魂のカルテ~Spiritual Case File
こちらはアーカイブとしての別館ブログで
本館「Light of Wisdom~スピリチュアルセラピーの現場から」より
主に過去生関連の記事のみ抜粋して、こちらアーカイブ(別館)としてまとめています。

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  • 28May
    • 潜在意識へのアプローチとエレメンタルの書き換え①

      自分が被験者の立場で色々と試みてみることは何にしてもとても貴重な体験であり有用な実験的データでもあり知識と実体験が融合するということはクライアントに対してナビゲーターである第三者がそれを試す対象者としての被験者すなわちクライアントの置かれた立場を理解した上で自らの体験と結果から得た効果的な手法を現場において用いることが出来るということです…ちょっと回りくどい言い方ですね話代わって私事ですし今更ですがつくづく自分はこの仕事をするための人生を選んで生まれてきたのだと思いますある意味では過去の人生で疑問に思ったこと(人生への問い)をその立場になることで自らの体験を通して知るという人生でもあるわけですが今の人生を通して経験したことはすべて今の仕事のためには必要だったのだと本当に改めて最近ちょっと遅まきながら潜在意識に対してアプローチする方法やセルフイメージを高めるレッスンをあるプログラムを受けることでトレーニングしていたりしましたそれ以外にも自分への洗脳(よい意味での)も継続中実質的には去年の夏くらいから少しずつ段階的にトライしていました刷り込みというのは本当に怖いものですこのblogでは匂わせ程度であまり詳しいところまで書いてはいなかったように思うのですが少し触れておきます生家に問題があって機能不全家族に育ち父親がシスコンでマザコンの実家大好き人間経済DV野郎で俺様気質ってことは書きましたっけねそういう劣悪な状況での夫婦生活でしたから母親は心を病んでしまったわけです姉が生まれて兄が死んだあと母は自殺未遂を図ったりとうとう離婚を決意して家出したのですが私を妊娠しているのが分かって結局もと鞘に中卒で学も資格も技術もない子供抱えた田舎者が一人で生きていけるほど昭和の時代は甘くなかった(精神的に参っていたので 中絶できない時期まで気付けなかったそうです)とはいうもののもと鞘に戻ったからといって何かが変わるわけではありません相変わらずの日常てなわけで母は私のことを愛せなかったのですせっかく離婚しようと決意したのに私がお腹にいたから離婚できなくなっちゃったからそんなこんなで物心ついてから私は母から虐待を受けることになりました母にとって私は諸悪の権化だったのですね殴る蹴るご飯抜き水風呂攻め熱湯攻めそして言葉の暴力と家畜扱い姉も母に便乗して妹の私を下僕にするし父は見てみぬふり幼稚園児の年長さんくらいから家事はあらかたさせられてましたよ詳しく書いてたらキリがないのでアレですが着ているものは下着までもお下がりで高校生になりアルバイトして自分で買えるまで冬のコートとか無かったし持ち物はぜんぶ姉の使い古し愛犬は親に殺されちゃいましたし持ち物捨てられる燃やされるも日常茶飯事で色々あったベリーハードな幼少期家を出るまでの約20年間褒められたり肯定されたことはもちないわけでとにかく自分を否定される言葉しか聞いたことはないです「生まれてきてすみません」て言葉が考えるよりも先にすぐに出てきて「死」に恋焦がれるほどには劣等感と厭世観と憎しみと怒りの刷り込みの日々家を出てからも呪いの言葉からの呪縛はなかなか解けなかったですフラッシュバックに苦しめられる日々ででも私の人格形成に影を落としていた部分というか心と性格の歪みの原因なんで何とかしないとってずっとあがいていたんですね真面目に取り組んだのは30代過ぎてから20年はかかりましたそれでまあ だいぶ抜けたかなー怒りも解放できたかなーでもまだあるなー 出てくるなーと時間かけて対処してきましたか(否応なく向きあわされてきた)それでもまだ完全ではないなあ…とうすうす気づいているというか何処かでは解っていたのでしょうで今回ちょっと私の人生にとって一番の障害とも言えるとある問題についてもうちょっと真剣に取り組もうと思ったわけですさんざん自分のスキルで取り組んでみたもののどうにもこうにも解決しなかった部分霊的な知識の考え方からはマイナス思考から出来てしまったエレメンタルの書き換えが必要なのは否が応でも頭では理解できているんですけれどもどうにも上手くいかない創れないそんな時にとあるメソッド潜在意識にアプローチするワークをトレーニングとして初めてセルフイメージの問題が大きかったなそれが背景にあったからポジティブエレメンタルの創造とかネガティブエレメンタルのミイラ化が上手くいかなかったんだ!ってところに辿り着けたのですそりゃあそーだよなーって思いました20年間近く毎日 呪いの言葉を刷り込まれて毒を体内に蓄積されてきたわけですからちょっとやそっとじゃ抜けないですこんな強力なエレメンタル一日とか一週間とか一か月やそこいらでどーにかなるわけないわほんの少しの時間のアファメーションで対抗できるエレメンタルなんて作れやしませんそういうことにも改めて気付きましたエレメンタルとは戦ってはいけないけど(勝ち目はないので)これほどに長年に渡って創られて力を蓄えて性格の根源に居座っている強力なエレメンタルに対しては戦いを放棄して無視するだけではダメでしつこいくらいにポジティブな言葉や思考の刷り込みを脳がショートして拒否反応を起こすくらいには根気よくやりまくらないといけないんだなってハイうん これでもかってくらいにしつこく粘り強く集中砲火のごとくひたすら朝から晩まで寝てる間にもそれをし続ける必要があります(人や程度にもよると思いますが)ようするにエレメンタルを創るっていう目線ではなくて潜在意識に変化を起こすという角度からセルフイメージを引き上げて思い癖や考えの癖を矯正していくっていうそういうやり方の方がたやすいわって今回自分を被験者にして体験してみて痛感させられましたでも実際はそれだけではダメなんですけどねそして私の場合は幸いなことに性的暴力とかの伴わない虐待経験で監禁やネグレクトとも違っていて虐待の中でも全然マシなほうだったと思います(外部 幼馴染や友人)との接触があったし救いはありましただからといって周囲が助けてくれたわけではないですが当時は悪さをした子供を木に縛りつける親とかそれは普通の躾の範疇で当たり前だったし 子供に対する折檻と言われて片付けられて境界線も曖昧だったのです大人は頼りにならない信用できないってのは子供心に嫌というほど刻まれていましたし)私よりもっと重篤な人の場合自力で克服するなんて無理だと思うのですもっともっとたくさんの年月がいるだろうし専門家の本格的な治療と周囲の理解が必要でしょう本人の努力だけで対処し克服できる問題ではないと思いますでもその渦中にいた当時はともかくとして今となっては今生においてこのような経験をしたことはとても貴重な財産だと思っていますもう一度同じ経験をしたいかと言われればNoだけどこういった幼少期の経験があり毒親や長男教な毒親戚を持ったからこそ色々と解ることもあるわけです同じように毒親を持つ人の気持ちとか複雑な家庭環境や身内との間に確執や問題を抱えている人の心境とか虐待やDVの被害者とかフラッシュバッグやPTSDの後遺症で苦しむ人の周囲に理解されないあれやこれやとか斜め横に醒めた目で物事や他人を見る癖があり20代の若い時から占い師という職に就いて自分より倍以上の年齢の人に対してあれやこれやエラソーな講釈を垂れたり人生相談をすることが出来ていたのも(他人の不幸話に動じない神経があるという意味で)こういう体験が土壌にあってのことですあと今の仕事で他人の過去生においてむごい殺され方をした映像とか様々な人間ドラマの醜悪なドロドロや残酷な現実に対して感情移入しないで冷静かつ客観的にいられるのも今の人生のお陰なんですよ蝶よ花よと愛でられて何不自由なく親に愛されて育った箱入り娘とか幸福な幼少期を過ごしていたならたぶん人間の深いところの秘密や時に過去の悪行三昧の罪深さを知る仕事は出来なかったでしょう人の欲って本当に醜悪だし怖いものですよ人は利己的な欲のためなら悪魔よりも残酷に生きられますからね心がおキレイな人には注視に耐えられない世界ですものそれは私のサイキカルな素養とはまったく別の資質でスキルなんですね確かに過去生でもベリーハードな経験はそれなりにしていますがそれはやはり今生とは違って記憶に埋もれた遠い過去の出来事です今の人生での経験に勝るものはありません心に傷と闇を抱えることになってしまったお陰でプライベートな人生では人間関係を構築するのに様々な弊害が出ているのが玉に瑕だけれども今の仕事をする上ではとても役に立つ経験であり欠かせない私自身の一部分であり必要だった人生の時間ですこうした面を癒す過程において知ることや身に着けるスキルも含めてすべてまた家事能力も徹底的に叩き込まれましたし(裁縫だけはどうにも素養無しでダメだったけど)誰にも頼らないで一人で生きる基盤を作れたという意味では生きる上での収穫はありプラスに働いたこともたくさんあるのです そしてちょっと長くなっちゃったので2分割します

  • 20May
    • 無駄金と自己投資の境界線

      さてYahoo!の記事で下記のようなものを見つけましたそのうち無くなってしまうかもですので今のうちですね(リンク消えてたらゴメンナサイ)「気がつくと、占いセミナーに30万円… 私がスピリチュアルに浸るまで 「批判」だけで終わらせない付き合い方」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200123-00000001-withnews-soci&p=2こちらのblogを読んでくれる人にも興味深い内容なのではと思いますそうですね占い業界もスピリチュアルサービス業界も闇がありますよどんな業界・企業でもそうですがまっとうなお商売をしているところばかりではないです逆を言えばあくどい汚いことをしているのは新興宗教や占い業界やスピリチュアル業界だけではないっていうのが真実です官公庁だって行政だって政治だって医療業界も教育現場も各種メディアもCMばんばん流している大手企業もネット産業もNPONGOや赤○字や〇連や○ニ〇フスポーツ業界やエンターティメント業界趣味の習い事と言われる世界でも縛りがあるっていうのかな 辞めたいと言い出せない状況に義理で縛り付けて長年通い続けさせてやれなんだかんだと追加料金を毎年加算されて結構な出費になるってのはよく聞く話ですしそんな風にあらゆるところになんかしらのひずみがあります健全で誠実なお商売や仕事をしているところの方が世の中少ないんじゃね?というくらいには正直者がバカを見るっていう図式この令和の時代にもまだあるし(でもその話はさておいて)で、業界に属している側なのでそういうやり方って酷くね?ってやり方をしている人たちの話は個人レベルでも団体レベルでもまあまあ耳に入ってきます被害者から相談を受けることもありますしチャネリングとかのセミナーに出た人や個人セッションを受けた人に「あなたは選ばれた人だ!」みたいにその気にさせてヒーリングの学校(ちょっとオカルトより)に通わせて どんどんあれもこれもって薦めて気が付けば200万以上使わされるってとこもあったけど占いでも何百万どこも似たり寄ったりなんですよねそもそもチャネリングとかヒーリングとか透視リーディングの学校で年間100万とか300万とかどう考えたっておかしい国家資格じゃないんだからそこ通ってそういう能力が得られるって本気でそう思いんでいる人もどうなの?って思います「特別な人だ」「仲間だ」「選ばれた人だ」そういう常套手段にもどうして引っかかっちゃうかなあ?ともそれを言うならお前のところもお金取るだろ?と言われてしまうかも知れませんけどこの続きは後に書くとしてようするに「お金を払ってそこで何かを学ぶことで 特別な存在になれる 特殊能力を身に着けられる (特別な存在になりたい 特殊能力が欲しい)」って思う人がいるから需要と供給がマッチングしていてこういうビジネスが成り立っているんだろうなって痛感させられますそこにつけ込んでいるビジネスだからそもそも 占いは学問だし技術でもあるから習うことに意味はあるしお金払って学んだほうがいい知識ではありますヒーリングもスピリチュアルな知識も学ぶ知識と目的を考えて選びさえすればためになるものですただ占いもそうですが習っただけでその道のプロ職業とすることは出来ません素養というものもバカに出来ませんからで習うにしても金額の限度というのがあると思うのです高ければいいというものではないし安いからダメというものでもないその知識を得る目的とその動機を鑑みた上で自分に投資する金額として見合ったものであるか否かではないかと思うのです自分でその知識や技術に費やしたいと思う金銭的上限や時間(ライフバランスでの比重)を決めて自らの価値観を持ってライン引きをして限度額を考えるべきかとまあそれが出来ないからずるずると相手の思惑通りいいカモになっちゃうというか相手のATM化にされてしまうのでしょう困ったもんだじゃあ お前のところは健全かつ誠実な商売しているのかよあくどくお客さんをカモ化してあれこれ薦めて暴利を貪っているんじゃないのか?と問われたとき 完全否定することは出来ません私がそういうやり方をしてはいないと否定してもそれはお客さんが決めることだからですお客さんの方でカモにされた!こちらのサロンでたくさんお金を使ってしまった!たくさんのお金を使って色々と受けたのに何も解決しなかった! ムダ金だった!そう思っていたらそれがその人の真実だからです基本的には最初に来てくれた人に次のセッションの予約をせっついたりはしませんこちらからセッションの継続は促してはいずお客さんの自主性にお任せしています自分にはどのメニューが必要ですか?とか聞かれたらば答えていますがガンガンとした勧誘はしていないですヒーリングレッスンとしてのレイキやカルナ等のアチューンメントは申し込まれたらそのまま受け入れている感じですセッションの話の流れで相手の希望とかを聞いたり何回も受けてくれたりしている人で必要があるのでは?と思った人に「受けてみることを考えてみたら?」と言うことはありますが強引な勧誘はしていないつもりセミナーとかワークショップとかここのところは開催していませんが予定があったときに声掛けとか宣伝はします継続的なレッスンとかでも途中脱落に関しては「去る者追わず」です※キャンセルの規定通りただ そうですね以前はスクールをやっていました今はもう3年前に辞めてしまっていますその時はちょっと事情が違いました当初はレイキとかをうちで習ってくれた人からのリクエストでそれ以上の知識とかスピリチュアルな知識(心霊科学の)をもっと知りたい教えて欲しいとそういう要望があったので始めたのですが途中で方向転換したのですヒーリングスクールと称していたもののレッスン内容と形を変えてスピリチュアリズム基礎講座というのになって次はそれらを習ってくれた人のためのグループレッスンを開催するようになりましたこっちは人間塾みたいなもので個々の個人として抱える問題を解決するためのそれぞれの痛いところと向き合ってエゴイズムを克服するための人生学校みたいなものでした(結果的に大部分のエゴイズムを増長させちゃった人を脱落させちゃったんですけどね)そうですね言葉を変えるとスピリチュアルコーチングみたいな感じだったかも私自身にとっては良い学びであり痛い経験にはなりましたけど(その教訓があっての今なんで)この最初のヒーリングスクールにしてもスピリチュアリズム基礎講座もグループレッスンも受講して下さった方の目的や動機は様々だったと思います中にはふわふわキラキラうきうきスピリチュアルを期待していた人もいましたし(期待外れでスマソ)特別な人と言われる自分になりたい特殊能力を磨きたいなんて願望を持っている人もいましたしスピリチュアルな現実離れした話が出来る人たちと繋がっていたいなんて人もいたと思います真面目に自分の問題に取り組みたい今の自分を変えたい変わりたい人生のパターンを変えたいちゃんとした霊的な知識を知りたいという人ももちろんいましたがここに通えば先生である私みたいにサイキカルな能力が芽生えて何か出来る人になれる…なんて人もいたことは否めません教えてください習いたいという人を拒む理由はありませんでしたですが長く通ってくれた人であのメニューもこのメニューも受けたいと自ら望んで受講してくれたものの最終的にそれが何年間もとなるとそれは確かに安い金額ではないので学ぶことの目的を見失ったり好奇心や情熱が醒めたり 関心が離れてしまった人の中には「こんなにたくさんのお金を使ってしまった!」と後で後悔してうちのセッションを受けてくれたりアチューンメントを受けてくれたり私塾に投資したトータルの金額のことを「無駄金だった!! もっと他のことに使えばよかった!」と思っている人もいるかも知れませんそれは否定できません私からするとその人が自分の問題を解決しようと向き合った時間はこれからの人生においても決して無駄な時間ではないと思うのですが霊的知識を教えるようになったのも物事の因果関係とかエレメンタルのこととか自分の人生がどのように作られているのか知って欲しいというのも勿論ベースにあったけどちゃんとした知識を身に着けることでニセモノの知識や霊感商法に騙されないインチキな霊能者や新興宗教に騙されないそうしたものを見抜けるようになって欲しいって他力本願で依存的な考えから脱出して自分の人生に責任を持って生きられるようにそうなって欲しいから…ではありましたしそのような内容をお教えしているつもりですが通うことだけに満足して理解しようともせず左耳から右耳にスルーしていたりたくさん渡した資料やテキストを見返しもせずいつしか飽きたからと言って捨ててしまうならばそれこそ自分自身で無駄金にしているな~とははたで見ていて思います結局のところお金の価値は当人が決めることですからそれに形のないサービス科学的根拠のないことに対して価値や意味を見いだせない人たちからしたらそれがあくどいやり方をしている人たちにしても誠実でまっとうなやり方をしている人にしても私のようなサービスを提供している人間は人の弱みにつけこんだインチキな仕事とか世の中の役に立たない無駄な仕事とかペテン師で詐欺師だって思うのでしょうしそう非難されちゃうのは仕方ないでしょう私自身はというとこの仕事は個人の状態をよくするための仕事で社会の波動をよくする仕事でもあり十分役に立てていると自負はしていますけどもでも私に騙された! お金をぼられた!悪徳だ!って思っている人がいるとしたら残念ですがそれがその人の真実なんですこういうのは個人の価値観の問題ですから仕方ないですね新年に入ってからほとんどblogを書けていなかったのでぼちぼち書き始めることにします以前のように特定のクライアントさんのセッションの様子や過程一人の人間の魂のルーツとカルマのレッスンの話を物語仕立てにしてケースファイル(事例)として書くことはもう辞めていますし過去にこちらのblogに書いてきた記事の中に自分自身のエゴイズムを見つけては辟易しこんな波動の低い文章をネットにさらし続けることは自分自身の恥だなあと思い悩むことも時折ありますし他人の個人情報を書いているということや他人を批評批判しているだけではという葛藤も相変わらずないわけではないのですが霊的な知識や体験をそれを必要としている人に役立てる話があるかも知れないからシェアするという公開目的がある以上は過去記事も消去しないで生ある限りこのblogを続けていくとは思います

