オーストラリアで出会った旦那ボビオと結婚。新婚旅行で世界半周。シドニーに戻って出産。現在二児のママ。海外育児・バイリンガル育児・ビジネス起業・シドニーの日々できごとを綴ってます。Spica Colorido♡オリジナルハンドメイドアクセサリーしばしお休み中。
シドニーの木々たちも、黄色や赤に衣替え。夜になると、ブルブルっと寒くなる今日この頃。オーストラリアは日本のように、冬対策に作られてない家なので、隙間はあるわ、暖房設備は悪いわで大変です。「少しでも家を暖かい雰囲気にしよう。」をテーマに、家の中の色も寒色から暖色へ、寒くないように、モコモコグッズを買って、寒さしのぎ。家はサンクチュアリな場所なので、自分が落ち着いて、ゆっくりした心でくつろげる空間を作るのが好き。古いなりにも、掃除をして磨いてあげると、家も喜んでくれる。だからなのか、家の中にある竹がものすごい勢いで成長する・・・・・はじめは10センチ程度だったのが、今じゃ、あたしの腰まで追いついた・・・さぁ、我が家へいらっしゃい。たっぷり陽が入り込む大きな窓。ここからの夕日は本当に贅沢な景色。海外生活でも、ござと座布団生活はかかせません。庭で見つけた素敵なシェイプの枝を持ってきて作ったランプはお気に入り。収集のつかないアクセサリーセクション。ギターがなければ、完全に相棒が一緒にいるかどうかすら分からない家。完全に、スピカ色になりました。SWEET HOMEが冬支度になり、あたしもまたイメチェンしたくなる・・・・今のこの髪に、くるんくるんのパーマをかけるのはどう思いますか?ここの冬が終われば、夏のジャポンに飛び立つのです。あと12週間!!!!
実は、今日から習い事を始めた。会社を出てあわててギャラリーに急ぐ。そう、今日から、シルバージュエリーのコース。Gaffa Gallary Cityの中心のTown Hallにあるギャラリーで、ものすっごいおっされーな空間。ギャラリーに行くと、優しそうな先生がお出迎え。一番はじめに着いてしまったけど、いろいろと先生とお話をして、残りのメンバーを待つ。あたしを入れて4人の小さなグループ。完璧シルバーの初心者はあたしと、隣に座ったものすごい身長の高い金髪ネーチャン。東京でアートクレイシルバーをやってはいたものの、シルバーから作るのと、粘土をこねて形を作り上げるのとじゃわけが違う。まず、はじめの課題。「ロシアンウェディングリング」-ただの3連リングと呼んでいたこのリング、ちゃんとした意味があったのですね。ロシアのウェディングリングとは、一応ゴールドが入るのですが、シルバーで挑戦です。って、一応ビギナーのクラスなんですけど、思いっきり始めから飛ばしてます。アートクレイは、粘土が乾燥しないように、水を含ませながらコネコネして、形を作り上げていく方法。今回お勉強中のシルバーは、普通に純銀地金と呼ばれるシルバーの細い線状になったものを切って、それを熱を加えてやわらかくして、リングを作っていくってものです。今日はとりあえず、3つのリングの原型をつくったところで終了。普段おなかがすくと機嫌悪くなるのに、今日はご飯を食べなくても幸せに物作りに励んでいる自分に感動。やっぱり、あたしアクセサリー作り好きだわ・・・・
昨日、オージーボーイと「愛」について語りました。彼はさまよってます。愛とは何かということに。縛られることが嫌いな彼には、一般論の「愛」の定義は通用しない。例えばあたしが相棒のことをLOVEなのと、今まで出会った人たちの中で、とても特別に思う人のLOVEに違いはないと言うのです。-いやいや、違うでしょ?そのボーイが愛する彼女には、別な彼氏が居ます。そして、海を越えた国に居ます。ただ、彼曰く、付き合いたいとかそういう次元の話じゃないと。彼女が幸せに過ごしていたらそれで自分も幸せだと言うのです。話をしているうちに、ミスチルのLOVEが頭によぎる。「でも、いつまでも君の特別でいたい」過去に好きだった人、今でも大切=なら、LOVEじゃん って言われて、そりゃ別な形のLOVEだけど。。。。というと、別なLOVEって?ということになるわけです。・・・・ワタシ、困りました。愛には答えがないもので、いろんな人の価値観があるので、一方通行の話に終止符を打つことにしました。話は変わるけど、あたしは男友達をよく二人で出かけたりします。そこには1ミリのやきもちもなく、相棒と「お前、男と出かけたなー!!!」と言ってケンカになることはこの4年間1回もない。それは、付き合う男友達は、性別に関係なく、本当に友達だから。あたしと相棒の似ているところは、男だろうと女だろうと仲良くなれること。それをわかっているから、彼も何も言わない。でも、はじめからお互いがそうだったわけじゃなく、やっぱりそれは今までに積み上げてきた信頼関係だろうなって思う。付き合うとみんなそれぞれ、相手の愛に対して不安が出てくるだろうから、あとは、どうそれを絶対的な信頼関係にしていくか。オージーボーイにも問われました。じゃあ、どうやって、二人はそこまで、強い信頼関係築けたの?「I LOVE YOU っていうおまじない」フッて笑われちゃったけど、言葉には力があるからね。ちなみに、海外では、軽々しく、I LOVE YOUとは言いません。もし、付き合ってる彼がLOVEを使い始めたら、それは二人の関係が本当に真剣になっている証拠。付き合ってるはじめから、I love youを使うと、「まだ早い!」って言われることもある。LOVEってややこしいのね。
