)で、満月の時に、各家から出ている、その光(オーラ)がびょーんとまた伸びるんです。木々と同じで、上にまるで手を伸ばすかのように。まるで月に向かって伸びをする感じ?(「もっと、光を!」って感じだったのかなww)人の声も音もないけど、そうした夜は賑やかで、植物も「家」もザワザワ、ソワソワしていて、落ち着きなく忙しない感じで(ランランとした感じ?)、見ていると本当に不思議で面白くて、何をしているんだろうなあ?あれをすることでどうなるんだろうな?と思ったものです。誰も答えはくれませんでしたが。鉄筋の家もオーラはありましたが、木造の家ほど顕著で解りやすかったです。でも、家が壊される前とか、植物や樹木たちが伐採されてしまう前とかは、数か月前から、お通夜みたいにシーンとなるんです。満月の夜もとっても控え目になって。後になって、ああそうだったのかと、そう気づくことになるんですけど。今は、私が見た「家」のオーラは、まさしくその家の人たちの「氣」で、オーラそのものだったのだと理解しています。住んでいる人たちの「氣」が家にも貯まるんですね。そうやって家も呼吸して、栄養を得て、大げさに言うと、生命を宿しているのだと…そして家もまた、住んでいる人たちに、「氣」を分け与えているんです。そういう意味で「家」とそこに「住む人」は、お互いに持ちつ持たれつの相互関係があり、「氣」を循環させて共存しているのですね。昼間も太陽の光から、家も人も、氣(エーテルバイタリティー)を吸収しているけれど、満月の日の月光浴は、太陽の出ていない間、家が月を経由して地球に届く、「氣」を取り込んでいたんです。きっとそれは住んでいる人たちのために…人が住んでいない家はダメになる。よくそう言われます。それは換気をしないから湿気がこもって、建材などが痛むからだと、あと掃除やメンテナンスが行き届かなくなるから。確かにそれが一番の理由でしょう。でも、どうもそれだけではないようなのです。「家」に命(氣)を与え、吹き込む「人」がそこにいないから…「家」にとって、共に生きていく共存者、家族としての「人間」がいないからなのかもと、私は思ったりします。生きている人が住んでいないと、きっと「家」も寂しいのでしょう。(たぶん、家運というのがあるなら、私が見た、その家から放たれている「光」のことなんだろうなって思います。誰か亡くなったり、事故とか色々あった家は、その「光」が消えたり小さくなりましたから。また代々続いている古い家とかだと、家の奥にまた別の光の塊があって、それはきれいなものもあるけれど、ほとんどが汚れた感じの重いダークなものでした。そっちは先祖代々受け継がれる家の因縁とか霊脈とか、家系のグループエレメンタルだったんでしょうね。仏壇や家宝と言われるものの品々や、家長さんの後ろにそれはあったりしました)話変わって、やはり長いお付き合いの、クライアントさんのセッション時。家が色々とまたお掃除が必要だねーなんて話になりまして。その方の住んでいる家は木造の貸家で、アパートというより、二世帯住宅のような、一階と二階にそれぞれ別世帯が入る戸建てでした。「家に来る人が、 なんか家に来ると落ち着かないっていうの」原因としては、部屋の中に迷い込んで来た元人間とか、誰かが創った良くないエレメンタルとか、よくある雑多なそういうのみたいで、普通は風通しをよくし、太陽光をいれることで、時間の経過とともに消えていくような、力の弱いものたちですけども。どうしても日当たりがよろしくない北向きの部屋に、そういうのがたまってしまっていたようです。ですが、その家だけでなくて、どうもその方の頭の上、二階が気になる。聞くと、前の住人が出て行って、今は空き部屋とのこと。「結構、長期間空いているんですよ」まあ、他にもたくさんキレイなアパートや、安くて設備の整ったマンションもありますし古い家で設備も新しくないから、いまいち人気がないのかもね~という話なんですが。ちょっと気になるので見てみると、なんかビュンビュン走り回っている。クライアントさん曰く、「時々、 二階から家鳴りとは違う、なんか音がするんです。 誰も住んでいないんですけど… それが夜うるさくて、落ち着かないときが」とっさに世界仰天ニュースみたいなので見た、勝手に人の家の屋根裏部屋に住みついていた人や、2chのまとめサイトで読んだ、他所んちの空き家に勝手に住みついている人…なんかを連想したんですけど。いやさ、これ「人」じゃない。浮遊霊というのもいるっちゃいるんですけど、もっと数が多い、小さくて長いのがたくさん。ハクビシンみたいなの。まあ、ホンモノも東京にはいて、問題になってます。聞いた話では天井裏に住み着いて家をダメにされた、とか、都内でもアルアル獣害で、そっちのナマモノ、つーかリアルハクビシンの方だったらば、駆除してもらわないといけないところですが。でも、どうやら生き物ではない。…エレメンタル、動物霊の方でした。人が住んでいない「空き部屋」ということで、勝手に住み着いたらしいです。階下の部屋には人住んでいるんですけどね~。とりあえず、お掃除するしかないです。(これも駆除なのか)その後のお話を聞くと、「音が止んだ」ってことだから、まあ、見立てがあっていて、対処法も成功ってことで、解決で、めでたしめでたし…なのかな。ただ、その後も、誰か住人さんが住むまで、空き部屋である間は、時おりチェックしないとダメかもーという話でした。てなわけで、空き家や空き部屋には、下手をすると、眼には見えない住人や何かが、居ついてしまうことがあるって、そういうお話でした。汚部屋や汚屋敷や汚フィスなんかも、人が住んでいたとしても、必ずと言っていい割合で、色んなよろしくないもののたまり場、悪の巣窟みたいなところは多々あるけど。一件丸ごとではなく、アパートなんかの一部屋だけでも、そうなっちゃうんだー というのを知った次第です。まあ、共同住宅では、いくら自分とこがキレイにしていても、隣の住人が汚部屋にしていたり、ネガティブ思考の人で、ネガティブエレメンタル製造機だったりした日には、自衛は難しかったりしますけどね。3mくらいの距離でも、隣の人のエネルギーは侵入してきますから。(だから寝室の場所は考えないといけない。隣家の寝室とは隣接しないようにとか、道路や廊下など人が良く通る側にベッドを置くのは、避けるべきなんですね。都会の単身住居では難しいけど)共同住宅では、どんな人たちが住んでいるか、で建物のカラーが決まるから、そのカラーに染められたり影響も受けたりします。だから、「運気」を気にするなら、どんな人たちが多く住んでいるかも重要。土地との相性、建物との相性も重要ですが。深い瞑想をする人が一人、その地域(半径100m位もしくは一区画)にいると、その地域の人々の精神は安定し、平和になる。とは、よく言われること。でも、その逆もあるんですよね。共同住宅に住む人、戸建てであってもミニ一戸建てみたいな、狭いエリアに立ち並ぶ建売住宅なんかは、左右前後の家の影響も受けざるを得ず、です。そうならないためには、自分の家の敷地内あるいは部屋の空間に、自分の強い「氣」を放出するまでまんべんなく満たし、左右前後上下の住人の「氣」やそれ以外のものが、自らの居住エリアに進出し、侵略してくるのを、頑張って防ぐしかありません。とはいうもののの、それ以前に自分の家の全空間を活気ある生命エネルギーで満たし、水回りなどデッドスペースなどに、ヘンな居候がいつの間にか居ついてしまわないよう、防御策を練らないといけませんね。(ここら辺、悪いものがたまらないようにするために考えられた建築学、生活の知恵が本来の風水や家相)てな感じで、空き部屋恐るべし。今都内も空き家問題があったりするわけですが、どんだけの動物霊や浮遊霊たちが、そこにたむろってるんだろうなーと思ったりもします。まあ、霊やエレメンタルのいない場所なんてのが、そもそもなくて、珍しいわけですけども。(地下や地下街などは彼らの絶好の居場所で、浮浪者の人は当の本人知らずして、ペット飼いな人ばかりでおじゃりまする)動物は好きですけどね、うむ。動物霊=悪っていうわけでもなし。彼らの存在そのものが邪悪ってわけでもない。結局は創った人なんだよなー(お稲荷さんに挨拶に行くと、その後に他人から食べ物をもらうことが多い私)そして、活気のある、とても強い光を放っている家は、だいたい「家族」の仲が良く、いつも笑顔で暮らしている温和な人たちの、その「笑顔」の波動が光の源なのでした。

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      テーマ:
  • 02Nov
    • エネルギーヒーリング~レイキの恩恵

      ヒーリングとは「治る力」すなわち自己治癒力のことで、身体が治ろうとするのをサポートする、治療行為(施療)のことも意味します。現代医学(西洋医学)も、それに付随する理学療法もヒーリングだし、東洋医学(中医学・韓医学・日本漢方)も、アーユルベーダもチベット医学もタイ古式マッサージも、世界中に存在する民間医学や療法はみんなヒーリング。指圧も按摩も整体もリフレクソロジーも、カイロプラクティックもオイルマッサージも。ボディワークとしてのヒーリングだけでなくて、心や精神に対する働きかけをするものも、そう。心療内科も精神医学の対処法も、それらや民間のセラピーもカウンセリングも、心や思考に働きかけるヒーリング。癒しとは、心身の崩れたバランスを元に戻し、正常な働きを取り戻すように働きかけ、不健康な状態を改善して、健康である状態へと導くこと。物質的な次元の身体を対象として行うのか、心の身体(サイキカル体)、あるいは思考体(ノエティカル体)に対して働きかけるのか、その違いに過ぎないのです。三つの身体のいずれかが健康でない状態にあるなら、その他の二つの身体とのバランスも崩れていて、三つの身体は互いに補完し合う相互関係にあるので、一つの身体に働きかけることは、結局のところ全体に働きかけることであるので。もちろん、原因となった、一番ダメージを受けている身体と病巣(根源)に対して、ダイレクトに施療を行えば結果(効果)が出るのも、解決(回復)を促すことも早いのですけど。で、エネルギーヒーリングとは、基本的には、「氣」である「エーテルバイタリティー」を用いたヒーリングのこと。(氣はマナやプラーナ、宇宙エネルギーとも言われる)そして、エネルギーヒーリングの中でも、「エーテルバイタリティー(氣)」を人から人へと、譲渡して補充するのがマグネティック・ヒーリング。レイキとかクォンタムタッチとか手かざしとか、気功やタッピングなどのハンドヒーリングが相当します。「エーテル・バイタリティ(氣)」を元に錬成して、ヒーリングに実用的なイメージの形にしたり、氣のボ-ルを作ったりするなど、「氣」を錬成・加工してエレメンタルやエーテルコードを、操って働きかけをするのがサイキカル・ヒーリング。エレメンタルの生成や書き換え、操作をして働きかけるヒーリングはこれに相当します。チャクラに働きかけるヒーリングもそうだし、シータヒーリングやイメージを使ったセラピーやワーク、ダイレクトにエレメンタルに働きけるサイコセラピー、ヒーリングだけでなくて、霊能者さんたちがしていることも、これになりますね(四次元や五次元の事象に対し働きかけて、色々構築してる<霊体やエレメンタルにアプローチしたり、霊道作ったり移動したり、封じたりの操作など)そして、これを勘違いしている人は多いのですが、スピリチュアル・ヒーリングは、人間が行えるヒーリングではありません。霊界(五次元、あるいはそれ以上の次元の存在)の霊医と呼ばれる存在が行う施療のことです。これはヒーラーはまったく疲れないし、むしろ健康になります。肉体(三次元)に対しての働きかけでもなく、感情体(四次元)に対する癒しでもなく、思考体(五次元)に対する意識改革と、神体(六次元)に対する働きかけで、霊的意識の目覚めを促進して根本的な治癒を起こすので、魔法のような奇跡が起きるのです。これは物質的な三次元の存在である人と、四次元、五次元、六次元以上の存在が、チームとなって行う作業であるので、人であるヒーラーは窓口となる受付係のようなもので、その人自身の意志や力で起こせるものではないのです。なので、スピリチュアル・ヒーラーと名乗る資格のある人は、そうした奇跡を起こせるチームの、三次元での顔(代表で代理人)ということになりますが、まさに選ばれた人でもあるので、その人自身の意志でヒーラーをやりたくて、その道に導かれた、というのはまずないです。(解剖学とか医療的知識がないとなれないし…という意味では医師免許を持っている人等の、医療従事者が最も近い候補者ってことです。医師でゴッドハンドの持ち主は過去生でも医師だったのでしょうが、背後にサポートがいることは間違いないです)だから、スピリチュアル・ヒーラーを名乗っている人は、こうした霊的知識がバックボーンになくて、謝ってか知らないでかで肩書や名称を名乗ってしまっている人がほとんどです。※たぶん心霊的なヒーリングって意味で使ってるんだと思います本当にその意味を知っていたならば、恥ずかしくて肩書を名乗れないはずですから。(博士号のない人が博士を名乗っていたり、マエストロの資格がない人が名乗っているようなもの)マグネティック・ヒーリングは誰でも練習したり、霊授を受ければできるようになりますし、サイキカル・ヒーリングにしても、鍛錬して習得することは誰でも出来るようになります。が、やはりエネルギー・ヒーリングの基本は、マグネティック・ヒーリングにあると言えます。マグネティック・ヒーリングは習得していないのに、サイキカル・ヒーリングだけを行っている人がいますが、こういう方は自分自身の「氣」のみを使うのもあり、クライアントさんを見た(施療)後の消耗が激しく、相手から「受けやすい」というのがあったりします。そして、先天的に「緑の手」を持った人でない限りは、質の良いエレメンタルの生成には限界があるようです。とはいうものの、サイキカル・ヒーリングは、その人のサイキカル体の状態に左右されるので、サイキカル体が発達していない人には不可能です。(創造力=想像力ですので。イメージ力のない人、ヴィジュアライゼーションが苦手だという人は、はっきりいってサイキカル・ヒーリングは無理です)サイキカル・ヒーリングが上手くできる人、この手法でのヒーリングが成功するか否かは、その人のイメージ力と感情のコントロール力に、委ねられています。マグネティック・ヒーリングは、どんな人でもほとんどの人が習得できますが、サイキカル・ヒーリングに関しては、上記のような制限というか条件があります。そして、スピリチュアル・ヒーリング。これは現代において出来る人はほとんどいません。それが出来ると思い込んでいる人は、まず出来たためしがありませんし、勘違いです。スピリチュアル・ヒーラーは存在しますが、その存在に出逢える人はまれです。出逢えたこと自体が見えない世界からの導きであり、入手不可能な特別チケットを手に入れられた、という意味になります。(医師以外での一般の仕事をしているスピリチュアル・ヒーラーは確かに存在しますが、彼らは自分の存在をまず他人に誇示しません。従って、ネットの世界にはまず出てきません。かなりコソコソやってます。大体、近年の山伏(日知り)みたいに、ふだんは他の仕事をしていて、このような仕事の看板を出していない人なのです。けれども、見えない縁で繋がれる人は繋がれるのです)※私みたいにこうしたblogで、 あれやこれや書くような真似はしない人たちです。サイキカルな能力とスピリチュアルな能力はまったく別ものです。サイキカル・ヒーリングに長けたヒーラーで、スピリチュアリティの高い人には、霊的な存在(透明なヘルパー)のサポートが付き、やはりチームでの仕事をすることになりますが、六次元以上の存在が介在しないので、どうしても「心の癒しと解放」(四次元の身体)を主体とした働きかけ、ヒーリングになります。この段階で、五次元の身体にまでヒーリング効果が到達し、意識の変革(気づき)が起きることも間々ありますし、スピリチュアル・ヒーリングが出来ない、単なるサイキカル・ヒーラーでも、レベルの高いサイキカル・ヒーラーならば、それに類似した効果や結果を出せます。(そこまで行かなくてもいい線行っているというか、近い仕事をしているというか、そんな感じで)但し、その結果を自分の能力(手柄)と過信し、常に安定してそれを引き起こすことが出来るのだと、そうした勘違いが生まれてしまうのが、ヒーラーにとっての不幸の始まりです。(まぐれで除霊が出来たのを常にできると思ってしまい、それを看板にしてしまい、自らが背負う悪循環を作る等。その他、たまたまクライアントさんの病気が治ったのを、自分の施療による結果だと思ってしまい、自分の施療方法には、病を直す力があると思いあがってしまう等々‥)まだまだ、そのレベルの人はエゴイズムを持っていて、完全には捨てきれていないからです。スピリチュアル・ヒーリングが出来るヒーラーは、エゴイズムを捨て去って小我から大我の境地に至り、他人のために生きることが幸福と自覚できている人なので。つまり聖人か聖者一歩手前かそのレベルに達している人。このレベルのヒーリングを受けると、人生がまさに180度転換して変わってしまいます。青天の霹靂、頭に雷が落ちて人格が一変してしまうくらいの、それくらいの覚醒(魂の目覚め)がその人に起きるのです。2ch用語で言うならば、その人の手に触れられただけで、DQNが一瞬で背筋がしゃんとし、頭を丸めて、きりっとした聖人君子になってもーた、とか…一瞬でウォーターして「うう、アタシ間違ってた(号泣)」になっちゃうような、そんなことが起きるんです。(施療前にどんなバーサーカーであったとしても、施療後にその状態には戻らない)マグネティック・ヒーリングでも、エーテル・バイタリティー(氣)を補充し、三つの身体のバランスを整えることで、肉体のダメージ回復を促進し、メンタルの状態を上向きにさせることは可能です。基本的にマグネティック・ヒーリングは、物質的身体に対する働きかけがメインですが、肉体に不足していた氣が満たされることで同時に消耗していた四次元の身体への負担が減り、そちらにも氣が行き渡ることから、感情的な安定が促進され、氣持ちが良くなるのです。そのことから、四次元の身体の状態が改善され、長期的に受けることでダメージも回復しやすくなります。マグネティック・ヒーリングも、サイキカル・ヒーリングも、習得する自体は難しくなく、鍛錬して、日々実践して、経験を積んでコツさえ掴めば、イイ感じに上達していきます。けれども、その先の段階に進むには、その人自身の人間力、霊的成長の度合いというか、スピリチュアリティ(霊性、人としての品格)次第で、その人のその人類同胞に対する奉仕の精神やヒーリングをする動機、人としてのその人の人間的な魅力に魅せられた、霊的な存在たちがサポートしてくれるか否か、その存在たちがどのレベルの存在たちなのか、そうしたことに左右されることになります。(人から感謝されたい、他者から尊敬されたい、特殊な能力を開花させた人間に見られたいからという気持ちで、ヒーラーやスピリチュアルな職業に就きたがる人は多いですから)☆ ∞ ☆ ∞ ☆ ∞ ☆ ∞さて、私はその昔、手塚治虫先生の「ブラックジャック」を読んで、外科医に憧れたときもありました。でも頭脳が足りないし(理数系は壊滅的)、経済的にも進学とか無理だったのでその道は×。ていうかーそれ以前に私は超虚弱体質(いわゆる病弱)で、自己免疫システムに異常あるし、単腎だし、体力要な仕事に就くこと自体、無理がありました。ですから、普通のOLに憧れました。それか普通の主婦に。ちなみに無駄に霊体験とか多かったし、占いなんかも習得していたけど、占いとか霊的な仕事とかだけは、絶対にしたくないって思っていたのです。けど、何の因果か、結局占い師やって、今はレイキのティーチャーで電波な仕事していたり。(おや…?)事件史や犯罪学とか好きで検視官系の本、読み漁って、犯罪捜査の協力をするサイコメトリーに憧れて、来世はそっち系のことをしたいと思いつつ、監察医なんかもいーなーと(来世ね)思っていますが、臭いに敏感で臭いのはノーサンキューなので、その時点で死体の検視とか無理だなーと。まあ、話逸れました。レイキを習得する前、20代の頃ですが、台湾に気功習得しに行ったことがあります。先輩に誘われて参加したのですけど。最初は東京での合宿ということでしたが、伝授して下さる方が高齢でヤバイかも、ということで、私たちが台湾に行くことに。何が何だかよく分からないで参加しましたが、その時、初めて天と地の氣の交わるところに行き、大地の「氣」のパワーを感じる経験をしました。普通気功って、太極拳や合気道みたいに、「氣」を感じるところから少しずつ体得するのかと、そう思ってもいたのですが、当時は何をされているのかわからなかったんですけど、レイキのアチューンメント(伝授)と同じで、霊授で「氣」の道を繋げてもらってたんですね。でも、せっかく使えるうようにしてもらったというのに、成り行きで取得したものですから、真摯に向き合わず、そのままにしていました(放置)。その後、愛猫がリンパ腫で亡くなって、ペットロスに陥ったことから、その時、好意で愛猫に対して、遠隔ヒーリングをして頂いたことや、ダメージを受け、憔悴した私を見かねて、ヒーリングのサポートを受けたほうがいいと、友人が勧めてくれたお陰もあって、その友人であるレイキヒーラーの人のところに。(この下りはどこかに書いたとも思いますが)1980年代にニューエイジ・ムーブメントが起きた時、レイキは日本に逆輸入され、一時脚光を浴びたのですが、当時の私の印象として、「レイキって胡散臭い」偏見というか先入観から、毛嫌いしていたというか、敬遠していたものだったのですね。気功はともかくとしてエネルギーヒーリングとか、チャネリングとか、そういうのに対してもそうでした。占いの仕事していても、占い自体に抵抗ありましたし、今も新興宗教アレルギーだし、ミーハーにスピリチュアルを語っている人は苦手です。十分私自身が電波な人間なんですがっっっでも、まあその時は心身ともに弱っていたこともあり、抵抗なく友人の勧めを受け入れられたんです。で、受け入れて、レイキのヒーリングを受けてみたら、実際にものすごく元気になれた。心身共に前向きになれたんです。半年間、愛猫の闘病生活の末の喪失感、仕事も出来ず、日常生活もままならないほど、悲しんで嘆いて、心身共に消耗しきっていて、完全に「氣枯れ」してしまっていたんでしょうね。何度か通わせて頂いて、自分を取り戻して、「レイキ」を体感して、これは有益なものだと思いました。自分がそれまでもっていた偏見や先入観も捨てられたし。心身共に安定している、この状態をキープしたいなとも思ったし、もともと不安定な気質で心も弱く、病弱で精神状態に左右される健康状態だったこともあり、それが改善出来るかも、と伝授を受けたんです。当初、仕事にしようとかは思ってなかった。ティーチャーにしても、なろうと考えてなかったです。まだ占い師はしていましたが。アロマセラピストとしての仕事や、メディカルハーブに関連する仕事をしたかったので。たまたま、占いのお客さんとしていらした人で、「霊を憑依させてる」人や「氣の消耗」が原因だ、と言う人が続いたので、「レイキヒーリングさせて下さい」となって、そういう機会が増えたので、結果メニューに入れてみたのです。で、気が付いたら、そっちが本職になってたパターン。アロマテラピーのトリートメント中に、クライアントさんが急に泣き出してしまったことがあって、どうやら過去生の情報にアクセスしてトリップしてしまったので、それで仕方なくというか巻き込まれるようにというか、必然的に、状況的に仕方なくヒプノセラピーやら、過去生リーディングをするようになってしまった。(当時、続けざまにそういうことが起きたんです。急に誰か、がその人に降りてきて話し始め、私がサニワ役をやらざるを得なくなってしまうなど)たぶんレイキのアチューンメントを受けたことが、私の歴史でひとつのきっかけだったとは思います。でも、まあ、もともと子供の頃から、困ったことに霊的な体験はそれなりにしていたし、神秘学やそっち系の知識もあり、占い師で人の話を聞く経験を積んでましたから、何となくにしてもその延長線上で出来る仕事というか、無理なく移行できた職種という気がします。(今の仕事をする土台があったというのかなあ)色々と前置きが長いんですが、結果的に気功修行ではなく、レイキのアチューンメントを受けたことで、あれやこれやと今に至る道筋がパッと開いた私ですが、その前の気功修行にて台湾の某パワースポット、「天と地の氣が交わるところ」に行ったのも、ちゃんとした布石、道筋であったようなんですね。たった一週間しかいなかったけれど、いるだけで「氣」が体内に満ちる経験をして、「氣」が充実するってことがどういうことなのか、実際的に体感出来ていたので。その時はなんでも解るというか、リーディング絶好調でした。怖いものが一切なく、なんていうか無敵で、今の自分はなんでもできるってくらいに、気が大きくなっていました(ジャイアンでなく)。都会に存在するあらゆる電波や他人の想念が、あちらこちらを飛び交っているのが身体で分かるというか、すべてが自分を通り抜けていくのがわかるみたいな。このあたり上手く説明できないんですけどね。でも、その気功の奥義を授けてくれた仙人のような老師が私に何をしてくれたのか、その時にはまったくわからなかったのでした。日本に戻ってきてから、上記の状態になったんで。(台湾にいる間は旅行気分で浮かれまくってました)レイキのアチューンメントは、「レイキの回路」を作る、という表現ですが、ふだん私たちが三つの身体の維持と回復のために、栄養として取り入れてる「氣(エーテルバイタリティー)」とは違う種類の霊氣と名付けられた、「氣(エーテルバイタリティー)」を取り入れるために、その受信アンテナと通り道を作り、それを掌のチャクラから放出出来るようにする…そんな感じですね。なので、アチューンメント(伝授すなわち霊授)中に関しては、あれこれ「氣」の流れをいじられることになり、その後の21日間、体内にて氣の調整が行われるので、人によっては、体調を崩すこともあります。心身ともに不安定な状態に陥ったり、趣味嗜好の変化が起きたり、色々ですね。(たまに一日でファーストからサードまで伝授したり、きちんと定められた日数・行の期間を開けないで、連続した日程で霊授を行っている人がいますが、それは大きな間違いですね。21日間という単位は、行の基本的な単位ですので、きちんとセルフヒーリンクに圧縮・省略された行期間は、守らないといけません)氣の流れが大きく変わって、一時的に氣の波動が上がるので、貯めこんでいたマイナスの感情(エレメンタル)が、居心地悪くなって騒ぎ出すというか暴れるというか、これを浄化(デトックス)とも言いますけど、好転反応として捉えたらいいのかな、と。レイキを受けたから波動が上がって、心身の問題すべてが解決っていうのはないです。霊的な成長が伴っていなければ、体内の氣の波動が上がった状態というのは、一過性のもので一時的な体験にしか過ぎません。そうした良好な状態は短期間しかキープされず、数か月あるいは数年位で落ち着きます。この状態をレイキの効果が消えた、無くなった、力を失ってしまったとか、回路が閉じた、詰まった、というような言い方、捉え方をする人がいますが、そういうことではないのです。私の場合、レイキのアチューンメントを受けて、体内の氣が攪拌されたかなんかで氣の流れが変わり、氣が充実し、波動が上がったお陰で、生きるモチベーションが上がりました。その代わり、ヒーリング・クライシスが酷かったです。貯めこんで抑圧していた負の感情…ネガティブなエレメンタル(記憶)のフラッシュバック。とてもしんどく、大変でした。けれど、それを乗り越えた後は、健康面での恩恵がありました。今も決して身体は丈夫とは言い難いのですが、レイキを受ける前までは、少しストレッチなどの軽い運動をしただけでも、間接に負担がかかって炎症を起こし、熱を出して寝込んでいたのですが、その後、スポーツジムに通って運動をしたり、ヨガやストレッチなど普通にできるようになりました。一年中風邪を引いたような症状もなくなり、2、3年に一回大きな風邪を引く程度で済んでいます。幼少期のトラウマで食べれなかった、ある食べ物が食べれるようになったり、高所恐怖症で歩道橋も渡れなかったのに、渡れるようになったり、二階以上の建物のベランダも何とか、低層階なら大丈夫になりました。(このあたりは過去生の記憶の解放の恩恵のほうが大きいのですが)あれほど好きだったお酒も弱くなり、あまり飲まなくなりました(笑)タバコも止めました(美味しくなくなって)。ファストフードとかも気持ち悪くて、身体が受け付けなくなりました。(まったく食べていないわけではないです)てなわけで、私はレイキを取得したことで、大きな人生の節目を迎え、否応なく仕事の転換期を迎えることになりました。これに出逢っていなかったら?とも思いますが、確実に導かれたと思いますし、必然だったのだと思います。ティーチャーになることも考えていませんでした。人に教えるなんて自分には向いてないし、とんでもないと。でも、霊的真理の学びをすることとなり、そうした知識を得た事、要望を頂いたことで、ティーチャーになって12年の月日が経ちました。実際、ティーチャーになって、たくさんの方にレイキをお教えしてきましたが、受けられた方たちの中では、ヘビースモーカーだった方が「タバコがマズイ」となったり、キッチンドランカーだった方が、「コップ一杯飲んだら、もうダメで」となってしまったり…「果物や野菜をモリモリ食べるようになった」とか、アレルギー体質が改善されたとか、楽になった、という人もいらっゃいました。単なるプラセボ効果なのかも知れませんけどね。体質や体調、思考や趣味の変化もさもありなん、気持ちや考え方の変化、見識や意識が変わった…という声もたくさんあったりします。思ったことが叶いやすくなったとか、精神的に安定するようになったとか、細かいことを気にしなくなったとか、生きるのが楽になったとかとか…それは「氣」の流れによる波動の変化と、一時的にせよ、そうした効果によって、負のエレメンタルとおさらば出来ている(ネガティブエレメンタルから解放された)状態を味わっているからでしょう。そうした「氣の抗生物質的」な「特攻薬効果」をどこまで維持し続けられるかどうかは、その後のレイキの使い方、付き合い方次第、とも言えますね。生活態度や氣の扱い方。平たく言えば、その人がどう生きるか、どのような人生を生きようとするのか…レイキという回路を持ったことをどのように自分の人生に活かそうとするのか、氣が充実した状態や、波動が上がったことによる恩恵的体験をしている間に、何をするのか、掴むのか、気づくのか…すべてはそれ次第に委ねられているのかも。そっち側に行くのか、元の道に戻るのか…レイキの根本的な教えの中にある考え「八正道」この「八正道」を実践して生きられるなら、きっとその人は、光明に向かって行くことが出来るでしょうが。せっかく修得したというのに、「使っていない」とか、「自分には取る意味がなかった」「回路が塞がっちゃったみたい」「ちゃんと伝授してもらってなかったみたい」として、そのままになっているなら、それはもったいないこと。時間とお金をかけて、そして「導き」があって、得た縁のこと。きちんとご自分の人生に活かして頂きたいものです。

