言葉Ⅷ | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

創業者の言葉


●柔よく剛を制す

【伊庭貞剛】

住友財閥


●常識なんかを
ありがたがっていて
偉くなれるか
【御木本幸吉】
ミキモト

●営利だけを追及する建築商であってはならない
【竹中藤右衛門】
竹中工務店
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住友財閥の伊庭貞剛は

近江商人で知られる
近江国出身
第2代住友総理事 
なので正確には創業者ではない

住友姓の祖になると
桓武天皇の世にまで
遡るそうだが

伊庭貞剛は

「別子銅山中興の祖」と言われるほどの人であったのだとか

近江商人と言えば
福島県に嘗てあった
中合というデパートの
創業者は
近江商人の

中村治郎兵衛の三代目に当たるそうで


初代中村治郎兵衛は

商人の基本になる


売り手よし

買い手よし

世間よし

の、「三方よし」を

説いている


夫の実家に
初めて行った時に
夫の家族全員とこの
デパートに行ったことがあった

今から半世紀前の
福島の町並みは
横浜の下町のそれとは違う
どこか江戸時代のTVにでも出てきそうな町並

その風情にほんの暫く
見惚れていたが
後にそこが奥州街道と
教えられて
成る程と納得した

周りに高い建物がない
中に建つ真白な建物は 
巨大な要塞のような
重圧感があって
週と姑、義兄や甥や姪
ニコニコしているのに
夫はあまり嬉しそうでなく

夫は中学生になり
通学のために自転車を買ってもらって
その軽快さに
学校帰りに
中合を目指して
自転車を走らせたのだとか 

 女神山の中腹にある
自宅から市内までは 
下り坂なので 
風を切って 
心地よく走り

 けれど途中
三春の辺りで
遠く安達太良連峰が
迫りきて
突然不安になり 
家に帰るのだが 

 横浜の港南区から
二俣川まで自転車で
プリクラを撮りに
行って
チャリで来た、と
2chで話題になった 
上永谷から二俣川までは22キロと
あったが 

 夫の実家から三春まで
車で一時間あまり 
約50キロだそうで
その上登り坂

何段ギアなんて無い、黒い荷台付きの自転車

 既に陽は暮れ初め 
 まだ切通の道で
民家はおろか
街灯など 
あるはずもない 

 家では当然大騒ぎに
なり
山狩りをしたり 
川を浚ったり 

陽がとっぷり暮れた頃
長兄が近くの道路工事のダンプを借りて
迎えに来たと

 歳を取っても 
中合に行くのを好まず
山に向かう道を歩くと 
無言で睨む長兄の目を
思い出して
恐ろしくなる
というほどで

目は口ほどに物をいう
というが
時には
なにも話さないほうが
怖いものなのかもしれない

それでも、もしかしたらと探してくれる
兄がいる夫はいいなと
思った

両親が再構築して
三歳に満たない歳に
別れ、その三年後に
突然一緒に暮らし始めた三人の姉達と
難解な鹿児島弁の上に無口な父
三人の姉弟も時には鹿児島弁で笑い合い

そんな家に嫌気が指した私は妹を連れて
山手の道を
元の家に帰ることに
したのだが
山元町を曲がり損ねて
稲荷坂まで歩いていたと、お巡りさんが連れ帰った時
母は
出ていきたかったら
一人で行けと
それだけ 
父達はなにも言わずに
食事をしていた

その後父が
映画や海水浴や
中華街でのお粥朝食を食べに連れていって
くれたのだが
生前の父とは
親子らしい会話はせず
終わってしまった

それなのに
何か困り事があると
その無口な父に
解決策を求めているのだから
親子とは不思議なものだと思う