  • 12May
    • プロとアマチュアの違い

      結局のところ他人が絡むことを書くことは悪口に変わりなく相手側の立場からの意見のないところでのこちら側からの一方的な言い分で自己弁護でしかありません私の主観であり私の立場から正当性を主張して相手を非難・批評している他者批判に過ぎないのですから客観性の欠けた偏った意見です相手のいないところで自分の意見をあーだこーだ書くのは人として卑怯極まりもない品性品格のない行動なのかも知れませんblogに限ったことでなく文章というのは読む人の心にどう響くかその方がどのように受け取るかなのですが…どんなに客観的に書いているつもりでも先入観や思い込みが入り混じった当人の意見の押し付けであることは否定できませんそれはこのblogに書いてあるどの記事にも当てはまることですね以前に勤務させて頂いた場所でご一緒していた方とお話する機会があったのですが意見の食い違いというかちょっとしたいざこざがありましたそのいざこざから改めて思ったりしたことです話の前置きとして私がプロの占い師として仕事させて頂いてた時代からすると今は占いのお店がものすごく増えました電話占いの会社もたくさん増えて乱立しているっていう位な数です実は私は日本で初めてダイヤルQ2により占いのサービスを始めた某電話占い会社で働かせて頂いていたことがあります(その道の先輩の紹介で)30年前の当時は日本で一件しかなかったのにあっという間に全国増えて(今はダイヤルQ2もなくなり)お客様からして選び放題な時代になりましたそうするとどういうことが起きるかというと労働者としてのプロ占い師の数が不足しちゃんとした占い師としての経験のない素人がどんどん参入してきて占い師全体の質が低下するということが起きましたそんなんで巷にはなんちゃって占い師というかちょっと占い出来ます出来ちゃいますというそういうニワカ占い師が増えました昔は…占い師の仕事場というと辻占や占い館や占いコーナーあとは自宅をオフィスとしての活動そんな感じですなるべくしてなったお店で働かずとも自宅にて知る人ぞ知るの評判や口コミで人が集まりそれで生計が成り立つような人は例外としていつか独立してフリーでオフィス構えるにしても最初の登竜門としては占いコーナーや占い館などそういったところで占い修行としての見習い期間も含めて経験を積むものでした辻占(街頭における路上での占い)は場所決めというかその界隈を仕切っている人がいて紹介でその場所をわけてもらうことになります場所があくまではその場所でお商売は出来ません※893とかではありません 商店街だったり地元の口利きやみたいな人とか 占いの元締めみたいなことをしている人などなどここは人も通るしよさそうだからと勝手に路上で占いをするのは業界の筋を通さないことで色々とルール違反になります(道路交通法もあるので警察への届け出も必要)建物の中とか敷地内であればその建物の所有者から許可もらえばOKですがで占い師になるためにはそもそも占いを勉強する必要がありますが昔は師匠たる占いの先生のところに学びに行く人が多かったと思います今は占いの学校やセミナーやワークショップカルチャーセンターでの受講もありますが古い時代には個人でやっている塾のような処私塾みたいなところに門下生的に習いに行く人が主流でした(この占いの先生や師匠からプロになってもよしとの判定を頂いた人がお墨付きとして店舗を紹介してもらったり辻占の場所を分けてもらえるわけです)ちなみに私はまったくの独学で占い師になってから一緒に働くことになった先輩や同僚からあれこれと教えてもらったり現場で様々なことを吸収させてもらった口です(そうやって周囲との交流で実用的な知識とかテクニックとかノウハウ学ぶのも大切です)なので特に師匠と言える人はいませんただ魔術の師匠はいましてその方から「あんた占いできる人でっしゃろ? うちの店で働きなはれ」とスカウト?されたのが占い師になるきっかけのひとつでしたがそれはあくまで私の場合でそうですねネット社会になってからそんな風に占い館で対面占いという現場を経験していない人でも趣味で占いやってますという人が自らのHPで仕事だったり無料でだったり占いの依頼を募ったりし始めて電話占いの会社で働くようになったりいつの間にか誰でも占い師になれちゃうそんな時代になりました(でもちゃんと勉強したことない方でも優れた資質ある占い師さんがいるのは事実ですさほど多くはないですが全員がダメってことはないのです)そしてスピリチュアルブームが起きて単なる解説書付きのオラクルカードを使ってリーディングと称してお金を取る人が出てきたりスピリチュアルという軽い分野な商売畑が生まれたことで占いとの境目も曖昧になりそうした方面の方も占いジャンルで占い師的な仕事をするようになりましたてなわけで私がちょこっと働いたお店にもそのような方がいたわけです聞いた話ではその方は占い館での勤務経験はなくちゃんとした占いの勉強をしたこともなく趣味でタロットが好きで癒しフェアとかスピコンとかそうしたところに数人で出店し何回か出てお客さんを見た経験があるとのことでした(でもタロットではなく霊視で観てるとのこと)そうしたところはそれが目的のイベントですので法外な金額でなければそれなりに集客はあると思いますけれど辻占もそうですが商業施設にある占いコーナーや館にしても「待つ」のが仕事だったりします行列の出来る占い館なんて一部です今まで他店で勤務しててリピーターさんを抱えてた人気占い師ならいざ知らず新しくできた認知度の低い店でまして自分も新人でたくさんのお客さんが来るなんてことはありませんゼロなんて当然です1人来たら大歓迎ってなもんです2人なんて来た日は感謝しないといけませんどんなお商売もそうですが三か月半年そして一年単位で考えないといけません半年でようやく結果が少し見えてきたら御の字ですそんなわけでその方は二か月で「時間のロスが大きい」と言って辞められましたそれはそれ辞めるのはその方の価値観で判断ですから自由意志で決めてそれでいいと思います先日たまたまお会いしたときになんていうのか占いの仕事をしたいのかしたくないのかちょっとよくわからない感じのことを仰られていてあーだこーだうだうだ???状態だったので「貴女はプロとしてお仕事にするよりも 趣味として占いをやっていかれた方が よい方なのかも知れませんね」とお話してしまったならまあ気分を害されてしまったわけです(当然か)そうですねー石の上にも三年といいますけれどどんな仕事 職業でもそうですが三年はやらないとプロとは言えないと思うんですよ週五日フルタイム計算で換算しての労働日数が基本でそれは会社員でも職人でも同じでそれまでは見習いともおぼしき期間です3年その仕事をしていないならその人はプロでなくて修業中の見習いですプロの占い師としてお金を頂けるようになるまでアマチュアの期間に100人は最低でもみないとってのが昔は暗黙の業界ルールありましたそして今はタロットとかの卜占だけで占い師ってそう名乗っている人も多いけど本来は命学・相学・兆学全部あるいは二つの組み合わせで二つの占術以上が出来ないとプロとは言っちゃいけなかったですお店でも働かせてもらえませんでしたまた自分はその占術を専門として究めてなくても占い全体のことくらいは(他にどんな占いがあってどんな方法なのか)基礎知識として知っておくべきなんですね辻占として路上に立ってお店で働かせて頂くようになってお客さんが来なくてもただ待って自分を必要とする人が来るまで待ってその間はただ勉強する路上だったら道行く人の人間観察をしてお店だったら本を読んで著名人や時事ネタを占ってそんな勉強をみんな必死でして半年一年経った頃たまに訪れる人からの評判が当人に戻ってきてリピーターが増えるという結果が出てそれで食べれるようになっていくんですええ 皆さん勉強してます占いの勉強だけでなく心理学の勉強をしたりカウンセラーの資格を取ったり話し方のセミナーを受講したりとかね様々な職業の人の悩みを聞くわけだから色んな業界のこと病気のこと健康のこと法律のこと福祉のこと人の話を聞くことも含めてちゃんとした占い師さんはたくさんたくさん勉強してますよなんちゃって占い師さんや電波な人のことは知りませんが(私も十分電波ですが)で3年位やってようやく一人前になるんですそこまでやっても食べれない人はその事実が答えなんですここでようやくプロって名乗れる占い師には資格試験や認定制度はないし自分で占い師を名乗ってしまえば自称で出来ちゃう仕事ではありますが3年やってお客さんがついてその道で食べれているっていう事実がその人の占い師としての仕事の「証明」になります3年やって芽が出ないなら食べれるほど稼げないなら占い師としては評価されてないニーズが求められてないってことお客さんを呼ぶ力も初対面のお客さんの方から「この人に観てもらいたい」と思われる風貌や雰囲気もその人の占い師としての実力のうちなんですそしてプロなら自分の占い師としての仕事の評価が占い業界全体の評判に関わるってことも自覚すべきなのですその業界や仕事に対する責任の重さ先人たちから受け継いだ知識や技術を使ってお金を稼がせて頂いているという自覚その恩恵を考えるからこそ占いに対する偏見や誤解を解いて正しく占いを用いて社会貢献して占い師の地位向上を図っていくことも考えたり占いという学問や文化 知識や技術を後進に伝えていくこととか行ったり使命感ってのも必要です(そこそこね)例えばとあるスポーツ 例えばフィギュアスケートを例にするならプロであるなら フィギュアというスポーツそのものそして業界全体のことそのスポーツの未来のこととかも考えるでしょう?自分自身が不品行をしたら迷惑をかけてしまうとかそうしたこととか後進の指導とかお客様を楽しませることとか色々とプロとしての自覚とかあって然りですアマチュアの人ならそこまで考えなくてもいいけどただ当人が楽しんでいればいいと思うし誰もそこまでアマチュアに求めないしでもプロならばその技術でご飯食べさせてもらっているならば…まあそんな感じでしてなんていいましょうかどんないきさつだったのかというような細かいことを書いていないのでアレですがたった二か月間 しかも週一回程度お客さんが来ないとか売り上げがなくて時間のロスが我慢できないとかいって辞めちゃってそのお店でお客さんを待っている間占いの勉強もまったくしないで「命式は?」と聞いても「ナニそれ?」と命学・相学・兆学のこともその違いも知らずに占い師とは名乗って欲しくないなーって思いました「私ね  人のエネルギーの強い弱いがわかるの」「タロット使わなくても霊視でわかるから」「どの占い師さんもたいしたことなくてねー」2.3回占いイベント出たくらいの経験でそんなこといってほしくないですすごい占い師さんも素晴らしい占い師さんも世にはたくさんいますよその方が知らないだけで会ったことないだけでその方の周囲にいるのがなんちゃってスピリチュアルワーカーやなんちゃって占い師さんなだけでとりあえずまあまとめてしまうとその道で食べていけてこそプロと名乗れるそう思います結局 愚痴です他人の悪口を書いてますなー

  • 04May
    • 死は決して終わりではなく~Epitaph

      予言者たちが書き記した壁が継ぎ目から 崩れていく死をもたらす道具に反射して日の光が煌めく夢と悪夢にだれもが我を見失い勝利の栄冠をかぶる者もいない静寂が叫び声に染まっていく混乱が僕の墓碑銘となろう僕は崩壊した道を進んでいるもし試練を超えられたなら僕たちは平穏に笑い合えるだろうだが僕は悲劇的な明日を恐れるのだ幾多の運命の鉄門の間時代の種は撒かれ知る者と知られる者との間で育てられる知覚は死の友なのだもし誰も掟を定めないのであれば僕が知るすべての人々の運命は愚か者の手に委ねられるだろうだが 明日への恐れのため僕は叫び続けるだろうやはり 明日への恐れのため僕は叫び続けるだろうby キング・クリムゾン人は死に向かって生きているとはいうものの霊的真理(=宇宙の法則)において"死"というのは厳密には存在しない"死"という現象は物質社会においての存在の消滅を表す言葉なだけでこの宇宙(地球)でのトータルな次元では霊=魂としての存在は不滅の存在であり存在そのものが消滅してしまうことはない物理的な次元(三次元)において実体として確認できる肉体が失われただけでサイキカル界(四次元)へと存在の中心点を移しサイキカル体とノエティカル体がその人生の名残を生きているのだから次の転生へと至るその日までそれでも私たちは実体としてのその存在がその人生でその人…として生きた肉体が呼吸を止め心臓が止まり熱を失い生命活動から腐敗へと転じたその瞬間にその人がその次元から去ってしまったこと自らの世界からその人が"失われてしまった"ことを思い知らされる自分を見るその人の目はもうなく耳に届くその人の声を聴くこと能わず暖かな温もりを持った手に触れることも叶わないその事実にただ打ちのめされるのだ肉体という躯を前にして肉体という形を持ったその人を認識できなくなったことで永遠にその人を失ってしまったかのようにだがしかし"死"は永遠の別れではない正しくは変化であり変遷であり旅立ちである次のステージへと宿り場を変えるための一時的な中心的な移動であり今生から来世へと至る過程においての関係性の一時的な終焉とリセット長い輪廻転生の歴史においてはほんの少しの旅路での別離にしか過ぎないとはいうもののそんな話を納得できる人が何人いるだろう死は終わりではなく永遠の別れではないとまた生まれ変わって再会できるからと言われてもだからといって喪失した心を立て直してまた数十年か後には会えるのねなどと楽観的に受け入れらる人なぞ いるわけもない実際のところ またすぐに会える保証はないし前世の記憶など憶えているわけもないのでそして人の心も関係もうつろいゆくもので変わっていくのがしごく当たりまえで約束や契約することの出来ないものだ人それぞれ生まれてきた目的や意味も異なるし叶えたいことや向かっていく先が違っているのだからいつまでも一緒にと同じ道を歩けるわけではないだからこそ 今回の人生で出会えた奇跡 結び合えた縁共に過ごすことが出来た時間一緒に綴ることの出来た想い出は貴重だ誰かと生きることが出来た歳月は二度と戻らない黄金の日々のようなもの一日一日が一期一会で二度と取り戻すことの出来ない一瞬の夢だからこそ 大事にしたほうがいいどんな関係もどのような出会いであったとしてもそれは永遠に見続けることの出来ない泡沫の夢であるのだから伝えるべきことは早いうちに伝えておいたほうがいい想いや気持ちは言葉にして心や感謝をきちんと形にして表したり行動しておくべきだ 後悔する前に突然の別れの日を迎えてしまう前にそして繋いだ手は離さぬに越したことはない僕があれほど愛した女を神様がどんな姿にしてしまったのか見なくてはなりませんその光景への嫌悪感が恐らく絶望的な想い出にとって代わるでしょうby デュマ「椿姫」この憑物を追い払うためには一つの方法しかないクラリモンドが何処に埋葬されているのかはわかっている彼女を掘り起こして君の愛の対象がどんな哀れな状態になっているのか君が自分の目で見る必要がある蛆虫に貪り食われ 灰になって崩れ落ちようとしている悍ましい屍のために君は君の魂を台無しにする気はなくなるだろうそうすればきっと君は正気を取り戻せるだろうbyゴーチェ「死女の恋」生まれ変わりについて肯定的な立場で何よりも輪廻転生を説いており過去生セラピーなどの個人セッションを通してたくさんのクライアントの過去生をリーディングしてきた私ではあるし何よりも自分自身がいくつかの過去生の記憶を所持しそれらを引きずって生きてきた身だし過去での縁合った人たちと再会するという経験もしているわけだけどそれを体験として知っている私ではあるけれど…それでもやはり"死"は悲しい別れであるとも思う"死"という変遷行為自体は窮屈なサイズの合わない着ぐるみから離脱して全身を伸び伸びと元のサイズに膨らませて開放感とエネルギーの恍惚に浸ることのできるこの上ない至福を味わえる瞬間でそれ自体は悪くないし至福でもあるある意味で死は甘く蠱惑的な接吻のようなものその"死"の瞬間にダークな感情に支配されてさえいなければ(理不尽な怒りや恐怖を伴う死でさえなければ)だがやっぱり寸前まで言葉を交わし笑顔を見せあって手と手を触れ合いお互いを互いとして認識していた人と交流することが出来ない寂しさは辛いもの孤独ではないが生あるもの(物理的次元の世界)とは分断された世界にいてまるで自分が鏡の中の世界にでもいるかのようなそんな錯覚にさえ陥ってしまう話しかけても通じず触れたくても触れることできずそこにいてそこにあらざるものになってしまうので肉体のないものと肉体を持つものが意志を疎通させて交流を持つというのはとても困難なことそれが出来る人もいるがそれが出来る人はあまりにも少ないだからこそ人は交霊術にすがったのだろう愛する人の面影を求めて死してもなお生き続ける魂との再会を求めて刹那的な絶望感のなか在りし日のその人にもう一度触れたいと一縷の望みをかけて「ゴースト~天国からのささやき」特殊な力を持つ主人公メリンダ・ゴードン生前愛する人たちに伝えきれなかったゴーストからのメッセージを伝えさまよえる魂を安らかに天国へと導く感動のドラマ※このドラマ、オススメです stay-homeで 生と死や命を考えた時 ぜひ家族とそして愛する人と見て下さいまし 死んだ後に存在の中心点となる四次元たるサイキカル界とその後に行く五次元たるノエティカル界の世界は霊性の異なるすべての人が同じ物質的な肉体を所有して互いを認識できる三次元の世界と異なって49も階層があってそれぞれ霊性によって行く場所が異なるから「大丈夫だよ また会えるから」「死んだら 迎えに来て」「あの世で会いましょう」それを言うと嘘になる"死"の状態から次の次元に移行する40日間という作業期間内(データ移行期間)に一瞬だけ会える場合はありますが必ずしも会えるとは限らないんですよね来世で会うといっても次の人生とは限らず1000年先になってしまうかもしれない人生に絶対はないからだから結局いまの人生を最後の人生と考えてこの人生だけだと思って生きることも大切今の自分としての人生がこの人生一回きりなのは本当というか事実だから今の自分として生きられるのは今だけだからそして今目の前にいる人たちとの関係も今の人生だからこそ その関係でいられるのだからとくに大切にしたい人との関係は今生限りだと思って今日だけで明日はもう会えないかも知れないとそう思って一瞬一瞬を一言一言を大切にして過ごしたほうがいいいつ別れの日が来ても 後悔しないように明日死ぬ日が来るつもりで今日を生きたほうがいいいまの時期気軽に大事な人に会いに行けない日々の中気が合わないあるいは一緒にいるのも鬱陶しい家族と鼻突き合わせて家に引きこもっている人もいる中身近な人や会いたくても会えない人のいる時間の中で考えて欲しいコト死は涼しき夜生は蒸し暑い昼間早や黄昏染めて私は眠い昼間の疲れは私には重すぎるbyハイネ

