少し時間が経ってしまったけど、今日はサウジアラビアでのラマダン経験について書いておきたい。今年のラマダンは、「ラマダン入り、のはずが」でも書いた通り、当初の予定より1日遅れて6月29日から始まった。

ラマダン入りが近づくと、街中やモスクの近くにテントが数多く設営される。これは日没後の「イフタール」と呼ばれる夕食会のためのテントで、このテントで水やデーツ(なつめやしの実)、食事が振る舞われる。その他にも、"Ramadan Mubarak"や"Ramadan Kareem"(両方とも日本で言えば「謹賀新年」とか、「メリー・クリスマス」の意味)と書かれたラマダンを祝うポスターや横断幕、イルミネーションが準備される。

「ラマダン」と言うと日本では「断食」と考えられがちだが、「ラマダン」というのはあくまでヒジュラ暦(イスラム暦)の第9の月を意味する。コーランの教えに基づき、「ラマダン」の夜明けから日没まで「サウム」と呼ばれる断食を行い、その他にも喫煙や性行為を慎む。日没後は「イフタール」と呼ばれる夕食会を愉しみ、夜明け前には「サフール」と呼ばれる食事を行う。夜明け前の「サフール」から日中の「サウム」を経て、日没後の「イフタール」に至るまでが「ラマダン」と捉えた方が良いだろう。もちろん、1日5回の礼拝もラマダンの一部に含まれる。

ラマダンに入ると、ムスリムは基本的に時短勤務が許される。私の勤務する会社の場合、通常は朝7時から夕方16時までが勤務時間帯であるが、ラマダン中ムスリムに限定して朝7時から昼13時までの勤務に短縮される。私の知る限り官公庁や銀行、病院なども営業時間が午前中限定であったので、ラマダン中の時短というのはサウジアラビア国内では一般的な光景と考えてよいだろう。

ちなみに私のような非ムスリムの場合、通常通り朝7時から夕方16時までの勤務が義務付けられている。ラマダン中だけムスリムになるということは当然許されない。サウジアラビアの場合、ビザを取得する時点で宗教を記載する必要があるため、各種証明書にはムスリムであるか否かが記載されている。(私の場合は「仏教」で登録されている)。

通常のお昼休みは12時から13時の1時間なのであるが、ラマダン期間中はムスリムが帰宅する13時を待ってから昼休みを取る。ムスリムが帰宅した後も一定の配慮を行うべく、会議室などにこもって食事をとることにしていた。ちなみにラマダンを前にして、サウジアラビア当局はラマダン中の外国人のムスリムへの配慮を促す通達を行い、これに従わなかった場合は国外退去を含めた処分を行うと発表していた。

ムスリムの勤務時間が午前中に限定されているため、一緒に仕事をする人間がムスリムである場合は午前中のできるだけ早い時間にコンタクトを取る必要がある。時間が遅くなればなるほど、空腹も手伝って機嫌も悪くなるし、彼らとコンタクトすること自体が難しくなってしまう。また、ラマダン3週目以降となると、休暇に入ってしまうムスリムも出てくる。こういうことを総合して考えると、「ラマダン中は物事が進まない」と割り切ってしまうことが重要である。

午前中に仕事を終えたムスリムたちは家に帰って寝たり、お祈りをしたり、コーランを読むのが普通なのだという。気温が暑いこともあり、サウジ人は元々夜型の習性なのだが、ラマダン中はそれに拍車がかかる。このため、午後は寝るというのが一般的な過ごし方であるそうだ。

日没が近くなると彼らは食事の場に集まってくる。私の住む紅海沿岸では概ね19時10分前後が日没であったが、肉眼で確認するまでは夕食を取ってはならないのだという。多くの会社では、ラマダン期間中会社側から無償で「イフタール」の食事が無償で提供される。私の会社の場合、非ムスリムもこの恩恵に預かれたため、ラマダン期間中は毎日イフタール食を楽しむことができた。食堂の営業時間が19時からということもあり、19時に食堂に行き盛り付けをしてもらった。ところが、日没は19時10分のため席に食事を持って行ってもこの時間になるまで待たなければならない。スプーンを持とうものなら、「あと5分だ、あと5分我慢してくれ!」とムスリムたちに言われた。

日没が確認されるとようやく食事が始まる。ただし、敬虔なムスリムの場合日没を迎えても食事にすぐに手をつけず、食事を前にして1分間くらいお祈りを行う者もいた。ラマダンは貧しい人間の苦難を追体験し、食物のありがたさを確認する行事であるとされる。おそらく食事の前のお祈りはアッラーへの感謝か何かなのだろう。

食事が無償提供されるということもあるが、イフタールには数多くのムスリムが集まってくる。私もムスリムたちの輪に入り、イスラム教の歴史やアラブの食事や文化についてずいぶん教えてもらうことができた。日中の断食は辛いものだと思う。特に今年は真夏の日が長く、気温が高い時期のラマダンであったから、ラマダンの中でもずいぶん辛いものであっただろう。(ヒジュラ暦は1年間がグレゴリオ暦よりも10日少ないため、毎年10日ずつ日にちがずれて行き、同時に季節もずれる)。

しかし、断食の辛さはあまり感じられず、むしろイフタールでムスリムの仲間たちと食事や話を愉しむことの方が重視されているように思った。ラマダンというものを経験して、私自身は「ラマダン=断食」ではなく、「ラマダン=シェア」と考えるようになった。ラマダンという時期にムスリム同士で時間や空間、食事、信仰などを「共有する」ことが重視されているように見えた。

ラマダン最後の週末に私はジェッダから日本への帰路に就いた。サウジアラビアから帰る巡礼者、イード・アル・フィトル(ラマダン明け休暇)を海外で過ごすサウジ人でごった返すキング・アブドゥル・アジズ空港で日没を迎えた。日没後、ムスリムたちは水とデーツを取り出し、口に入れて行く。デーツをたくさん持っているムスリムが周囲のムスリムたちにデーツを与えてゆく。みんながデーツを食べてはその種を吐き出してゆくから、パスポートコントロールのあたりはデーツの種まみれになっていた。このデーツを配る姿が、ラマダンの物事をシェアする文化を象徴していた。

ラマダン中のサウム(断食)というものは、人間の限界を十分に意識して設計されているものだと思った。イスラム教でもムーサ―(モーセ)やイーサー(イエス)のような預言者たちは何日間も断食を行ったと教えられるそうだが、普通の人間にはそれができないということを十分意識してか「夜明けから日没まで」とされている。できない範囲の断食ではないから、ムスリムたちはこれに挑戦し続け、廃れることがなかったのだろうと推察する。また、旅人や老人、妊娠中の女性といった人たちのサウムの免除も明確に認めている。人間の物理的限界を認めつつも、信仰を求める姿勢にある種の寛容さを覚えた。