私が担当をさせていただいている,東京地裁における自由面会交流権訴訟の裁判期日が,令和4年6月6日に行われました。

 

 

 

 

 

審理は原告ら側と被告国側の主張のやり取りがほぼ終盤になり,次回期日令和4年8月8日午後1時30分からには,原告ら側からの当事者尋問の請求が行われる予定です。

 

 

 

 

 

被告国から出された主張の中に,「今回の訴訟で争点となっている『面会交流権実現のための法制度について,国会(国会議員)の立法不作為責任はあるか』という問題は,すでに同様の争点が問題とされた前訴訟(東京高裁令和2年8月13日判決)があるのだから,今回の訴訟もその前訴訟と同様の判断になるはずだ。」という内容があります。

 

 

 

 

 

その被告国の主張について,私は以下のように考えています。前訴訟で争点とされたのは,「面会交流権の基本的人権」としての側面でした。でも,その前訴訟が出された後,いわゆる離婚後単独親権制度違憲訴訟において,東京地裁令和3年2月17日判決及びその控訴審である東京高裁令和3年10月28日判決は,「親による子の養育は,親にとっても子にとっても人格的な利益である。その人格的な利益は,たとえ両親が離婚した場合でも,失われるものではなく,また失われるべきものでもない。」と判示したのです。

 

 

 

 

 

 

すると,同じ面会交流権についての問題が前訴訟で争点とされたとしても,面会交流権が,東京地裁令和3年2月17日判決及びその控訴審である東京高裁令和3年10月28日判決で判示された「人格的な利益(人格的な利益は,両親が離婚した場合でも,失われるものではなく,失われるべきものでもない。)」に含まれるとした場合,やはり,面会交流権を実現するための法制度を創造しない国会(国会議員)の立法不作為責任は別に問題となるはずです。今回の訴訟における原告の方々は,そのような側面からの判決を得るための「法律上の利益」があるはずだと思います。

 

 

 

 

 

 

現在の離婚後単独親権制度は,両親の離婚に際して,「子の奪い合い」を生んでいます。離婚後単独親権者となれなければ,子と会う時間が少なくなることを避けるために,離婚後子の親権者となることを希望する親は,子を連れ去り,別居親と子との面会交流を拒んでいる,と指摘されています。面会交流を拒むことで,別居親と子との監護時間が少なくなり,親権者の決定に重要であると指摘されている「子の監護時間」で優位に立つからです。

 

 

 

 

 

 

私は現在,離婚後単独親権制度違憲訴訟(最高裁上告中),子の連れ去り違憲訴訟(東京地裁),自由面会交流権訴訟(東京地裁)の3つの「親子関係憲法訴訟」を担当させていただいてます。その3つの訴訟を通じて感じるのは,「現在の離婚後単独親権制度」の最大の犠牲者は,「子どもたち」である,ということです。

 

 

 

 

 

 

親が離婚した子どもについて行われた心理学者の調査で,別居親と子どもとの面会交流が頻繁に行われていればいるほど,子どもの自己肯定感が高く,また他者とのコミュニケーション能力も高い,という結論が出ています。子ども達は未来の社会を担う存在です。両親の離婚という,子どもにとって自らの意志や努力ではどうしようもない事実により,子どもの福祉や健全な成長について生じる不利益を可能な限り少なくするための法制度の創造が,国会(国会議員)には求められていると,私は考えています。