      17
      テーマ:
  • 01Nov
    • 自分を偽ると人生も偽りとなり貧困となる

      エレメンタルのことについては、レッスンでも勉強会でも、くどいくらいに色々な角度からお話して、きちんと理解して、知識や対処法だけでなく、生き方や意識を変えて頂くことをしてもらわないと、というのがありますね。かくいう私も昨日、不本意にも、使いたくないエレメンタルを使ってしまいましたっっ汗さて、「他人は自分の映し鏡」という言葉は、ほとんどの人が聞いた事があると思います。エレメンタルのことで言えば、自分が所有しているエレメンタルが、同種のエレメンタル(所有している人)を、引き寄せてくる、というのがあります。私のことで言えば、友人知人もそうなのでしょうけど、仕事で関わることになる、クライアントさんがまさにそうですね。スクールや講座を開いていたときの生徒さんも然り、グループレッスンの参加者も全員がそうでした。面白いことに、自分がその時に考えていることや悩んでいること、旬の話題や課題?に引き寄せられてか、同じような問題を抱えているクライアントさんが、集中するというかいらっしゃることがあります。これも引き寄せの法則なんですよね。そして私自身の課題、取り組むべき問題が、お客さんを通して示されているという事実。お客さんの中に私自身の問題を見ることが出来、お客さんに対して語られる言葉が、そのまま自分に対するアドバイスである時も多いのです。(お客さんにメッセージやアドバイスを伝えながら、『まるで自分自身に言っているみたいだな』と思うことは日々多く、我が身を振り返ることばかりです。そういう意味で、私はこの仕事を通して多くのことを学んでいますし、お客さんの姿からたくさんのヒントをもらっています。この仕事を通して、自ら作り出したエレメンタルの対処方法を教えてもらったり、自らの過去の姿を反省したり振り返ったり、成長させられる機会をたくさん与えてもらっているので、そのことには本当に感謝するしかありません)先日もそうでした。お金の問題について深く考えていると、お金の問題について悩んでいる人が立て続けに続き、同日にいらした方が全員お金の悩みということが…それぞれ初回の方でなく、リピーターさんでしたが。一名の方は遠方にお住まいで、経済的事情も背景にあることから、年に一回いらしてくれるかどうかの方なんですが、もう一人は都内にお住いの経営者の方。お金の問題といっても、経営悪化で明日にでも債務整理とか破産とか、そういう深刻な問題ではないのですが、どうしても景気に左右される面は否めなくて、多少の業績悪化で利益がイマイチだったりは、どの業界、お商売にもありがちなことです。従業員雇っての株式会社の経営者の方なので、有る無しを語る金額が、私たち庶民とはケタ違いだったりしますが、逆にそれだけ大きな財産を築いて有する方だからこそ、激しく執着してしまうのかなとも思ったりします。(お給料をもらう側ではなく、払わないといけない側でもあるから、当然と言えるでしょうね。経営維持や収支の変動に無関心な経営者では、雇用される側としても困ってしまいますし)それぞれの方のお金に関する悩みや問題は同じではなく、独自の背景や原因があるんですが、不安や心配を抱いていることに変わりはなく、共通している問題やレッスンがあったりもするのです。話はちょっと逸れますが、私はもともと占い師というところから、今の仕事をスタートさせています。最初に習得したのはトランプやタロットの兆学でしたが、後に命学たる占星学に導かれ、独学で学びました。小学生や中学生の頃の話ですが。以来、中学の頃から同級生を相手のアマチュア時代、そして社員など他の仕事をしてから占い師になり、20年位はなんだかんだ続けていたものの…結果的に占い(兆学や相学)というのは、天気予報のようなもので、予測でしかなく、天体や地球(天と地)の法則との関係性から、個人の運命を鑑みていく命学にしても、魂の起源(ルーツ)やブループリント、過去生やカルマのレッスンなどの概念がなく、これまでのその人の人生の歴史から一部を抜粋し、かいつまんで紹介した履歴書のようなもので、今生のスタート地点たる環境や、所持しているもの、すなわち特徴や個性、能力を知ることは出来ても、概要のみで全容ではないし、絶対的なものではない。ですので、秘めた可能性や資質や才能が開ける方向性を見るにはうってつけなんですが、「運命」として捉えるのは、誤りというかよろしくないという結論に至りました。そしてもう一つ。個人の運命に囚われてしまうと時流を見逃す、というのもあるのだと…例えば占星学はもともと「人間」ではなく、「国家(民族)」の行方を見ていくための学問でした。なので、宇宙(神のような意志)が促す、人類の進化や成長への方向性を見るには、これ以上はないというほどうってつけの学問なんですね。(もちろん易経も森羅万象と人類の関係性を見るには、最適な学問ですが、私は習得してませんので語らずでっっ)この占星学が示す「星の言葉」は、まさに、天が人類に対して霊的進化のための道を、背中を押すようにして囁いている、一人ひとりが宇宙にたった一人の存在として創造的に自分らしく生き、自らの魂を輝かせるための道へと誘う、メッセージそのものなんです。私はもう基本的には、占いを用いてクライアントさんの相談に乗る、ということはしていませんが、仕事に絡んだことや適職などをみる時だけは別で、今でもチャートを出してチェックすることはしています。(個人的にはタロットもちょっとした判断の助けにはする)でも、チャートに出ていることは可能性と資質であって、たいがい本人がやりたいこととイコールではないので、基本的には今のその人や魂が望むことを重視します。優先すべきは、今の希望ですから。(但し、カルマのレッスンの導き(潮流)には逆えないことの方が多いのですが)人生とはその人が選んで創っていくべき、「新しい地図」なのであって、他人に決められたレールの上を歩くことではないので。例えそれが天の定めであったとしても、当人の強い意志や決めた事に勝るものはないのです。なので、占い(この場合、命学)は、あくまで自分に対する情報であり、参考にすべき意見として聞くべきで、絶対的なものとして自分を呪縛するべきもの、あるいは、何もしないでやってくるものを表している地図ではない、ということを理解しておいたほうがいいと思うのです。そして、スピリチュアルなサポートと占いは本来異なるものです。ここを混同している人がとても多いのですけど。まあこの辺りは別の機会に置いておくとします。でもって、この宇宙(創造主)からの人類へのメッセージ…一人ひとりが霊的に進化していくために、人類に対して働きかけている大きな流れのこと、何を考えて何に取り組むべきか何を成すべきか等、具体的に星からの叡智の言葉を、とても解りやすく上手く伝えてくれているのが、みらいみくさんのblogかなーってことで、ここでオススメさせて頂きますね→西洋占星術の入口自分が何を準備しておくべきかのタイミングや、どんな心構えでいるべきかまで教えてくれますよ。そろそろ本題に戻ります。そんなみんなで人類に「目覚めなさい」ってメッセージを伝えてくれる占星学では、数年前から、「偽りの仮面や着ぐるみを捨て、 嘘偽りを全部捨てて、 そろそろ本当の自分を生きようよ!」っていう時流と段階に入っているんです。世の中の動きや、地球の宇宙におけるステージ(波動)がそうなっているから、その流れに逆らって生きている人は必然的に、苦しい想いをして、閉塞的な気分に追い詰められてしまう。過去の古い価値観に縛られている人。誰かのリクエストに応えるだけの人生を送っている人。自分の意志をもたず、周囲の思惑に流されて生きている人。どんどん生きるのが辛くなっています。自分を表現できず、自分を見失って、色んなことが上手くいかなくなってしまう。私は今は占い師ではなく、スピリチュアルセラピストとして、クライアントさんの相談に乗っているわけですが、ここ数年、そういった問題を抱えている人が、圧倒的に増えていると感じます。先にお金の問題で来られた社長さんも、その事業をやりたくて始めたわけではなく、続けたくて続けている仕事ではなく、いまさら他に出来ることもないし、いちおう利益が回っている事業だから…「お金」を自分に確実に与えてくれる収入源だから、という理由で自分をごまかしつつ、騙し騙しで何十年も続けている方でした。でも、好きな仕事ではない、もともとやりたくて始めた仕事ではない、というのがあるので、仕事から得られる「悦び」がなかったんです。だからいつの間にか、「利益」を上げることが目的となり、「お金」に執着し、通帳の金額が増えていくことだけが、自分のスタイタスとなり、アイデンティティとなった。ある程度の年収を稼げるようになれば、現実世界においてはそれは「成功」となります。けれど、心が得るものは何もないのです。家族のためと言いながら、家庭サービスは仕事を理由におざなりになり、お金を十分に与えて、教育さえ受けさせれば、それが家族の幸福であると錯覚した故に、家族との絆は築けず、心はバラバラになり。ビジネスを拡張し、収益を上げるマネーゲームに没頭するものの、何のためにそれをするのかという目的意識がないと、結局は金額の変動に気持ちを左右され、自分の幸福のありかをお金に支配されてしまう。"人は、パンのみに生きるにあらず"過去の記事で書いたことがありますが、カルマになる行為や出来事について、「そこに愛はあるのかい?」というクエッション(問い)が突っ込みのようにあって、レッスンとしてお試しのように繰り返されると…それは他者に対してもそうですが、もちろん自分にも適用されるわけです。今の日本でもワーキングプアーや浮浪者、生活保護を受けないと生きられない人、福祉や行政の保護を受けられないで、貧しい暮らしを強いられている人はたくさんいます。けれど、第三国(後進国)と違って、明日のご飯を得るのが精一杯で、生きるためにギリギリの生活をしている、という人は少ないほうです。決してお金持ちで豊かではないけれど、何とか明日の生活をしていくことは出来るし、贅沢や人並を望まなければ、妥協したり生活レベルを落とせば、生きていくことの出来る人たちがほとんどです。後進国の人たちは仕事したくても仕事がなく、選びたくても選ぶほどの仕事がありません。ですが、今この先進国たる日本では、たくさんの種類の仕事があり、会社の数もあり、起業したり、自営業や自由業など、身分や性別、出身などで仕事が制限されることもなく、様々なスタイルの働き方を選ぶことが出来ます。選択肢は狭いようでとても広いのです。誰しもに、職業選択の自由が与えられています。(同時に労働の義務もありますが法律でも保証されてます)嫌いな仕事を自分のためではなく、誰かのためにと、自分を犠牲にして、イヤイヤ行っていても良い内容の仕事は出来ません。適性のないこと、苦痛なこと、悦びや楽しみを得られないこと、自分に実りを与えられない仕事をしていても、結果的に心を破壊してしまうだけで、その人からお金と時間を奪うことはあっても、得るものなどないのです。そういうことをしているとどんどん貧しくなります。お金はどんどん離れていきます。その前に「人」が離れていくことになります。何故かというと、その人自身が愛のない生き方をしているからです。自分自身に愛を与える暮らし、愛のある生き方、愛のある仕事をしていないので、愛がどんどん枯渇して、心が貧しくなっていきます。すると余裕がないので「他人」に与える愛もなくなり、人生や生活自体が貧しくなって、結果として貧しい人生を生きることになります。例え収入が良い仕事でも、身体や心を壊して、いつか働けなくなり、最終的には病気になって、その治療費が嵩み、健康を取り戻すためにたくさんの出費をすることになります。鬱になったり、内臓の疾患になったり、中毒になったり、肉体を欠損したり、目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり…心が悲鳴を上げて身体がシグナルを発して、「もうこんなのは止めてくれ!いい加減にしてくれ!」と機能を停止させ、気づかせようとするのです。働かせないように、動けないようにするために、ありとあらゆるクーデターを起こしてくるのです。こういう人がいました。イラストレーターになりたかったのだけれども、親に反対され、自分でも難しいかもと思い、周囲を納得させるための就職先として、収入の良いIT関係の仕事に就きました。けれど、右脳型のその人にとって適性はなく、はっきりいって苦痛だったのです。それでもお給料がいいので頑張りました。ですが、慢性的な胃痛や胃痙攣に悩まされることになりました。その後、ノロにかかったり、O157にかかったり、何度も入院しましたが、会社は辞めませんでした。次には胃にポリープが出来ました。簡単な手術で取り除き、すぐ復帰しました。しかし翌年についに胃がんを発症しました。ここに来て、ようやく当人は、「あれ…?どうしてこんなにたくさん病気になるんだろう」と思ったのです。でも、心配した友人や相談した専門家に転職を進められても、「一度決めた道だし、今さら他の仕事は… 何しろ今の会社は収入いいし」と、迷ったものの転職をすることを考えませんでした。結局、手術して摘出したものの、若かったこともあり、ガンは他所に転移してしまいました。この人の病気の原因が、ストレスと言ってしまうのは簡単です。でも、この人にストレスを与えたのは、誰であろう、その人自身であることは間違いありません。確かに好きなことをして稼ぐのは容易なことではありません。誰もがハリウッドスターや花型スポーツ選手になったり、夢見ることを叶えられるわけではないというのも事実です。でも、自分に向いていること、適性のあること、自分の可能性や個性を伸ばしたり、他人に感謝されたり褒めてもらえる才能や、楽にできることを仕事に活かす道を捜すことは、さほど難しいことではないはずです。やってみたいことにチャレンジして、それでダメだったらあきらめもつきます。他人に押し付けられたことで失敗するのと、自分で決めた道で失敗するのとでは、その後の立ち直りや引きずり方、責任の所在の押し付け方など、結果も大きく異なります。他人に押し付けられたことで失敗すると、誰かを恨んでしまいます。自分で決めたことで失敗したのなら、納得も行くし、とりあえずやってみたし、精一杯やってみた結果を受け入れて、次の経験に生かそうという前向きな結果を生むので、それは良い人生での収穫になります。自分の長所を活かせる仕事、他人から感謝の言葉をもらえる仕事をすること、やりがいがあって、自分を与えることの悦びがあって、自分自身を最大限生かせる仕事をするのって、人が人として生きるのに必要なことです。そのようなステージを与えられて初めて、人は自分自身を肯定するることが出来ます。自分の人生も、他人の人生も、です。仕事で感謝されたり、認められるのって大事です。他人に自分の能力を提供することで、誰かに喜んでもらい、感謝される。それは自分だからこそできることで、自分の個性が活かせる(殺さない)道で、自分自身に愛を与える道で、他人や世の中に対しても愛を与える道で、自分自身も周囲の人をも、豊かにできる道なんです。それを間違えてしまうと、身体や心や、そして宇宙が、「その道は違うよ」「間違ってることにいつ気が付くの?」とばかりに、道はどんどん狭くなって、閉ざされて、気が付いたら呼吸が出来ないくらいに、苦しくて辛くて、動けなくなってしまいます。お金もどんどん出るばかりで、回らなくなります。何故なら、自分自身に「楽しいこと」「悦び」を与えないのは、心身に栄養を与えないことと同じなのですから。心が貧しい、肉体が貧しい状態は、現実をも「貧しい状態」へと導くのです。お金は生きるために必要なものでありますが、手段であって、目的ではないのです。自分自身を豊かにするためのものです。そのお金の稼ぎ方、使い方を間違えると、愛の無い使い方をして、自分自身に栄養を与えず、自分を育てることに使わないでいると、霊的にも現実的にも貧困になるばかりです。さて、上記の社長さんは、何年も同じことをずっとアドバイスをするのですが、「困った」ばかりでアドバイスを実行する気配が、まったくありません。「言われた通りになってしまいました」と、そうした報告ばかりです。でもいらっしゃるのは一年に一回か二回。「収益が減っていくのが心配で不安です」とメールや電話で愚痴報告を下さったりするものの、継続的に取り組むことは前向きに考えて下さらず。「あなたが変わらないことには… 意識や考え方を変えて、 これまでの生き方を改めようとしないことには、 何も変わりませんよ。 誰かが助けてくれるのを期待して待っていても、 あなたしかあなたを助けられる人はいないんですよ」と、おりにふれてはお伝えしていますが。何年越しのクライアントさんであっても、世忘れた頃に数回来るか来ないかの人で、アドバイスをまったく実行してくれない人に関しては、結局いつも同じアドバイスを繰り返し伝えるしかなく、です…(他でも同じこと言われたらしいですし)「他人に送ってこられる念(生霊)のせいだ。 これを取ればビジネスも上向きになるはず」になっちゃってますので。それを取っても、引き寄せている当人の意識がシフトしないことには、取ってもまたすぐくっ付くからあまり意味がないです。(ぶっちゃけカルマのレッスンなので)と説明しているのですが…たぶん、うちに来るお金も惜しいのだと思います。払えない金額ではもちろんないけど、自己投資する金額として価値を見いだせないのでしょう。これは個々の価値観だから致し方ないです。別にうちでなくても、何かご自分がこれだと思える、有効なセラピーや自己変革への手段が、見つかればいいのですけどもね。占いやセラピーやカウンセリングでなくても、人生の見方や意識変えちゃいますっていうような体験、一か月間バックパッカー旅行とか、勇気を出してスカイダイビングにチャレンジとか、なんかまあ、ビジョンクエストみたいなこととか、そういうのが望ましいんですが。そして、その方が本当にやりたかった、ビジネスや事業形態に、そろそろシフトチェンジして欲しいんですけれど。お金に執着して、地位にしがみついている限り、今のビジネスは下り坂で未来はなく、幸福になれたり、上手くいくことはないので。てなわけで皆さんも、自分を偽らず、自分の個性を生かし、魂を輝かせ、喜ばせる、愛のある仕事に向き合ってくださいましね。あなた自身が「財」になり、金を産む卵になれる仕事。見つけて下さい。(その前に汝自身を知らないといけませんが)それをしないと、これからの時代、どんどん生きづらくなるだけですヨ。とにかく「自分を表現する」ことをサボッていては、ダメ出ししか来ませんからね~

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      テーマ:
  • 30Oct
    • 成長して力を増すエレメンタル~負の引き寄せパターンの誕生と収束

