日時 3月10日㈰
午前10時~午後2時10分まで(昼休憩40分)
タワーホール船堀 402会議室
テーマ
何故、人生思いどおりにいかないのか
その原因を説くほんぶしん
初めに、司会の方から、今月はご本部にて、4月には、甘露の里長野において、春季合同慰霊祭が執り行われます。
慰霊祭に先立ち、〝真の供養と生まれ変りの理〟について、お取次ぎがありました。
続きまして、本日のテーマに基づいて、ほんぶしんの御教えである、『八つの埃』
⑤うらみ
⑥はらだち
⑦よく
⑧こうまん
のお取り次ぎがありました。
私たちは社会生活を送る上で法律や道徳、倫理感は人として当然の義務であります。現実は、この義務すら守らない人達も決して少なくありません。世間では、私は何も悪いことや法を犯すようなことは何一つとして、した覚えもない。ひたすら真面目に生きてきたのに、何故に病気や様々な煩い事が次々と身に振りかかってくるのかと、嘆き悲しみに明け暮れている人々が大勢います。実に嘆かわしい限りであります。然し世の人々は此の世界は、神の世界の理の支配を受けていることを、真に理解をされている人々は、実に一握り程しかおりません。従って何事によらず、或る日突然にということは決してありません。私たちの身の周りに起きてくる様々な出来事、つまり物事の起こる原因となる因、そして様々な幸・不幸となる因とは何か、私たちが様々な原因として追い求めていたのは、実は原因ではなく誘因であり、即ち結果であったのです。
つまり原因となるところの種は、いくら高性能な機械を駆使しても決して捉えることは不可能であります。
みろく様は、このことを
「目に見える世界の背後には、目には見えない世界がある」とこのように仰せられました。従って私たちの身の周りにあるものは、偶然にとか、一人でにできた物等何一つとしてありません。
人間の各自の心使いにおける善と悪との別れ道は、天理天則という御神意を基準とするか否かによって、定まるのであります。
従って、我が身思案や神意に反する既成の道理を基準とした心使いは埃であります。神思惑を定規とする思案や運びはすべて理に叶う。つまり正しい心使いとなります。此の世は神様の思惑の上から始められた世である以上、主は神様であることは当然なことであります。
此の事を、みろく様は「神ありて我あり」と仰せられました。因って人間心から計り出された行為は、個人としては争いや縺れ事の原因となって現れてまいります。全体としては、世の行き詰りとなって現れてまいります。
いくらつとめさせて頂きたいと思っていても、病院のベットの上に横たわっていては、つとめどころか、反対に人様のお世話になるしかない。そう思うと健康にまさる喜びは、他にありません。健康こそが本当の宝です。健康でいられるからこそ神様への御用をさせて頂ける誠に有り難いことであります。
そして何かと意識に触れ、気付かせて頂いた時も、神様に御礼と感謝の心を供え、如何なる時も神様に御満足の心を供えて、日々人の助かった姿や、人の喜びを我が喜びとし、実践して通らせて頂くというこのような欲の心であるならば(心の誠月日見ている)、神様は、さぞかし御満足なされることと確信いたします。
つまり、これらの行為に対して、神様は理の貯金と仰せられています。
以上のことから、テーマ〝何故、人生思いどおりにいかないのか〟ですが、
教理に
「伏せ込んだ理は何処へも行きやせん」と仰せられております。
神様は「誠の種を蒔いた者には一粒万倍の理として受け取ってやろう、そしてその理を返してやろう」とそう仰せられております。
「喜ばせたら喜びの理が回る」つまり「蒔かぬ種は生えねど、善き事も悪しき事も同様、蒔いたる種は早い遅いの違いはあれ、すべて種通り結果が現れてくるのです。
この事を指して 「種通りの世界」 と仰せられています。
共々に助け活動を活発にさせていただき、思いどおりにいかなかったことが、びっくりするほど、だんだん減少していきます。
来月4月の予定です。
日時 4月14日 日曜日
午前10時~午後2時30分まで(昼休憩1時間)
306会議室
テーマ
因縁とは何ですか
その教えを説くほんぶしん
数名の講師により、分かりやすく解説。
人生の転機をお考えの方、何かお困りの方々にお勧め
先着30名様まで。