ブログ更新283回目。

皆さんこんにちは。

 

 地上世界の多くの人が、今も、神を求めている。

その切実な声を聞き届けた創造主は「イエス・キリスト」を地上に送った。

 

 でも、一部の人を除き、地上の人々は彼の言うことが理解できなかった。

 やがて、彼を十字架の磔(はりつけ)の刑に処してしまった。

 

 しかし、イエス・キリストは「復活した」のである。

 

 死人がよみがえるのを聞くと、人々は嘲り笑った。

 

 でも、一部の人は、その復活を目にし、復活した人の話を聞くに及んで、その事実を信じないわけにはいかなかった!

 

 その復活したイエス・キリストを活かしていた生命と、まったく同一の生命が、皆さん一人ひとりにも宿っているのである。

 

 生命に違いはない!

 

 人種・民族の区別なく宿っている生命は、イエス・キリストに宿っていた生命と同一の生命である。

 

 では、イエス・キリストが復活して、多くの人間が復活できないのはなぜか?

 

 それは、死ぬときのその人間の意識状態の違いだけである。

 

◎イエス・キリストが死ぬときの意識は、「我は神なり!」

◎普通の人が死ぬときの意識は、「我は人間なり!」

 

たったこれだけの違いなのである。

 

 人間という意識のまま死んではならない!

 

 「自分は神である」という強い意識をもって他界するならば、再び人間界に戻ることはあり得ない。輪廻は克服できる。

 

 また、肉体が死の兆候や不調和を示したなら、「我神なり!!」という強い波動で、意識と肉体を満たすことである。

 

 そうすれば、死の影は消え去るであろう!とイエス・キリストが、この者の意識の中で述べている。

 

 あなた方は、一切の申し開きを行わず、一心に創造主の生命が自分自身の中に住んでい給うと、観る(内観する)ことは尊い。

 

 なぜなら、「我神なり」という意識が定着するには「明想」という内観は不可欠だからである。

 

 内観は心眼を開くことである。自分の裡側を観ることである。

肉眼は、あくまでも外側の世界のみを見るためのものである。

 

多くの人が、心眼を開き「我神なり」と言うようになった、と祈る!