このシリーズもご無沙汰しておりました。何度かお店に運び、お姉さまにお世話になっておりましたが、急に、お姉さんにアシスタントの女の子がつきました。こっちで大学に通うという彼女は、週末はサロンでアルバイトをしているそう。気さくでたくさん話しかけてくる彼女。でも・・・・・・・丁寧さに欠ける・・・・・というのも、普通、びりびりワックスを剥いだあとには、冷たいタオルで押して冷やしてくれるのに、全くなし。ヒリヒリします。しかも、プロなら毛の流れに逆らって剥ぐのに、ランダムにやる彼女。案の定・・・・・数週間後に悪夢が。かゆくてかゆくて仕方がない。しかも埋没してたりして、見た目がごま塩のように。それから、彼女にやってもらうのがイヤで、ちょっとだけお店に行くのをやめるようになってしまいました。その代わりに、また見つけてしまったいい商品。日本じゃあんまり見かけなかったというか、あんまりこの存在を知らなかったけど、こっちだといろいろなプロダクトがゴロゴロある。ということで、今まで使った中でよかったものをご紹介。$15で、4回分はいけるので、これはお勧め。ワックスが固まって、また人生最大の悪夢を見ることがないようにしたいと思います。日本でお試ししたい方、ご連絡おまちしております♪
右も左も分からず、英語もままならないあたしをいつも優しく受け入れてくれてたあたしのオーストラリアの家族。久しぶりに近況報告を兼ねて遊びにManly Valeまでドライブ5年前にはいなかった新たな二人の天使が家族の絆を強くする。10月にはまた新しい天使が舞い降りる。どっちが先に結婚するかと競ってた3番目のHeatherと4番目のJenも素敵な彼氏ができて、家族に加わりつつある。家族がまた新しい家族を作るこの素敵な連鎖。それを教えてくれたホストファミリー。近くに家族がいないけど、たくさんの愛情を注いでくれるこの家族に感謝Happy Mother's Day日本のママにも、サプライズ届いたかな?iPhoneからの投稿
青くて大きな空。澄んだ空気。日本に居ると、海外生活はどこかあこがれのように思ってた。カフェでご飯食べて、ゆっくりとした時間を過ごす。そう、住みやすいからきっと5年もの歳月をここで過ごすことができたんだろうなと思う。実は、オーストラリアは、住みやすい都市ランキングに4つの都市が入っている。それだけ、住みやすさではぴか一なのかもしれない。住みやすい都市ベスト10(1)バンクーバー(カナダ)(2)メルボルン (オーストラリア)(3)ウイーン(オーストリア)(4)トロント(カナダ)(5)カルガリー(カナダ)(6)ヘルシンキ(フィンランド)(7)シドニー (オーストラリア)(8)パース (オーストラリア)(9)アデレード (オーストラリア)(10)オークランド(ニュージーランド)ちなみに大阪が12位。東京は18位。シドニーも7番目に住みやす都市としてランクインしてるけど、最近問題になってるのはここの物価・・・・・・今日のニュースで取り上げられたのが、家賃高騰でホームレスになる家族が増えているという事実。ホームレスの4分の1、または3分の1が、ホームレス家族だそうで、若い人が特に目立つとか・・・・・東京も物価が高いといわれてるけど、いやいや、シドニーの物価は高すぎる。その分給料も高いけど、朝食(ベーコンと目玉焼きとサラダとトースト)とコーヒーを頼んで$20はいくらなんでもやりすぎです。そりゃ、払えない人も出てくるよ・・・・住宅事情は日本とは全く違うシステムのオーストラリア。住宅不足のため、物件を見に行こうものなら、ものすごい人で、競争に打ち勝って、アパートを借りるというのが現状。2年前、全く競争に勝つことができずに、10件くらいの物件を見に行っても家が見つからず、ようやく友達から譲り受けて借りることができた今の家。ラッキーなことに、あたしのアパートは個人契約なので、まだ安いほうだけど、ビーチまで車で5分、シティーまでも電車で15分、ショッピングモールまで歩いて7分、クィーンズパークまでは歩いて30秒という、すばらしい立地条件が揃ったこの家、普通に借りようものなら、1ベッドルーム、1ヶ月で$1600(16万)くらいはするでしょう。家を買おうものなら大変。中古住宅でシドニーシティー周辺なら軽く$500000くらい(5千万)はするでしょう。ちなみに、1ベッドルームのアパートで$250000(2千5百万)くらい?もう、とんでもない・・・・・これでも住みやすい都市なのか??