  • 20Apr
    • 愛と赦し~恐怖と愛のどちらを選択するのか

      愛はすべてを信じ すべてを望み すべてを耐える ~Ⅰコリント書13章7節~今回のコロナウィルスによる混乱は天体配置や日食月食のここ数年の流れとかそういうので昨年あたりからアジアあたりになんかありそうだなーみたいなのは言われてて(昔から日食も月食も天変地異や政治的混乱や疫病や災厄の発生とした不吉な事案のシルシだから)だから驚くには値しないというかそういった予測とかを別にしても地震や台風や津波や山火事や噴火などの自然災害気象の異常による諸問題はいつでも予測される事で避けては通れず考えざるを得ないこといつ何があってもパニックにならず対処できるように覚悟して頭の隅に置きつつ備えておかないとですスピリチュアルという言葉を使うのがイヤなのであえて避けて日本語の"霊的に"の方でいうなれば今の私たちは「愛と赦し」の問題を多く抱えていて一人ひとりが そして集団的(民族や国や団体)にもそのような課題をここ数年間突きつけられている占星学的には海王星がホームたる双魚宮にいるから2012年から2025年までその期間人々の意識は混沌とした曖昧さの中に置かれて無意識から来る懺悔と贖罪の波に翻弄されるとも言える※霊性から見たときにね  愛と赦しと見えない世界へと飛び込むチャンスってか過去の出来事の贖罪と放出が嫌でものしかかってくるある意味でそれは癒しと解放のチャンスでありあらゆる感情を浄化し過去のすべての経験を混沌の中で融合して再誕生(再構築)への道筋を創る時期だそして2/17から3/10までの水星逆行(双魚宮から宝瓶宮)太陽も双魚宮にいる中で多くの人々が無意識の中に沈まされている暗い過去の記憶遠い過去からの呼び声を聞かずにはいられないその人の中で「愛と赦し」の足りない部分そこに光たる焦点を当てたなら解放を待ち望んでいた過去の亡霊たちが大喜びで出口へと飛び出すだろう宇宙からの大きな力が働いているということはつまりそういうことだ個人のレベルだけでなく集団のレベル集合体無意識のレベルでそれが整っていて準備され流れの中で勢いがあって起こっているということだからその大いなる癒しの流れの方に乗るのか負の集合無意識が仕掛けた罠の方にはまるのかいずれかを選ばなければならないし愛と赦しのある選択を出来るのかどうか自分が試されていて岐路に立っているということも知っておかねばならないもちろん この「愛と赦し」の対象には自分自身も含まれていることを忘れてはならないもしあなたがこの世界の混乱と不毛を終わらせ不安と恐怖で満ちた世の中に愛を望むのであれば平和と秩序をもたらしたいと欲するのであれば何よりも貴方自身の中に平和と秩序をもたらさなければならないだろう貴方自身の心の中や人生の混乱と不毛を終わらせ不安と恐怖を取り除くために…まず貴方自身が貴方に愛という水を撒き赦しという光を与えなければならない誰に赦されるよりも先に貴方自身が貴方を赦し自らに愛の種を撒き続けるべきなのであるこの世の…この地球上に蔓延する問題を解決したいともし願うのではあればまず貴方自身の問題を解決すべきである一人一人が自分の問題を解決すればそれだけでこの地球上に存在するすべての問題が解決するすべての家族の問題を解決すればそれは社会の問題を解決することとなりすべての人が満たされる社会が誕生する…というわけで私自身ここ一か月くらい あらゆる感情が掘り起こされている感じです感情の底の底からこれまでに味わってきた様々な感情が矢継ぎ早にそれでいて瞬間的に沸き上がってきて心が忙しいです「あれ? これは昔味わった感情だ 何の時のものだったろう…?」みたいなジェットコースターに乗っているというかまるで洗濯機に放り込まれてしまったかのようとても巨大な洗濯機の中で感情が攪拌されていったん整理整頓されてしまわれてたものがものすごく昔の古い過去のものも直近のものも上へと下へとすべてがごちゃまぜになってもう一度一つひとつ確認して断捨離するもの取っておくものと取捨選択しないといけないってそんな状況に無理やり追い込まれている感じ過去も未来も現実も妄想もごちゃまぜですそれでまだこんなの抱えてたんだなあああこういう風なことに囚われていたんだなどと自分でも忘れていたことを思い出したりなるほどなという気付きを得られたりもしつつまだまだインナーチャイルドが居座っていたのかーとかとかホントさすがホロスコープのクローゼットと言われる双魚宮だと色々な形で訪れる過去の総ざらいみたいなもの感情のカオス状態の前に早く通り過ぎてくれないかなーとただ嵐が通り過ぎるのを待つばかりですねいえ何もしていないわけではなくそれに向き合うこともしていますけど自分自分で…セルフで向き合うのってしんどいそれでもニュートラルを保つべく色々と工夫して過ごしていますです晴耕雨読ではないですけれど世の中的にもこんな状況ですので突きつけられた課題に取り組むチャンスとしてとにかく過去の清算と解放 感情の浄化優先で手放したいこと全部憎しみも怒りも哀しみも鬱々も否定的感情の何もかもこの宇宙の後押しと流れに従って一気に手放したる!!とこの地球の全人類的に大デトックスが促進されている時期に制限なく過去を遡って古い傷を掘り起こせる今しかないってこの時期にとにもかくにも出せるだけ粗大ゴミだすどー!毒だしに励む日々ですこのチャンスを逃す手はないのですからそして今回の人類へのお試しって日本という国そして日本人に対しては「アナタの人生ホントにそれでいいの?」ってのもあります仕事がストップしている人 多いと思うのですけど生き方と働き方に関する問いもあります「ホントにその仕事その道その生き方でいいの?」そして企業に関してはインフルエンザであっても休ませてくれないとか人としての社員を大切にするよりも利益優先で社員たる一人ひとりの個人も自分の身体や健康を損ねたり家庭を壊しても会社での立場とか出世とか仕事優先であるとか国に関しては医療費や介護保険とか福祉予算とか削減の方向で新薬開発現場に対しても同じだしそういう国民のためになる大事な予算を削るってそれがどういうことなのか?って問いそれだけではないけれどもそういうところをダメ出しされてますよね3.11の教訓というかあの出来事で得られたことをちゃんと実践できているのか否かってこと含めて人として何を優先して生きるのか何のために今の人生を生きているのか全員へのクェッションです仕事や収入を無くすことも恐怖があり健康を損なって病に感染することにも恐怖があります恐怖は病を産み 差別を生みます過去には病によって差別され隔離されて孤独に死んでいった人々がたくさんいました結核とかハンセン氏病とか無知と偏見で社会から見捨てられて死んでいった人々がどれほど多くいたでしょうかそして一人ひとりの中に多くの人の中にそんな辛い過去の記憶が眠っていたりします貴方は差別された側かも知れないし差別した側かも知れない家族を見捨てて遠ざけた人なのかも知れない今回の騒ぎで皆さんは何を思うでしょう?恐れを抱き 病に怯えて 恐怖を蔓延させることに乗る道を選びますか?それとも愛と理解を持って隣人との絆を深め自らの過去の呪縛を解き恐れを捨てて愛と赦しの力で自らを解放するその道を選択するのでしょうか?大いなる宇宙の愛と赦しの癒しの流れに乗るか暗黒の罠からの不安と恐怖の渦に巻き込まれるのかあなたはどちらを選びますか?心を新たにして自分を変えていただき何が神の御心であるか何が善い事で 神に喜ばれまた完全なことであるかを弁えるようになりなさい ~ロマ書12章2節~私は過去を癒して手放し 自分を含む多くの人を赦して解放できるすべてのものを手放す波に乗ろうと思います

  • 19Apr
    • 自然との共生~Earth Song

      私は英語が話せない読めない人であるのだけど4ch(英語で交流する海外掲示板)の翻訳サイトは定期的によく読んでいるのですねそこからの情報になりますがロックダウンされた世界各地の人々によると人々が外出しなくなったことから普段は見かけない多くの野生動物たちが街に出没するようになったとのこと中には「羊に占拠された!」「鹿に町を乗っ取られた!」という可愛らしいものからピューマとかコヨーテとかイノシシとかワニなどヤバイものまで住宅街に現れ始めているとか日本では田舎のほうにいかないとクマやイノシシいないから今回は問題ないでしょうけど(クマだけでなくイノシシも人間襲って食べますのよ)首都圏通勤エリアで育って現新宿区在住の私が田舎や自然を語ってもまったく説得力はないですが昭和の真ん中の時代は首都圏近郊にも田んぼも畑もあってザリガニ釣りもしたしカエルなどの水中生物トンボなんかもたくさん飛んでたし蛇もいて野イチゴや野草(土筆や野蒜等)や花の蜜などその辺のを摘んだり食べたり口にいれてましたトイレも高校まではくみ取り式でしたよ親の故郷はド田舎(鹿児島の皆さんゴメンなさい)だったからもっとハンパなかったなあラジオの電波届かなかったしスーパーの特売は空からセスナが告知していてw(離島ではないです。空港から一時間位の距離)戦時中は食べ物ないからイノシシとか野兎とか掴まえて食べてたそうで政令都市で一応都会に属する千葉市私が子供の頃は猫も犬も放し飼い犬が鎖で繋がれるようになったのは昭和50年代に入ってからかなー(それだから6匹位の野犬の群れに襲われて全身咬まれて死にそうになった私<入院した人生で4回犬に咬まれた奇特な体験保持者デス) いつからでしょうね野良猫を街で見かけることが減り外で犬を飼う家も少なくなったのはこのあたりは自宅で死んだり生まれたりというのが無くなり"死"や"命"が人々にとって遠いものになっていったという現実と全く無関係ではないような気がする人々にとって"命"が軽くなり"死"が忌み嫌われるものになってったそこが人々の意識の何かの分かれ目だったのかな関係ないですけど私は動物園や水族館は反対派です必要ないものだって思っています必要があるとするならばその土地で保護された動物たち野生で生きていくことが出来なくなった人間の保護を必要としている動物たちを管理保護し飼育するくらいかなあその維持管理と運営費を得るために動物園的に公開して入場料を取るってのが理想今の時代ならバーチャルで十分です実物を檻に入れて見世物にする必要はありません動物は生まれ育った土地にいるのが一番です寒いところ暑いところにいるものをどうして環境に適さない場所に連れてくるのか拷問以外の何物でもないサーカスもそうですねショーをダイレクトに虐待とは思わないけどペットとして育てられたものの飼育放棄されてしまい保護された猛獣とかを引き取っての興行ならいいのではと思います象使いにしても猿回しにしても相棒として家族として愛情と信頼関係のあるところでの仕事のパートナーシップが築けているなら私は動物虐待とは思わないしあってよしと思うのですがようするにそこに動物たちへの愛情があるか否か共に生きていく覚悟と責任があるならば家族として動物と共に生きる道としての生業ならば闘犬とか闘牛とか闘鶏とかそういうのは反対派になりますね やはり賛成できない人がペットとして動物を飼う時にも人間が保護しないと生きる場所がないそういう動物をペットとするのは賛成だけど人間の環境にその動物の生育環境に適さない動物を連れてきて無理やりペットにするのは反対です犬とかでも雪遊びが大好きで日本ならせいぜい雪深い東北までが適応するのに限界な犬種とかそれを南日本で育てようとするのってどうなの?ってホント思うしそういうのは人間のエゴ以外の何物でもないですよねさて ロックダウンの影響に話を戻すと日本でも多少見られている現象ですが工場などの稼働がストップし人が移動を自粛して往来が減少したせいで空気がきれいになっているとのこと光化学スモッグや排気ガスの影響で今まで遮られていた遠くの景色山々などがよく見えるようになったそうですそして沈む太陽のなんと美しきことか…とあんな太陽今まで見たことない!とはロス在住の方曰くアメリカは地球温暖化対策に非協力的で京都会議からも離脱しましたしねそしてコロナ発生源の中国もしかり(この地球の環境を汚染している二大大国がコロナの発生源と感染者世界一というペアなのがなんともそしてちょうど去年アマゾンの森林火災や開発の問題>アマゾンが地球の肺説 ジャングルが地球の酸素の20%を生産しているというのは誤りなようですが)コロナで重篤になると肺炎を併発して人口呼吸器のお世話になるということを考えると呼吸すなわち空気を取り入れるところのダメージ(安部ちゃんには200億もかけてマスク配布するなら人工呼吸器を各病院に買ってくれよ!と言いたいそれとワクチンの開発費に回して欲しい公務員と生活保護者と年金受給者と税金滞納者以外のマイナンバーを持つすべての日本国民に現金支給して!)なんかコロナウイルスで人間の肉体がダメージ受ける箇所と人類が地球に対して行ってきたことつまり地球というボディがダメージ受けてる箇所とリンクしてるそんなこんなで私たちは環境破壊と大気汚染によって地球の"免疫機能を破壊"し"呼吸"を妨げることをつくづくしてきたんだなって改めて痛感します産業革命以前までは私たちこわっぱである人類が地上をいくら暴れまわって荒らしたとしても地球が呼吸して再生する力までも奪うことはたぶんできていなかったんですねでも産業革命以降は私たち人類の地球を荒らしまくる力はパワーアップし地下に地下にとどんどん掘りまくって削りまくって消化されないゴミや汚水を次々に野放しに垂れ流し緑地を砂漠化し不毛な土地に変えたりもしオゾン層が破壊され有害な紫外線が届き始めるほどに地球の皮膚をただれさせてきたそして同じ地球にて本来ならば共生されるべき仲間たちの存在に対して人類はいつだって一方的に横暴でその命も存在も勝手に贄にして排除したり好きに良いものと考えている食べるという、命を頂くという理由以外で牙や角や毛皮を取ったり退屈しのぎと遊びのための狩猟海や河川や大地を汚染したことでの間接的な殺傷行為も含めて動物たちの命を無謀にも奪い続けてきている時期は奇しくもイースター前後昔は守られたイースターの掟は(動物たちの出産育児時期に狩りを避ける事)昨今の世ではその意味を理解するものは少ない現役でありホンモノの漁師・猟師たち以外にはじゃあ人が活動停止して この地球上からいなくなったら大地や河川や海は蘇り 地球の再生力は早まるのか地球環境を破壊する諸悪の根源たる人類が滅びてしまえば地球環境は守られ自然が回復するのかというと必ずしもそうではなく人の手が入らないと荒れてしまう山が多いように人間もまたこの地球にとっては必要な構成要素のひとつでこの地球を守るためには人間の力も存在も必要なのです(イエローストーン自然公園で絶滅したオオカミを再導入したら自然が回復した事例がありますオオカミのような肉食獣は草食獣の天敵ではありますが同時に個体としての彼らの繁栄・種の存続を守るためには共存・共生すべき仲間なのです自然界のバランスを取るためには両者が必要なのですそのように他の動物の天敵たる人間も自然界における食物連鎖の輪の中で不可欠な存在です地球環境や自然にとって人類は破壊者であるとともに管理者でもあり共生・共存していくべき庇護者なのです)問題は人類の立ち位置なのだと思います地球や人類以外との命との関わり合い方自然や他の生命から一方的に搾取していつまでも奪うだけではダメってことかとこれまでのやり方が間違っていた方向性の誤りそれを認めてそこをいま軌道修正するべき時期に来ているのでしょう付け焼刃なやり方ではなく根本的にあらゆることを見直すべきかと何もまるっきり昔の生活に戻る必要はなく便利な機能をすべて手放す必要もなくほんの少し変えていけばいいのだと思います汚染する危険物質でなく後世に負担を与えるエネルギー資源でなくもっと別のリサイクルできる環境に対する負荷を最大限に減らせる新しいエネルギーを開発したり温故知新で昔の良いやり方を新たに発掘して今に応用してみるとかもちろんそこに至るまでに生みの苦しみたる痛みは必要でほんの少しの不自由とかあるだろうし我慢しないといけないことも多いでしょう変えていかなければいけないことがたくさんあるんだと思いますエネルギーのこと 資源のこと食べ物のこと 仕事のこと 働き方のこと 流通のこと 社会のしくみのこと暮らしの基本的なことだけでなく様々なことに対する意識を変えていく必要があるでしょう人間関係や自分自身との付き合い方も地球との関わり合い 動物たちとの棲み分け人類の間に存在する見えない国境 土地の分配のこと 自然との共生この地球をたくさんの人々と共存して言葉の壁や宗教や人種や文化を超えて力を合わせて 協力して生きていくということ私たちはすべての存在が地球という家を分かちあって棲んでいるひとつの運命共同体であるということこの時期に世界中の人々が考えていくべき課題であると思いますそして動物たちとの棲み分けも大切ですよね日本でも獣害被害の問題はあるけれどインドやバングラディッシュ ネパールでは動物に襲われて亡くなる人が後を絶たない生息域を奪われてエサが減りテリトリーが狭まった結果だったり人間が彼らの縄張りに侵入してまで生活の糧を求めねばならぬ貧困が故の問題海洋動物にも言えることですけれど動物たちのテリトリーと人の住むテリトリーをきっちり分けてどちらにとっても不幸な事故が起こらないように土地の境界線問題も考えていかないといけないのかも極端に偏った動物愛護はどうかとも思いますけどね(クジラ漁には反対してない私ですただイルカ漁は別のやり方ないかなって思ふ)感染症というのは確かにウィルスだの細菌だのカビだったり原虫だったりするものが人間の生命活動を阻害し破壊行為を行うもので症例の原因だったりするわけですけれども昔からいたにしても何にしてもある日突然に自然発生的に活性化して活動が活発になるんですよねそれまで一匹も姿を見なかったのに人が遺体になったとたん密室であったとしてもどこからともなく湧きだすウジやハエの如くそうしたことを考えると何か条件が整い揃ったからそれまで不活発だったものが生命を得て人類に脅威を与える何かの役割を果たしているのかもと(生物兵器的に培養された説を除外で)天然痘は侵略者側が新大陸に持ち込んで多くの地元民たちの命を奪うものであったけれどペストは魔女狩りや異教徒狩りなどが蔓延したときに流行したものだったなあ・・・と思い出したりそうした意味で定期的に数十年単位で人類の人口を削減するがごとく流行して人類の存続を脅かしている昨今の感染症というのは地球の病み具合を表しているバロメーターなのかも知れないそれだけ地球の免疫力が落ちてたってことかとも思ったりする今日この頃良い意味でもネットの普及で無責任な噂や誹謗中傷や陰口が蔓延する世になったからネガティブエネルギー蔓延していたということもあるしもちろんそれだけではなくてここ100年位の流れや色々なお試し段階を経ての過程小出しではあったけれどそれぞれに考えを問いただす機会は色々と与えられていましたからね人間の利己的なネガティブエネルギーが蔓延して強大で巨悪なグループエレメンタルが創られたり活性化したり復活して大きな力を蓄えた後には必ずそうした伝染病も蔓延しているってことはなんかまあそういうことなんだろうなって思います(こういうのは宇宙の法則でもなく神と呼ばれる創造的な存在の力や意志ではないです法則と言えば法則で集合体無意識の力ではあるけれど)ようするに私たち人類が私たち自身で起こしていること変革のために 人々の意識を変えるために創造の為の破壊と良心への問いかけが行われてるってことです

