以前の記事「病院の責任を認めた判決が出されました」では,私が担当させていただいている民事裁判で,病院の責任を認める判決が出されたことを御紹介しました。岡山地裁平成28年3月29日判決です。以下で引用するのは,その判決についてNHKニュースで取り上げていただいた際の内容です。
「岡山市の女性が,病院でひ臓の手術を受けた際,本人の同意のないままひ臓の摘出手術をされた,として病院に対し慰謝料などを求めていた裁判で,岡山地方裁判所は,原告の訴えを一部認める判決を言い渡しました。・・
今日の判決で岡山地裁は,医師は事前の説明で『手術中の検査で腫瘍悪性の場合ひ臓を摘出することもあると伝えていたが,実際は検査せずに摘出した』と指摘しました。
その上で裁判長は,みずからの臓器を失うか否かという女性の重大な自己決定権が侵害されており不法だ,などとして女性の訴えを一部認め,病院に慰謝料などの支払いを命じる判決を言い渡しました。・・」(NHK平成28年3月29日放送のニュースより)
この裁判は,その後控訴審に移り,さらに審理が続いていたのですが,控訴審である広島高裁岡山支部平成28年10月27日判決は,岡山地裁に続き,女性の訴えを一部認め,病院に慰謝料などの支払いを命じる判決を言い渡しました。
この広島高裁岡山支部の判決においても,岡山地裁と同様に,裁判所は「医師の説明義務違反」を肯定して,病院に賠償命令を出しました。
上で引用した記事「病院の責任を認めた判決が出されました」でもお話しましたが,元々医師と患者との契約関係は,「委任契約(準委任契約)」という類型に属するとされています。そして「委任契約」の特徴は,「受任者(医師)」の裁量が広いことにあります。
とすると,委任契約における受任者である医師は,その広い裁量により「患者のために最善の結果を実現するために最善の努力をすること」を受任した,と言えるのでありまして,そのプロセスの個々の判断について,「合法」「違法」の評価を行うことはとても難しいはずなのです(医療過誤訴訟で患者側の勝訴率がとても低い,と言われているのは委任契約の性質も理由だとされています。)。
すると,今回岡山地裁に続き広島高裁岡山支部での判決においても,「委任契約」という契約類型からすると,「医師が患者に対して個々の説明していなくても,その手術を受けることが患者にとって最善の結果であると医師が判断したのであれば,それは医師の広い裁量による判断であって,違法ではない」と評価される可能性があったわけです。
それに対して,岡山地裁判決に続いて出された広島高裁岡山支部判決は,医師が説明を怠ったことで,患者の女性が臓器を摘出するかどうかの自己決定権を奪われた点を重視して,医師の説明義務違反を違法と判断したのでした。
それらの判決では「自己決定権」という言葉が引用されています。「自己決定権」とは,憲法13条の規定する「個人の尊厳」から導き出される人権の1つとされているものです。
それに対して,「委任契約」における受任者(医師)の裁量権の広さは,憲法ではなく,法律で規定されている制度にすぎない存在なのです。
そもそも憲法の保障する人権とは,多数決では奪えないものがある,ということを意味する存在です。さらにそれは同時に,多数決により制定される法律でも奪うことができないものがある,それが人権である,ということをも意味することです。
憲法が保障する人権と法律上の制度が対立した場合には,人権が優先されるのだ,というのが,岡山地裁判決と広島高裁岡山支部判決の背後にある理念のように感じました。
さらに申すと,私達生命は,1人1人DNAが異なる存在です。それは,生命が生き延びるための知恵なのです。
とすると,「異なる存在」である患者が,どのような意向で手術を受けようとしているのか,一般的にはある意向で手術を受ける患者が多いとしても,生命が1人1人違う存在である以上,必ずその意向を確認して手術を行わなければならない。それがまさに「インフォームド・コンセント」なのだと思います。
言葉として存在する「説明義務」や「インフォームド・コンセント」も,人権理念と生命理念からすると,当然に導き出される原則のように思います。それらの理念が,言葉に意味を与えているように感じています。そのような思いを与えてくれたのが,この度の岡山地裁と広島高裁岡山支部の判決だったように思います。