5月からはなんだか素敵な月が始まりそう。そう、自分の直感が働くときは大体いい時間を過ごせる。シドニーに来る前に東京で通っていた、シルバーやビーズの教室。そのおかげで、きっと今のアクセサリー作りにもつながってる。またまたたくさんの人にアクセサリーを褒めてもらって、そして、いろんなところで、将来の絵が見えてきて、少しずつ自分に戻ってきたモチベーション。「また、アトリエでちゃんと習おうかな。」そう思って、シルバー教室に通おうと思う。色が好きなあたしにとっては、またシンプルなジュエリーレッスンの選択になるけど、何事も日々勉強。今度は要望の多いメンズものも作れるようになるかな。
久しぶりにフィッシュマーケットに足を運ぶ。いつ来ても、ものすごい人・人・人。海の町出身として、ちょっと悲しいのが、フードコートにいくと、ほとんどの海のお魚たちが、油で揚げられ、「フィッシュアンドチップス」として売られている。それを人だかりが求める。やっぱり、お魚の味は生で味わうのが一番。ということで、今回もタスマニア産のオイスターをまるごと6つ、レモンと一緒にいただき。はじめてみた青い目の、Blue-eye Trevalla。そして、巨大スナッパー(ブリ、ハマチ)。ブサイク顔が憎めない・・・・今回の収穫は、カツオ。1匹まるごと3キロで16ドル。まな板の上で調理されたカツオくんは、たたきに変身。そして、残りは刺身としていただきます。
「今月の素敵な仲間たち」という特集に載せていただくすばらしい機会をいただきました。まるで、ものすごいがんばっている人ような、そんな記事をしあげてくれました。こんな素敵な記事を書き上げてもらうと、やる気を出さずにはいられない・・・・・下記のブログ、ご覧あれ。Pig can Fly
結果から言うと、大成功でした。本当にたくさんの人が来てくれて、たくさん募金してくれました。浴衣に着替えてお出迎え。ぞくぞくみんなが会場に。マーケットにも人がたくさん。何よりも大好評だったマッサージチーム。4人もセラピストがボランティアで参加。折り紙ワークショップにもたくさんの人。祈りをこめておる千羽鶴。たくさんの人にコメントいただいたスピカ作フォトスライドショー。MCを務めてくれたAndrew。日本に7年住んでたから、人一倍日本に想いがある彼。そして、日本人の生徒の合唱団。「上を向いて歩こう」始めから最後まで、何から何までが大成功。マッサージチームは$190稼ぎ、スピカのアクセサリーも$160。最終結果は親会社とあわせて、$5000目標金額を超えることができて、本当にうれしい。できること、やれることしたいって人たちが集まってくれたこのイベント。セラピスト隊長のよっしー、マーケットでがんばってくれたともちゃん、本当にありがとう。
いよいよ本番当日。昨日、興奮からか、寝付けなかった。今日のイベントのため、震災のフォトムービーを作って、一緒にイベントを立ち上げたAndrewに見せると、隣で優しい大粒の涙を流してくれた。かおり、少しでもいいから、スピーチしない??MCをするAndrewには当日の流れは全て任せていたので、まさか、あたしまでステージにあがるとは想像すらしてなかった。スピーチが死ぬほど苦手なあたし。しかも英語でなんぞ尚更…本番前日出たスピーチの話しで一気に楽しみから緊張に変わってしまった。まずはどれだけの募金が募るか、期待しよう。あたしもアクセサリーを50点出店します。少しでも売れて、売り上げを募金できますように。さ、いざ出陣iPhoneからの投稿
今日で1年。きっと、この日を忘れることはないんだなぁ。1年前、悲しみに浸っていたときに、心強い言葉を送ってくれたアフリカ生まれの友達に、今日はたっちゃんの命日だと言ったら、Oh, today is anniversary?と言われた。そう、こっちでは、命日をanniversaryと言うらしい。記念日?と日本語に訳してしまうとしっくりこないこの単語。あと4ヶ月でようやく、シドニーマラソンの金メダルをたっちゃんに渡せるよ。日本は春か・・・・・シドニーに冬が来る。
ざくろを大量購入したある日、食べ切れなくて残ってしまったざくろたちを見て思いついた。美のジュースが作れる!?作り方は簡単。ざくろ 2個ピンクグレープフルーツ 2個砂糖ミキサーに入れてスイッチポンで、それをこして、ざくろのぶつぶつ取ったら終了。1週間分のビタミンCが一日で取れた気分。日差しの強いオーストラリアには大切なビタミンC。是非お試しあれ。