  • 10Apr
    • 病気は意識が認めたくなかったものが身体化したもの

      いつも外的に活動しているあなたの魂に病気というものが否応なくもたらす、静かな時間や自分を省みる時間には多くの収穫がある。そうした時間は、物質的存在の土くれの中に霊の風を吹き込んで、土でできた肉体を黄金に変える錬金術のために使われる。病気は、魂からのメッセージであり、教えである。そしてレッスンを学び終えた後には、病気はもう存在しなくなる。病気とは魂の混乱が物理的に外に現れたものであり、それが意識にとって明確に解るようになったものである。病気のすべての部分があなたである。だから、あなたの身体に聞きなさい。身体はなんと言っているだろうか。身体のその部分になってみるとよい。抵抗しているその部分の声が聴けたなら、成熟した心はこう言うだろう。「他のやり方を探そう」と。その点であなたは文字通り自分の中の異常なエネルギーを、それが精神的なものであれ、肉体的、感情的なものであれ、それを抱擁し、ただ受け入れることによって、そのエネルギーを一掃し、取り除くことを始める。そうして後、変容が始まる。苦痛はあなたが学ぶ用意が出来たときにあなたに話しかけるだろう。感情的な苦痛は何かを告げている。肉体的な苦痛はまた別のことを告げる。このように肉体のその場所は非常に雄弁である。人生におけるどのようなことにも、偶然に起きるものはない。苦しんでいるときにこの言葉を聞くのは辛いことだと解っているが、真理は真理である。あなた方は正当で整合性のある宇宙に生きている。それを忘れず肝に銘じなさい。病気は、まず最初は霊的必要性から、また感情の混乱から、あるいは心の不自然さから、最初に非物理的次元に存在し始める。最初から物理的であることはない。肉体は反応器であり、肉体はストレスに対して振動する。肉体は内的な混乱が外に現れたものである。肉体がトラウマの大洪水に打ちひしがれてギュッと収縮すると、体のある部分に対してエネルギーが行かなくなる。このように物理的な現象がセットされる。それがあなた方の現実では体の不調として現れる。病気は表面的な症状によって分類されているが、原因は全く違う。つまり同じ病気が二つの全く異なる理由で、二人の違う人間に表れることもある。それは個々の肉体が統合されていない部分を外に表してみせるやり方である。カルマとストレスは同じものである。それはこの人生において、あなたの魂の設計図に従って、自分自身の葛藤の領域に不調をもたらすやり方である。それはカルマと言えないことはないが、カルマとは物事をはっきりさせるというよりはむしろ多くの幻想を産む言葉である。何が病気を引き起こしたかというその真実が理解できた時には、癒しは瞬時に起こる。なので、病気とは例外なく意識が認めたくなかったものを身体化して現すものである。生きる力や魂の意識が肉体を流れているので、その生命の力に抵抗して肉体の部位が魂の必要性に応じて、人生のある時点で不調を起こす。どのような否定であれ、それはいつか必ず肉体に表れる。それも人が躯体を持っている理由の一つである。このようにして人は、精神レベルでも感情レベルでも、自分が見たくないものと向き合うことになる。病んでいる肉体はあなたの敵ではなく、忠実な友である。それは魂によってプログラムされ、正確な時に正確な方法で反応することになっている。だから、肉体の声に耳を傾けなさい。故に問題は病気そのものにあるのではなく、あなたの意識という心にこそあるのだ。by エマヌエルのメッセージエドガー・ケイシーのリーディングにも心と身体、生き方の姿勢それらと病気の関係について多く書かれたものがあり過去のblogでも数か所引用しています私はヒーラーでもありますがフィジカルリーディング(メディカルビューイング)をメインメニューの看板に出しているわけではないので「私の病気の原因はなんですか?」といった相談を受ける機会はあまりないですヘルスケアとしてボディヒーリングのメニューはあるんですけれどうちにいらっしゃるお客さんはアチューンメント希望者や悩み相談のほうが圧倒的に多いからこちらの需要も少ないですねでも、鬱病の方は結構お見えになりますスピリチュアルなサービスを提供している人の中にはトラブル防止のために心療内科に通われているお客さんをお断りしているところが多いのでうちのようなところは珍しいかも知れませんまあ鬱病の原因に霊的な事象(存在)の影響がある場合とか潜在意識の中に過去生で生じたPTSD的なトラウマがある場合は力になれますのででもカルマ的なもの当人の性格的な問題から来る学びのレッスンとしての鬱病の人は私ではどうにも力にはなってさしあげられない場合の方が多いです何故ってそのような事由で鬱病を発症している人は自分の根底にある問題と向き合いたくない人が多いので(逃避による鬱病)問題の指摘をすると症状の悪化につながるのでとことん学びの中にどっぷりはまってもらうしかどうしようもないというのがありますこれはホントに専門医の先生にお任せですね現実が受け入れられないプライドが高く今の自分の状態を受け入れられない出来ない自分を認められない自分を変えたくない今のままでいたいetc色んなことの言い訳に自分に都合の良い病気が欲しいわけでそれが"鬱病"を創り出していたりもする占いにいらっしゃるお客さんにしてもスピリチュアルサービスを利用するお客さんにしても心に問題を抱えたお客さんは昔から必ず一定数はいて 減る傾向はありません依存心の強い人の中にはボーダーも含まれているし自己愛性人格障害とか演技性パーソナリティ障害とか統合失調症とか被害妄想とかこちらも知識を学んで必然的に対処法を身に着けることを求められる体験(修羅場)を積むことにもなりますね鬱病と同じでこうした症状の原因が霊的な問題(憑依とか)過去生の人格の顕現だったりとかチャクラとかエネルギーフィールドの問題とかそうしたことが背景にあり当人が自分の問題を解決することに積極的であれば相談になれますけど当人にその意思(意識)がないのでは私にはお手上げでしてあげられることはなかったりします現実問題としてそこまでの力量はないというのかな私には手に余ることではあるのですさてメンタル疾患のことではなく肉体に表れた症状としての病気そうしたことを読み取るのをフィジカルリーディングといいます身体は実に多くの情報を持っていて内部に色んなことをため込んでいるものです

  • 05Apr
    • 氣の凝り~怒りと体の強張り

      聞いた話ですので真偽のほどは解りませんが英語では痛みを表す言葉はあっても肩凝りという言葉がなくそれを表す言葉がないということは身体が凝るという概念が欧米人にはないということになりましょうか…どうも凝りという概念はアジア人独特(主に東洋医学)の概念のようですだから欧米人(英語圏)に肩こりの説明をして初めて「自分が日々感じている この違和感の正体は 肩こりというものだったのか!」と感動した人がいたそうですよ基本的には筋肉の張り(緊張)として理解されていますけど氣の滞りが出来てしまう箇所のことを凝っていると言っているようなそのようなさて先日に書いたようなグダクダがあった日先方の怒りの念が襲来してきましたしたらばこのところ肩こりには悩まされていなかったというのに左肩に痛みを感じて ほんの少し寝違えたような違和感が私もちょっとムッとしていましたので同じ波動レベルにいたので受けとってしまったんですね私が腹を立てていなければ受け取ることはなかったんですが自業自得ですこれは怒りのエネルギーによるもので明らかに肩の痛みは氣の凝りですそんな風に私たちは心の状態から身体に氣の滞り(塊)をあっという間に創り出してしまいます他人から受け取ったり場所から吸い取ってしまういわゆる邪氣が原因の場合も多いですがたいていが自分の心の反応です内臓的な疾患もそうですがどんな感情を抱くかによって貯まる場所が変わりますのでとはいうものの職業病的なもの性格的な資質による身体の使い方のクセも反映されますのですべてが心の反応や邪氣が原因ってわけではないですがただ肩に関しては人間って身体を動かすときに必ず肩から動きますので常に気がせいていつも忙しなく周囲のことにすぐ反応しなくてはと構えていて機敏に次の行動に移る準備をしているそんないつも緊張状態にある人も慢性肩こりだったりしますねそういう人はリラックスする時間がほとんどないからいずれにしてもこのようなケースも心の問題といえばそうですねあと筋肉が鍛えられていず脆弱な人は筋肉痛になりやすいですよねこれは凝りとはまた違う原因で身体が固い人も氣の滞りはできやすいですこの場合は氣の巡り・通りが悪いということで骨が芯まで冷え切っている人も当然背中とか首とかの張りは酷いですが溜っているのが邪氣ってことも少なくないです(そういう人は背中を温めたあとに周囲の筋肉をほぐすといいですね骨に入った邪氣を抜いてから受ければなおよし)身体のエラーは心のエラーですその人が周囲や日々の出来事に対してどのような感情的な反応を示しているかがそれらが身体に表れます頭痛は自説への固執と拘り首は人間関係肩は重圧(プレッシャー)腰痛に関しては金銭的な不満と社会に対する憤り(自分が認められないということ十分な収入や仕事の評価を得られていないということに対する世間への憎悪)なんかある人もなりやすいです※腎臓病や肝臓疾患ある人も 腰痛として出ますが頭部から背面全体に至るまで強張っている人はプライドが高くて様々なことが許せない人です自分自身も他人も色んなことに対する怒りを貯めていたりしますそして同時に攻撃性でもあります(心がファイティングポーズをずっととっている状態)誰かに向けたい怒りをその向けたい相手に向けられないフラストレーション憤怒極まりない抑圧された被害者意識とか憎悪とか相手を責める気持ちですねそういうものを背負って自分自身を固くしているんですそのような状態の方はとても頑なで謝った思想や思考回路に支配されていたりします正当な怒りではないんですよ自分は悪くない相手が全部悪いんだって自分の非とかまったく認めない人に多いですまったく前向きでなくどうにもならない過去や現実に粘着しますある意味で身体の凝りは心の凝りそして精神の凝りですそして凝りは滞り心が滞って精神(思考)が滞っているそういう状態を表しています多くの原因は他人への理不尽な怒りと恨み許すことが出来ないから緩まないのですいずれにしてもそれが身体の凝りにしても疾患にしても身体のエラーが出ているということは人生のエラーが出ているということで自らの生き方や考え方に謝りがあるってことなんですこれまでの自分の行動のクセを見直して人生を振り返って自らを苦しめる身体の痛みの原因が自分自身の心の在り方や考え方生き方や信念の誤りにあるってこと気付くきっかけにしましょう私の肩に存在するこの「氣の塊(滞り)」は私のどんな心の凝りを表しているのだろう?どんな問題によってできてしまった凝りなのだろうか??…とそうやってひとつひとつ身体の痛みや強張り自分を苦しめ身体を重く行動を不自由にさせている「凝り」の原因と向き合って心の凝りをほぐして貯めこんだ感情を解放して過去や他人を赦すことをしたならば血液循環がよくなったり神経の圧迫による痛みから解放されるばかりでなく滞った運命さえも流れ始めるかも知れませんよ

  • 29Mar
    • コロナウイルス終焉の世界瞑想~2020年4月4日・5日

      【コロナウイルス終焉の瞑想2020年4月4日・5日 】瞑想日時は、4月4日ニューヨーク(EDT午後10時45分)、シカゴ(CDT 午後9時45分)、デンバー(MDT 午後8時45分)ロサンジェルス(PDT午後7時45分)です。欧州とアジアは日が変わって4月5日となります。ロンドン(BST 午前3時45分)、パリ(CEST 午前4時45分)カイロ(EET 午前4時45分)、台北と北京(CST 午前10時45分)東京(JST 4月5日午前11時45分)シドニー(AEST 午後0時45分)です。アセンションという言葉とかそのあたりのムーブメントは正直嫌いだしあまり関わり合いたくないと思っている方なのですが今回はこの世界瞑想に参加してみようと思いましたコロナウイルスの広がりの収束を望んでのスタンスです今の世の中なんでも揃っていて私たちはモノもちろん他人との関係性にあっても、便利で快適な暮らしや平和な日常を送れていることが当たり前のことになっていてそれらのことに感謝しなくなっています3.11の後に人との繋がりや命のことや人生を考えるようになった人もいたけれどいつの間にか忘れ去られてしまったようにも思います人類は家族であり皆兄弟姉妹で仲間でもあります人は独りでは生きていけません多くの人がいてこそ 支え合ってこそなのです全ての人がいるからこそ私たち一人ひとりの人生が成り立っています誰か一人欠けることは私たちの地球には大きな損失なのですコロナウイルスの蔓延は私たちに様々な意味での気付きと学びの機会を与えてくれ日々教えを提示してくれています個人のことよりも社会全体のこと目先の楽しみよりも人類全体の未来のこと考えたり見直したりする機会をどうぞ一緒にもってくださいませんか? 無関心でいることは止めて助け合って相手のために、誰かのために、他人のために祈りましょう友人知人のため家族のため見知らぬ誰かの健康を祈ることに心を合わせましょうもちろん自分自身のためにもほんの少しの時間でいいのです少し前までコロナ感染者に対する犯人捜し的な反応やアジア人への差別的な出来事とかに憤慨したり買い占めに走ったりパニックに陥っている人に対して残念に思ったりマスコミの報道の仕方に違和感覚えて「みんな騒ぎすぎ!」「落ち着きなさいよ」って反発心もあって鼻息荒くしていましたWHOのデータからもさほど驚異的なウイルスではなく11年前のインフルの時と同じでは?と楽観的に見ていましたでも日に日に死亡率が高くなっていき感染率がUPしていくことにもっと真摯かつ深刻に受け止めるべき「警告」であり私たち人類が生み出した地球の病巣でもあるのだとそれぞれの立場で出来ることをするべきだとなんだかんだ傍観者のままでいた自分のことを強く恥じ入り反省している次第ですそんなんでやれることやっていこうと思います

  • 27Mar
    • 天命を生きなば望みは遠のく

      フェイクありの話です久しぶりにケースファイルに沿った話をばモデルケースとしてのクライアントの話そのクライアントさんはいつもいらっしゃると何について悩んでいるのか何を解決したいと思っているのか何処に不安があるのかどんな未来を望んでいるのかという話をするよりも職場の状況説明や愚痴政情や世相的なことについての世間話過去の思い出話とりとめのない趣味や日常の話そのような話を延々とされる方でした話したくて話したくてしょうがないというかとにかく口が止まらないのです施療をしたくてベッドに誘導してもセラピーをしようとしても話を続けるし制止してもなかなかということも多々友達がいない人ではないし精神的に大きな問題を抱えている人でもない氣が上にあがりやすくリラックス状態に移行できない人と言えばそう社会生活も普通に出来ていますので単純に言って私のような職業の人間にしか話せないことを話したいっていうところも見え隠れしておりサロンに来て話したいことを話して本人の気持ちがすっきりするのであればそれもカウンセリングの一つの形なのでそれはそれでいいのですでもそれだけを目的として通って下さっているというわけではなくその方からして叶えたい願望はあるし変えたい現実も抱えていらっしゃるわけですそれを知っているからそちらに誘導しようとするわけですけれども肝心の本人がその邪魔をなさる無意識の抵抗というか妨害なんですけども例えば方違えよろしく(気学でいうところのお水取り)旅行に行くのならこの国がいいですよと薦めてみてもなんだかんだでもでもだってで他の国がいいといいしかもこの時期と言った時には行かず最初にこちらがお薦めした場所に行くことにしたとはいうものの旅行に行くことにしたのは結局一年後だったり(そんなに時期がずれてはそこに行く意味はナッシング)ダメだこりゃって感じですそんな風に自分の問題を解決して望む未来を創造することに対してはたから見ても「真摯」に取り組んでいるとは言えずご自分に対して誰よりも本人自身が「非協力的」なんですねだからこのどうして自分が幸せになることに対して(その努力に対して)誰でもない自分自身が非協力的で否定的で道を閉ざして壊そうとするのかそこの問題を何とかしないといけないわけなんですけれどもその核心にフォーカスしてアプローチしようとしてもはぐらかす方向に行ってしまうこういう方が一番手強いと言えばそうです汝の敵は汝なり自分の人生の邪魔をしているのは自分というのは結構多くよくあるケースと言えばそうですとはいうもののこの方の場合 それだけではなかったりしますこの方自身が望む人生が生きられないのはこの方がご自分が果たす役割天命を生きようとなさらないからというのが一番大きいのですこの方は現在外〇関係の仕事をしていますその職に就くのが天命だったということはなく今の仕事に辿り着いたのはそれはそれで意味のあることだったというところで類似の目的を遂げられる職場であれば別に現職でなくてもよかったというだけのことですそれがどんな内容の仕事であったとしてもその仕事における立場と自分が出来る役割それらを自覚し 真摯に向き合ってその仕事を通して他者のために頑張れればそこに意義を見いだせれば…という感じでしょうか(ものすごく簡単にまとめてしまうと)なぜかというとそこに当人のカルマのレッスンがあるからです過去生においてその人は何度かその生まれついた国にあって政治とか権力や経済を動かす立場などに置かれた人生を送ったことがありましたかといって今の人生ではそこまでの地位はなく事務職と言えば事務職です大きな決定権など持たない単なる一介のアシスタント的ポジションでも力を持っているとか持っていないとかそんなことは関係ないのです一言で言うならば仕事に対する意識の問題で自分には権限はなく単なるスタッフで何も出来る立場にはないからとお給料もらうための仕事と流すのではなくどんな気持ちと意志を持ってその仕事に取り組むか…それがその人にとっては大切なことなのです自分がいるポジションから見えるものを見て国と国との友好的な関係を築くために貢献している仕事であるという意識を持つことや自分の中の差別意識を変えて視野を広く持ち問題意識を養っていくことそうした学びが必要でそこに当人が気付いて行きつかないとご褒美はもらえないようするに「成長」してないなーまったく気づくべきことに気付かないなあならば「まだまだ、おあずけしますよ」という魂の判断何故なら過去に大きな過ちを犯して様々な人々を不幸にしてしまっているから出来ることがあったのにも関わらずそれをしないで見逃してしまったという大いなるツケを抱えているから自らを「妨害」する意識の出どころは本人のあまのじゃくさもあるけれど真正面から自分の問題と向き合うことの「恐怖」とエゴイズムがあるからこの方の場合過去生で不幸にしてしまった大勢の国民たちの恨みとか呪いとかそういうのでもないのです魂はいつだってその人が成長することを望んでいるのです仕事の立場を通して学べる環境にいながらもいつも目を背けて世俗的な満足や幸福を追っかけているから逆にいつまでたってもその世俗的な幸福は遠のくばかりだったり私の方で人道的な活動へと目を向けることに誘導しても「自分はどうして生まれてきたのか 生まれてきた目的について考えない?」と考える方向にもっていこうとしてもヒントをたくさん出しても当人が拒否する以上はもうどうしようもないのですちなみに本人が一番「イヤだ」と拒否するもの苦手だと忌避するものの中にやらなくてはいけないことがあったり天命が隠れていたり本人にとって一番必要なものだったり欲しいと望んでいる「お宝」が隠れていたりしますそんな風に幸運の玉手箱たる幸福のありかあなたも自らの手で遠ざけてしまっていませんか?カルマのレッスンから逃げている限りやらなくてはいけないことから逃げている限り一番欲しいものは手に入らないのです

