魂のカルテ~Spiritual Case File


「Light of Wisdom~スピリチュアルセラピーの現場から」の別館ブログ


本館「Light of Wisdom~スピリチュアルセラピーの現場から」より、

主に過去生関連の記事のみ抜粋して、こちらアーカイブ(別館)としてまとめています。


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9/11記:

すみません。コメントへのレスを書くと、背景と文字が白くなり、文章が読みづらくなってしまっています。アメブロの既存テンプレートデザインではなく、デザインをいじれるCSSを使用しているのですが、何処をどういじればコメントとレス欄の背景色や文字色を修正できるのか分かりませんっっっ 何しろCSSはほとんどわからずネットで調べても「?」な状態です。大変申し訳ありませんっっっ

6/7記:

本館から抜粋した記事のみ掲載しているアーカイブです。

なので掲載していないものも多数あります。

こちらに掲載しているのは一部の記事だけですので、

全部を読みたい人は本館にどうぞ足をお運びください。

  • 12Oct
    • 憑依と霊的汚染:低級霊の常套手段と悪霊軍団

      前テーマの続きです。なりすまし(騙り)とそそのかす霊的存在について。まず前説から。三次元を視点(観念)の中心に生きている私たちにとって、それ以外の次元の世界及びそこに属する存在は、通常時においては視界(視野)には入っていません。よしんば四次元の眼が発達している人で、視界に捉えて視ることが出来ていたとしても、その存在を認識していない人は、「目の錯覚」や「気のせい」で済ませていたり、現実に存在するものとして脳で処理してしまっています。実のところ、誰もが自分が属している、四次元と五次元の存在(霊やエレメンタル)の、姿形や声を捉えること(霊視や霊聴)を、しようと思えばできるのですが、この三次元(現実)に注意と意識を向けて、生きる上での妨げになることが多いので、それは望ましいことではないので、従って、「宇宙の法則(神聖なる計画)」の中において、3つの身体が健全かつ健康な状態であるものは、三次元に常に意識が向くようになっているのです。このあたり上手く説明するのが難しいのですけど…3つの身体の栄養素であるエーテルバイタリティー(氣=生体エネルギーのようなもの)が十分に摂取され、身体に有害な老廃物のごとくなエレメンタルが、適切に定期的に処理され、健康を損なう外部の刺激…ウィルスや病原菌のような、邪気やネガティブな存在の攻撃から守られていて、3つの身体(肉体・幽体・霊体)の調和が、バランスよく取れていれば、人の身体は異常も問題もなく機能しているので、3つの身体が個別に体験・体感していることを、相互に伝達しあって共有しつつ、正常に処理するので、(感情と思考と理性と行動のバランスが取れているので)視野が狭まることなく、現実感をもって、目の前の出来事に対処することが出来るのです。とはいうものの、その人の人間性(人格=霊性=霊的成長度=レベル)にも左右されます。ある程度の霊的成長を遂げている人は、(四次元と五次元の身体、なおかつ肝心要の六次元の身体が発達している人のこと)三次元に存在するものと別次元(四次元と五次元、人によっては六次元)に存在するものを明確に区別することが出来ます。でも、未だ六次元の身体が未発達で、四次元と五次元の身体も未成熟な人の場合、別次元のものを明確に区別できなかったり、(その人の霊的レベルに応じてですが)幻聴や幻覚や妄想として、あるいは現実と混同したものとして、別次元からの声や形骸を捉えることになります。ようするに、霊的成長度がある一定レベルに達していない人は、自分と同じ次元の階層に属しているモノや存在であっても、その形骸や存在を正しく認識して、個別のものとして捉えることが出来ないっていうこと。(三次元のものとごちゃまぜになる)相手の姿や存在を正しく識別できないということは、色々と混乱と弊害が起きるモトです。例えば、オレオレ詐欺。電話の向こうの声の主が別人であっても、電話(通信機器)というフィルターを通してしまうと、よほど特徴的な声でない限り、何しろ相手を認識しようにも姿が見えないもんだから、簡単に「騙されて」しまう人がいたりします。まして、霊的存在なんて、「声」なんて聴いたことないし、馴染みの誰かに紹介してもらって、顔合わせなんてしたことないし…(当たり前だ)。例えば先祖や身内の霊を見分けるのに、生前に会ったことがあるとか、写真を見たことがあるとか、両親や親族の誰かにクリソツだとか、なんかその人がその人である根拠とか証拠でもあれば別ですけれども。その「視る」ことが出来なければ手立てなく。(ちなみに四次元と五次元の存在たる霊が、物質的次元で知覚してもらえる状態に、自分の姿を形骸化するのって大変なんですよ。育ちざかりの子供10人分の生体エネルギーが必要で)さてここから本題。なりすまし…騙りって何よ?っていう話ですね。ズバリ霊的な存在が、自分を偽ることです。その昔ネットでもありましたよね。ネカマとかネナベ?とか…SNS上でも、50歳のオバチャンなのに10代と偽って、写真もあかの他人や娘や息子の写真使って、嘘ついて文通(死語)する人とか…たまにいます。「わたしゃ、神様だよ」みたいなのもいれば、「仏で~す(ほっとけ)」「我々は宇宙人だ!」「ご先祖さまじゃぞ~♪」「私、名乗るほどのものではありませんが、 実は有名人の〇〇なんです」とかあれやこれや。神様に毎日手を合わせてるような人のところに、「私は神様ですよ~」なんて言って、「あら、神様から啓示がきたわー」みたいに信じさせてしまう…そんな感じ。もしくは、たまたま自分の存在をキャッチしてくれて、どうも声を聴けてるっぽいぞ、と思った相手に、その人が「もしかしてあなたって〇〇様?」とイメージしたり、問いかけてきたときに、それに乗って、「そうそう、それそれ 私〇〇です」と当人のフリをするのもいます。こういうことするのは、一般的に低級霊って言われてる波動の低い存在。生前に性格悪かった人、からかい癖のある人とか、あとは、仕える場所、主を失ったはぐれ狐とかイズナ等、不良化してしまった元神様のお使いといった、動物霊と呼ばれてるちょっとレベルの高いエレメンタル。(でも本物の動物の霊とは違うもの。 動物を核にして作られた存在ということで)式神みたいな植物のエレメントから作られたものは、そういうことほとんどしないですね~。そしてこのちょっとレベルの高い(意識高い系ではない)エレメンタルが曲者なんです。結構、知恵持っているし、力もあるし。人の心の中とか読めるから(同じ四次元の存在だから)、その人が信仰している対象のヴィジュアル読んで、(何故って、その人のエネルギーフィールドの中に、その人がイメージしたもののエレメンタルがデータとしてあるんだもの<すべての思考・創造の産物)自分の姿かたちをそのヴィジュアルにして、相手に「視せる」芸当ができちゃったりするのもいる。普通は脳内妄想なイメージ、自分の内的な声として…ですが。さて、前説で三つの身体が健康な場合、三次元に注意と意識が向くようになってて、別次元に焦点がズレることはないように設定されてる。という話をしました。でも、健康を損なってしまうと…別次元の扉が開いてしまうことがあります。健康を損なっているとき、というのがミソです。ええっと、まず過去記事でも幾度か説明した、・離魂病という状態のとき (肉体と幽体と霊体がズレている あるいは幽体か霊体が抜けっぱなし状態)・チャクラ(エーテルセンター)に異常が起きてる状態 ※ダメージを受けたり機能亢進に陥っているとき・霊的な存在に憑依されたり、長期間攻撃を受け 生体エネルギーを消耗し、三つの身体が損傷して、 霊的波動が極めて低い状態にあるときですね。ざっくりいうと。また、・意識が三次元でなく四次元や五次元のほうに 向いていることが多い ほぼ肉体から離れている ※いわゆる右脳型と言われるアーティスト系の人  ある意味で離魂病の一歩手前も健康を損なっているほどではないけど、三つの身体のバランスが崩れているので、職業病的なものとして、幽体(感情体)が鋭敏です。また、霊的な仕事をしなければならない立場の人は、しばしばスピリチュアル・エマージェンーという、「お試し」をマスター(透明なヘルパーさん)たちから、強制的に受けさせられることになるのですが、(これはそういう仕事をイヤがっている人に起きる)そういう人は、このぶっ壊れ状態になるので、(お引きずりさん的廃人状態で人間やめますか?みたいな)多次元との境界線もほぼ失くなってしまうので、ここはまたちょっと違うんですよね。でも、見分けは普通の人にはなかなかつかないことです。あと、霊的なエクササイズやトレーニングをした結果、肉体の感覚も合わせて、三つの身体の感覚が敏捷になり、別次元のものを知覚、認識できる状態になることも。但し、そうしたトレーニングによって、3つの身体がバランスよく鍛えられた結果であれば、霊的成長したことでのシックスセンスの芽生え、と言えるのですが、取り組んだ霊的なエクササイズやトレーニングが、段階を踏んだものではなく、無謀なものであって、かえって3つの身体を痛めつけることになり、バランスを崩し、「健康を損なった」ことでの、多次元との境界線が曖昧になってしまった。であるのに、それを霊的能力の開花と錯覚してしまう人は、実に多いです。そういう人は低級霊に騙されて、人格をどんどん貶めていきますし、エゴイズムやネガティブなエレメンタルに囚われて、どんどな傲慢さとエゴを増長させ、スピリチュアルナルシズムの罠にかかってしまいます。でもって、統合失調症や人格障害、認知症の人は、大体において、チャクラ(エーテルセンター)に大きな異常があって、中でも第一チャクラは相当なダメージを受けています。そして、3つの身体がズレまくっています。故に、エーテルダブル(身体の枠組で3つの身体のつなぎ目)が伸びきって、損傷を受けています。よって、生体エネルギーたる、エーテルバイタリティー(氣)もそこからただ漏れ。なので、多次元(三次元以外のとこ)との境界線が消滅。色々と混在したものを視ることになるのです。認知症の人の場合は、第7チャクラも如実に損傷しているので、主に過去のエレメンタル(記憶の媒体)を、壊れたレコードのように読み続けます。人格障害の人は、過去のネガティブエレメンタル、エゴイズムに完全に支配されている状態です。というか、2パターンあって、まず1つのパターンとしては、過去生のエレメンタル(パーソナリティとしてのエレメンタル含む)に、乗っ取られた状態の人。なんていうのかな…性格が悪くて歪んていたときの過去生の人格が、今の人格に乗りうつって、その人格に同調する、とても質のよろしくいエゴイズム丸出しのエレメンタルを選んでローディング、エンドレス…みたいな感じですね。もう1つのパターンは、過去生の人格ではなく、悪魔的な存在(悪霊)やエレメンタルに支配され、身体を乗っ取られているって状態。それが自分の過去生の人格か他者かってだけで、たいして違いはないです。統合失調症の人の場合、四次元と現実(三次元)が混在してしまって、区別がつかなくなっている状態ですね。「声がする」って幻聴は、四次元での「声」を単純に聞いているだけですし、「視た」というものも次元が混在した世界です。過剰な被害妄想状態の人で、当人たち(周囲)が「言ってないこと」を「言っている」ように見たり聞いてしまうこと…例えば、周りが自分を見張っているとか、出会う人出会う人が、知っている人知らない人共に、自分のことを悪くいっている…なんてのは、その人たちの決して言葉には出さない本音、ネガティブな感情や思考のエレメンタルを読み込んでしまっていたり、4次元や5次元の身体の顔や姿を見ていたり、という可能性もあるし、そそのかし(騙り)をする輩や、生きている人に対して悪意を持って接している、霊的な存在(低級霊)やエレメンタルたちが、その人に話しかけ、もしくは良くない幻想としてのイメージをその人の四次元の眼に見させていることをしている、そのいずれかという可能性です。その人の幻覚や被害妄想の度合いで、判断できるかとは思いますが。困ったことに後者は、誰かの人生を破壊するのが大好きな存在たちが、寄り集まって、それをするのがモットーな団体となり、一人また一人と、手ごろなターゲットを見つけては、幾世代にもわたって、過去から現代へとあちこちで繰り返しているのです。精神を破壊して自我や人格を崩壊させるだけでなく、犯罪をそそのかしたり、自殺をほのめかしたり、争いや不実を助長させようとしたり、車に乗っている人をおかしくして、人の列に突っ込ませたり…こういう闘いは、神話や伝説の昔からあり、聖書の中や経典でも語られています。なかなか無くならない困った歴史です。何故、奴らレギオンたちが居なくならないのか…それは人の欲望が尽きないから。何度滅しようとしても、彼らの復活を人々が望むかのごとく、彼らのエサとなるエゴイズムを人々が創り続け、温床となる場を提供し、共存しようとする。それが人の望みで多くの人が、彼らを飼育することを選んでいるから。…としかいいようがないですね。てなわけで、少し振り返ってまとめてみると。その1)多次元に存在している霊的な存在をキャッチすることはさほど難しいことではない。それをキャッチできたからと言って、その人が特別選ばれた存在だとか、特別な能力があるわけではないということ。その2)だが私たちは、霊的成長を遂げる目的と、今生の自分の人生をきちんと生きるために、現実世界(三次元)に意識が向いている。その3)とはいうものの、多次元的な存在の認識の仕方は、その人の霊的成長度によって異なる。どのように認識しているか、である。その4)3つの身体のバランスが崩れ、霊的健康が損なわれている人は、多次元の境界線が曖昧になりやすい。結果、現実世界(生活)に混乱をきたしがち。その5)そして4次元と5次元の次元には、三次元の肉体を持って生きている我々に対して、悪意を持ってちょっかいをだしてきて、だまくらかしてからかって翻弄して遊んだり、精神を混乱させ崩壊させ破滅に導いたり、支配して操って自分たちの道具として、犯罪に走らせたりそそのかしたりする、不良集団ともいうべき悪霊軍団がいる。などなど。霊的健康が損なわれてしまって、4次元と5次元の境界線が曖昧になって、それらの存在が視えたり、声が聞こえたり…そこまではわりとあるある出来事。(多次元との境界線が曖昧になるっていうのは、上手く説明できませんが、その前に、三次元と四次元のものと身体を通して、五次元の身体は思考して、創造する。三次元と五次元のものと身体を通して、四次元の身体は体感して、想像する。このプロセスの結果、上の二つの次元の身体で「そうぞう」したものを、三次元の身体を使って、三次元の物理的次元において、何か行動や言葉などで表現していく…という順序立てた、表層に至るまでの三つの身体同士の正常な相互関係から派生する生命活動と人間の人生の創造があるわけですけど、このプロセスや順序が狂ってしまうといいますかね。まるで電話回線の混線が起きてしまうがごとく、配線があっちこっちめちゃくちゃになって、違うところ同士のコードが繋がってしまい、ヒューズが飛んで、バッチリーがあがってしまう、みたいな…まあ、誤作動が起きてしまうような、そんな現象とでもいいましょうか。うーん、この説明では分かりづらいかしら)でも、声が聞こえるからって反応して、コミュニケーションとかコンタクトを取って、もしそれが善人や普通の存在ならいいけれど、悪人やよろしくない存在だったとして、付きまとわれたり、憑依されたり、さらになりすまし(騙り)をする低級霊でオレオレ詐欺みたいな感じで騙されて、「あら私、霊能力に目覚めちゃいました」「天使や神様、宇宙人と話せるんだ」とか、そうこうしているうちに、悪いのがたくさん集まってきて…って、そういうのが問題でたいへん危険。だからチャネリングは危険なのね。もちろんこっくりさんとかウィジャ盤も。霊能的な仕事の人で、なりすましに騙されている人は少なくない。もちろん人間に働きかけをしてくる、良い存在もいますし、身内や先祖の霊だっているし、そうしたガイド的な人とのコンタクトも、まったくないわけではないけど。コンタクトを取ることに執着するとダメですね。もし、良き存在から話しかけてもらったり、言葉をかけてもらったと感じたら、「ああ、いいアドバイス、メッセージをもらった。 感謝します、ありがとう」そこだけで終わらせたほうがいい。それ以上、継続してのコンタクトを望むべきではない。何か聞こえたり、見えたりしても、それが内容のないものや気分のよくない、ネガティブなメッセージや存在だったら、路上の井戸端会議の話やカフェで隣に座った人の雑談がちょっと耳に入った、その程度でスルーするべき。いちいち意味など考えない。普通に生活していたって、周囲の人の声や音は聞こえるし、自分以外の他人も物質も存在している。4次元や5次元の声も音も、存在もそう。それとまったく同じ。道歩いていたって電車の中でだって会社にしても、おかしな人や気持ち悪い人、変態もいるし、感じよい人も無名の人有名な人色々会うことになる。美しいものもあるし、汚い場所もあるし、冷たい感じの建物も居心地の良い公園もある。4次元や5次元の世界でも同じ。4次元や5次元にあるものだから、そこにいる存在で、姿が見えない存在だから、すごい人たちだとか特別な存在ってわけではない。彼らとコンタクトをとれたからって、それは感動することでもない。いちいち過敏に反応しないことが大切。彼らがどんな人であるのか、現実に生きている人を見極めるように、見極めることの出来る目を持っていないのならば、気にしないで過ごすのが一番いい。そんなことより現実に注意を向けること。この三次元に生きている存在や物質的社会と、上手くかかわっていくことを学ぶべきなのです。はぁー 疲れたのでここまで。

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      テーマ:
  • 10Oct
    • 憑依と霊的汚染:霊的干渉とその悪影響