Acoustic INORI - Support JAPANDate:14 April 2011Time:18:30 - Place:Side BarEntry fee:Current student - gold coinNon-student $10月曜日から、学校では、日本人の生徒たちが、「上を向いて歩こう」の練習します。どれくらいの人がくるかなー???皆様のお越しをお待ちしております。
いよいよ、来週の木曜日は、チャリティーイベント。素敵なことにもたくさんの人たちが動いてくれてます。あたしの担当のスライドショーも、震災のストーリーの構成も、全く出来上がってないけど、がんばらなくちゃ。イベントでは、Spicaのアクセサリーも販売して、売上金を募金します。友達は、こっちで磨き上げたマッサージのスキルを披露してくれます。先生たちは、ギターと素敵な声で、音を奏でてくれます。生徒さんたちは、祈りを込めて、鶴を折ります。たくさんたくさんゲストを呼んで、募金額を大きくするのが目的なので、同僚は今日、テレビ局にまでこのイベントの告知をしました。新聞社も呼び込みます。やるぜ、日本のために。Acoustic INORI - Support JAPANDate:14 April 2011Time:18:30 - Place:Side BarEntry fee:Current student - gold coin Non-student $10この企画を提案してくれた、先生たち、そして全面的にサポートしてくれる会社に感謝。Love Japan my sweet Home.
いつだって、夏の終わりは寂しい。秋になると、必ずと言っていいほど、失恋をしていた昔。だから、秋の訪れは嫌いだった。昨日でサマータイムも終わり、いよいよ、正式な「秋」になった。いつもは、会社が終わっても明るかったのに、サマータイムが終わるとともに、家路に着く頃は外が真っ暗になってしまう。ちょっと切なさの漂う季節。ということで、何年かぶりに、風邪をひきました。会社に行ったものの、途中でダウンし、そっから、金・土・日と引きこもり生活。こんなとき、家に独りになると、ホームシックになるもんで。誰か、日本酒持ってきてください。
会社の要請で、応急手当(FIRST AID)コースを2日間受講してきた。車の免許を取るときに、人工呼吸とかの練習はしたものの、すでに10年もたてばちんぷんかんぷん。今回は2日間にわたり、発作で倒れた人から、けが人、それから、熱中症の人の手当てを学んできた。そこで気づいた自分の英語力。てんかん、破傷風、過呼吸、筋膜やら、医療用語が全く分からず、悪戦苦闘。最終日の今日はテストもあったから、昨日必死に単語のお勉強。そのおかげでとてもいい勉強になりました。そんでもって、30点中25点のぎりぎり合格点通過で、見事、オーストラリア認定のFirst aiderとなりました。震災があったからというわけではないけど、自分がこれから世界旅行に行くためにも、一度は受けたいと思っていたコースだけに、すごくいい機会を設けてくれた会社にも感謝。打撲から、切り傷の包帯の巻き方、毒蛇や毒蜘蛛にかまれたときの対処も完璧・・・・・でしょう。どんなことでも、日々勉強だと思う今日この頃。
いろんなところにヒーローたちは隠れている。昨日、会社の取引先の社長さんにまつわるこんなエピソードを聞いた。日本とオーストラリアにオフィスを構えるこちらのベンチャー会社の社長さん。社員さんは社員にこんなメールをした。この震災直後で、被災地のために何かをしたいという気持ちを何かの形でお手伝いできたらと思います。東京支店のスタッフ採用について、東北で震災を受けた身寄りのない20-30代の方を受け入れたいと考えています。もちろん誰でも言い訳ではないので、面接を行います。面接についても、東京になかなか来れないと思うので、自分が現地に出向いて面接を行う予定です。そして住まいについても、当面は私たち家族の自宅で引受けようとも考えています。妻も、『協力できることはするから、やりたいようにやってあげましょう』と賛成をしてくれました。皆さんの率直な意見を求めます。すべての人を助けることができなくて、たった一人でも力になれたらと願う社長さん。4人の子供たちがいる大家族のもとで、少しでもまた笑顔を取り戻してもらえるように、自分の家で面倒を見たいという温かい心。そして、またタイのヒーローたち。日本のために活躍する、スーパーヒーロー。(写真はこちらからhttp://photo.sankei.jp.msn.com/kodawari/data/Earthquake/201103/22/Thai/)