      ちょっとタイトル長いですね。まるで陳腐な二時間ドラマのタイトルみたいになってしまったっっ汗エレメンタル無くしては、私たちの人生もパーソナリティを語ることは出来ず、私たち自身そして人生の構成要素そのものなんですが、同時に「死なす」ことが出来ないものなので、意に反したものを創ってしまったり、悪癖や悪習慣、悪しき道に誘う、負のエレメンタルを創ってしまったりするとマジメに後が大変で、創った本人を苦しめる不幸の根源になってしまい、とてつもなく恐ろしく怖いものでもあります。(これを手名付けることが出来る、エレメンタルマスターになれたら怖いものナシですが)※ポケモンマスターではありませんっっさて、今回は私の経験に基づいた、負のパターンを創り出したエレメンタルのお話をば。20代のとある時期に私は家探しをしていたのですが、猫を飼っていた事情もあって、一戸建てにこだわっていたことから、とても難航しました。しかし、ラッキーなことに、「転勤の間だけだし戻る時期が読めないので、 家賃は希望通りでOK、猫も可、自由業OK」というリッチな物件が見つかったんですね。本来30万の家賃相場でしたが、めちゃ破格の家賃で。大家さんは某テレビ局に勤務のご夫婦。そうした背景から、会社勤務ではない私の職業的事情にも、理解を示して下さったのでした。風水や気学やってる同業の友人たちに相談すると、「絶対いい! ここにするべき!」と太鼓判。ルンルンで契約をし、引っ越しの日が決まった後。大家さんから、「左の隣の家のオジサンなんだけど、 とても気難しくて困った人だから、 お付き合いには気を付けてね。 あなたが女性だと知ってなめてくるかも。 うちは正直いって仲悪いんだ。 昔から色々とトラブルがあってね…」あらら。それを聞いてしまった私、ちょっとビビリ~に構えてしまいました。親が地方出身者(ド田舎)で、育ったのは東京の隣とは言え、都会でもない田舎でもない中途半端な住宅地。そして昭和の生まれ、その価値観で育ってます。引越してお隣に挨拶に行くのは当然のこと。挨拶をしに行った時、恐ろしくイジワルな人のはずのお隣さんは、愛想よくニコニコと私を出迎えてくれて、普通の親切な人に見えました。「あら、意外」とはいうものの、大家さんから色々と聞かされていたので、油断できないしな~と、警戒心を解くことが出来ませんでした。結局その家に住んでいた間、私がそのお隣さんから嫌がらせを受けたり、イジワルをされたり、トラブルが発生することはありませんでした。大家さんが本社に戻って来るまでの間、お陰様で平和に過ごさせて頂けたのです。何かあったときに大家さんと連絡取る時、「何かされてない?」などと心配され、悪口だったり今までのことを聞かされるくらいで。でも、ここに住んでいる間、私の中には、「お隣さんは気難しくて怖い人だ。 何か言ってきたら、されたら、どうしよう」という恐れが芽生えてしまい、お隣さん=悪みたいな印象(先入観)が、エレメンタルとして育ってしまったのでした。その時点ではまだ霊的真理について、私は何も知りませんでした。障り程度も学んでいない時期だったのです。さて、次に引っ越したところの大家さんも、とてもイイヒトでした。東京の郊外に家を建てて住んでいたものの、お母様が亡くなってしまい、その都内の家をどうしようかと悩まれていたところ、不動産屋さんがこの人に貸してみたら?と、縁を取り持って下さったのです。密集地ですので一階の日当たりは良くないけれど、とても広い一戸建てて、猫飼いもOKでした。けれど、住んでみると、玄関が接するお隣さんがこれまた強烈なご夫婦でした。(奥さんは旦那さんに従ってるという感じ)決して根は悪い人たちではないんですが、なんていうか過干渉で、悪い意味で昭和ヒトケタ生まれの人たち。自分たちの価値観を押し付けてくるのですよ。何しろとっくに隠居している人だから、いつも家にいて他人を監視しているのか?って感じで。家の中に入ってしまえばいいのですが、会いたくないあ、といつも身を縮めていました。大家さん曰く、「あ~あの爺はねー 生きてるときからうちに文句ばかりつけてきて、 親も散々悩まされ、苦労しましたよ。 増築のときにもいちいち怒鳴り込んできて。 違法なんかしてないのに。 子供のときから知ってるけど、イヤな爺でね」もう片方のお隣さんはとても感じの良い人で、良い御近所付き合いをさせて頂けたのですけどネ。さて そこもシロアリが出てしまい、取り壊すことになったので、また引っ越し。アパートの一階と二階でワンフロア一世帯の家で、庭があり、猫OKな予算内の家が見つかりました。もち、家賃交渉しましたけど(希望通った!)。二階に住んでる同棲カップルは、お二人ともとても感じのよい人たちで、生活音も静かで友好的な関係を築けました。大家さんもお電話でご挨拶をしましたが、「何かあったら遠慮なく~」という感じの良い人でした。ですが、ところが…同じ大家さんから借地権で土地を借りている、お隣さんご夫婦がまた、とんでもない人たちでした。勝手にこっちの敷地内(庭)に入ってくるし、玄関ではなく、庭のほうから覗いて声をかけてくる。まったくもって「天上天下唯我独尊」な人たちでした。結局色々困ったことが起きたので、(カーテン開けられないし、仕事(来客)中も覗かれるし)大家さんや管理会社である不動産屋を通して、トラブルを訴え、間に入ってもらったのですが。それに対して逆切れをして、怒鳴られたり、イジワルをされたりって、大変なことになりました。(町内会長さんにも相談したりとかetc)そんなこんなで、段々嫌がらせが酷くなったのもあるし、上手く行っていたお二階さんが引っ越しした後、新しく転居してきた人(ゲイカップル)も、これまた勝手な人たちで、ついに耐え切れず…もう無理!と値を上げることになり、平穏無事な生活と環境を求めて、引っ越しすることを決心しました。立地や家自体はとても気に入っていたのですが。ちょうど愛猫が亡くなり、ヒーリングを学び、そして霊的真理などを学び始めた頃のこと。私のこっち方面の仕事に大きな変化の波があって、ものすごく精神的にも浮き沈みが激しい時でした。愛猫が死んでしまったことから、ペット可の物件にこだわる必要がないので、次の転居先はマンションになりました。荷物はたくさん処分することになりましたけど。そこの家では階下の奥さんがとても神経質で、ちょっとメンヘラ?っぽくありましたが、お隣さんはシェアをしている女性二人組と、もう片方も女性でしたが普通の人でした。けれど、まぁ何もないということもなく、かといって以前と比べると大したことなく…マンションの駐車場の向かいに汚屋敷みたいな、昔ながらのトタン住宅のようなところがあって、夜中に仲間と道路で騒いでいたりするのが、ちょっと迷惑って、そのくらいなものでしたので。さて。。。ここで気が付いた人もいると思うのです。はい。これがエレメンタルによって起きたことです。きっかけは、ここで話した一番最初の家に住んだとき、大家さんから聞かされた情報から創ってしまった、お隣さんへの良くない印象(先入観からの不安)と「畏怖(未知のものへの恐れ)」の気持ちです。これがすべての始まりでした。その気持ちが核となり、「困った問題のある、お隣さんがいる」というエレメンタルを誕生させ、住居環境、物件へと私を引き寄せ、導き続けたのです。実際にはそのような体験はしていないというのに。先入観が「問題のある人がお隣に住んでいる」という思い込みのエレメンタルを作り、現実を創り出し、引き寄せる発端となったんです。現実には私を困らせるお隣さんなんて、いなかったというのに…次の転居先では、そのエレメンタルによって、実際に「困ったお隣さん」がいる物件に棲む羽目になりました。大家さんは前回と同じようにイイヒト、右隣の人もイイヒト。そして次の転居先。前回の住居で実際にお隣さんにされたこと、それに対して不快な感情を抱いたことなどが加わり、さらなる面倒で困ったお隣さんが住む環境へと、私は導かれてしまいました。大家さんもやはりイイヒト。もう一人のお隣さんに相当するお二階さんもイイヒト。ここに住み初めてから、私は霊的知識を学び始め、真理について知り、エレメンタルについても知己を得ました。そうした知識の背景や霊的成長の道を選ぶことにしたというのもあってか、少しずつ自分がどうしてこのようなパターンに陥って、繰り返しのご近所問題に悩まされることになったのか、おおよそのことがわかってきたのです。とはいうものの、そうしたトラブルの渦中にあって、感情がさざ波たっていましたから、今ほどは自分のことを客観的に見れず、スピリチュアルナルシズムの罠に陥ったりカルマのレッスンやらで、租借して理解と知恵に落とし込むまで、だいぶ遅れたというか時間が掛かりました。(それでも知識を持ったことと、その原因=理由が理解出来始めたことから、カルマのレッスンも解消に向かい、勢いを増していたエレメンタルのパワーも収束に向かい、マンションに越す頃には、現実化の力がおとなしくなっていたのです。それでもこのエレメンタルは不活発になったとは言え、死ぬことなく存在していて、再びパワーを与えられるのを待ち構えてもいますから、再び活性化させないように、意識を向けないよう、十分に気を付けないといけないのです)そして、自分を悩まし苦しめる、このトラブルの始まりのすべては、このエレメンタルを作ってしまったことからであり、その後で現実化されてしまった時に抱いた強い感情、すなわちお隣さんに対して抱いた不快感や恐怖…こうした感情がエレメンタルに栄養として注がれ、「お隣さんに理不尽なことで悩まされる」といったようにどんどんパワーアップして大きく育ち、引き寄せの力を強大に高めていったのでした。このエレメンタルを無力化することによって、今はとくにご近所トラブルのない環境に住み、お陰様で平和に暮らせているわけです。はい。どうでしょうか。エレメンタルが成長するっていう実例になりますが。これがエレメンタルの力であり、エレメンタルの怖さです。無力化(ミイラ化)して、書き換えをするなど、活性化させず不活発化するのは並大抵のことではありません。たった少しの感情から、とても短い期間に作られたものでも、私の場合15年もの長きにわたって悩まされ続けたのです。生まれてからの環境から創られたもの。あるいは生まれる前の、過去生から繰り返し使われ、何千年も培って成長し、パワーを蓄えてきたものを、完全に無視して克服するのは至難の業です。エレメンタルと対峙するのは、たやすいことではなく、生半可なことではないのです。ぶっちゃけ戦っても勝ち目はありません。そして、エレメンタルというのは、「好き」「嫌い」、「NO」「YES」は判断しません。「こういう気持ち」という、エレメンタルが出来上がってしまったならば、ひたすら「こういう気持ち」を引き寄せ続けるだけです。「嫌い」「要らない」「お断り」「キャンセル!」も区別せず、通じず、二度とゴメンな出来事であっても、出逢いたくない人であっても、存在するだけで全部が「YES」となり、「欲しい」「ちょうだい」なリクになってしまい、ただ同等の波動のものを引き寄せ続ける磁石になるだけ。そんなこんなで、エレメンタルというのは出来上がってしまった時点で、そこに含まれた「感情」を当人に体験させることを、再度リクエストし続けるオーダー表のようなものです。創った当事者がその事象や感情に意識を向け続ける限り、それを具現化させるための十分なパワーを与えられ、現実化するための準備をするのです。具現化するための期間はまちまちではありますが…実のところ、こうやって運命って出来ていくのです。すべての人の人生は、その人自身が創造するエレメンタルによって創られ、築かれ、引き寄せられ、導かれていくものなのです。これが人生を創造する「からくり」です。人の運命を創っているものの正体です。私を苦しめた、負のパターンのサイクルがそうであったように、あなたを苦しめている出来事も、あなた自身が過去の何処かで創ったエレメンタルによって、マグネットのように導かれ、引き寄せられているのです。引き寄せの法則は、ロンダ・バーンの著書「シークレット」から、一般に周知になっていったのだと思いますが、それ以前からもちろん、古代の叡智として伝わっていました。知識の源、出どころは同じです。(ユダヤの知識はもともとエジプトの神殿から持ち出された霊的真理における教義の秘術、叡智が原点から持ち出されたものなので)ただ、エレメンタルのことを難しく詳細に説明するより、「引き寄せの法則」とカジュアルに説明したほうが、普通の人にはわかりやすいのです。霊的真理の中で語られたエレメンタルや、カルマの法則の知識の一部を取り出して、教義や教訓的に伝わっている内容よりも、なじみやすい理解の仕方であるならば、そのほうが伝わるによいように思います。というわけで、私たちはもっと、自らの考えること、思うこと、言葉にすること、に対して、意識して注意を払わねばなりません。一瞬思ったり望んだことでも、それがエレメンタルの種となって、何かを引き寄せ、それに対しての反応がまた、その種に栄養を与え成長させ、パワーを与えては、あなたにその「感情」「思考」を体験させるため、現実としての出来事や人物を引き寄せようとするので。思ったことや考えたこと、口にしたことでさえ、ものすごいパワーをもって具現化されるのです。まして実際に習慣化していることなら尚更。一度経験したことが繰り返されるのは当然です。そして、過去を引きずっていたならば、いつまでもその環境に居続けることの選択となり、過去に生きるだけの人生となってしまうのです。ですので、起きてもいないことで不安になるのは止めましょう。まだ何も起きていないのに、未来を心配するのも止めましょう。起きて欲しくないことを考えるのも止めましょう。過去に起きたこと、今起きていることで、望まなかったこと、起きて欲しくないことを考えるのも、望まない選択をしようとすることも止めましょう。言葉に気を付けましょう。自分の云った言葉は自分に戻ってきます。他人に対して思うことは、自分が誰か他の人からそう思われる結果になります。悪口や愚痴、不平不満も批判も否定も、自分が人にされたくないことは止めましょう。嫌いなことや嫌いな人のことを考えるのは止めましょう。好きなもののことを考え、好きな人について考えましょう。起きて欲しいこと、望んでいる未来をまっすぐに考えましょう。怒りや憎悪はいつまでも抱えず、自己批判もせず、過去もネガティブな感情も早めに手放してしまいましょう。上手く行かなかったこと、失敗や恥は忘れてしまいましょう。上手くいかなかった他人や失ってしまったものは、想い出だけ大切にしまって、執着は手放しましょう。反省や内省はしても、後悔は止めて、自分も他人もジャッジするのは止めましょう。あなたが今感じて、味わって、浸っている感情が、あなたの未来を創っています。あなたのその感情が、もっとこの感情を味わっていたいと、その感情を味わえ体感できる現実を創り出しているのです。お金がない、お金が足りていない、出逢いがない、男運がない、などと思っていると、その通りの感情が味わえる人生しかあなたは生きられません。あなたはずっと今感じている感情を「この感情」が欲しいと、未来にオーダーし、リクエストし続けているんです。あなたの未来は、今あなたが感じていること、考えていることが決めているんです。あなたがあなたの未来を、人生を創っているんです。思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。 言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。  行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。 性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。 - マザー・テレサ -

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      テーマ:
  • 29Oct
    • 人格と人生の破壊者~シャドウ・セルフという名のモンスターエレメンタル

      まず前置きとして。何度もここで書いてきましたが、エレメンタルとは想念体のこと。エーテル・バイタリティー(氣)の、四大元素(エレメント)の比率によって、その性質が大きく左右され、決定づけられるので、「エレメンタル」といいます。とはいうものの、やはりエレメンタルと言われてもピンと来ないかもですね。「氣の塊」と言った方がまだわかりやすいでしょうか。人が、自分の三つの身体(肉体・感情体・思考体)に氣を取り入れて、それぞれの身体の使い方によって、氣が練られて、そうして出来たものが「エレメンタル」です。とはいうものの、エレメンタルは人間だけでなく、大天使たちも、いわゆる創造のエネルギーの扱い主はみんな生産します。このエレメンタルのカテゴリは大変広く、まず人のすべての想念(思ったことや考えたこと、記憶)、肉体的動作の記憶、言葉(言霊)など。そして生霊や呪術によって創造されるものもエレメンタルですし、パーソナリティとしてのエレメンタルもあります。動物も植物も昆虫や魚などもエレメンタルです。時として人の想念は、幽霊や想像上の生き物を、人が認知し、視覚でとらえられるほどの高水準の存在を、三次元レベルで誕生させたりすることも出来ます。そしてエレメンタルは単純に、良いものと悪いものの二種類に分けることも出来ますが、感情から派生したもの、思考から派生したもの、人ではないものが創ったもの、完璧なもの、不完全なもの、本当に色々なものがあります。使い魔や式神、動物霊と言われるもの、聖なる存在、信仰に基づいて創られたもの、霊脈や霊道、祖霊的なグループ、神々のエネルギーの集合体、また個人の創り出した同種のものが引き寄せられて、集まったグルーブエレメンタルはとても厄介です。(民族や人種、国の集合体無意識と言われるもの等)※グループエレメンタルとは単独に創られたエレメンタルが、 類似の波動のものと引き寄せ合って、ひとつに固まったものエレメンタルを理解せずして、私たち人類の歴史や個人の人生を語ることは出来ません。困ったことに私たちの人生はエレメンタルによって操られ、支配されているといっても過言ではないからです。けれども逆を言えば、このエレメンタルを理解し、支配され操られる状況から何とか脱却して、自らがエレメンタルを自由自在に操ることの出来る、エレメンタル・マスターになることが出来れば、これほど素晴らしい人生の幕開けはないでしょう。(ポケモンマスターじゃないですよっっww)とはいうものの、それは並大抵のことではありません。何故なら、エレメンタル・マスターになることは、悟りを得ることであり、解脱することであり、まさに輪廻転生の輪から脱出するチケットを手に入れられたと同意語だからです。エレメンタルは困ったことに死にません。その活動を抑制し、力を奪うことは出来ても、消滅させ、無に消えさせることは出来ないのです。残念ながら人間の力では…私たち人間がエレメンタルに対してできるのは、出来るだけ無力化させて、使わないようにミイラ化させることだけ。そして、その破壊的で邪悪なエレメンタルよりもより強力な、建設的で善なるエレメンタルを量産することだけ。★ ★ ★ ★ ★さて本題。私たちの人生には問題が山積みです。今の人生に満足して、十分幸せだと、とくに問題なく順調だと思っている人はさほど多いものではないでしょう。人には何かしら悩みや問題があります。まったくない人もいますが、そうした人は幸いです。すべてが順調に、思い通りの人生を生きられる人は珍しく、誰しもが、上手く行かないことのひとつやふたつを抱えており、何か始めようとすると躓いたり、人間関係で悩まされたり、いつも同じ場所で間違えてしまうとか、同じパターンの似たような出来事に遭遇してしまう、など。他人から見て、完璧ですべてが上手く行っているような人であっても、悩みや不満や苦しみなどは存在しているものです。けれど、障害や問題といった人生の障壁は、結局のところ、その人の内的な問題の表れでしかないのです。外側にある世界は、内側にある世界の現世であり、心の問題(四次元に創ったエレメンタル)や思考の誤り(五次元に創ったエレメンタル)が、すべて三次元(現実社会)に具現化された、その結果そのものだからです。問題は、その人の苦しみのタネの原因となっているのが、何であるのかということだけ。それがいつ派生したもので、何に起因しているのか…まずそれを知ることからでしょう。人は、人間としてこの世に生まれ堕ちた時から、エレメンタルを毎日生産しながら生きています。人生の最初の時から輪廻転生を繰り返し、何百回もの人生で創ってきたエレメンタルの総量は、想像を絶するハンパない圧倒量です。そして、その人自身の性格すなわちその人自身は、過去生から現在まで創ってきた、エレメンタルの総量とイコールだったりします。つまり人というのはエレメンタルの集合体なんです。私たちが好むと好まざるを選ばず、過去生から作ってきたエレメンタルは私たちの性格に反映し、行動を左右します。意識していようといまいと、です。ほとんどが無意識的に、で。人生を邪魔しているのは、他人なんじゃありません。確かに霊といった存在や、他人から飛んでくる悪意や生霊や、呪いだの祟りだの、環境や外部的要因、そうしたものに邪魔されることはあります。エレメンタルは同種のものと引き合います。氣の塊ですから、固有の波動を持ちますし、その人独自の波動は雰囲気を創り出し、他人から好かれたり嫌われたり、人や物事を引き寄せたり引き離したりします。今生はとても善良でおとなしい人であっても、過去生では攻撃的で自己中心的な人だったとしたら、そうしたエレメンタルが今生ではなりをひそめ、表立った性格を支配していないだけのことです。一生そのエレメンタルが陰に隠れたまま、二度と力を持たなければいいのですが、時に何かのきっかけで復活する場合もあります。そして、その人がそのエレメンタルを使っていなくても、時にそのエレメンタルに気づく人もいます。過去生で関係があった人でなくても、その人が今はそうした特質を表していなくても、気づいて敬遠してしまう人もいたりします。その人自身の人生を邪魔しているエレメンタルが、今の人生の初期においての刷り込みだったら、その影響を逃れることはさほど困難ないかもしれません。けれど、それが過去生から何世代もにわたって練りに練って練られて創られた、年季もののハードでヘビーなダークキャラだとしたら?この影響や支配下から逃れるのはとても厄介で、生きることそのものが困難な苦行とも言えるでしょう。自分の無意識下に刷り込まれた、恐怖や邪悪な想念に悩まされ、いつどこでその根を持ったのかわからない、性格の歪みや悪癖に永遠に悩まされるのですから。今その人を悩ませている問題が、その性格(パーソナリティ)にある場合、自分の中の、どういったエレメンタルがエゴイズムを持っていて、自分の人生に暗い影を落とすシャドウセルフとなり、望まない現実を引き寄せ、人生を邪魔し、望む未来と隔てる壁を創り出しているのか…それを知って、考え方や思い癖を直すべく、直したい性格の歪みを自覚して、内省と瞑想をし、理想の自分になるための目標を描き、その目標に向かって、生きながらの生まれ変わりを決心し、トランスフォーメーションと自己実現と変革を起こすべく、セルフ・イメージなどに励んだり、金銭的余裕があるならサポート・プログラムを受けて、自分改造と性格矯正のための、トレーニングを積めばいいだけです。それは新しいエレメンタルを作ることで、望まない、使いたくない(活性化させたくない)エレメンタルを無視したり、不活発化、無力化することに他なりません。精神疾患においての人格障害を発症している人は、ほとんどがこのシャドウ・セルフを通り越して、モンスター化してしまった、強烈で強力なエレメンタルの問題を抱えています。そしてこのエレメンタルは、三つの身体のエーテルダブルと、エーテルセンター(チャクラ)に対して、深刻なダメージを与えます。ですから、チャクラを整えるだけでは追いつきません。この悪魔的なエレメンタルから力を奪わないことには、どうにも元の健全な状態にもどすことは不可能です。それはもしかしたら、今の人生だけでは時間が足りなくて、先の人生、未来生やその次の人生にまで、持ち越してしまうかも知れません。多数の霊的存在のグループによる憑依が、精神障害の原因を創り出している場合には、こうした霊的な存在を追い出すことによって、改善されるでしょう。霊的な存在を科学的な手法で追い出すには、電気ショックなどが有効で、その昔、精神病棟などで効果を示したときには、明らかに霊的な存在が患者を悩ませていた場合です。(精神科において、霊的存在に対処して結果を出した実例の症例報告の良書として、アメリカの精神科医・ウィックランド博士の著書「迷える霊との対話」が参考になるかと思います)でも、エレメンタルが原因である場合は、そのような方法ではどうにもなりません。エレメンタルは霊に似て霊に非ず、だからです、霊的な存在や他者の創ったエレメンタルに悩まされる人、特に霊を引き寄せてしまいやすい霊媒体質、中でも憑依体質の人に関しても、結局のところ、その人の所有しているエレメンタルが、その霊を引き寄せているのが実情なのです。過去生で創ったものにしても、今の人生で創ったものにしても、人というのはそれまでにその人が創ったすべてのエレメンタルの集合体なのです。リアルで活性化させて使っているもの、不活性化させてしまいこんでいるもの、その二つに区分されているだけで、ちょっとイヤなことがあって怒りを感じたり、哀しみを覚えたりして、波動が下がってしまうと、普段は使わずに済んでいる波動の低いエレメンタル、すなわちマイナスの感情で創られたそれらに、スイッチが入ってしまうことがあります。そしてその波長に引き寄せられた霊的な存在や他人が創ってゴミのように浮遊している邪氣、類似の想念体を引き寄せて、その身にくっつけてしまうことが多いのです。そうならないためには、常に霊的健康を維持するように努めること。氣を充足させ、楽しいことや明るいこと、他人や世の中のためになることを考えたり思ったり、愛情や思いやりの心を示して、感謝を口にして、睡眠と休息を十分に取り、健康的な生活をし、良い習慣を取り入れ、愚痴や不満から遠ざかること。ネガティブな考えや想いを、なるべく活性化させないようにして過ごすこと。…などです。そして、精神的な調子のよい時に、自分の性格的な問題を客観的に見つめて、外側の世界に映し出されている現実的な問題と、自己に内在する性格の問題の因果関係を突き止めること。つまりはシャドウ・セルフの問題に取り組むことです。これをすることで、自分自身というものを知り、自分の人生を考え、自分がどのようなエレメンタルを日頃から創っていて、どういったエレメンタルの集合体であり、どんなエレメンタル、エゴイズムを持っているのか分析し、結果として弱体化するべきエレメンタルを知って、意識的にどのようなエレメンタルを創っていくべきなのか、どういった生活をして、どのような習慣を取り入れるべきか、そうしたことがはっきりするからです。でも、それはとても辛くて、しんどくてめんどくさくて、気の遠くなるような先の長~い憂鬱なことですが。けれども、これをするか否かで、自分が人生の苦しみの渦や、いつも悩まされる負のサイクルパターンから、抜け出せるか抜け出せないかが決まってくるのです。今の人生で間に合わないにしても、これをするかしないかで、圧倒的に未来世も変わってきてしまいますから。人の感情はとても厄介なものです。そして感情はときにモンスターとなって、その人自身にも周囲にも襲い掛かり、不幸になる選択をさせたり、苦しめたりします。どうしようもない抗えない感情に翻弄される時、人はたいてい内なるモンスターの支配下にあります。シャドウ・セルフが狂ったように暴れだして、あらゆるものを破壊しようとするのです。そのスイッチとなるのは、怒りかも知れないし、恐怖かも知れない。覚えていれば向き合うことも、他人に理解を求めることも可能ですが、過去生の、すでに忘れてしまった、思い出しようもない、証明も出来ず、説明しようもないことが背景にある場合には、どうにも制御できないもう一人の破滅的な自分を抱えて、一生そんな自分に怯えて、苦しみ続けけることになってしまいます。かくいう私の中にもモンスターが棲んでいます。過去生から積み上げられてきた、他人や世間、社会に対する怒り。被害者だった時の自分もいるし、加害者的な立場の黒歴史な汚点もある。哀しみから発狂してしまって自殺した人生のとか、理不尽な目にあって人を憎悪し、呪ったときのも。色んなものが少しずつ溜って、練り上げられてきた、なかなかどうして手強い、邪悪なキャラです。恐ろしい般若のような毒だらけの攻撃的な鬼女が。私の中の「魔」ですね。このblogを読んでいる人なら、分かると思うのです。だって毒舌だし、選ぶ言葉も暗いでしょう(笑)他人に対して厳しいし、辛辣で皮肉屋で批判的で…何より自分のことは棚に置いてるし。決して明るく楽しい気分になるような文体ではないですし。まぁ、性格は歪んでますよ。醜いとこいっぱい。心も狭くてキレイではないです。親切で愛情深い人間ではないです。優しくないし。嫉妬もコンプレックスもあるし、イジワルな面も持ち合わせてます。そういう自分が好きかと言われると、好きではないですが。闇ならいっぱい抱えています。人をうんざりさせるダークサイド、たくさん持ってます。だからこそ、この仕事が出来ているというのもあります。他人のダークサイドに動じず、驚かないから。人はそういうものだと思っているので、打ち明け話も不幸話も残酷な過去生も冷静に見れるんです。そりゃ、たまに人の欲望の醜さ、自己中さに、辟易して疲れてしまって、キレるときもありますケド。でも、自分がダークサイドな面もってなかったら、他人のネガティブな側面を分析して、受け止めて、罪や過ちのある過去生や醜悪なエレメンタルを視る必要のある、今の仕事はとても出来ていなかったと思いますし、耐えられることが出来ていなかったでしょう。幸福な人間というのは、他人の痛みや不幸に鈍感なものですし。そしてこのblogに書いているような文章も、(とくにケースファイル)書けていなかったと思うのです。だから、私の抱えるダークサイドは私の血肉の一部であり、黒歴史であるシャドウ・セルフがあってこその私。とはいうものの、使い方なんですよね、こうした暗黒面は。エゴイズムもエレメンタルもようは使いよう。他人を、人間を理解するための材料にすればいいのです。幼少期より自覚してて暴走させたくないと、そう理解して抑制して、刺激しないようにしているのですけれど、しかし、エレメンタルは強し。無意識に顕在化して暴走させることは近年ないけど。でも、呑まれそうになって、負けてしまいそうになることは多々。エレメンタルとは決して戦ってはいけない、と言うけれど…。私の中にいるモンスターはなかなかどうして、無敵な破壊者(デストロイ)なんですよね。嵐を呼ぶハリケーンみたいだし、ヒンズーの女神カーリーかドルアーガかって感じ。出来れば、慈愛の女神様に練り直したい。何百年かかるか分かりませんが(出来るのか)。いやさそれにずっと取り組んできましたよ。でも、エゴイズムと向き合うのは一生の課題ですから。ダークヒーローに仕立てられるのが今の精一杯かな。とはいえ、お陰様でだいぶおとなしくなってきたんですよ。このシャドウ・セルフ…現実社会に望ましくないものを顕在化してしまう、自分に内在する闇でありネガティブの源で巣窟。自分の人生に陰を創り出し、人生を邪魔して問題を創り出しているこの存在、邪悪なモンスターを退治することは、まさに悪魔祓いと言ってもいいかも知れません。とはいうもの、正面切って戦うのはタブー。まずは敵(汝自身)を知ることから。ちなみにエゴイズムとその人は別のもの。きちんと切り離して考えないといけません。とはいうものの、それ自体難しいことだったりします。その人自身を変えるというよりは、エゴイズムを取り除くためのアプローチ。それがシャドウ・セルフを癒すということです。私自身、この自分に内在している、たくさんの過去生での人生を通して創られてきた、怒りのパーソナリティの集合体にものすごく悩まされました。色んな問題やトラブルを引き寄せては引き起こし、悪い方に考えたり、そのような選択をしたり、爆発して暴走してのトラブルメーカー。傷付きやすく、キレやすく、行動に一貫性がなく、周囲に迷惑をかけ、振り回す、まさに歩く迷惑。憑依体質というのも相まって、めちゃくちゃで支離滅裂な性格で人生でした。もちろん、生まれ育った環境やネガティブな刷り込み、そういう背景もありますが、引き寄せているのは過去からの思い癖と思考、シャドウセルフの自虐的でエセな自己犠牲心とか、被害妄想や自己中な傲慢さ、復讐心や蓄積した憎悪や怒り。これらの集合体としてのエレメンタルが形成した、とてもダークなパーソナリティ(エゴイムズ)。結果的に私の人生のうまく行かない原因、私の人生を狂わせ、望まないものにしている元凶が、このシャドウ・セルフだったのです。それを知り、向き合い、克服するべく対峙することは、非常にきつい作業でした。過去生を知り、ヒーリングのテクニックを身に着け、霊的真理の知識を学んでいった段階で、いかにシャドウセルフの存在、エレメンタル(エゴイズム)の力の強さ、それによって人が、人の人生が操られていることなど、クライアントさんたちの姿を通して、そして自らの身をもって知ることになり、少しずつ少しずつ時間をかけて、実践と失敗の繰り返しで、結果が出ては学んできた感じです。未だ試行錯誤のところもありますが。だからこそ、そうしたシャドウセルフに人生を翻弄され、狂わせられている人に対して、もっと何かサポート出来ないか、と考えました。グループレッスンを通じて、エゴイズムやエレメンタルについて知ってもらったり、霊的知識を学んでもらって、内省やエクササイズに取り組んでもらったり、セッションにおいてセラピーやヒーリングなどの、テクニックでアプローチしたり、リーディングの情報を伝えるだけでは、どうしても本質的な問題に行きつかないというか、意識的に取り組んでもらうには弱いのです。もっとクライアントさんの方で、自主的に取り組んでもらわないと、双方向でタッグを組んで頑張らないことには、とても難しいというのがこれまでの経験上、唯一分かったことでして。★ ★ ★ ★ ★そんなこんなで、自分に内在するシャドウ・セルフを癒したい!無意識の問題・性格の問題を改善したい、過去生のトラウマやクセを克服したい!という人向けに、メニューを考えてみました。webサイトのカスタマイズセッションのページに、掲載していますので、興味のある方はどうぞ。珍しく仕事の宣伝です(笑)