      続きです。昔はよく、「霊の干渉や影響を受けていることなんて、 その人が思うほどにはないよ。 霊現象だと思われていることのほとんどが、 本人の勘違いだったり、錯覚とか、物理的現象。 実際の霊的現象や体験なんて、 そう思われてるものの20%くらいだよ」なんて具合に、「霊が~」と騒ぐ人に対しては、それを否定するがごとく言っていたものです。何故なら、そうでも言わないと、なんでもかんでも霊の存在や、見えない世界のせいにしてしまう人がいるからです。ですので、今もそのように伝えることは多いです。これは相手次第なんですが。でも実のところ、人間は四次元と五次元にも生きている存在ですから、影響を受けているというより、毎日リアルに四次元と五次元で起きている現象を、その次元の身体で体感・体験しているのです。三次元を生き、体感・体験していると同時に。なんでもかんでも霊や心霊現象のせいにする人に関しては、身の不幸や不運を占いで運命や生まれのせいにしたり、自分の人生が思い通りにならないことを、親や環境など、誰か他人や状況のせいにして、責任逃れをしている人と同列であると言えましょう。ですが、前回の記事にも書いたように、すべては本人次第なんですね。重ね重ね言いますが、六次元の身体を手に入れた(解脱した)人々はともかく、この地球上に存在している人間は、すべて四次元と五次元でも人生を生きています。(動物や植物は人間と違います。地球に来訪している宇宙人もまた除きます)ようするに、三次元に存在していない人たちと三次元の物質的世界で空間や場所を共にし、接触したり関わって生きてはいないけれども、四次元と五次元の想念と思考の世界では、同じ空間や場所を共存している人たち、存在がいて、接触したり関わったり、干渉されたり、影響を受け合ったりしているわけです。想念界であるサイキカル界(四次元)にしても、思考界であるノエティカル界(五次元)にしても、自分と同じ段階(霊的発達即ち人格の品位みたいなもの)が同じレベルにある人、存在たちとしか関われませんけど。もしくは過去の自分と同等の存在…自分が辿ってきた道と同じ状態にある人たち、自分が過去に創ってきた思念と同じものと、ですが。この現実世界(三次元のレベル)で考えてみましょう。国や社会に属する、国民としての義務と権利はありますけれど。私たちには自由意志が与えられています。・どんな人と付き合うか、関わるか・どんな仕事を選択するのか・毎日何をするのか、どこに行くのか・どんな生活スタイルを望むのか・どんな服を着てどんな髪型にするのかなどなど、その人が自分で決めています。一人ひとり趣味嗜好があって、個性があります。考えることや思うこと、性格も違います。人付き合いのことでいうなら、自分が付き合いたい人としか付き合わない人もいれば、合わないとか好きではないといいつつ、仕方なしにイヤイヤ誰かと関わっている人もいます。小心者で断れず、来るもの拒まずの人もいます。友達がいない、作れないという人。オープンな性格で誰にでも好かれ、人間好きで色んな人を受け入れて友達の多い人。霊との付き合いも現実の人間関係と変わりません。人を寄せ付けない人に人が寄っていかないように、霊もまたそういう人には寄り付きません。明るくて感じがよくて頑張っている人で、誰もが好感を抱き、応援したなるような人は、霊も応援したくなって助けてあげたくなります。霊の方からもその人を見たり、感じたりして、惹かれたり、反発したり、無視したり、イジワルな気持ちを持ったりなど、ここいらは相性や好き好きもあるわけですが、まったく現実の人間関係と同じなんですね。学生生活でも社会人になってからも、人に疎まれたり、嫌われやすかったり、イジメのターゲットになりやすい人がいるように、生きていた時にもイジメっ子だった、死んでからも性質が変わっていない霊は、やっぱりそういうからかいやすい人を見つけては、自分がいる四次元からちょっかいだして、あれやこれやイヤミを耳元で囁いたり、その人の不幸や不運を横目で笑ってたりします。そのうち飽きて別のターゲットに移ったり、短期間でどっかに行ってくれるならいいけども。こういう不良霊?みたいなのは類友で仲間見つけて、集団でグループイジメをしてきたりするから厄介です。そして不良のちょいワル程度ならいざ知らず、サイコパスみたいな邪悪で歪んだ霊は最悪です。反省のない殺人犯や凶悪犯の霊なんかとくに。彼らは肉体(物質的な身体)がないから、そういう物質的な働きかけは出来ないけど、困ったことに、三次元の物質的肉体を持つ、同質(同類)の人間を嗅ぎ分けて、とり憑くことで、自分たちの欲望(人殺しとか強姦とか薬とかetc)を再度満たそうとするから、始末に負えない。ようするに、三次元ではそういう行動(犯罪や反社会的で非道徳なこと)を、実際に起こしていない人であったとしても、その人が、・四次元の感情体が創った四次元に存在するエレメンタル・五次元の感情体が創った五次元に存在するエレメンタルは存在しているんです。これは三次元のものではないけど、四次元と五次元にはあるから、逆に三次元の肉体を失くした、四次元と五次元の肉体しか今は持たないものにとっては、(六次元の存在からも丸見えですけど)見えるものであるわけです。彼らの意識の中心はだいたい四次元にあるから。(この場合の彼らって、俗にいう低級霊ですね。高級霊と呼ばれる人で、六次元の身体をまだ持ってない人の場合、五次元の意識のほうが勝ってます)それが悪いことだとわかっているからしないけど、人を殺してみたいとか、銃を撃ってみたいとか、なんかちょっとその、人には言えない妄想や欲望。そういうのを持っている人…その願望、欲望から創られたエレメンタルが、ばっちりあるわけですから、「お前、そういう欲望あるのなー」ってのはバレバレ。そこで、「おっし、お前とオレは同類だ。 俺がその欲望を叶えてやんよー 仲良くしようぜー」みたいなこともありがち。よく「魔が差した」っていいますけど、まさに悪魔が取りつく瞬間ですね。考えたり思ったりするだけで…妄想だけなら、行動に移さなければ、それは犯罪ではないのだけども。そういう欲望のエレメンタルを量産してたが故に、悪霊とも呼ばれるそうした存在に憑依されて、それでハンザイシャに導かれちゃう人もいる。もしくは自分が妄想して創ってきたエレメンタルが、ものすごーく力を持つようになって、実行させられちゃうこともある。だから、犯罪をそそのかす霊にタッグ組まされてのケースと、エレメンタルに支配され、自らが生み出した欲望に操られてのケースと、おおまかに二通りあります。たった一人の霊的存在に干渉される場合もあるけど、グループは本当に厄介だし、困ったものです。小さいグループから大きいグループまで実にたくさんあって、大きいグループは大型893組織かマフィアかよってなくらい。彼ら…は定期的にターゲットを見つけては、その人の精神の隙を見て取り憑き、現実世界に混乱と事件を引き起こすのです。だから私たちは、ふだん考えていることや思っていることに、注意を払って、責任を持つ必要があります。日頃から自分がどんな欲望を持っているのか、過去にどんなことを考えたり思ったりして生きてきたのか、他人に対してどのような悪意を抱いたことがあるのか、どのような妄想や空想に多く時間を費やしてきたのか…それによって、引き寄せているものは未来や運命ばかりでなく、同質のエレメンタルや霊といった存在も、確実に自分に引き寄せているのですから。とはいうものの、おスケベな妄想はしちゃいけないとは言い切れませんよね。エッチなことばっか考えてると、そういう霊が寄ってくるのは事実だけど。(死んで相手から見えないからラッキーと、トイレや風呂場や着替え覗いているエロ狒狒爺やおっさんの霊も実に多いよ。ラブホとかに居座ってるピーピングトムも)でも、スケベな人がいないと人類絶滅しちゃうし、転生先の肉体が三次元に確保出来ないと、いつまでたっても六次元の身体育てられないから、それはそれで困っちゃうのよ。(日本の少子化は日本国のカルマですけどね)して、悪い霊が寄ってくるサンプルを書きましたが、その逆もしかりなんですね。良い霊が寄ってくるか否か、良いエレメンタルを引き寄せられるか否かも。努力して頑張っていて、謙虚で親切で、誠実に生きている人のことは、誰だって応援したくなります。身内や先祖以外の霊の存在から応援される人って、そういう人だったりします。先祖もすべての子孫がカワイイかっていうと、必ずしもそうとは言えません。祖父母が、ロクに顔も見せに来ず、合うと小遣いクレしか言わない憎たらしい孫より、マメに連絡くれて気遣いの言葉をくれる他人のほうが、可愛いってそう思うのも不思議ではないわけで。それは神様も同じです。いつも素通りして、挨拶もなしで、何か願い事だけあるときに手を合わせる人より、通るたびに頭を下げて、ちゃんと挨拶してくれて、感謝の気持ちで手を合わせてくれる人のほうが、助けてあげたいって思うし、気にもかけてくれます。神仏との縁も、ご先祖様との関係も、現実の人間関係と同じです。普段から他人とのご縁や関係を大事にしているか否か、そういうのが結局、見えない世界からのサポートにも反映されるわけです。そして、悪い霊にターゲットにされたり、良くないエレメンタルを引き寄せてしまうのも、その人の性格(人格)、心根次第なんですね。決してイジメを肯定するわけではなく、あくまで言葉のアヤとして使いますと、「イジメられる側にも問題がある」と同様に、「取り憑かれる側にも問題がある」のです。だから低級霊と呼ばれる、良くない霊の影響、見えない世界から悪しき干渉や影響を受けているとしたら、それはその人自身の問題の現れ、なんですね。だから一時的に憑依問題を片付けるだけでは、根本的な解決にならないことも多いんです。取ってもまた新しいものを引き寄せてくっつけて、自分でネガティブな考えや想いを創っては、波動をドンドン下げて、波動の低い同質のエレメンタルを引き寄せる。そして呼び寄せる霊もどんどんパワーアップして、最初ちょっと悪い子から不良、チンピラ、893、マフィアのシンジゲート、悪魔教団…みたいな。生き方を変えて、生活や考えを改めて、自分自身を見直して、自分の魂をきちんと育てていくことをしないと、いつまでたってもネガティブな霊やエレメンタルに、憑依されたり干渉されたり影響されたりなんかして、一生というか永遠に、振り回され続けることになっちゃいます。臭いにおいはもとから立たなきゃダメ、みたいな。うちのお客さんでいわゆる憑依体質の人は、やはり「性格の弱さ」「他力本願」「何事も自分の生ではなく他人のせい」「高すぎる自尊心と矛盾するコンプレックス」「度を過ぎた被害妄想」「自虐的な罪悪感」「嫉妬や怒り、激しい憎悪を手放せない」こういうのが性格の問題として背景にあって、それが故に自滅的にそういう状況を、自らに呼び寄せてしまっている人がほとんどでした。ああ、あと「自分自身でドラマを創り出して、 その中に耽溺してしまいやすい人」も、四次元の存在や事象の影響をモロ受けやすいですね。だから、根っこにある性格の問題(歪み)を何とかしないと、心霊的悪影響を受ける状況からは解放されず、良くない存在からの干渉とは縁切れません。でもね、みんな変わりたくないんですよね。他人の、霊のせいにしているほうが楽だから。よろしくない霊的な存在からの、悪しき影響を受けないで生きるためには、神道でいうところの心身の穢れをマメに祓い、己が精神を浄めて直霊を磨き、高めていく…仏教でいうところの慈悲と慈愛の心を育んでいく。も、勿論ですけど。(死なない六次元の身体を育成することなんで)人として太くなっていくこと。何があっても動じない(いわゆる地に足がついた、グランディングがしっかりできている)、揺るぎのない自分になっていく…が大事です。そこを目指せば間違いない。(後は欠点や弱さと向き合って克服すること、自分自身について知識を持ち、エゴイズムを捨て去る努力をする。でもって、偽りの人生を生きるのを止めて、本当の自分を素直に表現し、仮面を捨てて、自分らしい生き方をする)でもって、他人を尊重し、嘘を失くし、親愛や思いやりの感情を素直に態度に表す、縁や人間関係を大切にする生き方をすること。さすれば、低級な霊に憑依されたり、欲望のエレメンタル(エゴイズム)に支配され、操られて自分を制御できずに見失ってしまう、ということもなくなるでしょう。あ、そうだ。霊的汚染について書き忘れていました。霊的汚染ていうのはこの場合、霊に憑依された後、それを祓った後にも残ってしまう悪影響のことです。蚊のことで例えると、奴ら、血を吸うばかりだけでなく、勝手に吸って泥棒したあげく、不愉快なお土産も残していくじゃないですか。腫れと痒みの成分、ちょっとした毒を皮膚に。それと似たような感じですね。まあ、違うけど。散々食い散らかして、部屋荒らして、便器にモリモリっとしたウンコまで、流さず残していく泥棒みたいな。そんなイメージで。霊にしてもエレメンタルにしても、活動のエネルギーを宿り主から大量に奪うんですね。生体エネルギーとでもいいましょうか、早い話が氣ですけど。これだけでも霊に憑依やくっつかれた人は消耗します。有名な怪談話では「緋牡丹灯籠」なんかありますね。どんどん衰弱させられるあのお話。物質的肉体はものすごーくダメージ受けます。物質的肉体だけでなく、心の身体も思考の身体も、です。たくさん栄養素を奪い取って横取りして、あれやこれや悪さしたり、現実生活を破壊して、その「悪さ」をしたっていう悪いエレメンタル、それと霊自体の作った良くないエレメンタル…こいつを残していくわけです。霊でなくて、エレメンタルの場合も似たようなもの。エレメンタルは霊よりもっとエネルギー消費します。自分の創造主を支配し、操って本懐を遂げた後には、いったんおとなしくなりますけど。エネルギーフィールドに大きな穴をあけちゃうというか、色々とダメージを与えるわけです。これが自分だけが創ったものでなく、同類の引き寄せられてきた、他のエレメンタルと合体した巨大なやつだと、その合体したエレメンタルの別の創り主ともつながって、見ず知らずの人であっても互いに連動して影響されちゃう。これまた厄介なんです。詳しく説明するの疲れるので、このくらいにしておきます。てかー詳細は勉強会にて口頭で話しますねーグループでのそそのかし、なりすまし霊なんかについては、また後日。

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      テーマ:
  • 06Oct
    • 憑依と霊的汚染:霊に影響される人しない人

      今までも幾度となく、過去記事で書いていて、最近では「転生サイクル」関連のとこにも触れたけど、私たち人間は、現実世界(三次元という物質界)に物質的な肉体を持ち、サイキック界(四次元という想念界)に心(感情)の身体を持ち、ノエティカル界(五次元という思考界)に思考の身体を持ち、サイコ―ノエティカル界(六次元という精神界)に、精神の身体をリアルで育成中な存在。でも、私たちの意識は三次元にあって、この現実社会ともいうべき物質界の次元を中心に、私たちの世界は回っていて、人生を形成、展開されている。霊的な存在と言われる幽霊…物質的な身体がなくなったものの、六次元の身体はまだ未発達で、輪廻転生から卒業していず、四次元と五次元の身体のみになった存在は、文字通り、四次元と五次元の次元に存在している。(ちなみに六次元の身体が成長して、ゴール…すなわち輪廻転生脱出!になった存在は、どの次元にも行けるし、過去に生きた人生のどの姿にもなれるし、何処にでも居られたりする。そんな彼らはエレメンタル・マスター、すべての転生の記録、過去生の全記憶を思い出し、過去に翻弄されることなく、完全記憶を所有する)幽霊と呼ばれる存在たちは、三次元の肉体だけ失い、三次元にだけ存在しなくなったのである。でも、四次元と五次元には相変わらず存在している。だから、三次元において物質的な存在として、触れたり視覚的に捉えることは不可能だ。だがしかし、この世にはいるのである。だから、四次元と五次元でだけ、私たちは彼らと接することが出来る。とはいうものの、三次元は一か所しかなく、三次元に生きるすべての存在と、可視的に出会うことが可能だが、四次元と五次元はそれぞれ7つに区分され、さらにそれがまた7つに分かれているので、全部で49も階層がある。(属する階層は霊的進化すなわち成長度合いによる)また、一人の人物のサイキカル体とノエティカル体が、同じランクの階層にいるとは限らない。心の身体と思考の身体が、足並み揃えて同等に成長していることは少ない。そして基本的に、四次元にしても五次元にしても、自分と同じ階層の人としか会うことは出来ない。もしくは前後の存在、とくに自分より下の階層レベルなら、関わること、知覚することは不可能ではない。でも、自分より上にいるものだけは見えないし、捉えたり、感じることは出来なかったりする。故に、三次元で会えていたからと行って、親しかったからと言って…四次元や五次元でその人たちと会えるとは限らない。身内や親しい人であったとしても、どんなに会いたい人であっても、同じレベルか一つくらい下でないと、互いの存在を知覚することは不可能なので。だから、死んでからあの世で…と願っても、必ずしも叶えられるわけではない。そういう意味で、物質社会ともいうべき三次元(現実世界)のみが唯一、あらゆる次元の人とたくさん出会うことの出来る時空間なのです。さて、ここまでが前置き(無駄に長い)。私たちが生きているときに創り出す、想念、思考のデータとしてのエレメンタルは、この四次元と五次元に、それぞれの身体を通して創られる存在で、主に創った本人の所有物として、当人のデータとなり、人格となり、五次元、四次元、三次元に影響を与えつつ、人生を形成していくことになるわけなんだけど。困ったことに創った当人だけでなく、周囲の人や見ず知らず他人にも影響を与えることがある。何故なら、これらは三次元の物質ではないから、三次元の視覚で捉えることは出来ないけど、誰もが四次元と五次元の身体は持っているから、この二つの身体の感覚で、他者が創った四次元と五次元のエレメンタルを、キャッチしたり知覚することは出来る。幽霊の存在もそう。肉眼でなくて、四次元の眼、五次元の眼で感じている人は多い。ただし、この二つの身体の発達具合と状態、どの段階にいるのか、六次元の身体が成長しているか…にも左右されますが。とはいうものの、自分と同等のレベルにいるもの、自分より下のレベルにあるものに限ってで、自分より上のものは認識できない…という前説をここで思い出して欲しいのです。類は友を呼ぶという。そして人は自分と「合わない」と思うものを避ける。けれど、同質のもの、同じ匂いのするものを嗅ぎ分ける。幽霊の場合は肉体がないだけで普通に「人」ですから、自分の存在をキャッチしてくれた人、波長の合う人、自分に似ているなと思う人、共通点のある人、同じ匂いのする人に擦り寄っていくことになる。(現実の人間関係と同じ)エレメンタルは同質のものと呼び合い、同調してはくっついて(合体して)大きくなっていく。そして同質の波動・波長を出している人、類似の仲間(エレメンタル)を持っている人に、やはり刷り寄って行く。自分が死んだこと(物質的肉体を失ったこと)に気づかない幽霊と呼ばれる存在、死んだことを自覚しているが、生来の底意地の悪さから生や物質世界に執着し、身内や他人に意図的に悪意を持っている存在、また悪意や悪気はないのだが、生前の物質的な欲望に執着している存在、このような次のステージになかなか行こうとしない人たちは、三次元に仇成す存在となる。欲望を満たすためあるいは、誰かを自分のいる側に引きずり込むために、他人の所有する三次元の肉体に入り込もうとしたり、人形やぬいぐるみやポスターの写真に入り込んだり。(他人の肉体へはボンの窪から)オーラにくっついている程度なら、2.3日で自然に取れるが。但し、その人の波動(気分や思考)の低下が、一時的かつ一過性である場合。中にはチャクラに入りこんで、その人の一部になってしまうと厄介だったりする。ちなみに、お酒が好きだった人は、死んでもなお、お酒が飲みたくて仕方がないらしく、アルコールのある場所に居ついて、お酒を飲みに来た自分と波動の合う人を見つけては、その人の中に入りこみお酒を味わおうとする。上手く済めば、その場(夜)だけのこともあるけど、お酒を飲むことで当人の波動が下がったことで、身体の中に入り込み、肝臓の中に住み着くケースも多い。(お酒を飲むと別人になるケースとかあるある話)実際、うちのクライアントさんの事例でもありました。こうなると、何年も居座っている居候を通り越し、ヤドリギや寄生虫みたいなもの。あと思春期の不安定な時期に憑依されるケースも多々。まだ人格形成もちゃんとしていない時期だから、多重人格と呼ばれるほど別人格を感じさせず、一緒に人生生きて成長していくパターンになるから、まるで「ブラックジャック」の畸形嚢腫のような、ピノコみたいだと思ったり。でも、こういった何年ものの熟成?憑依は、やはり類が友を呼ぶパターン。同質の似たもの同士だからこそ、起きた現象。その人自ら呼び寄せてしまった状況だから。エレメンタルが人に災いを成すのは、やはりその人が同質のエレメンタルを持っているから。負の感情は類似の負の感情を引き寄せるし、正の感情はやはり類似の正の感情を引き寄せる。ただし、誰かがその人に対して、ストーカーちっくな執着の念を抱いたり、逆恨みとか嫉妬とか、ネガティブで邪な悪意を生霊あるいは呪詛的なカタチで送りつけてくる攻撃は、まさに災難としかいいようがないんですけど。あと自分がやったことではなくて、家族とか先祖とか、そういう因縁的な障り祟りとかも、「アタシ、関係ないじゃん」ってハナシで、迷惑かけられちゃいましたね、となるとこですが。確かに後者のような、「別に呼び寄せない」というケースもあるでしょう。が、それでもそういう家に生まれたとしても、影響でない人は出なくて、いたりするんです。受けちゃう人、かぶっちゃう人は、そういう家にカルマのレッスンで、めぐり合わせとして生まれてきている場合もあるし、ネガティブ・シンキングで負のエレメンタルを、たくさん身体の中(四次元にも五次元にも)持ってます、で、六次元の身体がまったく育ってない…とか。幽霊的な存在にしても、エレメンタルの引き寄せの結果にしても、誰かの攻撃(サイキカルアタックやアサルト)にしても、ご先祖様のマイナスな遺産を押し付けられたにしても、それらから守ってくれようとする存在もいるんですね。なきにしもあらず…といいましょうか。でも、守護霊という存在たちがそれかというと、ちょっと違う。彼らは別にセコムやSPじゃない。神仏の加護のエネルギー(これもエレメンタル)、ご先祖様や過去の人生で縁があった人で、すでに六次元の身体ゲットしています、とか、そこまで行かなくても二つの身体が属するとこが、結構イイ線行ってますぜ、みたいな…そういう人が助けてくれることもあるけど(あとパーソナリティとしてのエレメンタルね)実は結構彼ら厳しくて…霊的な被害状況を受けているそのものが、その人の霊格をアップ(霊的及び人間的成長ね)することに、たいへん役に立ちます、ちょうど良い苦行です、と判断した場合には、まったく助けてくれない。死ぬほどの危険な目に遭ったとしても、肉体を損傷する事故や、精神的打撃や衰弱を伴う苦悩の日々を送っていても、「ガンガレー」と遠くから見守っているだけだったり。(巨人の星の明子ねーちゃんかって)いやさ助けようともしてくれるんだけどね。夢に出てきていたり、(夢は四次元界なんで接触を試みくれてる)傍にいるちょうどいい誰かにあるセリフを言わせたり、(霊媒体質の人とか…。して私はよく使われている)何となくそっちに気づかせようと、それとなーく意識を向けようと、四次元五次元の世界から働きかけていたりする。でも、みんななかなかどうして、なんですね。まあ…ふつー現実たる三次元に意識向いてるし。そんなもの。そしてここまで書いて、なんか疲れたー …ので、書き残したことがあれば後日。

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  • 23Sep
    • 転生サイクル~幽霊の正体と輪廻転生のゴール

