先日の記事「因果関係とアイスクリーム」でもお話ししましたが,
「因果関係」があるか否かは,「○がなければ●もなかった」という「事実的因果関係」が認められるだけでは足りず,その「事実的因果関係」があることを前提とした上で,その結果発生した損害を,原因を与えた人に損害賠償責任を負わせることが,社会的な観点から相当である,という関係としての「相当因果関係」が認められる必要があります。
その意味で法律上の「因果関係」は,「評価」が必要となるとても難しく,かつとても面白い分野である,ということになります。
そのような観点からとても興味深い問題を提起してくれるのが,盗難車による交通事故の問題なのです。
例えば,Aさんが自宅マンションの駐車場に,その所有する自動車を鍵をかけずに駐車していたとします。
その結果,Aさんの自動車は,第三者Bによって盗難されるに至りました。
その後,第三者Bが盗難したAさんの自動車を運転していた際に,その運転を誤り,Cさんに対して人身事故を起こした,とします。
はたしてAさんはCさんに対して,生じた損害に対する賠償責任を負うか,という問題です。
交通事故について損害賠償を負うかどうかは,その交通事故により発生した損害と,自らの落ち度(過失)との間に,因果関係があるか否かで決まります。
そして上述しましたように,因果関係とは「○がなければ●がなかった」という事実的因果関係であることを必要とすることから,「私が自動車のドアに鍵をかけなかったから,交通事故が発生した」という事実的因果関係が認められる以上,「私」にはその交通事故により発生した損害につき,当然に損害賠償責任を負うように思えます。
ところが,ここがポイントなのですが,Aさんが自動車のドアに鍵をかけなかったためにその自動車が第三者Bの盗難にあい,その結果Cさんに交通事故が発生した場合は,確かにAさんが自動車に鍵をかけなかったからこそCさんの交通事故が発生したのですが(その意味で両者の間には「事実的因果関係」が認められますが),盗難された自動車から,当然に交通事故が発生するわけではありません。
なぜならば,窃盗を行った者,もしくはその者から自動車を譲り受けた者などが,自動車の運転自体は適切に行う可能性もあるからです(その意味で両者の間には,当然に「相当因果関係」が認められるわけではないのです)。
その意味で,鍵をかけなかったことと交通事故との間に,「事実的因果関係」が存在するだけでなく,その原因と発生した損害との間に,「相当因果関係」が認められるか,という評価が必要な問題なのです。そしてその評価は,「損害の公平な分担」という不法行為法の理念から行われることになります。
そのような観点から最高裁昭和48年12月20日判決は,「自動車の所有者が駐車場に自動車を駐車させる場合,客観的に第三者の自由な立入を禁止する構造,管理状況にあると認めるときには,たとえ当該自動車にエンジンキーを差し込んだままの状態で駐車させても,このことのために,通常,右自動車が第三者に窃取され,かつ,この第三者によって交通事故が惹起されるものとはいえないから,自動車にエンジンキーを差し込んだまま駐車させたことと当該自動車を窃取した第三者が惹起した交通事故による損害との間には,相当因果関係があると認めることはできない。」と判示しています。
ただ,その後の下級審裁判例では,具体的な事情の下で自動車に鍵をかけなかった自動車の所有者に損害賠償責任を負わせたものも存在するのです。最終的には,個別具体的な事実関係に照らして,相当因果関係が認められるかどうかの評価が必要となることになるのですね。
評価とは誠に難しいものだと思います。それは「評価」には常に「社会性」が求められるからであり,決してそこには,正解が存在しないからではないでしょうか。