  • 25Mar
    • 罪悪感そして自己設定と制限

      その情報を知りたくて期待してうちにいらっしゃる人には本当に申し訳ないのだけれど情報を聞いて学びを受け止める準備の出来ていない人には過去生の情報とかなるべく伝えないようにしているのですねとはいうもののそもそも伝えるべき時期が来ていない人の場合は私のほうにはほとんど何も情報って降りてこないのですが(教えてもらえない)口を滑らしたら困るからなのかその人が帰ってから時差で情報が降りてきたりしてねまあいずれにしてもその意味では私はなんでもかんでも情報を読めてすべてのことが理解できる立ち位置の人ではないですあくまでそうしたチームの三次元的なポジションとしての道具であり現象を言葉にして説明したりするだけの一介のメッセンジャーにしか過ぎませんでもまあ過去生の情報を知りさえすれば解決するってもんでもないことの方が人生多いです結局のところ人生というのは連続するメビウスの輪のようなもの今表れている問題も過去生の問題とほぼ同じで性格や考え方や思い癖が現実を創っているだけだからそして過去生の悪行のツケなんかにしても今その人がどんな人になっていてどんな生き方をしているかによって異なるわけです目に見えない外部的な干渉や災難となりうる霊的な現象というのは確かに存在するのだけども影響を受けてしまうのも当人の問題なのでものすごく単純に言ってしまうと今自分が苦しめられていることってすべて過去で他人にやったこと(必ずしもそうではない場合もありますがそれはレアケースとも言えます)突き放したようなイヤな言い方になってしまいますが他人にしたことは遅かれ早かれ戻るのが法則なのでそしてそれがループになるか否かは戻ってきたときに自分の人生に起きている悲劇や不幸をどう考えるかという捉え方次第抜け出したいなら起きていることの意味を考えてその結果を真正面から受け止めてそれを自分自身の肥やしとして成長していくしかないわけですさて最近のクライアントさんで罪悪感から自分自身に罰を与えている人生を送っている人がいらっしゃいましたもちろん当人は自分で自分を罰していることなぞ知りませんその人はたまたま過去生でしたが罪悪感を抱くのは何も過去生に限ったことではありません幼少期とか今の母親の胎内でとかでもエネミーな刷り込みは起きてしまいます父親と母親が喧嘩しているのを胎内で聞いていた赤子はその気質によっては「私のせいでケンカしている」と思い違いをしてしまうこともあるのです生まれた後も環境によっては虐待ではないにしてもちょっとした親や周囲の言動で罪悪感を抱えることもしばしばですなんていうかとくに日本人はそういうのが多いような気がします自己評価が低くて自己肯定感が持てない人霊的成長の過渡期以前のさらに未熟な状態にある人は(ヤコブの階段上の本能か無意識の状態にある人)どうしても自我が未発達でアイデンティティをしっかりと持てないからこういうエネミーの罠に陥りやすいですでも罪を罪として自覚する心や考えも人には必要だからこういうのは経験として避けられないことでもありでもどこかで抜け出さなくてはいけない攻めの罠でもあるでは誰が抜け出すことを許すかといったらそれはその人自身なんですよね直日たる内なる神誰でもないパーマネントパーソナリティが判断すること話戻ってそのクライアントさんの場合は過去生の自分の行いに対して酷い行為をしたと罪悪感を抱いていたわけです自分は罰を受けないといけないかつて自分が他人に与えた苦痛を自分自身にも与えないといけないと思う気持ちが自らを死へと向かわせるような行為や習慣に導いているわけなんですけれども同時に自ら成長するためにかつて他者に対して犯した罪がどれほど非人道なことであったのかそれを知るために「心」を育んで他者への労りとか優しさとか思いやりとか早い話が「愛」を学ばないとでもあるのでそういうものが芽生えるまでは「命」の大切さを身をもって知るまでは…なところにいる人でもあったりするこれって過去を紐解いて解説してそれで得られるものではないのね今の段階で伝えても「過去生」のせいにして終わりで当人が得るものは情報以外何もないあなたには他者への「愛」がないから他人に親切にしなさいとか命の尊さとか重さとかを知りなさいとか確かにその人が知るべきことではあってもそれを伝えたとしてその人の心にはまだ響かないそれで他人を愛せるようになるわけじゃない他人に言われて変われるレベルなら逆にこんな人生を自らに課していないそれもまた現実罪悪感からの自らへの罰戒めとしての拷問的な自傷的行為であったとしてもこの場合容認とは違う意味で見守るしかないこともある「心」は経験しないことには育たない愛を知るためには愛のない環境でそれに飢えていることを自覚するまで飢餓の中に放り込まれるしかないこともある知識や技術は教えることは出来ても「心」だけはいかようにも教えることは出来ない自らが揺さぶられて刺激されて喜怒哀楽を知りながら感情という畑を耕して獲得する以外にはそれから正当?な罪悪感からというわけではなくて低い自己評価や刷り込みから謝った自己設定をして自らの人生に制限をかけてしまっている人もわりと多かったりしますそういえば私も「源氏物語」の中に出てくる夕顔の君の「神様が下さった分だけ幸せですわ」ってセリフが好きだったんですけどこれって謙虚で控えめで無欲などんなことにも感謝して生きる前向き思考…ととることも出来るんですがある意味ではものすごく遠慮しぃの後ろ向き発言でもあるのですよね自分の人生これだけで十分ですって制限掛けて決めつけちゃっているとも取れるまぁ何事も当人がどう思うかってのが重要で一夫多妻が当たり前の時代で貴族社会にあって柏木の子供産むものの正妻からイジワルされて追い出されて困窮して春をひさいであげく源氏と付き合ったばっかりに六条の御息所の生霊に取り殺されちゃったのに「神様が下さった分だけ幸せですわ」とまだ言えるのなら夕顔の君はきっと幸せだったんでしょう子供遺して死んでしまうもののいい男二人と恋愛できたのだから?みたいな自己満足があれば話がまたまたそれてしまいましたが自己設定で自分の人生に制限をかけてしまっている人はホント多いです「私の人生こんなもんで十分」とか「どうせ私なんか」とか自己評価の低さがそのまま人生に反映されているといいつつ私も自分で自分に制限をかけていること最近あらためて気づいたヤツですっっ汗こういうのを自分にかけた呪いというのですが自分で自分に呪いをかけている人多いですそれは言葉であり思考であり想念なのですが自らの言葉で自分の事を卑下して縛りを与えて呪文を唱えて自分自身に刷り込んでいる自分自身にそんなことをしていることを気付いていないことがまた問題でだからこそ過去ではなく未来のことを語ることって大切この場合の未来とは自分が成りたい理想のこと自分が欲しいもの好きなもの愛しているもの楽しいこと嬉しいこと欲しいもの自分がハッピーになれる出来事すべて嫌いなものや憂鬱なことや嫌だったことや苦しかったこと悲しかったことは一度吐き出したらもう口にしないってことですね過去の想いとくに怒りや抑圧された感情は確かに自覚して発散させることは必要だけどそれをしたらば速やかに未来に目を向ける必要がある自分がどうなりたいかどんな未来を生きたいのかどんな人間としてこの人生を生きたいのかもっともっとそうしたことに気持ちも思考も向けて言葉も選んでいくべきだと思うのです何しろ言葉って他人に言うにしても同時に自分自身に聞かせている呪文ですから他人に言う言葉はもれなくいった本人に戻ってくる自分が口にする言葉はすべて自分への呪いまたは祝福の言葉となるのですからそれは文字として書く言葉も同じですね手文字だけでなくネットに書きこむ言葉もそうちなみに私はYoutubeなどでコメントを残すときは動画投稿(情報)への感謝とか誉め言葉とかうぷ主さんにファンとしての反応での書き込みでそういうのしか書き込まないようにしています善い言葉や褒めるところが出てこないのなら書かないのがいいのかなってハイ

  • 20Mar
    • スピリチュアルレッスン/エソテリックティーチング

      魔女塾→ヒーラー養と講座→スピリチュアリズム基礎講座→グループレッスン→スピリチュアルレッスン/エソテリックティーチングと名前と内容(料金)を少しずつ変えてきた講座ですがまた少し内容を変えました去年からのメニューではエクササイズは外して知識の部分だけお伝えするシンプルで簡易的な講座として細々と続けていたのですが実際的なテクニックやトレーニング部分としてのエクササイズも込みにしたレッスンも復活させましたようするに知識のみ学びたい人と実践的なスキルも学びたいという人とそれぞれに分けた学びのコースです基本的にはマンツーマンの個人レッスンです参加者を募り集まっての開催ではなく個人セッションと同じように予約制で双方のスケジュール調整によっての受講になりますただし友人知人など複数名で一緒の申し込みの場合レッスン料がグループ割の価格になります【カリキュラム】 レッスン1-「絶対存在と神聖なる計画」人間は何故生まれてきたのか~宇宙と人類の誕生レッスン2-「3つの次元と3つの身体」人間が生きている世界と身体と生命エネルギーの話レッスン3-「エーテルバイタリティーとエレメンタル」人の運命と記憶を創るもの レッスン4-「死後の世界と永遠なる世界」死と再生と解脱~輪廻転生とカルマのレッスンレッスン5-「多次元と異次元の存在について」心霊現象や霊的な存在(生霊や死霊)レッスン6-「エネルギー的アプローチとは」ヒーリングやアチューンメント、除霊の話レッスン7-「サイキカルな能力とスピリチュアルな能力」霊的な成長とエゴイズムの問題知識の部分はここまでで追加した実践的なレッスンエクササイズが下記の内容になります【エクササイズ】 レッスン1-「内省と内観法」潜在意識のお掃除方法とエレメンタルの書き換え方等レッスン2-「呼吸法と瞑想」パターンドブリージングとグランディングレッスン3-「基礎的瞑想」3つの身体のバランスを取るためのエクササイズ レッスン4-「瞑想とクリアニング」エネルギフィールドのクリアニングのための瞑想法レッスン5-「氣を感じるレッスン」氣の高め方と氣の集め方/氣ボールの創り方レッスン6-「アファメーションと誘導瞑想」潜在意識へのアプローチの仕方を体感し学ぶ礎レッスン7-「セルフヒーリング」イメージを用いてのサイキカルヒーリングの基礎レッスン8-「3つの身体の鍛え方」霊的な成長とエゴイズムの問題 【フォローレッスン】 フォロー1-「全体を通してのおさらい」解りにくかった点についての質疑応答など 料金に関してはサイトをご覧くださいmedicinewheelどういうことを教えているかというと20世紀の偉大なヒーラーでストロヴォロスの賢者たる(かつてプラトンでありダヴィンチでもあった)ダスカロス氏の書物から学ぶことの出来る霊的真理の教えが基本というかベースたるバックボーンにはあるのですけれど故ハラランボス・ランバート氏やダスカロスの後継者で愛娘であるパナヨッタさんのことは敬愛しており心の師と仰いでいますが彼らのサークルと私は無関係です(無償奉仕の純粋で正当な教えを学びたい人はダスカロスの会の門を叩くといいと思います)また私はその他の秘教的な教えの団体には属していません 宗教とも関係ありませんまったくのフリーなウィッカンです純粋なそれらの教えだけではなくエドガー・ケイシーやスピリチュアリズム(心霊科学)Wiccanやシャーマニズムやアミニズムその他の教え私がこれまで学んできて理解できていることを噛み砕いてお教えしているのが内容になります正直、哲学ですのでちょっと小難しい内容かもしれませんボディワーカーやヒーラー(民間医療の施療師)とくにエネルギー療法をされている方や氣を扱う方人の運命を扱ったり道を説く方とか霊的事象を扱う方スピリチュアルなワークをされている方にはぜひ知って頂きたい基本的な知識になりますまたそのようなお仕事をされている方でなくてもご自分の生まれてきた意味やこの世の真理を知りたい方自分がどのように生きていけばいいのか迷われている方心霊(超常)現象やこの世の不思議について知りたい方にもおススメしますそうですね引き寄せの法則みたいな願望実現とか成功哲学みたいなそのような現実を変えるための方法論や人生をよりよく賢く生きるための具体的な知識やスキルをお教えすることが目的の自己啓発的内容やレッスンではありませんし透視能力者やチャネラー 超能力者や霊能者になりたいとかサイキック能力を開発するためのレッスンでもありませんが少なくとも引き寄せの法則や願望実現の理屈(原理)がわかるというか世界中にちらばり広がっている多様な秘教的教えの違いやその違いが生まれてしまったのか繋がりとか共通性とかどれがどのことを言っているのだとかそういうのを理解する上での知識の礎になるのではともあとは霊的に成長したい霊性を高めたい高める方法を知りたい輪廻転生の輪から抜け出す方法が知りたいとか今の人生だけでなくて魂のトータルとしての自分を知りたい来世(未来)のことも展望に含めた人生を考えたいとかそう望んでいる人には是非受けて頂きたいと思いますblogでも知識に関しては解説してはいますがやはり直接お教えすることこそが理解と会得の早道なので文章でお伝えするのと体系立ててお話するというのではかなり違いがありますし少し前に動画(youtube)の配信も考えたりしましたが私には向かない方法なんですよねっっ何よりもエソテリックな教えは直伝が基本というのもありますエネルギーを伝えるということは文章や通信環境ではどう考えても限界ある無理な行為なのでそしてなんでまたこの時期に改めての告知と内容追加なのかというとまぁお達しというか突き上げがあったからです今の時代 二極化が進んでいます科学とは別の宇宙理論が好きな方ならご存じとは思いますが…本能や無意識に踊らされ操られて負のエネルギーやサイクルに飲み込まれ相変わらずな個人の運命パターンを繰り返していつまでたっても自分らしい個としての人生を生きられず集団的集合無意識に引きずられて創造的な自分を生きられない人が多いということで自分が何で生まれてきたのか自分の運命を創っているものが何なのか創造的に生きるってどういうことなのか神と言われる絶対存在(宇宙のフォース)と個人としての自分との関係 魂との関係性それらを理解し 運命を知り宇宙や人類や社会の中での自らの立ち位置を自覚して意識的に未来を創造して生きるということがどういうことなのかどうすればいいのかそのような迷いや疑問を持っている人たち様々な書物を読んだものの情報過多でかえって混乱しバラバラな教えをどのように集約していくべきなのかまとめられないでいる人霊性を磨きたい神体を成長させていきたい意識的に生きることの意味を知りたいとか見えない世界と現実世界との相関性を知りたいという人とかそのような人に基本となる知識を教えること伝えることの必要性を感じたからです(私が知っている知識やテクニックも含めて)需要は決して多くはないでしょうけどそんないきさつで改めての告知ですちなみに対面が理想ですがこのご時世ですし遠方在住の人はSkypeでの受講が可能です日本語がわかる方ならもちろん海外在住の方も可です学ぶペースはその方の事情により応相談となります月に一回とか半月に一回とか週末や連休にまとめて受講したいとかケースパイケースです当方winPCなのでズームは使えませんスマホではなくガラケー利用者ですので通信での通話はPCだけになりますまた過去に知識の部分だけ学んでくださった方でエクササイズは受けてないという方はエクササイズだけの受講が可能です詳しいことはサイトのページをご覧ください問い合わせはこちらのblogからでもFacebookからでも構いませんダイレクトにヤフーメールに下さっても構いませんrasverry@ヤフー.co.jpです私がこのような知識を教える仕事の裏にはホワイトブラザーフット(セラピス・ベイ)の導きや意図があるということだけお伝えしておきます※神智学協会とも私は関係ありませんが従って実践的なスキルを学ぶコースに関しては人によっては霊的な成長を望まれるという決意表明的なイニシエーションの意味も含むことになりますチャネリングを推奨していない立場なのでガイドさんとか目に見えない方たちのことそれが誰でどうした人たちなのかというのは極力いままで話さないようにしていましたがまあそんな感じでいちおう目に見えない師匠はいます(ヒ-リングワークを手伝って下さる方たちとは別)信じなくてもいいですけど2020.3.20 春分に寄せて

  • 17Mar
    • こんなご時世なので~遠隔メニューと電話鑑定のご案内

      【遠隔メニューと電話鑑定のご案内】昨今の情勢で外出を憚る人もまだまだいらっしゃるようですですがだからこそ先行きが不安だとか心配事や悩みもあるし気持ちが落ち込んでしまい憂鬱に支配されて他人に話を聞いてもらいたいという人自宅待機とかで時間が出来たからこそ先々の人生設計を建てたり現状の再確認をしたり過去の見直しや清算をしたいという方もいらっしゃると思いますですので自宅に居ながらにして受けられるセッションメニュー(電話鑑定・遠隔メニュー)のご案内です通常は前払い(振込)でお願いしていますがFBからお申込みの方に限り後払い(振込)が可能です■電話によるご相談スピリチュアルリーディング 30分5000円 60分10000円※Skypeでの対応が基本ですがSkype機能をお持ちでない方の場合携帯での通話も可能ですスピリチュアルセッションやチャクラヒーリングなどはSkypeでのビデオ通話が基本です詳細はご相談下さい時間的には11時から0時まで対応可能です時間を事前にお約束しての対応になります■遠隔ヒーリングレイキヒーリングによる施療です3日間(40分×3回) 10000円家(室内)全体のクリーニングと依頼者ご自身またはご家族のどなたかお一人に対して行う氣を譲渡(送る)して健康増進を図ることが目的のヘルスケア&サポートとしてのヒーリングです■遠隔アチューンメント臼井レイキとカルナレイキは遠隔は承っていませんがライタリアンレイキは遠隔での受講が可能ですその他の発展系レイキに関してはどのようなメニューがあるのか希望者の方にはPDFの価格表を添付ファイルでお送りしていますあとエソテリックティーチング(霊的真理のお勉強)の方もSkypeでの受講が可能です詳細はHPをご覧ください質問や問い合わせはお気軽にさて今の世相のこと怖いのはウィルスでも病気でもありません問題なのは恐怖をあおられて扇動に乗り集合体無意識の創り出す恐怖の渦に呑まれる人間です集団ヒステリーを起こす人がいつだって一番恐ろしいもちろん体調管理も含めて病気の予防は大切ですでもそれはいつだってどんなときもで今に始まったことではありませんそんなのはずっと昔から言われていたことでこれからも備えるべきことです海外では排他的な差別意識とスケープゴート探しでもアジアが発生源だといって叩いていた国がいまパニックに陥っています日本では自分が感染源になることで周囲から非難されたくない広めたと言われたくない村八部になりたくない加害者になりたくないという日本人特有の人の目や周囲の評価を気にするところ日本での感染率が他国に比べて低いのは入浴をマメにする習慣があったり手洗いやうがいをするという衛生観念がもともと根付いているからというのもありますしなんだかんだ対処したことも功はありましょうが(今回感染が発生源になってしまった中国も一気に広まった西欧諸国も衛生観念は低く街中も清潔とは言えないし毎日の入浴の習慣もないしうがいや手洗いの習慣もないし手を洗う場も少ないです日本の過剰包装を大げさと笑って下さる彼らの国ではパンとか食べ物とかかなり不衛生な状態で売ってますし)とはいうもののいま世界経済は混乱に陥っています日本経済ももちろんのことこれはもう21世紀になってからお試し的に人類に対して起こっていたことに対して無視してきた結果でもありますね地球温暖化による自然災害の発生に対する無関心先日のオーストラリアの大火事に対する態度ももちろんシリアや中東の紛争に対する無関心アフリカや後進国の飢餓や紛争に対する無関心台湾や香港のことに対する無関心そういうことでも自国の利益優先対岸の火事という態度でいたからこそそれならということでウイルスという国境を越えて誰もが被害を被る災害がやってきたのですこうした出来事からのメッセージ性を私たちの無関心さと無責任さに対する警告として謙虚かつ厳粛に受け止める必要はあるかと思いますコロナというウィルスが世界と人類に混乱をもたらしたというよりこのウィルスに対する私たち人類の反応が混乱と恐怖と多くの人々が打撃を被る経済的停滞と低迷を産んだのですいつだって病気が悪いのではありません正しい認識と展望をもたない私たちの問題です現状として日本経済の悪化は著しく経済的な見通しに関しては楽観的にはなれませんですがこのような状況下だからこそ101匹目の猿運動ではないけれど各自が出来ることをやっていきましょう空いてしまった時間で今の自分が向き合うべき問題解決すべきことに集中して未来を創造していきましょう自分の中の恐怖と向き合ってそれを退治して過去を乗り越えてあらゆる恐れを手放して明るい未来を築くことにエネルギーを使っていきましょうともに頑張りましょう♪