      転生サイクルの話題から逸れてしまっていますが、続きと言えばそうなので、補足の知識をば。ノーマルで一番多いパターンだと、転生サイクルは20年前後と説明してきました。一部の例外を除いて、ですが。ここで疑問に思う人が少なからずいると思うのです。20年前後でほとんどの人が生まれ変わるというのなら、では一体、幽霊と呼ばれる存在たち…何千年、何百年も前の霊たち、地縛霊とか主護霊(守護)とか背後霊とか、先祖の霊って何よ?土地に住まう悪霊とかそうした現象とか、何代もわたって続く因縁とか祟り(障り)とか、そういうのって何?…と。何処か以前の記事にも書いている話だから、ここでは詳細に書くことは省略しますが、人間は三つの身体を、(肉体・サイキカル体・ノエティカル体)三つの次元、(物質界=三次元、サイキカル界=四次元、ノエティカル界=五次元)に所有して、同時にその三つの次元に生きている存在です。通常私たちは物質界をベースとして生きていて、この三次元に意識の中心をおいています。"死"というのは、この三つの身体が滅するということ。まず物質界に存在する肉体が、生物としての活動を停止してしまうと、意識も含めて、その人間として生きた、すべてのデータは次のレべル=四次元に移行します。そして四次元の身体も滅する時が来て、やはり意識とデータはさらに次のレベルの五次元の身体に移行します。この五次元の身体もやがて滅するときが来てしまいます。それは転生の時期が決まったときです。転生の前に、直前で生きた人格、人生のデータはいったんある場所に回収されます。それは私たちの本体ともいうべきホームグラウンドです。神でありワンネスであり、本当の自分ともいうべき存在。唯一無二のオリジナルの自分です。魂が帰還するマザーシップのような、故郷のような、ですね。ここには人として生きたすべてのデータがあります。これまでの転生のすべての記録がある。でも、アカシックレコードとは違うものです。グノーシスでは、パーマネント・パーソナリティと呼んでいます。ハイアーセルフとかエターナルセルフとか、そのように呼ばれている意識と同等といっていいでしょう。五次元の身体、ノエティカル体が滅して、そこから回収されたデータは、すべてパーマネント・パーソナリティに統合されます。その後で、また転生の際、新たに三つの身体が創られ、一部のデータが新しい肉体に移行されるのです。(三次元にて誕生し、母体にて成長中の物質体に、サイキカル体とノエティカル体、そしてここでは詳しく述べませんが、もう一つ俗に魂とよく呼ばれる、サイコノエティカル体という六次元の身体が合わさって、新しい人格が創られるのです)ようするに、今使用している三つの身体は、永遠の存在ではなく、使い捨てと言えばそう。ただ、その身体の使い方、受けたダメージなど、そういうのは持ち越すことになります。(病気やケガで受けたダメージ、入れ墨なども)で、ここまでが前置きで…この一回きりの人生、今生で使い捨てされちゃう身体ですが、パーソナリティとしてのコピーが創られます。これもまた種類としてはエレメンタルなんですが。ちなみに今生の人生の人格をプレゼント・パーソナリティといいます。ですので、プレゼント・パーソナリティのエレメンタルが、一つひとつの人生で作られるわけです。100回生きていたら、100体のプレゼント・パーソナリティの、エレメンタルが存在するわけです。このエレメンタルは死にません。永遠に生き続けます。このエレメンタルが存在するがゆえに、ある人がもう転生をしていたとしても、その死なないエレメンタルとしてのプレゼント・パーソナリティは、別の存在として生きているので、それを視ることが出来る人には視覚的に捉えられるし、存在を感じることも出来る人がいるのです。また、それだけでなく、第三者がその過去生の人格の情報にアクセスしたり、呼び出して、話をすることも可能なのです。(例えばイタコみたいに)この過去生のコピーとしてのエレメンタルは、土地に居ついてしまったり、誰か特定のモノや人に執着することもあります。戦国時代の武者の霊とか、当時の合戦や戦争とか、事件や当日の出来事を延々と再生・再現しているような、古~いものは、たいていコレです。霊といっても、もう霊じゃないんですけどね。サイキカル体が幽体で、ノエティカル体が霊体なんで、幽霊というのは、三次元の身体だけ死んで、四次元と五次元の身体だけで生きている?存在している状態の人のことですので。なので、幽霊とプレゼント・パーソナリティのコピーとしてのエレメンタルはまったく別モノです。元の素材が違うというか、視え方も違います。でも、見分けることが出来ない人のほうが多い。あと、それぞれにアクセスしたとき、持っている情報も違います。同じ人物とそこから派生したものであるのにも関わらず。(エレメンタルはその人生の記憶しか持ってませんし、死んだあとの四次元と五次元の記憶を持ちません。幽霊=サイキカル体とノエティカル体の存在は、六次元の身体すなわち魂の霊的成熟度によっては、三次元の視野が外れたこともあり多角的な視野や今の自分に対する知識を持っていたり、四次元や五次元の世界で日々体験することで、成長します)見分け方としては、幽霊のほうが光度が高いというか明るいっていうか、精妙なんですよ。粒子が細かいというのかしら…説明がとても難しいんですけど。でも、人としての重量感、存在感がちゃんとあります。ただ、両方とも足はありますので、足がないのはこれまた別の存在で、大体生前に当人か他者が創った"生霊"的なエレメンタルです。人としての形骸が不完全だったり、造詣がおかしいのでこれは見分けがつきやすいです。(デッサンが狂ってるっていうか大きさもヘン)そして輪廻転生のゴール。タイトルに入れたにも拘わらず、おまけ程度の説明になっちゃいますが…すごろくやゲームじゃないですけど、この条件を達成できたら「あがり」という、ゴールに行き着くための、"神聖なる計画"のルールがちゃんとあります。それは三つの身体をきちんと使って、この三つの次元で自己表現と自己実現をして生きて、永遠に死ぬことのない第四の身体(六次元の神体)を、どの次元にも存在できる完全体ともいうべき完成形へと、育てることかできたら、です。それがゴール。輪廻転生の終わりです。元のオリジナルであるパーマネント・パーソナリティとほぼ同じ、神と等しいキリスト・ロゴスと同じって、そのくらい慈愛と慈悲を持った、愛の塊になれたら、ですかねーなれない人は輪廻転生卒業できません。本能と欲望で生きる動物みたいな状態から出発して、たくさん経験して、喜怒哀楽の感情を知って、挫折して、苦悩して、人として目覚めて、感情を豊かにして、考えて考えて、創意工夫して生きて、知恵を身に着けて、愛を育んで、色んなことを知り、無意識的に生きるところから意識的に生きるようになり、理性や倫理観を育てて、視野も認識も広がって、霊的に成長して、自分のことだけでなくて、家族や他人のことを考えられるようになって、世の中や社会のために自分が何ができるかを、他人の幸福のために生きる喜びを知って…一歩一歩、一つの人生で人格を成長させて、霊性を高めていったなら、いつかゴールには届きます。でも、その「成長すること」を怠ったなら、いつまでも無限ループの輪にはまって、運命のメビウスの輪、らせん階段を行ったり来たりし、何度も似たような人生のパターンを生き、課題をクリアできるまで何度も追試を受けされられ、人生という学校の中で学んで学ばされて、彷徨って、カルマのレッスンと対峙させられます。タネを蒔いては刈り、刈っては蒔いて、の繰り返し。(でもそれはそれでとても楽しいことです)とりあえず この辺でさっくり終わっておきます。何か質問があればコメントもしくは勉強会のほうでドゾ。

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  • 22Sep
    • 転生サイクル~死の知識が光明の鍵

      転生サイクルについて今一度まとめておくと、死後2か月後からが転生可能なものの、だいたい10年から20年の間で次の人生をスタートさせる人が一般的で多数派。但し、極稀なレアケースには、死後数時間以内での転生をした人もいますし、死後2か月(49日過ぎてから)から10年以内、ほんの数年で転生する人もいます。そして事故や災害、世界的規模の大戦や大きな事件で亡くなった人は転生サイクルが短い傾向になりがちです。(死後2か月から数年以内)なので(この現代、昨今において)逆を言えば、次の転生まで20年以上の期間が空いてしまう場合、ちょっと難アリ物件といいますか、普通の状況ではない、イレギュラーケースであるとも言えるのです。(通常の場合、21周忌の時にはそろそろ"次の人生に移行している"との認識でいいかと)けれども、転生までの期間を決めるのは、当人の意志ではなかったりします。宇宙との予定調和と言えばそうだし、その人の魂というか、本体っていうのかな、まぁ…その人の中の神の部分とか、カルマのレッスンとか色々な都合です。(ここではかるーくゆるーく言っておく)でもって、その人が亡くなったときに、自分が死んだことを意識できるかどうかってのが問題。ほとんどの人が、自分が死んだことを理解できず、生きてると思って、普段通りに行動してたりしますから。先の記事に触れた、タイタニック号で亡くなった人たちの場合、自殺でなくて事故死(溺死)であるというのに…とっくに溺れ死んでいるのにも拘わらず、いつまでも、あの海の上で、「助けて~!」って、溺れてたわけですよ。肉体なんて、もうそこにないし、所有してないのに。ものすごい数の人たちが、海から手を伸ばして、溺死というよりは、低体温症(凍死)で息絶えていく自分の死の様相を、ずっと何年も繰り返し、再現し続けていたわけです。そんな風に、事故や災害現場には、自分の死の瞬間に閉じ込められたかのように、"熱い" "痛い" "苦しい" "ここから出して"って言い続けている、そんな霊たちもいます。病気で亡くなった人の場合、亡くなった場所に居続ける人が多いかな。病院ならそのまま入院患者やってたり、自宅ならそのまま寝てたり、体が軽くなったと普通に生活している人もいるし、会社に出かけたり、家事をしていたり、いつもの生活パターンを繰り返している人も多々。家族に話しかけて、色んな人にスルーされて、そこに違和感を覚えて、考えられる人は幸い。自分のお葬式とか遺体を認識して、「ああ、自分は死んだのだな」と気づけるなら、それは普通だし、すぐ次の段階にいけます。(次の段階っていうのは、とりあえず"成仏"と考えておいて頂ければ。ようするに、きちんと自分の死を自覚した後の、意識や視点が移行する状態っていうところで、その上で、人それぞれ、ケースバイケースですが、その人の人間的成長度(人格や霊的成長度)に見合った、行くべきところに行くってハナシです。その上で、今生を振り返り見直して(反省会?)、次の転生の準備に入るっていう感じ。この時に人によっては、守護霊つーか背後霊として、身内や身近な人のところのサポートに行くこともある。次に自分が肉体を所有して生まれるまでの間、透明なヘルパーとなって、修業期間のごとく、現世で培った自分のスキルを用いて、社会のために働いたり、得意ジャンルの人たちをサポートする人もいます。※それが許されない、出来ない人もいますちなみにあの世と呼ばれる次元にも、霊的な知識を教える真理の学校があり学ぶ人もいます。でも通えるのに通わない人もたくさんいます。死んだあとも人は成長する機会を与えられますが、それを選ぶ人と選ばない人に分かれますね、このあたりは自由意志の範疇なので)現世に執着心強く、想いを捨てられない人は厄介。葬式や法事、その宗教の弔いの言葉、念仏など、家族の自分への想いに触れて、きちんと自覚できる人ならば良いけれど、それでもなお、現世や今生への執着や未練を捨てきれないと、なかなかどうしてめんどくさいことになります。これが数年位なら良いのだけども。(家族が心配だからとかの理由で)自然死や事故死、病死でも、自分の死を自覚できないがために、時間を止めてしまう上記のパターンがあるわけで、するってーと、自殺なんかはもっと大変です。自死のケースについては、過去記事の「自死・彷徨える魂~終わりのない旅(上)」「自死・彷徨える魂~終わりのない旅(中)」「自死・彷徨える魂~終わりのない旅(下)」にあれやこれや書いていて、その中にも転生サイクルのことは書いていたかと。自殺した人で、亡くなった時の波動の低い人…(霊的成長をしていない人というべきか)は、大概にして、死の瞬間を何度もやり直します。自分が死んでないと思って、何度も死のうとするんです。壊れて針のとんだレコードみたいに。(例えが古すぎますねっっ)その状態から脱出できるタイミングは、その人の生前の性格、人格や霊性次第とも言える。あとはその人の冥福や成仏を願う家族や周囲の想い。これが伝わるか否か…とか。そうやって自分の「死」について、客観的に捉えられるような状態になってからが、そこからスタートするので、どうしても年月がかかってしまうのです。いわゆる悪霊とか、誰か自殺した人の霊に引きずられてとか、そういう場合は同じ自殺でも、殺人事件の被害者とほぼ同等ってことになりますが、波長が合ってしまってそそのかしに負けた原因が、その人の中に内在していた自殺願望とか悪心とか、そういうものが起因していると、その"汚染"が取れないことには、なかなか次の段階にいけないと思います。そして殺人事件の被害者なんかの場合だと、カルマのレッスンによっての事象なのか否か、そこによって違ってくるわけです。カルマのレッスンとして起きた事なら、普通の死と同じです。そうでない場合は被害者となったのは事故と同じ。いずれにしても、殺されたことに対してどう思うか、怒りや恨みを抱くのか、納得できないと思って、この世に執着するのか否か…そこに左右されますね。刑死(死刑や獄死、拷問死など)の場合は、その死がカルマのレッスンか否かが大きいわけですが、ちゃんと己が罪について考えて反省して、学びを得ているのかどうか…でしょうね。困ったことに「罪」「咎」というのは、世の中が判断するのでなく、当人が「罪」と自覚して、自らの罪と…最悪感を持ち、認めないことには、だったり。ここら辺は語弊が出やすい部分なので、これ以上のことはblogでは書かないでおきます。でも、言えることは、何度転生しても繰り返し同じ罪、過ちを犯し、多くの人に対して不利益を与える反省なきものは、先の記事でも書いたように、強制的な介入が入り、一時的に転生を止められることになります。そしてその間、色々と「教育的指導」が入ることになります。生まれてきてから死ぬまでの一生を、延々と何度も見させられることになったり…とか。あと、自分が犯してきた罪、犯罪の場面だけ、ピックアップしたものを何度も何度も、とか…被害者の立場に視点を入れ替えて、何度も殺されたり拷問される追体験を、嫌というほどさせられたりとか…ちょっとした精神的拷問に近いです。まぁ、仏教でいうところの地獄に似た状況ですね。ここのことをスピリチュアリズムでは、反省房って呼んでます。(反省房に入れられても反省しない人は反省しません。その場合、また最終的な教育的指導…というより、最終審判のような、いったんデータ削除みたいなそうゆう強制的な執行が起こってしまいます。このあたりも何処かに書いたと思います。何処に書いたか忘れましたが、「発達障害」について書いたとこだったような、なかったようなっっ)ちなみに私は、死刑反対派ではなく、どちらかというと賛成派です。もちろん、いつかは死刑という極刑が世の中からなくなって欲しいとは思いますし、冤罪を晴らす前に死刑になってしまう不幸も避けないとはいけないですし、死刑執行を行う執行人の苦悩や心の傷を考えたら、それでいいのか、という想いはあります。でも今の時代を考えると、死刑廃止は時期尚早で、無理だなって思います。他人の生きる権利や人としての尊厳を侵害し、踏みにじり、命を奪った罪は己が命で償うのが、妥当であると…この三次元の物質社会での償いは、それ以外に相応のものはないと、そう思うからです。刑務所の中で自分自身と犯した罪を見つめ直して、根底から変わってくれるなら、良いのです。でも、改心して生まれ変われる人もいますが…残念ながらそうでない人もたくさんいます。今生で過去をやり直すチャンスをもらって、現世で生き直す環境を与えられていながらも、学びの場を生かせず、過去の過ちを繰り返している人は、再び人生を生きる機会をいったん取り上げられてあの煉獄、霊界での独房に入ってもらうしか、それしかないんだろうなって思います。きっとまた宗教で過ちを犯したあの人たちも、そういうところに今はいるのでしょう。誤った閉鎖的で偏った思想を疑いもなく受け入れて、見せかけのまやかしとホンモノを見抜けずに、人として一番大切なものを見失って、悪魔に売り渡し、選民意識的な観念から、楽園を夢見た人たち。定期的に歴史で派生する、そのサイクルの流れに沿い、何度も目を覚まし気づくチャンスを与えられても、それを逃してしまった人たち。一人ひとりが違う房にて、永遠の孤独の中で、すべてを悟るその日まで。今回はどのくらい、いることになるのだろう。てなわけで、死して次の段階、次の人生すなわち来世に早めにいくためには、「死」について、知識を持ってないといけません。人が死ぬとはどういうことか…という、生物学的、物理学的なことの意味でではなく、死んだら終わりではなくて、そこですべてが「無」になるというのではなく、肉体的な「死」の後に、物理的肉体を失った次の段階へと、意識(人格)が移行するのだということを知る、という意味です。肉体は滅びても、意識は残るのだということ、記憶はどんどん薄れていくけれど、「自分」という存在が消滅してしまうのではない、ということを何となくでいいので、そう思っていればいいのです。つまり輪廻転生を今の段階で認めなくても、死んだときに「あーもしかして本当かも」と思うくらいには、知っておいて損のない情報程度に、耳に入れておくと後で役に立つわけです。こういう知識があると、死んだあとに迷子にならず、自分が行くべきところを見つけることが出来て、無駄な年月を浪費しないで済むと…例えば、毎日通勤電車に揺られて電車に乗りなれている人と、生まれて初めて電車に乗る人では、色々と違いがありますよね。後者の人は下手したら切符の存在も知らないかもですし。飛行機で海外に行くにしても、言葉の問題以前に、空港に行ってそれで何をどうしたらいいの?って、事前に知識がないと、入口を間違えたり、乗り遅れたり、目的地に行き着けない可能性も出てくる。そういうのの基礎知識と同じです。(もちろん、すべての人が同じ体験をするわけではなく、個々の人が見る景色、体験することには差異があります。同じではなく、違いはあれども大体の大枠、流れは似たようなものであると理解ください)※ちなみに心霊科学における肉体の「死」は、 完全な心臓機能の停止です。脳死ではないです。 48時間以上、動かない場合、ですが。生物としての物理的肉体が死んだ後も、自分の人格・意識は残るんだ。そしてしばらくこの世のことを見ていられたり、人生を振り返ったり、行きたい場所に行ったり、会いたい人に会いに行く時間があるんだ。けれど、いつまでもその状態にはなくて、次の段階(転生に至る準備)に行くことになるんだ。その時には案内(ガイド)が来たり、もしくは景色が眩しいほうに進めば間違いないんだ。トンネルと同じで、暗いほうでなく明るい景色のほうに行けばいい。そう知ってるだけで十分です。多くのアメリカインディアンたちは、ちゃんとこのことを知っていて、ごく自然な当たり前の知識として子孫たちに教えています。なので彼らのうちの多くは、肉体を離れた瞬間に次の段階へと移行することができます。「今日は死ぬのによい日」そういって、肉体を自ら去る人たちも多いのです。

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  • 21Sep
    • 転生サイクル~死から次の生までの期間