村上龍がこんな記事を書いた。危機的状況の中の希望村上龍先週の金曜、港町・横浜にある我が家を出て、午後3時前、いつも行く新宿のホテルにチェックインした。普段から私はここに週3~4日滞在し執筆活動やその他の仕事をしている。部屋に入ってすぐに地震が起きた。瓦礫の下敷きになると判断し、とっさに水とクッキー、ブランデーのボトルをつかんで頑丈な机の下にもぐりこんだ。今にして思えば、高層30階建てのビルの下敷きになったらブランデーを楽しむどころではないのだが。だが、この行動によってパニックに陥らずにすんだ。すぐに館内放送で地震警報が流れた。「このホテルは最強度の耐震構造で建設されており、建物が損傷することはありません。ホテルを出ないでください」という放送が、何度かにわたって流された。最初は私も多少懐疑的だった。ホテル側がゲストを安心させようとしているだけではないのかと。だが、このとき私は直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを決めた。少なくとも今この時点では、私よりも状況に通じている人々や機関からの情報を信頼すべきだ。だからこの建物も崩壊しないと信じる、と。そして、建物は崩壊しなかった。日本人は元来“集団”のルールを信頼し、逆境においては、速やかに協力体制を組織することに優れているといわれてきた。それがいま証明されている。勇猛果敢な復興および救助活動は休みなく続けられ、略奪も起きていない。しかし集団の目の届かないところでは、我々は自己中心になる。まるで体制に反逆するかのように。そしてそれは実際に起こっている。米やパン、水といった必需品がスーパーの棚から消えた。ガソリンスタンドは枯渇状態だ。品薄状態へのパニックが一時的な買いだめを引き起こしている。集団への忠誠心は試練のときを迎えている。現時点での最大の不安は福島の原発だ。情報は混乱し、相違している。スリーマイル島の事故より悪い状態だがチェルノブイリよりはましだという説もあれば、放射線ヨードを含んだ風が東京に飛んできているので屋内退避してヨウ素を含む海藻を食べれば放射能の吸収度が抑えられるという説もある。そして、アメリカの友人は西へ逃げろと忠告してきた。東京を離れる人も多いが、残る人も多い。彼らは「仕事があるから」という。「友達もいるし、ペットもいる」、他にも「チェルノブイリのような壊滅的な状態になっても、福島は東京から170マイルも離れているから大丈夫だ」という人もいる。私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつもりはない。家族や友人、被災した人々とここに残りたい。残って、彼らを勇気づけたい。彼らが私に勇気をくれているように。今この時点で、私は新宿のホテルの一室で決心したスタンスを守るつもりでいる。私よりも専門知識の高いソースからの発表、特にインターネットで読んだ科学者や医者、技術者の情報を信じる。彼らの意見や分析はニュースではあまり取り上げられないが、情報は冷静かつ客観的で、正確であり、なによりも信じるに値する。私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と。今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。*そう、今の日本居は希望が生まれた。だから、その希望を信じて、これからを生きよう。
タイでは、象が日本のために祈り、ブルガリアでは、司祭たちが日本のために祈る。中国では、お坊さんたちが日本のために、立ち上がり、韓国では、若者たちが、日本のために声を枯らして募金を募り、海外からの救助犬たちが、日本のために夜通し働く。そして、今日、あたしの会社では、あたしの申請した募金活動が認められ、月曜日から始まる。学校内で集まられた金額と同じ額を、親会社も出してくれるので、2倍になるというすばらしい話。Every little bit helps our Japanese friends through thisterrible tragedy.そして、先生たちと生徒が一緒になって、チャリティーイベントを行う予定。そこでまたさらに募金を募るので、少しでも日本の復旧作業に役立ってくれればと願う。がんばれ日本。負けるな日本。(上記の写真はこちらの記事から http://photo.sankei.jp.msn.com/kodawari/data/Earthquake/201103/17/cooperation/)