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      テーマ:
  • 28Oct
    • 私自身と仕事について

      たまには自分について書いてみます。たぶんここでは最初で最後ですが。ていいいますか、こちらのblogを見ていらして下さったお客様曰く、長らく読者でいて下さったとのことなんですが、当初「何をしている人なんだろう?」と不思議に思っていたそうでっっ汗別の方からも「どうして今のお仕事を?」とか「今の仕事をするにあたって勉強はされたんですか?」とか質問頂いたりしましたんで。いちおう仕事のサイトはありますし、このblogの大元のblogにはあれこれ書いているんですけど、(余計なことまで)こちらは記事の抜粋blog(アーカイブ)なので、確かに分かりにくいですよね。「お前はそれで誰なんだ? それでもって仕事は何なんだ?」と。てなわけで今更ながら、何をしてしている奴なのか、という話。今の仕事の肩書としては、スピリチュアル・セラピストになります。単純にヒーラーと言ってもいいのですが、施療だけを提供しているのではないので、それは違うかと。スピリチュアリズムにおけるサイコセラピーをしているので、サイコセラピストと名乗るのがベストなのでしょうが、それだと心理療法士とごっちゃになってしまうので、心霊的なセラピーをしているという意味合いで、スピリチュアル・セラピストと名乗っています。どんなサービスを提供しているかというと、クライアントさんのお話(悩みや抱えている問題)を聞いて、その原因がどこから来ているのかの因果関係を、クライアントさん自身の状態から読み取って、リーディングしたり、情報をゲットしたりして、原因を探って解説し、対処法としてのヒーリングやセラピーを用いたり、アドバイスしたり、メッセージを伝えたりしている・・・そんな感じですかねー問題の性質によっては、霊的な事象、過去生についても触れていくし、当人の性格や考えかたの問題を指摘したりもします。(癒しに特化しているわけではないです)天職や適性など仕事についての相談では、占星学のチャートをみていくこともあります。前世療法的に過去生の情報を読み取って説明したり、ヒプノテラピーでクライアントさん自身に、前世情報を見て頂くナビゲートもします。カルマに関する情報や魂の目的情報を拾ったりもします。霊的な存在からのメッセージを伝えることもあるし、エレメンタルを処理することもある。このblogの過去記事に触れているように、霊的な問題(事象)に触れることも多々ありますが、タイプ的には霊媒で、霊能者ではありません。どちらかというと、シャーマンでユタ、日知り(ひじり)みたいなポジションかつスタイルです。宇宙霊や神と交信したりとかは出来ないし、神通力みたいなものはありません。そういう修行もしたことないです。祈祷師とも呪術師とも拝み屋さんとも違います。眼には見えない存在を捉えたり、彼らから情報をキャッチするという意味では、チャネラー(イタコ)と言ってもいいのかも知れませんが、その言い方は私自身は好きではないのです。それに特定の霊を降ろして話す、なんてこともしませんし。今の肩書、ワークスタイルに至るまでは、24の時から占い師をしていました。占い自体も独学です。たまたまピアノの先生に教わったトランプ占いが、得意なことになってしまって、タロットに移行して、素人で周囲を占うことを始めてしまった、がきっかけで。占星学は本で勉強して。単なる趣味で特技でした。占い師になりたいとは思ったことはなく、霊的な方面の仕事にだけは就きたくないと思っていました。高卒後、アニメーション業界で動画の仕事に就き、その後は某大手食品会社に就職し、サービスの仕事に就き、趣味嗜好からウィッチクラフトを習ってはいたものの、人生紆余曲折色々あって、気が付いたらスカウトされて占い館で占い師やってました。でも、脱出したくて派遣の仕事(事務職)に逃げて。占いは原稿書かせて頂いたり、電話相談やったり、たまーにやる程度にだらだらと。40になった頃にレイキのプラテクショナーになって、気が付いたら、ヒーリングを仕事にするようになってました。その前に20代の時、台湾で気功を伝授して頂いていたので、「氣」を扱うことになったのは、必然な流れだったのかも知れません。お客さんにセッションをするうちに、現場で色々、勉強させられたって感じでしょうか。ヒプノセラピーにしても、前世療法にしても、パワーストーンを用いたヒーリングとか、チャクラヒーリングにしても、何にしても、もちろん霊的な存在に対する対処法にしても、何処かで誰かにきちんと教わったことないんですよ。あ、単発の講座みたいなのに出たり、アチューンメントを受けたり、自分がお客さんとして受けて体験して、ってその位。そうした体験で理解したことを私なりに消化吸収して、自己流にアレンジして使ってる、そんな感じ。なんていい加減なんでしょう!(ごめんなさい)瞑想や座禅とか習ったり、滝行に行ったりはしても、あくまで好きなことであって、趣味での「参加」って感じで、修行じゃあ!みたいな「指導」は受けてないんですね。(あ、座禅は今月イチで通ってます)魔術とか霊的真理とかの知識だけは習いましたが。必要に迫られたときに、知識が降りてきて、「ああ、こうするんだな」って、理解がそこにあって、それに従っている・・・それだけで経験積んでしまった。ホントいい加減で適当だなーと申し訳なく思います。もちろん、子供の頃から心霊関係や神秘学の本や、エドガー・ケイシーの本も読んで、魔術本も読んで、検視関係の本読んで、サイコメトラーに憧れた時期もあり、ブラックジャックに憧れて医者になりたいとも思ったし、メディカルハーブの通信教育でホリスティック医学や解剖学の本読んで、家庭の医学程度には習いましたかね。製薬会社の臨床開発部でアシスタントしたのも良い経験で。運命学や神秘学や心霊的な分野に興味を持ったのは、生まれてこの方、自らが経験している不可思議な体験が何なのか知りたかったからなのですが、どの本にも納得することは書いてありませんでした。それも小学生くらいで読むのを止めてしまいました。唯一納得でき、私自身が体験している世界とみているものを、解き明かしてくれたのは、大人になってから読んだダスカロスの書物だけでした。そこからすべての謎が解けて、目が開かれたのです。てなわけで、今の私の仕事のスタンスは、「クライアントさんが自らの問題に対峙し、それに取り組んでいくための力を、取り戻せるように後押しし、サポートする」そんな立ち位置です。臼井レイキのティーチャーとしてレイキヒーリングを伝授したり、臼井レイキ以外の発展系の伝授もしていたり、レイキに関わらずヒーリングのテクニックと知識をお教えしたり、スピリチュアリズム(心霊科学)と霊的真理の知識+αとして、それらをベースにしながら、これまでの私が経験したり修得したあらゆるスキルや知識を、それを必要とし、学びたいと思っている方にお教えすること。んでもって、冒頭にも書いた個人セッションにおいて、クライアントさんのお悩み相談にも乗っているって感じです。(未来予測とかはしてないです。あくまで原因解明と、現状を改善することがメイン)何が原因なのか、だからこーしてあーする・・・みたいな。カルマのレッスンを説明したり、誤っていることを指摘したり、過去生に原因がある場合、その人が知る必要がある情報はお伝えしたり、生霊や幽霊さんや霊的な存在が原因の場合はそれなり。※霊的な問題で私が対処できることは最善尽くす、けど、出来ないこと、力不足のことは多々あるかなーと。(基本的には、クライアントさんは導かれてくるわけなので、私の実力や技量にあまる方は来ない仕組みなんですよね。私が対処できるレベル以上の方は来ないはずだから。・・・うん、たぶん・・・そう思う)てなわけで、「私の前世教えてください」とか「私の守護霊さまってどんな人ですかー?」「オーラの色はわたし何色ですかー」みたいな質問は受けてません。(そういう方を避ける意味で値段もそれなりにしてます)なんでもお見通しでなんでもわかるなんてことはありません。クライアントさんの質問ありきで、これからどうされたいと思っているか、の希望ありきのセッションです。今でも判らないことだらけできないことだらけですよ。マルチで万能な能力者ではないのです。広く浅く、知識だけは批評家のようにあるだけ、です。医者で例えるなら、総合医のように全般に通じてて、患者の状態を把握して適切な専門分野の振り分けなどの判断は出来るけど、テクニックは並で、平々凡々って感じでしょうか。私自身には何の力もなく、奇跡や魔法を起こす力はありません。それらを起こすのはいつだってクライアントさん当人で。すべては時期が来ているか否かのタイミングだけです。私がクライアントさんの問題を解決するわけではないのです。私はクライアントさんの背中を後押しし、変化や問題解決のきっかけを与えるだけの存在です。霊的な問題を解決するのは私ではなく、見えざる存在たち(透明なヘルパーさん)で、彼らが介入しないことには私には何も出来ません。私は現実世界の住人の立場から眼には見えない事象を、眼には見えない存在の代わりに声という言葉を発して、その人の人生に何が起きているのかを解説し、共同作業での現象をアプローチするだけです。ですが、時期が来てないことは何も起こらないし、助けも与えられません。クライアントさんが問題意識を持って、自分自身の人生上の問題を何とかしたい、人生変えたい、自分自身を変えたいって、心から望まないことには、何の助けにもなってあげられません。やっていること、どんな施療内容、サービス提供なのかは、ここのblogでのケースファイルで判断してもらえればーかな。下記は私自身についての情報。どうでもいい情報ですが、どんな人物かという参照まで。★出身地は千葉県。東京住みの方が長いですが。 里帰り出産でしたので鹿児島県生まれ。 てなわけで親戚は鹿児島県に多く、 次いで宮崎県、兵庫県、愛知県にちらほら。 私自身は毒女ですが、ゆとり世代の甥1号と甥2号、 姪1号がいて、甥2号は妻子持ちです。★今はテレビがない生活をしていますが、子供の頃はテレビっ子でアニメや特撮ヒーローモノが好きでした。(ウルトラマンよりは仮面ライダー派) 女の子モノにはあまり興味がなく、ロボットアニメや忍者モノ、男の子向け作品が大好きでした。特捜最前線や必殺仕置人とか子連れ狼とか、ちょっとダークな刑事モノや時代劇も大好きでした。★壊滅的な運動音痴なのでスポーツは出来ません。今はもう見ませんが、昔はプロ野球好きで阪神ファン。毎年モルツドリームマッチ応募しています。★漫画は子供の頃から好きで今も読みますし、買います。ただし、好きな作家さんのだけで、かなり偏ってます。アニメは20代で卒業しました。★今は目の問題があるので本は読めませんが、子供の頃は読書好きでした。横溝正史の金田一シリーズ、モーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンシリーズは全部読みました。愛読書は「悪徳の栄え」「美徳の不幸」「屋根裏部屋の花たち」「嵐が丘」基本的にフィクションは好きでなく、ノンフィクションばかり。SFやファンタジーは嫌いです。コリン・ウィルソンの作品とか検視官系、マーダーケースブック的なものが好きです。あとは記録的なもの、史実本や人物史など。カール・セーガン博士の「コスモス」とかも大好きー★映画も好きです。最近は全然見れてないので、昔はよく見た、と言う感じでしょうか。黒澤作品とか西部劇とかミュージカルとか歴史モノとか。映画音楽の作曲家ではエンリオ・モリオーネが好き。★音楽は浪曲や演歌以外、ジャンルの幅広く聞きます。とはいうものの、邦楽も聞きますが主として洋楽リスナー。70年代から80年代にかけてのハードロック、プログレファン。ビートルズや60年代のアメリカンポップスも聞きますし、ジャズ、映画音楽、民族音楽やフォークロア的なのも好きです。クラシックはあまり得意ではないです。最近では数年前から和楽器バンドのファンで、唯一ファンクラブ入ってて、ライブも行ってます。★美術館や博物館に行くのも好きです。歴史はわりと好き。美しいものや芸術や他人が創った作品を眺めるのも好き。クラシックバレエやミュージカル、ダンス、演劇も好き。★決して鉄子ではないのですが、乗り物好き(免許無)。YouTubeで新幹線が走っているのをボーッと眺めてられます。私自身、特急や新幹線に乗るのが好きですし、鉄道や飛行機や船の旅などの搭乗動画見て癒されてます。★神社マイラー、寺マイラーです。 旅行好き。けれど海外旅行はエジプトと台湾のみ。 温泉好きで近所のラクーアスパにもよく行ってます。★一人でカラオケ良く行きます。ゲームもよくしています(ダウンロードゲームのみ)★美味しいものを食べるのが好きで、カフェ巡りやティーサロンに行ってまったりするのが日課です。★料理もお菓子作りもやりますし、ガーデニングも好きです。アンティーク家具とかインテリアとか、家の内装とか間取り図見るのも大好きです。そんな感じで、好きなことは多くて多趣味になりますかね。性格は決して良くはないです。頑固で偏屈。一言で言うなら、ヘンなオバサン。高卒で学歴はありません。勉強は出来ず、頭悪いです。義務教育程度のレベル。絵はデッサンとか習っていたこともあったし、過去に絵を描く仕事をしていたこともありますが、今はまったく描きません。仕事は電波系になりますが、スピリチュアルなことにはほぼ興味ないです。はっきりいって煩悩の塊で俗物ですwww無関心というより、私にとってスピリチュアルな事象というのは単なる事実で、日常のヒトコマでしかないので、それを特別視する理由も意味もないのです。仕事で取り扱う世界で、身近な現実だけれども、プライベートで敢えて強く興味を引く出来事ではなく、心惹かれる世界ではないので。私が一番興味を惹かれるのは、人の命の運びとこの現実世界なんです。宇宙人と積極的に話をしようとも思わないし、天使には「お仕事ご苦労様」としか思いません。同業の方とは話、まず合いません。話が通じない、といったほうが正しいかな。私が見ていて、認識している世界や、周知として所持している知識が、他の人とあまりにも隔たり(食い違い)があるので、共通の認識、観念の上での会話が成立しないのです。哲学としている知識のバックボーン、土台が異なっているとか、経験の違い、言葉やイメージに対する捉え方の違いなので、これは致し方ないと思っています。

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      テーマ:
  • 19Oct
    • 自己管理の大切さ~霊的健康のススメ

      セッション時でのことなので、久し振りにこのテーマでの記事です。クライアントさんというか、友人のことなのですけど。帰省した直後から、どうもヘンだ…と、SOSの依頼。というか、その友人とはSNSで繋がってもいるのですが、その直前にプロフ写真を変更したのを見て、「うわ……ちょい、ヤバくね?」とは思っていたのです。(押し売りはしたくないので、当人から相談されないことには、よっぽどのケースでない限り、私からは気づいたこと等、とくに言いません)電話をもらって声を聴いた瞬間、「わお、おもらいになりましたね」で…やっぱりそういう相談かー、だったんですが。「東〇〇(自殺の名所)に行ってしまった」なんでも、急に身内が、そのすぐ傍の某所に行きたがって、強制的に連行?されてしまったらしいのです。そういう場所だから、地元であっても当人は避けていたというのに…。ヒーリングワークのスキルとかはない人ですが、もともと神仏に対する信仰心がある人なので、自分なりに何とかしなくてはとあれやこれや、色々と思いつく限り試してみて、多少は離れていったみたいで軽くなったものの、まだダメだと。周囲にも「目つきが危ない」「相当ヤバイ」「早くどうにかしたほうがいい」と言われる始末。で、私のことを思い出し、お客さんとしていらして下さったわけですね。ええっとー まだ残ってました(憑いていた)。亡くなられた方たちの残留思念。やはりアレですね。飛び込み自殺だと、途中岩壁とかにぶつかるからか、肉体のダメージが相当です。骨折とかあれやこれやでバキバキでズダボロ。もう肉の塊としか言いようがない。飛び降り自殺の場合、高いところからだと、途中で意識喪失して痛くないっていうけど、でこぼこした断崖から落ちた場合は、そうは行きません。(私も過去生で経験者→自殺でなくて突き落とされた)ぐちゃぐちゃになります。そして痛いです、ハンパないです。一瞬で死ねるわけではないですし…激苦しみます。よしんば運よく海に直接ダイブできたとしても、コンクリートに激突の衝撃、その下の岩石でぐちゃり。てなわけで人としての形骸をとどめてないんだな、コレが。(たぶん人の形骸をとどめてたのは、友人がトライした初期の段階で離れたらしい)でも、基本その人たちは悪意がない人たち。人生が辛くて死にたくて死にたくて追い詰められて、それかふとした瞬間いろいろ虚しくなって魔が差して、「あ~死にたい」と吸い込まれていった人たち。行くべき場所に導けばいいだけです。自殺者とはいえ、元は素直な方々でしたので楽でした。(今回はね、たまたま。対話や説得する必要もなくて)どうも、半年くらい前から、徐々にサイキカル体が抜け出していたようで、(原因となったことはプライバシーなんて省きます)そんなこんなで離魂病状態に陥ってて、エネルギー漏れからエーテル体にダメージが少しずつ。波動下がって、スキだらけになっていたところ、そんな場所に連れていかれた…と。(理由はそういう状態だから=負の引き寄せ)だけど、それだけではなかった。某新興宗教から何か来てる。(宗教的な干渉は特徴ありますので分かりやすい)話聞くと、帰省した際に再会した知り合いの入っている、某宗教施設に連れていかれたという話。前々からあれやこれや勧められて断っていたものの、今回ふとそこって何信じてるとこ?って気になっていってしまったらしい。(まさに波動下がりまくりだったから=負の引き寄せ)「あっちゃ~! やっちまったか」って感じです。さて、どうしようか…ですけれど。とりあえず近況報告もそこそこに横になってもらい、身体のオーラのあちこちに張り付いて、残っていた方々にとりあえず対処して、そっちの方からの邪念と「見張り」の方に対して、暫定的な対処をば(何したかここは企業秘密)。しいて言うなら、この宗教、他のとある宗教を嫌ってて、敵視しているのでそれを利用させて頂いたって、そんなとこ。で、氣(エーテルバイタリティ)の補充。このあたりは普通のレイキヒーリングでOK。で、とりあえずはここまでかな、と思ったんですが、(霊的汚染を受けていた期間にもよるのですが、毒素のようなもの、邪氣が完全に抜けるまで、人によって一週間か数か月か、しばらくかかる)ぼやけていた視野が明瞭になり、視界が開け、不安定だった下半身がしっかりしたと、本人ひと安心したのもつかの間・・・なんかおかしいあれ?で再度ベッドに戻ってもらいました。しまった、とりこぼしか…!完全に私の失敗、見誤りです。某宗教団体からの見張り対策として、あることをしたんですが、その前にやるべきことを忘れてた。例えて言うならば、ばい菌を完全殺菌する前に、縫合したり包帯を巻いてしまった。なのでばい菌まで閉じ込めてしまった。慌てて、いったん外してやり直し。とりこぼしに関しては、帰省に際して、お墓参りに行った時、どうも「お墓に入れない」遠縁の人たち…を持ってきてしまっていたんです。今までは拾わなかったんですけど、今回帰省前から波動下がりまくっていたので。隠れキリシタン?の人たち数名。仏教のお墓には入れなかったのですね。加賀藩に縁合って匿われてた人たちとのことでしたが。友人曰く、お隣の県(当時は藩か)に親戚はいないっていう。まあ、関所が出来て移動禁止になる江戸時代以前はどうだかよく分かりませんからね。もしかしたら、どこかでつながってたかもです。同じ北陸ですし。三人ばかり女性で一人は身なりの立派な男性。その男性は首ではなく、腰からロザリオ?ぶらさげてました。この方はちょっと宣教師っぽい立場でもあったみたい。(外人ではなくどうみてもお侍)本来なら刀を差すとこなんですが、謎。そして加賀藩とキリシタンって??でした。女性たちは殺されるときにロザリオは奪われてたみたい。そして初期のキリシタンなら信仰の対象は、「デウス様~」だと思うんですけど、何故かマリア様(マリア観音)に反応していました。とりあえずうちにあるロザリオを友人に握ってもらい、マリア様とかキリスト教関連のグッズを身体に乗せ、福音香を焚いて、マリア香も焚いて、聖書の一説にて成仏?昇天か…を祈るところまで。(マリア信仰に反応するのでそっち方面の祈りで対応)辛かったんだろうなって思います。500年もの間、そこに縛られていたんかーいって。(幽霊でなくて、エレメンタルですけど)ふがいないのですが、最初の段階でとりこぼししてしまったのは私の不覚。けれど、イイワケをするならば、一つ取ってみないと、次が現れない、下に隠れているものが判らないのもまた事実。(だからイイワケするなって)それでも、霊的毒素つーか、しばらく後遺症は残ってしまいます。これはその場だけでできることではなく、時間かけて身体から抜けていくのを待つしかない。汚染受けていた期間が短ければ回復は早いけど、数か月、数年単位だと、なかなかです。友人の場合、その日のうちに胃痛、肩こり。翌日に頭痛、肩こり、異常な眠気。そして手のしびれと全身から何か抜けてくゾワゾワ感。胃痛は消化器系(主に腸や肝臓そして膵臓)に、貯まっていた邪気が外部と直接つながっている、胃に集まってきたから。でも、肉体の痛みを感じ始めたというのは、気もそぞろで肉体に対して鈍感になっていた意識が、肉体に向いたってことでいいことなんですよ。肩こりも相当前から出ていたと思うし。そしてそれが移動して今度は頭痛に。口からげっぷとか嘔吐で出ればいいんですが、頭から抜けようとする場合もあるんで、するってーと、前頭部もしくは頭頂部が痛くなる。異常な睡魔は身体がダメージから回復するために、休息をしようとしている証拠なので問題なし。報告もらったのですが、たくさん寝たなら翌日スッキリとのことでOK。あとは眩暈のようなふらつき。眼鏡の度を変えたときのような違和感ですね。これも珍しいことではなく、長らく離魂病とか、三つの身体がズレてた人の場合、もとに戻ったとき、正常な状態に身体が慣れるまで、なんかヘンな感じ…を体感することになります。疲れ的な重さでなく、下半身がしっかりしている、安定している、重さを感じるという状態でのコレなら、直っていく過程においての反応ですので、問題視する必要はないのです。このように、セッション後にクライアントさんから経過報告を頂いて、経過観察をすることはとても大事なことです。とりこぼしや施療ミスをしないためにも。でもまあ、この友人のように、敏感な体質(霊媒体質)で霊的成長の過渡期にある人は、定期的に波動チェックというか、霊的メンテナンスは受けて欲しいなあ、と…思ったりする今日この頃。けれど、当人の意志が大切なことですので、無理強いは出来ません。見守るだけです。まあ、そこはそれ、受け身なお商売ですんで。セッション直後に、「ああ、そういえば」と。友人はどちらかというと神社好きなんですが、何故だか、東京に戻ってきてから、以前知人からもらった「不思議のメダイ」をずっと握りしめていたことを思い出し。まぁ、そういうことですね。きっとあの方たちが求めていたのでしょう。てなわけで、うちには仏教、神道、キリスト教関連のものの備えがあったりします。ヒンズーもあるな。けど、イスラムとかユダヤとかになると、ない。かなり以前のことですけど、海外で土着の神様(西洋ではない)関連のものを、お持ち帰り(物理的なものでなく)していた、クライアントさんがいて、「うわー どうすればいいの、コレ」ってのがあったので、やっぱり色々備えておかないといけないのかな。コーランも必要かな。そしてすぐ取り出せるようにしておかないとかな。でも私何の修行もしたことござんせんの。めちゃくちゃ自己流でいい加減なの。それでいいのか…ってのがあります。その前に私、魔女だろって突っ込みか。いやさ、多神教ですから。なんてったって、宗教チャンポンが日本人の特権なんで。でもって、もう一人、別なクライアントさんの話です。チャクラヒーリングのフルを、定期的に受けてくれている人なんですが、この間久し振りに見たとき、なんじゃこりゃ?っていうエレメンタルが、元気に第二チャクラの海の中、泳いでいたりする。最初は「龍?」と思ったんですが。 よく見ると、顔が昔見た事のある、ハチのようなアブのような、妙な顔の虫に似ているんです。そして胴体の部分は何故か節足類。ムカデみたいな?とても色鮮やかで、でもよく見るとキモイ。どうも、身近な誰かに対して、ちょっと斜め上な、イジワルな気持ちを最近抱いていたみたいで、そのエレメンタル。その人に対して創ったものというより、昔作ってしまった、同類の他者に対して抱きがちな、モノの見方の想念で、いったん収束していたものの、それがむくむくって元気になっていたと。(エレメンタルは死なず消すことは出来ない。よって栄養断ちしてミイラ化させるしかない。ミイラ化していたのが栄養あげてしまったんで、復活して元気になってしまったという話)それと、第一チャクラが真っ黒になってた。ここは家族、血縁者と繋がっているので、当人の、というより、家族のリアルタイムのが、まああれやこれや来ていたわけです。兄弟姉妹たちの心の澱とか、兄弟姉妹、家族であるクライアントさんに対する、複雑な気持ちとかそういうもので。何度掃除すればいいんだって思いますが、生きている限り、何も出ないことはないっていうか、住んでいる家でも、チリやほこりは毎日出るわけで、一度徹底的に大掃除したからって、それで永久に清潔で掃除の必要のない、キレイな家に住み続けることは出来ないって、そんな感じでしょうか。身体もある意味、私たちにとっては「家」ですので。人間の肉体も定期的にお風呂に入る必要はあるし、歯磨きも毎日しないとダメになるし、(口臭より歯周病恐るべしですぜ)心も日々あれこれ善い事も悪い事も考えるわけだし、あっという間にケガレは貯まります。そういう意味で、自分でもメンテナンスし続けることは必要かも。一度受けたからって安心しきらないで。それでもどうにもならなくなったら、掃除のプロである他人のサポートを求めるのもアリ。霊的なメンテナンスもチェックも、時には必要ですよと、たまには商売根性で宣伝してみます(笑)あ、私もちゃんとセルフケアはしてますよ。瞑想したり、セルフヒーリングしたりとか。でも、さぼりがちなのは否めないなっっっ補足写真で霊的な状態がどうしてわかるのか…写真はまさに現身で「写し視」だからです。昔の日本人は写真を撮ると「魂を抜かれる」とか言って、写真を写されるのを怖がったものですが。魂は抜かれないけど、写真はその人のエレメンタルになるので、当人とのリンクが出来るんです。エーテルコードによって繋がってるということ。なので、その写真に肉体以外の後の身体、サイキカル体とノエティカル体が写っているか、それらの身体のエーテルダブルに、エーテルバイタリティ(氣)が流れているか、その霊光(オーラ)たる氣の輝きや状態を見て、判断するんですね。それだけです。サイコメトラーとか写真での霊視をする人は、それを見てます、それだけのことです。