      ちょうどその話を、前回の講座にて話したので、補足的に少しまとめてみます。そして、今日はヒロシマの日。あさってはナガサキ。来週には終戦記念日。戦争と平和を考えるweekと言えばそうで、生と死を考えるには良いタイミングなのかと思いつつ。(注)こちらはアーカイブ的blogになり、 本家に掲載した後での転載になるのでUPの時期かズレてますさて、薔薇十字団とか、一部の神秘主義の教えでは、転生のサイクルを50年と考えているところも多いけど、そんな風にゆっくりとできたのはとてつもない大昔の話。太古の昔というと行き過ぎるけれど・・・少なくとも紀元後AC.になってからは、転生のサイクルはとても早くなっていて、だいたい平均して10~20年程度で、人は次の人生に転生しています。ただし、自殺ではなく、老衰とかの自然死とか病死とか事故死の場合。自殺した人は平均以上の時間、20年以上はかかりますね。色々と制限がかかるといったほうがいいかも。あと、殺人とか罪深いカルマを犯した人で、何度生まれ変わっても反省しなくて、まったく改心しない人の場合、ちょっとまたこれも、特殊な運命の干渉が入ることになるので、転生までの年月がだいぶ間が空く人もいます。(あの世というと弊害がありますが、とりあえすその理解でOKということで…あの世の独房みたいな反省房に拘束されるのです。ここまた別途説明します。たぶん後日)ものすごくスピーディな転生のケースだと、事故で病院にかつぎこまれて、「ご臨終です」となり、遺体安置所(霊安室)で遺族と対面しているときに、その病院の新生児室でオギャー♪と生まれて、新しい家族に笑顔で迎えられた人もいたりします。こういうのはとってもレアケースなんですけど。ある意味で、仕組まれた「死と生」とも言えますね。次の転生先の人生を生きるために、今の人生に対して調整が入った予定調和、みたいな。遺族からしたらたまったもんじゃないですね。まあ、現代では火葬が主流だから、死後すぐに灰と骨にされてしまうからアレですが、一つの人格の死にかかる時間ってのは、本当は40日は必要なんですよ。なので仏教の49日ってのは、"死"のために必要な期間なんです。十分余裕もってる。どうして40日必要なの?ってのはここでは詳しく書きません。なので、死んだその日に転生ってのは、よっぽどのレアケース。普通はありません。けどあったりするこの不思議。ケースファイルの何処かにも書いたけれど、一度にたくさんの人が亡くなる大きな事故や災害、戦争で亡くなった人はサイクルが早いだけでなく、同じ国や民族、土地に、同じ理由(事象)で亡くなった者同士、まとまって生まれてくることはよくあります。これは国のカルマが理由で亡くなった人は、国のカルマの流れにのるってだけなんですが。もちろん、その国の原罪ともいうべき、カルマのレッスンの原因に、個人としてのその人が関わっていたとか、その人自身のカルマのレッスンと同調するから、っていうのがあったりします。日本が先の大東亜戦争を始めたのが1941年で降伏して、戦争終結をしたのは1945年ですが、(実際はその前1937年に始まった日中戦争がある)すでにその直後から、この戦争で亡くなった多くの人たちが転生していました。日本の学生運動は、大正デモクラシーの時からのものらしいですが、1960年の安保闘争、1968年 ~1970年の全共闘運動、そのあたりに参加した人の多くは、大東亜戦争で亡くなった人たちが転生してきています。このことも過去に書いたことがあるけど、たぶん国の犠牲になった、という政治不信が、意識の根源に根深く植え付けられた結果でしょう。1970年~80年代に日本に生まれた人の中には、何故か終戦後に一度他国で生まれて短い人生を生きた後、日本人として生まれたドイツ人の人たちが多いです。やはり先の戦争にて亡くなった人たち。まあ、たまたま彼らが学ぶべきことが、日本という国にあったから、というだけでしょう。全員が全員、日本人として生まれたわけではないし。アメリカ人とかイタリア人とかイギリス人だった人、東南アジアの人たちも日本人に転生していますし、統計取ったわけではないので何とも言えません。第一次大戦の戦死者とか、世界恐慌を経験した人たちは、1950年~60年代にかけて生まれて、前者はベトナム戦争や朝鮮戦争、日本だとバブルをダイレクトに経験するとか、そういう波に乗っているみたいです。ちなみに…これもどこかに書いたと思うけど、私は100年前はアメリカ人のフラッパー。過去生では世界恐慌(ブラック・サースディ)で経済崩壊を経験し、今生ではバブルとリーマンショックに翻弄されました。(けど、英語苦手で話せませんし、書けません)面白いことに、第二次世界大戦では日本の敵国人だったわけですね。して私がアメリカでニューヨーカーだったとき、今生の祖父は日本帝国軍人であったと…。(まぁ私の話はどうでもいいですね)ヒロシマ、ナガサキの原爆で亡くなった人は、早かった人と遅かった人と極端に別れたように思います。クライアントさんとその関係者の中では、1980年代生まれの人に被爆者の転生者が多かったです。もう少し早い時代に転生した人もいると思いますし、その時代に日本で転生するまで、他国に生まれていたのかも知れません。その人のカルマのレッスンがどのようなものであるのか、にもよるのですが、戦争から派生するトラウマやカルマのレッスンを持っている人は、やはり大きな戦争の流れに沿って転生することになります。私の場合は、2000年前にお金に対するカルマを作ってしまったので、世界的経済や金融の流れで左右される世相や社会に添って、人生の一大事を経験するサイクルで生まれちゃうんですね。2000年前までは違いましたけど。人種差別がテーマな人は奴隷問題とか南北戦争とか、民族浄化だとホロコーストとかカンボジア内戦、反乱とか革命とか、まあ色々なサイクルパターンがあります。少し前にいらしたクライアントさんで、前世がカチンの森で殺されたポーランド兵だった方は、どうしてその経験をすることになったのかというと、もともとの発端はゴート族だったときに、ヨーロッパのあちこちを侵略して民族浄化をしてしまったから。言葉や肌の色、国こそ違えど同胞たる人間に自らがしてしまったことがどういうことであるのか、それを心で知る日までは、そうした出来事に出合うサイクルで。いま戦争や民族浄化のない日本という国で、日本人に生まれてきた人の多くは、中休み的な人生で、平和を享受し、たくさんの情報、歴史の客観的な真実とか、そういうものを調べたり、知ったりできる環境にあって、「考え」「感じる」期間を与えられているわけです。そもそも転生を受け入れられるようになるまでというのは、人によって誤差があります。転生するにはタイミングが必要なんですが…ようするに、いったん今生を振り返って、自分が今生できちんとノルマを果たせたのか、するべきなのにできなかったことは何か、やり残したことや後悔、新たな課題を作ったか否か、次の人生でのカルマのレッスンについて、今生での教訓を次の人生でどう生かすかetcカルマのマスターと話し合って、方針を決めるわけです。そして、それが果たせそうな場所、環境に狙いを定めて、準備して転生する。転生先はかな~りアバウトで、そこまで綿密ではないのがミソですが。この段階、計画立てるところに至るまでが、人によっては時間を食ってしまうわけです。自分の死を受けいられるか否か、で。ある程度、死生観のある人は、自分が死んだことに気づくのが早いです。西洋人に比べると、日本人のほうが早いかな。でもチベット人やアメリカインディアンの方が早い。信仰や宗教で「死」を教わっている人、知識がある人は、「ああ、自分死んでしまったのね」と、わりとすんなりいくんです。でも、恨みとか執着があるとやっぱダメですけど。自殺した人でも、どういう状況での死なのか、とか、生前の人格によっては、気づきが早い人もいますし、説得に素直に応じる人もいます。ですが、ほとんどの人が「死」に執着するので難しい。先に事故や災害、戦争で亡くなった人は、転生するサイクルが短いと書きましたが、どの宗教に属していた人か、生前、死生観をどのような形で持っていたか、これにもすごく左右されるのですね。誰もが知っている1912年に大西洋上で沈んだタイタニック号にて亡くなった人たちは、1916年の時点で、ほとんどの人が成仏してなかった。2011年の東日本大震災で亡くなった人は、早い人ではその年の内に、そして2.3年以内で転生してくる人たちが多かったんです。(5月のGW過ぎた後位に生まれてる人の中にいました)もちろん、まだ成仏できてない人も残ってるし、まだ転生してきてない人もそれなりにいますけど。(必ずしも日本に転生するわけではないし)キリスト教を信じる西洋人と、熱心な信仰を持つわけではないにせよ、仏教に対する知識が多少なりともある日本人。その違いもあるのかな、と思います。閉鎖的な100年前と情報化社会たる現代という、時代背景の違いもあるでしょう。てなわけで、10年~20年サイクルでだいたい転生しますから、今の人生で過去生の家族や知り合いに、再会できる可能性は高いです。ただし、姿かたちも違うし、国も言葉も違うでしょう。まず覚えていないし、お互いわからないですが。20年過ぎたら、その亡くなり方が自殺や刑死でない限り、転生してもう別の人生生きてると思ってください。再会できたら奇跡ですけど、期待しないのがいいかな。なんかちょっと散漫なまとめ方、文章になってしまいました。こんな書き方で説明になっているかしら。わかりにくかったらごめんなさい。

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  • 17Aug
    • TABICAのホスト始めました

      気まぐれにTABICAにホスト登録してみました~♪今のところ登録した企画は4つワークショップ2件と街歩き2件★誰でもかんたん楽しいタロット・ワーク ~遊びながら覚えるタロット占いhttps://tabica.jp/travels/5587★いろいろ聞きたい占いのあれやこれや ~占いとの上手な付き合い方https://tabica.jp/travels/5596★魔女と巡る教会と水神詣で ~文京・江戸川・音羽~祈りの道散歩https://tabica.jp/travels/5597★東京の最強パワスポ東御苑にて『オーラとチャクラを整えるワーク』をするhttps://tabica.jp/travels/5586でも、開催日まだちょっちしか入れてないのがミソ。何しろほかの仕事との兼ね合いあるし、街歩きは天気予報との相談だし、ワークショップは場所をお借りするとこの都合次第でやんすので。関心のある方はよかったら参加してくださいな~♪その他日程リクエスト出してくれると嬉しいです。あと、次回のスピリチュアル勉強会は、来週8/23(木)19時~です。参加費2500円。場所は江戸川橋です。※5月からスタートし、大体一年間が周期(全体の概要がわかる目安)ですが、途中からの参加OKでゆる~くやってます。てなわけでまだ席ありますので、興味のある方はご連絡くださーい。

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  • 08Aug
    • 告知:『第16回がん治っちゃったよ!全員集合! IN 埼玉』

      スタッフをしている友人から、以下イベントの案内を先日頂いたので、こちらで告知させて頂きますね。もし関心のある方、当日お時間のある方いましたら、ぜひご参加下さい♪ こちらの内容の転載も歓迎いたします。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆今週末・・・8/12というお盆間近の微妙な日ですが、がん関連のイベントが大宮であります。様々ながん腫の方々が、その生還体験を共有するというイベントで、『がん=不治の病』というイメージをひっくり返し、治るスイッチをONするきっかけになれば、という想いでスポンサーもとらずにやっています。今のところ主に関西圏で開催しているもので、関東では1年に1度あるかないかの貴重なイベントです。もし身近に本人でもご家族でも、がんや難病でお悩みの方がいれば、どうか告知いただければと思います。『第16回がん治っちゃったよ!全員集合! IN 埼玉』https://kokucheese.com/event/index/509168/4時間の長丁場ではありますが、到着した当初下を向いていたがん患者さんが、笑顔になってお帰りになった、というご報告を多数いただいています。12日という微妙な日程設定ですが、だからこそのタイミングの方に、ぜひお越しいただければと思います。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆よろしくお願いいたします。

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  • 28Jul
    • 獅子身中の虫

      二か月くらい前のこと。定期的にいらっしゃる長いお付き合いのクライアントさん。最近どう?などという世間話的な様子伺いにて、どうにもここのところ体調が思わしくない…と。その流れで、「心の眼」のほうで彼女を見やると、何か細かいものが、スピーディーに彼女の身体の上を這いまわっていたりしました。うちで色々とヒーリングその他を学んでくれてた人だから、自身にもチェックしてもらいながら、(まず自分自身で見てみよーよ!と、当人任せ→手抜きか)同時にもっと詳しくちゃんと見てみると、ホタルみたいな黒い虫?のようなものが、彼女のオーラをたくさん食い破っていたのです。当然、オーラ(エネルギーフィールド)は穴だらけ。これじゃ、エネルギー漏れ状態だから疲れやすくなります。で、この虫の正体はというと、本物の蛍の幽霊とかではなく、単なるエレメンタル。ホタルのようなモノ…に波長を合わせてみると、彼女の昔からの友人で、あれこれ彼女に対して、複雑な思いを抱いている人が創ったものらしく…どうも、昔から彼女にあれやこれや口うるさく言われてて、(昔の彼女はそういう性格だったので)それに対して、うるさいと思う反面、他人のことに口出ししてくる彼女のことやそのふるまいを、表向きありがたいふりや耳を傾けてるふりをしながら、何処か小馬鹿にして見下していたらしいのですが、ある時から彼女が徐々に変わっていって、性格も穏やかになり、謙虚さも出てきて、他人に煙たがられるような(彼女が小馬鹿にしていた)面が、すっかり影を潜めて、他人と上手くやれるようになったこと等かつて彼女のことを自分と同類あるいは自分以下と思って揶揄し見下し、自分のコンプレックスを投影して安心していたのに、ここ数年の彼女が人として変化して成長していき、結果として、とても平穏で幸福そうにしている現状を目の当たりにすることになり、それに対してとても複雑な人としてのこじらせ感情、嫉妬と羨望の感情等を抱き、そのドス黒い感情が、大量の虫の形を取った想念体(エレメンタル)になった。…ということのようでした。まあ、人間て、そういうトコありますね。仕方ないんですけど。それを彼女に説明すると、「ああ、そうか」と納得した様子。心当たりというか、薄々は気づいているわけです。そして確かに体調が悪くなる直前にその友人が自宅に遊びにいらしたと…逆に言えば、その友人が来訪してから体調を崩したと。ついでに自宅も見てみると、家にもたくさんの虫が飛んでいました。そういえば、彼女の家を訪れた他の知り合いが、「なんか、今ゴキブリ?みたいな黒い虫がささっーと、通っていったような気が??」と、気配を感じて振り返り、そんなこと言ったとか。(本当のゴキブリだった可能性も否定できませんが)これって、無意識なんですよね。意図的に相手を攻撃しようとした呪詛とかではないし、身近な人に対しての、葛藤を生じさせる複雑な心の反応。その友人の方も、相手が憎くて、生霊のことを飛ばしているわけではないんですよ。好きだけど嫌い。嫌いだけど好き。愛してるけど憎い。憎いけれど愛している。そういう説明不可能な感情ってありますよね。愛憎とも言うのだけれど。今回のクライアントさんの友人の方は、今の自分や現実が嫌いというか、不満アリというか、自分の醜い感情や側面をすごく嫌ってて、そんな自分とオサラバしたいはずなんですね。だからこそ、自分が手放したいと思っている自らの性格の弱さとか欠点とかを手放すことで、見るからに明るくなってイイヒトになっていき、結果的に周囲からの信頼を得られている彼女のことを、羨ましいと、妬ましいと思ってしまったわけです。刺激されたというのかしら。彼女の今は、自分が欲しかったもので、彼女が手放したものは、自分が手放したいものなのに、それが出来ない自分に対して歯がゆくもあり。自分と同じところにいると思ってた人が、自分よりも少し先に行ってしまったことで、ざわざわとしたドス黒いものが、たくさん毛穴から吹き出てきてしまったのでしょう。こういうのってよくあります。女性なら、いやさ男性でも。片方が心を許していて、片方がそういう気持ちを持っていて、笑顔の下に刃を隠して、目には見えない次元で、相手に対して攻撃を加えていたり、エネルギーバンパイアのごとく、エーテルコードを差し込んでエネルギーを奪っていたりとか。よく見る光景ですね。共依存とか力関係とか、そういうのとはちょっと違う関係だけど。人の心理は本当に複雑で一筋縄ではいきません。けれど、無意識的にそんなことをしている人のことを一方的に責めることは出来ません。誰しもそんな弱さを持っています。そして誰もがそういうことを誰かに対して、「やっていない」とは絶対に言い切れないのです。子供の頃、兄弟姉妹に対しての親の愛情をめぐっての独占欲や些細な嫉妬から、あるいは同級生に対しての勉強やスポーツの場面で、習い事や仕事を通して、自分より秀でていたり、才能があったり、恵まれていると思う相手に対して、恋愛にまつわるエトセトラから、他人に対して、攻撃的な感情(反応)や考え、嫉妬や羨望だけでなく、怒りや憎しみやあれやこれや批判的で否定的な想念を飛ばしてしまったことが、最低でも何度かはあるはずです。そんなわけで世の中にはそんな感情から創られた、虫の形をしたものや動物みたいな形をしたもの、あらゆる形状をした邪悪で醜悪な想念の塊が、たくさん存在していて、あちこちを浮遊しています。だからこそ みんなそういうものが見えなくて幸いだと思うのです。本当に気持ち悪いですしね。それらは色んな人にくっついていたり、悪さをしていたりもします。掃除をしない限りは。そしてそのようなものは、必ず最終的にそれを作った創造主たる人の元に戻っていくことになります。たくさん力をつけて仲間を増やして大きく成長して。たから、一言った悪口は七倍になって増えて、その人の元に戻ることになるのです。戻るタイミングは今生とは限りません。今生に戻ってきているものも、今生に創られたものとは限りません。過去生で創ったものも何十倍にも成長して戻ってくるのです。なので、私たちは自分の行動や言動だけでなく、「どんなことを考えるか、思うか」についても、気を付けなくてはいけません。その人が「想像」したものは確実に創造されて、物質的な次元で戻ってくるという法則があるからです。"親切を語り、やさしさを語れ 忍耐強くあれ 人のあら捜しをするな 他人を非難するな あなたがたがこれから歩む道筋に あとで困るようなものは置かないことだ  他人の非難を浴びるような無駄口を叩くな このことが身体の状態の前途を変えるかも知れないのだ"    byエドガー・ケイシーちなみに、他人からそうした攻撃的な想念体を送られても、ダメージを受けない人もいます。ダメージを受けてしまうのは、攻撃的な想念体と同調する、何かが、受け手の側にあるからです。ようするにその人の中に、送ってきた相手で無くても、誰かに対する、そうした同種の感情を抱えているってことです。今は表面化していなくても眠っているだけで。だから、その攻撃的なエレメンタルを(今回の場合はホタルもどきの黒い小さな虫)創ったのは彼女ではなく友人の方ですが、結局は、自分が創ったのと同じなんですね。そうした類似の感情がまったくない人は、このような邪な感情が創り出したエレメンタルの攻撃を受けてダメージを受けることはまずありえないので。ですので、霊的な攻撃(サイキックアタックやアサルト)のダメージを受けないためには、まず自分自身の心を浄めて、自らの過去と向き合い、自分の弱さや精神的問題を克服しないといけません。そして誰かからの攻撃を受けたときには、自らが放った攻撃の矢を受けているのだと、相手自身とその罪と同じく、自らの過去の自分自身と犯した過ちを受け入れ、その心情や背景を十分理解して、赦してあげる機会とするべきです。とはいうものの、とても難しいことですけどね。自らが他人から受け取るものは、自らが他人に与えたものなんで、与えたものが戻ってきただけと、受け止め、受け入れるしかないです。だから、こうした攻撃の矢みたいなものは、返品とばかりに相手に戻しても、なんですね。また戻ってくるだけだから。てなわけで、虫はこちらで退治というか処理するわけです。自分が捨てたゴミでないけど、こっちで処分を引き受けるみたいな。自分が捨てたゴミも他の誰かが始末してくれてると感謝して。いくら捨てても何しても、永遠に送って来る人もいますけどね。とりあえず今回のことで彼女は、友人さんに一日も早く心の平穏が訪れるよう、祈り続けるとのことです。時々送られてくる虫をチェックしつつ。

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  • 15Apr
    • 5月からの定期的な勉強会開催のお知らせ(通信&直接)

      以前から予告していたように、来月(5月)から瞑想とかんたんな心霊科学の勉強会始めます。がっつり勉強だ! 講義だ! 修行なのだー! みたいなのではなく、スピリチュアリズム入門的なレベルからの(たぶん)【サロンでの開催】基本:第2・第4木曜日 19時~21時(終了予定)参加費: 2500円(当日払)なんですけど、5月だけ、第3・5木曜日に変更です。従って、2018年5月は5/17(木)と31(木)19時~21時です。実は私、第一木曜日夜に座禅のサークルに参加してまして、この会の日程が変更になるときは日程がズレるということですみません。場所は有楽町線の江戸川橋駅です。地上出口出てからは徒歩2分くらい。東西線神楽坂からは10分ちょい。都電荒川線の早稲田からは15分は歩きます。新宿駅西口からバスでも来れます(20~25分位) ※練馬車庫行で山吹町下車◇詳細な場所は参加申し込みを頂いてからご案内します。参加希望者はHPのメールフォームもしくはFacebookのメッセージなどからご連絡ください。(住所、氏名、年齢、連絡先。参加したいなと思った動機など)◇夕飯は事前に済ませてきてください。 駅周辺にいちおう飲食店あります。 ドトール、てんや、フレッシュネス、ココイチ、日高屋、 飲食コーナーのあるファミマなど。◇入室は10分前から◇お茶は用意しますがご自分で持参くださってもOK■参加資格について・公序良俗を守れる人・常識や社会マナーを守れる人・他人を尊重できる人「スピリチュアリズム? なにそれおいしいの?」みたいなレベルの、よくわかんないんですって人でも大丈夫です。ただこのブログをお読みの方はご存知と思いますが、うちはキラキラスピリチュアルとかふわふわスピリチュアルとか、ここ数年流行ってたミーハーなんちゃってスピリチュアルなそういう方面ではまったくないので、そこだけご了承ください。また超能力や霊能力、神通力など超常的な能力を磨く道場とかでもないので、自分以外のナニモノか、になりたいとか、スゴイ力を持った人になりたいみたいな野望をお持ちの方はご遠慮ください。たぶんご期待にはお答えできませんので(笑)■参加をお断りする人下記にあてはまる人は参加をお断りすることがあります・会話が成立しない人(意志の疎通が出来ない)・主催者や他の参加者に迷惑をかける恐れありと 当方が判断した人・他所での教えや自説を広めようとする人◇禁止事項・セールス、勧誘等の営業活動(自己紹介や職業紹介まではこれにあてはまりません。参加者同士が勉強会に参加して個人的に親しくなったあとのことは個人の判断におまかせします。当方関与しません。)【スカイプでの通信セミナー】こっちはまずお試しで開催してみます。というわけで、まず体験会的な何か…日時:5/10(木) 10時~12時参加費:2500円(前日までに銀行振込)※前日確認できること基本的には遠方にお住いの方対象です。その他近郊でも平日夜の参加が難しい人スカイプに関しては定員6名までです。とりあえず試験的にやってみて、定期的に開催するか決めます。参加資格などは、スカイプでの動画通話ができる方、になります。その他はサロン開催と同じです。申し込み頂いてから、スカイプのニックネームなどお知らせします。まだ予定は未定なところあるんですけど、平日の昼間に直接サロンで開催してほしい、平日の夜にスカイプでの通信を開催してほしい、みたいな声があれば検討しますので、興味ある人はリクエストしてくださいませ。通信にしても直接開催にしても、テキストのようなものは作成する予定はないんですけど、もしかしたら気まぐれに配布物とか作るかも知れません。病欠や仕事、諸事情などでのお休みは自由です。連絡だけ必ずください。ただし、一度入金頂いたお金は返金することができません。そのあたり通信の方はご注意ください。

