うまばく家の新国立競技場問題 | スペランカーたちのブログ

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 ちょっと前から新国立競技場問題が騒がれていますけども、あの問題は関わる人みんな他人事っていうか「それは私のやることじゃないんですよ」みたいになっていて不思議だなぁと思うとともに、組織で仕事しててこういう空中分解が起こるとすげー面倒くせぇことになるんだなぁと思ったのは私だけでしょうか。

 それで思い出したんですが、私が普段の生活において「これと似たようなことあるな」と思っているシーンがあります。それは「食事を妻が作り、食器洗いをオレがやる」という場面です。これは一見平等に見えますが、無視できない問題を孕んでいるんです。

 食事を作る妻の立場にたってみれば、ただ作りたいものを作ればいいだけです。新国立競技場でいうザハにあたります。私の妻はそれはそれは本当に独創的な料理を作りまして、作っている本人もたまにわけがわからなくなるくらいなのですが、まぁそれはいい。でも困ったのは後片付けにかかる労力を考えないんです。そりゃそうですよね。妻は後片付けしないんだから。後片付けするのはオレなんだから。

 でもオレの立場にたって言わせてもらえれば、仕事でヘトヘトに疲れた夜、食事後にシンクが山盛りになってるのはたまらない苦痛なんですよ。妻は健康のために食後にヨーグルトなぞを、また洗いにくいデザインの皿に家族4人分、小分けにして、さらに洗いにくいスプーンも添えて出してくださりやがることがあるのですが、そのときオレの心中は「これは今日の片付けは時間かかるぞ・・・」と暗澹たる気持ちになるのです。妻にはそれがわからんのです。

 つまり我が家のザハである妻は家族の健康と繁栄を考えて煌びやかで独創的な料理を目指すことだけを考えていて、後片付けにかかるコストが膨らんでいるのです。そのしわよせは国民であるオレに重くのしかかっているのです。

 もしこれがオレが独身で、食事作ることから後片付けまで全て自分でやらなくちゃならないんだったら、たぶん何も問題はないんです。「今日は後片付けやる元気ないから鍋からそのまま食おう」とか「今日は元気あるから独創的な料理にチャレンジすっか」みたいに自分の気持ち次第でさじ加減ができますから。組織で分業しているから起こっている悲劇なのです。

 そしてこれは組織の構成員である妻も、オレも、誰が悪いっていうことはない。「食事を妻が作り、食器洗いをオレがやる」というシステムだったらそりゃ当然起こるよなっていう問題なんですよね。だから、そもそも「組織で分業する」というシステム自体に欠陥があるんだと私は思うんです。

 もちろん仕事というのは何もかも自分1人ですることはムリで、組織的にやらなければならないことがたくさんあります。でも組織のシステムに綻びがあると、みんながそれぞれの立場で頑張っているのにも関わらず、不合理なことが起こる。それはとっても悲しいね。私は毎晩皿を洗いながらそんなことを思っています。