      19
      テーマ:
  • 12Oct
    • 憑依と霊的汚染:低級霊の常套手段と悪霊軍団

      前テーマの続きです。なりすまし(騙り)とそそのかす霊的存在について。まず前説から。三次元を視点(観念)の中心に生きている私たちにとって、それ以外の次元の世界及びそこに属する存在は、通常時においては視界(視野)には入っていません。よしんば四次元の眼が発達している人で、視界に捉えて視ることが出来ていたとしても、その存在を認識していない人は、「目の錯覚」や「気のせい」で済ませていたり、現実に存在するものとして脳で処理してしまっています。実のところ、誰もが自分が属している、四次元と五次元の存在(霊やエレメンタル)の、姿形や声を捉えること(霊視や霊聴)を、しようと思えばできるのですが、この三次元(現実)に注意と意識を向けて、生きる上での妨げになることが多いので、それは望ましいことではないので、従って、「宇宙の法則(神聖なる計画)」の中において、3つの身体が健全かつ健康な状態であるものは、三次元に常に意識が向くようになっているのです。このあたり上手く説明するのが難しいのですけど…3つの身体の栄養素であるエーテルバイタリティー(氣=生体エネルギーのようなもの)が十分に摂取され、身体に有害な老廃物のごとくなエレメンタルが、適切に定期的に処理され、健康を損なう外部の刺激…ウィルスや病原菌のような、邪気やネガティブな存在の攻撃から守られていて、3つの身体(肉体・幽体・霊体)の調和が、バランスよく取れていれば、人の身体は異常も問題もなく機能しているので、3つの身体が個別に体験・体感していることを、相互に伝達しあって共有しつつ、正常に処理するので、(感情と思考と理性と行動のバランスが取れているので)視野が狭まることなく、現実感をもって、目の前の出来事に対処することが出来るのです。とはいうものの、その人の人間性(人格=霊性=霊的成長度=レベル)にも左右されます。ある程度の霊的成長を遂げている人は、(四次元と五次元の身体、なおかつ肝心要の六次元の身体が発達している人のこと)三次元に存在するものと別次元(四次元と五次元、人によっては六次元)に存在するものを明確に区別することが出来ます。でも、未だ六次元の身体が未発達で、四次元と五次元の身体も未成熟な人の場合、別次元のものを明確に区別できなかったり、(その人の霊的レベルに応じてですが)幻聴や幻覚や妄想として、あるいは現実と混同したものとして、別次元からの声や形骸を捉えることになります。ようするに、霊的成長度がある一定レベルに達していない人は、自分と同じ次元の階層に属しているモノや存在であっても、その形骸や存在を正しく認識して、個別のものとして捉えることが出来ないっていうこと。(三次元のものとごちゃまぜになる)相手の姿や存在を正しく識別できないということは、色々と混乱と弊害が起きるモトです。例えば、オレオレ詐欺。電話の向こうの声の主が別人であっても、電話(通信機器)というフィルターを通してしまうと、よほど特徴的な声でない限り、何しろ相手を認識しようにも姿が見えないもんだから、簡単に「騙されて」しまう人がいたりします。まして、霊的存在なんて、「声」なんて聴いたことないし、馴染みの誰かに紹介してもらって、顔合わせなんてしたことないし…(当たり前だ)。例えば先祖や身内の霊を見分けるのに、生前に会ったことがあるとか、写真を見たことがあるとか、両親や親族の誰かにクリソツだとか、なんかその人がその人である根拠とか証拠でもあれば別ですけれども。その「視る」ことが出来なければ手立てなく。(ちなみに四次元と五次元の存在たる霊が、物質的次元で知覚してもらえる状態に、自分の姿を形骸化するのって大変なんですよ。育ちざかりの子供10人分の生体エネルギーが必要で)さてここから本題。なりすまし…騙りって何よ?っていう話ですね。ズバリ霊的な存在が、自分を偽ることです。その昔ネットでもありましたよね。ネカマとかネナベ?とか…SNS上でも、50歳のオバチャンなのに10代と偽って、写真もあかの他人や娘や息子の写真使って、嘘ついて文通(死語)する人とか…たまにいます。「わたしゃ、神様だよ」みたいなのもいれば、「仏で~す(ほっとけ)」「我々は宇宙人だ!」「ご先祖さまじゃぞ~♪」「私、名乗るほどのものではありませんが、 実は有名人の〇〇なんです」とかあれやこれや。神様に毎日手を合わせてるような人のところに、「私は神様ですよ~」なんて言って、「あら、神様から啓示がきたわー」みたいに信じさせてしまう…そんな感じ。もしくは、たまたま自分の存在をキャッチしてくれて、どうも声を聴けてるっぽいぞ、と思った相手に、その人が「もしかしてあなたって〇〇様?」とイメージしたり、問いかけてきたときに、それに乗って、「そうそう、それそれ 私〇〇です」と当人のフリをするのもいます。こういうことするのは、一般的に低級霊って言われてる波動の低い存在。生前に性格悪かった人、からかい癖のある人とか、あとは、仕える場所、主を失ったはぐれ狐とかイズナ等、不良化してしまった元神様のお使いといった、動物霊と呼ばれてるちょっとレベルの高いエレメンタル。(でも本物の動物の霊とは違うもの。 動物を核にして作られた存在ということで)式神みたいな植物のエレメントから作られたものは、そういうことほとんどしないですね~。そしてこのちょっとレベルの高い(意識高い系ではない)エレメンタルが曲者なんです。結構、知恵持っているし、力もあるし。人の心の中とか読めるから(同じ四次元の存在だから)、その人が信仰している対象のヴィジュアル読んで、(何故って、その人のエネルギーフィールドの中に、その人がイメージしたもののエレメンタルがデータとしてあるんだもの<すべての思考・創造の産物)自分の姿かたちをそのヴィジュアルにして、相手に「視せる」芸当ができちゃったりするのもいる。普通は脳内妄想なイメージ、自分の内的な声として…ですが。さて、前説で三つの身体が健康な場合、三次元に注意と意識が向くようになってて、別次元に焦点がズレることはないように設定されてる。という話をしました。でも、健康を損なってしまうと…別次元の扉が開いてしまうことがあります。健康を損なっているとき、というのがミソです。ええっと、まず過去記事でも幾度か説明した、・離魂病という状態のとき (肉体と幽体と霊体がズレている あるいは幽体か霊体が抜けっぱなし状態)・チャクラ(エーテルセンター)に異常が起きてる状態 ※ダメージを受けたり機能亢進に陥っているとき・霊的な存在に憑依されたり、長期間攻撃を受け 生体エネルギーを消耗し、三つの身体が損傷して、 霊的波動が極めて低い状態にあるときですね。ざっくりいうと。また、・意識が三次元でなく四次元や五次元のほうに 向いていることが多い ほぼ肉体から離れている ※いわゆる右脳型と言われるアーティスト系の人  ある意味で離魂病の一歩手前も健康を損なっているほどではないけど、三つの身体のバランスが崩れているので、職業病的なものとして、幽体(感情体)が鋭敏です。また、霊的な仕事をしなければならない立場の人は、しばしばスピリチュアル・エマージェンーという、「お試し」をマスター(透明なヘルパーさん)たちから、強制的に受けさせられることになるのですが、(これはそういう仕事をイヤがっている人に起きる)そういう人は、このぶっ壊れ状態になるので、(お引きずりさん的廃人状態で人間やめますか?みたいな)多次元との境界線もほぼ失くなってしまうので、ここはまたちょっと違うんですよね。でも、見分けは普通の人にはなかなかつかないことです。あと、霊的なエクササイズやトレーニングをした結果、肉体の感覚も合わせて、三つの身体の感覚が敏捷になり、別次元のものを知覚、認識できる状態になることも。但し、そうしたトレーニングによって、3つの身体がバランスよく鍛えられた結果であれば、霊的成長したことでのシックスセンスの芽生え、と言えるのですが、取り組んだ霊的なエクササイズやトレーニングが、段階を踏んだものではなく、無謀なものであって、かえって3つの身体を痛めつけることになり、バランスを崩し、「健康を損なった」ことでの、多次元との境界線が曖昧になってしまった。であるのに、それを霊的能力の開花と錯覚してしまう人は、実に多いです。そういう人は低級霊に騙されて、人格をどんどん貶めていきますし、エゴイズムやネガティブなエレメンタルに囚われて、どんどな傲慢さとエゴを増長させ、スピリチュアルナルシズムの罠にかかってしまいます。でもって、統合失調症や人格障害、認知症の人は、大体において、チャクラ(エーテルセンター)に大きな異常があって、中でも第一チャクラは相当なダメージを受けています。そして、3つの身体がズレまくっています。故に、エーテルダブル(身体の枠組で3つの身体のつなぎ目)が伸びきって、損傷を受けています。よって、生体エネルギーたる、エーテルバイタリティー(氣)もそこからただ漏れ。なので、多次元(三次元以外のとこ)との境界線が消滅。色々と混在したものを視ることになるのです。認知症の人の場合は、第7チャクラも如実に損傷しているので、主に過去のエレメンタル(記憶の媒体)を、壊れたレコードのように読み続けます。人格障害の人は、過去のネガティブエレメンタル、エゴイズムに完全に支配されている状態です。というか、2パターンあって、まず1つのパターンとしては、過去生のエレメンタル(パーソナリティとしてのエレメンタル含む)に、乗っ取られた状態の人。なんていうのかな…性格が悪くて歪んていたときの過去生の人格が、今の人格に乗りうつって、その人格に同調する、とても質のよろしくいエゴイズム丸出しのエレメンタルを選んでローディング、エンドレス…みたいな感じですね。もう1つのパターンは、過去生の人格ではなく、悪魔的な存在(悪霊)やエレメンタルに支配され、身体を乗っ取られているって状態。それが自分の過去生の人格か他者かってだけで、たいして違いはないです。統合失調症の人の場合、四次元と現実(三次元)が混在してしまって、区別がつかなくなっている状態ですね。「声がする」って幻聴は、四次元での「声」を単純に聞いているだけですし、「視た」というものも次元が混在した世界です。過剰な被害妄想状態の人で、当人たち(周囲)が「言ってないこと」を「言っている」ように見たり聞いてしまうこと…例えば、周りが自分を見張っているとか、出会う人出会う人が、知っている人知らない人共に、自分のことを悪くいっている…なんてのは、その人たちの決して言葉には出さない本音、ネガティブな感情や思考のエレメンタルを読み込んでしまっていたり、4次元や5次元の身体の顔や姿を見ていたり、という可能性もあるし、そそのかし(騙り)をする輩や、生きている人に対して悪意を持って接している、霊的な存在(低級霊)やエレメンタルたちが、その人に話しかけ、もしくは良くない幻想としてのイメージをその人の四次元の眼に見させていることをしている、そのいずれかという可能性です。その人の幻覚や被害妄想の度合いで、判断できるかとは思いますが。困ったことに後者は、誰かの人生を破壊するのが大好きな存在たちが、寄り集まって、それをするのがモットーな団体となり、一人また一人と、手ごろなターゲットを見つけては、幾世代にもわたって、過去から現代へとあちこちで繰り返しているのです。精神を破壊して自我や人格を崩壊させるだけでなく、犯罪をそそのかしたり、自殺をほのめかしたり、争いや不実を助長させようとしたり、車に乗っている人をおかしくして、人の列に突っ込ませたり…こういう闘いは、神話や伝説の昔からあり、聖書の中や経典でも語られています。なかなか無くならない困った歴史です。何故、奴らレギオンたちが居なくならないのか…それは人の欲望が尽きないから。何度滅しようとしても、彼らの復活を人々が望むかのごとく、彼らのエサとなるエゴイズムを人々が創り続け、温床となる場を提供し、共存しようとする。それが人の望みで多くの人が、彼らを飼育することを選んでいるから。…としかいいようがないですね。てなわけで、少し振り返ってまとめてみると。その1)多次元に存在している霊的な存在をキャッチすることはさほど難しいことではない。それをキャッチできたからと言って、その人が特別選ばれた存在だとか、特別な能力があるわけではないということ。その2)だが私たちは、霊的成長を遂げる目的と、今生の自分の人生をきちんと生きるために、現実世界(三次元)に意識が向いている。その3)とはいうものの、多次元的な存在の認識の仕方は、その人の霊的成長度によって異なる。どのように認識しているか、である。その4)3つの身体のバランスが崩れ、霊的健康が損なわれている人は、多次元の境界線が曖昧になりやすい。結果、現実世界(生活)に混乱をきたしがち。その5)そして4次元と5次元の次元には、三次元の肉体を持って生きている我々に対して、悪意を持ってちょっかいをだしてきて、だまくらかしてからかって翻弄して遊んだり、精神を混乱させ崩壊させ破滅に導いたり、支配して操って自分たちの道具として、犯罪に走らせたりそそのかしたりする、不良集団ともいうべき悪霊軍団がいる。などなど。霊的健康が損なわれてしまって、4次元と5次元の境界線が曖昧になって、それらの存在が視えたり、声が聞こえたり…そこまではわりとあるある出来事。(多次元との境界線が曖昧になるっていうのは、上手く説明できませんが、その前に、三次元と四次元のものと身体を通して、五次元の身体は思考して、創造する。三次元と五次元のものと身体を通して、四次元の身体は体感して、想像する。このプロセスの結果、上の二つの次元の身体で「そうぞう」したものを、三次元の身体を使って、三次元の物理的次元において、何か行動や言葉などで表現していく…という順序立てた、表層に至るまでの三つの身体同士の正常な相互関係から派生する生命活動と人間の人生の創造があるわけですけど、このプロセスや順序が狂ってしまうといいますかね。まるで電話回線の混線が起きてしまうがごとく、配線があっちこっちめちゃくちゃになって、違うところ同士のコードが繋がってしまい、ヒューズが飛んで、バッチリーがあがってしまう、みたいな…まあ、誤作動が起きてしまうような、そんな現象とでもいいましょうか。うーん、この説明では分かりづらいかしら)でも、声が聞こえるからって反応して、コミュニケーションとかコンタクトを取って、もしそれが善人や普通の存在ならいいけれど、悪人やよろしくない存在だったとして、付きまとわれたり、憑依されたり、さらになりすまし(騙り)をする低級霊でオレオレ詐欺みたいな感じで騙されて、「あら私、霊能力に目覚めちゃいました」「天使や神様、宇宙人と話せるんだ」とか、そうこうしているうちに、悪いのがたくさん集まってきて…って、そういうのが問題でたいへん危険。だからチャネリングは危険なのね。もちろんこっくりさんとかウィジャ盤も。霊能的な仕事の人で、なりすましに騙されている人は少なくない。もちろん人間に働きかけをしてくる、良い存在もいますし、身内や先祖の霊だっているし、そうしたガイド的な人とのコンタクトも、まったくないわけではないけど。コンタクトを取ることに執着するとダメですね。もし、良き存在から話しかけてもらったり、言葉をかけてもらったと感じたら、「ああ、いいアドバイス、メッセージをもらった。 感謝します、ありがとう」そこだけで終わらせたほうがいい。それ以上、継続してのコンタクトを望むべきではない。何か聞こえたり、見えたりしても、それが内容のないものや気分のよくない、ネガティブなメッセージや存在だったら、路上の井戸端会議の話やカフェで隣に座った人の雑談がちょっと耳に入った、その程度でスルーするべき。いちいち意味など考えない。普通に生活していたって、周囲の人の声や音は聞こえるし、自分以外の他人も物質も存在している。4次元や5次元の声も音も、存在もそう。それとまったく同じ。道歩いていたって電車の中でだって会社にしても、おかしな人や気持ち悪い人、変態もいるし、感じよい人も無名の人有名な人色々会うことになる。美しいものもあるし、汚い場所もあるし、冷たい感じの建物も居心地の良い公園もある。4次元や5次元の世界でも同じ。4次元や5次元にあるものだから、そこにいる存在で、姿が見えない存在だから、すごい人たちだとか特別な存在ってわけではない。彼らとコンタクトをとれたからって、それは感動することでもない。いちいち過敏に反応しないことが大切。彼らがどんな人であるのか、現実に生きている人を見極めるように、見極めることの出来る目を持っていないのならば、気にしないで過ごすのが一番いい。そんなことより現実に注意を向けること。この三次元に生きている存在や物質的社会と、上手くかかわっていくことを学ぶべきなのです。はぁー 疲れたのでここまで。

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      テーマ:
  • 10Oct
    • 憑依と霊的汚染:霊的干渉とその悪影響