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  • 18Mar
    • お知らせ∞通信講座と瞑想会の予告

      タイ瞑想村での週末瞑想会に参加してきました。心身ともにリフレッシュできたとても良い体験でした。そして今回も多くのことをスタッフの方や指導して頂いた僧侶の方から学ばせて頂きました。まだまだ学ぶことってたくさんあります。もちろんこのような精神的体験の場だけでなく、通常のOLとしての社会生活や人間関係のほうが人間性を試され、研磨されることは圧倒的に多いのですけど。でも都会の喧騒と多忙さから抜け出して、自然の中でピュアなリセット時間を持つことも人間には大切だったりします。そんなわけで、いつも多くのものを与えて下さる人生と出会えた人々とのご縁に感謝するばかりです。(そんな私は特定の宗教には縛られたくないLet's多神教。神様仏様なんでもござれ)こちらのブログはアーカイブとしての位置付けなので、ほとんど更新せず(肝心の本家本元のブログを更新してないものですから)、それでも読みに来てくださる方々がいたり、イイネして下さる方たちがいるのはありがたいことです。私のつたない知識や現場で体験したことが誰かのお役に立てているのであれば幸いですし、そうだったらいいなと思っています。さてさて・・・予定はまだ未定なんですけれども、5月以降(GW明け)で、月2回程度の週末瞑想会的なレッスンとスカイプで遠方の人対象に通信的なレッスンを考えていたりします。それぞれ月1か2回くらいかな。(参加費は1回2000円から2500円程度を考えてます)これまでやっていたようなエソテリックスクールやスピリチュアル講座のように、きちんとテキスト作ってお勉強ってようなものではなく、グループレッスンのように、それぞれが取り組むべき課題を提示するようなものとも違って、もっとライトなものをと思っています。今までのは結構ヘビーでハードなものだったのでっっ汗バックボーンにある思想としては、スピリチュアリズム(心霊科学)やグノーシス(霊的真理)がもちろんあったりするんですけど。とりあえず、少しずつ霊的知識について小出しで簡単なお話をして(いっぺんだと皆難しいと思うし)、あとは瞑想中心って感じですかねー平日夜か土日どこかで隔週で、時間は2時間くらいかな、1時間くらいお話しをして、30分くらい瞑想して、あとはシェアとかコミットメントとか。定員はそれぞれ6名くらいでしょうか。スカイプも6名までは同時会議できると思うのです。私のこのブログに書いてあることで「?」と思ったり、それってどーゆーことなの?どうしてそうなのか知りたいとか、もっと詳しくって、そんな風に思ったり、キチンと霊的な知識について学びたいなって思われた方とか、興味を示してくれた方がいれば、すなわち需要があれば開催しますって感じです。限りなくアバウトですがっっっ対面での瞑想会の開催場所は新宿区ではありますが、駅は地下鉄有楽町線の江戸川橋駅になります。荒川線の早稲田とか神楽坂からも歩けなくはないんですけどね。スカイプは地方にいて学ぶ機会がない人、東京までいけないよって人向けですが、PC持ってないとになるかしら。ビデオ会議的イメージなので。ただ詳しい時間とか日程はまだ何も決めてないっす。平日の夜か土日だと昼間(午前中)かなー興味ある人はアメブロのメッセから問い合わせください。ホームページやFBからでもお好きなところから、ご連絡頂ければと思います。反響なければたぶん流れるであろう企画・・・かな。

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  • 16Jan
    • 今更ながらのTwitter開始と魔女入門連載中

      んー 飽きっぽいから続くのか不明です。それよりブログ書きなさいよってハナシもありますしっっ汗https://twitter.com/yamato_mahoぼちぼちどうでもいい戯言を呟き中良かったらフォローしてくださいそれから、友人ローズマリーさんのサイト「ALPHA占い館」で【魔女アルマの魔女入門】を執筆しています。ダイレクトなアドレスは「Angelic Blessings」よかったら読んでください。今年一年間は続ける予定です。スピリチュアリズムの講座や瞑想会はお休み中ですが、魔女講座も希望があればやるかも新米。あくまで希望者がいれば、ですが。

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  • 30Dec
    • S・C・F番外編「嫉妬は時空を超えて」

      友人の話です。本編は、許可をもらっているのでそのうち書きます。まずはその周辺の話から。友人がとある場所から戻ってきた直後、「なんかヘン。ふらふらする。 みんな(仕事仲間)にも様子がおかしいって言われる。 おまけに胸にぽっかり穴があいたみたい」ちなみに音楽家である友人は、仕事で地方に行くことが日常茶飯事だったりします。チャットで会話している限りでは、離魂病を起こしているのかなあ?とも思ったので、とりあえず足裏マッサージとか受けておいて~…とアドバイス。ごく初期の、軽度のものだと、それだけで改善することも多いので。シャーマン体質の感じやすい彼女のこと。まして彼女にとって曰く付きの場所に行くことになるので、(そのあたりは本編にて) なんかしら大なり小なりのトラブル予測はついていましたが。でも、これまで自力で何とか乗り越えてきた人だったので、私が手助けするほどではないかなあ、とも。実際、彼女は胸にできた穴の原因ではないかと思われる過去の出来事に対して、セルフヒプノを試みたそう。そして二つの過去生にアプローチして書き換えをし、それで解決と思いきや…「おかしい…なんかスッキリしない」で、結局お客さんとして来ることに。彼女が仕事帰りだったので、まずは「夕飯を食べよう」とうどん屋に。顔を見た瞬間、「ありゃ」と思いましたけども。海老アレルギーのある彼女。かき揚げに海老が入ってないことを、店員さんに何度も確認し、注文するも、食べ始めるとなんと、桜エビが入ってるっっそれに気づいたものの、取り除いて食べようとする。フリーズする私。「エピペン持ってるの?」と聞くも、「持ってない」「ぎゃー!(心の叫び)」自殺行為や。とりあえず、少し粘膜が腫れる程度で済みました。落ち着いてから、さてセッション。問題の本質である過去生はセルフヒプノしたから、とりあえず今回必要ないとは言うけれど、どうしても気になることがあったので、色々とチェックしていくと、前回セルフヒプノした二個の人生のパーソナリティが、書き替えられた人生(彼女が創った新しい物語)にどうにも納得していない様子。本編に書くのでここでは省略しますが、ようするに、その物語って今生の彼女の視点で作られたもの。過去生の彼女の視点ではないわけです。あくまで私の友人が「こうだったらいいな」と思う過去なわけで、過去の彼女が納得する自分の人生ではないわけです。過去生と言えども、今生の彼女とは別人格。同一人物であっても同一人格ではないので、同意見、同じ性格というわけにはいきません。まして現代に生きる私たちとは置かれた環境や時代、そして価値観や倫理観が違います。過去生を昇華させようとするとき…すなわち過去生ヒーリング(解放)をするときには、このことに留意しないといけません。ぶっちゃけ、霊を上げる(成仏や浄化)させるときと同じで、その人を納得させ、説得する視点でないと失敗します。今生のその人が納得する過去のストーリーではなく、過去のその人が納得するその人のためのストーリー。それを一緒に紡いで、導いてあげないと、なのです。とりあえず、友人が創ったものではない、新しい、過去生の彼女も、現代に生きる友人も納得する物語を、もう一度創り直して、とりあえず一段落。でも、その後がメインだったり。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆さて、過去生ヒーリングやヒプノセラピーをするときには、いきなり本題に入るのは危険です。過去生をいじるということはエレメンタルをいじるということで、なおかつ書き換えをするときには、大量にエーテルバイタリティー(氣)を消費することになるので。事前と事後でマグネティックヒーリングをしないといけません。でないと、時と場合によってはクライアントの心身にダメージを与えたり、最悪の場合には心神喪失や精神的危機に招くことになります。ベッドに横になってもらって、友人に氣を流しながらマントラを唱えると、彼女の中に一時的に寄生した「ソレ」が出てきました。このあたりの話もかなりはしょりますが、「ソレ」というのは霊ではなくて、エレメンタル。さっき書き換えをした彼女の過去生のとき、三角関係で彼女の彼に横恋慕していた人物の、数百年の時を超えても未だ残る嫉妬と憎悪の気持ちでした。当時男性だったその人は女性に生まれ変わってて、その人が作ったものを食べちゃったんだそう、友人。(当然ながら覚えてないです、その方。今生の恋敵さんはまったくそんな意識なく、彼女の過去生のパーソナリティである男性が今生の友人に仕掛けた攻撃(サイキカルアタック)です。うーん…複雑。想定外のBL。勉強不足かも)「ソレ」が友人に、アレルギー物質を食べさせるよう仕向けた模様。まあ大事には至りませんでしたが。とりあえず、「ソレ」を出して、始末つけました。そして物理的にもいっぱい彼女には出してもらいました。エクソシストみたいな緑色の液体ではないです。トイレでゲーゲー それで済みます。何しろアレルギー物質吐いたほうがいいし。吐くのも体力消耗するし、しんどいですけどね。教訓「嫉妬は男も女も怖い」てな感じでしょうか。まあ、昔から魔術や呪術の世界では、食べ物に何か仕込むのは(毒じゃなくて)、よくあるお約束でありますから。それに作り手の「氣」が入るのは確かだし。なので自分を(が)嫌いな人からの食べ物やギフトは絶対に受け取らず、まして相手が創ったものは食べてはいけないってハナシ。物質以外のもので何入れられてるかわからないから。この日はそんなこんなで憑依したものを引っ張り出して、とにかく氣の補充、補充、補充。そしてその後、別の日に第一チャクラの掃除が必要だなって、始めたら濁流のようにドバドバと色んなもの出て、ビックリした。で、エーテルダブルにたまっているゴミを何とかするのに、幽体離脱させられてた友人…(ヒーリングにはそのほうが都合がいい。20cmくらい浮かされてたそう、リアル実況してくれた)。耳元で宇宙人のような奇妙な話声がすると。それは怪音波のような幾何学的な変なものだと…「バッハの、宗教音楽で、パイプオルガンのパラピレパラポリラ~♪ みたいなあっちこっち音階が飛んでいるような曲じゃね?」と言ったら、そんな感じかも、と。はい、それは一部の人がエノク語と呼ぶものです。なんてラッキーなんでしょう。それは大天使たちの話声です。滅多には人間の耳で聴きとることは出来ませんのよ。滅多つーかほとんど、だけど。ヒーリングには大天使たちの関与が必須ですからね。(彼らが手伝ってくれないと肉体の修復はできないし、それが彼らの役割でメインワークだから。そう、命を創ることが大天使たちの仕事。人間の願いを叶えることなんか彼らの眼中にはない。多くの天使は理想化されたファンタジー。人々の幻想が創り出した妄想の産物でホンモノじゃない)大天使たちの言葉は人間の言語とは違う、ぶっちゃけ「音」ですから。向こうにこちらの意志は伝わっても、彼らの言葉を人間が解することはほぼ不可能です。※バッハの宗教音楽の音階は天使の言語に極めて近い。とくに歌なしパイプオルガンのソロ?天使と会話するための音楽って感じで。彼ら(天使)を鼓舞し、呼び寄せ、コミュニケートし、喜ばせるためにああいう曲調なんだと思う。私は音楽としては聴くことができないんだけどね。まぁ、バッハは天使の存在を認識できる人だったからさ。それを聞くことができた友人は超ミラクルラッキー。聞きたいと思っても聞けるものではないんで。もしくは聞いても、それと気づく人もいないんで。とりあえず友人の状態は無事回復。年末の多忙な仕事もなんとかこなせている…のかな?そして本編を書くのはいつになるんだろう。。。

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    • 人生の宝石

      人は決して一人では生きていくことが出来ない。★ ★ ★ ★ ★唐突ですが、皆さんには友人と呼べる人たちが何人いますか?そしてその中に、親友と呼べる人はいますでしょうか?気の置ける友人や仲間、一緒にいて楽しい人、会えないことが寂しい人。何も話さなくても安らげてリラックスできる人。会うだけで元気をもらえてハッピーになれる人。本音を打ち明けて、感情の裏表もすべてさらけだせて、イヤな自分もダメな自分もお互いに見せ合って、喧嘩もできて、本気で自分を叱ってくれる人。自分のために一緒に泣いて笑って怒ってくれる人。何かあったときには駆けつけてくれて、黙って傍にいてくれる、自分を大切にしてくれる人。優しさだけでなくキツイためになるアドバイスをくれる人。様々な感情や同じ時間を共有して、色んな事を話して、ともに年を取って、未来への展望や夢、昔話を懐かしめる人…など。★ ★ ★ ★ ★まぁ、それはノリコがいけませんよわかいのにおばあさんみたいですおぎょうぎのよい優等生みんなニガテねおしゃれやB・Fやスターの話とても楽しいおしゃべりです私なんか学生時代 寮を抜け出してシナトラのコンサート行きましたよみんないっしょでそれは楽しかったわ友達を作らないのは 宝石を捨てるようなものですよby 「有閑倶楽部」一条ゆかり★ ★ ★ ★ ★話代わって、人の幸せってどこにあるんだと思いますか?何が人を幸せにしてくれるのか知っていますか?お金でしょうか? 恋人(パートナー)でしょうか?地位でしょうか? 仕事でしょうか? 名誉でしょうか?健康? 物質? 成功? 権力やすべてを手に入れること? それとも心配や不安のない状態でしょうか?自分の望みがすべて叶うこと?愛が人を幸せにすると答える人は多いと思います。でも、その愛というのがなんであるかと問われると、答えられる人は少ないでしょう。人の幸せは「愛」にあるといえばそうだけど、厳密には「愛」がある状態が幸せといったところで。でも、愛されることが幸せというのでもないのです。そもそも愛を与えられて幸せになるものではなく、愛することの意義と意味を知ったとき…愛を幸せと感じることができるわけで、人を愛する喜びの中に「幸せ」を見いだせるって感じです。とはいうものの、私たちの云うところの「こころ」は、実際のところ「幸せ」という感情を味わうことができません。つまり「こころ」というものは、「幸福感」の疑似体験ができるだけで、それは一時的な満足感なだけであって、残念なことに永続的なものではないんです。真の意味での幸福感は、感情レベルで得ることはできないのです。なので、一時的に満たされても、恒久的なものではないから、すぐ飢餓状態に陥ってしまいます。ようするに、感情を満たすことは「真の幸福感」を得るにあらず、幸福の疑似体験を一時的に与える麻薬のようなものです。物質的なものから得られる満足感は感情を満たします。ですが、これは本当に一時的なもので、すぐに次の感情を満たすものを探さないといけなくなります。男女の恋愛もまた、感情を満たすだけの、真実の愛とかけ放たれたものがほとんどです。だから信頼関係も壊れやすく、気持ちも醒めたり、かんたんに相手を嫌ったり憎んだりもしがちです。恋は誤解、愛は理解といいますが、誤解から始まって、一時的な感情の麻薬に中毒し、それを愛と錯覚して繋がっている人は多いです。(それが悪いということはありません。そうしたところからスタートする関係にも意味はあります。恋愛や結婚という関係は、個人を成長させ、変化をもたらし、互いにとって人間関係での大きな学びになるからです)さて、では人の「真の幸福」というのはどこにあるのでしょう?それは喜びを分かち合うということ。感情を「シェア(共有)」し、あらゆるものを他者と分かち合うことに、「幸福」への近道があったりします。そして、自分を犠牲にすることなく、他人のために生きることができたとき…他人のために生きることこそ「喜びである」と…魂の奥底で実感し、知ることができたとき、人は真の意味での「幸福感」を味わうことができます。でも、それは「他人のためにやってあげてる」とか「他人のためになることをすれば自分は幸福になれるんだ」などという視点で行っても、到達できる領域ではないのです。そこに至るまでには、踏まなければいけないステップというものがあります。まず自分のために人生を生きること。これができなければいけません。エネmeになって、他人の支配下の中で自己犠牲を強いられて、搾取されて奴隷のように生きる人生は、決して「他人のために生きる喜びを得られている人生」ではありません。他人を差別・虐待してはいけないと同様に、自分のことも差別・虐待してはいけないのです。他人も幸せにするなら、自分も幸せにしないといけません。自分を幸せにすることが、私たち一人ひとりがこの世に生まれた主たる目的なのですから。(もう一つ、その人のお役目を果たすことすなわち、自分自身のカラー=創造性を表現する生き方をすることが、魂の充足感と幸福感を得る必須科目たる条件でもありますが)他者のためになることをして、自分が満ち足りた充足感と幸せを感じられる。ぶっちゃけ、この状態に達することは「悟り」を開くことと同意語です。まあ、はっきりいって難しいですし、自分にはまず無理~!って思う人も多いでしょう。とりあえずそういう人はそれでいいんです。今生でやり遂げようと焦る必要はありません。急にそこまで高尚な目標をいだき、その高みを目指さして、無謀な精神修養に走らなくても、人類みな輪廻転生を終わらせるために、誰しもいつかはその山の頂に到達しなければならないので、来世とか来来世とか、後100回生きればとか気を長く持てば。数万年先かも知れませんけど。手っ取り早く、簡単というか、誰にでもできることで、その学びや機会を得るためには、「仲間」や「友人」を作り、「親友」を持つことです。人は人の中でしか学べず、成長できません。普通の人間関係、社会というコミュニティでもまれ、自分を形成していくことも大事なんですけれども、それとは別に、「友愛」という、「こころ」と「こころ」で結ばれ、繋がっていける関係を育てていくことです。もちろんパートナーを持って、「恋愛」という関係性から「愛」や「人間関係」を学ぶことも素晴らしいことです。でも、家族ではなく、血肉の縛りのない他人同士。同性異性の性別、職業や世代、肩書や利害関係を超えたところでの、共に支えあい、助け合い、色んなことを分かち合い、互いからあらゆることを学び、与え与えられる、友人そして親友(心友)といった関係作りは、なかなか容易なものではありません。失敗もするし、裏切りと思えるようなこともあるし、恋愛と同じで相思相愛でないと上手く行かないし、気の合う人、心を許せる人と出会える機会は、そうそう人生であるものではありません。だからこそ、縁を大切にして、たくさんある出会いの中から、自分にとってしっくりきた「ご縁」を見出して、大切に育てて、縁を紡いでいく努力が必要になります。結局、そこは男女間の恋愛も同じなんですけども。確かに、友人関係から得られる感情的満足、色んなことをシェアする感覚も、一時的に感情を満たす疑似的幸福感には違いありませんが、それでも、物質的な事物や肉体的感覚、性的な興奮やクスリから得られるエクスタシーやエコイムズを満たすだけの疑似的充足感よりも、はるかに本物の幸福感に近く、なおかつ私たちの霊的な成長を促進させてくれる人生の特効薬といっても過言ではありません。何よりも、歌のセリフではありませんが、誰かと繋がっている、「独りではない」という状態は、心の平穏と安心感に繋がり、孤独を和らげますから。とはいうものの、ニセモノの、偽りの関係では意味がないのですが。(妥協して相手にへりくだり、好きでもなく尊敬のない相手に迎合し、従属している関係からは何も生まれません。その逆で相手を縛り付け、相手を認めず軽蔑等あるのに、力や義理で支配しようとするような関係でも同じです。)でも、いつわりの自分ではなく、本当の自分を生きられるようになったとき、似たもの同士は引き合うので、本物の出会いもやってきます。自分の力を取り戻すことさえ出来れば…。FBくらいしか私はやってないのですが、SNSやツイッター、そしてLINEなどが流行り、スマホ依存なんかがあるのも、「誰かと繋がっていたい」という、皆孤立することに恐れを感じているという証拠だと思うのです。自分に関心を持ってもらいたい(愛されたい欲求でもあり)、人と話すことで寂しさや孤独感を埋め合わせたい、…なんかまあ、それも飢餓感かな。今の仕事ではなく、占いの仕事をしていたとき、友達がいれば済むようなたわいのない話を、わざわざお金を払ってしにくるお客さんもいました。占い師に依頼する内容というより、世間話。友達にするようなちょっとした相談話とか。もちろん、身近な人だから言えないこと、悩みもたくさんあるでしょうが、決してそのようなものではなく、お金を払ってまで(大枚はたいて)いう話なのだろうか?と疑問に思うような話なんかも多くされたものです。時に命の電話にかけるような深刻な話などもあったりしましたが。みんな孤独で、自分の話を聞いてもらいたい、存在や小さな思い、気持ちを分かってもらいたいんだな、と…そういうのは、今の仕事に移行してからも、あったりします。友達がいない、友達が欲しい。そういう悩みを聞くこともありましたよ。★ ★ ★ ★ ★憎しみや怒りより、“孤独”が人間を加害者にも被害者にもさせ、人間をダメにもするby 岩井志麻子★ ★ ★ ★ ★豆知識になりますが、スピリチュアリズム的には、人っていうのは、今所有している身体すなわち、肉体(3次元)・感情体(4次元)・思考体(5次元)の3つの身体では、実のところ、「幸せ」を感じることができません。幸福を感じる、味わえることができるのは、精神体(6次元)という、私たちが上記の身体を用いて育てなければならない身体です。知恵(思考体)を愛(感情体)を用いて、行動・表現(肉体)していかないと、この精神体は育ちません。愛のない知恵を用いて行動してもダメだし、愛だけで行動しても、そこに知恵がなければダメです。知恵と愛だけで、行動や表現をしないというのもダメ。真の意味の「幸福」を知っているのはこの身体です。そして、この身体が育たないことには、幸福感と充足感を得られず、いつまでたっても何か物足りず、何をしても満たされず、どこかに虚無と欠落感があり、ゴールが見えず、魂の飢餓感のある、彷徨える人生を生きることになります。(物質的なものは肉体を満たし、感情を満足はさせますが、精神と魂は決しておなか一杯にはならないのです。物質的な成功をしてもどこか虚しく、精神は満たされず、不幸な人がいるのはこのためです。愛=愛する存在が身近にいるということだけではないので。なぜなら愛は得るものではなく与えるものだから。愛は外から与えられて満たされるものではなく、自分の内側にある愛に気づけないと充足に至らないのです)精神体は6次元の身体(解脱した身体、悟りの状態)ですから、ある意味でワンネスの場所とも言えます。私たちが日々求め、欲している「幸せ」は、この6次元にこそ存在します。ですが、私たちはリアルで、3次元(物質界)と4次元(想念の世界)と5次元(思考の世界)にしか、身体を所有していず、この3つの次元にしか存在していません。残念ながら、「真の幸せ」は、今私たちが意識を向けている物質界たる3次元にはないのです。それでも自らの身体、「肉体」と「心」「思考」を大切にし、愛や知恵を育み、それらを物質社会で行動して自らを表現していき、自分と他人の境界線をなくして考えたり、感じたり、(他人の身にに起きていることを、まるで自分のことのように感じたり、考えたりできるようになって行動できるようになること)他人と感情や思想、考えなどを共有し、共に生き、あらゆるものを分かち合い受け入れていく中で、様々な事物や他者に対する理解を深め、与えたり与えられたりする過程において、自らが幸せになり、他人の幸福も喜べるようになり、そして、そのような日々を一進一退で繰り返しながら、いつの日か他人のために生きられる人生を、それが自分の喜びであると…他者に与え、支え、尽くし、他人のためになることをすることが、その中に自分の喜びがあると気づけたとき、人の真実の意味での幸福にたどり着けたことになるのです。ようするに、人は決して一人では「幸せ」になれないのです。その「幸せ」を分かち合う誰かがいないことには。より多くの「悦び」をシェアできる人々を得られたとき、人は、自分にとっての「幸福」を感じられる場所に、もっとも近いところにいけるのです。「孤独」はもっとも「幸せ」に遠いところです。「幸せ」になりたいなら、「孤独」から脱出しないといけません。「独り(ぼっち)」のままではダメなんです。ですから、まず一歩としての、周囲の人との関係、友人、パートナー、家族との関係性、その中で「共有できる喜び」を見いだせる人がいるなら、その可能性を大切にしてください。あなたの幸福のタネです。相手が日々元気でいてくれて、幸せでいること、満たされていること、そして相手の笑顔を見れたことに、悦びと感謝を覚える気持ちの中にこそ、あなたを幸せへと導く道があります。見知った誰かの幸せを嬉しいと心から感じられたとき、見知らぬ誰かの幸せを嬉しいと心から感じられたとき、それを心から喜び願い祈ることができたとき、知る人知らぬ人問わず、誰かの幸せのために働くことができたとき、私たちは大きく霊的に成長していくことができます。★ ★ ★ ★ ★大切にしたい人がいるなら、大切にできる間に大切にした方がいい。仲良くしたい人がいるなら、仲良く出来る間に仲良くしておいた方がいい。人間なんて、本当にふとしたきっかけで二度と会えなくなったりしてしまうものだから。驚くほど簡単にどこかへ行ってしまったりするものだから。★ ★ ★ ★ ★一緒にいて楽しい人ではなく、一緒にいられないことが寂しく、傍にいてあげられないことが寂しい人を、友人に選びなさい

