言葉Ⅱ | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

●私は自分の会社に

身命を賭している

【藤原銀次郎】

王子製紙


●この勲章は
私とともに歩んだ“
人と仕事”が
頂載したものだ
【大谷竹次郎】
松竹

●資本金は“無”を
もって理想とする
【出光佐三】
出光興産

●苦しい時は、
楽しいときが
くることを思って
頑張れ
【小林中】
富国生命保険

●取り組んだら
放すな、
殺されても放すな
【吉田秀雄】電通
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11月28日は
ポルトガルの冒険家
Ferdinand Magellan

1520年に

太平洋に到達した

太平の海の日


マゼランの遺した言葉


If we do so

やれば出来る


マゼランは

航海の途中で乗組員に不信感を抱かれ、冒険中止の危機に陥った時


彼らに多くを語ることで仲間意識を構築し


彼が航海の途中

フィリピンのマクタン島で戦争に巻き込まれ

亡くなった後も

船員達で

冒険を遂行した

と書かれていた


その後

マゼランは

海溝や島や

動物の名として

700年の時を超えた

今もあり続けている


マゼランほど

ではないが

日本でも坂道に名前を遺した人がいる


それは保土ヶ谷区に

ある坂の名前になったとされる権太さん


旅をする人がその坂の厳しさに呆れて一休みしていると、田に苗を

植えている男がいたので

この坂は何というのか

と、訪うと

名前を聞かれたと

思った権太さん

俺ぁ、権太だ、と

答えた

すると旅人はこの坂の名を言われたと思い

それ以来、権太坂、と


ただそれでは旅人が

勝手に

坂の名前を付けた

ことになるわけで


一説によると、映画

殿、利息でござるの

モデルの生きた時代に

弘前藩に属する

藤田権左衛門が、

大官の命により東海道の(道を補修して)

歩いた折に元々の坂が

急勾配だったものを

なだらかに直した時に

名前をつける際

江戸で権之助坂と

付けたので

保土ヶ谷は権太坂

にしたとか

何れも本当に?という

ような話だけれど


If we do soと言った

マゼランも

権之助さんも

今のようなNAVIや

翻訳機など無い

標準語という概念も

なかった時代


考えてみるまでもなく凄い人達だなと思う


そういえば夫も21の時

地球の歩き方

なんて無い時代に

主に福島弁訛りの英語一つで

船で世界の旅を目指したわけで


If we do so


為せばなる

為さねばならぬ何事も

とは


武田信玄の

「為せば成る、為さねば成らぬ成る業を

成らぬと捨つる人のはかなき」

を模した

米沢藩主、上杉鷹山が家臣に教訓とした言葉


やるっきゃないっしょ

と言ったのは

Number_i の平野君


未知の世界への

旅に出るには

言葉とか経験値とか

そんな心配より

まず一歩踏み出す

ということだと思う


しかし

メディア業界の創業者の言葉には、この業界の闇が

しみじみと

見えて来そうな