      続きです。昔はよく、「霊の干渉や影響を受けていることなんて、 その人が思うほどにはないよ。 霊現象だと思われていることのほとんどが、 本人の勘違いだったり、錯覚とか、物理的現象。 実際の霊的現象や体験なんて、 そう思われてるものの20%くらいだよ」なんて具合に、「霊が~」と騒ぐ人に対しては、それを否定するがごとく言っていたものです。何故なら、そうでも言わないと、なんでもかんでも霊の存在や、見えない世界のせいにしてしまう人がいるからです。ですので、今もそのように伝えることは多いです。これは相手次第なんですが。でも実のところ、人間は四次元と五次元にも生きている存在ですから、影響を受けているというより、毎日リアルに四次元と五次元で起きている現象を、その次元の身体で体感・体験しているのです。三次元を生き、体感・体験していると同時に。なんでもかんでも霊や心霊現象のせいにする人に関しては、身の不幸や不運を占いで運命や生まれのせいにしたり、自分の人生が思い通りにならないことを、親や環境など、誰か他人や状況のせいにして、責任逃れをしている人と同列であると言えましょう。ですが、前回の記事にも書いたように、すべては本人次第なんですね。重ね重ね言いますが、六次元の身体を手に入れた(解脱した)人々はともかく、この地球上に存在している人間は、すべて四次元と五次元でも人生を生きています。(動物や植物は人間と違います。地球に来訪している宇宙人もまた除きます)ようするに、三次元に存在していない人たちと三次元の物質的世界で空間や場所を共にし、接触したり関わって生きてはいないけれども、四次元と五次元の想念と思考の世界では、同じ空間や場所を共存している人たち、存在がいて、接触したり関わったり、干渉されたり、影響を受け合ったりしているわけです。想念界であるサイキカル界(四次元)にしても、思考界であるノエティカル界(五次元)にしても、自分と同じ段階(霊的発達即ち人格の品位みたいなもの)が同じレベルにある人、存在たちとしか関われませんけど。もしくは過去の自分と同等の存在…自分が辿ってきた道と同じ状態にある人たち、自分が過去に創ってきた思念と同じものと、ですが。この現実世界(三次元のレベル)で考えてみましょう。国や社会に属する、国民としての義務と権利はありますけれど。私たちには自由意志が与えられています。・どんな人と付き合うか、関わるか・どんな仕事を選択するのか・毎日何をするのか、どこに行くのか・どんな生活スタイルを望むのか・どんな服を着てどんな髪型にするのかなどなど、その人が自分で決めています。一人ひとり趣味嗜好があって、個性があります。考えることや思うこと、性格も違います。人付き合いのことでいうなら、自分が付き合いたい人としか付き合わない人もいれば、合わないとか好きではないといいつつ、仕方なしにイヤイヤ誰かと関わっている人もいます。小心者で断れず、来るもの拒まずの人もいます。友達がいない、作れないという人。オープンな性格で誰にでも好かれ、人間好きで色んな人を受け入れて友達の多い人。霊との付き合いも現実の人間関係と変わりません。人を寄せ付けない人に人が寄っていかないように、霊もまたそういう人には寄り付きません。明るくて感じがよくて頑張っている人で、誰もが好感を抱き、応援したなるような人は、霊も応援したくなって助けてあげたくなります。霊の方からもその人を見たり、感じたりして、惹かれたり、反発したり、無視したり、イジワルな気持ちを持ったりなど、ここいらは相性や好き好きもあるわけですが、まったく現実の人間関係と同じなんですね。学生生活でも社会人になってからも、人に疎まれたり、嫌われやすかったり、イジメのターゲットになりやすい人がいるように、生きていた時にもイジメっ子だった、死んでからも性質が変わっていない霊は、やっぱりそういうからかいやすい人を見つけては、自分がいる四次元からちょっかいだして、あれやこれやイヤミを耳元で囁いたり、その人の不幸や不運を横目で笑ってたりします。そのうち飽きて別のターゲットに移ったり、短期間でどっかに行ってくれるならいいけども。こういう不良霊?みたいなのは類友で仲間見つけて、集団でグループイジメをしてきたりするから厄介です。そして不良のちょいワル程度ならいざ知らず、サイコパスみたいな邪悪で歪んだ霊は最悪です。反省のない殺人犯や凶悪犯の霊なんかとくに。彼らは肉体(物質的な身体)がないから、そういう物質的な働きかけは出来ないけど、困ったことに、三次元の物質的肉体を持つ、同質(同類)の人間を嗅ぎ分けて、とり憑くことで、自分たちの欲望(人殺しとか強姦とか薬とかetc)を再度満たそうとするから、始末に負えない。ようするに、三次元ではそういう行動(犯罪や反社会的で非道徳なこと)を、実際に起こしていない人であったとしても、その人が、・四次元の感情体が創った四次元に存在するエレメンタル・五次元の感情体が創った五次元に存在するエレメンタルは存在しているんです。これは三次元のものではないけど、四次元と五次元にはあるから、逆に三次元の肉体を失くした、四次元と五次元の肉体しか今は持たないものにとっては、(六次元の存在からも丸見えですけど)見えるものであるわけです。彼らの意識の中心はだいたい四次元にあるから。(この場合の彼らって、俗にいう低級霊ですね。高級霊と呼ばれる人で、六次元の身体をまだ持ってない人の場合、五次元の意識のほうが勝ってます)それが悪いことだとわかっているからしないけど、人を殺してみたいとか、銃を撃ってみたいとか、なんかちょっとその、人には言えない妄想や欲望。そういうのを持っている人…その願望、欲望から創られたエレメンタルが、ばっちりあるわけですから、「お前、そういう欲望あるのなー」ってのはバレバレ。そこで、「おっし、お前とオレは同類だ。 俺がその欲望を叶えてやんよー 仲良くしようぜー」みたいなこともありがち。よく「魔が差した」っていいますけど、まさに悪魔が取りつく瞬間ですね。考えたり思ったりするだけで…妄想だけなら、行動に移さなければ、それは犯罪ではないのだけども。そういう欲望のエレメンタルを量産してたが故に、悪霊とも呼ばれるそうした存在に憑依されて、それでハンザイシャに導かれちゃう人もいる。もしくは自分が妄想して創ってきたエレメンタルが、ものすごーく力を持つようになって、実行させられちゃうこともある。だから、犯罪をそそのかす霊にタッグ組まされてのケースと、エレメンタルに支配され、自らが生み出した欲望に操られてのケースと、おおまかに二通りあります。たった一人の霊的存在に干渉される場合もあるけど、グループは本当に厄介だし、困ったものです。小さいグループから大きいグループまで実にたくさんあって、大きいグループは大型893組織かマフィアかよってなくらい。彼ら…は定期的にターゲットを見つけては、その人の精神の隙を見て取り憑き、現実世界に混乱と事件を引き起こすのです。だから私たちは、ふだん考えていることや思っていることに、注意を払って、責任を持つ必要があります。日頃から自分がどんな欲望を持っているのか、過去にどんなことを考えたり思ったりして生きてきたのか、他人に対してどのような悪意を抱いたことがあるのか、どのような妄想や空想に多く時間を費やしてきたのか…それによって、引き寄せているものは未来や運命ばかりでなく、同質のエレメンタルや霊といった存在も、確実に自分に引き寄せているのですから。とはいうものの、おスケベな妄想はしちゃいけないとは言い切れませんよね。エッチなことばっか考えてると、そういう霊が寄ってくるのは事実だけど。(死んで相手から見えないからラッキーと、トイレや風呂場や着替え覗いているエロ狒狒爺やおっさんの霊も実に多いよ。ラブホとかに居座ってるピーピングトムも)でも、スケベな人がいないと人類絶滅しちゃうし、転生先の肉体が三次元に確保出来ないと、いつまでたっても六次元の身体育てられないから、それはそれで困っちゃうのよ。(日本の少子化は日本国のカルマですけどね)して、悪い霊が寄ってくるサンプルを書きましたが、その逆もしかりなんですね。良い霊が寄ってくるか否か、良いエレメンタルを引き寄せられるか否かも。努力して頑張っていて、謙虚で親切で、誠実に生きている人のことは、誰だって応援したくなります。身内や先祖以外の霊の存在から応援される人って、そういう人だったりします。先祖もすべての子孫がカワイイかっていうと、必ずしもそうとは言えません。祖父母が、ロクに顔も見せに来ず、合うと小遣いクレしか言わない憎たらしい孫より、マメに連絡くれて気遣いの言葉をくれる他人のほうが、可愛いってそう思うのも不思議ではないわけで。それは神様も同じです。いつも素通りして、挨拶もなしで、何か願い事だけあるときに手を合わせる人より、通るたびに頭を下げて、ちゃんと挨拶してくれて、感謝の気持ちで手を合わせてくれる人のほうが、助けてあげたいって思うし、気にもかけてくれます。神仏との縁も、ご先祖様との関係も、現実の人間関係と同じです。普段から他人とのご縁や関係を大事にしているか否か、そういうのが結局、見えない世界からのサポートにも反映されるわけです。そして、悪い霊にターゲットにされたり、良くないエレメンタルを引き寄せてしまうのも、その人の性格(人格)、心根次第なんですね。決してイジメを肯定するわけではなく、あくまで言葉のアヤとして使いますと、「イジメられる側にも問題がある」と同様に、「取り憑かれる側にも問題がある」のです。だから低級霊と呼ばれる、良くない霊の影響、見えない世界から悪しき干渉や影響を受けているとしたら、それはその人自身の問題の現れ、なんですね。だから一時的に憑依問題を片付けるだけでは、根本的な解決にならないことも多いんです。取ってもまた新しいものを引き寄せてくっつけて、自分でネガティブな考えや想いを創っては、波動をドンドン下げて、波動の低い同質のエレメンタルを引き寄せる。そして呼び寄せる霊もどんどんパワーアップして、最初ちょっと悪い子から不良、チンピラ、893、マフィアのシンジゲート、悪魔教団…みたいな。生き方を変えて、生活や考えを改めて、自分自身を見直して、自分の魂をきちんと育てていくことをしないと、いつまでたってもネガティブな霊やエレメンタルに、憑依されたり干渉されたり影響されたりなんかして、一生というか永遠に、振り回され続けることになっちゃいます。臭いにおいはもとから立たなきゃダメ、みたいな。うちのお客さんでいわゆる憑依体質の人は、やはり「性格の弱さ」「他力本願」「何事も自分の生ではなく他人のせい」「高すぎる自尊心と矛盾するコンプレックス」「度を過ぎた被害妄想」「自虐的な罪悪感」「嫉妬や怒り、激しい憎悪を手放せない」こういうのが性格の問題として背景にあって、それが故に自滅的にそういう状況を、自らに呼び寄せてしまっている人がほとんどでした。ああ、あと「自分自身でドラマを創り出して、 その中に耽溺してしまいやすい人」も、四次元の存在や事象の影響をモロ受けやすいですね。だから、根っこにある性格の問題(歪み)を何とかしないと、心霊的悪影響を受ける状況からは解放されず、良くない存在からの干渉とは縁切れません。でもね、みんな変わりたくないんですよね。他人の、霊のせいにしているほうが楽だから。よろしくない霊的な存在からの、悪しき影響を受けないで生きるためには、神道でいうところの心身の穢れをマメに祓い、己が精神を浄めて直霊を磨き、高めていく…仏教でいうところの慈悲と慈愛の心を育んでいく。も、勿論ですけど。(死なない六次元の身体を育成することなんで)人として太くなっていくこと。何があっても動じない(いわゆる地に足がついた、グランディングがしっかりできている)、揺るぎのない自分になっていく…が大事です。そこを目指せば間違いない。(後は欠点や弱さと向き合って克服すること、自分自身について知識を持ち、エゴイズムを捨て去る努力をする。でもって、偽りの人生を生きるのを止めて、本当の自分を素直に表現し、仮面を捨てて、自分らしい生き方をする)でもって、他人を尊重し、嘘を失くし、親愛や思いやりの感情を素直に態度に表す、縁や人間関係を大切にする生き方をすること。さすれば、低級な霊に憑依されたり、欲望のエレメンタル(エゴイズム)に支配され、操られて自分を制御できずに見失ってしまう、ということもなくなるでしょう。あ、そうだ。霊的汚染について書き忘れていました。霊的汚染ていうのはこの場合、霊に憑依された後、それを祓った後にも残ってしまう悪影響のことです。蚊のことで例えると、奴ら、血を吸うばかりだけでなく、勝手に吸って泥棒したあげく、不愉快なお土産も残していくじゃないですか。腫れと痒みの成分、ちょっとした毒を皮膚に。それと似たような感じですね。まあ、違うけど。散々食い散らかして、部屋荒らして、便器にモリモリっとしたウンコまで、流さず残していく泥棒みたいな。そんなイメージで。霊にしてもエレメンタルにしても、活動のエネルギーを宿り主から大量に奪うんですね。生体エネルギーとでもいいましょうか、早い話が氣ですけど。これだけでも霊に憑依やくっつかれた人は消耗します。有名な怪談話では「緋牡丹灯籠」なんかありますね。どんどん衰弱させられるあのお話。物質的肉体はものすごーくダメージ受けます。物質的肉体だけでなく、心の身体も思考の身体も、です。たくさん栄養素を奪い取って横取りして、あれやこれや悪さしたり、現実生活を破壊して、その「悪さ」をしたっていう悪いエレメンタル、それと霊自体の作った良くないエレメンタル…こいつを残していくわけです。霊でなくて、エレメンタルの場合も似たようなもの。エレメンタルは霊よりもっとエネルギー消費します。自分の創造主を支配し、操って本懐を遂げた後には、いったんおとなしくなりますけど。エネルギーフィールドに大きな穴をあけちゃうというか、色々とダメージを与えるわけです。これが自分だけが創ったものでなく、同類の引き寄せられてきた、他のエレメンタルと合体した巨大なやつだと、その合体したエレメンタルの別の創り主ともつながって、見ず知らずの人であっても互いに連動して影響されちゃう。これまた厄介なんです。詳しく説明するの疲れるので、このくらいにしておきます。てかー詳細は勉強会にて口頭で話しますねーグループでのそそのかし、なりすまし霊なんかについては、また後日。

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  • 06Oct
    • 憑依と霊的汚染:霊に影響される人しない人

      今までも幾度となく、過去記事で書いていて、最近では「転生サイクル」関連のとこにも触れたけど、私たち人間は、現実世界(三次元という物質界)に物質的な肉体を持ち、サイキック界(四次元という想念界)に心(感情)の身体を持ち、ノエティカル界(五次元という思考界)に思考の身体を持ち、サイコ―ノエティカル界(六次元という精神界)に、精神の身体をリアルで育成中な存在。でも、私たちの意識は三次元にあって、この現実社会ともいうべき物質界の次元を中心に、私たちの世界は回っていて、人生を形成、展開されている。霊的な存在と言われる幽霊…物質的な身体がなくなったものの、六次元の身体はまだ未発達で、輪廻転生から卒業していず、四次元と五次元の身体のみになった存在は、文字通り、四次元と五次元の次元に存在している。(ちなみに六次元の身体が成長して、ゴール…すなわち輪廻転生脱出!になった存在は、どの次元にも行けるし、過去に生きた人生のどの姿にもなれるし、何処にでも居られたりする。そんな彼らはエレメンタル・マスター、すべての転生の記録、過去生の全記憶を思い出し、過去に翻弄されることなく、完全記憶を所有する)幽霊と呼ばれる存在たちは、三次元の肉体だけ失い、三次元にだけ存在しなくなったのである。でも、四次元と五次元には相変わらず存在している。だから、三次元において物質的な存在として、触れたり視覚的に捉えることは不可能だ。だがしかし、この世にはいるのである。だから、四次元と五次元でだけ、私たちは彼らと接することが出来る。とはいうものの、三次元は一か所しかなく、三次元に生きるすべての存在と、可視的に出会うことが可能だが、四次元と五次元はそれぞれ7つに区分され、さらにそれがまた7つに分かれているので、全部で49も階層がある。(属する階層は霊的進化すなわち成長度合いによる)また、一人の人物のサイキカル体とノエティカル体が、同じランクの階層にいるとは限らない。心の身体と思考の身体が、足並み揃えて同等に成長していることは少ない。そして基本的に、四次元にしても五次元にしても、自分と同じ階層の人としか会うことは出来ない。もしくは前後の存在、とくに自分より下の階層レベルなら、関わること、知覚することは不可能ではない。でも、自分より上にいるものだけは見えないし、捉えたり、感じることは出来なかったりする。故に、三次元で会えていたからと行って、親しかったからと言って…四次元や五次元でその人たちと会えるとは限らない。身内や親しい人であったとしても、どんなに会いたい人であっても、同じレベルか一つくらい下でないと、互いの存在を知覚することは不可能なので。だから、死んでからあの世で…と願っても、必ずしも叶えられるわけではない。そういう意味で、物質社会ともいうべき三次元(現実世界)のみが唯一、あらゆる次元の人とたくさん出会うことの出来る時空間なのです。さて、ここまでが前置き(無駄に長い)。私たちが生きているときに創り出す、想念、思考のデータとしてのエレメンタルは、この四次元と五次元に、それぞれの身体を通して創られる存在で、主に創った本人の所有物として、当人のデータとなり、人格となり、五次元、四次元、三次元に影響を与えつつ、人生を形成していくことになるわけなんだけど。困ったことに創った当人だけでなく、周囲の人や見ず知らず他人にも影響を与えることがある。何故なら、これらは三次元の物質ではないから、三次元の視覚で捉えることは出来ないけど、誰もが四次元と五次元の身体は持っているから、この二つの身体の感覚で、他者が創った四次元と五次元のエレメンタルを、キャッチしたり知覚することは出来る。幽霊の存在もそう。肉眼でなくて、四次元の眼、五次元の眼で感じている人は多い。ただし、この二つの身体の発達具合と状態、どの段階にいるのか、六次元の身体が成長しているか…にも左右されますが。とはいうものの、自分と同等のレベルにいるもの、自分より下のレベルにあるものに限ってで、自分より上のものは認識できない…という前説をここで思い出して欲しいのです。類は友を呼ぶという。そして人は自分と「合わない」と思うものを避ける。けれど、同質のもの、同じ匂いのするものを嗅ぎ分ける。幽霊の場合は肉体がないだけで普通に「人」ですから、自分の存在をキャッチしてくれた人、波長の合う人、自分に似ているなと思う人、共通点のある人、同じ匂いのする人に擦り寄っていくことになる。(現実の人間関係と同じ)エレメンタルは同質のものと呼び合い、同調してはくっついて(合体して)大きくなっていく。そして同質の波動・波長を出している人、類似の仲間(エレメンタル)を持っている人に、やはり刷り寄って行く。自分が死んだこと(物質的肉体を失ったこと)に気づかない幽霊と呼ばれる存在、死んだことを自覚しているが、生来の底意地の悪さから生や物質世界に執着し、身内や他人に意図的に悪意を持っている存在、また悪意や悪気はないのだが、生前の物質的な欲望に執着している存在、このような次のステージになかなか行こうとしない人たちは、三次元に仇成す存在となる。欲望を満たすためあるいは、誰かを自分のいる側に引きずり込むために、他人の所有する三次元の肉体に入り込もうとしたり、人形やぬいぐるみやポスターの写真に入り込んだり。(他人の肉体へはボンの窪から)オーラにくっついている程度なら、2.3日で自然に取れるが。但し、その人の波動(気分や思考)の低下が、一時的かつ一過性である場合。中にはチャクラに入りこんで、その人の一部になってしまうと厄介だったりする。ちなみに、お酒が好きだった人は、死んでもなお、お酒が飲みたくて仕方がないらしく、アルコールのある場所に居ついて、お酒を飲みに来た自分と波動の合う人を見つけては、その人の中に入りこみお酒を味わおうとする。上手く済めば、その場(夜)だけのこともあるけど、お酒を飲むことで当人の波動が下がったことで、身体の中に入り込み、肝臓の中に住み着くケースも多い。(お酒を飲むと別人になるケースとかあるある話)実際、うちのクライアントさんの事例でもありました。こうなると、何年も居座っている居候を通り越し、ヤドリギや寄生虫みたいなもの。あと思春期の不安定な時期に憑依されるケースも多々。まだ人格形成もちゃんとしていない時期だから、多重人格と呼ばれるほど別人格を感じさせず、一緒に人生生きて成長していくパターンになるから、まるで「ブラックジャック」の畸形嚢腫のような、ピノコみたいだと思ったり。でも、こういった何年ものの熟成?憑依は、やはり類が友を呼ぶパターン。同質の似たもの同士だからこそ、起きた現象。その人自ら呼び寄せてしまった状況だから。エレメンタルが人に災いを成すのは、やはりその人が同質のエレメンタルを持っているから。負の感情は類似の負の感情を引き寄せるし、正の感情はやはり類似の正の感情を引き寄せる。ただし、誰かがその人に対して、ストーカーちっくな執着の念を抱いたり、逆恨みとか嫉妬とか、ネガティブで邪な悪意を生霊あるいは呪詛的なカタチで送りつけてくる攻撃は、まさに災難としかいいようがないんですけど。あと自分がやったことではなくて、家族とか先祖とか、そういう因縁的な障り祟りとかも、「アタシ、関係ないじゃん」ってハナシで、迷惑かけられちゃいましたね、となるとこですが。確かに後者のような、「別に呼び寄せない」というケースもあるでしょう。が、それでもそういう家に生まれたとしても、影響でない人は出なくて、いたりするんです。受けちゃう人、かぶっちゃう人は、そういう家にカルマのレッスンで、めぐり合わせとして生まれてきている場合もあるし、ネガティブ・シンキングで負のエレメンタルを、たくさん身体の中(四次元にも五次元にも)持ってます、で、六次元の身体がまったく育ってない…とか。幽霊的な存在にしても、エレメンタルの引き寄せの結果にしても、誰かの攻撃(サイキカルアタックやアサルト)にしても、ご先祖様のマイナスな遺産を押し付けられたにしても、それらから守ってくれようとする存在もいるんですね。なきにしもあらず…といいましょうか。でも、守護霊という存在たちがそれかというと、ちょっと違う。彼らは別にセコムやSPじゃない。神仏の加護のエネルギー(これもエレメンタル)、ご先祖様や過去の人生で縁があった人で、すでに六次元の身体ゲットしています、とか、そこまで行かなくても二つの身体が属するとこが、結構イイ線行ってますぜ、みたいな…そういう人が助けてくれることもあるけど(あとパーソナリティとしてのエレメンタルね)実は結構彼ら厳しくて…霊的な被害状況を受けているそのものが、その人の霊格をアップ(霊的及び人間的成長ね)することに、たいへん役に立ちます、ちょうど良い苦行です、と判断した場合には、まったく助けてくれない。死ぬほどの危険な目に遭ったとしても、肉体を損傷する事故や、精神的打撃や衰弱を伴う苦悩の日々を送っていても、「ガンガレー」と遠くから見守っているだけだったり。(巨人の星の明子ねーちゃんかって)いやさ助けようともしてくれるんだけどね。夢に出てきていたり、(夢は四次元界なんで接触を試みくれてる)傍にいるちょうどいい誰かにあるセリフを言わせたり、(霊媒体質の人とか…。して私はよく使われている)何となくそっちに気づかせようと、それとなーく意識を向けようと、四次元五次元の世界から働きかけていたりする。でも、みんななかなかどうして、なんですね。まあ…ふつー現実たる三次元に意識向いてるし。そんなもの。そしてここまで書いて、なんか疲れたー …ので、書き残したことがあれば後日。

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  • 23Sep
    • 転生サイクル~幽霊の正体と輪廻転生のゴール

      転生サイクルの話題から逸れてしまっていますが、続きと言えばそうなので、補足の知識をば。ノーマルで一番多いパターンだと、転生サイクルは20年前後と説明してきました。一部の例外を除いて、ですが。ここで疑問に思う人が少なからずいると思うのです。20年前後でほとんどの人が生まれ変わるというのなら、では一体、幽霊と呼ばれる存在たち…何千年、何百年も前の霊たち、地縛霊とか主護霊(守護)とか背後霊とか、先祖の霊って何よ?土地に住まう悪霊とかそうした現象とか、何代もわたって続く因縁とか祟り(障り)とか、そういうのって何?…と。何処か以前の記事にも書いている話だから、ここでは詳細に書くことは省略しますが、人間は三つの身体を、(肉体・サイキカル体・ノエティカル体)三つの次元、(物質界=三次元、サイキカル界=四次元、ノエティカル界=五次元)に所有して、同時にその三つの次元に生きている存在です。通常私たちは物質界をベースとして生きていて、この三次元に意識の中心をおいています。"死"というのは、この三つの身体が滅するということ。まず物質界に存在する肉体が、生物としての活動を停止してしまうと、意識も含めて、その人間として生きた、すべてのデータは次のレべル=四次元に移行します。そして四次元の身体も滅する時が来て、やはり意識とデータはさらに次のレベルの五次元の身体に移行します。この五次元の身体もやがて滅するときが来てしまいます。それは転生の時期が決まったときです。転生の前に、直前で生きた人格、人生のデータはいったんある場所に回収されます。それは私たちの本体ともいうべきホームグラウンドです。神でありワンネスであり、本当の自分ともいうべき存在。唯一無二のオリジナルの自分です。魂が帰還するマザーシップのような、故郷のような、ですね。ここには人として生きたすべてのデータがあります。これまでの転生のすべての記録がある。でも、アカシックレコードとは違うものです。グノーシスでは、パーマネント・パーソナリティと呼んでいます。ハイアーセルフとかエターナルセルフとか、そのように呼ばれている意識と同等といっていいでしょう。五次元の身体、ノエティカル体が滅して、そこから回収されたデータは、すべてパーマネント・パーソナリティに統合されます。その後で、また転生の際、新たに三つの身体が創られ、一部のデータが新しい肉体に移行されるのです。(三次元にて誕生し、母体にて成長中の物質体に、サイキカル体とノエティカル体、そしてここでは詳しく述べませんが、もう一つ俗に魂とよく呼ばれる、サイコノエティカル体という六次元の身体が合わさって、新しい人格が創られるのです)ようするに、今使用している三つの身体は、永遠の存在ではなく、使い捨てと言えばそう。ただ、その身体の使い方、受けたダメージなど、そういうのは持ち越すことになります。(病気やケガで受けたダメージ、入れ墨なども)で、ここまでが前置きで…この一回きりの人生、今生で使い捨てされちゃう身体ですが、パーソナリティとしてのコピーが創られます。これもまた種類としてはエレメンタルなんですが。ちなみに今生の人生の人格をプレゼント・パーソナリティといいます。ですので、プレゼント・パーソナリティのエレメンタルが、一つひとつの人生で作られるわけです。100回生きていたら、100体のプレゼント・パーソナリティの、エレメンタルが存在するわけです。このエレメンタルは死にません。永遠に生き続けます。このエレメンタルが存在するがゆえに、ある人がもう転生をしていたとしても、その死なないエレメンタルとしてのプレゼント・パーソナリティは、別の存在として生きているので、それを視ることが出来る人には視覚的に捉えられるし、存在を感じることも出来る人がいるのです。また、それだけでなく、第三者がその過去生の人格の情報にアクセスしたり、呼び出して、話をすることも可能なのです。(例えばイタコみたいに)この過去生のコピーとしてのエレメンタルは、土地に居ついてしまったり、誰か特定のモノや人に執着することもあります。戦国時代の武者の霊とか、当時の合戦や戦争とか、事件や当日の出来事を延々と再生・再現しているような、古~いものは、たいていコレです。霊といっても、もう霊じゃないんですけどね。サイキカル体が幽体で、ノエティカル体が霊体なんで、幽霊というのは、三次元の身体だけ死んで、四次元と五次元の身体だけで生きている?存在している状態の人のことですので。なので、幽霊とプレゼント・パーソナリティのコピーとしてのエレメンタルはまったく別モノです。元の素材が違うというか、視え方も違います。でも、見分けることが出来ない人のほうが多い。あと、それぞれにアクセスしたとき、持っている情報も違います。同じ人物とそこから派生したものであるのにも関わらず。(エレメンタルはその人生の記憶しか持ってませんし、死んだあとの四次元と五次元の記憶を持ちません。幽霊=サイキカル体とノエティカル体の存在は、六次元の身体すなわち魂の霊的成熟度によっては、三次元の視野が外れたこともあり多角的な視野や今の自分に対する知識を持っていたり、四次元や五次元の世界で日々体験することで、成長します)見分け方としては、幽霊のほうが光度が高いというか明るいっていうか、精妙なんですよ。粒子が細かいというのかしら…説明がとても難しいんですけど。でも、人としての重量感、存在感がちゃんとあります。ただ、両方とも足はありますので、足がないのはこれまた別の存在で、大体生前に当人か他者が創った"生霊"的なエレメンタルです。人としての形骸が不完全だったり、造詣がおかしいのでこれは見分けがつきやすいです。(デッサンが狂ってるっていうか大きさもヘン)そして輪廻転生のゴール。タイトルに入れたにも拘わらず、おまけ程度の説明になっちゃいますが…すごろくやゲームじゃないですけど、この条件を達成できたら「あがり」という、ゴールに行き着くための、"神聖なる計画"のルールがちゃんとあります。それは三つの身体をきちんと使って、この三つの次元で自己表現と自己実現をして生きて、永遠に死ぬことのない第四の身体(六次元の神体)を、どの次元にも存在できる完全体ともいうべき完成形へと、育てることかできたら、です。それがゴール。輪廻転生の終わりです。元のオリジナルであるパーマネント・パーソナリティとほぼ同じ、神と等しいキリスト・ロゴスと同じって、そのくらい慈愛と慈悲を持った、愛の塊になれたら、ですかねーなれない人は輪廻転生卒業できません。本能と欲望で生きる動物みたいな状態から出発して、たくさん経験して、喜怒哀楽の感情を知って、挫折して、苦悩して、人として目覚めて、感情を豊かにして、考えて考えて、創意工夫して生きて、知恵を身に着けて、愛を育んで、色んなことを知り、無意識的に生きるところから意識的に生きるようになり、理性や倫理観を育てて、視野も認識も広がって、霊的に成長して、自分のことだけでなくて、家族や他人のことを考えられるようになって、世の中や社会のために自分が何ができるかを、他人の幸福のために生きる喜びを知って…一歩一歩、一つの人生で人格を成長させて、霊性を高めていったなら、いつかゴールには届きます。でも、その「成長すること」を怠ったなら、いつまでも無限ループの輪にはまって、運命のメビウスの輪、らせん階段を行ったり来たりし、何度も似たような人生のパターンを生き、課題をクリアできるまで何度も追試を受けされられ、人生という学校の中で学んで学ばされて、彷徨って、カルマのレッスンと対峙させられます。タネを蒔いては刈り、刈っては蒔いて、の繰り返し。(でもそれはそれでとても楽しいことです)とりあえず この辺でさっくり終わっておきます。何か質問があればコメントもしくは勉強会のほうでドゾ。