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  • 29Dec
    • 何故、不貞はいけないことなのか

      浮気をしない男性は全体の2割程度に過ぎず、結果、ほとんどの男性というものは、機会さえあれば浮気をする生き物なのだと言う。女性も男性ほどではないにしろ、仕事を持つ既婚女性の3割は浮気の経験ありで、専業主婦では2割程度、独身女性も3割程度とやはり、同等数の割合で不倫の経験者はいるものであると…。こうした統計値がどのようにして取られたものなのか、その信憑性、真偽の程は分からないが、上記の理論で言うなら、男女の比では男性は女性の倍以上の数が浮気をし、主婦人口の1/3、3人に一人は浮気の経験ありという事か。そして、浮気をする女性の割合が少ないことを考えれば、同じ相手と関係を続ける、ということは少なく、(浮気する)女性は全体の中で偏っていて、その偏りの中にいる女性たちは生涯を通じて、複数の男性と関係を持つ割合が高い人たち・・・・・・ということになる。もしくは男性の場合、同じ既婚者を相手にするより、パートナーのいない独身者を相手に選んだり、風俗などで割り切った関係を結ぶケースが多いのかも。いずれにしても、男性のほうが浮気、不倫をする確率は広範囲にて高く、女性の場合、不倫人口には偏よりがあるというわけだ。何故、男性のほうが浮気する確率が高いのか・・・男女のこうした関係性は、しばしば、「花とみつばち」に例えられる。男性は、子孫を高確率で残そうと、あちこちで種まきをし、女性は、男性を引き付けるために甘い蜜で誘惑を仕掛ける。また、そればかりでなく原始的な本能のなせるわざで、男は自分の子孫にとって最適な「母」になるような女を求め、女は優秀な子孫を産むための種の持ち主を厳選し、さらに子育てに最適な環境と自らの食い扶持を確保してくれる、いわゆる三高な男性を他のメスと奪い合い、獲得し、縛ろうとする。はてさて、男性のほうが共有を気にせず、女性のほうが他者のものを奪い取ろうとする意識が強いような?男は女の最初の男になろうとし、女は男の最後の女になろうとする…らしいが。まあ、いずれにしても、浮気をしない男性は少数派ということなので、貴重かつ希少価値のある生き物かも知れん(なんだかー)。統計なんて誤りで、もっと少ないものだと信じたいですが。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 私個人としては、他人のものにはまったく触手が伸びないというか、興味が湧かない人なので(芸能人とか憧れの人は別)、相手が既婚者だとかパートナーのいる人となると、「人のもん」つかその人の付属品にしか見えないので、そーゆー経験はないが。彼氏がいると知ってて誘ってくるヤツなんか、「なんだこいつ」としか思えなかったですしねー(若い頃の話ですぜ)ただ、確かに周囲にはそういう状況はあった。友達の中にも不倫や浮気をしている人はいた。割り切って既婚者と付き合ってるのとか、相手がいるのに、行きずりで遊んだーとか、その心情を理解してあげることは出来ないんだが、わりとよくある話と言えばそう。占いの仕事をしていたときでも、不倫のお悩み相談はてんこもり、でしたし~。今でいうところの「サレラリ」話。昔、知り合い(三人の子持ち主婦)だった人で、旦那さんとレスとかで、あちこちで恋の花を咲かせてる人がいた。ちょっとどうなの?と目を細めてはいたものの、そこまで親しい関係ではなく、子供たちにとっては良き母親であったから、何かそれに対して注意をすることはなかったけど。そのうち、不倫相手の子を妊娠してしまったことで、さすがにいい加減、関係を終わりにして中絶すべきでは?と口を挟ませてもらった。けれど、彼女は「命は大切なものだと思うから産む」、自分の生き方を応援して欲しいとのこと。して、旦那さんに正直に話して謝罪し、ケジメをつけて離婚し、子育てするならいざ知らず、旦那さんの子として育ててもらうつもり(托卵か)・・・と。私は「あなたの生き方を応援することは出来ない」そう伝えて、ご縁を断たせてもらったかな。他、旦那さんとの関係性が冷え切ってて、離婚を申し入れたものの受け入れられず、その後で好きになった人もいて不倫関係になって、慰謝料を払うから別れてくれとお願いしたものの、それでも離婚してくれず、仕方なく子供のために再構築している人もいる。それと、不倫小説の教祖みたいな某作家さんのとこには、その世界観に酔いまくった不倫願望の強い女性たちが、たくさん押しかけて大変だった、と聞いたことがある。(据え膳食ったかは謎)そして、何故か不倫体質の人っているのよねー他人のモノにしか興味を持たず、次から次へと既婚者に手を出す人が。なんだかーなんだろーな、まあ、そんな風に、身近なところでもそれなりにそうした話はあるので、困ったことに浮気、不倫、不貞、不義密通etc...は結構ある話で相変わらず減らない話でもある。2chなんかではホント、この手のネタ尽きないしね。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ただ、人の心って当人にとっても予測不可能なことで、結婚してしまってから、本気の恋に落ちることもある。出会うべき時期を間違えた、みたいなの。複数の人を同時に愛せる人もいたりするし、複数の人から愛されないと満たされない人もいるし、その逆で誰の事をも愛せない人もいる。恋愛フェロモンは2年が限界と人の言う。気持ちは冷めるものでもあるし、結婚して一緒に暮らしてから、現実を前にして、相手に抱いていたものが妄想であり、誤解であったことに気づかされることも多々。いつまでも最初の頃の、出会った当時の気持ちのままでいられるなんて幻想。歳を取ってくると、男性はハゲるし、お腹も出てくるし、臭くもなる。女性も身体の線が崩れ、容貌も衰えて、オバサン化する。(相手にいつまでも綺麗で若くいて欲しいなら、相応の努力と金銭、生活の余裕が必要だったりする。それを与えずして芸能人と同じレベルを求めるなかれ)恋は誤解、愛は理解ではあるが、恋に落ちたその日には、誤解しかなく、相手の良いところしか目に入らないもの。すべてを良いように取ってしまうなど、盲目化現象に際限はない。結婚前には両目をしっかりあけて相手を見て、結婚後には、片目をつぶって見ないようにする。ともいうけれど。育ってきた環境も価値観も異なる二人だもの。受けた躾、教育だけでなく、趣味とか嗜好とか共通点とか、合わないこと尽くしなのに、「好きだから」というだけの理由で無理に合わせていれば、気持ちが冷め、夢が終わった瞬間には、日常は悪夢となる。で、その時、どうするか・・・なんだけど。結局は、結婚てそういうことも想定しておかないと、なんだよね。気持ち・・・恋愛感情が、自分あるいはパートナーのほう、双方に無くなってしまったときにどうするか…どのように協力関係を維持できるのか。共同生活者としての相手をどう位置付けて、どのような関係系を築き上げることが出来るのか。いつまでも相手に「恋」していられたらいいし、相手も、自分に「恋」してくれてたらいいんだけども、もしくは「恋」から本物の「愛」の関係を育てられてたら、家族としての人と人との絆を、育めてたらいいのだけど。(いわゆる「聖なる結婚」てやつね)でも、人の気持ちほど不確かなものはない。人生に絶対はないという意味で。人の心ほど、あてにならないものはないのだ。先の事など、誰にも、自分にも分かりはしない。パートナーがいるのに、その人よりももっと好きな人が、大切と思える人が出来てしまったのなら、それはもう仕方がないように思う。心を止めることは出来ないだろう。どちらも大切とも思い、今のパートナーに対する気持ちも嘘ではないが、それよりも別の人への気持ちの方が大きいと、明らかに恋だったり、愛だと確信できる場合など。その気持ちを責めることは誰にも出来ないだろう。互いが独身同士であれば、ことは簡単だ。別れを選んで、より強く大切だと、恋心を感じた相手の方を選べばいい。(但しそれで上手くいくとは言えないし、婚約していた場合は手順が必要だが)だが、それが既婚者なら?自分または相手がそうであったなら?そして、子供がいる夫婦だったら?ことは簡単ではない。結婚は社会的な責任を共同で担う、契約そのものだからだ。子供がいるのであれば、子に対する養育義務を持つ親同士の関係でもある。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 不貞がいけないとされるのは、それが契約違反であり、信頼を裏切る行為そのものだからだ。恋愛にしても、結婚生活にしても、すべては人間関係なので。相手の心も人格もおのが所有物ではなく、自らの利己的な欲望や願望を叶えるための奴隷や便利屋としてでなく、別人格として尊重し、畏敬の念を持って接せれるか否か。男女の枠を超えた、精神的な愛があればなおよし、ではあるものの、それは難しいことで、とりあえずは上記さえあれば十分であろう。他の人を愛することが罪なのではない。気持ちには、心には罪はない。パートナーがいるのに、誰か他の人を好きになってしまった、その心を裁くことなぞ、他の誰にも出来ることではない。パートナーが、配偶者がいる人を好きになることが罪なのではない。そこには罪はない。その人を素晴らしいと、素敵な人だと評価し、心奪われてしまうのは、異性としての深い愛情を抱くことは、自然なことで、ごく普通のこと。現実を考えたときに、その人は結婚している、という事実があるだけ。それはハンデでしかなく、相手が結婚しているという事実は、相手が障害者であったり、異性ではなく同性であったり、相手の家族に問題を抱えている人がいるとか、その人が経済的に自立できていないとか、そういうのと何ら変わりがない。相手を愛(恋)することを止める理由にはならない。ただ、現実を前にして、そのハンデが乗り越えられるものなのか、乗り越えられないハンデなのか、そのいずれか、なだけ。そして結婚している人であるならば、その人とは結婚できない理由があるってこと。恋愛対象にしてはいけない人だって、それだけ。その人のことが好きで、愛しているという気持ちは、胸の中に大切に収めておくしかない。互いが独身同士であれば問題ないが、そうでないならば、お互いの人生を、人間関係を壊すような関係を築いてはならない。肝心なのは、どう行動するか。結婚した後に、他に心惹かれる人に出会ってしまうことは、それは不幸とも言える出来事なのかも知れない。他に愛する人を見つけてしまったとき、今のパートナーとの関係をどうすべきなのか・・・大いに悩むことになると思う。今の関係を解消して、心に素直になるべきなのか、理性で抑えて、これまで築いてきた人間関係を、家族との関係を選択すべきなのか…問題はこの順番なんだろう。誰かに心を奪われたことを「浮気」という人もいる。肉体的な関係性がないのなら、プラトニックならば、それは不倫とか不貞とは言わない…という人もいる。けれど、肉体の浮気は赦せても、本気になられるほうが赦せないという人もいる。継続的な関係でなく、一度限りの過ちなら赦せるとか、風俗ならば仕方ないという人もいる。風俗もダメだし、女性とご飯を食べるだけでNGという人も。(なかにはsexの相手をするのが嫌なので、愛人を作って他所で性欲を満たして欲しいと・・・そのような正妻もいたりするし、妻が他所で恋愛するのを楽しみとする夫もいるので、夫婦がそれでよしならばそれはそれでいいのだろう。が、こういうのは双方の価値観が一致していればの話)そこは各自個別の価値観なので、それをこう考えるべきと裁定したり、間違っている正しいとも他人が言えることではないけど・・・さりとて、心霊科学の視点からは、やはり人間関係を損ねるものであるか否か、がポイント。属する社会の法や規範(この場合は日本)に従って考えるべきで、相手に対して不実な態度を取るべきではないってスタンス。つまり、どうしても他に好きな人が出来てしまい、そのことで結婚生活を続けることが不可能であると、心に正直になりたいのならば、結婚生活を解消したいと、誠実に相手に申し入れるべきで、その際に己が果たすべき社会的責任を道義的に果たし、その後で、好きになった相手に気持ちを伝えたり、関係は持つべきである。いずれにしても、法的配偶者がいるうちは、性的関係を持つのはNGということ。配偶者以外の人を愛してしまう気持ちに罪はないけど、不義理かつ不誠実な行動を取るのが罪ってことなのです。人としての道に反しているか否か、なんですよね、すべては。プリン脳やラリは、物事の筋道通していない人がほとんどで、そもそも筋道通せる人だったのであれば、プリン脳やラリにはならないのであろうが・・・とあるコラムニストの人が、俳優の旦那が浮気したとき、「私の作ったご飯を食べて、私が干した布団で寝て、 私が選んだ服を着て、私が洗ったパンツを履いて、 彼女に会いに行くのは止めてちょうだい」荷物をつめたボストンバッグを放り投げて、そう云ったそうだ。なるほど、本当にそうだ。妻は家族ではあるが母親じゃない、他人だ。自分の世話をしてもらうための一方的な存在ではない。相手の想いを踏みにじっていい理由など何処にもない。不倫は不義理以外のナニモノでもない。あともうひとつ、不特定多数の人と性的関係を持つのがよくないって理由がある。性病の危険性があるからってことではなくて、心霊科学的な視点から、ね。Sexって、エネルギー的交流でもある。お互いの第一チャクラを通じて、クンダリーニのエネルギー的交換が行われるんだな。(詳細を知りたい人はクロウリーの性魔術書とかインドのタントラとかカーマスートラとかでも読んで。ちなみに相手から性氣を奪ってダメ人間にしてしまうための房中術という、それに特化した性的技能の暗殺術もある)普通に、二人あるいは複数の人間が同じ空間にいると、互いのオーラ的領域の空間を通じて、エネルギー(エーテルバイタリティーすなわち氣)が交じり合って、互いに吸い取られたり吸ってしまったりがある。(3m四方もあれば十分で、時間にして約2時間。10mでも共に過ごす時間が長ければ確実に影響を受ける。都会の狭いアパートなら隣、上下の部屋からもお互いに)まして、イチャイチャしてお互いの身体に触れ合い、Sexという行為を通じて、エネルギー交換が行われると、マイナスの意味でもプラスの意味でも、色んな影響を相手から受けることになる。これが単一の相手とならいいんだけど、同時期で複数の相手とそういう関係性を持つと、第一チャクラがぶっ壊れることも多々。性的関係が乱れるというのはまさにエネルギーが乱れるってことで非常によろしくない。結果、色んな相手から、色んなものをもらっちゃうわけです。この場合、現実的な肉体の病気もしかり、目には見えない良くないものもたくさんもらうことになる。相手の第一チャクラの中にあるものとかね。(ちなみに第一チャクラは先祖のお荷物とかある場所だからさ)生活のためとか、それしか出来る仕事がないとか、色んな事情で風俗や性的産業で仕事をしている人もいるから、それは否定しない(本人が覚悟決めて本気でやってることなら)。けど、目に見えてる身体だけでなく、目に見えない身体も壊すことになる仕事だから、あんまり長期間従事しないほうがいいとは思う。当人の心身の健康のためには。そういう意味で、愛情や心の寄り添い、互いに対する"情"や慈しみのない性的行為は、オーラやチャクラ、エーテルダブルなどのエネルギーとしての身体をダメにする行為でもあるから、むやみやたらとするもんじゃない。恋人にしてもセフレにしても、その期間、そういう関係を結ぶ相手は一人ってのがベター。あんまし、あちこち飛び回るものではないってのはアリ。どんな相手とSexをするかってのも、大事だったりする。(だからホントにサゲ○○とかアゲ○○とかあるよ)気持ちの良いSexって言い方もヘンなんだけど、自分のエネルギーを高めてくれる、良い氣の持ち主を性愛のパートナーに選ぶことって大切。だからこそ、愛し、愛されている相思相愛のパートナーと、人間関係を大切にして、その間はその人だけってのが正解。恋多き女でも男でも、パートナーが随時入れ替わる人であっても、その時期は相手が一人だけってのであれば問題なし。独身の人でも複数の人と同時進行ってのはあまりよろしくない。(相手がそういう人と知らず、つき合っている人は、エネルギー的にも相手から悪いものもらって大変だ)そして、浮気、不倫てのはどこかで背徳的な罪悪感があり、そこには常に負の意識がつきまとう。互いに割り切っていたとしても。また、そうした行為に対する「怒り」や「憎悪」のグループエレメタルも、そこに反応して集まってくるしね。つまりは負のエネルギーがいっぱい集まってくる。純粋に「本気の恋愛」から始まった関係ならまだしも、性的な行為に耽溺していたり、遊びとしてのそれは、さらなる負のエネルギー、退廃的なエレメンタルも呼び寄せて、どんどん悪いものが集まってくることになる。どちらかのパートナーの信頼を裏切り、踏みにじり、他人を傷つけている行為には違いないから、そうしたカルマのレッスンも背負うことになるしね。どこかで、それは戻ってくることになる。背負ってしまった負債から逃れることは出来ない。他人の心を傷つけた、踏みにじってしまった罪。人間関係を壊して、信頼を裏切ってしまった罪。いつかそれは自分に戻ってくることになる。他人にさせた思い、味合わせた感情は、必ず自分も味わうことになる経験だったりするから。それがカルマの法則というもの。あなたが他人にすることは、すべて未来の自分に対して行っていることなのだから。魔女の書の第一節に書かれた言葉。"誰かを傷つけることなく、汝のしたいことをすべてしなさい"この言葉に恥じ入ることなければ・・・それは咎にはならないけれど。果たして、あなたの恋は、あなた以外の誰かを傷つける恋であろうか否か。今一度自分の胸に問うてもらいたい。"愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず。高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない"    コリントの信徒への手紙Ⅰ 13-4-8本当の愛はあなたを決して傷つけることなく、誰のことをも傷つけることはない。

