●私は自分の会社に
身命を賭している
【藤原銀次郎】
王子製紙
1520年に
太平洋に到達した
マゼランの遺した言葉
If we do so
やれば出来る
マゼランは
航海の途中で乗組員に不信感を抱かれ、冒険中止の危機に陥った時
彼らに多くを語ることで仲間意識を構築し
彼が航海の途中
フィリピンのマクタン島で戦争に巻き込まれ
亡くなった後も
船員達で
冒険を遂行した
と書かれていた
その後
マゼランは
海溝や島や
動物の名として
700年の時を超えた
今もあり続けている
マゼランほど
ではないが
日本でも坂道に名前を遺した人がいる
それは保土ヶ谷区に
ある坂の名前になったとされる権太さん
旅をする人がその坂の厳しさに呆れて一休みしていると、田に苗を
植えている男がいたので
この坂は何というのか
と、訪うと
名前を聞かれたと
思った権太さん
俺ぁ、権太だ、と
答えた
すると旅人はこの坂の名を言われたと思い
それ以来、権太坂、と
ただそれでは旅人が
勝手に
坂の名前を付けた
ことになるわけで
一説によると、映画
殿、利息でござるの
モデルの生きた時代に
弘前藩に属する
藤田権左衛門が、
大官の命により東海道の(道を補修して)
歩いた折に元々の坂が
急勾配だったものを
なだらかに直した時に
名前をつける際
江戸で権之助坂と
付けたので
保土ヶ谷は権太坂
にしたとか
何れも本当に?という
ような話だけれど
If we do soと言った
マゼランも
権之助さんも
今のようなNAVIや
翻訳機など無い
標準語という概念も
なかった時代
考えてみるまでもなく凄い人達だなと思う
そういえば夫も21の時
地球の歩き方
なんて無い時代に
主に福島弁訛りの英語一つで
船で世界の旅を目指したわけで
If we do so
為せばなる
為さねばならぬ何事も
とは
武田信玄の
「為せば成る、為さねば成らぬ成る業を
成らぬと捨つる人のはかなき」
を模した
米沢藩主、上杉鷹山が家臣に教訓とした言葉
やるっきゃないっしょ
と言ったのは
Number_i の平野君
未知の世界への
旅に出るには
言葉とか経験値とか
そんな心配より
まず一歩踏み出す
ということだと思う
しかし
メディア業界の創業者の言葉には、この業界の闇が
しみじみと
見えて来そうな