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  • 22Sep
    • 転生サイクル~死の知識が光明の鍵

      転生サイクルについて今一度まとめておくと、死後2か月後からが転生可能なものの、だいたい10年から20年の間で次の人生をスタートさせる人が一般的で多数派。但し、極稀なレアケースには、死後数時間以内での転生をした人もいますし、死後2か月(49日過ぎてから)から10年以内、ほんの数年で転生する人もいます。そして事故や災害、世界的規模の大戦や大きな事件で亡くなった人は転生サイクルが短い傾向になりがちです。(死後2か月から数年以内)なので(この現代、昨今において)逆を言えば、次の転生まで20年以上の期間が空いてしまう場合、ちょっと難アリ物件といいますか、普通の状況ではない、イレギュラーケースであるとも言えるのです。(通常の場合、21周忌の時にはそろそろ"次の人生に移行している"との認識でいいかと)けれども、転生までの期間を決めるのは、当人の意志ではなかったりします。宇宙との予定調和と言えばそうだし、その人の魂というか、本体っていうのかな、まぁ…その人の中の神の部分とか、カルマのレッスンとか色々な都合です。(ここではかるーくゆるーく言っておく)でもって、その人が亡くなったときに、自分が死んだことを意識できるかどうかってのが問題。ほとんどの人が、自分が死んだことを理解できず、生きてると思って、普段通りに行動してたりしますから。先の記事に触れた、タイタニック号で亡くなった人たちの場合、自殺でなくて事故死(溺死)であるというのに…とっくに溺れ死んでいるのにも拘わらず、いつまでも、あの海の上で、「助けて~!」って、溺れてたわけですよ。肉体なんて、もうそこにないし、所有してないのに。ものすごい数の人たちが、海から手を伸ばして、溺死というよりは、低体温症(凍死)で息絶えていく自分の死の様相を、ずっと何年も繰り返し、再現し続けていたわけです。そんな風に、事故や災害現場には、自分の死の瞬間に閉じ込められたかのように、"熱い" "痛い" "苦しい" "ここから出して"って言い続けている、そんな霊たちもいます。病気で亡くなった人の場合、亡くなった場所に居続ける人が多いかな。病院ならそのまま入院患者やってたり、自宅ならそのまま寝てたり、体が軽くなったと普通に生活している人もいるし、会社に出かけたり、家事をしていたり、いつもの生活パターンを繰り返している人も多々。家族に話しかけて、色んな人にスルーされて、そこに違和感を覚えて、考えられる人は幸い。自分のお葬式とか遺体を認識して、「ああ、自分は死んだのだな」と気づけるなら、それは普通だし、すぐ次の段階にいけます。(次の段階っていうのは、とりあえず"成仏"と考えておいて頂ければ。ようするに、きちんと自分の死を自覚した後の、意識や視点が移行する状態っていうところで、その上で、人それぞれ、ケースバイケースですが、その人の人間的成長度(人格や霊的成長度)に見合った、行くべきところに行くってハナシです。その上で、今生を振り返り見直して(反省会?)、次の転生の準備に入るっていう感じ。この時に人によっては、守護霊つーか背後霊として、身内や身近な人のところのサポートに行くこともある。次に自分が肉体を所有して生まれるまでの間、透明なヘルパーとなって、修業期間のごとく、現世で培った自分のスキルを用いて、社会のために働いたり、得意ジャンルの人たちをサポートする人もいます。※それが許されない、出来ない人もいますちなみにあの世と呼ばれる次元にも、霊的な知識を教える真理の学校があり学ぶ人もいます。でも通えるのに通わない人もたくさんいます。死んだあとも人は成長する機会を与えられますが、それを選ぶ人と選ばない人に分かれますね、このあたりは自由意志の範疇なので)現世に執着心強く、想いを捨てられない人は厄介。葬式や法事、その宗教の弔いの言葉、念仏など、家族の自分への想いに触れて、きちんと自覚できる人ならば良いけれど、それでもなお、現世や今生への執着や未練を捨てきれないと、なかなかどうしてめんどくさいことになります。これが数年位なら良いのだけども。(家族が心配だからとかの理由で)自然死や事故死、病死でも、自分の死を自覚できないがために、時間を止めてしまう上記のパターンがあるわけで、するってーと、自殺なんかはもっと大変です。自死のケースについては、過去記事の「自死・彷徨える魂~終わりのない旅(上)」「自死・彷徨える魂~終わりのない旅(中)」「自死・彷徨える魂~終わりのない旅(下)」にあれやこれや書いていて、その中にも転生サイクルのことは書いていたかと。自殺した人で、亡くなった時の波動の低い人…(霊的成長をしていない人というべきか)は、大概にして、死の瞬間を何度もやり直します。自分が死んでないと思って、何度も死のうとするんです。壊れて針のとんだレコードみたいに。(例えが古すぎますねっっ)その状態から脱出できるタイミングは、その人の生前の性格、人格や霊性次第とも言える。あとはその人の冥福や成仏を願う家族や周囲の想い。これが伝わるか否か…とか。そうやって自分の「死」について、客観的に捉えられるような状態になってからが、そこからスタートするので、どうしても年月がかかってしまうのです。いわゆる悪霊とか、誰か自殺した人の霊に引きずられてとか、そういう場合は同じ自殺でも、殺人事件の被害者とほぼ同等ってことになりますが、波長が合ってしまってそそのかしに負けた原因が、その人の中に内在していた自殺願望とか悪心とか、そういうものが起因していると、その"汚染"が取れないことには、なかなか次の段階にいけないと思います。そして殺人事件の被害者なんかの場合だと、カルマのレッスンによっての事象なのか否か、そこによって違ってくるわけです。カルマのレッスンとして起きた事なら、普通の死と同じです。そうでない場合は被害者となったのは事故と同じ。いずれにしても、殺されたことに対してどう思うか、怒りや恨みを抱くのか、納得できないと思って、この世に執着するのか否か…そこに左右されますね。刑死(死刑や獄死、拷問死など)の場合は、その死がカルマのレッスンか否かが大きいわけですが、ちゃんと己が罪について考えて反省して、学びを得ているのかどうか…でしょうね。困ったことに「罪」「咎」というのは、世の中が判断するのでなく、当人が「罪」と自覚して、自らの罪と…最悪感を持ち、認めないことには、だったり。ここら辺は語弊が出やすい部分なので、これ以上のことはblogでは書かないでおきます。でも、言えることは、何度転生しても繰り返し同じ罪、過ちを犯し、多くの人に対して不利益を与える反省なきものは、先の記事でも書いたように、強制的な介入が入り、一時的に転生を止められることになります。そしてその間、色々と「教育的指導」が入ることになります。生まれてきてから死ぬまでの一生を、延々と何度も見させられることになったり…とか。あと、自分が犯してきた罪、犯罪の場面だけ、ピックアップしたものを何度も何度も、とか…被害者の立場に視点を入れ替えて、何度も殺されたり拷問される追体験を、嫌というほどさせられたりとか…ちょっとした精神的拷問に近いです。まぁ、仏教でいうところの地獄に似た状況ですね。ここのことをスピリチュアリズムでは、反省房って呼んでます。(反省房に入れられても反省しない人は反省しません。その場合、また最終的な教育的指導…というより、最終審判のような、いったんデータ削除みたいなそうゆう強制的な執行が起こってしまいます。このあたりも何処かに書いたと思います。何処に書いたか忘れましたが、「発達障害」について書いたとこだったような、なかったようなっっ)ちなみに私は、死刑反対派ではなく、どちらかというと賛成派です。もちろん、いつかは死刑という極刑が世の中からなくなって欲しいとは思いますし、冤罪を晴らす前に死刑になってしまう不幸も避けないとはいけないですし、死刑執行を行う執行人の苦悩や心の傷を考えたら、それでいいのか、という想いはあります。でも今の時代を考えると、死刑廃止は時期尚早で、無理だなって思います。他人の生きる権利や人としての尊厳を侵害し、踏みにじり、命を奪った罪は己が命で償うのが、妥当であると…この三次元の物質社会での償いは、それ以外に相応のものはないと、そう思うからです。刑務所の中で自分自身と犯した罪を見つめ直して、根底から変わってくれるなら、良いのです。でも、改心して生まれ変われる人もいますが…残念ながらそうでない人もたくさんいます。今生で過去をやり直すチャンスをもらって、現世で生き直す環境を与えられていながらも、学びの場を生かせず、過去の過ちを繰り返している人は、再び人生を生きる機会をいったん取り上げられてあの煉獄、霊界での独房に入ってもらうしか、それしかないんだろうなって思います。きっとまた宗教で過ちを犯したあの人たちも、そういうところに今はいるのでしょう。誤った閉鎖的で偏った思想を疑いもなく受け入れて、見せかけのまやかしとホンモノを見抜けずに、人として一番大切なものを見失って、悪魔に売り渡し、選民意識的な観念から、楽園を夢見た人たち。定期的に歴史で派生する、そのサイクルの流れに沿い、何度も目を覚まし気づくチャンスを与えられても、それを逃してしまった人たち。一人ひとりが違う房にて、永遠の孤独の中で、すべてを悟るその日まで。今回はどのくらい、いることになるのだろう。てなわけで、死して次の段階、次の人生すなわち来世に早めにいくためには、「死」について、知識を持ってないといけません。人が死ぬとはどういうことか…という、生物学的、物理学的なことの意味でではなく、死んだら終わりではなくて、そこですべてが「無」になるというのではなく、肉体的な「死」の後に、物理的肉体を失った次の段階へと、意識(人格)が移行するのだということを知る、という意味です。肉体は滅びても、意識は残るのだということ、記憶はどんどん薄れていくけれど、「自分」という存在が消滅してしまうのではない、ということを何となくでいいので、そう思っていればいいのです。つまり輪廻転生を今の段階で認めなくても、死んだときに「あーもしかして本当かも」と思うくらいには、知っておいて損のない情報程度に、耳に入れておくと後で役に立つわけです。こういう知識があると、死んだあとに迷子にならず、自分が行くべきところを見つけることが出来て、無駄な年月を浪費しないで済むと…例えば、毎日通勤電車に揺られて電車に乗りなれている人と、生まれて初めて電車に乗る人では、色々と違いがありますよね。後者の人は下手したら切符の存在も知らないかもですし。飛行機で海外に行くにしても、言葉の問題以前に、空港に行ってそれで何をどうしたらいいの?って、事前に知識がないと、入口を間違えたり、乗り遅れたり、目的地に行き着けない可能性も出てくる。そういうのの基礎知識と同じです。(もちろん、すべての人が同じ体験をするわけではなく、個々の人が見る景色、体験することには差異があります。同じではなく、違いはあれども大体の大枠、流れは似たようなものであると理解ください)※ちなみに心霊科学における肉体の「死」は、 完全な心臓機能の停止です。脳死ではないです。 48時間以上、動かない場合、ですが。生物としての物理的肉体が死んだ後も、自分の人格・意識は残るんだ。そしてしばらくこの世のことを見ていられたり、人生を振り返ったり、行きたい場所に行ったり、会いたい人に会いに行く時間があるんだ。けれど、いつまでもその状態にはなくて、次の段階(転生に至る準備)に行くことになるんだ。その時には案内(ガイド)が来たり、もしくは景色が眩しいほうに進めば間違いないんだ。トンネルと同じで、暗いほうでなく明るい景色のほうに行けばいい。そう知ってるだけで十分です。多くのアメリカインディアンたちは、ちゃんとこのことを知っていて、ごく自然な当たり前の知識として子孫たちに教えています。なので彼らのうちの多くは、肉体を離れた瞬間に次の段階へと移行することができます。「今日は死ぬのによい日」そういって、肉体を自ら去る人たちも多いのです。

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  • 21Sep
    • 転生サイクル~死から次の生までの期間

      ちょうどその話を、前回の講座にて話したので、補足的に少しまとめてみます。そして、今日はヒロシマの日。あさってはナガサキ。来週には終戦記念日。戦争と平和を考えるweekと言えばそうで、生と死を考えるには良いタイミングなのかと思いつつ。(注)こちらはアーカイブ的blogになり、 本家に掲載した後での転載になるのでUPの時期かズレてますさて、薔薇十字団とか、一部の神秘主義の教えでは、転生のサイクルを50年と考えているところも多いけど、そんな風にゆっくりとできたのはとてつもない大昔の話。太古の昔というと行き過ぎるけれど・・・少なくとも紀元後AC.になってからは、転生のサイクルはとても早くなっていて、だいたい平均して10~20年程度で、人は次の人生に転生しています。ただし、自殺ではなく、老衰とかの自然死とか病死とか事故死の場合。自殺した人は平均以上の時間、20年以上はかかりますね。色々と制限がかかるといったほうがいいかも。あと、殺人とか罪深いカルマを犯した人で、何度生まれ変わっても反省しなくて、まったく改心しない人の場合、ちょっとまたこれも、特殊な運命の干渉が入ることになるので、転生までの年月がだいぶ間が空く人もいます。(あの世というと弊害がありますが、とりあえすその理解でOKということで…あの世の独房みたいな反省房に拘束されるのです。ここまた別途説明します。たぶん後日)ものすごくスピーディな転生のケースだと、事故で病院にかつぎこまれて、「ご臨終です」となり、遺体安置所(霊安室)で遺族と対面しているときに、その病院の新生児室でオギャー♪と生まれて、新しい家族に笑顔で迎えられた人もいたりします。こういうのはとってもレアケースなんですけど。ある意味で、仕組まれた「死と生」とも言えますね。次の転生先の人生を生きるために、今の人生に対して調整が入った予定調和、みたいな。遺族からしたらたまったもんじゃないですね。まあ、現代では火葬が主流だから、死後すぐに灰と骨にされてしまうからアレですが、一つの人格の死にかかる時間ってのは、本当は40日は必要なんですよ。なので仏教の49日ってのは、"死"のために必要な期間なんです。十分余裕もってる。どうして40日必要なの?ってのはここでは詳しく書きません。なので、死んだその日に転生ってのは、よっぽどのレアケース。普通はありません。けどあったりするこの不思議。ケースファイルの何処かにも書いたけれど、一度にたくさんの人が亡くなる大きな事故や災害、戦争で亡くなった人はサイクルが早いだけでなく、同じ国や民族、土地に、同じ理由(事象)で亡くなった者同士、まとまって生まれてくることはよくあります。これは国のカルマが理由で亡くなった人は、国のカルマの流れにのるってだけなんですが。もちろん、その国の原罪ともいうべき、カルマのレッスンの原因に、個人としてのその人が関わっていたとか、その人自身のカルマのレッスンと同調するから、っていうのがあったりします。日本が先の大東亜戦争を始めたのが1941年で降伏して、戦争終結をしたのは1945年ですが、(実際はその前1937年に始まった日中戦争がある)すでにその直後から、この戦争で亡くなった多くの人たちが転生していました。日本の学生運動は、大正デモクラシーの時からのものらしいですが、1960年の安保闘争、1968年 ~1970年の全共闘運動、そのあたりに参加した人の多くは、大東亜戦争で亡くなった人たちが転生してきています。このことも過去に書いたことがあるけど、たぶん国の犠牲になった、という政治不信が、意識の根源に根深く植え付けられた結果でしょう。1970年~80年代に日本に生まれた人の中には、何故か終戦後に一度他国で生まれて短い人生を生きた後、日本人として生まれたドイツ人の人たちが多いです。やはり先の戦争にて亡くなった人たち。まあ、たまたま彼らが学ぶべきことが、日本という国にあったから、というだけでしょう。全員が全員、日本人として生まれたわけではないし。アメリカ人とかイタリア人とかイギリス人だった人、東南アジアの人たちも日本人に転生していますし、統計取ったわけではないので何とも言えません。第一次大戦の戦死者とか、世界恐慌を経験した人たちは、1950年~60年代にかけて生まれて、前者はベトナム戦争や朝鮮戦争、日本だとバブルをダイレクトに経験するとか、そういう波に乗っているみたいです。ちなみに…これもどこかに書いたと思うけど、私は100年前はアメリカ人のフラッパー。過去生では世界恐慌(ブラック・サースディ)で経済崩壊を経験し、今生ではバブルとリーマンショックに翻弄されました。(けど、英語苦手で話せませんし、書けません)面白いことに、第二次世界大戦では日本の敵国人だったわけですね。して私がアメリカでニューヨーカーだったとき、今生の祖父は日本帝国軍人であったと…。(まぁ私の話はどうでもいいですね)ヒロシマ、ナガサキの原爆で亡くなった人は、早かった人と遅かった人と極端に別れたように思います。クライアントさんとその関係者の中では、1980年代生まれの人に被爆者の転生者が多かったです。もう少し早い時代に転生した人もいると思いますし、その時代に日本で転生するまで、他国に生まれていたのかも知れません。その人のカルマのレッスンがどのようなものであるのか、にもよるのですが、戦争から派生するトラウマやカルマのレッスンを持っている人は、やはり大きな戦争の流れに沿って転生することになります。私の場合は、2000年前にお金に対するカルマを作ってしまったので、世界的経済や金融の流れで左右される世相や社会に添って、人生の一大事を経験するサイクルで生まれちゃうんですね。2000年前までは違いましたけど。人種差別がテーマな人は奴隷問題とか南北戦争とか、民族浄化だとホロコーストとかカンボジア内戦、反乱とか革命とか、まあ色々なサイクルパターンがあります。少し前にいらしたクライアントさんで、前世がカチンの森で殺されたポーランド兵だった方は、どうしてその経験をすることになったのかというと、もともとの発端はゴート族だったときに、ヨーロッパのあちこちを侵略して民族浄化をしてしまったから。言葉や肌の色、国こそ違えど同胞たる人間に自らがしてしまったことがどういうことであるのか、それを心で知る日までは、そうした出来事に出合うサイクルで。いま戦争や民族浄化のない日本という国で、日本人に生まれてきた人の多くは、中休み的な人生で、平和を享受し、たくさんの情報、歴史の客観的な真実とか、そういうものを調べたり、知ったりできる環境にあって、「考え」「感じる」期間を与えられているわけです。そもそも転生を受け入れられるようになるまでというのは、人によって誤差があります。転生するにはタイミングが必要なんですが…ようするに、いったん今生を振り返って、自分が今生できちんとノルマを果たせたのか、するべきなのにできなかったことは何か、やり残したことや後悔、新たな課題を作ったか否か、次の人生でのカルマのレッスンについて、今生での教訓を次の人生でどう生かすかetcカルマのマスターと話し合って、方針を決めるわけです。そして、それが果たせそうな場所、環境に狙いを定めて、準備して転生する。転生先はかな~りアバウトで、そこまで綿密ではないのがミソですが。この段階、計画立てるところに至るまでが、人によっては時間を食ってしまうわけです。自分の死を受けいられるか否か、で。ある程度、死生観のある人は、自分が死んだことに気づくのが早いです。西洋人に比べると、日本人のほうが早いかな。でもチベット人やアメリカインディアンの方が早い。信仰や宗教で「死」を教わっている人、知識がある人は、「ああ、自分死んでしまったのね」と、わりとすんなりいくんです。でも、恨みとか執着があるとやっぱダメですけど。自殺した人でも、どういう状況での死なのか、とか、生前の人格によっては、気づきが早い人もいますし、説得に素直に応じる人もいます。ですが、ほとんどの人が「死」に執着するので難しい。先に事故や災害、戦争で亡くなった人は、転生するサイクルが短いと書きましたが、どの宗教に属していた人か、生前、死生観をどのような形で持っていたか、これにもすごく左右されるのですね。誰もが知っている1912年に大西洋上で沈んだタイタニック号にて亡くなった人たちは、1916年の時点で、ほとんどの人が成仏してなかった。2011年の東日本大震災で亡くなった人は、早い人ではその年の内に、そして2.3年以内で転生してくる人たちが多かったんです。(5月のGW過ぎた後位に生まれてる人の中にいました)もちろん、まだ成仏できてない人も残ってるし、まだ転生してきてない人もそれなりにいますけど。(必ずしも日本に転生するわけではないし)キリスト教を信じる西洋人と、熱心な信仰を持つわけではないにせよ、仏教に対する知識が多少なりともある日本人。その違いもあるのかな、と思います。閉鎖的な100年前と情報化社会たる現代という、時代背景の違いもあるでしょう。てなわけで、10年~20年サイクルでだいたい転生しますから、今の人生で過去生の家族や知り合いに、再会できる可能性は高いです。ただし、姿かたちも違うし、国も言葉も違うでしょう。まず覚えていないし、お互いわからないですが。20年過ぎたら、その亡くなり方が自殺や刑死でない限り、転生してもう別の人生生きてると思ってください。再会できたら奇跡ですけど、期待しないのがいいかな。なんかちょっと散漫なまとめ方、文章になってしまいました。こんな書き方で説明になっているかしら。わかりにくかったらごめんなさい。

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  • 17Aug
    • TABICAのホスト始めました

      気まぐれにTABICAにホスト登録してみました~♪今のところ登録した企画は4つワークショップ2件と街歩き2件★誰でもかんたん楽しいタロット・ワーク ~遊びながら覚えるタロット占いhttps://tabica.jp/travels/5587★いろいろ聞きたい占いのあれやこれや ~占いとの上手な付き合い方https://tabica.jp/travels/5596★魔女と巡る教会と水神詣で ~文京・江戸川・音羽~祈りの道散歩https://tabica.jp/travels/5597★東京の最強パワスポ東御苑にて『オーラとチャクラを整えるワーク』をするhttps://tabica.jp/travels/5586でも、開催日まだちょっちしか入れてないのがミソ。何しろほかの仕事との兼ね合いあるし、街歩きは天気予報との相談だし、ワークショップは場所をお借りするとこの都合次第でやんすので。関心のある方はよかったら参加してくださいな~♪その他日程リクエスト出してくれると嬉しいです。あと、次回のスピリチュアル勉強会は、来週8/23(木)19時~です。参加費2500円。場所は江戸川橋です。※5月からスタートし、大体一年間が周期(全体の概要がわかる目安)ですが、途中からの参加OKでゆる~くやってます。てなわけでまだ席ありますので、興味のある方はご連絡くださーい。

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  • 08Aug
    • 告知:『第16回がん治っちゃったよ!全員集合! IN 埼玉』