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  • 28Dec
    • ふたなりとトランスジェンダー

      "魂"のことを説明するのは難しいが、とりあえず、理解しやすいように、この三次元(~五次元)、物質世界(思考と想念の世界)に存在し、表現される私たち(一パーソナリティ)の原型、元データとしておく。この"魂"には性別はない。男でもなければ女でもなく、そのどちらの性別であるともいえる。性別とは、あくまで物質世界において与えられた肉体の特質であり、現実社会を生きる上で、肉体的特質による役割分担が必要という理由で、便宜上、二つの性に別れたに過ぎない。それは、子供を宿し体内にて成長させ、産み育み保護するに適した性と、獲物を捕り住処を作り外界の敵と戦い、家族を守るに適した性。哺乳類において、この二つの目的を両立させる肉体は難しい。(魚や一部の鳥類、植物は雌雄同体の種も多く単為生殖も可能だが)この二つの性がともに協力しあって、互いの性特有の欠点を補完し合うため、助け合って生きるという友好的かつ協力関係を維持するために、物質的存在(個体)としての肉体から、次の生命を生み出すための行為が快楽を伴って存在するとも言える。(こういう固い言い方をすると身も蓋もないけれど)胎児は「人間」の形骸を要するまでに様々な変態をするが、その過程において、染色体の配列に従い、メスのままでいるものと、メスからオス化するものとに分かれる。つまり最初はすべて「メス」であって、「オス」は変態によって「オス化」した性なのである。そして稀にその変態の過程で「オス化」に失敗するものがある。染色体の配列に異常(キメラ)があって、そうなるものもあるし、宿り主である母親の精神的ストレスによって、「オス化」が上手く行かないこともある。この「オス化」の段階が何処で止まってしまったのか…それによって「メス」であり「オス」でもあるものになったり、性同一障害など心と身体の性の不一致に悩む者が生まれる。男性のほうが女性に比べて精神が脆く、ストレスに弱いのは、変態時に「オス化」によるダメージによるものらしく、生物学的な理由によるものとのことだが真偽は定かではない。(確かに心が女性なニューハーフのほうがゲイの人より、精神的に逞しい←限りなく女性寄り、なのは納得がいく)男性脳、女性脳といった、脳の使い方の特質も、肉体の違いも、外界の危険や敵を見分けて、食べ物を確保し、社会において有利に生き抜く方法を模索するのが男性の担当で、その男性の子を産むことで自分の安全と食料を確保するなど、優秀な子孫を残し、周囲からの庇護を得るために、コミュニティを形成していくのが女性の担当という、性別による役割分担があるが故のもの。さてとりあえず、それは置いておいて、ではなぜ、両方の性を持つ者や、肉体の性と心の性が一致していない人が生まれるのか、という話。不幸な事故的巡り合わせでそうなってしまうのか、何かの功罪なのかカルマ的な罰なのか…   ★ ★ ★ ★ ★  ★ ★ ★ ★ ★その前に、人は女性にも男性にもどちらにも輪廻転生をする。たまたま男性ばかりの人生を生きている人もいるし、女性としての人生の方を数多く生きている人もいる。女性になるか男性になるか、それを決めるのは当人の意志やカルマの導きであり、それはその人が学ぶべきレッスンだったり、果たすべきその人生でのお役目が、どちらの性であるほうが都合がいいかって、それだけだ。正しくは、その性に生まれる、というより、器として、その性の肉体を選んでいるというだけ。だから、その「家の子」になりたい、というところでは選ぶことは出来ず、その「家の子」として生きることになる人生が、その人の今生の目的やカルマのレッスンに沿っているか。性別もその要素のひとつ。(とはいうものの、どの「家」「両親」というのはかなりランダム)ジェンダーによる差別や優遇、社会的境遇の差がある限り、人は男性としての人生も女性としての人生も、どちらも等しく経験しなくてはいけない。だから男性はずっと男性ということはないし、女性もずっと女性の人生を生きるということはない。ある一定の霊的成長を遂げたならば、その者が「神聖なる計画」の一員として、どちらの性であったほうが、人類同胞に対する奉仕をするのに、都合がよいかどうか、判断して生まれてくるであろうが、輪廻転生の輪の中にいるものは、自分では決められない。では、男でも女でもない第三の性にあるものは?肉体の性に心の性が順応できないものは?そこにはカルマのレッスンが存在している。男でもない女ではないもの、男であり女でもあるもの、その第三の性を受け入れるということが。どちらでもなく、どちらでもあるという事実を受け入れ、その肉体の性に縛られずに、ただ一人の人間として、性によって限定されず、しかしどちらの良さも持ち合わせる、性のない、ただ肉体を持って存在する人格として、それが本来の人間の究極に目指すべき目標であるという、進化の先を行くアイコンとして生きるべきカルマが。さて、肉体が男であるのに心が女性であるもの、肉体が女であるのに心が男性であるもの…の場合、一言で言えば、その不一致のあるままに生きる必要性があったりする。何故ならば、その不一致によって経験することすべてが、その人にとってカルマのレッスンを学ぶ道だから。女の心を持ちながら肉体は男でないと出来ないこともある。男の心を持ちながら肉体は女でないと出来ないこともある。そのための性の不一致だから。だから、手術によって性別を変えてしまうことはよくないこと。事故や病気によっての性器損傷は致し方ないが、意図的に持って生まれた性別を変えてしまうのは×。気持ちは分かるけど。それは自分に対しての罪になる。カルマのレッスンからの逃避で、その性のままで生きるべき人生、成すべきことを放棄していることだから。整形手術も多少はやむなしだけど、根本は同じで、必要のない整形や過度なものはNG。性別にこだわることは、執着以外のナニモノでもないんです。その性別で生きる人生にこだわっている限りは、それは本能のまま、欲望のまま、物質的価値に縛られて生きていることなので。肉体は男でも心は女なら、女の心を持った男として生きる必要があり、女の心を持つ男にしか出来ないことをして生きるべきなの。性別が男であることを利用して。その逆もまたそう。肉体は女でも心が男なら、男の心を持った女として、男の心を持つ女にしか出来ないことをして、自己表現をしていくべきなんですね。その人たちがそのような状態に生まれたのには、ちゃんとした理由があるので。自分の肉体の性を、ちゃんと受け入れて、身体を愛する必要があるんです。その性である自分の肉体に違和感を覚えたとしても、その性として生まれた自分を受け入れて、その性を生きる必要性が・・・。でもって、パートナーが異性同士でなければいけないということはない。同性を愛することは罪じゃない。誰に罰せられることではない。愛し合うことに性別は関係ない。だって、今の人生で女であったとしても、過去の人生では男性で女性と結婚していたり、今男性でも女性だった、ってのは当たり前なんだから。過去生でのパートナーが今生で再会したならば、同性に生まれてたとか、親兄弟姉妹や子だったとか、その逆で同性の親友だった人に再会したらば、異性として現れたとか、そういうのもよくあること。子孫を残すという生物学的な種の保存の目的を考えたとき、異性間の性愛、パートナーとの恋愛関係のほうが望ましいだけ。でも心から深く愛せる人が同性だったならば、それ以外の人で愛せる人がいなかったのなら、また相手も同じ気持ちで自分のことを求めてくれるのであれば、ええじゃないか。と、私は個人的にそう思う。だって星の数ほどもいる人間の中で、愛し、愛される関係の人と巡り合えるのってなかなかないよ。それがたまたま同じ性別だっただけ。でも、まあ、自分と同じ性別しか愛せないというのは、ちょっと違う問題でもあったりする。その人の中身を愛しているのではなく、その性たる「器」しか愛せないっていう問題だから。ここにはその人が克服したり、向き合わないといけない問題の胤が隠れてる。ようするに、相手の心や精神を愛しているわけではなく、なおかつ自分と同じ性を持った人以外、違う性の人間に対する拒否感があるってことだから。ナルキッソス的で排他的な自己愛が隠れていたりしてね。受け入れられない一方の性に対する愛の欠如があるわけで。健康的とは言えないんだな、これが。女性の身体が嫌い。男性の身体が嫌い。愛情を与える対象にどうしても思えない。ここは多分、あと何回か輪廻転生を繰り返すうちに、自分が受け入れることの出来ない性を持つ、人間(存在)に対しての偏見と拒絶反応、愛の問題etc..カルマのレッスンとして、必然的に向かわせられることになる。そう。次の人生でゲイの人は女性の肉体を持ち、レズビアンの人は、男性の肉体を持つなどしてね。自分が否定し、嫌悪感を抱き、受け入れられない性を、愛すべき肉体として、所有して生きる人生を与えられるかも。うん。性愛は否定されるべきものではないけど、人の愛は性愛だけでなく・・・・・・だから。とはいうものの、SEXは欲望を満たすためだけものではなく、具体的な愛情の表現のひとつでお互いの肉体を慈しむ行為。動物の毛づくろいにみられるような、相手への愛情を示し、伝えるボディランゲージでもある。相手を悦ばせ、自らの悦びを分かち合うためのもの。異性同士でなくてはいけないということはなく、同性同士だからと言って、してはいけないということはない。霊的には何ら問題はない。そこに禁忌など何処にもない。ただ、相手の同意のない、一方的で無理やりな行為は、相手を踏みにじる行為であり罪以外のナニモノでもなく。欲望を満たす対象としてのみ相手を見ることと、快楽という名の肉欲に溺れることが問題なのだ。   ★ ★ ★ ★ ★  ★ ★ ★ ★ ★冒頭のほうに書いたように、魚や昆虫、鳥類などは雌雄同体だったり、単為生殖をするものが多かったりする。オスが少なくなったから、オスたくさん創るぞ、もあるし、メスの割合が減ったから、私オスになります…みたいなのも。そして人間の場合、戦争や自然災害、特にジェノサイドや空襲下など、死の恐怖と隣り合い、生存を脅かされる状況になると、己が子孫を残そうという行動に出やすいのだそうだ。腹立たしいことに戦場下における集団レイプもそうで、地震など被災地の緊急時でもそのような被害は増える。戦場では、単にそれだけでなく、敵国の女性を集団レイプし、老人や子供を惨殺するのは、ここは既に自分たちの縄張りで支配下にあるという、マーキング的に力を誇示する行為らしいけど、これは動物界にはよくあることで、ライオンやサルなどが行っていることと同じだ。つまりはこういう行為に及ぶ人間は、理性も知性もない、本能に忠実な動物と同等なんだな。また、妊娠している女性が、戦争や災害による死と隣り合わせの恐怖を味わうと、胎児はストレスを受け、ナーバスな精神状態となる。そして、何故か生まれてくる子のほとんどは、異性を愛することが出来ないという、第三の性で生まれてくるケースが多くなる。そして、戦後は女性の出生率のほうが高くなるそうだ。何故なんだろうね?男、だと戦争に行かなければならないから?純粋な「オス」は攻撃的な本能が強く、戦争を好むから、肉体は男で男性の仕事が出来ても、心が女よりで、戦争という破壊行為を好まないタイプの性を、母体としてのメスが強く望むからだろうか…。男を作り、育てるのは女だと人の言う。原初、男性は皆受精したその時、女性であった。社会を構成する必要性に応じて、メスが自分たちを守るためのナイト役として、力仕事をさせるために特化した性としてのオスを作った、自らの体内で「オス化」と言う変態を起して。旧約聖書ではアダムの肋骨からイブは作られたというけれど。しかし、オスとメスの比率を決めているのは、メスなのである。オスがオスになれるかどうかは、オス化が成功するか否かは、メスが妊娠時に受けるストレスにも左右されるのであるから。女王蟻や女王蜂が、自らに奉仕させ、使役させるために、奴隷として、労働者としての働き蜂や蟻、兵隊蟻などを産みだすように。ある意味で、女性でもなく男性でもなく、そのどちらでもあるもの、女性であり男性の心を持つもの、男性であり女性の心を持つもの、性別を超えたところで愛し合うことの出来るものが増えていることは、それだけ人々が争いのない社会、世の中を望んだ結果かも知れない。女性であることで屈辱的な立場に甘んじることを強要されることや、男性であるがゆえに死地に赴かされ、重責を負わされることなど、それぞれに与えられた理不尽な状況を改善し、無くすための、何か意図的な力、大きな意志の働きかけ故なのかも知れない。極端に、男性的な力が優位になりすぎたことで、社会が負うことになった、バランスの悪い側面を正すために、必然的にそうなっているのかもなあ・・・と思ったりします。この争いの多い、破壊的な、いつまでたっても、愛の足りない時代と世の中を鑑みるに。

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  • 26Dec
    • 自立のための利用は依存にあらず

      最近、「日本の神託カード」というのを買いました。「神様カード」ではなく、「神託カード」のほう。タロットカードは仕事道具でもあるので、コレクションしていたこともありますし、今も複数のデッキを所有しています。確かに以前にも、この手のメッセージカードを所有していたことはありますが、実用的でないと思い、手放したことがあります。でも、今回たまたまよく行くショップに置いてあり、このような、御御籤的に引く、ポジティブッメッセージも、時に人には必要かも知れないと思ったりして、ひとつくらい手元にあってもいいかなと考えたのでした。そうですね、友人が集まったときに余興になるし、クライアントさんやGレッスンの参加者とか、ワークショップとかそういう時になんか、楽しいかなって。日本に住んでいるし、身近な日本の八百万の神様なので、日々の暮らしを見直したり、瞑想したときに内省や振り返りのヒントを得るのにもいいかなーと。書いてあることが現実の自分の身に「起こる」ことだと、そう信じ込むような未来予知的な使い方ではなくて、一日一枚引いてみて、そこに書いてあるメッセージやアドバイスを元に、ちょっと自分の日常や行い、考えを振り返ってみる。書いてある事柄について、瞑想して、考えてみる。私の場合、そういった使い方をしています。書いてあることが、真実であるか否か、自分の身にこれから起きる「吉兆」であるか否か、たぶん書かれている「いいこと」を拾い集めてたくて、書かれている「いいこと」が自分の現実に現れる・・・と、そう期待してしまうと、人は自分が現実化したいことが書かれているカードなど、望む答えが得られるまで何枚も引いてしまうのでしょう。そんな風に予言めいた占いを期待してしまうと、依存になりやすいのかも知れません。引いたカードに「いいこと」が書かれていたら、それで気分を良くして、その「良い気持ち」で明るく日常を過ごせれば、たぶん運気もよくなるけど、何か突然の棚ぼたがやってくる「吉兆」と信じて、訪れる幸福に過剰な期待を抱くのがよくないのかなー。それだと他力本願で。だから、まあ こういうのは、モノは使いようというか、付き合い方ひとつだなあ、と思います。上手く付き合って、楽しく活用すればいいだけのこと。書いてある内容に振り回されて消耗するか、書いてあることについて考えて、我が身を振り返る時間にするか、どう利用するか、だけなのだと思います。所詮、使うのは人であり、起きている出来事に意味付けをするのは、いつだってその人の心の在り方次第なのですから。===============================================心理学にしても、占いにしても、民間のボディヒーリングやワークにしても、エネルギーヒーリングや、スピリチュアルなワークやセッションにしてもそうです。(学ぶことも含めて)他力本願で、相手に頼って依存してしまうのと、自分主体で利用するのとでは結果も異なります。占い師やチャネラー、セラピスト、施療家が自分の問題を解決してくれる・・・この人にお願いすれば、奇跡が起きるとばかりに、相手の能力にすがりついてしまうことから、誤解や間違いが起こりやすいのだと思います。「レイキのアチューンメントを受けたけど、それで別に人生がよくなったわけではない」とか、「○○さんに観てもらったけど、言われたアドバイスは今の私には難しいし、無理。結局、お金と時間の無駄だった」みたいな。でも、どんなスピリチュアルなセッションも、クライアントさんが積極的に参加してくれないことには、何も始まらないんですよね。セッションというくらいですから、クライアントさんとの二人三脚なので。主役は、あくまでクライアントさんであって、セラピーを提供するほうはナビゲーターであり脇役。状況を説明する解説者にしかすぎません。ヒーリングにおいて、ヒーリングが成功するか否かというのは、ヒーラーの能力というより、クライアントさん側の問題が90%だと言われています。セラピーとかもそうですね。確かに心理療法やカウンセリングなんかでは、話の誘導や質問の仕方、話を上手に聞けるか、そうしたことも大きいんですけども。でも、クライアントさんが自分の問題を丸投げで、ただここに来れば何とかしてくれる・・・といった他力本願的なスタンスでは、どんな名人でも、その人の力になってあげられません。クライアントさんの方で、その方法、その相手のやり方が有益であると判断した上で、自分が抱えている問題を解決するために、その人の提供しているサービスを「使う」のだという意識で、あくまで利用する側がきちんと自らの問題意識を持ち、サービス提供者に歩み寄り、積極的な姿勢て取り組まないと。そうじゃないとセッションの結果は出せないし、その試みは成功しません。こちらから何か言わなくても相手が自分に必要なことは全部言ってくれるだろう・・・と座っているだけだったり、してもらえることを受け身にされるがままになっているだけで、それだけで現実が変わることを期待するだけだったり、このセッションを受ければ、すべての問題が解決するかも、この人なら、自分の人生に奇跡の癒しをもたらしてくれるかも・・・と、結果だけを望んで、奇跡や魔法の一振りやクスリを期待しても、自分の人生に一発で利く、特効薬のような方法はないのです。占いやスピリチュアルなワークやセラピーだけが、世の現れた人生の問題、目には見えない問題を解決し、その人を変え、見方を変え、生き方を変えるための、すべての方法であり、唯一無二の、たった一つの道というのではないように。逆を言えば、これらは付き合い方、どのように使うかといった利用の方法次第で、自分を変え、視点を変え、人生を・・・そして運命(未来)を、変えることの出来る道具であり方法となりうるのです。自分が何を解決したいのか、どうしたいのか、何をどうなりたいのか、ちゃんとそこが分かっていて、そのためのアプローチの方法として、どのやり方を選んで、そのやり方でどの範囲のこと、どこまでのことを自分にしてあげようと思うか、そのための自己投資(予算)をどうとらえるか、各自の価値観で判断すればいいと思うのです。自分の人生を変えるために、人生上の問題を解決するために、トラブルを引き寄せたり、人生を邪魔するものを問題を引き起こす性格的な問題に取り組むために、心理学や啓発セミナーにしたって、スピリチュアルなことにせよ、そうした場や方法を利用することを有益と思うか否か、スピリチュアルなサービスに対して今お金を使うことが、自分のこれからの人生にとって価値のあることと思うか否か、自分でそれが信じられるかどうか。もちろん、胡散臭い詐欺まがいなものもありますから、情報収集も下調べも大切だと思います。相手を信頼できるか、相性も図るべきですし。誰かにとって、名医だったり、素晴らしい人だと知り合いが推薦してくれたとしても、自分にとってどうか、で判断するべきですから。提供するサービス側の技量というよりは、やはりクライアントさんのスタンスや心持ち、意志の在り方が、そのセッションを成功させるか否か、90割方決めているっていうのは、責任逃れと言われても、実際のところ、そうなのは否めなかったりします。自分で何かを見つけよう、相手から答えをもらおう、そういう気づこうとする・・・何かヒントを見つけよう、もらって帰ろうっていう、貪欲な積極性がないと、たいていクライアントさんは消化不良で返ることになるから。(言ってもらいたい言葉を相手から聞き出すというのでなく)だから、払ったお金が無駄になるか、後でその人の人生に豊かさとして戻ってくるか否か、それもまた、受けたクライアントさんが決めることになりますね。もちろん、どんなセラピーもセッションも、ヒーリングも何もかも、万能なものはありません。だからこそ、自分の人生に責任を持ち、自分の人生に積極的に参加していく姿勢が大事なのです。その態度が結果を作ることになり、受けたセッションが実になるかどうかを決めるのです。というわけで、自分がスピリチュアルなワークやセッションに頼ろうと思った時、それが依存なのか自分の弱さなのかどうか迷いを感じたなら、自分は自分が抱えるこの問題(悩み)を解決することに対して、積極的に参加したいと思っているのか、誰かに丸投げして救って欲しいと思っているだけなのか、どうかそのあたりを考えてみて下さい。自分が自立して、心身ともに健康になるために、建設的な人生を生き、自分の人生や力を取り戻すために、その方法の助けを得ようと思っているのであれば、それは依存ではないでしょう。病気になった人、怪我をした人が、健康で自立した生活を営むために、医療やヘルスケアのサービスやサポートを受けるのと、何ら変わりがないのですから。でもそうではなく、その方法、サービスを提供してくれる人が、自分の人生を良いものに換えてくれる、そこに行けば、何かいいことがある、お金を払ってサービスを受ければ、自分の問題の大半が解決するに違いない・・・などと、そんな風に思って受けようというのなら、それは依存であり、中毒のようなものですから、不健康な関わり合い方になり、百害あって一利なしな結果になりやすいので、そのサービスは受けるべきではありません。自立して生きていく力を得るために、自分で自分の問題を解決できるようになるために、自分の問題を一人で解決できる自分になっていくために、そのために意識を持って、利用するかどうかの違いです。

