ブログ更新782回目。
みなさんこんにちは。
1.生命
創造主=神の創造エネルギーは、生命力である。
生命エネルギー無しに、存在しているものはない。
鉱物・植物・動物・人間、何一つ例外はない。
生命エネルギーは、「神の愛」である。
神の愛は、光であり、無限の周波数を持っている。
光は、振動=エネルギーでありながら、重さの無い質料である。
光は、波動性と粒子性を兼ね備えている。
生命は、本質的に、エネルギーでありながら、物質の側面も持つ二重性をもっている。
2.肉体
肉体もまた、無限光の産物であるから、「生命」と「肉体」は、
二つでありながら、一つの人間を表現するのである。
人間は、神の被造物であり、神の無限の愛を宿している。
肉体を介して、生命エネルギーは、自らを表現できるのである。
おさらいになるが、生命は無形無双のエネルギーなので、形が無ければ、エネルギーの表現が出来ない。
エネルギーの表現とは、神の愛の表現である。
神の愛は、
鉱物においては「親和力(結合・溶解)」として、
花においては「本質(雌・雄)」として、
動物においては「本能(子育て)」として、
人間においては「愛情(結合・溶解)(雌・雄)(子育て)」として、
表現されている。
この人間の「愛情」は、両性の合意のもとで、最終的には、性的行為に至るのである。
その結果、神の仰る、「産めよ殖やせよ、地に満てよ」という言葉が、子孫を残すという形で、体現される。
3.性欲の正体
先にも指摘した通り、生命は、形態を通さないと、自らを表現できない。
魚類・鳥類・四足獣・人間全てに共通するのは、繁殖時期に、種ごとに特有の求愛行動をとる。
人間も子孫を残すための性的行為には、両性の求愛行動が伴う。
この時、湧きおこるのが、「性的衝動」である。
脳下垂体・松果体などのホルモン中枢から分泌されるわずかな性ホルモンによって、身も心も焦がす恋を体験する(人もいる)。
しかし、人間の場合は、大脳が発達しているので、性ホルモンの分泌が衰えても、性的衝動の記憶が残っている(快楽・残像)。
その記憶は、神の世界に帰還するには、不要なのである。
なぜなら、五感に属するものは、天上界には入らないからだ。
4.まとめ
その五感の感覚を捨てていなければ、神の国への帰還は叶わない。
イエス・キリストは、五感を捨て去るときに、一言仰った。
『性欲は、単なる性的衝動に過ぎない。』と。
更に続けて、『生命も肉体も、神の無限のエネルギーと、無限の質料から創造されたのである。』
『生命も肉体も全ては、神のものではないのか。』と。
要するに、以下のことを、我々に伝えたかったのである。
『神のものは神に返せ、肉体も神の被造物である。
五感も実在するものではないから、神の世界に帰還するには、不要である』と、訴えたのである。
悟りへの大階段は、『性欲は、単なる性的衝動に過ぎない。』と、切り捨てることである。
その果てに、性欲は、聖欲(創造主=神の許に帰還する)そのものへと、昇華するのである。
多くの人が、昇華することとなった、と祈る!