私が共同代理人として担当させていただいている自由面会交流権訴訟(東京地裁)について,令和4年3月7日に,裁判期日が開かれました。
同日の裁判期日では,原告側の主張書面と証拠を提出しました。その中でも私が重要だと考えているポイントは,以下の2点です。
まず第一に,日本の民法で規定されている「面会交流」は,諸外国では「訪問権」との名称で,基本的人権として保障されていることです。以下の論文を主張書面でも引用しました。
井上武史「別居後の親子の面会交流権と憲法:面会交流立法不作為違憲訴訟の検討」の310-313頁
「憲法学説から,「面会交流権は,実現内容・方法に具体的な形成が必要なだけで,例えば環境権のように具体的に何を求める権利なのかが明確ではないというものではない」と指摘されるように,面会交流権の主体や内容については,地裁判決が言うような「議論が一義的に定まっているとは評価し難い」というものではない。比較法的に見ても,離婚後に別居親が子と会って交流できることは,諸外国では訪問権(Visitation rights)や訪問・宿泊権と呼ばれ,すでに別居親の権利として確立しているといえる。
その理由は,父母の双方と交流を維持することが,子の利益になると考えられるからである。例えばフランスでは,子が双方の親と人格的関係を維持することは子の利益に適うというという理念が離婚家庭の子どもの問題に関わる人々の間で広く共有されるようになったからだとされる。日本でも東京高裁が,「子は,同居していない親との面会交流が円滑に実施されていることにより,どちらの親からも愛されているという安心感を得ることができる。したがって,夫婦の不和による別居に伴う子の喪失感やこれによる不安定な心理状況を回復させ,健全な成長を図るために,未成年者の福祉を害する等面会交流を制限すべき特段の事由がない限り,面会交流を実施していくのが相当である(注11(東京高裁決定平成25年7月3日))。」
このように,諸外国では,日本法における「面会交流」が,「訪問権」として基本的人権として保障されているわけです。今まで,日本法において「面会交流」が基本的人権としての扱いを受けにくかったのは,意外と,言葉の相違がもたらしていたのではないか,という気がしています。
もう1つのポイントがあります。それは,「同居親が拒否をすると,別居親が子との面会交流を実現することは,事実上困難である」と,調停委員の方が書かれた論文を提出したことです。以下の論文です。
『判例タイムズ1100号 臨時増刊 家事関係裁判例と実務245題』(判例タイムズ社,2002年)190~191頁に掲載されている遠藤冨士子(東京家庭裁判所調停委員)「面接交渉の時期・方法・履行確保」においては,以下の記載がされています。
①「1 時期・方法 (中略) わが国では,昭和39年に面接交渉を認める審判が出されて以来普及し,実務でも学説でも面接交渉は子にとって有益であり,子の福祉に反しない限り認めるべきであるとするのが大勢である。しかし,監護親の中には,非監護親が面接交渉を要求しても拒否する者,ごく僅かしか応じない者も多く,家庭裁判所に申し立てられる事件が増大している。」(190頁)
②「2 履行確保 面接交渉は,子の利益でもあるから監護親・子の側からこれに応じない非監護親に履行を求めることもありえるわけであるが,実務上多いのは非監護親から監護親に履行を求める場合である。
調停または審判で面接交渉が決まっても子の生活や心身状況の変化など正当な事由があれば変更を求めることが可能であるが,そのような事由がないにもかかわらず履行に応じない監護親が多く,その履行確保は昨今家庭に関する最も解決困難な問題の一つとなっている。不履行に対抗する手段としては次のようなものが考えられる。
(1)履行勧告 調停または審判で決まったことについては,当該家庭裁判所に履行勧告を申し出ることができる。実際には調査官が担当し,双方(権利者・義務者)の言い分をよく聴いて調査を図り履行を促すが強制力はなく,頑として応じない義務者に対してはどうにもならない。
(2)再調停 権利者はさらに話し合いを求めて調停を申し立てることがある。話し合いの結果不信感が軽減されるとか新たな条件で合意ができるとかすれば履行が期待できるが,調停でできることには限界がある。
(3)強制執行 面接交渉条項は家事審判法第15条により執行力ある債務名義となる。しかし直接強制はできないというのが通説である。遅滞の期間に応じて一定の賠償をすべきことを命じる間接強制はできるという説が多いが,有力な反対説がある。
(4) 損害賠償請求 面接交渉を拒否した監護親に対し不法行為責任を認め,損害賠償を命じた判例がある(最近では静岡地浜松支判平11・12・21判時1713号92頁)。しかし損害賠償を命じても面会交渉が実現するわけではなく,子の福祉に益することもない。
(5) 親権者・監護者の変更 面接交渉の拒否に対して親権・監護権の変更を肯定する説もあるが,面接交渉の拒否と親権者・監護者としての適格性は別のことであろう。」(191頁)
③「3 問題の所在と対応 以上でみたように,面接交渉の頑強な拒否に対する法的な対抗手段はほとんどないと言ってよい。」(191頁)
このように,諸外国では基本的人権として保障されている「面会交流権」(諸外国における訪問権)が,日本ではそれを実現するための法律規定が設けられていないために,「面接交渉の頑強な拒否に対する法的な対抗手段はほとんどないと言ってよい。」と評価されているのです。これでは到底「法律制度」とは言えないことは明白でありますし,法律制度の欠缺が,基本的人権としての面会交流権(諸外国における訪問権)の実現を阻害していることは明らかだと思います。
子と別居親との面会交流が,子と親が触れ合いながら互いに成長し,思い出を創造するための不可欠の機会であることは明らかです。それは,子にとっても別居親にとっても,人格的な利益なのです(東京地裁令和3年2月17日判決及びその控訴審である東京高裁令和3年10月28日判決)。
現在法制審議会では,面会交流の実現のための法改正が検討されています。私達も,自由面会交流権訴訟を通して,私達が創造する基本的人権としての面会交流権(訪問権)の法制度化を実現したいと考えています。
行政と司法とは役割は異なりますが,いずれも社会における正義と公平を実現するための国家作用であることに違いはありません。この社会問題に異なる観点から光を当てて,1日も早く親子の自由な面会交流が実現できる日を実現したいと考えています。