イラン・ラモーンさん(1954-2003)は,イスラエル人で初めての宇宙飛行士となった方です。そしてラモーンさんの母親と祖母は,第二次世界大戦中,アウシュビッツ強制収容所を生き延びた方々なのです。
ラモーンさんは,2003年に打ち上げが行われたスペースシャトルに搭乗されました。
その際,ラモーンさんは,一枚の絵を,宇宙に持って行きました。その絵は,ペトル・ギンツ君というユダヤ人の少年が14歳の時に描いた絵です。絵は「月の風景(Moon Landscape)」と名付けられていました。
ペトル・ギンツ君は,幼い頃から理数系科目で才能を発揮していた少年でした。でも彼は,16歳の時,アウシュビッツ強制収容所のガス室に送られて,亡くなったのです。
ラモーンさんは,初めてのイスラエル人宇宙飛行士として,その「月の風景」の絵を,宇宙に持って行くことを希望したのです。
でもラモーンさんが乗ったスペースシャトル・コロンビア号は,大気圏再突入の際の事故で大破。ラモーンさんを含む宇宙飛行士7名全員が亡くなられたのです。
その悲劇の後,あるものが地球上で発見されました。それは,ラモーンさんがスペースシャトルでつけていた日記です。
スペースシャトルの爆発と大気圏の熱を乗り越えて,日記が地球上で発見されることは通常考えられないことでした。
その日記はラモーンさんの妻に届けられ,現在はエルサレムのイスラエル博物館に保管されています。
ラモーンさんは,その日記の最後のページに,次のように記載していたのです。
「今日は,自分が宇宙で生きていると真に感じた初めての日だ。
私は,宇宙で生き,宇宙で働く人間になった。」
本来,「国」という概念は,私達人々が幸せな社会運営を行うために考え出されたものであって,その存在はフィクションにすぎないものです。宇宙飛行士の方々が地球への帰還後,よく言われるのが,「宇宙から見た地球の青さに感動するとともに,そこに国境線が書かれていないことにも感銘を受けた」という言葉です。
長い人類の歴史において,ユダヤ人への迫害が繰り返されてきました。それは人が幸せになるために編み出されたはずの「国」という存在が,本来の目的を逸脱し,濫用され,悪用された顕著な例だと思います。第二次世界大戦でのアウシュビッツ強制収容所における悲劇はその最たるものでしょう。
ペトル・ギンツ君の月の絵を宇宙に持って行ったラモーンさん。でも結果的にはラモーンさんも,悲劇的な事故で亡くなられてしまいました。
悲劇が二重に重なったことは,人々に大きな衝撃と悲しみを与えました。でも,ペトル・ギンツ君の名前は,後に天文学者によって発見された新しい星に付けられ,夜空に輝いています。
そして,「国」という存在について,宇宙から私達にメッセージを送ってくださったラモーンさんの思いは,いつまでも,私達の心の中で,夜空の星のように,輝いていくのだと思います。