  • 12Mar
    • まとめ~自己内省と謙虚さの必要性④

      エゴイズムとは面と向かって戦ってはいけない勝てる見込みはないし確実に負けるから人は弱く儚いものだ誘惑に簡単に負けるし自分やプライドを守るために平気で嘘をつく人の想いを踏みにじったり信頼を裏切ることに罪悪感すら抱かない人々のなんと多いことかエゴイズムは本当に醜いすべての悪の根源であると言ってもいいけれども同時に人は強く美しい絶望的な刹那の混沌の狭間でほんの僅かな善人と勇気ある人々の行動の中気高き美徳と深い慈愛を感じ希望いう名の一筋の光を見出すことも出来るささくれ立った心が救済される瞬間まだまだ人類捨てたもんじゃないそして過ちは誰にでもあるものそこを通らないで来た人々など一人もいないのだからかくいう私もたくさんの過ちを犯してきた一人自分が重ねてきたことを棚に置き誰を責めることが出来ようか自分がなんで生きているかというと多くの人々のエゴイズムの皮の下に埋没し消えかけてしまっている僅かばかりの良心をまだまだ信じたいからだと思うし殺伐とした世の中において灯のように明日への希望を与えてくれる勇気ある人々や優しさや愛に満ちた人々に逢いたいと願っているから希望の光が見たくてたまらないのはたぶん私だけではないはずださて先に書いた①から③までの話②と③にてモデルケースとして書かせて頂いた方たちの振り返り先走って思い込みで行動しがちな人をAさんとしますAさんの場合先入観と勝手な思い込みが問題でそこから決めつけがスタートして行動が暴走するってのが欠点で結果的に相手や周囲のためによかれと思っていた行動が「親切の押し売り」とか「ありがた迷惑なこと」とか「ワンマンな専制君主」になってしまっているのですその裏には役に立つ人と言われたい 相手に感謝されたい評価されたい 注目を浴びたい っていうエゴイズムがあるわけですこのエゴイズムがエスカレートして肥大すると単なる自己中な勘違いさんを通り越して自己顕示欲丸出しの女王様になってしまうこれを避けるためにはどんなエゴイズムでもそうなんですが…自分のよくない(過去に作ってしまった)エゴイズムを起動させず助長させずコントロールするためにはまず自分がそういったエゴイズムを所有していることをきちんと自覚すること「自分にはそういった欠点(エゴイズム)がある」ってのを認めることが大事なんですねエゴイズムとは戦っても勝てないしエゴイズムは死なない存在なので(人の力では滅せない)エゴイズムによる騙しの状態から目覚めるためには自己内省をして自分自身とその周囲の事象を客観的に見る癖をつけることです(トレーニング)自分の弱さや脆さ 短所などを冷静に自己分析して理解して自分自身に対する知識を身に着けて足りないところも過剰なところも善いところも悪いところもすべて認めるところからここに否定や批判 ジャッジはいりませんありのまま受け入れるだけですそして第三者の言葉に聞く耳を持つことです(耳が痛くて聞けないことは多いでしょうが)誰しもが批判されるのは嫌いだと思うし否定されることを痛みと感じるわけで認めたくないと抵抗を示しますとくにエゴイズムがめちゃくちゃ抵抗するから自己を正当化して自己弁護に入るというかこれを始めるとエゴイズムが反応(反発)して反骨精神がむくむくと…顔を覗かせてくるはず話をAさんに戻しますAさんの短所は裏返して長所に転じることが出来る性質でもあります動機の部分の裏側に他人から評価されたいという不純な気持ち(エゴイズム)があったとしても他人の役に立ちたいという気持ちに嘘はないのでここはちょっと矯正すればエゴイズムを薄めてポジティブな行動のエレメンタルに変換できるんですよね当人が自分のそういった点を「ああ私にはそういうところがあるな」と「相手の話を聞かずに 勝手な思い込みで動くのが そこが私の問題なんだ」と気付いてそこを直そうと思いさえすればそのために相手ときちんと対話して言葉を交わしその人が何を望んでいるのかどう考えてどう思っていてどのような計画を持っているのかそのあたりを理解しようと心掛けるだけでいいんですようするに「他人をきちんと理解しようとする」それだけです対話をすればいいだけの話 相手の話にきちんと耳を傾けて自分の想いや考えも伝えつつ相手を理解しようとする姿勢さえ持てばそれだけで済む話なんですホント自分が相手(周囲)に対してしてあげたいことではなく相手(周囲)が自分に対して何をして欲しいと思っているかという視点で物事を考えられるようになればそうすれば勘助勘子的なズレが無くなって彼女が求めている「評価」が周囲から得られ相手から感謝されるようになるんですね気持ちの押し付け的押し売りをやめて正しく物事を見よう(聞こう)としさえすれば今表面化しているAさんの欠点はエゴイズムから離れられて素晴らしい長所になるさて北朝鮮の将軍サマをエネルギー的アプローチで民主主義者に変えたい!そうすればアジアに平和で安泰が戻るそのための働きかけをやりたい!とおっしゃっていた方をBさんとしますBさんが掲げている理想はそこだけ聞いていると世界やアジア諸国にとって素晴らしい試みとも言えるけれども(それが出来るならみんなとっくにやっとるわ…という話は置いておいていやさ実際にそういうのをやっている人はいます効果が出ているのかは…推して然り)すべての人にとって良いように見えることでも本当にそれが世の中にとってベストなことかはわかりません私たちが考える正義が本当に正しいかどうか私たちから見て「良くない」とされることで非常識なことでも当事者や他国の人にとって「良くない」ことであるかは決めつけられないのですそれは傲慢な考えというもので私たちの価値観の押し付けでしかなく…まあ確かに北朝鮮はアレな国ではありますがでもって教育とか子育ての理想論とかを唱える人が自分の家庭が崩壊していて子育て失敗している人が少なくないようにBさんの場合もお隣の国のことをなんとかしようとする前に身近なことを片付けるべきでは?ではありましたとはいうもののBさんのご主人は共同経営者の人から酷く不利益で理不尽な状況に追い込まれていたからです北の将軍様をナントかする前にこの身近な将軍様である共同経営者の人に対してナントかするのが先では?な話の方がとてもシビアな現実身近なことがコントロールできないからといって代償行為として他のことをコントロールしようとするのは実はよくあることです自分の人生(運命)をコントロールできないから他人の人生をコントロールしようとすることで自分の人生の欠落を埋め合わせ自分の力を誇示しようとするっていうエゴイズム親が子供に対してやりがちでもしくは夫婦の関係とか共依存で起こりがちです自分の仕事を通じてそれをしようとする人も多いですねまぁBさんの場合 過去生でもその支配欲からたくさん失敗と過ちと罪を重ねていましてコントロールできないことに対してどうするかそういう学びが今生のテーマでもありましたが(あと他人に対する共感性とか同情心とかようするに他者に対する思いやりと愛情ですねその気持ちが欠けているのでここを養わないといけないのです人の愛し方を学ばないといけないというだから慈悲と慈愛の行為が根底にあるカルナレイキを学ぶことにストップがかかった)そういう他者に対する共感性や愛情が未発達で情緒が育ち切っていない人が知恵はともかく力を持つことはとても危険なことなのですね実際Bさんは自分の好きなアイドルの罪は問わずその被害にあった人に対しては無関心そのものでしたそこなんとも思わないのって人としてダメですスピリチュアルなワークには向きません自分の好き嫌いと自分が考える正義がすべてで自分が関心のあることだけが重要って段階で世の中に対する見方が公平ではないのですねBさんはやはり「自分の考えるところの 理想や正義や善が すべての人にとっての 理想や正義や善ではなく 良い事とは限らない」ということを理解するべきで自分の考えが偏っていて感情に欠損があること(愛情の示し方や他者への共感性の欠如)にちゃんと知って自分の中に「自分の想い通りにしたい」という支配欲や他者への征服欲といったエゴイズムの種があることに気付かなければなりませんそして人を愛すること他人を理解すること愛を表現する方法を学んで世の中を変えるならまず自分からそして社会をよくするならまずは家庭から社会悪としての独裁者を変えたいなら自分の中の独裁者を変えることそして身近な独裁者をなんとかするところからそこから手を付けるべきなんです周囲の期待に応える自分を作りあげていつもどこでも周囲に頼りにされる私を自分で創った自分劇場で演じ続けている人はCさんとしますがCさんに関しては③で解説しているので割愛しますいずれにしても「自分はよい事をしている」「自分は間違っていない」そういう思い込みのエゴイズムこの罠にはまってしまうと人は謙虚さを失って傲慢になり人の話に耳を傾けなくなってしまうので「裸の王様」になってしまった自分の姿になかなか気づくことが出来ません今回あげたエゴイズムもほんの一例ですがエゴイズムは本当にたくさんの種類があって複雑で自己中さと醜悪さのベールでその人の本質やよい部分を覆い隠してしまうのでエゴイズム自体イコールその人自身だと周囲も思ってしまいますし当人もそれが自分であると騙されてしまっている人ばかりだったりしますこういった負のループから抜け出すためには内省(自己分析)と観察しかありませんそして周囲に起きている出来事自分の人生での「痛み」や「問題」「苦しみ」の原因になっていることは自分のエゴイズムが原因でありそれらが具現化されたものであり自分に「痛み」を与える存在としての人物は自分自身のまさにエゴイズムの投影なのだと(過去の自分の姿であり写し鏡)謙虚にその事実を自覚することですその上で「正しい考え方」を身に着けるべきなのですでも一人でこれをするとなるととても大変ですですので「正しい知識」を学んで導き手となってくれる第三者的な相手が必要ですそのためにはグループレッスン(複数名で学ぶこと)がとても有意義な時間をもたらし短時間で多くの気づきを得ることができます

  • 29Feb
    • 恐怖の記憶と集団パニック~予防医学と免疫力の大切さ

       上記の画像は疫病・息災除けの角大師左のは深大寺のものです平安時代に比叡山延暦寺の天台宗の中興の祖で僧侶である良源(慈恵大師・通称は角大師や元三大師など)が疫病神を追い払うために夜叉になった時の姿を模したものでこの姿絵を魔除け疫病除けの札として加持祈祷を行い開眼し民家に配布し戸口に貼ったところ霊験すさまじくこの札を貼った家人は疫病にかかることがなかったとのこと確かこの時の疫病は天然痘だったと思いますが平安京では長屋王を失脚させて死に至らしめた悪名高い藤原四兄弟とかも亡くなりました(天台宗のお寺で見かけることが多いです気休めかも知れませんが入手できる人はゲットされては?家族の無事健康を願い祈る心があればきっと役に立つはず)さて話代わって私は生来病弱であるにも関わらずインフルエンザだけには今のところ罹ったことがありませんアレルギー体質で免疫不全だったり幼少期に罹る感染症も一通りかかってはいるのですがいつも高熱が出て「今度こそインフルでは?」と病院に行くと「違います。咽頭炎です」という診断職場でインフルが流行っていたり翌日休んだ隣の席の人が実はインフルだったとか(8時間も密室で一緒にいて他の人は感染)インフルで寝込んでいる人のお見舞いに何度か行って数時間看病したこともありますが幸いなことに罹患しないのです あくまで今のところは…というだけでこれからのことは解りませんがインフルに関してだけは掛かりにくいようだとそれだけは言えるようですそして私の両親も姉もインフルに罹患したことがありません(まぁうちの姉に関してはカビのはえたものを食べても腐ったものを気付かず間違って食べてもお腹一つ壊さないツワモノです)遺伝子レベル的にインフルに強い抗体でも持っているんでしょうかそのあたりは謎ですそしてメディカルハーブとかアロマテラピーとか民間療法レベルのホリスティック医学とかいちおう予防医学など習ったことのある私ですが普段はまったく意識してないというか無頓着ですでも昨年知人がくも膜下出血で倒れたときは自分も心配になって脳ドックと血液検査を受けました結果として無問題 心臓も大丈夫絶対血液ドロドロだと思ったのに血栓とかもなし13年前に肝臓疾患で余命宣告されたのが嘘のよう思うに身体の弱い人ほど自分の心身の状態に敏感で無理をしないというかちょっとしたことで大げさに反応し守りに入って休養を取ったりするからそのことが健康に繋がっているような気がしますでも身体の丈夫な人とか肉体の状態に鈍感で無理の利いてしまう人ほど気が付いた時には手遅れってことが多いような痛みに強い人ほど限界まで気が付かないですから痛みに弱い人の方が早く対処するというのかなだから私もインフルとか酷い感染症にかからないで済んでいるのでしょう咽頭炎だけは数年に一回位は掛かってしまいますけどレイキヒーリングを修得してからは冷え性ではなくなって(昔は末端が氷のようでした)花粉症も改善されて一年中風邪を引いているというそんな状態から脱出できましたしこれも氣の技術と知識を身に着けた結果かなああとやたらお茶(特に紅茶)を飲む人でもちろんハーブティーも一日に一杯は飲むし朝はレモン&蜂蜜を飲むし冬場はひたすらミカン食べてるししょっちゅう咽喉を濡らしているのと便秘知らずな体質のお陰もありますねそれだけでなくストレスがない生活をさせて頂いているお陰が大きいとつくづく思います過去の記事でも書いたのですが死の記憶からは恐怖が生まれやすいのです食べ物のこともさることながら自分の命を奪ったものに対する拒絶反応というのがどうしても生まれてしまうのですねそれは道具だったり食べ物だったりシュチエーションとかもあるんですけどね例えば刃物なんかで殺された人はとがったものが苦手とかカミソリで切られた人は髭剃りとかできなかったり包丁で刺された人は包丁が未だに持てないとか飛行機事故で亡くなった人は飛行機恐怖症だとか溺死した人は水を上手く飲むことが出来ないとか海やプールとか泳ぐことに抵抗があったり…病気の原因となったものもそうですとくに感染症ペストとか天然痘とかすペイン風邪とかあらゆる流行病で一家全滅とか目の前の人がどさどさと死んでいくようなそういうのも強烈なトラウマになるとともに個人の枠を超えて集団のトラウマになりますねいわゆる集合体無意識に記憶されるというようにみんなにとっての共通の恐怖になります大災害とか戦争とか民族浄化とかのジェノサイドもそうなんですけどそして今回のコロナウィルスという症例結果が十分に得られていない未知の病原菌に対して人々も社会も恐怖を抱くわけです過去の疫病大流行によって死滅した多くの人々の過去の記憶が個人そして集団的に蘇るわけですそこに恐怖を伴って自分たちを死に貶めた病気の記憶ですね例えば大洪水の後汚染された生活水と飲み水によって大規模かつ広大な範囲に広がっていった感染症私が以前エジプトに旅行してカイロ博物館に観光した時一般人のミイラがたくさんある部屋の前を通ったのですがその方たちの中の多くがそうした疾患で亡くなられた人たちのようでしたまた私はネズミがとても嫌いなのですが(ミッ〇ー〇〇スもカピバ〇もダメ)それはネイティブアメリカンだったときにネズミが衣類やリネン類に触れたことによる媒介されたウィルスの感染症で死んでいるからです私だけでなく本当に大勢の人が死にました当時は別の原因と思われていましたがネズミの駆除さえすれば…そしてそこに誰かが気付いてネズミの駆除だけでなく汚染された衣類をすべて焼却していればあんなに広がることなくもっと早い段階で収束していたはずですまあ当時は衛生に対する観念というか知識が乏しかったので仕方ないと言えばそうなのですですからこのような原因を追究し取り組んでいった人がいることに敬意を表さずにはいられませんちなみにこの動画オススメです 手洗いって単純なことがどれほど大切なことかそれを知らしめて当たり前にしてくれた彼の功績に感謝のみですそして彼の人生は功績に反する結果でとても悲しい手洗いのことで言えば飲食店で客側にも手を洗う場所がないことに疑問を覚えますとくに洋食系でパンを手づかみで食べてくれってそんな感じなのにおしぼりもなく手洗い場がトイレしかないそういうのってどうよっていつも思います日本人は入浴する習慣が西洋より長くある文化でわりと清潔なんだけど最近は手洗いとか入浴を疎かにしている人が増えてる気がする潔癖症すぎるのも何だけど無頓着な人もいて極端かなちなみに病気の発生源の近くには必ずその病原菌や病気に対して有効なものが存在するというのが自然界の不思議な法則ですコブラの毒に対抗する血漿(毒消し)がコブラの毒から作られるようにその土地で大流行する病に対抗できる成分を持つ何かがその近くで見つかることは多いのです植物がその良い例ですねマラリアなんかも未だにあるわけですが日本の蚊帳や蚊取り線香そして蚊よけになる藍染めの衣類とかそういうのが蚊の媒介による感染症に悩まされている地域に広まっていけばいいなと思いますそして免疫力いま学校が休校になったりイベントが中止になったり結婚式も取りやめや延期になったりしています3.11のときの自粛ムードほどではないけど大勢の人が楽しみにしていたことが無くなって致し方ないとはいえ意気消沈した空気でどよーんとしていますそして恐怖の記憶がザワザワと噴出してもいます人は楽しいことや喜びがないと免疫力が下がります恐怖や不安も免疫力をめちゃくちゃ下げてしまいます免疫力だけでなく波動も下がります免疫力を上げるのは笑いですもちろん乾いた笑いとかではなくてお腹から声を出して笑うのが大切です氣の不足ももちろんよろしくありません身体を温めるということも大切だし良質の食事や睡眠をとることストレスを上手く発散して気分を上げないことには免疫力は上がりません冬は身体が毒素(老廃物)をため込む時期ですそして春に向けての季節の変わり目で肉体が冬に貯めこんだ老廃物を排出しようと動き出して様々な不調が心身に出やすい時期ですとくにアレルギー持ちの人花粉症などを持っている人はとくにこの時期免疫力が低下してあらゆる刺激に反応しますそして空気が乾燥しているのも感染症を引き起こす各種ウィルスにとっては最適な活動時期ですだから感染症がもっとも流行りやすい時期なんですねそうならないためにはインフルの対策と同じで普段から健康診断を受けて自分の今の体力や身体の状態を知っておき検査結果から弱っているところや異常のあるなしについて把握することも大切です身体のコンディション整えるために運動を生活に取り入れたり民間療法に頼ったり身体を温めて自然治癒力として生じている心身のデトックス活動を助けて促すことです春に眠くなるのは自然なことなんです身体が睡眠という回復時間を単に必要としているだけなんですから冬眠していた身体機能が目覚めようとしている時にはそれを穏やかに進めてあげるだけでいいのですから十分に睡眠をとって太陽の光に当たってビタミンを取って楽しいことを考えてたくさん笑ってお洒落をして気分の上がることをして心身のバランスを取ってくださいうがいと手洗いももちろんちゃんとしてお風呂も入って身体を清潔にして(シャワーだけなんてのはダメでちゃんと湯舟で温まって下さい)家の掃除と換気ももちろんのことゴミもちゃんと捨ててそうそう家の中の空気をよくするためにアロマテラピーの精油を加湿器で香らせるのもいいですがドライハーブを燃やすのも良いですよその昔はストローイングハーブといって疫病除けにドライハーブを室内に飾ったり床に撒いたものでした(その名残がリースなど)セージはもともと呼吸器系疾患を予防するためにタバコとして吸われていましたタイムはティモールという殺菌作用の強い精油を含んでいますので生のタイムがあるならお酢につけてそれらで台所用品を消毒するのもベターですちなみに中世の時代にペストが大流行した街中で死体から衣類をはぎ取り金目のものをあさっていた四人の泥棒がいたのです彼らはペストに罹患することなく荒稼ぎしていましたその秘密を教えることを条件に罪を赦されたのですがそのレシピは「四人の盗賊のビネガー」として今も伝えられています彼らはこの特別に処方したビネガーを身体中にまんべんなくつけてペストの感染から自らを守っていたのだそうですヘンルーダ、タイム、ローズマリー、セージ、ラベンダーこれらをワインビネガーに4日以上浸して作ります(エチルアルコールや90度以上のウォッカに浸してもOK)後世のレシピではこれにクローブ、ガーリック、ミント、ヒソップ、アンゼリカなどが加えられたものもありますこうしたハーブを燃やしてもいいし抗菌作用のある精油をブレンドして空気中にスプレーしたりデュヒューザーで拡散するといいと思いますティートリー、タイム、セージ、ミルラローズマリー、ラベンダーなど四人の盗賊のビネガーを手作りしてそれらをボディ全体につけて過ごすのもいいかもですね(それより優秀な消毒薬が安く手に入るけど最近は品切れになっている可能性が高いので)でもこれらは西洋のものですから今回発生源が東洋(中国)と言われているので中国原産の抗菌作用のある薬草をもし入手できるのならそれで作ってみるといいのでしょうハーブティーならエキナセア エルダー キャットミントヒソップ セージ バジルなんか入ったのがいいけど自分の弱いところダメージのあるところを回復させて整えておくことが大事だから胃腸に問題がある人だったらミントとカモミール肝臓や腎臓とか血管系とか目的別にハーブブレンドを選ぶのがよろしいかとそして全身の抗菌に役に立つという意味でアーユルベーダの全身トリートメントやタイ式オイルトリートメントや下半身を温めるよもぎ蒸しなんかもオススメです普通の温浴療法としての温泉でまったりももちそしてこういう時だから瞑想をオススメしますよ心の平穏を保ち 氣の無駄遣いを減らしますからもちろん氣の補充もしっかりとなさってくださいそのあたりの方法は以前の書き込みに書いております<「氣の充実と瞑想とヒーリングの恩恵」そして当サロンのボディヒーリングもオススメですよ(と営業活動)

