診察が終わった後の話です。

 

 

 2023.8.3(木)

治療を翌週月曜日から始めることになった。
先生は木曜日が外来担当なのだが、少しでも早い方が良いと月曜日に設定してくださった。

診察室を出てから、姉と話をした。
姉は超ポジティブな人だったので、「絶対良くなるから!」と明るく言ってくれた。
私はここ数週間の間に肺がんについて色々と調べていたため、姉の励ましを聞いても楽観的になれなかった。
でも想像していた最悪の結果「余命宣告」をされなかった事と、転移が少なかった事でほんの少しホッとしている自分がいた。

昼ごはんを食べ損ねていたので、レストランに移動して食事をすることにした。
と言っても、ふたりとも食欲が出ずにデザートセットを食べながら、今後の事を相談した。

私がこの病気に罹患したことを家族・親族に伝える時は、治った時か治療ができなくなった時のどちらかにしようと決めていた。
幸いなことに私は健康診断で見つかったので、自覚症状は全くなく元気に生活していた。
なのでまだしばらくの間は気づかれることもないだろう。

姪っ子はみんなとても忙しい。
家庭を持ちながらフルタイムで仕事をしている長女。
今年の1月に籍を入れ、秋には子供の出産を控えている次女。
海外でひとりがんばって仕事をしている三女。
姪たちはそれぞれの人生で精いっぱい忙しくしているこの時期に、叔母の私が心配をかけたくなかったのだ。
なので、誰にもこの事を言わないように姉にお願いをした。

母とは一緒に住んではいないのだが、私が独り者という事もあり、日ごろから母と旅行や買物などによく出かけていた。

日常のちょっとした事を相談されたり手伝ったりすることも多く、母がどれくらい私を頼りにしているか十分にわかっていた。
多分、姉が考えているよりずっと、母と私は近い存在なのだ。
その母を置いて私が先に逝くかもしれないとなると、出来るだけ一緒に過ごした楽しい思い出をたくさん残し、悲しむ時間を短くしたいというのが私の望みだった。


ただ、それは私の自己満足なのかもしれないと言う迷いもあった。
私の病気を告げた方が、母としても心の準備はできるし、私と過ごす時間を大切に使えるかもしれない。
しかしどれだけ考えても正解は出ない問題なので、誰にも言わない事を選択したのだった。