わたしの話になります
 
blogは10数年前からなので同じような記事があるかもしれませんが気に留めてくれた人がいたらお付き合いください
 
 
こちらのページは幼少〜学生時代まで
長いのでご注意ください
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バンコク(タイ)生まれ
 
千葉で育ちました
 
 
物心つく頃は、自分の肉体を含む全てが異質に感じて
 
自分は何かの間違えでここにきた宇宙人と思っていました
 
 
 
 
肉体、身の回りのことすべてに違和感があり
 
超過敏のエンパス
 
 
自己否定
世界平和 平等 死生観 
人が怖いのに内在する人類愛に困惑
 
 
 
潔癖で敏感
 
体や、左右バランスが気になる
 
かすり傷は私にとっては打撃
 
人の話が理解できない
 
ドがつく方向音痴
 
人の思いが勝手に入ってくる
 
 
存在しているだけでむりがある
 
 
しかしながら、
 
徐々に凄まじい向上心で色々挑戦していく
 
 
 
幼い頃の遊びは
 
絵や人形で物語をつくる 
整体(ヒーリング)教室ごっこ 
感覚あそび 探検ごっこ
 
静と動 なんでも極端
 
あと不思議なことは多かった
 
 
あと木や石を祀る自分なりの祈り
 
雨の日は水溜りのアリを救出にいくのが日課
 
 
近くの小学校には通えないと医師から言われ両親は覚悟した
 
 
 
【小学生時代】
 
 
近所にヒーラーさんが来た時に走って
 
質問しに行き、普段感じている感覚を質問
 
 
母が守ってるから大丈夫と言われて
 
ホッとする
 
家族全員に助けられまくっている
 
 
1995年頃から母が定期購読していた雑誌
 
(アネモネ)に 波動、高次メッセージ、
 
量子力学の視点、地球が変化している
 
そうゆう情報は自然な感覚だった
 
 
 
 
私の育てづらさと、夫婦関係が最悪だったことで
 
母が仏教を通して宇宙観を勉強し始めたそう
 
 
 
 
信仰と教育のテーマを集約する環境で育った
 
知らない人の多様な人生を傍観し
 
不思議な話に山ほどふれた
 
 
 
 
子供の頃自分の中にいつもあったメッセージ
 
世界中が仲良しで食べ物が行き渡る豊かな世界の祈り
 
喜怒哀楽を存分に体験するということ
 
 
 
 
プチワンネス体験
 
小学校で時間割表を眺めている時突然
 
全てが繋がり合っている感覚が私の中で広がった
 
 
【中学生時代】
 
活発さ全面に出して
 
生徒会、学級委員、応援団、実行委員など
 
なんでも、出会う役を拒まず掛け持ちして
 
 
 
自分だけでは できないことも
 
力を借り合って 楽しかった
 
 
自分たちの元々のよさが 引き出される体験に
喜びを感じた
 
 
お笑いが好きで部活仲間とコントの再現をして登校する
 
彼氏は過去世(ラオウと呼んでる)でのライバル
 
勉強コンプレックスをどうにかしたくて猛勉強して成果を出す楽しむ
 
集団的いじめは2度体験
 
中3の時に、さまざまな挫折が重なり崩壊の絶望
 
世を去ろうとしたとき母が諸行無常を話し
 
微かな光がさし生きようと感じた
 
 
 
幼少から時々街頭募金や一人暮らしの高齢者に食事を届けるとか
市の福祉演説でスローガンが採用された
 
校内での活動を市から表彰されたり
 
自分に対して全力で生きていた
 
 
当時自分の中からの強いメッセージ
 
世の中に絶対てきなものが何ひとつない
 
苦しみや喜びは比較するものではない
 
 
 
【高校生時代】
 
自暴自棄の側面がありここにお話しできない
 
 
「そのままのあなたでいいよ」
 
沖縄にいるとき母から一言の電報が届く
色んな自分をどうしたら良いのかわからないとき
言霊が響いて泣き崩れる
 
 
15位の時は急に思い立ってそのまま自転車で千葉一周ヒッチハイク旅をする(自転車ごと運んで頂く)日常でもヒッチハイクででかける 滝を探しに出たり 洞窟を見つけたり 外国人に声をかけて英語を教えてもらう など行動が突発的で飽き性
 
 
不自然に嫌な現実が続いたとき さすがにおかしいよなと思い
 
自分の発したものがかえってくる
 
というそれを実践する
 
 
高校の時は日サロに週2、3通う
殆ど家にいなかったが根が真面目なので学校は1時間前登校
 
「おわってんだけど」が口癖で
おわってる現実がおしよせる笑
 
最初は会話で使う言葉を改め
現象が変化する
 
 
母に勧められた沖縄の平和学習で、許可を得て(現在は許可出ない)崖の洞窟に縄いっぽんで崖を登り(元防空壕)人骨の発掘中ということで積まれていた この真っ暗で滑る洞窟から出た時の沖縄の青い空と海の爽やかな空気が、生きていることの実感が溢れて涙とまらない
このような旅が広島でも訪れる
 
受験前に、合併症で死にかけた時
寝返りも食事も何もできない入院生活
病院にいるだけで、私にとって体内へのフォーカスが気絶してしまうほど無理 子供が産めなくなるかもと医師に言われる
 
 
退院が近づいて 久しぶりの食事(水や飴もNGでした)ほぼお湯のお粥をたべたとき
 
お米の甘さや、口の中に食べ物が入る、唾液、食道、感覚が究極に研ぎ澄まされていた
 
 
すべてが完璧で感謝と喜び
大号泣
 
 
 
死にかけたことは5回。
 
バイトは体験として色々やる 
 
 
 
【短大生時代】
 
思い立って突然富士登山 大きな天の川を見上げながら銀河の中にある感覚
 
びっしり満天の星空にあちこちに降り注ぐ流れ星
巨大な龍がゆっくりと上昇していく
 
 
涙が止まらない膨大なインスピレーション
 
この頃 許し がテーマで
自分をおとしめた存在(笑)を憎んだ自分自身を既に許していたことに気づいた時、スーっとして、変化していく
 
卒論はマヤ文明の謎をテーマに文庫に選抜される
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学生時代までのハイライトでした。
 
 
ここにかけない色んな私が同時に人生を体験している感覚でした。私のヒューマンドラマでした
 
次は社会人からです。