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  • 23Dec
    • 虹の橋の向こう側・・・命の生まれるところ

      畜生(ちくしょう)とは、仏教において、神や人間以外に生まれた生物のことをいう。畜生は、苦しみ多くして楽少なく、性質無智にして、ただ食・淫・眠の情のみが強情で、父母兄弟の区別なく互いに残害する。畜生道に堕ちると言うは、悪業を造り、愚痴不平多くして感謝報謝なき者、動物のような生き方をする者、死後に畜生に生るという事。畜生道(ちくしょうどう)とは六道また十界の1つ。※六道(ろくどう、りくどう)とは、仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の苦しみに満ちた世界のこと。十界のうちでは迷界、三悪道(趣)に分類される。                Wikipedia参照★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★子供の頃に読んでいた漫画「うしろの百太郎」の中に、言葉を話す犬シロというキャラクターがいて、その犬は人間の生まれ変わりという設定だったりするのだけども、実際のところ、人が動物に転生することはありえない。(それでも、私はこの口の悪いシロが好きだったし、ペットが口が聞けて話せたなら便利だなあ、って思ったり)心霊科学では、ダーウィンの進化論も「違います」って、話になるんだけども、それはさておいて。(遺伝子ゲノムが近かろうが何だろうが我々の祖先はサルではなく、人間は最初から人間であり、このカタチだったということ)どうして、人間が動物に、そして動物が人間に、というように生まれ変わることは「無い」のかというと、それは人間とは肉体の仕組みが違うということと、動物には「霊」も無いし、「魂」も無いからって話になります。(昆虫、鳥類、爬虫類も。そして哺乳類であっても)肉体の仕組みの違いを言うなら、人間は、目に視える肉体が一つと目に見えない肉体が二つ。けれども動物は目に視える肉体のみ。人間は原型としての魂があるから、転生をする。でも、動物は転生はしないんです。人間の魂を今風?に分かり易くいうと、魂はそれまでの作業の経緯含めて、すべての過去履歴、今後の計画、データが入ってる、メインサーバでホストコンピュータみたいなもの。一つの人生を一台のPCだとすると、そのPCが昇天する度、そのPCで作業した全データがホストコンピュータに移行する。エラーもバグも、何回ウィルスに感染したとか故障したとか、インストしたアプリやアップデートの回数や使用履歴も一緒に。そしてそれまでのデータを元に新しいPCの環境作りをする。それが転生する際の肉体とキャラ作りみたいなもの。そのPCを使用して作業するのが新しい人生みたいな。(この場合、PC廃棄は死亡になるかと)これは人間一人につき、メイン一台。(転生の終わりはさておいて)動物の場合は、その動物の種類別にメインサーバが一台。共有で使っているって感じかな。一匹の猫が死んだとき、猫専用メインサーバにそのデータは回収されるって感じ。犬は犬専用、馬は馬専用に。あくまで比喩の言い方ですけどね。動物は魂はないけど、宿っているもの、はあります。(ぶっちゃけエレメンタルなんですけど)まあ、生命エネルギーとして考えても問題ないかと。この辺り説明するとめんどくさいので。この動物の「命」は学習しますし、記憶もします。その人生での体験や恐怖など。人間への警戒心や感情も。人にされたこと、もちろんメモリーとしてインプットします。だから動物は進化するし、個性も生まれる。ペットだったり、人間との接点が多い動物は、身近な人間が創り出すエレメンタルを吸収して、それを己が特徴や性格として表現するようになります。(憑依体質ってわけではなくっっ笑)だから、飼い主に似てくるのは当然なんですね。攻撃的な人といると攻撃的な性質を帯びてくるし、穏やかでのんびりした人に育てられるとそうなるし。どんな人間に育てられるか・・・これによって感化される性質が決まるんですね。つまりペットってのは、一番身近にいる人間が創り出す想念を表現する媒体ともなる。そして、その犬だったり馬たったり猫だったり・・・は、やがて死ぬとひとつの命の源たる塊の中に戻ることになる。原始の海に還るがごとく…。その人生での体験、記憶したことすべてを携えて。それは大きな水瓶の中に水が戻されるようなもの。組みだされた水の量より、生きた人生分増えた量が加算されて再び水瓶の中に。そして新たな命が生まれる時、水瓶から水が汲みだされることになる。けれど、必ずしもそれは、以前ひとつの形骸を持っていたものとは一致することはない。水は混ざるものだから。だから、動物に関しては悲しいけれど、同じ「命」は転生してこない。過去、人生を一緒に過ごした、あの可愛い子の一部が混ざっている奇跡に出会えたとしても。同じ子には出会えない。とても残念で寂しいことだけど。犬も、猫も、馬も、牛も、鳥も、うさぎも、生まれながらにして個別の性格があるのはそういうこと。転生と言えばそうだけど、転生とはかなり違う。別の犬や猫が、どこかで生きていたときの記憶、何処かの誰か(人間)から模倣してコピーしたデータがあるから。それは虐待の記憶かも知れないし、愛に満ちた幸せな記憶かも知れない。捨てられた哀しみや人間に対する絶望や恨みかも知れないし、可愛がられて、抱きしめられた、懐かしい甘い想い出かも知れない。 "犬には犬の哀しみがあり、 猫には猫の喜びがある…"いずれにしても、いつかこの子とまた会いたい、生まれ変わって、またうちの子になりにおいでね、と思っても、それは叶わない夢。動物に関してだけは、その子がその子として生きるのは一度きりの人生になるから。また、その種類の一匹にすることは、すべてのその種の動物にすることとなる。その動物にとって、共通の記憶にもなるので…。つまり、一人の人間が一匹の動物に対してしたことは、その種のすべての動物の恨みをかうってことでもある。その人が生まれ変わって姿形が変わったとしても。それに関しては、その人がそのような行動をしたという行為のデータ(エレメンタル)をその人自身が所持している、というのもあるんだけれども。動物側にも、「この人はかつて同胞に酷いことをした」というデータがインプットされているのです。だから、やたらと動物から攻撃されたり、嫌われたり、極端な目に遭ってしまう人というのは、その人自身の身体から匂い立つ悪しき波動とか、そうしたものだけに反応しているのではなくて、過去の行いに対して復讐されているのかも知れませんね。★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★そんなわけで動物は人間と違うので、いわゆる成仏がとても速いです。死んだらサクッとサヨウナラという感じで。しばらく飼い主の周囲をエレメンタルとして徘徊してるのもいますが。人間みたいに自分が死んだ現場を離れられないとか、自分の死を受け入れられないでいるとか、そんなことはありません。何年も飼い主の傍にいるようなのは、ほぼ100%といっていいんですけど、その飼い主が創ったエレメンタル(生前に創ったコピー)ですね。(あ゛ーただし、あまりにも悲惨で非業の死とも言える状況下では、キレイに上がれず、人霊の地縛霊と同じ状態に陥っているそうした動物たちもいます。飢餓状態で死んだとか人によって残虐に殺戮された場合とか。こういう状況下で結果的に人間に祟ってしまうなど、「悪さ」をしてしまう子たちは、一般に言う「動物霊」というのとはまた別種ですケド)飼い主が死ぬと一緒に回収(人間の方に)されるものだけど、たまーに、はぐれちゃって迷子になって、犬好きな人や犬を飼っている人に、くっついていたりすることがあったりします。あと前に街中で見たケースでは、電車の中ですけど、盲導犬に心配そうに寄り添っている犬の霊(霊ではないけどっっ)を見た事があります。これもまた、誰かが創った、ペットのコピーとしてのエレメンタルでしたけど。犬ってやっぱ優しいんだなって思いました。人間と違って「心の身体」も「思考の身体」もないけど、だからこそ、人と違って混じりけが無いというか、計算なくて、純粋でまっすぐなんだなって、ホント。あ゛・・・そういえば昔、実家が肉屋(解体とか含む)だって言う人の、家に遊びに行った時、牛とか豚とかの霊(正確には違うが)がたくさんいて、苦しくなって、「ごめーん、用事できた」とすぐに飛んで帰ってしまったことがあります。彼らってボリューミー(体重が)なんで・・・。さて、ならばどうして動物という存在がいるのかっていうと、私たち人間がため、だったりするんですよね。こういうと人類至上主義みたいな言い方になってしまうので、ちょっとイヤなんですが、そういう意味ではなくて。地球という天体、私たち人類が生きていくための母なる大地、その環境維持のためには、微生物や昆虫や各種の動物、植物、魚類の存在(生態系)が不可欠で。動物たちを滅びの道に追い込むことは、自滅の道であり、環境破壊以外のナニモノでもありません。我々人類が存続していくためには地球環境を守る必要があり、そのためには、動物たちの世界もそのままに、維持して守っていく必要があるのです。彼らはこの地球を住みよい天体にしてくれている功労者で、環境を生みだし作り出している自然システムそのものなので。(だから彼らが生息している地域から彼らを引き離すのは悪です。命を必要以上に奪うことや彼らの生息地を荒らすことも含めて。)またそれだけでなく、動物の生きる姿から、様々なことを学ぶためでもあります。あと、私たちのために「命」を「糧」として提供してくれているところもありますが…でも、いつかは彼らから「命」を頂くことも、卒業することが目標ではあります。して、「動物」に対してどう接するか…ってのは、その人が同胞たる「人間」に対して、どう想い、どう考えているか、人を人としてどう扱かっていうバロメーターなんだそうで。まぁ、だから、動物虐待は殺人の予兆だっていうのは真理なのか。子供は虫やカエルなんかを殺すことで残虐性を発揮して、やがて命の大切さを知って、しなくなるというけど。動物しか愛せない人、昆虫としか向き合えない人、植物しか関心がないってのもかなり問題があるとは思いますが。やっぱ動物嫌いより好きな人のほうがキャパあるかもな。動物に対してどう接する人なのか…動物の命をどのように考えている人なのかって言うのは、その人の「人間」に対する本当の想いを知ることの出来る、ひとつの目安になるでしょうね。動物や植物をどう扱っているか、って点がね。とはいうものの、私は植物は好きだけど枯らしまくりの炎の手の持ち主だし、犬も猫も鳥も金魚も飼ってたことはあるけれど…よその犬には4回噛まれてますのよ、ワハハハ。(そして蛙とクマとネズミは嫌いだ~!)動物園も大嫌いで、反対の立場であります。野生動物を保護する施設は必要だけど、その土地に生息しない動物を人間の娯楽のために、別の土地に連れてきて見世物にするのは良くない。人間のエゴイズム以外のナニモノでもなく・・・。一般の人が動物の生態を学ぶなら、書物や映像だけで十分です。野生に戻れなくなった動物を保護飼育する施設が、維持管理費稼ぎのために見物料を取るのはいいかなって、そう思いますがね。てなわけでして、人間が動物に転生することはありません。動物に人間が、人間に動物が「憑依」することはあったとしても。↑(あるんだな、これが)

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      テーマ:
  • 18Dec
    • コメントへの返信 ※追記アリ

      すみません。トップにお断り書きを入れているのですが(PCの人しか見れないのかな?)、ここアメブロのCSSが未だよく分からず(時々ソース表示が変わってしまうしっっ汗)、コメント欄へのレスの文字色が淡い色で文字が埋まってしまっているんですけれど、変更箇所がわからず・・・てなわけでレスで返すと読めないらしいので、こちらから失礼します。贖罪と受容~赦すこと赦されること①サイコパスの心理 byエア12月16日 20:38犯罪心理や殺人事件は、かつて私も少し興味を持った事がありました。そこから犯人の生い立ちや動機、心の闇が気になった事がありました。ところで、スピリチュアルな観点から見て、サイコパスは何故現れるのでしょうか?彼らも発達障害の様に、何らかのカルマを持っているのでしょうか?=====================================================サイコパスの人は「カルマ」によって、そのような行いをするのではなく、彼らはそれが彼らがこの物質社会に存在する役割分担で意義なのだ、で要約することができます。人間の5種のイデア(アーキタイプ)のうち、人口の一割程度(1/5ではなく)を占める彼らは、「悪」を体現し、人に善を問う存在でもあり、闇がなければ光を知ることができないがために善悪を教える存在といったところ。このあたりに関しては下手に説明すると誤解を生む源になってしまうので、正直スピリチュアリズムではタブーの領域でもあり、公の場に書くことは多くの人が自重しています。きちんとした段階を踏んで、基礎的な知識を身に着けた人のみに開示される教義なので、これでも多くをしゃべりすぎだ、ということでご理解下さい。彼らはルシファーのイデアを持っている、というところまでで。12/28追記こちらにいただいたコメントへのレスです回答ありがとうございました。byエア12月27日 20:57わざわざタブー視されている質問に回答してくださり、ありがとうございました。サイコパスの存在は、カルマとは違い、宇宙からすれば、あくまで必要悪であり、漫画やアニメでいうと、悪役がいないと、正義の味方は必要ない!物語はいらない!というのと、同じ理屈なのですね。ああいう人達は、たとえ罪を犯しても(現世での報いは受けるでしょうが)、カルマは発生しないのですね。それでも、被害を受けた側からすれば、溜まったものではありませんが。=====================================================コメントどうもです。彼らにとってももちろんカルマにはなります。彼らもまた輪廻転生をして、解脱してその学びの終わりを迎えるまで、人として生きなければいけない存在ですので。なので、悪の子として生まれた彼らを、「善」に染め、人としての心を育み、「愛」を教えるのがそれ以外の人の役割でもあるのです。「悪」を「悪」として知り、「悪」によって、「善」を学び、人の道を人としてどう生きるべきなのか人はどうあるへきか迷い誘惑にさらされながらも、やはり「悪」はいけないことであり、すべての生あるものたちよ善きものであれ、と…「悪」をも超越した「愛」があることを理解してこの世に表現して物質社会を創り上げていくのが、すべての人類に与えられた義務で権利でもあるといえましょう。そして本質が「悪」がである彼らも、やがて自らの罪深さ、「善」や「愛」のない己の本質や歴史に苦しみ、おののき、自らの業の深さの前に打ちのめされ、葛藤する日がいつか来ます。差はありますけれども。

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      テーマ:
  • 09Dec
    • 近況報告とやる気の行方

      ブログの主旨とは関係ない、どうでもいい呟きとお知らせです。結局Facebookページ作ったものの、あんまし更新していません。ごめんなさい。うーん、あんまし必要なかったかなあ?(汗)アナログな友人とか普通の友人たちから、「アナタが何をやっている人なのか、さっぱりわからん」「名刺見ても、横文字だし、スピリチュアルセラピストって何?」「占い師って言われれば分かるけどさー」・・・と言われることが多いもので(だって説明しようがないし)、一枚ペラで「こんなことしてます」と伝えるための紙媒体(ようするにチラシですな)を作りました。まだまだ試作段階です。印刷屋さんに出せばいいんでしょうけど、安く済ませようとして自前のプリンターで家内工業。せっかく、あたり一面が印刷屋と製紙工場の街に住んでるのにね<江戸川橋在住ついでにレイキの案内も作ってみました。サイトもさっぱりしたデザインに変えたつもりですが、さて。セルフヒーリング講座のも作らないと、です。ちゃんと仕事しないとな~ありがたいことに仕事しろ~とお尻叩いてくれる人がいるので、珍しく真面目にやる気出しています。ここ数年冬眠状態だったというか、昨年眼の手術をしたこともあり、仕事に関しては引き籠りに近かったので、来年からはきちんと国民の義務を果たせるように一度挫折した青色申告も頑張りまーす(結局白色のままだったりして)。そして、今のスタイルの仕事とは別に、占い業も復活させようかと。ええ、今みたく完全予約制でサロンに来ていただいて、じっくりゆっくりお話しを聞いて施療するのは私にとってはベストなスタイルなんですけれども、予約なしにふらっと訪れて、ライトなことを相談してもらいにくる場もいいかもって、思いまして、はい。電話は時間で料金カウントするとこはちょっとやりにくいので対面ならって思いましたんです。それでどこか占いのお店に出させてもらおうかと、何件か探しているんですけど。私のスタイルやカラーに合うところ、何よりもオーナーさんやお店との考え方が合わないとなってのはあります。お客さん目線で考えてて、占い師のことも守ってくれて、ビジネスライクは当たり前ですが、雇われて働くってことは自分が頑張ることで会社(店やオーナー)に儲けがいくということですから、豊かになってもらいたい、繁栄してほしいなって、そういうお店や主の下で働きたいわけです。てか、こんなブランクだらけのオバサンでも雇ってくれるところ、と謙虚に考えないとですね。でもそうですねー いちおう昔大手企業での正社員経験もあって、この仕事をしながら会社員(派遣社員)として内外の企業に多数勤務してきた側からすると、占い師が歩合制の委託(単なるブース貸)だってのはわかるとして、募集要項や雇用(勤務)条件が曖昧できちんとした説明がないところが多すぎるな、と。そこって一番大切なとこなんですけれどもね。色々突っ込みどころはありますが、それが業界の慣例ってものなんでしょうか。何しろ占い館でお仕事していたのは20年以上前だし、レギュラーで出ていたとこは給与制だったし、スカウトと紹介で働いていたから求人応募の経験って皆無でっっっ汗はい。くじけず、もうちょっと相性の良いお店がどこかないか探してみます。見つからなかったら、きっと道ではないんでしょうね。

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      テーマ:
∞Reincarnation~輪廻転生∞
星の数ほども、砂漠にある砂の粒ほども存在する人間の、一人ひとりに命があり、魂があり、人生がある。決して語り継がれることのない忘れ去られた物語。歴史に名を刻まれることはなくとも、魂に歴史は刻まれて、記憶の片鱗は確実に次の人生に影響を及ぼし、継承されていく。そんな風な、名も無き人々の忘れ去られた過去のドラマ…生と死と癒しの物語、そしてそこから知り得たことや得られる学びや教訓、そしてその周辺の予備知識としての霊的知識(スピリチュアリズムや霊的真理)の話など。






プロフィール

やまと真秀(YamatoMaho)

性別:
女性
お住まいの地域:
東京都
自己紹介:
大都会、東京の片隅に生息する50代BBA魔女 ・スピリチュアルセラピストとして非科学的な視点から、...

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