      スタッフをしている友人から、以下イベントの案内を先日頂いたので、こちらで告知させて頂きますね。もし関心のある方、当日お時間のある方いましたら、ぜひご参加下さい♪ こちらの内容の転載も歓迎いたします。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆今週末・・・8/12というお盆間近の微妙な日ですが、がん関連のイベントが大宮であります。様々ながん腫の方々が、その生還体験を共有するというイベントで、『がん=不治の病』というイメージをひっくり返し、治るスイッチをONするきっかけになれば、という想いでスポンサーもとらずにやっています。今のところ主に関西圏で開催しているもので、関東では1年に1度あるかないかの貴重なイベントです。もし身近に本人でもご家族でも、がんや難病でお悩みの方がいれば、どうか告知いただければと思います。『第16回がん治っちゃったよ!全員集合! IN 埼玉』https://kokucheese.com/event/index/509168/4時間の長丁場ではありますが、到着した当初下を向いていたがん患者さんが、笑顔になってお帰りになった、というご報告を多数いただいています。12日という微妙な日程設定ですが、だからこそのタイミングの方に、ぜひお越しいただければと思います。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆よろしくお願いいたします。

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  • 28Jul
    • 獅子身中の虫

      二か月くらい前のこと。定期的にいらっしゃる長いお付き合いのクライアントさん。最近どう?などという世間話的な様子伺いにて、どうにもここのところ体調が思わしくない…と。その流れで、「心の眼」のほうで彼女を見やると、何か細かいものが、スピーディーに彼女の身体の上を這いまわっていたりしました。うちで色々とヒーリングその他を学んでくれてた人だから、自身にもチェックしてもらいながら、(まず自分自身で見てみよーよ!と、当人任せ→手抜きか)同時にもっと詳しくちゃんと見てみると、ホタルみたいな黒い虫?のようなものが、彼女のオーラをたくさん食い破っていたのです。当然、オーラ(エネルギーフィールド)は穴だらけ。これじゃ、エネルギー漏れ状態だから疲れやすくなります。で、この虫の正体はというと、本物の蛍の幽霊とかではなく、単なるエレメンタル。ホタルのようなモノ…に波長を合わせてみると、彼女の昔からの友人で、あれこれ彼女に対して、複雑な思いを抱いている人が創ったものらしく…どうも、昔から彼女にあれやこれや口うるさく言われてて、(昔の彼女はそういう性格だったので)それに対して、うるさいと思う反面、他人のことに口出ししてくる彼女のことやそのふるまいを、表向きありがたいふりや耳を傾けてるふりをしながら、何処か小馬鹿にして見下していたらしいのですが、ある時から彼女が徐々に変わっていって、性格も穏やかになり、謙虚さも出てきて、他人に煙たがられるような(彼女が小馬鹿にしていた)面が、すっかり影を潜めて、他人と上手くやれるようになったこと等かつて彼女のことを自分と同類あるいは自分以下と思って揶揄し見下し、自分のコンプレックスを投影して安心していたのに、ここ数年の彼女が人として変化して成長していき、結果として、とても平穏で幸福そうにしている現状を目の当たりにすることになり、それに対してとても複雑な人としてのこじらせ感情、嫉妬と羨望の感情等を抱き、そのドス黒い感情が、大量の虫の形を取った想念体(エレメンタル)になった。…ということのようでした。まあ、人間て、そういうトコありますね。仕方ないんですけど。それを彼女に説明すると、「ああ、そうか」と納得した様子。心当たりというか、薄々は気づいているわけです。そして確かに体調が悪くなる直前にその友人が自宅に遊びにいらしたと…逆に言えば、その友人が来訪してから体調を崩したと。ついでに自宅も見てみると、家にもたくさんの虫が飛んでいました。そういえば、彼女の家を訪れた他の知り合いが、「なんか、今ゴキブリ?みたいな黒い虫がささっーと、通っていったような気が??」と、気配を感じて振り返り、そんなこと言ったとか。(本当のゴキブリだった可能性も否定できませんが)これって、無意識なんですよね。意図的に相手を攻撃しようとした呪詛とかではないし、身近な人に対しての、葛藤を生じさせる複雑な心の反応。その友人の方も、相手が憎くて、生霊のことを飛ばしているわけではないんですよ。好きだけど嫌い。嫌いだけど好き。愛してるけど憎い。憎いけれど愛している。そういう説明不可能な感情ってありますよね。愛憎とも言うのだけれど。今回のクライアントさんの友人の方は、今の自分や現実が嫌いというか、不満アリというか、自分の醜い感情や側面をすごく嫌ってて、そんな自分とオサラバしたいはずなんですね。だからこそ、自分が手放したいと思っている自らの性格の弱さとか欠点とかを手放すことで、見るからに明るくなってイイヒトになっていき、結果的に周囲からの信頼を得られている彼女のことを、羨ましいと、妬ましいと思ってしまったわけです。刺激されたというのかしら。彼女の今は、自分が欲しかったもので、彼女が手放したものは、自分が手放したいものなのに、それが出来ない自分に対して歯がゆくもあり。自分と同じところにいると思ってた人が、自分よりも少し先に行ってしまったことで、ざわざわとしたドス黒いものが、たくさん毛穴から吹き出てきてしまったのでしょう。こういうのってよくあります。女性なら、いやさ男性でも。片方が心を許していて、片方がそういう気持ちを持っていて、笑顔の下に刃を隠して、目には見えない次元で、相手に対して攻撃を加えていたり、エネルギーバンパイアのごとく、エーテルコードを差し込んでエネルギーを奪っていたりとか。よく見る光景ですね。共依存とか力関係とか、そういうのとはちょっと違う関係だけど。人の心理は本当に複雑で一筋縄ではいきません。けれど、無意識的にそんなことをしている人のことを一方的に責めることは出来ません。誰しもそんな弱さを持っています。そして誰もがそういうことを誰かに対して、「やっていない」とは絶対に言い切れないのです。子供の頃、兄弟姉妹に対しての親の愛情をめぐっての独占欲や些細な嫉妬から、あるいは同級生に対しての勉強やスポーツの場面で、習い事や仕事を通して、自分より秀でていたり、才能があったり、恵まれていると思う相手に対して、恋愛にまつわるエトセトラから、他人に対して、攻撃的な感情(反応)や考え、嫉妬や羨望だけでなく、怒りや憎しみやあれやこれや批判的で否定的な想念を飛ばしてしまったことが、最低でも何度かはあるはずです。そんなわけで世の中にはそんな感情から創られた、虫の形をしたものや動物みたいな形をしたもの、あらゆる形状をした邪悪で醜悪な想念の塊が、たくさん存在していて、あちこちを浮遊しています。だからこそ みんなそういうものが見えなくて幸いだと思うのです。本当に気持ち悪いですしね。それらは色んな人にくっついていたり、悪さをしていたりもします。掃除をしない限りは。そしてそのようなものは、必ず最終的にそれを作った創造主たる人の元に戻っていくことになります。たくさん力をつけて仲間を増やして大きく成長して。たから、一言った悪口は七倍になって増えて、その人の元に戻ることになるのです。戻るタイミングは今生とは限りません。今生に戻ってきているものも、今生に創られたものとは限りません。過去生で創ったものも何十倍にも成長して戻ってくるのです。なので、私たちは自分の行動や言動だけでなく、「どんなことを考えるか、思うか」についても、気を付けなくてはいけません。その人が「想像」したものは確実に創造されて、物質的な次元で戻ってくるという法則があるからです。"親切を語り、やさしさを語れ 忍耐強くあれ 人のあら捜しをするな 他人を非難するな あなたがたがこれから歩む道筋に あとで困るようなものは置かないことだ  他人の非難を浴びるような無駄口を叩くな このことが身体の状態の前途を変えるかも知れないのだ"    byエドガー・ケイシーちなみに、他人からそうした攻撃的な想念体を送られても、ダメージを受けない人もいます。ダメージを受けてしまうのは、攻撃的な想念体と同調する、何かが、受け手の側にあるからです。ようするにその人の中に、送ってきた相手で無くても、誰かに対する、そうした同種の感情を抱えているってことです。今は表面化していなくても眠っているだけで。だから、その攻撃的なエレメンタルを(今回の場合はホタルもどきの黒い小さな虫)創ったのは彼女ではなく友人の方ですが、結局は、自分が創ったのと同じなんですね。そうした類似の感情がまったくない人は、このような邪な感情が創り出したエレメンタルの攻撃を受けてダメージを受けることはまずありえないので。ですので、霊的な攻撃(サイキックアタックやアサルト)のダメージを受けないためには、まず自分自身の心を浄めて、自らの過去と向き合い、自分の弱さや精神的問題を克服しないといけません。そして誰かからの攻撃を受けたときには、自らが放った攻撃の矢を受けているのだと、相手自身とその罪と同じく、自らの過去の自分自身と犯した過ちを受け入れ、その心情や背景を十分理解して、赦してあげる機会とするべきです。とはいうものの、とても難しいことですけどね。自らが他人から受け取るものは、自らが他人に与えたものなんで、与えたものが戻ってきただけと、受け止め、受け入れるしかないです。だから、こうした攻撃の矢みたいなものは、返品とばかりに相手に戻しても、なんですね。また戻ってくるだけだから。てなわけで、虫はこちらで退治というか処理するわけです。自分が捨てたゴミでないけど、こっちで処分を引き受けるみたいな。自分が捨てたゴミも他の誰かが始末してくれてると感謝して。いくら捨てても何しても、永遠に送って来る人もいますけどね。とりあえず今回のことで彼女は、友人さんに一日も早く心の平穏が訪れるよう、祈り続けるとのことです。時々送られてくる虫をチェックしつつ。

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  • 15Apr
    • 5月からの定期的な勉強会開催のお知らせ(通信&直接)

      以前から予告していたように、来月(5月)から瞑想とかんたんな心霊科学の勉強会始めます。がっつり勉強だ! 講義だ! 修行なのだー! みたいなのではなく、スピリチュアリズム入門的なレベルからの(たぶん)【サロンでの開催】基本:第2・第4木曜日 19時~21時(終了予定)参加費: 2500円(当日払)なんですけど、5月だけ、第3・5木曜日に変更です。従って、2018年5月は5/17(木)と31(木)19時~21時です。実は私、第一木曜日夜に座禅のサークルに参加してまして、この会の日程が変更になるときは日程がズレるということですみません。場所は有楽町線の江戸川橋駅です。地上出口出てからは徒歩2分くらい。東西線神楽坂からは10分ちょい。都電荒川線の早稲田からは15分は歩きます。新宿駅西口からバスでも来れます(20~25分位) ※練馬車庫行で山吹町下車◇詳細な場所は参加申し込みを頂いてからご案内します。参加希望者はHPのメールフォームもしくはFacebookのメッセージなどからご連絡ください。(住所、氏名、年齢、連絡先。参加したいなと思った動機など)◇夕飯は事前に済ませてきてください。 駅周辺にいちおう飲食店あります。 ドトール、てんや、フレッシュネス、ココイチ、日高屋、 飲食コーナーのあるファミマなど。◇入室は10分前から◇お茶は用意しますがご自分で持参くださってもOK■参加資格について・公序良俗を守れる人・常識や社会マナーを守れる人・他人を尊重できる人「スピリチュアリズム? なにそれおいしいの?」みたいなレベルの、よくわかんないんですって人でも大丈夫です。ただこのブログをお読みの方はご存知と思いますが、うちはキラキラスピリチュアルとかふわふわスピリチュアルとか、ここ数年流行ってたミーハーなんちゃってスピリチュアルなそういう方面ではまったくないので、そこだけご了承ください。また超能力や霊能力、神通力など超常的な能力を磨く道場とかでもないので、自分以外のナニモノか、になりたいとか、スゴイ力を持った人になりたいみたいな野望をお持ちの方はご遠慮ください。たぶんご期待にはお答えできませんので(笑)■参加をお断りする人下記にあてはまる人は参加をお断りすることがあります・会話が成立しない人(意志の疎通が出来ない)・主催者や他の参加者に迷惑をかける恐れありと 当方が判断した人・他所での教えや自説を広めようとする人◇禁止事項・セールス、勧誘等の営業活動(自己紹介や職業紹介まではこれにあてはまりません。参加者同士が勉強会に参加して個人的に親しくなったあとのことは個人の判断におまかせします。当方関与しません。)【スカイプでの通信セミナー】こっちはまずお試しで開催してみます。というわけで、まず体験会的な何か…日時:5/10(木) 10時~12時参加費:2500円(前日までに銀行振込)※前日確認できること基本的には遠方にお住いの方対象です。その他近郊でも平日夜の参加が難しい人スカイプに関しては定員6名までです。とりあえず試験的にやってみて、定期的に開催するか決めます。参加資格などは、スカイプでの動画通話ができる方、になります。その他はサロン開催と同じです。申し込み頂いてから、スカイプのニックネームなどお知らせします。まだ予定は未定なところあるんですけど、平日の昼間に直接サロンで開催してほしい、平日の夜にスカイプでの通信を開催してほしい、みたいな声があれば検討しますので、興味ある人はリクエストしてくださいませ。通信にしても直接開催にしても、テキストのようなものは作成する予定はないんですけど、もしかしたら気まぐれに配布物とか作るかも知れません。病欠や仕事、諸事情などでのお休みは自由です。連絡だけ必ずください。ただし、一度入金頂いたお金は返金することができません。そのあたり通信の方はご注意ください。

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  • 18Mar
    • お知らせ∞通信講座と瞑想会の予告

      タイ瞑想村での週末瞑想会に参加してきました。心身ともにリフレッシュできたとても良い体験でした。そして今回も多くのことをスタッフの方や指導して頂いた僧侶の方から学ばせて頂きました。まだまだ学ぶことってたくさんあります。もちろんこのような精神的体験の場だけでなく、通常のOLとしての社会生活や人間関係のほうが人間性を試され、研磨されることは圧倒的に多いのですけど。でも都会の喧騒と多忙さから抜け出して、自然の中でピュアなリセット時間を持つことも人間には大切だったりします。そんなわけで、いつも多くのものを与えて下さる人生と出会えた人々とのご縁に感謝するばかりです。(そんな私は特定の宗教には縛られたくないLet's多神教。神様仏様なんでもござれ)こちらのブログはアーカイブとしての位置付けなので、ほとんど更新せず(肝心の本家本元のブログを更新してないものですから)、それでも読みに来てくださる方々がいたり、イイネして下さる方たちがいるのはありがたいことです。私のつたない知識や現場で体験したことが誰かのお役に立てているのであれば幸いですし、そうだったらいいなと思っています。さてさて・・・予定はまだ未定なんですけれども、5月以降(GW明け)で、月2回程度の週末瞑想会的なレッスンとスカイプで遠方の人対象に通信的なレッスンを考えていたりします。それぞれ月1か2回くらいかな。(参加費は1回2000円から2500円程度を考えてます)これまでやっていたようなエソテリックスクールやスピリチュアル講座のように、きちんとテキスト作ってお勉強ってようなものではなく、グループレッスンのように、それぞれが取り組むべき課題を提示するようなものとも違って、もっとライトなものをと思っています。今までのは結構ヘビーでハードなものだったのでっっ汗バックボーンにある思想としては、スピリチュアリズム(心霊科学)やグノーシス(霊的真理)がもちろんあったりするんですけど。とりあえず、少しずつ霊的知識について小出しで簡単なお話をして(いっぺんだと皆難しいと思うし)、あとは瞑想中心って感じですかねー平日夜か土日どこかで隔週で、時間は2時間くらいかな、1時間くらいお話しをして、30分くらい瞑想して、あとはシェアとかコミットメントとか。定員はそれぞれ6名くらいでしょうか。スカイプも6名までは同時会議できると思うのです。私のこのブログに書いてあることで「?」と思ったり、それってどーゆーことなの?どうしてそうなのか知りたいとか、もっと詳しくって、そんな風に思ったり、キチンと霊的な知識について学びたいなって思われた方とか、興味を示してくれた方がいれば、すなわち需要があれば開催しますって感じです。限りなくアバウトですがっっっ対面での瞑想会の開催場所は新宿区ではありますが、駅は地下鉄有楽町線の江戸川橋駅になります。荒川線の早稲田とか神楽坂からも歩けなくはないんですけどね。スカイプは地方にいて学ぶ機会がない人、東京までいけないよって人向けですが、PC持ってないとになるかしら。ビデオ会議的イメージなので。ただ詳しい時間とか日程はまだ何も決めてないっす。平日の夜か土日だと昼間(午前中)かなー興味ある人はアメブロのメッセから問い合わせください。ホームページやFBからでもお好きなところから、ご連絡頂ければと思います。反響なければたぶん流れるであろう企画・・・かな。

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  • 16Jan
    • 今更ながらのTwitter開始と魔女入門連載中

      んー 飽きっぽいから続くのか不明です。それよりブログ書きなさいよってハナシもありますしっっ汗https://twitter.com/yamato_mahoぼちぼちどうでもいい戯言を呟き中良かったらフォローしてくださいそれから、友人ローズマリーさんのサイト「ALPHA占い館」で【魔女アルマの魔女入門】を執筆しています。ダイレクトなアドレスは「Angelic Blessings」よかったら読んでください。今年一年間は続ける予定です。スピリチュアリズムの講座や瞑想会はお休み中ですが、魔女講座も希望があればやるかも新米。あくまで希望者がいれば、ですが。

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  • 30Dec
    • S・C・F番外編「嫉妬は時空を超えて」

      友人の話です。本編は、許可をもらっているのでそのうち書きます。まずはその周辺の話から。友人がとある場所から戻ってきた直後、「なんかヘン。ふらふらする。 みんな(仕事仲間)にも様子がおかしいって言われる。 おまけに胸にぽっかり穴があいたみたい」ちなみに音楽家である友人は、仕事で地方に行くことが日常茶飯事だったりします。チャットで会話している限りでは、離魂病を起こしているのかなあ?とも思ったので、とりあえず足裏マッサージとか受けておいて~…とアドバイス。ごく初期の、軽度のものだと、それだけで改善することも多いので。シャーマン体質の感じやすい彼女のこと。まして彼女にとって曰く付きの場所に行くことになるので、(そのあたりは本編にて) なんかしら大なり小なりのトラブル予測はついていましたが。でも、これまで自力で何とか乗り越えてきた人だったので、私が手助けするほどではないかなあ、とも。実際、彼女は胸にできた穴の原因ではないかと思われる過去の出来事に対して、セルフヒプノを試みたそう。そして二つの過去生にアプローチして書き換えをし、それで解決と思いきや…「おかしい…なんかスッキリしない」で、結局お客さんとして来ることに。彼女が仕事帰りだったので、まずは「夕飯を食べよう」とうどん屋に。顔を見た瞬間、「ありゃ」と思いましたけども。海老アレルギーのある彼女。かき揚げに海老が入ってないことを、店員さんに何度も確認し、注文するも、食べ始めるとなんと、桜エビが入ってるっっそれに気づいたものの、取り除いて食べようとする。フリーズする私。「エピペン持ってるの?」と聞くも、「持ってない」「ぎゃー!(心の叫び)」自殺行為や。とりあえず、少し粘膜が腫れる程度で済みました。落ち着いてから、さてセッション。問題の本質である過去生はセルフヒプノしたから、とりあえず今回必要ないとは言うけれど、どうしても気になることがあったので、色々とチェックしていくと、前回セルフヒプノした二個の人生のパーソナリティが、書き替えられた人生(彼女が創った新しい物語)にどうにも納得していない様子。本編に書くのでここでは省略しますが、ようするに、その物語って今生の彼女の視点で作られたもの。過去生の彼女の視点ではないわけです。あくまで私の友人が「こうだったらいいな」と思う過去なわけで、過去の彼女が納得する自分の人生ではないわけです。過去生と言えども、今生の彼女とは別人格。同一人物であっても同一人格ではないので、同意見、同じ性格というわけにはいきません。まして現代に生きる私たちとは置かれた環境や時代、そして価値観や倫理観が違います。過去生を昇華させようとするとき…すなわち過去生ヒーリング(解放)をするときには、このことに留意しないといけません。ぶっちゃけ、霊を上げる(成仏や浄化)させるときと同じで、その人を納得させ、説得する視点でないと失敗します。今生のその人が納得する過去のストーリーではなく、過去のその人が納得するその人のためのストーリー。それを一緒に紡いで、導いてあげないと、なのです。とりあえず、友人が創ったものではない、新しい、過去生の彼女も、現代に生きる友人も納得する物語を、もう一度創り直して、とりあえず一段落。でも、その後がメインだったり。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆さて、過去生ヒーリングやヒプノセラピーをするときには、いきなり本題に入るのは危険です。過去生をいじるということはエレメンタルをいじるということで、なおかつ書き換えをするときには、大量にエーテルバイタリティー(氣)を消費することになるので。事前と事後でマグネティックヒーリングをしないといけません。でないと、時と場合によってはクライアントの心身にダメージを与えたり、最悪の場合には心神喪失や精神的危機に招くことになります。ベッドに横になってもらって、友人に氣を流しながらマントラを唱えると、彼女の中に一時的に寄生した「ソレ」が出てきました。このあたりの話もかなりはしょりますが、「ソレ」というのは霊ではなくて、エレメンタル。さっき書き換えをした彼女の過去生のとき、三角関係で彼女の彼に横恋慕していた人物の、数百年の時を超えても未だ残る嫉妬と憎悪の気持ちでした。当時男性だったその人は女性に生まれ変わってて、その人が作ったものを食べちゃったんだそう、友人。(当然ながら覚えてないです、その方。今生の恋敵さんはまったくそんな意識なく、彼女の過去生のパーソナリティである男性が今生の友人に仕掛けた攻撃(サイキカルアタック)です。うーん…複雑。想定外のBL。勉強不足かも)「ソレ」が友人に、アレルギー物質を食べさせるよう仕向けた模様。まあ大事には至りませんでしたが。とりあえず、「ソレ」を出して、始末つけました。そして物理的にもいっぱい彼女には出してもらいました。エクソシストみたいな緑色の液体ではないです。トイレでゲーゲー それで済みます。何しろアレルギー物質吐いたほうがいいし。吐くのも体力消耗するし、しんどいですけどね。教訓「嫉妬は男も女も怖い」てな感じでしょうか。まあ、昔から魔術や呪術の世界では、食べ物に何か仕込むのは(毒じゃなくて)、よくあるお約束でありますから。それに作り手の「氣」が入るのは確かだし。なので自分を(が)嫌いな人からの食べ物やギフトは絶対に受け取らず、まして相手が創ったものは食べてはいけないってハナシ。物質以外のもので何入れられてるかわからないから。この日はそんなこんなで憑依したものを引っ張り出して、とにかく氣の補充、補充、補充。そしてその後、別の日に第一チャクラの掃除が必要だなって、始めたら濁流のようにドバドバと色んなもの出て、ビックリした。で、エーテルダブルにたまっているゴミを何とかするのに、幽体離脱させられてた友人…(ヒーリングにはそのほうが都合がいい。20cmくらい浮かされてたそう、リアル実況してくれた)。耳元で宇宙人のような奇妙な話声がすると。それは怪音波のような幾何学的な変なものだと…「バッハの、宗教音楽で、パイプオルガンのパラピレパラポリラ~♪ みたいなあっちこっち音階が飛んでいるような曲じゃね?」と言ったら、そんな感じかも、と。はい、それは一部の人がエノク語と呼ぶものです。なんてラッキーなんでしょう。それは大天使たちの話声です。滅多には人間の耳で聴きとることは出来ませんのよ。滅多つーかほとんど、だけど。ヒーリングには大天使たちの関与が必須ですからね。(彼らが手伝ってくれないと肉体の修復はできないし、それが彼らの役割でメインワークだから。そう、命を創ることが大天使たちの仕事。人間の願いを叶えることなんか彼らの眼中にはない。多くの天使は理想化されたファンタジー。人々の幻想が創り出した妄想の産物でホンモノじゃない)大天使たちの言葉は人間の言語とは違う、ぶっちゃけ「音」ですから。向こうにこちらの意志は伝わっても、彼らの言葉を人間が解することはほぼ不可能です。※バッハの宗教音楽の音階は天使の言語に極めて近い。とくに歌なしパイプオルガンのソロ?天使と会話するための音楽って感じで。彼ら(天使)を鼓舞し、呼び寄せ、コミュニケートし、喜ばせるためにああいう曲調なんだと思う。私は音楽としては聴くことができないんだけどね。まぁ、バッハは天使の存在を認識できる人だったからさ。それを聞くことができた友人は超ミラクルラッキー。聞きたいと思っても聞けるものではないんで。もしくは聞いても、それと気づく人もいないんで。とりあえず友人の状態は無事回復。年末の多忙な仕事もなんとかこなせている…のかな?そして本編を書くのはいつになるんだろう。。。

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∞Reincarnation~輪廻転生∞
星の数ほども、砂漠にある砂の粒ほども存在する人間の、一人ひとりに命があり、魂があり、人生がある。決して語り継がれることのない忘れ去られた物語。歴史に名を刻まれることはなくとも、魂に歴史は刻まれて、記憶の片鱗は確実に次の人生に影響を及ぼし、継承されていく。そんな風な、名も無き人々の忘れ去られた過去のドラマ…生と死と癒しの物語、そしてそこから知り得たことや得られる学びや教訓、そしてその周辺の予備知識としての霊的知識(スピリチュアリズムや霊的真理)の話など。






プロフィール

やまと真秀(YamatoMaho)

性別:
女性
お住まいの地域:
東京都
自己紹介:
大都会、東京の片隅に生息する50代BBA魔女 ・スピリチュアルセラピストとして非科学的な視点から、...

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