ブログ更新718回目。
みなさんこんにちは。
1.神我は生もの
神我は、永遠・久遠に生き続ける「生ける神」である。
人類は、「永遠・久遠」ということを、実感しているだろうか?
無形のものが「生きている」ということを、実感しているだろうか?
創造主=神が、「永遠であり生き続けている」ということを、実感しているだろうか?
形のないものが生きているということは、そこに「意識がある」ということである。
神は、過去を知らず・未来を知らず、今にのみ、「意識」がある。
これが、神意識である。
その神意識は、幾つも、あるのではない。
「唯一・たった一つの神意識」(=ユニティ)があるのみである。
2.天国
天国とは、唯一・永遠・久遠なる創造主=神が居られる「裡なる最奥の宮」である。
その宮は、建築物ではない。
高級霊・高級波動で満たされた幕屋(ばくおく=テント)である。
幕屋であるからには、移動も大きさも変幻自在に変えられる。
一分の隙間もなく、常に、在り続ける、生ける神の幕屋、それが、「裡なる天国」である。
それに対して、「地獄」は、分離・区別という「分離感」から生じる「外なる世界」である。
その、外なる世界に、裡から遍満し続けているのは、「天国」である。
この「裡なる神・天国」と「地獄・外なるもの」は、天地一体として、地球上にも・太陽系にも・全宇宙に広がっている。
天地一体、である。
3.天地一体
天地一体ということが、真実心の底から理解(さとり)されたとき、創造主=神は、あなた方を通して、働き給う。
天地一体が、明想を通して体感された時、創造主=神は、あからさまにあなた方の願いを、実現して見せる。
天地一体ということが、「言葉ではなく、実際に、体感された」とき、あなた方は、創造主=神と共に居るのである。
世の中の「天地一体」という言葉と、文字の上では同じである。
ここで言う「天地一体」とは、遥かに高波動の内容なのである。
徒に、言葉遊びをしてはならない。
文字の意味だけを追求しても、学者になるだけである。
頭ごなしに字面を覚えようとしても、やがて忘れる。
心底・魂の更に深い、霊意識からの理解を要求しているのである。
4.まとめ
神は、永遠・久遠に、「今」生き続けている。
活発発・凛々として、衰えることを知らない。
久遠・常在の神である。
これらは、言葉ではあるが、生命の鼓動として受け取っていただきたい。
生命の鼓動として受け取ったとき、あなた方は、神を、外に顕すことが出来るようになる。
肉体を持ちながらにして、神そのものを表現できるようになる。
多くの人が、「神は、生ものだ‼」(=今にのみ、生きている)と気付いた、と祈る!