  • 26Feb
    • 善人の仮面~本人をも騙す巧妙なエゴイズム③

      こういう人がいるままあキレイでスタイルもよく誰にでも当たり障りなく人当たりよく愛想よくいつもにこやかに明るく社交的な性格で健康的でコミュニケーション能力もまずまず高い人面倒見もよく率先して動くので頼りがいもあるその人に対して抱く多くの人の第一印象はそのようなもの本人曰くいつもあちこちで上司や同僚そして後輩色んな人に頼られて相談されて様々なことを抱えることになりあれもこれもと任せられて動くものの結果的にみんな「おんぶにだっこ」となってくるので人間関係がしんどくなるとそれは友人関係でもそうだし職場でもそうだという新しい人間関係を作っても転職をしてもいつも同じような状況になってしまう「ああ、またしてもこのパターンか」と…毎回同じことを呟くほどにかくていい加減このパターンから抜け出したい!とのことだったが果たして真実はどうであるかというと結局のところその人自身が創り出している現実だったりするぶっちゃけ彼女は周囲から「いいひと」と思われたいわけで彼女を苦しめている現実は「頼りがいがある人」と評価されたい願望が具現化したもので「自分の代わりに 色々と動いてくれる人に甘えて頼って生きたい」と思っている人が彼女の「頼られたい」という願望にギブアンドテイクの磁石で引き寄せられて彼女が望む現実を創り上げているのだこの場合の願望とは想念体としてのエレメンタルのことで生産者である彼女によって自分が創られた目的を叶えるために彼女のためによく仕事をしているということ(このエレメンタルはとても古い時代から生きていてかなり強力なエレメンタルだったりする)ようするに彼女は自分が望んだ状況を経験しているのだ(自らが望んだ現実を生きている)過去生の時代、人生においてそのような自分を理想と思ったとしても何度も人生を繰り返し経験を重ねて成長をしていく過程の中でそれが今の時点の彼女の望みとは大きく離反して異なってきているのならそのエレメンタルを無視して不活発にし(パワーを断ち切りミイラ化する)新しい現在の方向性に沿ったもっと強力なエレメンタルを創ればいいことけれどもことはそう簡単ではないなぜなら「どこにいっても周囲の人に頼られる私」を創ってしまっている現実の裏には彼女自身の感情のみならず倫理的思考や理性を騙して支配している根深いエゴイズムが隠れているので人に嫌われたいと望む人は少ない人に嫌われてもいいと思う人も少ないがほとんどの人は他人から嫌われたくないと思っているものだ愛されたいと願う人は多いそれはまったく悪いことではない愛されたい好かれたいと思う気持ちがあればこそ人は他人から拒絶されてしまうであろう自分の問題を手放し欠点を矯正改善して多くの人から受け入れられる自分へと自らを修正しようと努力したりするわけだから(そのような意味で恋愛も結婚も一種特別な人間関係を形成するのでこの現実社会において他人と上手くやっていくための方法を学ぶ最適かつ最良のレッスンであり自分磨きにはもってこいのトレーニングだ)彼女もその例外に漏れず多くの人から好かれたいと思っていた誰とでもどんな人とも上手くやれる私誰からも必要とされ頼りにされて好かれる私彼女はそういう自分を演じたかったのだだからこその創りあげられたステージで相手役として引き寄せられるゲストがいるこの現実に気付けば負のサイクルから抜け出すための入口に立つことはできるのだけど彼女のエゴイズムはこのペルソナを手放したがらない実に巧妙に彼女自身を騙して自分が不用品として処理させられる状況を回避させようとするこの人は「霊的真理」を学びエゴイズムについても学んだのだが誰よりも自分は知識を身に着けヒーリングなどエネルギーを扱うテクニックにも長けていると自惚れを持つこととなったエゴイズムについて学んでいながら彼女は自分のエゴイズムから目を背け「私にはエゴイズムはない」と言い切り他者からの指摘を受け入れず聞く耳をまったくもたないでも彼女は「私は誰も嫌いな人がいないし他人のことを悪く思ったことがない」と明るくニコニコとした笑顔で言いながら気が緩んだかのようなときに「あの人、高慢ちきなのが顔に出てるし」と…ボソッと顔をゆがめて他者を批評する汚い言葉を時に吐くそれを指摘しても「私は絶対にそんなこと言ってないし」と目を吊り上げて否定するでもたぶんそれが彼女の本音けれども困ったことに自分の本性というか裏と表があることに誰でもない彼女自身が気が付いていないのだそこから目を背けているというのかな自分で思い込もうとしているといった感じ「いい人でありたい」周囲から評価され認められいつだって頼りにされる善い人でありたいと願う強い気持ちそれが演技であることに周囲が気が付いていないとでも思っているのかもちろん表面的で浅い付き合いの人なら騙されている人も多いだろうけれども世の中の女性というのは同性にたいしてとてもシビアな目を持っている彼女の善人の仮面が表見的なものであることを見抜ける人はちゃんと見抜けるものだ(彼女が引き寄せている人以外は)でもそれが自分にとって実害のない相手だけの問題であれば誰も何も言わないというもの彼女の「こういう人と思われたい」という演技に周囲は付き合ってあげるだけのこと確かにこうしたエゴイズムは他者には害がない「いつも頼りにされるアタシ」を演じたい人のところには「いつも誰かに頼っていたい」という人が需要と供給で引き寄せられてドラマが展開されるだけだから部外者として一歩離れたところから「へぇー大変だねぇ」といいつつ見ている分には他人事なのででもこのエゴイズムには自分は常に正しいことをしているという正義の代理人(執行人)のようなエゴイズムとか他の厄介なエゴイズムと結びつくというか関連しあって同時に発動したりするのでやはり「親切の押し売り」といったお節介が介在してくるし正論を振りかざして他人に上から目線でお説教という勘違いした松岡修造のようなパーソナリティがコントロール欲求とともに顔を覗かせる困ったことに「自分は優等生である」という思い込みこれがエゴイズムから派生している傲慢さであることに当人が気付くというかいやさ「自分にもエゴイズムがたくさんある」とそのことを認めさえすればそのエゴイズムに支配されて操られる負のサイクルから脱出できるのだが「私にはエゴイズムはない」「私は自立した人間である」という思い込みがそのことから彼女自身を盲目にさせているようするにエゴイズムに騙されているのだ「自分は完璧な人間である」と…人々から賞賛されたいが故に自分が周囲の人から期待を寄せられていることに対して常にアンテナを張りその期待に応えられる人間になろうとリクエストに敏感に呼応して自らを演じて創りあげていく本音はひた隠して周囲にだだ漏れにならないように自分自身の心をも騙してその生き方のどこに自分を幸せにする生き方があるというのか自分自身を表現するという魂の本質があるのか周囲も自分をも欺いていつわりの自分と人生を生きることのどこに正直で誠実な生き方があるというのかこの自分をすべての人が求められ好かれる「善人」と思い込む善人の仮面を捨て去ることが出来たとき…自らのエゴイズムを認めることが出来たときには自分の中にあるほんの少しの悪を認めて自分自身が思っているほどに自分は善人ではなく不完全でみっともないところもたくさんあって周囲の人間と共依存の関係性を創りあげる中に自らの人生を生きていることに気付き他人のリクエストに応えている生き方を放棄したならばそこから彼女の本当の人生が始まって彼女はきっと自分がなりたいと思っている本当の「善人」になれるのだろう自分の弱さも愚かさも醜い欲望も欠点もすべて認められることが出来たなら彼女自身の人生を歪ませているエゴイズムから解放されてワンパターンな人間関係からも脱出できるのだろう

  • 18Feb
    • 偽善的なエゴイズム~コントロール欲求②

      重ねての物言いになりますがその人にとっての悩みの種障害や人生を阻害する問題アクシデントやトラブル生きにくさや自己否定感など抱えた人に対してエネルギー的なワークなどの第三者的な要因が介入することで意味づけや理由付けがされたり障壁としてのそれらにアプローチしてそれらを取り除くことに対して結果を得るときそのようなものから解放されて肩の重荷が取れて生きやすくなったりスムーズにいくようになったことでその人を一定の状態に縛り付け自分自身の在り方や人生そのものに対して不快洞察と熟考と反省を与えるがために足枷または行動のブレーキとして存在していたそれらから解放された途端それまで人生か上手くいかないことで謙虚かつ腰低く内省的であるような態度を示していた人が急にエゴイズムを暴走させ本性を思いっきりさらけ出すようになる…ってのをイヤというほど見てきましたでもすべての人ではないですよ全員が全員といのではありません一番怖いのは自分のエゴイズムに当人がまったく気付いていない状態ですね自分の中の邪の部分 悪の一面エゴイズムがあるってことに気づけている人は安心かつ安全なところにいる健康的な人です自分をちゃんと知ってるからさてspiritualなワークとかスキルとかそういうものに関わっていく上で一番怖いのは偽善的なエゴイズムです自分のエゴイズムに気付かずspiritualな職業に就いている人は多いのですがこれは一番危険なパターンです「他人を助ける仕事をしたい」という理由でspiritualな仕事をする人が陥りやすい罠があります罠はいくつかあって「人を助けたい」のではなくて「人を助けられる自分になりたい」もしくは「人を助けられる人だと周囲に思われたい」というエゴイズムからspiritualなワークをする人は多いのです目的が「自己顕示欲」であり「自己満足」なんですねまぁ早い話が承認欲求そちらの方が分かりやすいかも知れませんようするに評価が欲しいんです認められたくて仕方がない世の中に必要とされたくて価値ある人と認められたくてスゴイ人と思われたい褒められたい「自己顕示欲」と「自己満足」から私はこの仕事をしているって自覚がある人なら良いのですが(よくもないけど気付いているだけマシ)これって「アナタのためだから」ってよくやっちゃう人そういう常套手段と同じところからほぼきてます相手を救いたいといいつつ自分を救いたいという自己投影とか代償行為からの人もいるし(代理ミュンヒハウゼン症候群的な?)ヒーローまたはヒロイン願望みたいな周りからの賞賛(評価)を得たくてその職業を選んでいるパターンこういう人はspiritualなワークをすることやそれらの職業に就いてはいけない人ですね早いうちに軌道修正が図れればいいのですがここに自分には人を救う力があるってそういう勘違いが加わってしまうと手に負えなくなってしまいますでもそうなる前に現実を前にしたりどこかのタイミングで「こんなはずじゃなかった」「思ってたのと違う」と挫折してフェードアウトしたり想い通りにならないことでspiritualなテクニックそのものに興味を失くしてまた別の好奇心をそそる「何か輝けるものor自己投影できる対象」などを探しに行くことになると思います(ようするにこういう人は続かないってこと)私は霊的真理を教える先生もしていますが同時にレイキヒーリングの先生でそっちの方が経歴として長いわけですレイキというハンドヒーリングの手法を学ぶとき他人に対して「何かサポートできる技術を得た」ことから(何か出来る力やスキルを手に入れた)相手のために「よかれと思って」を口にして一方的に何かをしがちな人はその相手方からしたら「ありがた迷惑」であるエゴイズムをかなりの確率で加速させることになりますこの場合の「よかれと思って」な行為はぶっちゃけコントロール欲求(形を変えた支配欲)なんですね他人や状況を思い通りに操ろうとするエゴイズム親が自分の子供に対してそれをしてしまうケースは実に多いです指摘しても「悪いこと」だとは気づかないし心の底から親心だと信じている人は困ったことに多いですね家族として本人を見守ること当人の夢や願望の実現を応援したりヘルスケアのサポートをするのと「自分を満足させ不安や心配を無くすために 子供の状況を思い通りに操る」ことはまったく別ものなのですがこの違いについて皆さんなかなか理解できないようですこういう方は他人の問題を解決する前に自分の問題を解決するのが先なのです自分が「いいこと」をしているって思いたい人は本当に多いです感謝されたい 評価されたい 認められたい大人になっても子供のままでそういう自分の成熟していない満たされていない感情について気付いていない人はたくさんいますねうちにレイキを習いに来る人はだいたい個人セッションを受けて自分の問題解決のために何度か通ってくれてそれで自立のためにレイキ習おうってそういう人がほとんどですけどもちろん個人セッションは受けずにダイレクトにレイキだけ習いに来る方もいたりしますこういう方がいました皆で食事に行ったとき他の人に何が食べたいかほとんど聞かず自分が食べたいものをこれとこれとこれと勝手に頼んでしまうのです(大人です。お子さんもいる人です)率先して動いてくれるので一見すると気働きが利く人に見えるのですが実のところそうではないのです周囲に配慮しているようでまったく配慮していないんですね気を利かせて他の人の代わりに頼んでいるようで「何食べたい?何が好き?嫌いなものは?」などと他の人に対して聞いていない段階でそれは独断的判断なんですね「気が利く私」と言われたいのか自分の気持ちだけで動いているんです親切に見せかけた自分の気持ちや意見の「押し付け」になってしまっていることに本人はまったく気づいていませんみんなのために、他の人のために頑張っている私当人がそう思っているだけで周囲はそう思ってはいないのです「仕切りたがりの女王様(鍋奉行)」「親切の押し売り」になってしまっているその事実をその人は見ようとはしません目を背けて知ろうともしません指摘しようものなら逆切れです「他人のためにこれだけ考えてあげられる私」そのエゴイズムに騙されているのでそして自分(性格)には何も問題がない自分がすることに問題はない(誰も自分を制止したり反対意見を述べないから歓迎されていると…でも普通ほとんどの日本人は上記のような場面においてはっきりと注意したり反論したりはしないものです)と思っているので自分の問題と向き合うよう機会や時間を自ら持とうとすることはないでしょうヒーリングもspiritualなテクニックも他人を操るためのものではないといくら説明しても耳から零れ落ちてしまうのですよなのでエゴイズムによるすり替えが起きてしまうこのような人には霊的知識の初歩的な知識を教えたとしてもこれ以上のことに関しては都合の良いように解釈されたりよしんば悪用されてしまう…と途中でお断りすることになりますこういう方もいましたレイキを習得した後カルナレイキを受講したいという人がいたのですが(上からの)許可が下りなかったのですねでもライタリアンレイキならよしとのことでしたのでそちらをオススメすることになりましたレイキヒーリングというハンドヒーリングが出来るようになって当初はご主人やお母様そして友達に対するサポートが出来るようになって喜んでいたのですがヒーリングの結果が出るようになると欲が出てこられたようでした最初は奉仕の精神に火が点いたのか「世の中のために何かできることがしたい」と口にされていたのでその当時私は「お祈り隊」と称した人類全体やあるいは特定の地域のヒーリングを生徒さんや有志の人たちに声がけをしてやっていましたなのでそれにお誘いしてみましたですが、彼女は私がやりたいこととはちょっと違うこんな不特定多数の人への曖昧なヒーリングではなくて北朝鮮の首席を改心させるような働きかけをしたい世の中を変えるためのもっと直接的なことそういうのやりませんか?ようするに単純な「祈り」とか災害にあった土地や人々への癒し的なことでは世の中をよく出来ないしあまり意味がない?みたいなそんな風に仰るすると私にまた何かが下りてきました(笑)唐突にその方が好きなアイドルと所属事務所が昔行った社会悪的な行為そういう話を私にさせたのですねまぁ誰だって自分が好きな芸能人のことよくない言われ方されたら当然気分害しますよね私もなんで今さらなそんな昔のことを急に自分追及しているんだ?でした(使われちゃったから仕方ないけど)その後その人は「お祈り隊」に加わらずヒーリングにも興味がなくなったようで御縁は絶えることになりましたそしてなぜ私がその人に対してそんな話をさせらることになったのかと言うと北朝鮮の首席がしていることとあなたが大好きだったアイドルがある人に対して行った不実とその人の人生を狂わせるような行為の何がどう違うんだ?ってことですねたかがアイドルと一国の首席を一緒にしてもなーではあるもののしていることの重みって実は対して変わらなかったりしますそしてその方に対しては自分が好きな人がした「罪」は許せるのに人としての道を外れた行為は許容してそれはOKといいながらこれはNGとどうして自己判断してジャッジするの?自分がジャッジしてNGな行為をこの世にあってはならない事象であると決めつけ自分が考える善に変えようとするの?話したこともない相手のことを邪悪のリーダーであると決めつけて自分が考えるところの善を行動する人にどうして変えようとするの?自分にその権利があるとどうして思うの? どうして自分が善悪を決めることが出来ると思うの?世間一般から明らかに叩かれているあなたのアイドルのことをあなたはかばうのに彼の罪や傲慢な考えをあなたは更生させようともしないのにその被害にあった人を癒そうともしないのにこっちは悪でなくてこっちは悪だと?そういう指摘問いかけですねそれをやらされたんですね北朝鮮のことを言う前に少し前に騒がれた芸能界や芸能事務所の闇や忖度そうした力関係によってつぶされた人たち運命を狂わされた人たちあなたの大好きなアイドルの被害者そっちを考えることのほうが先では?辛い想いをしている人がいるのはどっちも同じだよ世界情勢のほうが優先順位が高いってのでもないもちろん世の中で起こることの全てのことにたいして何か出来るというほどの力なんてない結局のところ「何か出来る自分」になりたいだけなんですよね何かにたいして影響力を与えられる自分になりたいだけその対象となるのは大きければ大きいほうがいいその方が何か成し遂げた「達成感」があるからアプローチする対象が大きければ大きいほど(世の中の重要度、注目度が高いということ)自分がそれだけ大きくて偉大なことが出来たという自己満足が得られ偽善的な欺瞞が満たされるという錯覚をするのですこれは実のところカタチを変えた征服欲なんですよね子供向け特撮に出てくる悪役がよく言う「世界征服」的な支配欲と表裏一体なのです世界の人々(世の中や社会)にとって一見すると善い事で行いだと思えることなのですがこれもある意味で形を変えた「野心」「野望」なんですねそういうエゴイズムを持つ人も多いですそしてまたまだ続きます

  • 12Feb
    • 霊的成長を阻むエゴイズム①

      中学高校とアマチュアでクラスメイトの相談に乗ることを初めて24歳の時に占い師として店に出るようになってその後サボリ?というか休業というか他の仕事に逃避しながらもダラダラ続けて40歳になってからヒーリングとか過去生リーディングやらヒプノやるようになって今のセッションスタイルになって生徒さんに教えるようになって派遣の仕事をしながらの片手間でそんなに忙しくしていたわけではないけどなんだかんだ40年くらいはカタチを変えつつも他人の人生を視る仕事をしているのですが40年以上やっているわけですからそれなりに膨大な事例数を扱ってきたというかたくさんの人を視てきたってことになりますかねそうした活動の過程の中で大勢のクライアントさんと出会い様々なケース、多種多様な問題を見させて頂いてきたわけですがそのような中で改めて実感させられることは結局その人の身に起こっていることはそれが痛みや苦しみを伴う問題にしても人生上の障害やトラブルにしてもどれもこれもその人にとって必要不可欠だからこそ起こっているのだということ主にそれはその人自身が成長するためだったりするのですがこれら一見すると障害と思えることを本人を楽にするために第三者が関与して取り除こうとすることは実のところその人のためにはならないのだということ当人が気付くべきことから視点を遠ざけさせ成長をするためのチャンスを阻むばかりでせっかくの機会を奪っているんだなって改めて気付かされるのですその人の人生に起こる障害とかトラブルとか壁のように立ちはだかる大きな問題はある意味でその人の行動を抑制させその場所に留めるための重石のようなものであるな...とホント痛感させられますそれがコンプレックスにしても痛みにしてもそれらはその人がきちんと真正面から向き合わないといけないことであり熟考して気付きを得ないといけないんですね考えて悩んでとことん向き合って乗り越えようと努力して克服して絶望の中から這い上がろうとそうやって自分を磨いて人間力を蓄えて力も知恵も身に着けないといけないそのために起きていることがほとんどだからこれは魂が自分自身に架したことでありレッスンでもあるが当人の望みであり意思として決めたことなんですよねちなみに聖書では占いや予言は悪とされていますなんで悪なのかって?それは未来は自分で創るものだから未来とは知るものではなく当人が望んで創造していかないといけないから与えられるものを待ち望むのではなく自らが望んだ未来を自分に与えるべきだから「決めつけ」てしまうと制限が入るし起こることに対して「待ち」の姿勢になり自分で努力することをやめてしまうからちなみに過去生だって当人が霊的成長に伴って自然と思い出せる段階に至るまではそのような情報を与えることは罪とされています実際そうです過去生の情報を与えることはよろしくないというか弊害の方が多いです癒しという名の解放を与える場合もあるけど情報を与えていいのはある段階に至っている人に限りますね当人が知りたがっているからといって誰にでも開示していい情報ではない知ったことによってそこから「教訓と学び」を得られるのでなければ…知ることと合わせて今の人格に霊的成長の機会を与えることがないのであれば知ったことは当人にとって実害でしかないのですなんで改めてそう思うに至ったかというと例えばエネルギー的関与によってあるいは過去生や未来の情報を与えることによってその人が問題と思っていることや苦悩の原因となっている現在の問題から離れることが出来たとします(一時的解決)するとその途端に…自分を抑圧していたものから解放された直後にほとんどの人が謙虚さを失くしてエゴイズムを暴走させるんですまるで重石が外れたとばかりに性格的な問題を全開にし始める自己内省はおろか人の話も聞かなくなりますしねその時に「ああそうか この人を苦しめるこれらの出来事や こんなあんな出来事は すべてこの性格を矯正するために 自分に内在する問題と向き合わせるために (反省を促し、心を成長させるために) 必要な経験として起こっていたんだな」なんてことはザラですそうですね人って自分の人生がうまくいかないときはあれこれ考えるものですというかそのような追い詰められた状況でないと他人のアドバイスに耳を傾けようなんて人はあんましいないですね上手くいっているときに自分に問題があるのでは?なんて我が身を振り返って考える人は少ないわけでだからまあ自分の内面に自分自身の問題に気付かせようとその人の内面的な問題が外面的な世界に投影されその人を苦しめる「痛み」として「出来事」としてそして「痛み」を与える存在として「人」の姿をした反面教師が写し鏡で表れる悩んだり苦しんだり挫折したり自信を無くしたりそういう状況下に自分が置かれないと人間てなかなか自分を見つめなおせないし謙虚な姿勢も取ることはできないその中から自分が学ぶべきことを学んで気付きを得て 感情も成熟させて人としてしっかりと成長できたら御の字でそのための一大プロジェクトなんですが魂の計画を無視して三次元で起こっていることだけを問題視して楽にしてあげようという仏心から安易に「解決」を図ったり「取り除く」方向へと働きかけたり当人の願望(実のところはエゴイズムの欲望)を具現化して引き寄せることだけに焦点を絞っても結局のところ霊的成長をするための機会から遠さげ本来の道から寄り道させて(学校でいうなら留年させること)魂の道から外れさせるだけになっちゃうカルマのレッスンから落第させて新たな宿題や課題を増やしてしまうだけというそんな感じですそういう意味で私たちのような仕事っていうのは難しいある意味では罪深いそのことをきちんと理解していないと堕落の道へと誘いこむ反逆者になってまうでもねほとんどの人が自分の人生が何故こうなのか?自分の人生の諸問題はどのような理由で起こっているのか?それらが自分に何を伝えようとしているのか自分が何に気付くべきなのかってことに関しては興味ないんですよね自分の人生に起こっていることの意味を知りたがる人は本当に少ないですそれよりも欲しいものを手に入れたい思い通りの人生を生きたい願望を叶えたいお金が欲しい恋人が欲しいそんな風に欲望を叶えることにみんな夢中です願望を持つのは無意味じゃなく必要な欲望ではあるけれど望んでも叶わない理由が何なのかどうして「おあずけ」をくらっているのかその「制限」がどこからきているのかそれが自分にとって何を意味しているのか結構大事なメッセージが含まれているのにそこに取り組みたがる人はあまりいませんそういう説明をしても霊的知識を教えても手っ取り早く願望が叶う魔法の杖を皆さん欲しがって探す努力にエネルギーを注ぎますまあ自分の中にある問題と向き合うのは確かに怖いことなんだと思います色んなことを認めることでもありますしねそしてこの話ちょっとだけ続きます

  • 07Feb
    • 動物は子別れ人間は物別れ

      子供たちに惜しみない愛情を注いでいた親狐がまるで縄張りを荒らす敵に攻撃するかのように手塩にかけた子供たちを巣から容赦なく追い出すのを見たのは確か「キタキツネ物語」だったように思う(映画館で見た。サントラも買った)ノンフィクションということでその物語は野生の動物たちのおかれた現実自然の厳しさと無情さというものを強烈なインパクトとともに教えてくれたその道の先輩で著名な占星術師でオカルティストの某氏は研究会のようなものを立ち上げては突然に終了させまた別の場所で似たようなことを始めてはまた壊しその都度メンバーは入れ代わり立ち代わりというか残る人もいるし卒業していく人もいる私自身はご当人とお会いしたことはないのだけれど友人知人が関わっていたり参加者の中にいたので聞いたことがあるという程度そんなんでご当人の考えや詳細は知らないのだけどなんか分かるような気がする…という話理想としては師匠と弟子 先生と生徒みたいな教える立場と教えを乞う立場であるときに一生そのよき関係が持続できればよいのだけどそれぞれが対等な立場での集まりとは異なりカリスマ的な存在に対して憧憬や崇拝的な気持を抱いているファン心理の人や依存傾向の強い人が一定数混じっての集まりだとなんていうか妙な雰囲気が生まれてしまったり変な方向に流れてしまうことがあるからなんていうのかしら 時間が経てば経つほど水は淀んでしまうというか腐敗したものが涌きやすいというところかも(マンネリ化とは違うもののよう)なのでどこかで時期を見てリセットせざるを得ないというか「はい、ここで終わり!」としたほうがいい場合もあったりするそりゃ お商売として考えたとき長く通い続けて頂いたほうがいいわけですが生徒(教え子)を一人前にするという観点からはある程度の知識を習得してもらったならば独り立ちして巣立っていって頂く…というのが望ましいことなんですよね「いつまでも頼っていないで、 あとは自分で頑張んなさい それだけのことは教えました」と自立を促すのも師たる先生の仕事まるで子供を群れや巣から追い出す野生の動物たちのように切りたい縁などそうそうないけど切らなくてはならない縁はそれなりにありますとかくこのような仕事においてはいつまでもこちらに寄りかからせておくわけにはいかないし返る場所 頼る人がいる環境が本人にとって毒になる場合もある一定の時期が来て 学ぶ姿勢に難ありだったり依存的な関係になりそうだと感じたり信頼関係が築けていなかったりあらゆる面で望ましくない影響下にあると判断したなら手を放して 突き放すべき時もあるまあそれ以前に「期待外れだった」「ちょっと違う」「こんな人から教えを乞うのはゴメンた!(教わりたい人間じゃない)」と学ぶ側がそうした判断で立ち去ることもあるでしょうでもそれはそれで必然なんですそういう人は「教わりたい誰か」のところに辿り着く旅が必要なんですから色々と巡り巡る必要があるわけです反発も反抗も結構子供にも反抗期がありますそして疑問を持たなければ人は成長しません与えられた情報を鵜呑みにする人はそれ以上は伸びないんです自分で考えて感じて行動して始めて知識というのは身に付くし智慧になっていきます人生の糧になってその人の実になるんです何事も経験しないといけませんそして自分で経験するまではどんなことも信じてはいけません誰々がそういっていたから先生にそう教えられたから人の言葉を借りて自分のものとしているうちはそんな知識は何の役にも立ちません学んだことにもなりませんそれでは言葉を繰り返すオウムと一緒です疑うことは大事です猜疑心は捨ててはいけません「私を信じるな 私の言うことを信じるな 私が教える知識は信じても 私という人間をその知識とイコールと思うな 私の人間性と教えている内容は別物で 絶対に一緒のものと考えてはいけない だが 私の事を信頼することができないのであれば あなたは何も学ぶことができないだろう」教えの始めにお伝えしていることですこの矛盾の気付くことが出来る人でないと知識を本当に理解したことにはならないのですグループレッスンは集団での学びでエソテリックな知識やサイキカルなテクニックを学ぶところではありましたが人との関わり合いを通じて協調性や社会性人間関係を一番に学ぶところ慈悲と慈愛の精神 助け合いと奉仕の精神仲間意識を超えた共同体意識を育む場所なぜならスピリチュアリティの基本は人間力でスピリチュアルな能力を伸ばしたいならそしてそのような本当の叡智を身に着けたいなら人としてのエゴイズムを捨てるための「お試し」洗礼のような最初の振り分けを通過儀礼として通り抜けないといけないからそれが白いロープを身にまとう資格そこに至るまでに自らのエゴイズムと直面させられて自滅していく人は数あれど謙虚に向き合える人は極僅かその過程で起こってしまう決別は「巣立ち」という自立であるのか「絶縁」という物別れであるのかさてどちらなんでしょうそうですね生徒さんにしてもクライアントさんにしても精神的にも人間的にも健康になって通院やケアサポートが不必要な状態になるのか望ましいわけですからいつまでも通っている状況は望ましくありません問題が解決したり状況が改善されて自分で自分のことを解決できるところまで自分の力を取り戻したならばあとは何かあったときにという程度で「便りがないのは元気な証拠」という距離かベストだったりします健康的な利用の仕方ができる人や依存ではない学び方やメンテナンスであればビジネスとしては拒む理由なく大歓迎ですけどそうではなく不健康な距離を維持しようとする人には自立を促すためにも突き放すことはよくあります(私の場合は)

  • 30Jan
    • 神様のマーキングとその土地独特のエレメンタル

      昨日は月に一度の女子会でして(女子といっても40代と50代の集まり)その時に出た話題をばまあ、都内でダメな土地とかの話から海外の恐怖体験とかな話になりまして(夏らしく納涼話?)「土地のモノ」の話になりましたのでついでにこちらでネタにしよう幽霊の話ではなく…例えば、沖縄出身者の霊的なトラブルって本土の人間(霊能者とか呪術者)は基本として手を出せないんですよ一言でいうと系統が違うのねその逆でユタさんとかノロさんとかが本土の人の霊的な問題を解決できないかというとまったくできないというわけではなく見極めるのが困難でわからないことの方が多いらしい(あくまでらしいという話)たぶん霊的ルーツが異なるといいますか神様や自然に対する考えとか死後の世界についての認識の違いなんだと思います一口に言うと信念体系の相違知識のバックボーンの違いですかね死んだあとに形成されている霊的世界が違うのでこのあたり言葉で説明するのがとても難しいです沖縄とか島の人たちって本土の人間たちが古くから信仰してきた八百万の神々への信仰とは違うものを持っていますのでつまり神道の信念体系に属していないってこと八百万の神々たちへの信仰が定着する前は本土には山岳信仰やまつわろぬ神への信仰なんかもあったわけですがあまりにも古いしそのあとの神道や仏教の歴史が長くなったので今はもうまぼろしで上書きされてしまったのかその形跡はたまに見つけられる程度です(影響はもちろん生きていますけれど)私は沖縄には行ったことないのでそれがどんなものか実際に肌で触れて体験して感じていないわけですけども「沖縄出身です」「沖縄に行ってきました」みたいな人を深く見ていくとき明らかに違う"何か"をそこに見ることがありますそれは海外に行って帰ってきた人もそうですねいちいちそんなアンテナ立ててはいないけどトラブル的なものやダメージ受けてます等の相談でチェックしてみると「なんやこれ?」っていう独特の形態をした謎なモノを見つけることが時折日本のモノではないもの形骸が変わっているというか見たことのない異形のものまあ結局エレメンタルなんですけど現地のものをお持ち帰りしたって感じですかねとくにバリっていうのは他の東南アジアとは系統が違うなーってものが多いですバリに行ったことのある敏感な人が言うには(アテクシまだ行ったことありませんっっ)なんかマーキングみたいなものをみんなくっつけられるというのかなとても小さなものでさほど害があるってものではないけど遠い昔に現地の呪術者たちが自分たちの祖国を守るために作って(セコム?)異国からの来訪者に対してソレをした結果かなーとそういうものがあるのです日本にまで持ち帰っている人いるのですからまるでお土産ですよねww一緒に飛行機乗ってきたんかーいってwお土産というと現地のモノの中にはたまーに危ないものが入っていることがあります日本で骨とう品とか古道具買うときも同じですけどヤバイですってものたまにありますねとくに人形とか人の形したものは入りやすいですからそうそうたまに海外の神様に魅入られてしまう人もいます宗教や信仰に関する施設や場所って観光地でもあるのでツアーなんかでも立ち寄ることも多いわけです好かれる、というのならいいのですが魅入られるってちょっと怖いことなんです知らず「契約」成立になってしまうと大変ですこういうのはレアケースなんですが「お願い」してしまったばかりに守ってやるよとついてこられたケースもあったりする神様とは便宜上で呼ぶものの実際には神様ではなくそのように作られたものです(どれもこれも結局エレメンタル)でも力強いですから 対処は難しいそうならないためには必ず日本の神様とのつながりを作っておくことなんですね普段から氏神様や祖霊神とかご縁のある神様のいる神社に定期的に詣でている人ならいいんですけど適当にお正月やイベントや観光願い事のある時しか行かないような人は弱いかな出来れば氏神様には定期的に詣でるのがベストなんですけどせめて海外旅行に行く前にご挨拶に伺って旅行に行きますのでとこのときばかりは旅の安全・守護をお頼みしてそれで出かけるのがいいかもですすると「このものは我が国のもの 我が氏子で我が守護するもの」というマーキングがつくのでそれが優先順位にもなる(ちょっと意味不明な説明ですね)なんていうかすでに誰かのものですよって話神様という存在にも縄張りがあるのです信仰している神様仏様がいる人はそれでいいけど宗教に入っていない人の場合はとりあえず自分は「どこどこの神様の管轄のものだから」って刻印を押してもらっていると(いやさ眼には見えませんが<刻印)その系統以外のものに魅入られる(目をつけられる)心配が減りますまあなんていいましょうか海外には未だ生き残っている邪教的な古い信仰から作られた「何か」がたくさんあったりするんでやたらめったら手を合わせたりお礼参りもできない場所で願いごとはするものではないのでした